「第一話 『Face the change』」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

第一話 『Face the change』」(2007/07/29 (日) 00:23:25) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

<p> <br>  <br> ――1932年 南フランス。<br> 夜……雲が月を遮って、いつもより暗い夜。煤煙を撒き散らしたような、漆黒。<br> 陰鬱たる森の静寂を、無粋なエンジン音で破りながら疾駆する黒塗りの車が、一台。<br> 1929年のパリ・モーターショーで華麗にデビューした、プジョー201だ。<br> <br> 山間の閑散とした田舎道に立ちこめた夜霧は、いつになく濃い。<br> それが為だろう。通い慣れた道であるにも拘わらず、薄気味悪くて仕方がなかった。<br> 運転手も不穏な気配を感じているのか、普段より更に、飛ばしている。<br> いくら煌々とヘッドライトを灯したところで、夜霧を消せる訳もないのに……<br> こんなに早く走ったりして、危なくはないのかしら?<br> 轍とか、張りだした根に車輪を乗り上げて、横転したりはしない?<br> 僅かでも不安を抱いてしまうと、それが呼び水となって、更なる不安に苛まれる。<br> <br> 「ねえ……霧が深いから、怖いわ。どうせ家に帰るだけだもの。<br>  ゆっくり、安全運転で行ってちょうだい」<br> <br> 革張りの後部席に、ちょこんと納まっていた娘――コリンヌ・フォッセーは、<br> 彼女の家のお抱え運転手に、緊張しきった声で頼んだ。<br> <br> 車が速度を落とすと、コリンヌは安堵の息を吐いて、暗い車窓に眼を戻した。<br> 相変わらず、夜霧は暗い木々の間から、ひたひたと押し出されてくる。<br> まるで、イタズラを企てた妖精が、霧のヴェールを纏って忍び寄ってくるみたい。<br> <br> ――妖精だなんて、おとぎ話の世界じゃあるまいし……。<br> コリンヌが白い霧の中に幽かな変化を見たのは、小さく自嘲した直後のことだった。<br>  <br>  <br>  <br>   第一話 『Face the change』<br>  <br>  <br>  <br> 今のは、なに? 少し眠るつもりで閉じかけた瞼を、コリンヌは見開いた。<br> ゆるゆると後方に流れ去った景色に、ほんの一瞬――<br> 彼女は確かに、視界の隅で捉えていたのである。<br> <br> ねっとりとした夜霧から、吐き出されるように現れた人影を。<br> <br> 「停めてちょうだい!」<br> <br> 彼女の鋭い声に驚いた運転手が、加減を忘れてブレーキを踏み込んだ。<br> 車が急停止して、コリンヌの華奢な身体は慣性に抗いきれず、<br> ぐいと前のめりになって、運転席のシートバックに押しつけられた。<br> <br> 胸が圧迫された息苦しさを感じたのも、一瞬。<br> コリンヌは「ここで待ってて」と、ドアを開け、夜闇へと飛び出していた。<br> 車中から、運転手の制止する声が追いかけてきたが、耳を貸そうともしない。<br> 濃い霧で5メートル先も見えない状況ながら、彼女はさっきの人影を探した。<br> <br> ……しかし、見当たらない。<br> 当然だ。ランプも持たずに夜霧に包まれれば、方角すらも見失いかねない。<br> 事実、振り返ったコリンヌは、もう車を見出すことが出来なくなっていた。<br> <br> <br> (どうしよう……)<br> <br> この段になって漸く、彼女は前後の見境なく行動した迂闊さを悔やんだ。<br> 車で待つ運転手と呼び合えば、その声を頼りに、引き返せるだろう。<br> だが、これ以上さっきの人影を探すことは、困難そうだった。<br> 目の錯覚、或いは本物の幽霊だったなら、まあいいと笑って済ませられる。