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『ひょひょいの憑依っ!』Act.2」(2007/01/29 (月) 01:44:51) の最新版変更点

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<p><br>   『ひょひょいの憑依っ!』Act.2<br> <br> <br> ――チュンチュン……チュン<br> <br> カーテンを取り付けていない窓辺から、朝の光が射し込んできます。<br> 遠くに、早起きなスズメたちの囀りを聞きながら、ジュンは布団の中で身を捩りました。<br> 春は間近と言っても、朝晩はまだまだ冷え込むのです。<br> <br> 「……うぁ~」<br> <br> もうすぐ会社の新人研修が始まるので、規則正しい生活を習慣づけないと――<br> そうは思うのですが、4年間の学生生活で、すっかりグータラが染みついてるようです。<br> 結局、ぬくぬくと二度寝モードに入ってしまいました。<br> <br> <br> すると、その時です。<br> <br> 「一羽でチュン!」<br> <br> ジュンの耳元で、聞き慣れない声が囁きました。若い女の声です。<br> 寝惚けた頭が、少しだけ目覚めます。<br> <br> 「二羽でチュチュン!!」<br> <br> 小学校に通学する子供たちの騒ぎ声が、近く聞こえるのかも知れません。<br> うるさいなぁ。人の迷惑も考えろよ。胸の内で、大人げなく悪態を吐きました。<br> 不快な気分を覆い隠すように、布団に潜り込もうと身体を屈めた、その途端――<br> <br> 氷塊を彷彿させるヒヤリとしたモノが、ジュンの首筋を掴みました。<br> <br> <br> 「三羽そろえば……牙をむくかしら~♪」<br> <br> 堪らず、ジュンは飛び起きました。「だぁーっ! 誰だよ、うるさいなっ!」<br> 叫びつつ、枕元のメガネを引っ掴み、鼻先に載せます。<br> すると、そこには可愛らしく小首を傾げて微笑む、緑髪の女の子が……。<br> <br> 「はぁ~い。やっとお目覚めかしら、お寝坊さん?」<br> 「…………ドチラサマデシタッケ」<br> 「や、やぁねぇ、寝ぼけちゃってぇ。カナよ、金・糸・雀っ!」<br> 「デリヘルなんて頼んでないよ」<br> <br> 突如、トボケたジュンの横っ面を、青白い火の玉がメギャアッ! と強打しました。<br> ひしゃげる顔面。しかも熱い。メガネばかりか、命すら一発で吹き飛びそうな勢いです。<br> ハッキリと目を覚ましたジュンの脳裏に、昨夜の記憶が蘇ってきました。<br> 欠伸のついでに吐く、憂鬱な溜息。外が明るいと、幽霊も怖くないから不思議です。<br> <br> 「……朝っぱらから、ドジな自爆霊の登場かよ。あーあ、人生、損した気分だ」<br> 「むっか~、失礼ねっ。自爆じゃなくて、地縛かしら」<br> 「お前の場合、どっちでも同じだろ」<br> <br> すげなく言って、ジュンは反論しかけた金糸雀を睨め上げ、訊ねました。<br> <br> 「大体だなぁ、取り憑くとか言って、今は分離してるじゃんか」<br> 「え……そ、それは……寝てる時くらい、安眠させてあげようかなって」<br> 「ふぅん?」<br> <br> 身体を奪うとか言っていた割に、変な気遣いをする幽霊娘です。<br> 最も無防備な、眠っている間に身体を奪ってしまえば良かったのに。<br> 律儀というか……おマヌケと言うか……。<br> あるいは、金糸雀が白状していた様に、それだけのチカラがないのでしょうか。<br> <br> 「ま、いいか。もう寝る気にもならないや」<br> 「それじゃっ、カナもお邪魔しますかしら~♪」<br> <br> ベッドから起き出すや、金糸雀が身体に侵入してきます。<br> 全身がムズ痒くなる感触。思わず、くねくねと身悶え。<br> これで二度目ですが、憑依される感じは気持ち悪くて、どうにも慣れません。<br> やれやれ……と頭を振りながら、ジュンはトイレに向かいました。<br> <br> 昨夜は着の身着のままで寝てしまったので、ジーンズを穿いたままです。<br> それ意外は、至って普段どおり。一番搾りのお時間です。<br> 身体に馴染んだ仕種をなぞって、ファスナーを降ろし、アルコール臭のする小用を足します。<br> ――その時でした。<br> <br> 『あ……きゃ――――っ!?!?』<br> <br> 頭の中で、けたたましい悲鳴が轟いたではあーりませんか!<br> ココロの準備など勿論していなかったジュンは、目が回って、立ち眩み状態です。<br> <br> 「なっ、なんなんだよ、いきなり! 脇に逸れちゃったら、掃除するのは僕なんだぞ」<br> 『だって……だってぇ』<br> 「ワケ解らん。まったく、はた迷惑な――」<br> <br> 言って、ジュンが洋式の便器に視線を降ろすと、金糸雀の嘆願が続きます。<br> <br> 『ダメダメっ! 下を見ちゃダメかしらーっ!』<br> <br> 何を必死になって、下を見るなと言うのでしょうか?<br> 訊き返すより先に、金糸雀が答えました。<br> <br> 『み…………見えちゃうかしら…………シメジが……』<br> <br> <br>   ガ――――――――ン!!<br> <br> <br> ジュンは未だ嘗て、これほど強烈にココロを穿たれた憶えが、ありませんでした。<br> 言うに事欠いて、シメジです。<br> マツタケでもエリンギでもなく、シメジです。<br> <br> 「……そこまで小さくないやい」<br> <br> 22歳の純真なココロは、再起不能の一歩手前。不覚にも、涙が溢れてきます。<br> 用を足したジュンは、手を洗うついでに、顔も洗ってしまいました。<br> 気持ちが引き締まって、ほんの少しですが、気分転換できたようです。<br> <br> 目が覚めると、今度はお腹が空いてくるというもの。<br> ジュンはマグカップにシリアルを流し込んで、牛乳を注ぎました。<br> それを、スプーンで口に運んでいると、また金糸雀が話しかけてきます。<br> <br> 『それが、ジュンの朝食?』<br> 「ああ。大概、これで済ませてる」<br> 『ふぅん……カナは、たまご焼きが食べたいかしら』<br> 「お前、幽霊なんだから必要ないだろ」<br> <br> 冷たく突き放すと、金糸雀は黙ってしまいました。<br> これで漸く、落ち着いて食事ができます。<br> <br> ところが、人情とは不思議なモノで――<br> 喧しくて煩わしいと思っていたのに、急に黙られると、なんだか落ち着きません。<br> もしかして、心ない一言で、傷付けてしまったのでしょうか。<br> ちょっとだけ、ジュンの中に罪悪感が芽生えました。<br> <br> 「……な、なあ」<br> 『……かしら?』<br> 「あのさ……お前さ、して欲しい事って……あるか?」<br> 『えぇっ? いきなり、どういう風の吹き回しかしら』<br> 「べっ、別に、お前の為じゃないからな。<br>  未練がなくなれば、お前が成仏してくれると思ってだなぁ」<br> <br> 咄嗟の思いつきを口にして、ジュンは今更ながら気付きました。<br> 身体を乗っ取られる前に、成仏させてしまえばいいのです。<br> そうすれば、いつまでも取り憑かれなくて済みます。我ながらナイスアイディア!<br> ほくそ笑むジュンの本心に気付かず、金糸雀は嬉しそうに言いました。<br> <br> 『ありがとー♪ ジュンって優しいのね。カナ、感激してるかしら~』<br> 「喜ばなくていいから、早く望みを言えよ」<br> 『あ……うん。えっと……あのね』<br> 「断っとくけど、僕に出来る範囲内でな」<br> 『ん~…………それなら、カナの為にお経を唱えて欲しいかしら。<br>  お線香を立てて、甘~いたまご焼きをお供えして、ナスの牛とキュウリの馬を――』<br> 「お前なあっ! 欲張りすぎだろ、それ」<br> <br> いちいち叶えてやっていたら、キリがなくなってしまいます。<br> 線香も、たまごも、ナスもキュウリも、買ってこなければ有りません。<br> 差し当たって、今ここで出来そうな事は、お経を唱えることくらいでしょう。<br> <br> とは申せ、ジュンはお経なんて知りません。<br> せいぜい、学校の授業で習った『南無阿弥陀仏』とか『南無妙法蓮華経』くらいです。<br> 仕方がないので、うろ憶えの般若心経を唱えることにしました。<br> <br> 「じゃあ、いくぞ」<br> <br> 咳払いを、ひとつ。両手の皺と皺を合わせて、しあわせ。<br> 深呼吸して、ジュンの薄い唇が、お経を紡ぎだします。<br> <br> 「あの食ったら ヒマラヤ山脈 散歩ダイダイ こっちハニャーンはーらーみっちゃん」<br> 『ちょっ……なにその電波ソングっ!』<br> 「読経だってば。合掌してるけど、合唱じゃないぞ」<br> 『……もういいかしら』<br> <br> 金糸雀は、とても落胆したらしく、寂しそうに呟きました。<br> ここで冷酷に徹しきれればいいのですが、ジュンは自他共に認めるヘタレです。<br> 神も認めた伝説のヒキコモリ経験者なのです。<br> なんだか金糸雀のことが、不憫に思えてしまいました。<br> <br> 「さてと……朝飯も食べ終わったし、支度して出かけるかな」<br> <br> 雰囲気を変えようと、ジュンが陽気な声を出しますが、金糸雀は無言のまま。<br> 身支度の間も、部屋を出てからも、彼女はずっと黙っていました。<br> <br> <br> <br> ジュンの脚は、駅前へと向かいます。目的地は、コンビニ。<br> 昨日、食材を買いに来たとき、線香が売っているのを目にしていたのです。<br> それに、たまごや野菜も、手に入るかも知れません。<br> <br> 春先の、和やかな陽気に包まれて、駅に向かう道すがら――<br> ジュンは、人通りの少ない小道で、一人の女の子を見かけました。<br> 忘れもしない、眼帯の娘。居酒屋『きらき屋』の店員です。<br> 彼女は両手をぶらぶらさせつつ、ジュンと反対の方向から近付いてきます。<br> <br> 所詮、客と店員の関係。顔見知りと呼べるほど、親しくもありません。<br> ただ擦れ違って、おしまい。ジュンは、そう思っていたのですが……。<br> なんと、彼女はジュンの進路に割り込み、立ち塞がるじゃあーりませんか。<br> 怪訝な表情を浮かべたジュンの顔を、眼帯の女の子は、じぃ……っと無遠慮に見つめます。<br> <br> 流石に気恥ずかしくなり、顔を背けると、<br> 彼女はジュンの頬をプニプニつついて、こう言いました。<br> <br> 「……スケコマシ~」<br> 「え? 誰がだよ?」<br> <br> 藪から棒に、この娘は何を言いだすのでしょう。<br> 自慢じゃありませんが、ジュンはスケコマシどころか、彼女居ない歴22年。<br> とんでもない言いがかりです。猛然と反撥しました。<br> <br> 「僕は、そんなんじゃない!」<br> 「……そう? でも、見えるんだけどなぁ」<br> 「見える、だって?」<br> <br> もしや、この娘。霊能力が強くて、幽霊の金糸雀が見えるのでしょうか。<br> この、名も知らぬ眼帯娘は、おうむ返しに呟いたジュンの背後を指差しました。<br> <br> 「貴方の後ろに…………水子の魂……百まで」<br> <br> そう言うや、自分の冗談でウケたらしく、口元を押さえて笑いを堪える眼帯娘。<br> 相も変わらず、掴みどころのない、奇妙な娘です。<br> なんじゃそりゃ、と突っ込み入れる気分も失せるというものでしょう。<br> ジュンは娘を無視して、脇を通り抜けようとしました。<br> その時、眼帯娘が気になることを囁いたのです。<br> <br> 「あまり……深入りしない方が……いいよ?」<br> <br> ワケが分かりません。<br> からかわれているだけと判断したジュンは、構わずコンビニに向かいました。<br> <br> <br> <br> やっと辿り着いたコンビニで、入り用のブツを探します。<br> けれど、切望する物に限って手に入りづらいのが、世の常。<br> 困ったジュンは、金糸雀に相談しましたが、鬱ぎ込んでいるのか返事はありません。<br> 仕方なく、代用品を買い揃えたのでした。<br> <br> 早速、ボロアパートに引き返し、ちゃぶ台の上に並べたのは……<br> 温泉たまごに、ナスとキュウリの浅漬け、蚊取り線香です。<br> ジュンは浅漬けに爪楊枝の四肢を付けて、温泉たまごの両脇に並べました。<br> そこに添えるのは、ガスコンロで火を着けた蚊取り線香。<br> <br> 「ふぃ~、こんなもんか。なあ、どうだ?」<br> 『……』<br> 「相変わらず、だんまりかよ。折角、お前のために揃えたのにさ」<br> <br> 肩を竦め、不満たらたらで呟くジュンの頭に、くっ……くっ……と、<br> ハトが鳴いてるのかと錯覚するほどの押し殺した声が、響き始めました。<br> <br> <br> 「お前……もしかして、泣いてる……のか?」<br> <br> 代替品とは言え、あまりに酷すぎたかも知れません。<br> ここで『嫌なら出てけよ』と追い打ちをかけられないところが、<br> ジュンの長所であり、短所でもあったのです。<br> <br> ところが、案に反して、金糸雀は笑い出しました。<br> それも、堰を切ったように。とてもとても、愉しそうに。<br> 怒りゲージが振り切れて、笑いの境地に達したのでしょうか。<br> ジュンは、おそるおそる訊ねます。<br> <br> 「なんで笑うんだよ」<br> 『だぁってぇ……あっはははは……<br>  こんなメチャクチャなのって無いかしらー。ひー苦しいっ』<br> 「だからって、笑いすぎだろ。失礼なヤツだなぁ」<br> <br> 憮然と吐き捨てるジュンに、金糸雀が慌ててフォローを入れます。<br> <br> 『あぅ。笑ったりして、ごめんなさいかしら。<br>  貴方が一生懸命、カナのために揃えてくれたのに……』<br> <br> そう素直に謝られると、腹立たしさも行き場を失ってしまいます。<br> 元々、大して怒ってもいなかったので、ジュンは鼻先で笑い飛ばしました。<br> <br> 「いいさ、別に。僕としても、こりゃ少し酷いと思うし」<br> 『優しいのね、ジュン。カナ、もう思い残すことないくらい幸せかしら』<br> 「ホントか! それじゃあ、成仏するんだな」<br> 『ふえ? なんでカナが?』<br> <br> 金糸雀の心外そうな声に、ジュンの方が耳を疑ってしまいました。<br> <br> 「だってお前……未練が無くなれば昇天するんじゃないのか?」<br> 『そんなコト言った憶えないかしら。なのに、こんなにも優しくしてもらえて――<br>  カナは……カナは…………もっとこの世に未練が残っちゃったかしらーっ♪』<br> 「な、なんだってー?!」<br> <br> あまり深入りするな――眼帯娘の言葉が、ありありと思い出されます。<br> アレは、もしや……こういう事だったのでしょうか。<br> <br> 「冗談じゃないっ! これ以上、憑きまとわれて堪るかっ。<br>  こうなったら、また封じ込めてやる。シメジ呼ばわりは、もうたくさんだっ!」<br> <br> 昨日、剥がしたおフダは、まだゴミ箱の中で丸まっているハズです。<br> ジュンはゴミ箱に縋り付いて、ガサゴソと中身を漁りました。<br> ですが……様子が変です。<br> <br> 「あれ? 無いぞ。それに、なんか焦げてる……どうなってるんだよ、おい!」<br> 『くっくっくぅ~。あんな物、とっくにピチカートに始末させたかしら』<br> 「なっ、なに? ピチカートって、なんだ?」<br> 『この子かしらっ』<br> <br> ジュンの目の前に、青白い火の玉が、ふよふよと頼りなげに飛んできました。<br> そう。あのおフダは、ピチカートと名付けられた火の玉に、焼却処分されていたのです。<br> よくもまあ、火事にならなかったものです。ジュンの寿命が、1時間ほど縮みました。<br> <br> 『うふふ……カナ、ジュンのこと気に入っちゃった。これからも、ずぅっと一緒かしらぁん♪』<br> <br> 正に“藪をつついて蛇を出す”状態。<br> まだまだ憑きまとわれるみたいです。<br> <br></p>
<p><br />   『ひょひょいの憑依っ!』Act.2<br /> <br /> <br /> ――チュンチュン……チュン<br /> <br /> カーテンを取り付けていない窓辺から、朝の光が射し込んできます。<br /> 遠くに、早起きなスズメたちの囀りを聞きながら、ジュンは布団の中で身を捩りました。<br /> 春は間近と言っても、朝晩はまだまだ冷え込むのです。<br /> <br /> 「……うぁ~」<br /> <br /> もうすぐ会社の新人研修が始まるので、規則正しい生活を習慣づけないと――<br /> そうは思うのですが、4年間の学生生活で、すっかりグータラが染みついてるようです。<br /> 結局、ぬくぬくと二度寝モードに入ってしまいました。<br /> <br /> <br /> すると、その時です。<br /> <br /> 「一羽でチュン!」<br /> <br /> ジュンの耳元で、聞き慣れない声が囁きました。若い女の声です。<br /> 寝惚けた頭が、少しだけ目覚めます。<br /> <br /> 「二羽でチュチュン!!」<br /> <br /> 小学校に通学する子供たちの騒ぎ声が、近く聞こえるのかも知れません。<br /> うるさいなぁ。人の迷惑も考えろよ。胸の内で、大人げなく悪態を吐きました。<br /> 不快な気分を覆い隠すように、布団に潜り込もうと身体を屈めた、その途端――<br /> <br /> 氷塊を彷彿させるヒヤリとしたモノが、ジュンの首筋を掴みました。<br /> <br /> <br /> 「三羽そろえば……牙をむくかしら~♪」<br /> <br /> 堪らず、ジュンは飛び起きました。「だぁーっ! 誰だよ、うるさいなっ!」<br /> 叫びつつ、枕元のメガネを引っ掴み、鼻先に載せます。<br /> すると、そこには可愛らしく小首を傾げて微笑む、緑髪の女の子が……。<br /> <br /> 「はぁ~い。やっとお目覚めかしら、お寝坊さん?」<br /> 「…………ドチラサマデシタッケ」<br /> 「や、やぁねぇ、寝ぼけちゃってぇ。カナよ、金・糸・雀っ!」<br /> 「デリヘルなんて頼んでないよ」<br /> <br /> 突如、トボケたジュンの横っ面を、青白い火の玉がメギャアッ! と強打しました。<br /> ひしゃげる顔面。しかも熱い。メガネばかりか、命すら一発で吹き飛びそうな勢いです。<br /> ハッキリと目を覚ましたジュンの脳裏に、昨夜の記憶が蘇ってきました。<br /> 欠伸のついでに吐く、憂鬱な溜息。外が明るいと、幽霊も怖くないから不思議です。<br /> <br /> 「……朝っぱらから、ドジな自爆霊の登場かよ。あーあ、人生、損した気分だ」<br /> 「むっか~、失礼ねっ。自爆じゃなくて、地縛かしら」<br /> 「お前の場合、どっちでも同じだろ」<br /> <br /> すげなく言って、ジュンは反論しかけた金糸雀を睨め上げ、訊ねました。<br /> <br /> 「大体だなぁ、取り憑くとか言って、今は分離してるじゃんか」<br /> 「え……そ、それは……寝てる時くらい、安眠させてあげようかなって」<br /> 「ふぅん?」<br /> <br /> 身体を奪うとか言っていた割に、変な気遣いをする幽霊娘です。<br /> 最も無防備な、眠っている間に身体を奪ってしまえば良かったのに。<br /> 律儀というか……おマヌケと言うか……。<br /> あるいは、金糸雀が白状していた様に、それだけのチカラがないのでしょうか。<br /> <br /> 「ま、いいか。もう寝る気にもならないや」<br /> 「それじゃっ、カナもお邪魔しますかしら~♪」<br /> <br /> ベッドから起き出すや、金糸雀が身体に侵入してきます。<br /> 全身がムズ痒くなる感触。思わず、くねくねと身悶え。<br /> これで二度目ですが、憑依される感じは気持ち悪くて、どうにも慣れません。<br /> やれやれ……と頭を振りながら、ジュンはトイレに向かいました。<br /> <br /> 昨夜は着の身着のままで寝てしまったので、ジーンズを穿いたままです。<br /> それ意外は、至って普段どおり。一番搾りのお時間です。<br /> 身体に馴染んだ仕種をなぞって、ファスナーを降ろし、アルコール臭のする小用を足します。<br /> ――その時でした。<br /> <br /> 『あ……きゃ――――っ!?!?』<br /> <br /> 頭の中で、けたたましい悲鳴が轟いたではあーりませんか!<br /> ココロの準備など勿論していなかったジュンは、目が回って、立ち眩み状態です。<br /> <br /> 「なっ、なんなんだよ、いきなり! 脇に逸れちゃったら、掃除するのは僕なんだぞ」<br /> 『だって……だってぇ』<br /> 「ワケ解らん。まったく、はた迷惑な――」<br /> <br /> 言って、ジュンが洋式の便器に視線を降ろすと、金糸雀の嘆願が続きます。<br /> <br /> 『ダメダメっ! 下を見ちゃダメかしらーっ!』<br /> <br /> 何を必死になって、下を見るなと言うのでしょうか?<br /> 訊き返すより先に、金糸雀が答えました。<br /> <br /> 『み…………見えちゃうかしら…………シメジが……』<br /> <br /> <br />   ガ――――――――ン!!<br /> <br /> <br /> ジュンは未だ嘗て、これほど強烈にココロを穿たれた憶えが、ありませんでした。<br /> 言うに事欠いて、シメジです。<br /> マツタケでもエリンギでもなく、シメジです。<br /> <br /> 「……そこまで小さくないやい」<br /> <br /> 22歳の純真なココロは、再起不能の一歩手前。不覚にも、涙が溢れてきます。<br /> 用を足したジュンは、手を洗うついでに、顔も洗ってしまいました。<br /> 気持ちが引き締まって、ほんの少しですが、気分転換できたようです。<br /> <br /> 目が覚めると、今度はお腹が空いてくるというもの。<br /> ジュンはマグカップにシリアルを流し込んで、牛乳を注ぎました。<br /> それを、スプーンで口に運んでいると、また金糸雀が話しかけてきます。<br /> <br /> 『それが、ジュンの朝食?』<br /> 「ああ。大概、これで済ませてる」<br /> 『ふぅん……カナは、たまご焼きが食べたいかしら』<br /> 「お前、幽霊なんだから必要ないだろ」<br /> <br /> 冷たく突き放すと、金糸雀は黙ってしまいました。<br /> これで漸く、落ち着いて食事ができます。<br /> <br /> ところが、人情とは不思議なモノで――<br /> 喧しくて煩わしいと思っていたのに、急に黙られると、なんだか落ち着きません。<br /> もしかして、心ない一言で、傷付けてしまったのでしょうか。<br /> ちょっとだけ、ジュンの中に罪悪感が芽生えました。<br /> <br /> 「……な、なあ」<br /> 『……かしら?』<br /> 「あのさ……お前さ、して欲しい事って……あるか?」<br /> 『えぇっ? いきなり、どういう風の吹き回しかしら』<br /> 「べっ、別に、お前の為じゃないからな。<br />  未練がなくなれば、お前が成仏してくれると思ってだなぁ」<br /> <br /> 咄嗟の思いつきを口にして、ジュンは今更ながら気付きました。<br /> 身体を乗っ取られる前に、成仏させてしまえばいいのです。<br /> そうすれば、いつまでも取り憑かれなくて済みます。我ながらナイスアイディア!<br /> ほくそ笑むジュンの本心に気付かず、金糸雀は嬉しそうに言いました。<br /> <br /> 『ありがとー♪ ジュンって優しいのね。カナ、感激してるかしら~』<br /> 「喜ばなくていいから、早く望みを言えよ」<br /> 『あ……うん。えっと……あのね』<br /> 「断っとくけど、僕に出来る範囲内でな」<br /> 『ん~…………それなら、カナの為にお経を唱えて欲しいかしら。<br />  お線香を立てて、甘~いたまご焼きをお供えして、ナスの牛とキュウリの馬を――』<br /> 「お前なあっ! 欲張りすぎだろ、それ」<br /> <br /> いちいち叶えてやっていたら、キリがなくなってしまいます。<br /> 線香も、たまごも、ナスもキュウリも、買ってこなければ有りません。<br /> 差し当たって、今ここで出来そうな事は、お経を唱えることくらいでしょう。<br /> <br /> とは申せ、ジュンはお経なんて知りません。<br /> せいぜい、学校の授業で習った『南無阿弥陀仏』とか『南無妙法蓮華経』くらいです。<br /> 仕方がないので、うろ憶えの般若心経を唱えることにしました。<br /> <br /> 「じゃあ、いくぞ」<br /> <br /> 咳払いを、ひとつ。両手の皺と皺を合わせて、しあわせ。<br /> 深呼吸して、ジュンの薄い唇が、お経を紡ぎだします。<br /> <br /> 「あの食ったら ヒマラヤ山脈 散歩ダイダイ こっちハニャーンはーらーみっちゃん」<br /> 『ちょっ……なにその電波ソングっ!』<br /> 「読経だってば。合掌してるけど、合唱じゃないぞ」<br /> 『……もういいかしら』<br /> <br /> 金糸雀は、とても落胆したらしく、寂しそうに呟きました。<br /> ここで冷酷に徹しきれればいいのですが、ジュンは自他共に認めるヘタレです。<br /> 神も認めた伝説のヒキコモリ経験者なのです。<br /> なんだか金糸雀のことが、不憫に思えてしまいました。<br /> <br /> 「さてと……朝飯も食べ終わったし、支度して出かけるかな」<br /> <br /> 雰囲気を変えようと、ジュンが陽気な声を出しますが、金糸雀は無言のまま。<br /> 身支度の間も、部屋を出てからも、彼女はずっと黙っていました。<br /> <br /> <br /> <br /> ジュンの脚は、駅前へと向かいます。目的地は、コンビニ。<br /> 昨日、食材を買いに来たとき、線香が売っているのを目にしていたのです。<br /> それに、たまごや野菜も、手に入るかも知れません。<br /> <br /> 春先の、和やかな陽気に包まれて、駅に向かう道すがら――<br /> ジュンは、人通りの少ない小道で、一人の女の子を見かけました。<br /> 忘れもしない、眼帯の娘。居酒屋『きらき屋』の店員です。<br /> 彼女は両手をぶらぶらさせつつ、ジュンと反対の方向から近付いてきます。<br /> <br /> 所詮、客と店員の関係。顔見知りと呼べるほど、親しくもありません。<br /> ただ擦れ違って、おしまい。ジュンは、そう思っていたのですが……。<br /> なんと、彼女はジュンの進路に割り込み、立ち塞がるじゃあーりませんか。<br /> 怪訝な表情を浮かべたジュンの顔を、眼帯の女の子は、じぃ……っと無遠慮に見つめます。<br /> <br /> 流石に気恥ずかしくなり、顔を背けると、<br /> 彼女はジュンの頬をプニプニつついて、こう言いました。<br /> <br /> 「……スケコマシ~」<br /> 「え? 誰がだよ?」<br /> <br /> 藪から棒に、この娘は何を言いだすのでしょう。<br /> 自慢じゃありませんが、ジュンはスケコマシどころか、彼女居ない歴22年。<br /> とんでもない言いがかりです。猛然と反撥しました。<br /> <br /> 「僕は、そんなんじゃない!」<br /> 「……そう? でも、見えるんだけどなぁ」<br /> 「見える、だって?」<br /> <br /> もしや、この娘。霊能力が強くて、幽霊の金糸雀が見えるのでしょうか。<br /> この、名も知らぬ眼帯娘は、おうむ返しに呟いたジュンの背後を指差しました。<br /> <br /> 「貴方の後ろに…………水子の魂……百まで」<br /> <br /> そう言うや、自分の冗談でウケたらしく、口元を押さえて笑いを堪える眼帯娘。<br /> 相も変わらず、掴みどころのない、奇妙な娘です。<br /> なんじゃそりゃ、と突っ込み入れる気分も失せるというものでしょう。<br /> ジュンは娘を無視して、脇を通り抜けようとしました。<br /> その時、眼帯娘が気になることを囁いたのです。<br /> <br /> 「あまり……深入りしない方が……いいよ?」<br /> <br /> ワケが分かりません。<br /> からかわれているだけと判断したジュンは、構わずコンビニに向かいました。<br /> <br /> <br /> <br /> やっと辿り着いたコンビニで、入り用のブツを探します。<br /> けれど、切望する物に限って手に入りづらいのが、世の常。<br /> 困ったジュンは、金糸雀に相談しましたが、鬱ぎ込んでいるのか返事はありません。<br /> 仕方なく、代用品を買い揃えたのでした。<br /> <br /> 早速、ボロアパートに引き返し、ちゃぶ台の上に並べたのは……<br /> 温泉たまごに、ナスとキュウリの浅漬け、蚊取り線香です。<br /> ジュンは浅漬けに爪楊枝の四肢を付けて、温泉たまごの両脇に並べました。<br /> そこに添えるのは、ガスコンロで火を着けた蚊取り線香。<br /> <br /> 「ふぃ~、こんなもんか。なあ、どうだ?」<br /> 『……』<br /> 「相変わらず、だんまりかよ。折角、お前のために揃えたのにさ」<br /> <br /> 肩を竦め、不満たらたらで呟くジュンの頭に、くっ……くっ……と、<br /> ハトが鳴いてるのかと錯覚するほどの押し殺した声が、響き始めました。<br /> <br /> <br /> 「お前……もしかして、泣いてる……のか?」<br /> <br /> 代替品とは言え、あまりに酷すぎたかも知れません。<br /> ここで『嫌なら出てけよ』と追い打ちをかけられないところが、<br /> ジュンの長所であり、短所でもあったのです。<br /> <br /> ところが、案に反して、金糸雀は笑い出しました。<br /> それも、堰を切ったように。とてもとても、愉しそうに。<br /> 怒りゲージが振り切れて、笑いの境地に達したのでしょうか。<br /> ジュンは、おそるおそる訊ねます。<br /> <br /> 「なんで笑うんだよ」<br /> 『だぁってぇ……あっはははは……<br />  こんなメチャクチャなのって無いかしらー。ひー苦しいっ』<br /> 「だからって、笑いすぎだろ。失礼なヤツだなぁ」<br /> <br /> 憮然と吐き捨てるジュンに、金糸雀が慌ててフォローを入れます。<br /> <br /> 『あぅ。笑ったりして、ごめんなさいかしら。<br />  貴方が一生懸命、カナのために揃えてくれたのに……』<br /> <br /> そう素直に謝られると、腹立たしさも行き場を失ってしまいます。<br /> 元々、大して怒ってもいなかったので、ジュンは鼻先で笑い飛ばしました。<br /> <br /> 「いいさ、別に。僕としても、こりゃ少し酷いと思うし」<br /> 『優しいのね、ジュン。カナ、もう思い残すことないくらい幸せかしら』<br /> 「ホントか! それじゃあ、成仏するんだな」<br /> 『ふえ? なんでカナが?』<br /> <br /> 金糸雀の心外そうな声に、ジュンの方が耳を疑ってしまいました。<br /> <br /> 「だってお前……未練が無くなれば昇天するんじゃないのか?」<br /> 『そんなコト言った憶えないかしら。なのに、こんなにも優しくしてもらえて――<br />  カナは……カナは…………もっとこの世に未練が残っちゃったかしらーっ♪』<br /> 「な、なんだってー?!」<br /> <br /> あまり深入りするな――眼帯娘の言葉が、ありありと思い出されます。<br /> アレは、もしや……こういう事だったのでしょうか。<br /> <br /> 「冗談じゃないっ! これ以上、憑きまとわれて堪るかっ。<br />  こうなったら、また封じ込めてやる。シメジ呼ばわりは、もうたくさんだっ!」<br /> <br /> 昨日、剥がしたおフダは、まだゴミ箱の中で丸まっているハズです。<br /> ジュンはゴミ箱に縋り付いて、ガサゴソと中身を漁りました。<br /> ですが……様子が変です。<br /> <br /> 「あれ? 無いぞ。それに、なんか焦げてる……どうなってるんだよ、おい!」<br /> 『くっくっくぅ~。あんな物、とっくにピチカートに始末させたかしら』<br /> 「なっ、なに? ピチカートって、なんだ?」<br /> 『この子かしらっ』<br /> <br /> ジュンの目の前に、青白い火の玉が、ふよふよと頼りなげに飛んできました。<br /> そう。あのおフダは、ピチカートと名付けられた火の玉に、焼却処分されていたのです。<br /> よくもまあ、火事にならなかったものです。ジュンの寿命が、1時間ほど縮みました。<br /> <br /> 『うふふ……カナ、ジュンのこと気に入っちゃった。これからも、ずぅっと一緒かしらぁん♪』<br /> <br /> 正に“藪をつついて蛇を出す”状態。<br /> まだまだ憑きまとわれるみたいです。<br />  </p>

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