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『ひょひょいの憑依っ!』Act.4」(2007/01/29 (月) 01:54:46) の最新版変更点

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<p><br>   『ひょひょいの憑依っ!』Act.4<br> <br> <br> ちゃぶ台に置かれた料理の数々が、ジュンの目を惹きつけます。<br> 驚くべきコトに、それらは全て、金糸雀のお手製と言うではあーりませんか。<br> 玄関を開けたときに、鼻腔をくすぐった美味しそうな匂いは、気のせいではなかったのです。<br> <br> 「ジュンの帰りを待ち侘びながら、あの女が持ってきた食材を使って、<br>  お昼ご飯を作っちゃったかしら~」<br> <br> 金糸雀は、ニコニコと満面の笑みを浮かべながら、幸せそうに話します。<br> もし、ジュンが帰ってこなかったら、無駄になってしまうと考えなかったのでしょうか。<br> おっちょこちょいな、彼女のことです。そんな仮定など、していたかどうか……。<br> <br> 「ホントに、お前が作ったのか? 近所の食卓から、かっぱらって来たんじゃあ――」<br> 「むぅ~。侮辱かしら。失礼しちゃうかしらっ!<br>  この部屋から出られないカナが、そんなこと出来っこないじゃない」<br> 「ああ、それもそうか」<br> 「ご託はいいから、食べてみて。ピチカートに毒見させたから、味は保証するかしら。<br>  特に、この甘ぁいフワフワたまご焼きは、絶品なんだから」<br> <br> 心配の『し』の字も見せず、サムズアップの金糸雀。ジュンに箸を差し出しました。<br> なんという親切の押し売り。どうにも受け取らざるを得ない雰囲気です。<br> <br> 「……それを言うなら味見だろ。そもそも、火の玉に味覚なんかあるのかよ」<br> <br> ブツクサ言いつつ、ヘタレなジュンは、戦慄く手に箸を握らされてしまったのです。<br> 五目野菜炒め。肉じゃが。鰤の照り焼き。たまご焼き。<br> どの皿も、見た目と匂いは美味しそう……なのですが――<br> <br> まずは、最もハズレの無さそうな、フワフワたまご焼きから箸をつけるとします。<br> これならば、少しばかり生でも食べられるでしょう。<br> いま、家にある調味料も、砂糖、塩、酢、醤油、味噌くらいですから、<br> そうそう間違った味になるとは思えません。思いたくもありません。<br> <br> ふわふわで、焦げ目ひとつない、黄金色のたまご焼き。<br> 砂糖入りなのに焦がさない技量は、見事です。意を決して口に放り込み、咀嚼。<br> <br> 「……うっ?!」<br> 「どうかしら?」<br> <br> ジュンは答えず、次は五目野菜炒めに、箸を伸ばしました。<br> ニラやモヤシ、キャベツ、ニンジン、ピーマンの表面に、胡椒の細かいツブが着いています。<br> 一応、まともな味付けはしてあるようですが、果たして――<br> <br> 「……まっ?!」<br> 「ジュンの口には合わない?」<br> <br> その問いかけにも答えることなく、ジュンの箸は、鰤の照り焼きを捕捉。<br> いい色合いに焼けていて、身の中まで火は通っているようです。<br> 脂も充分に乗っているらしく、見ているだけで、ジュンの口内に涎が溢れてきました。<br> 恐る恐る、端っこに囓りついて、食べてみると……。<br> <br> 「……いっ?!」<br> 「ねえねえ、どうなの~? 美味しい? 不味い? さっさと答えるかしら」<br> 「正直に言って…………驚いたよ。どれも美味いわ」<br> 「えー? よく聞こえなーい」<br> 「容赦なく美味いって言ってんだよ」<br> 「でしょでしょぉ♪ カナだって独り暮らしで、自炊してたんだもの。このくらい、朝飯前かしら」<br> <br> 昼食なのに、朝飯前とはこれ如何に。<br> ……なんて疑問はともかく、ジュンは素直に、金糸雀のことを見直しました。<br> やはり、人間、何かしらの特技は持っているものです。<br> 空腹も手伝って、全ての料理は忽ち、ジュンのお腹に収まったのでした。<br> <br> 「ごちそうさん。お世辞抜きに美味かった」<br> 「うふふ……そう言ってもらえると、やっぱり嬉しいかしら。<br>  もしかしてぇ~、惚れなおしちゃったりとか……する?」<br> 「いや、最初っから、惚れてなんかないし」<br> 「きぃ~、このボクネンジン!」<br> <br> 言って、べーっ! と舌を出して見せる金糸雀。<br> その拗ねた表情は、愛嬌があって、なかなかに魅力的です。<br> ジュンは不覚にもカワイイと思ってしまい、慌てて頭を横に振りました。<br> 幽霊に萌えを感じるなんて、まともな神経ではありません。<br> 咳払いで空気を誤魔化し、ジュンは話題を変えました。<br> <br> 「まあ、でも……照り焼きは上手くできてたな。オーブン使ったのか?」<br> 「あれは、ピチカートにじっくり炙らせたかしら。いわゆる遠赤外線クッキングね」<br> 「……聞かなきゃ良かったよ」<br> <br> 火の玉で焼かれた魚に舌鼓を打っていたなんて、複雑な気分です。<br> 他の料理についても、調理法は聞かない方が、幸せでいられるでしょう。<br> <br> 「とりあえず、気が向いたらでいいからさ、また……作ってくれないか」<br> 「いいわよ。ジュンのお願いだったら、毎日でも作ってあげるかしら。<br>  あはっ……これで貴方も、ベタ惚れ症候群の仲間入りね」<br> 「なんだ、それ?」<br> 「知らないの、ジュン? いま、巷でウワサになってるかしら」<br> <br> 多分、メタボリックシンドロームのことでしょう。<br> あえて突っ込まずに、ジュンは財布と携帯電話を手にして、立ち上がりました。<br> <br> 「あー、腹いっぱいだ。腹ごなしに、その辺を、ぶらりと散歩でもしてくるかな。<br>  食器洗いとか、片付けは頼んだぞ」<br> <br> 言い置いて、玄関に向かいかけた彼の肩を、金糸雀の冷たい手が捕らえます。<br> <br> 「ちょっと待つかしら」<br> 「な、なんだよ」<br> 「…………カナも一緒に行くわ」<br> 「ただの散歩にまで、いちいち憑いてこなくてもいいだろ」<br> 「とかナントカ言っちゃって、ホントは、あの女のところに行くんでしょ?」<br> <br> 恐るべき慧眼。ジュンの目論見など、とっくに看破されていたようです。<br> ジュンは溜息を吐いて、無駄と知りつつ反駁を加えました。<br> <br> 「言っておくけどな、僕と真紅は、お前が考えてるような仲じゃない。ただの幼なじみだ」<br> 「ジュンはそうでもぉ……あの女は、どうかしらねぇ~」<br> 「しつこいなっ! 知るかよ、そんなの!」<br> 「あら怖い。んふふ……まあ良いかしら。いずれ判ることだしぃ」<br> 「どうあっても、憑いてくる気か」<br> 「当然。ジュンも言ってくれたでしょ。好きにしろって」<br> <br> それを言われてしまうと、二の句が継げません。<br> これからは迂闊なことを喋れないなと鬱陶しく思いながら、<br> (女の子と付き合うのって、こんなに面倒くさいコトなのかなぁ)<br> ――なんて、中途半端に悟った気分になるジュンでした。<br> <br> <br> <br> 金糸雀に憑依された状態で、ジュンは真紅と待ち合わせた場所に急ぎます。<br> 電話をしてみたところ、彼女は先ほどの動揺など忘れたかのような冷静さで、<br> 会うことを承諾してくれたのです。<br> <br> 『ねえねえ、ジュン~。あの女に、なんて言うつもりかしら?』<br> <br> 真紅と会う約束を取りつけてからこっち、金糸雀は、そればかり訊いてきます。<br> 苛立ちを募らせていたジュンは、心底、煩わしそうに答えました。<br> <br> 「うるさいな。少し黙っててくれよ」<br> <br> 金糸雀の存在を感知できない周囲の人々が、ジュンに奇異な眼差しを向けました。<br> いきなり独り言を喋りだした変なヤツ、と見なされたのでしょう。<br> そんな状況で、彼の声に答えが返ってきたことは、意外でした。<br> <br> 「まだ……なにも言ってないのに」<br> <br> 振り向くと、すっかり顔なじみになった、あの眼帯娘がっ!<br> <br> 「……ヘイヘイホー。奇遇……だね」<br> 「また、あんたか! いつも唐突に現れやがって。僕を待ち伏せでもしてるのか?」<br> 「してない。する必要……ない。ここだけの話…………私……千里眼少女」<br> 「どうせまた『うっそぴょーん』って言うんだろ」<br> <br> ジュンが胡散くさそうに白眼視すると、眼帯娘は口を噤んで、頬を両手で包み込みました。<br> <br> <br> 「…………ココロを読まれた…………もう……結婚するしかない」<br> 「なんでだよっ!」<br> <br> 相変わらず、発想がブッ飛びすぎて、ワケが解らない娘です。<br> 真紅と約束した時間も迫っていたので、ジュンは相手にせず立ち去ろうとしました。<br> その背を、脈絡のない意味不明なセリフが追いかけてきます。<br> <br> 「甘ぁ~い、たまご焼きも……いつかは腐る。腐ったら……捨てる?<br>  それとも……食べちゃうの?」<br> <br> いつもいつも、なんなのでしょうか。<br> ジュンは振り返って、いい加減にしろと怒鳴ってやろうとしました。<br> けれど、眼帯娘はもう、風と共に去った後でした。<br> <br> <br> <br> 昼下がりの公園。<br> 小さな噴水前のベンチに座る真紅は、ぼんやりと、煌めき躍る水を眺めています。<br> 待ち合わせの時間には、十五分も早いというのに――<br> ジュンは歩み寄って、穏やかに彼女の名を呼びました。<br> <br> 「呼び出しておいて、レディを待たせるなんて不躾ね」<br> <br> 耳に馴染んだ、辛辣な言葉。<br> しかし、いつものキレと言いましょうか、気強さが感じられません。<br> 気丈に振る舞っていますが、やはり、さっきのショックが尾を引いているのでしょう。<br> 真紅の隣に腰を降ろして、ジュンは話しかけました。<br> <br> 「来てくれて嬉しいよ。ありがとう、真紅」<br> <br> 噴水に目を向けたまま、真紅は素っ気なく答えました。「いいのよ……別に」<br> 彼女の頬や耳が朱に染まっているのは、寒さのため? それとも――<br> <br> 先程、泣いて逃げ出したことを、恥じているのかも知れません。<br> ジュンは、真紅の様子を観察しながら、回想していました。<br> <br> (思えば、こいつとも長い付き合いだな。これが腐れ縁ってヤツか)<br> <br> 親しすぎて、兄妹(姉弟?)みたいな、二人。<br> いつも、なんとなく一緒にいて、それが普通になりすぎていて……<br> 他人の目など気にしなかったし、こんな関係を変に思ったりもしませんでした。<br> 彼と彼女の間柄を知らない者からすれば、交際しているように見えたでしょうか。<br> <br> <br> ――甘ぁ~い、たまご焼き。<br> <br> <br> 不意に、あの眼帯娘の言葉が、思い出されました。<br> いつかは腐る。それは、ジュンと真紅の関係にも、当てはまること。<br> 社会人になって、お互いの人生を歩き始めれば、いつまでも一緒には居られないでしょう。<br> 腐れ縁は、本当に腐って、新たな生活の肥料になるだけかも知れません。<br> <br> では……腐ったら、どうするべきなのか。<br> 捨てる? それとも――害を被ることを承知で、食べる?<br> どちらが良いかなんて、即座に答えを出すことなど、ムリな話です。<br> ただ、誤解されたまま別れたくは、ありませんでした。<br> <br> 「なあ、真紅。さっきの…………アイツ、なんだけどさ」<br> <br> とにかく、本当のことを話さなければ。<br> 気心が知れた仲です。誠意をもって説明すれば、信じてもらえるでしょう。<br> <br> ジュンの声が、いつになく真剣味を帯びていたためか――<br> 真紅は依然として噴水を見つめていましたが、ジュンに問いかけました。<br> やや曇らせた眉に、不愉快さを滲ませながら。<br> <br> 「誰なの、あの娘?」<br> 「落ち着いて、聞いて欲しいんだ。約束してくれるか?」<br> 「……内容次第よ、それは」<br> <br> 大仰に肩を竦めて、吐息。それが真紅なりの、先を促す仕種でした。<br> 徐に頷き、ジュンは口を開きます。「アイツの名前は、金糸雀。僕の――」<br> <br> <br> 「あぁん。や~っと見付けたかしら~♪」<br> <br> いきなり、ジュンの話をかき消す、元気ハツラツな声。<br> ダッフルコートに身を包んだ金糸雀が、白々しくもいま出会ったかのような顔で、<br> ジュンの真横に鎮座しているではあーりませんか。<br> そろそろ邪魔しに来る頃かと身構えていたジュンは、そら来た! と、胸裏で悪態を吐きました。<br> また、さっきの繰り返しはゴメンです。追い返すべく、ベンチを――<br> <br> (あ、あれ……れ?)<br> <br> ――立とうとして、身体が動かせないことに気付きました。<br> いつの間にか、カナ縛りに遭っていたのです。身動きできず、声も出せません。