「最終話  『Good-bye My Loneliness』」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

最終話  『Good-bye My Loneliness』」(2007/04/15 (日) 01:12:58) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

1日が10日になり、1ヶ月が経ち、いつの間にか4年という歳月が過ぎて―― 翠星石の居ない日々が、当たり前の日常となりつつあった。 祖父母や、巴や水銀燈や、かつての級友たち…… 双子の妹として、誰よりも長い時間を一緒に過ごしてきた蒼星石ですらも、 彼女の存在を、だんだんと遠く感じ始めていた。 ――薄情だろうか。 そう。とても、酷薄なことかも知れない。 ただ会えないというだけで、どんどん記憶の片隅に追いやってしまうのだから。 でも……それは、ある意味、仕方のないこと。 生きている者たちをマラソン選手に喩えるならば、 翠星石はもう、道端で旗を振って声援を送る観客の一人に過ぎない。 それぞれのゴールを目指して走り続けなければならない選手たちは、 いつまでも、たった一人の観客を憶えてなどいられないのだ。 それほどまでに、現代社会は目まぐるしく、忙しない。 高校卒業。大学入試、入学。成人式。その他、諸々……。 それは、人生というフルマラソンのコース上に設けられた、給水ポイントのようなもの。 誰もが皆、走り続ける限り、そこに至る。流した汗の分だけ、潤いを求める。 ひとつひとつ、新たに吸収した思い出が、翠星石の影を希釈してゆくのだ。 自分の半身を失ったに等しい蒼星石にとって、それは傷付いたココロの慰めになる一方で、 大好きだった姉の存在が忘れられていく現実に、胸を痛める矛盾をも生み出していた。 「どうしたの、蒼星石。ぼぅっとして」 間近で話しかけられて、蒼星石は白いままのルーズリーフから、ハッと顔を上げた。 そこには同じ大学に通う、高校からの親友が、微笑みながら小首を傾げていた。 「もう、講義はとっくに終わってるわよ」   最終話 『Good-bye My Loneliness』 90分の講義中、殆どノートも取らず、物思いに耽っていたらしい。 しばしば、蒼星石は意図せず、こんな風に真っ白な時間を持つことがあった。 アタマの中と言わず、身体中が、まるで溶けかけた温泉タマゴみたいに、 とろりとした甘ったるい余韻を残している。 惚けていた自分が恥ずかしくなって、蒼星石は、ぽりぽりとアタマを掻いた。 彼女の手の動きに合わせ、さらさらで艶やかな栗毛が、肩の上で波打つ。 高校時代から、セミロングにしたままの髪。 翠星石のことを忘れたくなくて、みんなにも憶えていて欲しくて―― 気付けば『あの頃のまま』を引きずっている自分が、ここに居る。 蒼星石は気分を切り替えるように、陽気な笑みを作った。 「まいったなぁ。なんだか、気抜けしてたよ」 「らしいわね」 そう呟いた彼女――巴の瞳が、真っ新なルーズリーフに注がれるのを察して、 蒼星石は頬を赤らめ、そそくさと机の上に広げていた物を片付けた。 単位を稼ぐためだけに履修した科目だと、どうしても集中力が続かない。 しかも今の五限目は、今日最後にして、今週最後の講義でもあったから、尚のこと。 腕時計の表示は、午後6時を回っている。 1月ともなると、この時間、さすがに窓の外は真っ暗だ。 学棟脇の街路樹の枝に、一枚だけしがみついている葉が、木枯らしに揺れていた。 「だいぶ、年末年始の疲れが溜まってるんじゃない、蒼星石?」 「そうかも。冬休み中は、お正月以外、バイト三昧だったから」 祖父母に負担をかけたくなくて、蒼星石は勤労学生な生活を送っている。 本当は、大学への進学も考えていなかったのだが、それは祖父に反対された。 女の子でも、社会に出るとき、学士くらいの学歴は身につけておいた方が良い……と。 たとえ、それが単なる肩書きに過ぎなくても。 欠伸を噛み殺す蒼星石の肩を、巴はモミモミとマッサージした。 「あんまり無理しないで。期末試験の前に、身体こわしたら元も子もないでしょ」 「うん……そうだよね。ありがと、巴」 気持ちよさげに目を細めて呟く蒼星石の耳を、巴の穏やかな微笑みが撫でる。 蒼星石も、くふんと鼻を鳴らした。 4年という歳月は、二人の距離も変えていた。 高校時代には、互いに敬称をつけて、親しい仲にも余所余所しさを残していたが、 それが今や、名前で気安く呼び合う間柄だ。時間が合えば、よく一緒に遊んでいる。 「ねえ、蒼星石。今日は、これから予定とか……ある?」 「バイトもないし、もう帰るつもりだけど。それが、どうかしたの?」 「たまには、お食事でも、どうかなって思って」 「ダメ?」と問いかける巴の瞳には、なにか別の思惑が見え隠れしていた。 4年も友達をやっていれば、そのくらいは簡単に察せられる。 けれど、蒼星石は敢えて気付かぬフリで頷き、携帯電話を手にした。 「もちろん、いいよ。ちょっと待ってね、ウチに電話するから。  ――あ、もしもし。お祖母さん? あのさ、ボク今日、夕御飯いらないよ。  え? あはは……大丈夫だよ、巴も一緒だし。うん……早く帰るから。  それじゃあね」 手短に用件を伝え、携帯電話をバッグに滑り込ませる蒼星石。 「お待たせ。どこのお店に行くの? 巴に任せるよ」 「そう? じゃあ――」 駅から少し離れ、雑踏が疎らになる辺りまで来て、案内する巴の足が止まる。 そこは、うっかり見落としてしまいかねない、民家を改装した小料理屋だった。 らしいと言えば、まあ、巴らしい。そんな渋さと趣を感じさせる店だ。 些か、うら若い女の子には似つかわしくない野暮ったさがあるけれど、 実のところ蒼星石も、飲み放題を売りにする駅前の騒々しい居酒屋よりは、 こういう落ち着いた雰囲気の食事処が好みだった。 「へぇ……よく、こんなイイ感じの店を知ってたね」 「お父さんの、お気に入りの店でね。わたしも、よくお供してるの。  珍しい地酒とか、なかなか幅広く取りそろえてるのよ」 「そうなんだ? ボクも今度、お祖父さんたちを連れてきてあげようかな」 「ふふっ。蒼星石って、ホントにお祖父ちゃんっ子なのね」 「べ、別に……そう言うワケじゃないけど」 蒼星石は言い返そうとするのだが、事実なだけに、どうにも歯切れが悪い。 ごにょごにょ口ごもる蒼星石の背中を、巴はグイと押して、店の暖簾を潜った。 そこそこお腹が満たされ、少しばかり聞こし召したこともあって、 蒼星石と巴は上機嫌で、酔い醒ましがてら、週末の夜道を歩いていた。 夜空を見上げれば、冷たく澄んだ空気の向こうに、たくさんの星が煌めいている。 オリオン座の三連星と、ひときわ白く輝くシリウスは、すぐに見つけられた。 「ねえ、蒼星石――」 話しかけた言葉は、真冬の空気の中で白く凍り、やおら夜の闇に融けてゆく。 巴は、彼女の素直さを象徴するような真っ直ぐの眼差しで、蒼星石を見つめていた。 「なに? どうしたの、巴」 「あのね、もし良ければ……今度の春休みに、二人で旅行しない?  来年の今頃だと、卒論とか、就職活動とかで忙しいかも知れないでしょ。  だから、早めの卒業旅行も兼ねて、どうかなぁって」 「……いきなりだね。ホントに、どうしたのさ?」 ほろ酔い加減の、戯れ言だろうか。 それとも、この話を切り出すキッカケに、お気に入りの店へと連れてきてくれたのか。 じいっと……それこそ、穴が開くくらいに蒼星石が見つめ返すと、 巴は恥ずかしそうに目を伏せるどころか、更に瞳を合わせてくる。 蒼星石の方が、先に照れて、顔を逸らせてしまった。 「――さっき」 蒼星石の上気した頬に、巴の落ち着いた声が、投げかけられた。 「講義の間、ずっと翠星石さんのこと、考えてたんでしょ」 ドキリ。蒼星石は、無防備な背中を、もぞもぞ撫で回されるような感触を覚えた。 確かに、巴の指摘どおりだった。 姉のことを思い出して、90分もの間、記憶の中に遊んでいたのだ。 顔を上げた蒼星石の前で、巴はまだ、蒼星石を見つめたままだった。 「なんで解るの?」 「4年も貴女を見つめてきたんだもの。解るわよ」 酒気に染まった肌とは対照的に、そう告げた巴の唇は、やけに白かった。 霜でも降りてしまったのではないかと、心配するくらいに。 「蒼星石は気付いてなかったでしょうけど……貴女って、時々だけど、  とっても淋しそうな顔をするの。まるで、抜け殻みたいになって。  笑っているのに、どこか作り物の気配を漂わせていたり」 クセというものは、無意識の行動であるため、なかなか本人は気付かない。 誰かに教えられて初めて、そうだったのかと自覚するのだ。 ちょうど、今の蒼星石みたいに。 「わ、恥ずかしい。ずっと観察されてたなんて、気付かなかったなぁ」   自嘲して、蒼星石は続けた。 「――キミの言うとおりだよ。ボクは、姉さんのことを忘れたくない。  姉さんと過ごした日々の記憶を、風化させたくないから、  押入の布団を引っぱり出して虫干しするみたいに、思い出してしまうんだ」 この4年間、蒼星石はずっと『あの頃のまま』を夢想してきた。 翠星石と歩んできた日々の思い出が、色褪せないように。 そして、そんな彼女を、巴は見つめてきた。傍らで、ずっと―― 「わたしも、故人を偲ぶことは大切だと思うわ。  翠星石さんが、蒼星石の中で生き続けるためにも」 言って、巴は「でもね」と諭す。 「彼女を忘れたくないのは、蒼星石だけじゃないのよ。  わたしも、水銀燈も。翠星石さんを知っている人は、みんな。  いつまでだって、彼女のことを憶えていたいの。  だから、わたし達は蒼星石の側に居るんだと思う」 「ボクが双子の妹で、姉さんの面影を重ねやすいから?」 「貴女は、翠星石さんの影じゃないわ」 巴の眼差しが、かつてないほど真剣みを帯びていた。 ウソや冗談を言う者の目ではなかった。 「この世に一人しか居ない、蒼星石という女の子よ。  だからこそ、わたし達は蒼星石に、いつも輝いてて欲しいと思ってる。  過去に執着しないで、前向きに生きて欲しいと願ってる」 「……?」 「解らない? 貴女の微笑みだけが、翠星石さんの魅力を引き立たせられるの。  わたし達のココロにいる翠星石さんに、可憐な花を添えてくれるのよ。  それなのに、蒼星石が沈んでいたら――  わたし達が思い浮かべる彼女の笑顔も、悲しい色に染まってしまうわ」 だから――巴は食事に誘ってくれて、旅行しようとまで言ってくれたのだろう。 このところ、疲労のあまり気落ちしがちだった蒼星石を、元気づけるために。 自ら輝けなくなった翠星石を、蒼星石の笑顔で明るく照らして欲しいから。 『情けは人の為ならず』と言うけれど、それでも…… 巴の真心は、蒼星石の気持ちをスッと軽くしてくれた。 友情とは二つの肉体に宿る一個の魂だ、と言ったのは、アリストテレスだったか。 唐突にその言葉を思い出した蒼星石は、たった今、その意味が解った気がした。 巴と出会えて良かった。友達になれて、良かった。 そう思うだけで、さっきは無理に作った笑顔が、今は自然と溢れてくる。 だから、蒼星石は一点の曇りもない微笑みを、大切な親友にプレゼントした。 「……いいね、旅行。ボクも、巴と行きたい。一度と言わず、何度でも。  具体的に、どこに行くか決めてあるの?」 「ううん。まだ企画だけよ。蒼星石の希望も訊きたかったし」 笑みを湛える巴の瞳が、問いかけてくる。どこか行きたいところ、ある? 蒼星石は「そうだなぁ」と、夜空を仰いだ。 「最初は、鄙びた温泉とか、どう?  ボクは、のんびり出来る所が嬉しいな♪」 お年寄りと一緒に暮らしていると、どうしても老人趣味になってしまうのか。 落ち着いていると言えば聞こえは良いが、蒼星石は若いに合わず、渋ごのみだった。 そして、巴もまた、幼い頃から続けてきた剣道を通じて精神修養を積み、 古式ゆかしい大和撫子といった風情がある。 そんな二人だからこそ、性格的に意気投合できるのだろう。 現に、巴は温泉という言葉に、興味と賛意を示した。 気の合う者同士、こうなると話が早い。とんとん拍子に大まかな予定が纏まった。 「楽しみね。わたし、ワクワクしてしちゃった」 「ボクもだよ。さ~て、行くと決まれば、バイトも試験も頑張らなくっちゃ」 「補習とか、必修科目を落として留年だなんて、目も当てられないものね」 「うん。あ、そうだ……さっきの授業のノートさ、コピーさせてくれない?」 「学食のA定で手を打つ?」 「いいよ。なんなら、月曜日と言わず、明日にでもお昼を奢ってあげる。  それとも、ボクの手料理とか……食べたい?」 「あ、それグッドアイディア! じゃあ明日は、蒼星石の家に集合ね♪」 ポンと手を打ち鳴らした巴の表情は、喜色に輝いている。 そんな彼女に、蒼星石は「いやしんぼだなぁ」と、意地の悪い笑みを向けた。 他愛なく交わされる軽口も、友情という料理を味わい深くする調味料。 口にした言葉とは別に、蒼星石は胸の内で、ひっそりと話しかけていた。 ありがと、巴。これからは前だけを向いて、走り続けてみるよ。 辛いことも、泣きたくなることも、脚を動かすチカラに変えてね。 そして、いつかステキな恋人と巡り会い、愛を実らせる時が来ても…… 翠星石と過ごした日々を、巴や水銀燈との友情を、 この胸で、大事に大事に温めながら、生きてゆくから。 和やかに過ごした睦月の夜は、しんしんと更けゆく。 温まったココロを冷やかすように、吹き過ぎる寒風は肌を刺すけれど。 酔い醒ましと―― まもない春の訪れを夢みるキッカケには、ちょうど良かった。   ~ある乙女の愛の雫~   grand finale

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: