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『ひょひょいの憑依っ!』Act.3」(2007/01/29 (月) 01:47:53) の最新版変更点

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<p align="left"><br />   『ひょひょいの憑依っ!』Act.3<br /><br /><br /> 朝方のゴタゴタから心機一転、ジュンは梱包されていた品々の荷ほどきを始めました。<br /> こういう事は、先延ばしにすると絶対に片づかないもの。<br /> 研修が始まれば、尚のこと、時間は割きづらくなるでしょう。<br /> 独り暮らしの荷物など、それほど多くありませんから、ここは一念発起のしどころです。<br /><br /> 「いいか、邪魔すんなよ。ドジなお前が手を出すと、余計に散らかしかねないからな」<br /> 『ふーんだ! こっちからお断りかしら』<br /><br /> 釘を刺すジュンの身体から、金糸雀はするすると抜け出して、アカンベーをしました。<br /> ちょっと幼さを残す仕種は微笑ましいのですが――<br /><br /> (なんと言っても、天下無敵の自爆霊だもんなぁ)<br /><br /> 触らぬカナに祟りなし。素晴らしい格言です。<br /> やれやれ……と頭を掻きながら、服や食器などの日用品から開梱し始めます。<br /> 殆どの服は冬物で、夏服は6月のボーナスをもらったら、買い揃える予定でした。<br /><br /> シャツや下着、靴下をタンスに収納し終えて、次はセーターやパーカーの番です。<br /> 段ボール箱の封をカッターで切り、開いたジュンの目に、妙な物が飛び込んできました。<br /> 高級ブティックのロゴが入った、瀟洒な袋です。<br /><br /> 「――あれ? こんなの入れたっけか」<br /><br /> ジュンには、憶えがありませんでした。<br /> そもそも、おしゃれに疎い彼には、高級ブティックなど馴染みの薄い場所。<br /> まるで、オーパーツ(Out 0f Place Artificacts)です。<br /><br /> もしかしたら、のり姉ちゃんが変に気を利かせて、コッソリ忍ばせたのかも知れません。<br /> 彼女には、そういう過保護すぎるところがありました。<br /> ジュンが実家を離れようと決意したのも、姉の存在を、少なからず疎ましく思っていたからです。<br /><br /> 「あいつ……勝手に何を入れてきたんだよ」<br /><br /> 端を折り返し、テープ止めしただけの紙袋を開くと、一着のセーターが……。<br /> 頸を傾げながら、それを引っぱり出して広げた途端、記憶が呼び覚まされました。<br /> そのセーターは見るからに不格好で、明らかに市販品ではありません。<br /><br /> 「なあに、そのセーター? 左右の袖の長さが、揃ってないかしら。<br />  カタチもいびつだし、ところどころ、ほつれてる……」<br /><br /> ジュンの身体を離れて、手持ちぶさたにプラプラしていた金糸雀が、<br /> 出来損ないのセーターを目に留めて、顔を寄せました。<br /> そんな彼女に、ジュンは穏やかな表情で答えます。<br /><br /> 「ちょっとな。ある人との、思い出の品なんだ。<br />  僕なんか、すっかり忘れてたのに……姉ちゃんは憶えてたんだな」<br /> 「どんなエピソードなの? 聞かせて欲しいかしら」<br /> 「別に、大した話じゃないさ」<br /><br /> 素っ気なく言って、ジュンは不細工なセーターを、ベッドに放り投げました。<br /> それは、話す気がないという無言の返答。ジュンは再び、荷物の整理を始めます。<br /><br /> 「むぅー。ケチー」<br /><br /> 金糸雀は面白くなさそうに頬を膨らませて、そっぽを向くのでした。<br /><br /><br /><br /> それから小一時間ほど、作業に集中していたジュンは、ふと――<br /><br /> 「ん? あいつ、どこ行ったんだ?」<br /><br /> 金糸雀の姿が見えないことに、気付きました。<br /> 彼女は、この部屋に縛り付けられている地縛霊ですから、遠出なんてできない筈です。<br /> 相手にしてもらえない事を拗ねて、押入の中にでも籠もっているのでしょうか。<br /><br /> 「静かなのはいいけど、余計なことしてないだろうな」<br /><br /> そろそろ昼食時です。<br /><br />   『カナが作ってあげちゃうかしらー』<br /><br /> ――と、お節介を焼かないとも限りません。<br /> 最悪、ボヤ騒ぎでも起こされようものなら、この部屋を追い出されてしまいます。<br /> そうなっては、ここより高い家賃の物件に、引っ越さざるを得ないでしょう。<br /> 引っ越し代もバカになりません。<br /> やはり、目の届く場所に居てもらった方が、なにかと安心。<br /> パラソルを肩に担いで立っている分には、信楽焼のタヌキさんと似たようなモノです。<br /><br /> ジュンは意味もなく天井を見上げて、どこかに隠れている金糸雀に呼びかけました。<br /><br /><br /> 「なあ、居るのか? おーい」<br /><br /> ……沈黙。<br /> それはつまり、返事をする気がないか、返事ができない状況にある……と言うこと。<br /> なんとなく、ジュンの胸は不安に駆られるのでした。<br /><br /> 「まさか…………もう良からぬコトを、しでかしてくれたんじゃあ」<br /><br /> 台所で火事(家事?)とか、洗濯機で水漏れとか、はたきで窓を割ったとか。<br /> あるいは、トイレ掃除中に溶液を混合して、有毒ガス発生とか……。<br /><br /> 「冗談じゃないぞ。最後のは、特に!」<br /><br /> もう、落ち着いて荷物の片付けをしている心境では、ありませんでした。<br /> 即座に立ち上がったジュンは、金糸雀を探し歩きます。<br /> そして、玄関、トイレと見回り、浴室のドアを開けると……<br /> 探していた娘は、シャワーを浴びて、暢気にくつろいでいるじゃあーりませんか。<br /><br /> (また、このパターンか!)<br /><br /> ジュンは、失笑を禁じ得ませんでした。<br /> これではまるで、どこでもドアで幼なじみの少女の入浴シーンに突撃する、ドジな少年です。<br /> ドアが開けられた直後、ハッ! と顔を向けた金糸雀は、頬を引きつらせて――<br /><br /> 「き、きゃ――――っ!? ジュンのエッチ――っ!」<br /><br /> 絹を裂くような悲鳴をあげて、お湯ならぬ火の玉を、ジュンに浴びせたのでした。<br /><br /><br /><br /> 火傷と打撲でヒリヒリと痛む頬をさすりさすり、ぶすっとした顔のジュン。<br /> 彼の視線の先には、幽霊なのに脚がある金糸雀が、正座をして悄気ています。<br /><br /> 「お前なあ……幽霊のクセに、なんで風呂なんか入るんだよ!」<br /> 「……だってぇ」<br /> 「だってじゃないだろ。お前が使ったガス代と水道代は、僕が払うんだぞ」<br /> 「でもでもっ! カナだって女の子かしら。<br />  そのぉ…………男の人の前では、いつでもキレイで居たい……かしら」<br /><br /> それが、乙女ゴコロというものでしょうか。<br /> 彼女居ない歴22年のヘタレな青年には、よく解りません。<br /> いえ、どれだけ恋愛経験が豊富でも、異性の気持ちの機微は掴みきれないものでしょう。<br /> 所詮、他人同士なのですから。<br /><br /> 雨に濡れた捨て猫みたいな目で見上げてくる金糸雀を前にして、<br /> ただでさえ女性経験の乏しいジュンは、言葉に詰まりました。<br /> それを目敏く見て取った金糸雀は、ここぞとばかりに畳みかけます。<br /><br /> 「それにね、幽霊って、水辺を好むモノなのかしら。<br />  定期的にマイナスイオン効果で元気ビンビンにならないと、消えちゃうかしら」<br /> 「別に、消えてくれても構わないんだけど」<br /> 「ひ、酷いっ! カナなんか要らないっていうかしらっ」<br /><br /> 金糸雀は両手で顔を覆い、さめざめと泣き始めてしまいました。<br /> なんとなく芝居がかっていますが、女の子に涙を見せられては、対応に困るというもの。<br /><br /> (とりあえず、泣き続けられても鬱陶しいからな。宥めておくか)<br /><br /> 来客を告げるブザーが鳴ったのは、ジュンが優しい声をかける矢先のことでした。<br /> 記憶を辿ったものの、来客の約束などしていません。書留か、宅配便でしょうか。<br /> 玄関のドアを開けると、そこには気まずそうな顔の真紅が佇んでいました。<br /> 今日は、いつものように髪を結って、白を基調とした洋服に華奢な体躯を包んでいます。<br /><br /> 彼女が背に回した手には、食材とおぼしい買い物袋が……。<br /> ジュンが用件を訊ねるより早く、真紅は目を逸らしながら、言葉を並べます。<br /><br /> 「昨夜は……その……ごめんなさい。送ってくれて、ありがとう。<br />  正体をなくすまで酔っぱらうなんて、みっともない姿を見られてしまったわね」<br /> 「気にすることないさ。寧ろ、真紅の意外な一面を見られて、嬉しかったよ」<br /> 「……ジュン」<br /><br /> 真紅はジュンの顔を見ないまま、はにかんで、買い物袋を前に突き出しました。<br /><br /> 「お礼……というコトでもないけれど、貴方のために、お昼を作りに来たの」<br /><br /> いつもの勝ち気な性格は鳴りを潜めているらしく、頬を染めて、照れ照れの彼女。<br /> ジュンは『真紅さま好きじゃぁー』と、抱きつきたい衝動を堪えるので必死です。<br /><br /> 「いま、お邪魔してもいい?」<br /><br /> 無論、ジュンに断る理由などありません。<br /> 真紅の手料理を食べられるなんて、夢のようでした。<br /> ――が、頷いて招き入れようとした、まさにその時っ!<br /><br /> 「ねぇ~ん、ジュン~♪ なにしてるかしらぁ~」<br /><br /> 台所の方から、やけに艶めかしい金糸雀の声が飛んできたではあーりませんか。<br /> ジュンは当然のことながら、真紅もまた、驚愕に目を見開いております。<br /> そこへ、トドメとばかりに半裸エプロン姿の金糸雀が現れたから、さあ大変。<br /><br /> 「早くしないと、カナのお料理が冷めちゃう~。あらぁ、お客さんかしらぁ?」<br /><br /> 金糸雀は、見せつけるようにジュンの背中に擦り寄り、勝ち誇った眼差しを真紅に投げつけました。<br /> 対する真紅はと言うと――俯いて、ワナワナと身体を震わせるだけです。<br /><br /> 「……そうよね。貴方にだって、恋人の一人や二人、居て当然よね」<br /> 「お、おい、真紅っ! 誤解するなよ」<br /> 「誤魔化さなくていいのよ。いきなり押し掛けた、私が悪いんですもの。<br />  …………私……バカみたい」<br /> 「違うんだ! こいつは――」<br /> 「これ、よかったら食べてちょうだい。さよならっ!」<br /> 「真紅っ!」<br /><br /> 買い物袋を押しつけることでジュンの弁解を拒絶した真紅は、身を翻し、<br /> 白いスカートを風に靡かせながら、走り去ってしまいました。<br /> 彼女の残り香と、踵を返した一瞬にまなじりから振り払われた雫が、ジュンの心を責めます。<br /> その痛みは、言葉にカタチを変えて、金糸雀にぶつけられました。<br /><br /> 「なんてことするんだよ! あいつに誤解されたじゃないか」<br /> 「……いいんじゃないかしら」<br /> 「な、なんだとっ?」<br /><br /> 金糸雀は一向に悪びれた風もなく、腰に両手をあてがい、鼻であしらいました。<br /><br /> 「あの程度で離れていくなら、本気でジュンのこと想ってないって証明かしら。<br />  大体…………あの女の目が気にくわない。<br />  あたかも、ジュンが自分のものであるかのような、高慢な目つきが!」<br /> 「そんなの、お前の思い過ごしじゃないのか? 勝手な思い込みだろ?」<br /> 「あのね、ジュン。女の子って、すごく互いを観察しあってるものかしら。<br />  顔は笑ってても、裏では牽制しあって、誰よりも自分を可愛く見せることに躍起になってるの。<br />  だから……男の子には解らない些細な変化も、鋭敏に嗅ぎつけるかしら」<br /><br /> ドジな自爆霊ながら、金糸雀も女の子。女性の心情は、女性が一番よく解るのでしょう。<br /> やたらと実感がこもっていて、説得力がありました。<br /><br /> 「あーんな媚び媚びの女、どんな卑賤な策を用いてでも、ジュンから遠ざけてやるかしら。<br />  うふふふっ……だって貴方の身体は、カナのものなんだもの。<br />  ジュンに近付く女は、誰だろうと――祟ってやるか~し~らぁ~っ!」<br /><br /> 花弁のような唇から紡ぎ出される、禍々しい呪詛。ジュンの背筋に悪寒が走ります。<br /> どれだけ可愛らしい風貌をしていても、やはり、金糸雀は幽霊なのです。<br /><br /> 「ふざけるなっ。僕は誰のものでもないっ!」<br /><br /> 不意に訪れた恐怖を押し退けるように叫んで、ジュンは玄関を飛び出しました。<br /> 背後から、呼び止める金糸雀の哀しげな声が飛んできましたが、振り返りません。<br /> いまはただ、片時たりとも、あの部屋に居たくはありませんでした。