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     L.― 電信  花は――うつくしいね?  ふふ。突拍子も無くて、ごめんね。今、丁度手元にあるんだ。  僕は時々思うんだよ。この花びらの一枚一枚が、いのちそのものなんじゃないかって。  うん。まるで血のいろのようだ。僕もこんないろを、持っているんだよ。すこし指を切ったなら、それは見える。灯りがすくなくても、ふかくふかく。僕の眼には、それがきっと映るに違いない。  儚い、かな。どうだろう。儚いこと、それそのものが真であったとして。その価値は、如何なるものなのだろうか。そう、その価値さ。  さみしさ、ともすこし似ている。うん。けれどね。僕は僕自身を、不幸せであるとは思わないよ。  よくよく話せた友達は――先にいってしまったけれど。家では、おじいさんとおばあさんも待ってるんだ。それに、姉さんが居る。  帰れるかどうか、は……ああ、御免。それはもう言わない約束だったね。うん、気をつけるよ。  ふふ、そうだ。今正に、こうして話をしている――君が、居るじゃないか。  いきている――いきている、という感じがするよ。変かな、やっぱり。  大分話し込んでしまったね。  何だか眠くなってきたな。  ……  そろそろ、おしまいかなあ。  さいごにちょっと、聞いておきたいことが……うん。こんな風にね。電信が、何処かの誰かに間違って繋がってしまうことは、よくあるのだろうか?  ……そう、かい? じゃあ、結構貴重なことなんだね。  僕なんて、この間も……    もしもし? ……  ……  …… L.7 「こりゃあ、ちょっと強くなりそうですねぇ」 「そうだな。少しばかり急ぎ足で行こうか」  不意に空を覆った灰色の雲から、ぱらりぱらりと水が落ちてきていた。  霧雨とはけして呼べぬ、多少大粒のそれは、間もなく強めの雨に変わるのではないかと予感させるのに十分だった。  傘は持っていない。それに彼女の袂には、布袋に入った菓子がある。これも多分、煎餅か何かと同じように、湿気ってしまってはうまくない塩梅になるものではないだろうか。  僕達の手は、繋がっている。じゃっじゃっじゃっ、と。砂利を踏みつける、重ならない、足の響きが雨音に混ざる。編み上げ靴を履いている彼女と違い、素足に草履を敷いている僕にとって、足の指先に絡みつく、泥と砂が混ざった水の感触は少し不快であった。  相変わらず僕達以外に人影は見られない。  川沿いから離れ、山間の道を小走りに進み続けている。  木々が少し開けた処――もう少し、ここから進んだ場所。其処は、僕が良く知っている、しかし僕が避け続けた場所がある。  そして丁度、其処へさしかかった時。少し考えてから、 「すまない。先に療養所へ向かってはくれないだろうか?」  繋いだ手を離し、声をかけた。 「……どうした、です? この位でへばるなんて情けねぇ、ですよ」  全力では無いとはいえ、多少長めの道を通ってきたのだ。僕も彼女も、肩で息をしているのがわかる。 「ああ、すまない。ちょっと……ここには、知り合いが居るから」  ちらり、と。僕は目的の場所あたりへ目線をやる。 「……そうですか……」  僕の意図を察したか否か。彼女は少しばかり眼を伏せて、言った。 「きっちり、挨拶してくるです。私はじゃあ、先にいくですから」  そして彼女は、また小走りに僕の元から離れていって――少し進んだ処で、ふと足を止めた。 「――待ってるですよ」  こちらを振り返らず。そう言い残して、彼女の後姿は小さくなっていった。 ――  この場所、それそのものから漂う雰囲気と様子が変わらないのは、当たり前だった。ただひとつ違うのは、天気の具合があまり宜しくないということだけ。  風が吹いて、花や木々がさわめく。僕は迷うこともなく、ある墓の前に立つ。 「間もそれほど空けず、また来てしまったよ」  言って、その場にしゃがみこんだ。 「お前の熱、確かに受け取った――僕がそちらにいくのは、もうちょっと先ということになりそうだけれど。  そうだな。また――それも、可笑しな話だ。笑わないで、少し聞いてくれよ。僕とお前は、もう逢えないようでいて、また逢えるかもしれないという話だ」  眼を、閉じる。辺りにひかりが少ないものだから、僕は本当に真っ暗な処に放り込まれてしまったような気分になる。  けれどそれも、何処か悪い感じはしなかった。  ――  なあ、どうだろう。僕がお前の後を追っていたとしたなら――やっぱり、怒っていただろうか? それは、わからないか。今こうやって語りかけていることだって、半ば傲慢ととられても仕方あるまいね。  ただ、ひとつ。僕はもう、大丈夫だ。……何となく、だとも。けれどこうやって、向き合うことが出来る。  そうだな。今の世を越えて――来世、というものがあるかどうかを、僕は知らないよ。けれど、そんな物語が、在るのだそうだ。お前と仲の良かった友達が――そう、言っていたよ。そんな物語なら、僕も読んでみたいと思う。  見つからないかもしれないな。随分と、不確かなことだから。  彼女に、訊いてみてもいいかもしれない――否、やめておこうか。自分で探すか……そうか、僕はあまり書き物は得意ではないが、己で記してみるのも良いだろうか。なあ、どう思う?  だが、例えそうやって書いたものも。こうして語りかける言葉のひとつひとつ、この声だって、もう届かないのだろうな。不確かだ、あまりにも―― ――  立ち上がる。そして少し歩いて、雨の中でも相変わらず紅々と色付いている花を二本ばかり、折った。 「元々、こんなに花に囲まれているというのに――こんなことをしたら」  ――やっぱり、怒られるかもしれないな。  そんなことも考えながら、彼岸の花を一本、墓前へ添えた。 