<br> けれど、もし遭難者だったとしたら――助けなければ、死んでしまうかも知れない。<br> <br> 「……もう少しだけ、探してみましょう」<br> <br> コリンヌは独りごちて、慎重に足を踏み出した。<br> 車のヘッドライトを目印に森を這い出てきたのなら、まだ近くに居るはずだ。<br> <br> 五歩くらい進んだところで「誰か居ませんか」と、霧の中に囁いてみる。<br> 彼女の声に応えるのは、ホゥホゥというフクロウの、遠い声だけ。<br> やっぱり、こんな夜中の山道に、人なんて歩いているわけがない。<br> よくよく考えたら、付近には民家どころか、山小屋すら無いはずの場所だった。<br> <br> <br> 「嫌ね。見間違いだったんだわ、きっと」<br> <br> 言って、車に戻ろうと踵を返した彼女は、その直後――<br> ヒィッと喉を鳴らして、腰を抜かさんばかりに驚いていた。<br> いつの間に近づいていたのか、コリンヌの背後には、若い娘が立っていたのだ。<br> <br> コリンヌと同い歳くらいか。娘は茫乎とした表情のまま、ただ棒立ちしていた。<br> 白痴のように唇をポカンと開けて、意志のない瞳を宙に彷徨わせている。<br> 娘の髪は、夜目にも判るほど真っ白で、右眼を白薔薇の眼帯で隠していた。<br> <br> なにより驚くべきは、その娘の服装だった。<br> この冷え冷えとした山中にあって、身に纏っているのは泥汚れたシュミーズのみ。<br> 露わになった肌の至るところに擦り傷が刻まれ、泥が付着していた。<br> <br> 「貴女っ! どうして、こんな――」<br> <br> どう考えても、ただの遭難者とは思えない。<br> もしや不逞の輩にかどわかされ、山中で陵辱された上、置き去りにされたのでは。<br> <br> <br> 躊躇いもなく、コリンヌは娘の腰を抱き寄せた。饐えたような臭いが、鼻を突く。<br> よほど疲れていたのか、娘はコリンヌの腕に、ぐったりと体重を預けるなり、<br> そのまま気を失ってしまった。娘の肌は汗でベタつき、冷え切っている。<br> <br> コリンヌは運転手に声を掛けて、彼の声を辿り、車まで戻った。<br> 彼女が連れてきた小汚い娘を見るや、運転手は驚き戸惑ったが、キニシナイ。<br> 後部シートに娘を乗せると、コリンヌは毅然と指示した。「車を出して」<br> <br> <br> ――なんとも不思議な客を乗せて、車は再び走りだす。<br> 得体の知れない娘は、コリンヌに抱きかかえられて、昏々と眠り続けている。<br> <br> (どういう子なのかしら、この子?)<br> <br> この辺りでは、見かけない娘だった。<br> 身元を辿る手懸かりは? 差し当たって、コリンヌは、娘の両手を調べてみた。<br> だが、指輪などのアクセサリはしておらず、指先は泥だらけだ。<br> 素手で、穴でも掘っていたのだろうか? さっぱり解らない。<br> <br> 結局、個人を特定できそうな手懸かりは、なにも無し。<br> コリンヌは溜息を吐いて、ばさばさに乱れた娘の髪を、そっと撫でた。<br> ひとまず家に連れて帰って、目を覚ましてから、詳しい話を聞くしかないだろう。<br> <br> 娘の喉が、ひく……と動いたのをキッカケに、コリンヌは娘の首筋に目を遣った。<br> すると、その時になって始めて、娘がペンダントをしていることに気づいた。<br> 車内は暗かったし、シュミーズの下に隠れてもいたので、見落としていたらしい。<br> <br> コリンヌは、娘を起こさないように、そっとペンダントを手に取ってみた。<br> それは、雪の結晶を象った、石英のペンダントだった。<br>  <br>  <br></p> <hr>  <br>  <br>   第一話 終<br>  <br>  <br>  【3行予告?!】<br> <br> 迷子の迷子の仔猫ちゃん。貴女のおうちは、どこですか――<br> 身元の分からない娘を屋敷に連れ帰って、私は一生懸命、彼女の看護をしました。<br> でも、彼女は……大切なモノを失っていたのです。<br> <br> 次回、第二話 『Graceful World』<br>  
