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     L.― 電信  ――それは、難しいね。とても難しい話さ。  そうだなあ、例えば――君は、自分がしんでしまう時。……そう。最期に、どんな声を発するかなんて、考えたことがあるかい? 僕は近頃、よく思うよ。それで無くても、普段考えることなんて、それ程多くないから――ああ、ごめん。そんなつもりじゃ無かった。ありがとう、君は矢張り気遣い屋だね。  嘆きだとか、そういう少しかなしい考えは――自分でも驚く位起きないんだよ、僕の場合は。いつだって世の中は、在るがままに、在る。そうは思わないかな? 僕が、此処にこうして居る。君が、向こう側に居る。そして、お互い声を交わす。不思議だけど、これだって、どうしようもなく"在るがまま"さ。  ああ、それでね――うん。しんでしまう時。結局自分がどんな声を上げるか……答えは、出ないんだ。その時が来るまで、わからないことなんだろうね、きっと。  ただね、ひとが産まれる時は、泣いているって言うだろう? 僕もそうだったに違いない。勿論、君も。だから、――僕はしぬ時、微笑んで居られれば、って思う。ひとつも後悔は無く、っていうのは……ちょっとばかり、難しいかもしれない。と言うか、実際の処、それも矢張りよくわからないかな。  僕は、この眼で見てないものが多すぎる。昔見ていた筈のものも、段々忘れていっているような、そんな気もする。今そんな物をね、直に見てしまったら、それをもう見られなくなってしまうことを、後悔するのかなあ。  姉さんはね。僕に色々なことを、教えてくれるから。それで十分と言えば、そうかも。  本当なら――姉さんは、ひとごみなんかあまりすきな方では無いし、むしろ人見知りで。うん。知らないひとの前だと、僕の後ろに隠れてばかりだったんだよ。  けどね、なんて言うのかな。ここぞ、っていう時――僕の手を引くのは、姉さんの役目だった。今はもう、それも出来ないから。きっと、僕に気を遣って――多少無理をしてでも、話のタネみたいなものを、作ろうとしてくれてるのかな、って。そんなことも、思うんだ。  君にも、姉が居るんだったよね? ――色々とお節介? はは。……うん、そうか。そういうところ、似てるね。……うん、うん。素直じゃ無いのも、可愛いものだよ。姉さんに言うと怒りそうだから、言わないけどね。  え、……つんでれ? ――何だい、それ。外の言葉かい。面白い言葉を知っているね、君は。  ――忘れて欲しい? はは、わかった。聴かなかったことにしておくよ。  ……今日は、少し蒸すかな。ちょっと汗かいちゃった。此処は結構風通しが良いから、それほど居心地が悪い訳じゃあ無いけど。  大丈夫。今更風邪をひくって塩梅でも無いよ。君の方こそ、大丈夫かい。  調子が良いといっても、無理はきかない身体なのだろう? ―― ―――――――――― L.5 「……」  僕は、何を返せば良いのか。正直、頭に浮かばなかったのだった。虚をつかれたと言われれば、多分その表現が一番正しい。  今、僕の眼の前に居る少女。栗色の髪をした、少女。  彼女は、僕の知っている――『彼女』のことを、知っている? 「彼女は」  距離をとったまま、眼の前の少女は、口を開く。 「彼女は、聡明なひとだったよ。聡明で、うつくしかった。最期の時――彼女の家族は、間に合わなかったよ。ただ、其処には自分が居て――ああ、そんな事を言っても仕方がないのか。いくら喚いたところで、彼女はかえって来ないのだから。  ただこうやって、本当にたまにだけれど……逢いに来るんだ」  そう言って、彼女は俯いた。今眼の前に居る少女は――彼女の最期を、看取ったというのか。違う。僕とは、全く違う。  僕は本当に、彼女が眠りについてしまう際の際まで、彼女という存在から眼を背けていた。友達、等と。自信を持って言える筈も無い。其処が、僕と彼女で決定的に異なっている。  加えて、僕は彼女の死に、涙を流しもしていない。 『矛盾を』  五月蝿い。 『矛盾、を。有体に誤魔化す、己の姿を、鏡にうつしてみるといい。気付いて、いるのだろう? 単純で、誰の眼から見ても、明らかなことに』  五月蝿い、黙れ! 「――く」  立ち眩む。酷く、酷く気持ち悪い。  風の音が聴こえる。穏やかな筈のそれが、少し離れた場所に居る彼女の髪を巻き上げて、通り過ぎていった。 「自分もね、もう少し。もう少しで、彼女に逢えるかもしれないのだけど」  そう言って眼を細める彼女の視線は、何処か遠いところを見つめているような気がした。もう少し――とは。彼女もまた、その命の灯火がそれほど強い光を放っていないということ。  彼女の言を耳に通してから、何を話せば良いか直ぐに浮かんだ訳では無かったし、元々ぽんぽんと会話を売り買いしている訳でも無かった。  ただ、僕の中で。この時、この言葉が口をついて出たのだ。 「虚ろだ」 「えっ?」 「虚ろだ、と言ったんだ。僕も君も、存外に虚ろじゃあないか。ゆらゆらゆれて、かと言って芯にひとつ火を点すでもなく、僕達は此処に居るだけ。在るがままに、ここに居るだけだ」  言葉を、受けて。彼女はふと、眼を細める。 「そうかもしれない。ゆらりゆらりとゆれて、いつ消えてしまうかもわからない様な篝火だ。自分も――君も、か」 「……は」  言いながら、自嘲する。致し方ない。  僕は生きながらも、死人と大した違いがないのだもの。 「君は」  暫し無言の後、風下の彼女は口を開く。 「君は。君の言葉を、彼女には伝えきれたかい」 「何?」  ざぁ、と。その時聴こえたのは、風の音等では無い。それは己の身体の内から、血の気が引いていく音だ。 「言葉、さ。彼女の臨終、まさにその時。自分は彼女と、話をしている。彼女は、泣いていたよ。自分の想い人の言葉に、答えられないと」  ――やめろ。 「もう、しんでしまう時。その時発した言葉の中に――名前が、混ざっていたのだ」  ――やめてくれ! 「家族の名前では、無かった。勿論――自分のものでも無く。  ねえ、君。名前とは、便宜上の些細なものであると、自分は考えるんだ。  だけど――とても、大切なもの。だから、とても大事にしなくてはいけないのだね」  彼女の声が、透き通る声が、響く。 「花を。  うつくしい彼岸の花を、持ってきてくれると、言ってくれた想い人を。  私は待つことが出来ないと、彼女は泣いていたんだ」  ――嗚呼。  僕は、僕は――きっと彼女を、悲しませることしか、出来なかった。 『また、明日』  僕の記憶で、消したかったこと。  彼女に言った、最期の言葉。  その前に伝えてしまった、僕の白状。    "考え虫"はそれを見逃さず、僕を責め立てる。  ――馬鹿を、言うな。  "考え虫"など、都合の良いことを言うな。  全て僕だ。  己から聴こえる声は、全て僕の言葉だ!  誤魔化さなければ。きっと自分は堪えられなかったのだろう。 『弱い』  その通りだ。 『弱いのだ、"僕"は。君は病を患い、僕はこうやって話をする位しか出来ない。  きっと、良くなってくれ。  だから僕は、涙など流さない。  君は、良くなるのだから。そうに違いない、違いない!  君が快復した暁には、伝えたかったことを、伝えよう――』 『だから、』 『――また、明日』  有体な、言葉を。僕は彼女に伝えた。  もう叶わぬ筈の願いを、残してしまった。  彼女は――どれほど辛かったことだろう。  自分が快復にあたわぬことなど、彼女自身が、一番良く理解していた筈なのに!  ――さよなら、と。ただその一言を、僕は伝えるべきだったのか―― 「僕は、彼女を――」 「――愛して、いたのだね」  その言葉を、まざまざと聴く。  何処か遠い場所から響く声であるかのように、僕は思った。  ただ、どうしようも無い。  もうその願いは、叶わぬのだから。 「僕は花を――持って行くことが、出来なかったのだ。  恐ろしかった、恐ろしかった! もう彼女を眼の前にして、……ぐっ、平静を保てる筈など……うぅっ……無かった! だから僕は――逃げたのだ」  情けない。僕は最早、全てが情けない。  そうでもしなければ。僕は――  あの日流れなかった涙が、今止まらない。  僕はもう、彼女に赦されることなど、無いのだから―― 「彼女は」  膝を地についた僕の上から、彼女の声が聴こえる。 「彼女はね、後悔していた。自分では、想い人の願いに、応えることが出来ないからと。  だから――伝言を、頼まれたのだよ」 「……伝言?」 「そう、伝言だよ。彼女の、最期の言葉さ。――君。自分ももう、きっと永くない。  だからこの言葉を、伝え残す為に――聞いていって、貰えないだろうか」  涙で視界がぼやけていたものだから、少し遠い位置に居た彼女の表情を、読み取ることが難しい。  ただ。すぅ、と息を吸い込んで、言葉を発したとき。彼女はその両眼を、瞑っていた。 「『私のことを忘れ――どうか、しあわせになって欲しい』」  ――それが、ひとつの望みである、と。確かにそう言っていたと、彼女は紡いだ。  嗚呼。どれほど御人好しなのか、君は。  僕は立ち上がり、膝についた砂を払い、彼女の墓の方を向く。 「約束を、――僕は、守れなかった。涙が、止まらないのだ。なあ、可笑しいだろう、」  君は僕を、笑うだろうか。  ふと見上げた空が、呆れる程に高く感じる。何て、遠い空。 「君。――手を」 「……手?」  ふと彼女は、そんなことを言う。 「もうひとつ、あるんだ。自分は、彼女の最期の熱を受け取った。――自分も近々――失ってしまうだろう、熱だよ。彼女の小さい手、その――てのひら、其処から伝わったものを。君に、覚えておいて欲しい。良いだろうか?」 「――構わない」  ざ、と。少し離れた場所から聴こえる、踏みしめの音。  彼女は歩を進め、僕の方へと近づいてくる。  すっ、と。差し出された、――眠ってしまった君とさほど変わりの無いような、小さなてのひら。  ――そうか。眼の前に居る彼女と、君は、よく似ている。  その手を、握る。  少し、つめたい。  だが、いきている。眼の前の彼女は、いきている。僅かな熱を、身体の内に留めて、いきている。 「ありがとう」  そう言って、眼の前の彼女微笑む。ただ、その眼には、涙が溜まっていて。声をかけようと思った刹那、彼女は後ろを振り返り、僕の元から離れていった。  もうこちらを見ることは無く、言葉を発する。 「これで、伝えきった。思わぬ処で、約束を果たすことが出来たよ。――ありがとう。  ただ、君の、君自身の約束は、まだ残っている。それは果たさなければならない。  君、――いきて、おくれよ」 『――これでもう、良いかな。うん、もう良いだろう――』  終わりの方に呟いた言葉は、きっと僕に向けられたものでは無かったのだろうと思う。 「――さよなら」  伝えられる。あの日、僕が言わなければならなかった言葉を、今、彼女が紡ぐ。  僕は彼女と、もう逢うことは無い。 「ひとつ、」  僕が言うと。彼女は、ひた、と歩みを止める。無論、こちらを向かないままに。 「ひとつ、訊いても良いだろうか」 「――何だい?」 「彼女の――最期。最期の時の様を、教えてもらえないだろうか。  我侭なことはわかっている……辛いことを、思い起こさせてしまうのだから。  僕は、とんでもない阿呆だ。  だが……それをせめて、胸に刻んで。そうやって、いきたいのだ。頼む」  どれほど辛い有様だったろう。だけどもう。僕は、其処から眼を逸らさない。 「――彼女は、」  もう一度、振り返る。 「彼女は、……微笑んでいた。あれほど出ていた筈の咳が、ぴたりとやんだのだ。君との約束が守れないことを、悔やんではいたけれど。その時に流した涙も、止まったのさ。  自分が――君に。きっと伝えてくれるだろうと。想いを伝えてくれるだろうと、――そう言い残して、彼女は穏やかに眠った」  そう、か。彼女は――微笑んで、いたのか。  またしても溢れそうになる涙を堪えていると、彼女が続けて口を開く。 「君。君は、来世というものを、信じるだろうか」 「来世?」  しんでしまった後。ひとはいつか、別なかたちで生まれ変わるという話。  そのことを、彼女は言っているのだろうか。 「そう、来世だ。君達はいつか、そうやって結ばれれば良い。――素敵な考えだろう? 姉さんが僕に、文字を教えてくれたからね。何、僕はほとんど、することが無いのだよ。だから、たまに文学を嗜んだりもするさ。その中のお話にあったものだから――  たましいは、巡るものらしい。何やら難しい言葉だったなあ。自分は君と、もう話すことも無いだろう。だけど……正直な処、君とはもっと、話をしたかった。初めて逢った気が、しないのだよ」  その感覚は、僕も同じだった。  話し方。その声。僕は何処かで、――  ふと、思いついて。彼女に訊いてみる。 「――電信は、よくするだろうか」 「――電信? ……ああ、」  そうか、と言って。  恐らく彼女は、気付いたのだろう。僕と同じ答えに。 「そうだね。たまに不思議なことも、あるのだろう。何処か遠いひとと、思わぬ話が出来ることも、あるのかもしれない。  そうだ、それなら――君が彼女に言った言葉は、間違いでは無かった。君達はまた、巡りあう約束をしたのだろう。だから、『また』。それで良かったのではないだろうか」  そう言って、静かに笑った。 「そう、だな。――ありがとう」  僕は眼を瞑り、呟く。  そして、また紡ぐ。  少しの間。や、どれほどの時が経つのかはわからなかったけれど……  僕は彼女の『さよなら』言に対し、正しい返事を、しない。 「また、逢おう」  ちょっと眼を丸くして。僕の言を受けた彼女は、笑った。 「うん。――また、いつか」  踵を返し、今度こそ彼女はこちらを振り向かない。  小さくなっていく後ろ姿が、見えなくなるまで。  僕はいつまでも、見続けている。  潮風に吹かれる彼岸の花が。彼女の姿が見えなくなってしまってからも、我知らずと揺れていた。 ―――― R.― 白い部屋の会話  うん。君もあまり無理をしてはいけないよ。来てくれるのは嬉しいけど、うつしてしまったら、怒られちゃうから。  咳が出るって? ――やだなあ、やめてよ。  ああ、でも――それは前から、言っていたよね。僕が此処に来る前から――流行ってるみたいだから、気をつけた方がいい。それにしても、大丈夫なのかい?  ねえ、巴。  えっと、ね。――や、大したことじゃあ無いんだけど。  ちょっと君が、羨ましいんだ。  え? 何でって……君はいつも、微笑んでいるから。やっぱり、彼が――  うん。それは言わなくてもいいか。何さ、そんなに照れなくてもいいじゃない。  とにかく、僕には中々出来ないことだもの。  大切にするのが、いいんだろうね。  ……   

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