「――すまなかった」  天を仰ぐ。雨粒が真っ直ぐに、僕の顔へ落ちてくる。眼鏡の先が揺らいで、よく見えなくなった。  また、声を出す。彼女に届く筈の無い、不確かな――それでいて、今この場で、確かに響く筈の声だ。 「さよなら」  別れの言葉で、あったとしても。 「――また、いつか」  その先にあるかもしれない再会を約束しても、良いだろう。  そうして、歩き出す。手元には、彼岸の花がもう一本。今頃、先に行った彼女は辿りついて、菓子を妹に食べさせている頃合だろうか。  時の刻みの塩梅が、今ひとつよくわからない。先程から、どれほど経っているだろう。  時計のひとつでも、持ってみようか。僕はここで初めて、そんなことを思ったのだ。 ―――  その建物は、もう一年も前から、見慣れている場所であった。  施設の前に立つが、その姿は予想通りというか、何も変わっていない。この建物の設計やら何やら、院長の趣味が反映されているようだが、街中の建物と比べても何処と無く垢抜けた感がある。こんな建物が、少し山に入った処にあるのだから、ぱっと見た感じ何の目的で建てられたものか、初めて来るひとは困惑してしまうかもしれない。  入り口から、中へ入ろうとする。足元の木板が、ぎっ、と軋む音を立てた。 「身内の方ですか?」  後ろから、やおら声をかけられて少し驚いたが、直ぐにそういったやりとりを通さなければならなかったことを思い出した。何の関係の無いひとを、やたらと立ち入らせる訳にはいかない――此処がどんな場所かを知っているひとならば、そうそう中に入ろうとも思わないだろうけれど。 「ええと、僕は――」  普通に見舞いであるのだから、やましい処など何も無い。その旨を伝えようと振り返る。 「おや、君は」 「――院長先生」 「随分と、久しぶりだ。もう、一年ぶり位になるかな――今日は、誰かの見舞いなのかい」  院長は、すらりとした体躯の、背の高い男だった。声は低く、それでいて良く通り、威圧的であると言えなくもない。加えて、とても無表情だ。  しかしそれはあくまで初対面の印象であって、施設に居る患者によく気をかけてくれる出来た人間であるということを、僕は知っている。  女性のように綺麗な顔立ちをしていて、少し長めの髪は、紐で後ろに束ねている。如何にも優男風な出で立ちは、何も変わっていなかった。 「暫く前に――翠色のリボンをした女子が、来ませんでしたか。僕は彼女と知り合いで――彼女の、妹、を。見舞おうと、思ったのです」 「……」  僕の言葉に、直ぐの反応は示さず。幾許かの間をおいて、彼は話し始めた。 「甲斐甲斐しい娘だね。女学校が終わってから直ぐに飛んでくるし、休みの日などは付きっ切りなのだから」 「……」 「それでも、……もう。もう――」 「先生」  言葉を、遮る。彼が言わんとすることは、わかっている。  誰もが、知っているのだ。僕だって。彼だって。姉だって。そして誰よりも、彼女、彼女自身が――己の寿命を、知っている。 「花を、届けようと思います。もう、逃げませんから――」  後ろ手にしていた花を、彼に示す。 「彼岸の花――君は縁起など、気にしなそうな性質(たち)と見えるね」 「まあ。そんなところですよ」  ふっ、と彼が笑ったのにつられて。僕も少し笑みを零した。 「そうだな、ちょっと此処で待っていて欲しい」  彼はそう言残して、足早に奥へ引っ込んでしまい、僕は独りになる。  ただそれもほんの僅かな時であって、彼は何かを手に持って戻ってきた。 「根元からぽきりと折れているのだから、仕方ない。直ぐに枯らしてしまうのも、可哀想だろう。だからこれを」  すっ、と差し出されたのは、水の入った――透明な、細長い器。薄い蒼が、表面を流れるように色付いている。 「紅い花を、蒼いギヤマンで魅せようじゃないか」 「……ありがとうございます」 「彼女の病室は、ろノ参だ。向こうの階段を上がって、直ぐの所に在る」  一礼をして。僕はその場を後にした。手には、また水を得た紅い花を携えて。 ――― 「……だから……ですね、……」 「ふふ、姉さんは……」  病室の前。閉じた扉の向こうから、声が聴こえる。病を患っている彼女の声は、ついこの間聴いたばかりだというのに、随分と懐かしい響きのように思えた。 「――だからあいつは、中々どうして、見所のある奴なんですよ」 「へぇ、そうなんだ――随分と、仲が良いんだね」 「べべべ別に、そんなこたぁ無えですよ!」 「またまた。良いじゃないか、そういうのも」 「そういうのって、どういうのです!」  ――何を焦っているんだろうな。よくわからない。取りもあえず、愉しそうではある。  これは、中に入っていくのも少々野暮だろうか。しかしながら、花も手渡して置きたいものだった。頼まれていた訳では無かったが――そうしたかった。 「こほっ、――……」 「だ、大丈夫です?」 「ん、ちょっと……ふっ、……!」 「え……いやっ、そんな――誰か、誰かぁっ!」  ――! 様子がおかしい。僕は勢いよく部屋の中へ飛び込む。  其処には。  支えようとした姉の手を払いのけるように、遮りの腕を突き出して。  口から血を吐き出している、彼女の姿が、あった。  頭の中が真っ白になる。  寝床に敷かれていた白布が、紅く染まっている。  やがて彼女は、―― ―――― R.―  もしもし。――もしもし? ――  声が、聴こえない。  切れて、しまったのだろうか。  少し、疲れたかもしれない。  眠いな。部屋に戻るのが、億劫だ――  このまま眠ってしまおう――か。  ……怒られるかな。    …………  静か、だな…… ―――   

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