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幕間2 『azure moon』」(2007/09/24 (月) 23:37:20) の最新版変更点

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<p> <br>  <br> 「――好きな人は、いますか?」<br>  <br> なんの前触れもなく話を切ったかと思えば、いきなりすぎる質問。<br> 僕は返答に困って、ちょっとの間、この場に相応しいだろう言葉を探していた。<br> 『はい』か『いいえ』の、どちらかを選ぶだけなのに、だ。<br>  <br> 「うん……まあ、ね」<br> 「もしかして、恋人さんですか?」<br>  <br> これまた、矢継ぎ早な切り返し。答えにくいことばかり、ズケズケと訊いてくる。<br> 再び、僕は二択問題で迷った。答えは『いいえ』しか無いのに、だ。<br> そうさ。僕は未だかつて、恋人と呼べる女性に、巡り会ったためしがない。<br> 片想いなら、それこそ両手の指じゃ足りないくらい、経験してきたんだけどね。<br>  <br> 男としての意地――みたいな、ちっぽけなプライドも、あったのかな。<br> 年齢=彼女居ない歴じゃあ、少し……いや、かなり格好悪いから。<br> それも、こんな可愛らしい女の子を前にしてなら、尚更じゃないか。<br>  <br> 「うん……まあ、ね」<br>  <br> バカだな、僕は。いい歳して、こんな見栄っ張りなウソを吐くなんて。<br> おまけに答え方まで、まるっきり同じときてる。<br>  <br> ――だけど、結果的には、マヌケを演じるのも良かったみたいだ。<br> 何故って? それはね……彼女の、本当に楽しそうな笑顔を、見られたからだよ。<br>  <br>  <br>  <br>   幕間2 『azure moon』<br>  <br>  <br>  <br> 不器用なヒトね。ひと頻り笑ったあと、彼女は指の背で眦の涙を拭いながら言った。<br> やっぱり、僕の浅はかな見栄なんか、お見通しらしい。<br> だからこそ『不器用』という単語を、わざわざ引っぱり出してきたんだろう。<br> 彼女なりの思いやりで、ウソだと断罪しないままで。<br>  <br> ああ、そうだよ。確かに、僕は要領よくないし、思慮の足りないところもあるさ。<br> 自分なりに一生懸命のつもりでも、手抜かりがあったり、裏目に出たり……<br> そんな失敗談は、枚挙に暇がない。自慢できるコトじゃあ、ないけどね。<br>  <br> 如才なく立ち回れる人間だったなら、僕はいま、ここに居ないと思う。<br> 両手に華の生活で、悠々自適な人生を送っていたかも知れない。<br> そして、この初対面の女の子とも、こんな風に話をしてなかったはずだ。<br>  <br>  <br> ――まあ、もしも……の妄想に浸るのは、またの機会にしよう。<br> このまま黙っているのも、負け犬の烙印を押されたみたいで、惨めになる。<br> だから僕は、僕なりに、僕自身を擁護しようと思った。<br>  <br> 「あの――」<br> 頭上から降ってくる葉擦れと、喧しいアブラゼミの声で埋もれそうになる中で、<br> 気後れしたような細い声が、紡ぎ出される。<br> それは、僕が放った声じゃなかった。<br>  <br> 「ごめんなさい。なんだか、不快にさせてしまったみたい」<br> 「どうして、そう思うんだい?」<br> 「だって…………急に、黙ってしまうんですもの」<br>  <br> なるほど、そういうことか。また、変に気を遣わせてしまったな。<br> 僕は、いつもの癖で髪に手を遣りながら、頭を下げた。<br>  <br> 「ごめんな。怒ってたんじゃないんだよ。ただ――<br>  なにを話したらいいのか、言葉に詰まってしまって」<br>  <br> 僕は、あまり口が上手じゃないから。そう告げると、彼女は「よかった」と。<br> 本当に、それだけを呟いて、安心したように微笑みを浮かべた。<br> 彼女の肩から力が抜けていく様子が、はっきりと見て取れた。<br>  <br> 「不器用で、口下手で……。<br>  やっぱり、あなたは私の見立てどおりの、良い人でしたね」<br> 「え? どういうことだい?」<br> 「そのままの意味です。他人を騙したり、貶めたりできない人って意味」<br> 「……ああ」<br>  <br> なるほど。そう考えたら、不器用な口下手も、満更でもない。<br> 利口に生きれば損も少ないだろうけど、損することで掴める得もある。<br> そうだ。この娘との出会いも、損がもたらした得と……言えなくもないな。<br>  <br> 夏の暑さに包まれながら、僕の体温が、ちょっとだけ上がるのを感じた。<br> 良い人、か――そんなこと言われたのは、初めてじゃないかな。<br> お世辞と分かっていても気恥ずかしかったし、すごく嬉しかった。<br> 不意に、恋に落ちてしまうほどに。<br>  <br> ありがとう。その言葉が、するりと口を衝いて出ていた。<br> 彼女は、屈託ない微笑みを僕に向けながら、どういたしまして。<br> そう言って、笑顔のまま、まだ暮れそうもない午後の夏空を見上げた。<br>  <br> 「――あ。セミの抜け殻があるわ」<br> 「どこだい?」<br> 「ほら、あそこよ」<br>  <br> 彼女が指差してくれた先を辿ると、僕らの頭上を覆う枝の先端に――<br> 緑も鮮やかな葉っぱの裏に、枯れ葉みたいなモノが、しがみついていた。<br>  <br> 「本当だ。あんな細い枝の先まで、よく行ったものだなぁ」<br>  <br> 少し高いけれど、ジャンプすれば、なんとか手が届きそうだ。<br> 僕はベンチを立って、彼女のために、葉っぱごとセミの抜け殻を取ってあげた。<br> 女の子だから気持ち悪がるかと思いきや、彼女は嬉々として、それを手にした。<br>  <br> 「それにしても、よくセミの抜け殻だって知ってたね。<br>  ヨーロッパにセミは居ないって、誰かに聞いた憶えがあったんだけど」<br> 「あら、ご存知ないの? 南フランスにも、セミは居ますよ。<br>  『昆虫記』で有名なアンリ・ファーブルも、南仏で研究をしたんです。<br>  それに私、小さい頃は、日本にも住んでいましたから」<br> 「あ、ああ……それでか。どうりで、日本語が上手な訳だ」<br>  <br> 今更だけど、いろいろと納得した。僕らは所詮、行きずりの関係だってことも。<br> そもそも、ほんの数時間前まで、まったくの赤の他人同士だった二人が、<br> こうして親しく会話をしていること自体、考えてみれば奇異な縁だ。<br>  <br> ――でも、だからこそ……なんだろうな。<br> 見ず知らずの関係だからこそ、気さくに話せることって、あると思う。<br> 知人に明かすのは憚られる話題も、他人になら、小説感覚で打ち明けられるものさ。<br> 別れたら、また他人同士。二度と会わないだろうから、後腐れもない――ってね。<br>  <br> 「……抜け殻……からっぽの器」<br>  <br> 掌に載せたセミの抜け殻を眺めながら、彼女は、謎めいた言葉を口にした。<br> そして、茫乎とした蒼い瞳を、遙か虚空へと彷徨わせる。<br> 彼女の視線の先……真夏の蒼穹には、空色の月が、白々と輝いていた。<br>  <br>  <br></p> <hr>  <br>  <br>   幕間2 終<br>  <br>  <br>  【3行予告?!】<br>  <br> 懐かしい痛みだわ。ずっと前に、忘れていた――<br> 一枚の写真を目にした時から、彼女の時計は、ほんの少し巻き戻された。<br> それは、幸せなことなんだろうか。僕には、苦痛でしかないように思えるけど。<br>  <br> 次回、第九話 『キヲク』<br>  <br>  
<p> <br>  <br> 「――好きな人は、いますか?」<br>  <br> なんの前触れもなく話を切ったかと思えば、いきなりすぎる質問。<br> 僕は返答に困って、ちょっとの間、この場に相応しいだろう言葉を探していた。<br> 『はい』か『いいえ』の、どちらかを選ぶだけなのに、だ。<br>  <br> 「うん……まあ、ね」<br> 「もしかして、恋人さんですか?」<br>  <br> これまた、矢継ぎ早な切り返し。答えにくいことばかり、ズケズケと訊いてくる。<br> 再び、僕は二択問題で迷った。答えは『いいえ』しか無いのに、だ。<br> そうさ。僕は未だかつて、恋人と呼べる女性に、巡り会ったためしがない。<br> 片想いなら、それこそ両手の指じゃ足りないくらい、経験してきたんだけどね。<br>  <br> 男としての意地――みたいな、ちっぽけなプライドも、あったのかな。<br> 年齢=彼女居ない歴じゃあ、少し……いや、かなり格好悪いから。<br> それも、こんな可愛らしい女の子を前にしてなら、尚更じゃないか。<br>  <br> 「うん……まあ、ね」<br>  <br> バカだな、僕は。いい歳して、こんな見栄っ張りなウソを吐くなんて。<br> おまけに答え方まで、まるっきり同じときてる。<br>  <br> ――だけど、結果的には、マヌケを演じるのも良かったみたいだ。<br> 何故って? それはね……彼女の、本当に楽しそうな笑顔を、見られたからだよ。<br>  <br>  <br>  <br>   幕間2 『azure moon』<br>  <br>  <br>  <br> 不器用なヒトね。ひと頻り笑ったあと、彼女は指の背で眦の涙を拭いながら言った。<br> やっぱり、僕の浅はかな見栄なんか、お見通しらしい。<br> だからこそ『不器用』という単語を、わざわざ引っぱり出してきたんだろう。<br> 彼女なりの思いやりで、ウソだと断罪しないままで。<br>  <br> ああ、そうだよ。確かに、僕は要領よくないし、思慮の足りないところもあるさ。<br> 自分なりに一生懸命のつもりでも、手抜かりがあったり、裏目に出たり……<br> そんな失敗談は、枚挙に暇がない。自慢できるコトじゃあ、ないけどね。<br>  <br> 如才なく立ち回れる人間だったなら、僕はいま、ここに居ないと思う。<br> 両手に華の生活で、悠々自適な人生を送っていたかも知れない。<br> そして、この初対面の女の子とも、こんな風に話をしてなかったはずだ。<br>  <br>  <br> ――まあ、もしも……の妄想に浸るのは、またの機会にしよう。<br> このまま黙っているのも、負け犬の烙印を押されたみたいで、惨めになる。<br> だから僕は、僕なりに、僕自身を擁護しようと思った。<br>  <br> 「あの――」<br> 頭上から降ってくる葉擦れと、喧しいアブラゼミの声で埋もれそうになる中で、<br> 気後れしたような細い声が、紡ぎ出される。<br> それは、僕が放った声じゃなかった。<br>  <br> 「ごめんなさい。なんだか、不快にさせてしまったみたい」<br> 「どうして、そう思うんだい?」<br> 「だって…………急に、黙ってしまうんですもの」<br>  <br> なるほど、そういうことか。また、変に気を遣わせてしまったな。<br> 僕は、いつもの癖で髪に手を遣りながら、頭を下げた。<br>  <br> 「ごめんな。怒ってたんじゃないんだよ。ただ――<br>  なにを話したらいいのか、言葉に詰まってしまって」<br>  <br> 僕は、あまり口が上手じゃないから。そう告げると、彼女は「よかった」と。<br> 本当に、それだけを呟いて、安心したように微笑みを浮かべた。<br> 彼女の肩から力が抜けていく様子が、はっきりと見て取れた。<br>  <br> 「不器用で、口下手で……。<br>  やっぱり、あなたは私の見立てどおりの、良い人でしたね」<br> 「え? どういうことだい?」<br> 「そのままの意味です。他人を騙したり、貶めたりできない人って意味」<br> 「……ああ」<br>  <br> なるほど。そう考えたら、不器用な口下手も、満更でもない。<br> 利口に生きれば損も少ないだろうけど、損することで掴める得もある。<br> そうだ。この娘との出会いも、損がもたらした得と……言えなくもないな。<br>  <br> 夏の暑さに包まれながら、僕の体温が、ちょっとだけ上がるのを感じた。<br> 良い人、か――そんなこと言われたのは、初めてじゃないかな。<br> お世辞と分かっていても気恥ずかしかったし、すごく嬉しかった。<br> 不意に、恋に落ちてしまうほどに。<br>  <br> ありがとう。その言葉が、するりと口を衝いて出ていた。<br> 彼女は、屈託ない微笑みを僕に向けながら、どういたしまして。<br> そう言って、笑顔のまま、まだ暮れそうもない午後の夏空を見上げた。<br>  <br> 「――あ。セミの抜け殻があるわ」<br> 「どこだい?」<br> 「ほら、あそこよ」<br>  <br> 彼女が指差してくれた先を辿ると、僕らの頭上を覆う枝の先端に――<br> 緑も鮮やかな葉っぱの裏に、枯れ葉みたいなモノが、しがみついていた。<br>  <br> 「本当だ。あんな細い枝の先まで、よく行ったものだなぁ」<br>  <br> 少し高いけれど、ジャンプすれば、なんとか手が届きそうだ。<br> 僕はベンチを立って、彼女のために、葉っぱごとセミの抜け殻を取ってあげた。<br> 女の子だから気持ち悪がるかと思いきや、彼女は嬉々として、それを手にした。<br>  <br> 「それにしても、よくセミの抜け殻だって知ってたね。<br>  ヨーロッパにセミは居ないって、誰かに聞いた憶えがあったんだけど」<br> 「あら、ご存知ないの? 南フランスにも、セミは居ますよ。<br>  『昆虫記』で有名なアンリ・ファーブルも、南フランスで研究をしたんです。<br>  それに私、小さい頃は、日本にも住んでいましたから」<br> 「あ、ああ……それでか。どうりで、日本語が上手な訳だ」<br>  <br> 今更だけど、いろいろと納得した。僕らは所詮、行きずりの関係だってことも。<br> そもそも、ほんの数時間前まで、まったくの赤の他人同士だった二人が、<br> こうして親しく会話をしていること自体、考えてみれば奇異な縁だ。<br>  <br> ――でも、だからこそ……なんだろうな。<br> 見ず知らずの関係だからこそ、気さくに話せることって、あると思う。<br> 知人に明かすのは憚られる話題も、他人になら、小説感覚で打ち明けられるものさ。<br> 別れたら、また他人同士。二度と会わないだろうから、後腐れもない――ってね。<br>  <br> 「……抜け殻……からっぽの器」<br>  <br> 掌に載せたセミの抜け殻を眺めながら、彼女は、謎めいた言葉を口にした。<br> そして、茫乎とした蒼い瞳を、遙か虚空へと彷徨わせる。<br> 彼女の視線の先……真夏の蒼穹には、空色の月が、白々と輝いていた。<br>  <br>  <br></p> <hr>  <br>  <br>   幕間2 終<br>  <br>  <br>  【3行予告?!】<br>  <br> 懐かしい痛みだわ。ずっと前に、忘れていた――<br> 一枚の写真を目にした時から、彼女の時計は、ほんの少し巻き戻された。<br> それは、幸せなことなんだろうか。僕には、苦痛でしかないように思えるけど。<br>  <br> 次回、第九話 『キヲク』<br>  <br>  

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