<p> <br>  <br> ――1932年 南フランス。<br> 夜……雲が月を遮って、いつもより暗い夜。煤煙を撒き散らしたような、漆黒。<br> 陰鬱たる森の静寂を、無粋なエンジン音で破りながら疾駆する黒塗りの車が、一台。<br> 1929年のパリ・モーターショーで華麗にデビューした、プジョー201だ。<br> <br> 山間の閑散とした田舎道に立ちこめた夜霧は、いつになく濃い。<br> それが為だろう。通い慣れた道であるにも拘わらず、薄気味悪くて仕方がなかった。<br> 運転手も不穏な気配を感じているのか、普段より更に、飛ばしている。<br> いくら煌々とヘッドライトを灯したところで、夜霧を消せる訳もないのに……<br> こんなに早く走ったりして、危なくはないのかしら?<br> 轍とか、張りだした根に車輪を乗り上げて、横転したりはしない?<br> 僅かでも不安を抱いてしまうと、それが呼び水となって、更なる不安に苛まれる。<br> <br> 「ねえ……霧が深いから、怖いわ。どうせ家に帰るだけだもの。<br>  ゆっくり、安全運転で行ってちょうだい」<br> <br> 革張りの後部席に、ちょこんと納まっていた娘――コリンヌ・フォッセーは、<br> 彼女の家のお抱え運転手に、緊張しきった声で頼んだ。<br> <br> 車が速度を落とすと、コリンヌは安堵の息を吐いて、暗い車窓に眼を戻した。<br> 相変わらず、夜霧は暗い木々の間から、ひたひたと押し出されてくる。<br> まるで、イタズラを企てた妖精が、霧のヴェールを纏って忍び寄ってくるみたい。<br> <br> ――妖精だなんて、おとぎ話の世界じゃあるまいし……。<br> コリンヌが白い霧の中に幽かな変化を見たのは、小さく自嘲した直後のことだった。<br>  <br>  <br>  <br>   第一話 『Face the change』<br>  <br>  <br>  <br> 今のは、なに? 少し眠るつもりで閉じかけた瞼を、コリンヌは見開いた。<br> ゆるゆると後方に流れ去った景色に、ほんの一瞬――<br> 彼女は確かに、視界の隅で捉えていたのである。<br> <br> ねっとりとした夜霧から、吐き出されるように現れた人影を。<br> <br> 「停めてちょうだい!」<br> <br> 彼女の鋭い声に驚いた運転手が、加減を忘れてブレーキを踏み込んだ。<br> 車が急停止して、コリンヌの華奢な身体は慣性に抗いきれず、<br> ぐいと前のめりになって、運転席のシートバックに押しつけられた。<br> <br> 胸が圧迫された息苦しさを感じたのも、一瞬。<br> コリンヌは「ここで待ってて」と、ドアを開け、夜闇へと飛び出していた。<br> 車中から、運転手の制止する声が追いかけてきたが、耳を貸そうともしない。<br> 濃い霧で5メートル先も見えない状況ながら、彼女はさっきの人影を探した。<br> <br> ……しかし、見当たらない。<br> 当然だ。ランプも持たずに夜霧に包まれれば、方角すらも見失いかねない。<br> 事実、振り返ったコリンヌは、もう車を見出すことが出来なくなっていた。<br> <br> <br> (どうしよう……)<br> <br> この段になって漸く、彼女は前後の見境なく行動した迂闊さを悔やんだ。<br> 車で待つ運転手と呼び合えば、その声を頼りに、引き返せるだろう。<br> だが、これ以上さっきの人影を探すことは、困難そうだった。<br> 目の錯覚、或いは本物の幽霊だったなら、まあいいと笑って済ませられる。<br> けれど、もし遭難者だったとしたら――助けなければ、死んでしまうかも知れない。<br> <br> 「……もう少しだけ、探してみましょう」<br> <br> コリンヌは独りごちて、慎重に足を踏み出した。<br> 車のヘッドライトを目印に森を這い出てきたのなら、まだ近くに居るはずだ。