<br /> それに、真紅の誤解も解かなくてはなりません。<br /><br /> 「……くそっ。こんな時に、財布も携帯も置いてくるなんて」<br /><br /> ジュンは舌打ちしました。これでは、真紅や笹塚くんに連絡を取ることも叶いません。<br /> でも、引き返すつもりはなく、逸る気持ちのまま、漠然と走り続けるのでした。<br /><br /><br /> やがて、彼の脚は勢いを失い……気付けば、混雑し始めた小道を彷徨っておりました。<br /> すると――<br /><br /> 「おーでかーけでーすかー?」<br /><br /> 妙に馴れ馴れしい声で、話しかけられたのです。<br /><br /> 振り返ると、左眼を薔薇の眼帯で隠した娘が、竹箒を手に、立っていました。<br /> また、奇妙奇天烈なことを言われるのも面倒です。<br /> 無視して立ち去ろうとしたジュンですが、ふと思いついて、彼女に訊ねました。<br /><br /> 「あのさ……この近くで、金髪の子を見なかった?」<br /> 「……見た。ほら、そこに」<br /><br /> 言って、眼帯娘が指差したのは、ペットショップ。<br /> 店先に、ゴールデンレトリ-バーの子犬が……。<br /><br /> 「犬じゃなくって……ああ、もういい。それとさ、霊能者の知り合いとか居ないか?<br />  除霊が出来る人なら、誰でも構わないんだけど」<br /><br /> すると、眼帯娘はニコッと微笑んで、自分の鼻先を指差しました。<br /><br /> 「君が、霊能者だって?」<br /> 「ここだけの話…………私の左眼……霊界に繋がってる」<br /> 「ほ、ホントにっ?!」<br /> 「……うっそぴょーん」<br /><br /> どうやらこの娘、真面目に取りあう気が無いようです。<br /> これ以上、闇雲に探し回っても時間の無駄でしょう。<br /> お昼も食べていませんし、不本意ながら、ジュンは部屋に戻るべく方向転換したのです。<br /> 落胆のあまり丸められた彼の背中に、眼帯娘が嘲笑いながら、妙な言葉を投げてきました。<br /><br /> 「優しさは……錆びたナイフ。ざくざくと無惨に肉を削ぎ……ココロを形骸に変える。<br />  コワイコワイ……」<br /><br /> 何が言いたいのか、さっぱり解りません。ジュンは振り向きもしませんでした。<br /><br /><br /><br /> ボロアパートに引き返したジュンは、ドアの前で、たっぷり10分は躊躇していたでしょう。<br /> 胸に蟠る畏怖の念が、右腕の筋肉を強張らせて、ノブを握らせません。<br /> けれど、いつまでも突っ立っているのは馬鹿げています。<br /> ここは、正式な手続きを踏んで借りた、ジュンの部屋なのですから。<br /><br /> 何度か深呼吸を繰り返して「よし!」と気合いを入れ直す。<br /> 右の手首に左手を添えて、一気にノブを回し、ドアを開きました。<br /> その途端、ふわりと美味しそうな匂いが、ジュンを出迎えたのです。<br /> おや? と訝った次の瞬間――<br /><br /> 「おっかえりなさいかしらー♪」<br /><br /> 稲妻のごとく飛んできた金糸雀が、ジュンに抱きついて、頬にキスしました。<br /> あまりの勢いに思考停止して、口をパクパクさせる彼の耳から、<br /> 金糸雀の甘い囁きが麻薬のように染み込み、身体をシビレさせてゆきます。<br /><br /> 「もう帰ってきてくれないかと思ったら、怖くて……気が狂いそうだったかしら。<br />  カナは地縛霊だから、誰かに取り憑かなければ、この部屋から離れられないの。<br />  ジュンが来るまで……ずっと、カナは独りぼっち――すごく寂しかったんだから」<br /> 「……お前」<br /> 「ジュンの迷惑にならないように、努力するわ。<br />  お料理も、お洗濯も、何でもするし、お風呂の回数も控えるかしら。<br />  だから…………お願いっ! 貴方の隣に居させて。 <br />  ジュンのコト……どんどん好きになっていくかしら。この気持ち、止められないの」<br /><br /> 今まで、特定の女性と付き合うことのなかったジュンにとって、<br /> こうも一途に想われることは、悪い気がしませんでした。たとえ、それが幽霊でも。<br /> 情にほだされ、ジュンは金糸雀の髪を撫でながら「好きにしろよ」と受け入れていたのです。<br /><br /> その、誰にでも分け与えられる『優しさ』が、真紅のココロを無惨に切り裂いているとも気付かずに。<br /></p>
<p align="left"><br />   『ひょひょいの憑依っ!』Act.3<br /> <br /> <br /> 朝方のゴタゴタから心機一転、ジュンは梱包されていた品々の荷ほどきを始めました。<br /> こういう事は、先延ばしにすると絶対に片づかないもの。<br /> 研修が始まれば、尚のこと、時間は割きづらくなるでしょう。<br /> 独り暮らしの荷物など、それほど多くありませんから、ここは一念発起のしどころです。<br /> <br /> 「いいか、邪魔すんなよ。ドジなお前が手を出すと、余計に散らかしかねないからな」<br /> 『ふーんだ! こっちからお断りかしら』<br /> <br /> 釘を刺すジュンの身体から、金糸雀はするすると抜け出して、アカンベーをしました。<br /> ちょっと幼さを残す仕種は微笑ましいのですが――<br /> <br /> (なんと言っても、天下無敵の自爆霊だもんなぁ)<br /> <br /> 触らぬカナに祟りなし。素晴らしい格言です。<br /> やれやれ……と頭を掻きながら、服や食器などの日用品から開梱し始めます。<br /> 殆どの服は冬物で、夏服は6月のボーナスをもらったら、買い揃える予定でした。<br /> <br /> シャツや下着、靴下をタンスに収納し終えて、次はセーターやパーカーの番です。<br /> 段ボール箱の封をカッターで切り、開いたジュンの目に、妙な物が飛び込んできました。<br /> 高級ブティックのロゴが入った、瀟洒な袋です。<br /> <br /> 「――あれ? こんなの入れたっけか」<br /> <br /> ジュンには、憶えがありませんでした。<br /> そもそも、おしゃれに疎い彼には、高級ブティックなど馴染みの薄い場所。<br /> まるで、オーパーツ(Out 0f Place Artificacts)です。<br /> <br /> もしかしたら、のり姉ちゃんが変に気を利かせて、コッソリ忍ばせたのかも知れません。<br /> 彼女には、そういう過保護すぎるところがありました。<br /> ジュンが実家を離れようと決意したのも、姉の存在を、少なからず疎ましく思っていたからです。<br /> <br /> 「あいつ……勝手に何を入れてきたんだよ」<br /> <br /> 端を折り返し、テープ止めしただけの紙袋を開くと、一着のセーターが……。<br /> 頸を傾げながら、それを引っぱり出して広げた途端、記憶が呼び覚まされました。<br /> そのセーターは見るからに不格好で、明らかに市販品ではありません。<br /> <br /> 「なあに、そのセーター? 左右の袖の長さが、揃ってないかしら。<br />  カタチもいびつだし、ところどころ、ほつれてる……」<br /> <br /> ジュンの身体を離れて、手持ちぶさたにプラプラしていた金糸雀が、<br /> 出来損ないのセーターを目に留めて、顔を寄せました。<br /> そんな彼女に、ジュンは穏やかな表情で答えます。<br /> <br /> 「ちょっとな。ある人との、思い出の品なんだ。<br />  僕なんか、すっかり忘れてたのに……姉ちゃんは憶えてたんだな」<br /> 「どんなエピソードなの? 聞かせて欲しいかしら」<br /> 「別に、大した話じゃないさ」<br /> <br /> 素っ気なく言って、ジュンは不細工なセーターを、ベッドに放り投げました。<br /> それは、話す気がないという無言の返答。ジュンは再び、荷物の整理を始めます。<br /> <br /> 「むぅー。ケチー」<br /> <br /> 金糸雀は面白くなさそうに頬を膨らませて、そっぽを向くのでした。<br /> <br /> <br /> <br /> それから小一時間ほど、作業に集中していたジュンは、ふと――<br /> <br /> 「ん? あいつ、どこ行ったんだ?」<br /> <br /> 金糸雀の姿が見えないことに、気付きました。<br /> 彼女は、この部屋に縛り付けられている地縛霊ですから、遠出なんてできない筈です。<br /> 相手にしてもらえない事を拗ねて、押入の中にでも籠もっているのでしょうか。<br /> <br /> 「静かなのはいいけど、余計なことしてないだろうな」<br /> <br /> そろそろ昼食時です。<br /> <br />   『カナが作ってあげちゃうかしらー』<br /> <br /> ――と、お節介を焼かないとも限りません。<br /> 最悪、ボヤ騒ぎでも起こされようものなら、この部屋を追い出されてしまいます。<br /> そうなっては、ここより高い家賃の物件に、引っ越さざるを得ないでしょう。<br /> 引っ越し代もバカになりません。<br /> やはり、目の届く場所に居てもらった方が、なにかと安心。<br /> パラソルを肩に担いで立っている分には、信楽焼のタヌキさんと似たようなモノです。<br /> <br /> ジュンは意味もなく天井を見上げて、どこかに隠れている金糸雀に呼びかけました。<br /> <br /> <br /> 「なあ、居るのか? おーい」<br /> <br /> ……沈黙。<br /> それはつまり、返事をする気がないか、返事ができない状況にある……と言うこと。<br /> なんとなく、ジュンの胸は不安に駆られるのでした。<br /> <br /> 「まさか…………もう良からぬコトを、しでかしてくれたんじゃあ」<br /> <br /> 台所で火事(家事?)とか、洗濯機で水漏れとか、はたきで窓を割ったとか。<br /> あるいは、トイレ掃除中に溶液を混合して、有毒ガス発生とか……。<br /> <br /> 「冗談じゃないぞ。最後のは、特に!」<br /> <br /> もう、落ち着いて荷物の片付けをしている心境では、ありませんでした。<br /> 即座に立ち上がったジュンは、金糸雀を探し歩きます。<br /> そして、玄関、トイレと見回り、浴室のドアを開けると……<br /> 探していた娘は、シャワーを浴びて、暢気にくつろいでいるじゃあーりませんか。<br /> <br /> (また、このパターンか!)<br /> <br /> ジュンは、失笑を禁じ得ませんでした。<br /> これではまるで、どこでもドアで幼なじみの少女の入浴シーンに突撃する、ドジな少年です。<br /> ドアが開けられた直後、ハッ! と顔を向けた金糸雀は、頬を引きつらせて――<br /> <br /> 「き、きゃ――――っ!? ジュンのエッチ――っ!」<br /> <br /> 絹を裂くような悲鳴をあげて、お湯ならぬ火の玉を、ジュンに浴びせたのでした。<br /> <br /> <br /> <br /> 火傷と打撲でヒリヒリと痛む頬をさすりさすり、ぶすっとした顔のジュン。<br /> 彼の視線の先には、幽霊なのに脚がある金糸雀が、正座をして悄気ています。<br /> <br /> 「お前なあ……幽霊のクセに、なんで風呂なんか入るんだよ!」<br /> 「……だってぇ」<br /> 「だってじゃないだろ。お前が使ったガス代と水道代は、僕が払うんだぞ」<br /> 「でもでもっ! カナだって女の子かしら。<br />  そのぉ…………男の人の前では、いつでもキレイで居たい……かしら」<br /> <br /> それが、乙女ゴコロというものでしょうか。<br /> 彼女居ない歴22年のヘタレな青年には、よく解りません。<br /> いえ、どれだけ恋愛経験が豊富でも、異性の気持ちの機微は掴みきれないものでしょう。<br /> 所詮、他人同士なのですから。<br /> <br /> 雨に濡れた捨て猫みたいな目で見上げてくる金糸雀を前にして、<br /> ただでさえ女性経験の乏しいジュンは、言葉に詰まりました。<br /> それを目敏く見て取った金糸雀は、ここぞとばかりに畳みかけます。<br /> <br /> 「それにね、幽霊って、水辺を好むモノなのかしら。<br />  定期的にマイナスイオン効果で元気ビンビンにならないと、消えちゃうかしら」<br /> 「別に、消えてくれても構わないんだけど」<br /> 「ひ、酷いっ! カナなんか要らないっていうかしらっ」<br /> <br /> 金糸雀は両手で顔を覆い、さめざめと泣き始めてしまいました。<br /> なんとなく芝居がかっていますが、女の子に涙を見せられては、対応に困るというもの。<br /> <br /> (とりあえず、泣き続けられても鬱陶しいからな。宥めておくか)<br /> <br /> 来客を告げるブザーが鳴ったのは、ジュンが優しい声をかける矢先のことでした。<br /> 記憶を辿ったものの、来客の約束などしていません。書留か、宅配便でしょうか。<br /> 玄関のドアを開けると、そこには気まずそうな顔の真紅が佇んでいました。<br /> 今日は、いつものように髪を結って、白を基調とした洋服に華奢な体躯を包んでいます。<br /> <br /> 彼女が背に回した手には、食材とおぼしい買い物袋が……。<br /> ジュンが用件を訊ねるより早く、真紅は目を逸らしながら、言葉を並べます。<br /> <br /> 「昨夜は……その……ごめんなさい。送ってくれて、ありがとう。<br />  正体をなくすまで酔っぱらうなんて、みっともない姿を見られてしまったわね」<br /> 「気にすることないさ。寧ろ、真紅の意外な一面を見られて、嬉しかったよ」<br /> 「……ジュン」<br /> <br /> 真紅はジュンの顔を見ないまま、はにかんで、買い物袋を前に突き出しました。<br /> <br /> 「お礼……というコトでもないけれど、貴方のために、お昼を作りに来たの」<br /> <br /> いつもの勝ち気な性格は鳴りを潜めているらしく、頬を染めて、照れ照れの彼女。<br /> ジュンは『真紅さま好きじゃぁー』と、抱きつきたい衝動を堪えるので必死です。<br /> <br /> 「いま、お邪魔してもいい?」<br /> <br /> 無論、ジュンに断る理由などありません。<br /> 真紅の手料理を食べられるなんて、夢のようでした。<br /> ――が、頷いて招き入れようとした、まさにその時っ!<br /> <br /> 「ねぇ~ん、ジュン~♪ なにしてるかしらぁ~」<br /> <br /> 台所の方から、やけに艶めかしい金糸雀の声が飛んできたではあーりませんか。<br /> ジュンは当然のことながら、真紅もまた、驚愕に目を見開いております。<br /> そこへ、トドメとばかりに半裸エプロン姿の金糸雀が現れたから、さあ大変。<br /> <br /> 「早くしないと、カナのお料理が冷めちゃう~。あらぁ、お客さんかしらぁ?」<br /> <br /> 金糸雀は、見せつけるようにジュンの背中に擦り寄り、勝ち誇った眼差しを真紅に投げつけました。<br /> 対する真紅はと言うと――俯いて、ワナワナと身体を震わせるだけです。<br /> <br /> 「……そうよね。貴方にだって、恋人の一人や二人、居て当然よね」<br /> 「お、おい、真紅っ! 誤解するなよ」<br /> 「誤魔化さなくていいのよ。いきなり押し掛けた、私が悪いんですもの。<br />  …………私……バカみたい」<br /> 「違うんだ! こいつは――」<br /> 「これ、よかったら食べてちょうだい。さよならっ!」<br /> 「真紅っ!」<br /> <br /> 買い物袋を押しつけることでジュンの弁解を拒絶した真紅は、身を翻し、<br /> 白いスカートを風に靡かせながら、走り去ってしまいました。<br /> 彼女の残り香と、踵を返した一瞬にまなじりから振り払われた雫が、ジュンの心を責めます。<br /> その痛みは、言葉にカタチを変えて、金糸雀にぶつけられました。<br /> <br /> 「なんてことするんだよ! あいつに誤解されたじゃないか」<br /> 「……いいんじゃないかしら」<br /> 「な、なんだとっ?」<br /> <br /> 金糸雀は一向に悪びれた風もなく、腰に両手をあてがい、鼻であしらいました。<br /> <br /> 「あの程度で離れていくなら、本気でジュンのこと想ってないって証明かしら。<br />  大体…………あの女の目が気にくわない。<br />  あたかも、ジュンが自分のものであるかのような、高慢な目つきが!」<br /> 「そんなの、お前の思い過ごしじゃないのか? 勝手な思い込みだろ?」<br /> 「あのね、ジュン。女の子って、すごく互いを観察しあってるものかしら。<br />  顔は笑ってても、裏では牽制しあって、誰よりも自分を可愛く見せることに躍起になってるの。<br />  だから……男の子には解らない些細な変化も、鋭敏に嗅ぎつけるかしら」<br /> <br /> ドジな自爆霊ながら、金糸雀も女の子。女性の心情は、女性が一番よく解るのでしょう。<br /> やたらと実感がこもっていて、説得力がありました。<br /> <br /> 「あーんな媚び媚びの女、どんな卑賤な策を用いてでも、ジュンから遠ざけてやるかしら。<br />  うふふふっ……だって貴方の身体は、カナのものなんだもの。<br />  ジュンに近付く女は、誰だろうと――祟ってやるか~し~らぁ~っ!」<br /> <br /> 花弁のような唇から紡ぎ出される、禍々しい呪詛。ジュンの背筋に悪寒が走ります。<br /> どれだけ可愛らしい風貌をしていても、やはり、金糸雀は幽霊なのです。<br /> <br /> 「ふざけるなっ。僕は誰のものでもないっ!」<br /> <br /> 不意に訪れた恐怖を押し退けるように叫んで、ジュンは玄関を飛び出しました。<br /> 背後から、呼び止める金糸雀の哀しげな声が飛んできましたが、振り返りません。<br /> いまはただ、片時たりとも、あの部屋に居たくはありませんでした。<br /> それに、真紅の誤解も解かなくてはなりません。<br /> <br /> 「……くそっ。こんな時に、財布も携帯も置いてくるなんて」<br /> <br /> ジュンは舌打ちしました。これでは、真紅や笹塚くんに連絡を取ることも叶いません。<br /> でも、引き返すつもりはなく、逸る気持ちのまま、漠然と走り続けるのでした。<br /> <br /> <br /> やがて、彼の脚は勢いを失い……気付けば、混雑し始めた小道を彷徨っておりました。<br /> すると――<br /> <br /> 「おーでかーけでーすかー?」<br /> <br /> 妙に馴れ馴れしい声で、話しかけられたのです。<br /> <br /> 振り返ると、左眼を薔薇の眼帯で隠した娘が、竹箒を手に、立っていました。<br /> また、奇妙奇天烈なことを言われるのも面倒です。<br /> 無視して立ち去ろうとしたジュンですが、ふと思いついて、彼女に訊ねました。<br /> <br /> 「あのさ……この近くで、金髪の子を見なかった?」<br /> 「……見た。ほら、そこに」<br /> <br /> 言って、眼帯娘が指差したのは、ペットショップ。<br /> 店先に、ゴールデンレトリ-バーの子犬が……。<br /> <br /> 「犬じゃなくって……ああ、もういい。それとさ、霊能者の知り合いとか居ないか?<br />  除霊が出来る人なら、誰でも構わないんだけど」<br /> <br /> すると、眼帯娘はニコッと微笑んで、自分の鼻先を指差しました。<br /> <br /> 「君が、霊能者だって?」<br /> 「ここだけの話…………私の左眼……霊界に繋がってる」<br /> 「ほ、ホントにっ?!」<br /> 「……うっそぴょーん」<br /> <br /> どうやらこの娘、真面目に取りあう気が無いようです。<br /> これ以上、闇雲に探し回っても時間の無駄でしょう。<br /> お昼も食べていませんし、不本意ながら、ジュンは部屋に戻るべく方向転換したのです。<br /> 落胆のあまり丸められた彼の背中に、眼帯娘が嘲笑いながら、妙な言葉を投げてきました。<br /> <br /> 「優しさは……錆びたナイフ。ざくざくと無惨に肉を削ぎ……ココロを形骸に変える。<br />  コワイコワイ……」<br /> <br /> 何が言いたいのか、さっぱり解りません。ジュンは振り向きもしませんでした。<br /> <br /> <br /> <br /> ボロアパートに引き返したジュンは、ドアの前で、たっぷり10分は躊躇していたでしょう。<br /> 胸に蟠る畏怖の念が、右腕の筋肉を強張らせて、ノブを握らせません。<br /> けれど、いつまでも突っ立っているのは馬鹿げています。<br /> ここは、正式な手続きを踏んで借りた、ジュンの部屋なのですから。<br /> <br /> 何度か深呼吸を繰り返して「よし!」と気合いを入れ直す。<br /> 右の手首に左手を添えて、一気にノブを回し、ドアを開きました。<br /> その途端、ふわりと美味しそうな匂いが、ジュンを出迎えたのです。<br /> おや? と訝った次の瞬間――<br /> <br /> 「おっかえりなさいかしらー♪」<br /> <br /> 稲妻のごとく飛んできた金糸雀が、ジュンに抱きついて、頬にキスしました。<br /> あまりの勢いに思考停止して、口をパクパクさせる彼の耳から、<br /> 金糸雀の甘い囁きが麻薬のように染み込み、身体をシビレさせてゆきます。<br /> <br /> 「もう帰ってきてくれないかと思ったら、怖くて……気が狂いそうだったかしら。<br />  カナは地縛霊だから、誰かに取り憑かなければ、この部屋から離れられないの。<br />  ジュンが来るまで……ずっと、カナは独りぼっち――すごく寂しかったんだから」<br /> 「……お前」<br /> 「ジュンの迷惑にならないように、努力するわ。<br />  お料理も、お洗濯も、何でもするし、お風呂の回数も控えるかしら。<br />  だから…………お願いっ! 貴方の隣に居させて。 <br />  ジュンのコト……どんどん好きになっていくかしら。この気持ち、止められないの」<br /> <br /> 今まで、特定の女性と付き合うことのなかったジュンにとって、<br /> こうも一途に想われることは、悪い気がしませんでした。たとえ、それが幽霊でも。<br /> 情にほだされ、ジュンは金糸雀の髪を撫でながら「好きにしろよ」と受け入れていたのです。<br /> <br /> その、誰にでも分け与えられる『優しさ』が、真紅のココロを無惨に切り裂いているとも気付かずに。</p>

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