<br> 焦燥に駆られるジュンの頚に、金糸雀の細い腕が、ヘビのように絡みつきます。<br> そして、金糸雀は真紅を一瞥もせず……聞こえよがしに、毒を吐きました。<br> <br> 「もぉ~。ジュンったら、病院に付き添ってくれる約束だったでしょぉ?」<br> 「び、病院?」<br> <br> 闖入者の登場に目を丸くして、声を呑んでいた真紅は、びくりと身体を震わせ、問い返しました。<br> それを受けて、金糸雀の目と唇が、ニタリと三日月を描きます。<br> <br> 「ええ。ちょっと、産婦人科まで……ね♪」<br> 「っ?!」<br> <br> 真紅はますます目を見張り、言葉を失ったまま、ジュンと金糸雀を交互に眺めました。<br> 何かを言おうとする唇は、意味もなく蠢くだけ。<br> ジュンは必死に、根も葉もないウソだと伝えようとしますが、カナ縛りは解けません。<br> 逆に、彼の強張った表情と、額に浮かぶ脂汗が、真紅に誤解を与えます。<br> <br> 「……そう。話って、そういうコトだったのね」<br> <br> 一度、真紅は気持ちを落ち着けるように、深い溜息を吐きました。<br> そして、前に向き直って、毅然と立ち上がったのです。<br> <br> 「良かったじゃない。おめでとう、ジュン…………お幸せにね」<br> <br> 言って、踏み出される一歩。おぼつかない足取り。<br> 小刻みに、膝が震えています。<br> 真紅はジュンと金糸雀に背を向けて、二度と振り返りませんでした。<br> <br> <br> 「さよなら」<br> <br> ただ、それだけを告げて、ふらりふらり――雑踏に消えゆく、儚げな背中。<br> 金糸雀は、狡猾な冷笑を浮かべて見送り、ジュンはと言えば……<br> カナ縛りで固まられたまま、真紅を呼び止めることすら出来なかったのです。<br> <br> <br> <br> 真紅の姿が見えなくなって漸く、ジュンの身体に自由が戻りました。でも、今更です。<br> これから彼女を追いかけたところで、再現VTRのように、同じコトを繰り返すだけでしょう。<br> 金糸雀に、憑きまとわれている間は、ずっと――<br> <br> 『あの女、好い気味かしら♪』<br> <br> ジュンの胸中に、くすくす……と谺する、金糸雀の邪悪な笑み。<br> 真紅を貶めて、排除することが、そんなに愉しいことなのでしょうか。<br> 今度という今度は、女性に甘いジュンと言えども、カチンときておりました。<br> 周囲に人の居ないことを確かめてから、金糸雀を詰ります。<br> <br> 「お前……いい加減にしろよ。あいつが――真紅が何をしたって言うんだ。<br>  言っただろ、僕と真紅は幼なじみなだけだって。<br>  なんで、あいつを目の敵にして、傷つけるような真似ばかりするんだよ!」<br> 『それなら、カナも言ったかしら。そう思ってるのは、ジュンだけかもよ……って。<br>  今回のことでハッキリしたわね。あの女、貴方に気があるのよ。間違いないかしら』<br> 「お前の勘違いだよ! あったとしても、友情ってレベルだろ」<br> 『あ~ぁ、ホントに救いようのないボクネンジンかしら』<br> <br> 皮肉めいた溜息を漏らす金糸雀でしたが、その口調には呆れた感じはなく、<br> それどころか、嬉しそうな響きを宿しておりました。<br> <br> 『でも……カナはね、そんなジュンが好きよ。<br>  鈍感で、純朴で――頼りないけど優しくて……そばに居て安心できる、貴方が。<br>  だ・か・らぁ、カナも、ジュンを影ながら支えてあげるかしら。<br>  これからもずっと、一緒に暮らしましょ♪ 浮気なんて、させないかしらっ』<br> <br> <br> ジュンは、たかが幽霊に翻弄されっぱなしの自分を、情けなく思いました。<br> そして、きっと金糸雀にひと泡ふかせてやるぞ……と、ココロに誓ったのです。<br> </p>
<p><br />   『ひょひょいの憑依っ!』Act.4<br /> <br /> <br /> ちゃぶ台に置かれた料理の数々が、ジュンの目を惹きつけます。<br /> 驚くべきコトに、それらは全て、金糸雀のお手製と言うではあーりませんか。<br /> 玄関を開けたときに、鼻腔をくすぐった美味しそうな匂いは、気のせいではなかったのです。<br /> <br /> 「ジュンの帰りを待ち侘びながら、あの女が持ってきた食材を使って、<br />  お昼ご飯を作っちゃったかしら~」<br /> <br /> 金糸雀は、ニコニコと満面の笑みを浮かべながら、幸せそうに話します。<br /> もし、ジュンが帰ってこなかったら、無駄になってしまうと考えなかったのでしょうか。<br /> おっちょこちょいな、彼女のことです。そんな仮定など、していたかどうか……。<br /> <br /> 「ホントに、お前が作ったのか? 近所の食卓から、かっぱらって来たんじゃあ――」<br /> 「むぅ~。侮辱かしら。失礼しちゃうかしらっ!<br />  この部屋から出られないカナが、そんなこと出来っこないじゃない」<br /> 「ああ、それもそうか」<br /> 「ご託はいいから、食べてみて。ピチカートに毒見させたから、味は保証するかしら。<br />  特に、この甘ぁいフワフワたまご焼きは、絶品なんだから」<br /> <br /> 心配の『し』の字も見せず、サムズアップの金糸雀。ジュンに箸を差し出しました。<br /> なんという親切の押し売り。どうにも受け取らざるを得ない雰囲気です。<br /> <br /> 「……それを言うなら味見だろ。そもそも、火の玉に味覚なんかあるのかよ」<br /> <br /> ブツクサ言いつつ、ヘタレなジュンは、戦慄く手に箸を握らされてしまったのです。<br /> 五目野菜炒め。肉じゃが。鰤の照り焼き。たまご焼き。<br /> どの皿も、見た目と匂いは美味しそう……なのですが――<br /> <br /> まずは、最もハズレの無さそうな、フワフワたまご焼きから箸をつけるとします。<br /> これならば、少しばかり生でも食べられるでしょう。<br /> いま、家にある調味料も、砂糖、塩、酢、醤油、味噌くらいですから、<br /> そうそう間違った味になるとは思えません。思いたくもありません。<br /> <br /> ふわふわで、焦げ目ひとつない、黄金色のたまご焼き。<br /> 砂糖入りなのに焦がさない技量は、見事です。意を決して口に放り込み、咀嚼。<br /> <br /> 「……うっ?!」<br /> 「どうかしら?」<br /> <br /> ジュンは答えず、次は五目野菜炒めに、箸を伸ばしました。<br /> ニラやモヤシ、キャベツ、ニンジン、ピーマンの表面に、胡椒の細かいツブが着いています。<br /> 一応、まともな味付けはしてあるようですが、果たして――<br /> <br /> 「……まっ?!」<br /> 「ジュンの口には合わない?」<br /> <br /> その問いかけにも答えることなく、ジュンの箸は、鰤の照り焼きを捕捉。<br /> いい色合いに焼けていて、身の中まで火は通っているようです。<br /> 脂も充分に乗っているらしく、見ているだけで、ジュンの口内に涎が溢れてきました。<br /> 恐る恐る、端っこに囓りついて、食べてみると……。<br /> <br /> 「……いっ?!」<br /> 「ねえねえ、どうなの~? 美味しい? 不味い? さっさと答えるかしら」<br /> 「正直に言って…………驚いたよ。どれも美味いわ」<br /> 「えー? よく聞こえなーい」<br /> 「容赦なく美味いって言ってんだよ」<br /> 「でしょでしょぉ♪ カナだって独り暮らしで、自炊してたんだもの。このくらい、朝飯前かしら」<br /> <br /> 昼食なのに、朝飯前とはこれ如何に。<br /> ……なんて疑問はともかく、ジュンは素直に、金糸雀のことを見直しました。<br /> やはり、人間、何かしらの特技は持っているものです。<br /> 空腹も手伝って、全ての料理は忽ち、ジュンのお腹に収まったのでした。<br /> <br /> 「ごちそうさん。お世辞抜きに美味かった」<br /> 「うふふ……そう言ってもらえると、やっぱり嬉しいかしら。<br />  もしかしてぇ~、惚れなおしちゃったりとか……する?」<br /> 「いや、最初っから、惚れてなんかないし」<br /> 「きぃ~、このボクネンジン!」<br /> <br /> 言って、べーっ! と舌を出して見せる金糸雀。<br /> その拗ねた表情は、愛嬌があって、なかなかに魅力的です。<br /> ジュンは不覚にもカワイイと思ってしまい、慌てて頭を横に振りました。<br /> 幽霊に萌えを感じるなんて、まともな神経ではありません。<br /> 咳払いで空気を誤魔化し、ジュンは話題を変えました。<br /> <br /> 「まあ、でも……照り焼きは上手くできてたな。オーブン使ったのか?」<br /> 「あれは、ピチカートにじっくり炙らせたかしら。いわゆる遠赤外線クッキングね」<br /> 「……聞かなきゃ良かったよ」<br /> <br /> 火の玉で焼かれた魚に舌鼓を打っていたなんて、複雑な気分です。<br /> 他の料理についても、調理法は聞かない方が、幸せでいられるでしょう。<br /> <br /> 「とりあえず、気が向いたらでいいからさ、また……作ってくれないか」<br /> 「いいわよ。ジュンのお願いだったら、毎日でも作ってあげるかしら。<br />  あはっ……これで貴方も、ベタ惚れ症候群の仲間入りね」<br /> 「なんだ、それ?」<br /> 「知らないの、ジュン? いま、巷でウワサになってるかしら」<br /> <br /> 多分、メタボリックシンドロームのことでしょう。<br /> あえて突っ込まずに、ジュンは財布と携帯電話を手にして、立ち上がりました。<br /> <br /> 「あー、腹いっぱいだ。腹ごなしに、その辺を、ぶらりと散歩でもしてくるかな。<br />  食器洗いとか、片付けは頼んだぞ」<br /> <br /> 言い置いて、玄関に向かいかけた彼の肩を、金糸雀の冷たい手が捕らえます。<br /> <br /> 「ちょっと待つかしら」<br /> 「な、なんだよ」<br /> 「…………カナも一緒に行くわ」<br /> 「ただの散歩にまで、いちいち憑いてこなくてもいいだろ」<br /> 「とかナントカ言っちゃって、ホントは、あの女のところに行くんでしょ?」<br /> <br /> 恐るべき慧眼。ジュンの目論見など、とっくに看破されていたようです。<br /> ジュンは溜息を吐いて、無駄と知りつつ反駁を加えました。<br /> <br /> 「言っておくけどな、僕と真紅は、お前が考えてるような仲じゃない。ただの幼なじみだ」<br /> 「ジュンはそうでもぉ……あの女は、どうかしらねぇ~」<br /> 「しつこいなっ! 知るかよ、そんなの!」<br /> 「あら怖い。んふふ……まあ良いかしら。いずれ判ることだしぃ」<br /> 「どうあっても、憑いてくる気か」<br /> 「当然。ジュンも言ってくれたでしょ。好きにしろって」<br /> <br /> それを言われてしまうと、二の句が継げません。<br /> これからは迂闊なことを喋れないなと鬱陶しく思いながら、<br /> (女の子と付き合うのって、こんなに面倒くさいコトなのかなぁ)<br /> ――なんて、中途半端に悟った気分になるジュンでした。<br /> <br /> <br /> <br /> 金糸雀に憑依された状態で、ジュンは真紅と待ち合わせた場所に急ぎます。<br /> 電話をしてみたところ、彼女は先ほどの動揺など忘れたかのような冷静さで、<br /> 会うことを承諾してくれたのです。<br /> <br /> 『ねえねえ、ジュン~。あの女に、なんて言うつもりかしら?』<br /> <br /> 真紅と会う約束を取りつけてからこっち、金糸雀は、そればかり訊いてきます。<br /> 苛立ちを募らせていたジュンは、心底、煩わしそうに答えました。<br /> <br /> 「うるさいな。少し黙っててくれよ」<br /> <br /> 金糸雀の存在を感知できない周囲の人々が、ジュンに奇異な眼差しを向けました。<br /> いきなり独り言を喋りだした変なヤツ、と見なされたのでしょう。<br /> そんな状況で、彼の声に答えが返ってきたことは、意外でした。<br /> <br /> 「まだ……なにも言ってないのに」<br /> <br /> 振り向くと、すっかり顔なじみになった、あの眼帯娘がっ!<br /> <br /> 「……ヘイヘイホー。奇遇……だね」<br /> 「また、あんたか! いつも唐突に現れやがって。僕を待ち伏せでもしてるのか?」<br /> 「してない。する必要……ない。ここだけの話…………私……千里眼少女」<br /> 「どうせまた『うっそぴょーん』って言うんだろ」<br /> <br /> ジュンが胡散くさそうに白眼視すると、眼帯娘は口を噤んで、頬を両手で包み込みました。<br /> <br /> <br /> 「…………ココロを読まれた…………もう……結婚するしかない」<br /> 「なんでだよっ!」<br /> <br /> 相変わらず、発想がブッ飛びすぎて、ワケが解らない娘です。<br /> 真紅と約束した時間も迫っていたので、ジュンは相手にせず立ち去ろうとしました。<br /> その背を、脈絡のない意味不明なセリフが追いかけてきます。<br /> <br /> 「甘ぁ~い、たまご焼きも……いつかは腐る。腐ったら……捨てる?<br />  それとも……食べちゃうの?」<br /> <br /> いつもいつも、なんなのでしょうか。<br /> ジュンは振り返って、いい加減にしろと怒鳴ってやろうとしました。<br /> けれど、眼帯娘はもう、風と共に去った後でした。<br /> <br /> <br /> <br /> 昼下がりの公園。<br /> 小さな噴水前のベンチに座る真紅は、ぼんやりと、煌めき躍る水を眺めています。<br /> 待ち合わせの時間には、十五分も早いというのに――<br /> ジュンは歩み寄って、穏やかに彼女の名を呼びました。<br /> <br /> 「呼び出しておいて、レディを待たせるなんて不躾ね」<br /> <br /> 耳に馴染んだ、辛辣な言葉。<br /> しかし、いつものキレと言いましょうか、気強さが感じられません。<br /> 気丈に振る舞っていますが、やはり、さっきのショックが尾を引いているのでしょう。<br /> 真紅の隣に腰を降ろして、ジュンは話しかけました。<br /> <br /> 「来てくれて嬉しいよ。ありがとう、真紅」<br /> <br /> 噴水に目を向けたまま、真紅は素っ気なく答えました。「いいのよ……別に」<br /> 彼女の頬や耳が朱に染まっているのは、寒さのため? それとも――<br /> <br /> 先程、泣いて逃げ出したことを、恥じているのかも知れません。<br /> ジュンは、真紅の様子を観察しながら、回想していました。<br /> <br /> (思えば、こいつとも長い付き合いだな。これが腐れ縁ってヤツか)<br /> <br /> 親しすぎて、兄妹(姉弟?)みたいな、二人。<br /> いつも、なんとなく一緒にいて、それが普通になりすぎていて……<br /> 他人の目など気にしなかったし、こんな関係を変に思ったりもしませんでした。<br /> 彼と彼女の間柄を知らない者からすれば、交際しているように見えたでしょうか。<br /> <br /> <br /> ――甘ぁ~い、たまご焼き。<br /> <br /> <br /> 不意に、あの眼帯娘の言葉が、思い出されました。<br /> いつかは腐る。それは、ジュンと真紅の関係にも、当てはまること。<br /> 社会人になって、お互いの人生を歩き始めれば、いつまでも一緒には居られないでしょう。<br /> 腐れ縁は、本当に腐って、新たな生活の肥料になるだけかも知れません。<br /> <br /> では……腐ったら、どうするべきなのか。<br /> 捨てる? それとも――害を被ることを承知で、食べる?<br /> どちらが良いかなんて、即座に答えを出すことなど、ムリな話です。<br /> ただ、誤解されたまま別れたくは、ありませんでした。<br /> <br /> 「なあ、真紅。さっきの…………アイツ、なんだけどさ」<br /> <br /> とにかく、本当のことを話さなければ。<br /> 気心が知れた仲です。誠意をもって説明すれば、信じてもらえるでしょう。<br /> <br /> ジュンの声が、いつになく真剣味を帯びていたためか――<br /> 真紅は依然として噴水を見つめていましたが、ジュンに問いかけました。<br /> やや曇らせた眉に、不愉快さを滲ませながら。<br /> <br /> 「誰なの、あの娘?」<br /> 「落ち着いて、聞いて欲しいんだ。約束してくれるか?」<br /> 「……内容次第よ、それは」<br /> <br /> 大仰に肩を竦めて、吐息。それが真紅なりの、先を促す仕種でした。<br /> 徐に頷き、ジュンは口を開きます。「アイツの名前は、金糸雀。僕の――」<br /> <br /> <br /> 「あぁん。や~っと見付けたかしら~♪」<br /> <br /> いきなり、ジュンの話をかき消す、元気ハツラツな声。<br /> ダッフルコートに身を包んだ金糸雀が、白々しくもいま出会ったかのような顔で、<br /> ジュンの真横に鎮座しているではあーりませんか。<br /> そろそろ邪魔しに来る頃かと身構えていたジュンは、そら来た! と、胸裏で悪態を吐きました。<br /> また、さっきの繰り返しはゴメンです。追い返すべく、ベンチを――<br /> <br /> (あ、あれ……れ?)<br /> <br /> ――立とうとして、身体が動かせないことに気付きました。<br /> いつの間にか、カナ縛りに遭っていたのです。身動きできず、声も出せません。<br /> 焦燥に駆られるジュンの頚に、金糸雀の細い腕が、ヘビのように絡みつきます。<br /> そして、金糸雀は真紅を一瞥もせず……聞こえよがしに、毒を吐きました。<br /> <br /> 「もぉ~。ジュンったら、病院に付き添ってくれる約束だったでしょぉ?」<br /> 「び、病院?」<br /> <br /> 闖入者の登場に目を丸くして、声を呑んでいた真紅は、びくりと身体を震わせ、問い返しました。<br /> それを受けて、金糸雀の目と唇が、ニタリと三日月を描きます。<br /> <br /> 「ええ。ちょっと、産婦人科まで……ね♪」<br /> 「っ?!」<br /> <br /> 真紅はますます目を見張り、言葉を失ったまま、ジュンと金糸雀を交互に眺めました。<br /> 何かを言おうとする唇は、意味もなく蠢くだけ。<br /> ジュンは必死に、根も葉もないウソだと伝えようとしますが、カナ縛りは解けません。<br /> 逆に、彼の強張った表情と、額に浮かぶ脂汗が、真紅に誤解を与えます。<br /> <br /> 「……そう。話って、そういうコトだったのね」<br /> <br /> 一度、真紅は気持ちを落ち着けるように、深い溜息を吐きました。<br /> そして、前に向き直って、毅然と立ち上がったのです。<br /> <br /> 「良かったじゃない。おめでとう、ジュン…………お幸せにね」<br /> <br /> 言って、踏み出される一歩。おぼつかない足取り。<br /> 小刻みに、膝が震えています。<br /> 真紅はジュンと金糸雀に背を向けて、二度と振り返りませんでした。<br /> <br /> <br /> 「さよなら」<br /> <br /> ただ、それだけを告げて、ふらりふらり――雑踏に消えゆく、儚げな背中。<br /> 金糸雀は、狡猾な冷笑を浮かべて見送り、ジュンはと言えば……<br /> カナ縛りで固まられたまま、真紅を呼び止めることすら出来なかったのです。<br /> <br /> <br /> <br /> 真紅の姿が見えなくなって漸く、ジュンの身体に自由が戻りました。でも、今更です。<br /> これから彼女を追いかけたところで、再現VTRのように、同じコトを繰り返すだけでしょう。<br /> 金糸雀に、憑きまとわれている間は、ずっと――<br /> <br /> 『あの女、好い気味かしら♪』<br /> <br /> ジュンの胸中に、くすくす……と谺する、金糸雀の邪悪な笑み。<br /> 真紅を貶めて、排除することが、そんなに愉しいことなのでしょうか。<br /> 今度という今度は、女性に甘いジュンと言えども、カチンときておりました。<br /> 周囲に人の居ないことを確かめてから、金糸雀を詰ります。<br /> <br /> 「お前……いい加減にしろよ。あいつが――真紅が何をしたって言うんだ。<br />  言っただろ、僕と真紅は幼なじみなだけだって。<br />  なんで、あいつを目の敵にして、傷つけるような真似ばかりするんだよ!」<br /> 『それなら、カナも言ったかしら。そう思ってるのは、ジュンだけかもよ……って。<br />  今回のことでハッキリしたわね。あの女、貴方に気があるのよ。間違いないかしら』<br /> 「お前の勘違いだよ! あったとしても、友情ってレベルだろ」<br /> 『あ~ぁ、ホントに救いようのないボクネンジンかしら』<br /> <br /> 皮肉めいた溜息を漏らす金糸雀でしたが、その口調には呆れた感じはなく、<br /> それどころか、嬉しそうな響きを宿しておりました。<br /> <br /> 『でも……カナはね、そんなジュンが好きよ。<br />  鈍感で、純朴で――頼りないけど優しくて……そばに居て安心できる、貴方が。<br />  だ・か・らぁ、カナも、ジュンを影ながら支えてあげるかしら。<br />  これからもずっと、一緒に暮らしましょ♪ 浮気なんて、させないかしらっ』<br /> <br /> <br /> ジュンは、たかが幽霊に翻弄されっぱなしの自分を、情けなく思いました。<br /> そして、きっと金糸雀にひと泡ふかせてやるぞ……と、ココロに誓ったのです。</p>

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