<br> <br> 五歩くらい進んだところで「誰か居ませんか」と、霧の中に囁いてみる。<br> 彼女の声に応えるのは、ホゥホゥというフクロウの、遠い声だけ。<br> やっぱり、こんな夜中の山道に、人なんて歩いているわけがない。<br> よくよく考えたら、付近には民家どころか、山小屋すら無いはずの場所だった。<br> <br> <br> 「嫌ね。見間違いだったんだわ、きっと」<br> <br> 言って、車に戻ろうと踵を返した彼女は、その直後――<br> ヒィッと喉を鳴らして、腰を抜かさんばかりに驚いていた。<br> いつの間に近づいていたのか、コリンヌの背後には、若い娘が立っていたのだ。<br> <br> コリンヌと同い歳くらいか。娘は茫乎とした表情のまま、ただ棒立ちしていた。<br> 白痴のように唇をポカンと開けて、意志のない瞳を宙に彷徨わせている。<br> 娘の髪は、夜目にも判るほど真っ白で、右眼を白薔薇の眼帯で隠していた。<br> <br> なにより驚くべきは、その娘の服装だった。<br> この冷え冷えとした山中にあって、身に纏っているのは泥汚れたシュミーズのみ。<br> 露わになった肌の至るところに擦り傷が刻まれ、泥が付着していた。<br> <br> 「貴女っ! どうして、こんな――」<br> <br> どう考えても、ただの遭難者とは思えない。<br> もしや不逞の輩にかどわかされ、山中で陵辱された上、置き去りにされたのでは。<br> <br> <br> 躊躇いもなく、コリンヌは娘の腰を抱き寄せた。饐えたような臭いが、鼻を突く。<br> よほど疲れていたのか、娘はコリンヌの腕に、ぐったりと体重を預けるなり、<br> そのまま気を失ってしまった。娘の肌は汗でベタつき、冷え切っている。<br> <br> コリンヌは運転手に声を掛けて、彼の声を辿り、車まで戻った。<br> 彼女が連れてきた小汚い娘を見るや、運転手は驚き戸惑ったが、キニシナイ。<br> 後部シートに娘を乗せると、コリンヌは毅然と指示した。「車を出して」<br> <br> <br> ――なんとも不思議な客を乗せて、車は再び走りだす。<br> 得体の知れない娘は、コリンヌに抱きかかえられて、昏々と眠り続けている。<br> <br> (どういう子なのかしら、この子?)<br> <br> この辺りでは、見かけない娘だった。<br> 身元を辿る手懸かりは? 差し当たって、コリンヌは、娘の両手を調べてみた。<br> だが、指輪などのアクセサリはしておらず、指先は泥だらけだ。<br> 素手で、穴でも掘っていたのだろうか? さっぱり解らない。<br> <br> 結局、個人を特定できそうな手懸かりは、なにも無し。<br> コリンヌは溜息を吐いて、ばさばさに乱れた娘の髪を、そっと撫でた。<br> ひとまず家に連れて帰って、目を覚ましてから、詳しい話を聞くしかないだろう。<br> <br> 娘の喉が、ひく……と動いたのをキッカケに、コリンヌは娘の首筋に目を遣った。<br> すると、その時になって始めて、娘がペンダントをしていることに気づいた。<br> 車内は暗かったし、シュミーズの下に隠れてもいたので、見落としていたらしい。<br> <br> コリンヌは、娘を起こさないように、そっとペンダントを手に取ってみた。<br> それは、ガラスのように青く透きとおる、雪の結晶を象ったペンダントだった。 <br>  <br></p> <hr>  <br>  <br>   第一話 終<br>  <br>  <br>  【3行予告?!】<br> <br> 迷子の迷子の仔猫ちゃん。貴女のおうちは、どこですか――<br> 身元の分からない娘を屋敷に連れ帰って、私は一生懸命、彼女の看護をしました。<br> でも、彼女は……大切なモノを失っていたのです。<br> <br> 次回、第二話 『Graceful World』<br>  

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: