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『ひょひょいの憑依っ!』」(2007/01/29 (月) 01:42:56) の最新版変更点

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<p>『ひょひょいの憑依っ!』<br> <br> <br> 凍てつく冬が、静かに舞台を降りてゆく頃。<br> それは、春という再生の訪れ。<br> 多くの若者たちが、新しい世界に旅立っていく季節。<br> <br> <br> 彼……桜田ジュンもまた、新たな道に歩を踏み出した若者の一人でした。<br> <br> 「今日から僕は、ここで――」<br> <br> 穏やかに、昼下がりの日射しが降り注ぐ空間。<br> 薄汚れた壁際に、山と積まれた段ボール箱を眺め回して、独りごちる。<br> 大学を卒業したジュンは、首都圏に本社のある企業に、就職が決まっていました。<br> そこで、これを機に親元を離れ、独り暮らしを始める予定なのです。<br> <br> 彼が借りたのは、都心から電車で30分ほど離れた下町の、ボロアパートでした。<br> 築20年を越える5階建てのコンクリート家屋ですが、立地条件は悪くありません。<br> 勤務先にも、公共の交通手段を用いれば、1時間以内に辿り着けます。<br> <br> そんなアパートならば、家賃だって安かろう筈もなく――<br> 最低でも、一ヶ月10万円は、覚悟しなければなりませんでした。<br> 入居に際しては、その他にも敷金、権利金、生活を始めれば光熱費も必要になる。<br> 両親に養われていた時には顧みもしなかった出費が、色々とかさみます。<br> 新卒の安月給にしてみれば、かなりの負担になるでしょう。<br> <br> ジュンも恥をかなぐり捨てて、半年くらいは親に援助を求めるつもりでした。<br> ところが――<br></p> <br> <p> 部屋探しの最中、ジュンが不動産屋に苦しい台所事情を話すと、ある物件を仲介されたのです。<br> そこは2LDKで風呂、トイレ完備。敷金、権利金なし。<br> 肝心の家賃も、相場の半値以下と破格で、夢のような物件でした。<br> <br> 古今東西、オイシイ話には裏がつきもの。<br> 訝しんだジュンが問い詰めると、不動産屋は渋々、白状しました。<br> そこは死人が出た部屋。いわゆる『事故物件』だったのです。<br> しかも、近所でもアヤシイ噂が囁かれていると言うではあーりませんか。<br> <br> でも、背に腹は代えられないのが現実。<br> いつまでも親のスネを囓っているのは、ジュンのプライドが許しませんでした。<br> 寧ろ、これは絶好のチャンス到来かも知れません。<br> <br> (物は考えようだ。こんな安い物件が見付かるなんて、幸先いいじゃないか)<br> <br> 即決でした。<br> こうして、ジュンはボロアパートの五階に引っ越してきたのです。<br> <br> 「さーて……梱包を解いて、荷物をかたずけないとな」<br> <br> どの段ボール箱から開こうか。選別をするジュンの目が、壁の一点で止まる。<br> そこには、どうだと言わんばかりに、日に焼けて黄ばんだおフダが……。<br> ミミズがのたくった様な筆書きの字で『アブラカナブラ』と書いてあるようです。<br> そんな胡散臭いモノが、部屋のあちこちに貼りつけてありました。<br> <br> 「なんだこりゃ? ここの大家さん、インチキ祈祷師に騙されたんじゃないのか」<br> <br> 失笑して、ジュンは全てのおフダをひっぺがし、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込みました。<br> 糊で貼ってあったためキレイに剥がれず、見た目がかなり汚らしいです。<br> </p> <br> <p>引っ越してきて早々、気分が悪くなってしまいます。<br> これじゃあ、仲良くなった女の子を、部屋に呼ぶことも躊躇われるというもの。<br> 荷物の整理をしながら、紙片の残る壁や柱を見る度に、ジュンは頬を引きつらせるのでした。<br> <br> <br> ――と、その時です。<br> ちゃぶ台に置いたマナーモードの携帯電話が、ぶいーんと振動して、ジュンを驚かせました。<br> <br> 「な、なんだよ……ビックリさせやがって」<br> <br> 照れ隠しに悪態をつきつき、携帯電話のディスプレイを見ると、相手は親友の笹塚くんでした。<br> 彼は高校卒業後、こちらの大学に進んでいたので、都会暮らしに長けています。<br> ジュンも、上京して新居探しをするに当たり、彼の協力を頼みにしておりました。<br> <br> 「もしもし、笹塚か?」<br> 『やあ、桜田くん。久しぶりだね、元気してたかい』<br> 「不動産屋めぐりで、一昨日にも会ってるだろうが。それで……どうしたんだ?」<br> 『君のお姉さんに、今日こっち来るって教えてもらってさ。<br>  折角だから、引越祝いをしようと思ってね。真紅さんも来るって言ってたよ』<br> <br> まだ半分も片づけが終わっていないが、笹塚くんの好意を受けないワケにもいきません。<br> それに、同期入社する幼なじみの名を出されては、断れなかったのです。<br> <br> 「……解った、行くよ。どこで待ち合わせるんだ」<br> 『僕、バイト中なんだ。今は、お昼の休憩時間でね。<br>  バイト終わるのが6時なんで、そうだなぁ……6時半に駅前で、どうだい?』<br> 「それで良いよ。じゃあ、また後でな」<br> 『うん。バイバイ』<br></p> <br> <p>そうと決まれば、グズグズしていられません。<br> 夜までに、出来るだけ片づけを終えなければ……。<br> 急ぐあまり、粗雑になる動作。<br> ジュンはうっかり、箱から出して積んだままになっていた本の山を、蹴り崩してしまいました。<br> <br> 「痛てててっ……あーあ、余計に散らかしちゃったよ」<br> <br> 溜息まじりに見下ろした本の山に、ハードカバーの冊子が紛れています。<br> 高校の卒業アルバムでした。<br> あれから4年……まだ、懐かしむほど日数は経っていません。<br> ですが、ジュンは手に取り、ついつい眺めてしまいました。<br> 郷里に居る友人たちの写真を眺めながら、時を忘れ、思い出の中で遊ぶ……。<br> <br> <br> 気付けば、柱に掛けたアナログ時計の針は、6時を回っています。<br> <br> 「うわ、やばい!」<br> <br> 部屋の隅に脱ぎ捨ててあったジャンパーを羽織って、ジュンは駅まで駆け出しました。<br> <br> <br> <br> 「あ、来た来た。遅いよ、桜田くん!」<br> <br> 息急ききって辿り着いたジュンに、笹塚くんの文句が飛ぶ。<br> ジュンの腕時計では、6時半ジャストでしたが、反論はしませんでした。<br> 否……できなかったのです。<br> なぜなら、笹塚くんと一緒に立っていた三人の美しい娘に、目を奪われていたのですから。<br> </p> <br> <p>娘の一人は、真紅でした。<br> 特徴的なツインテールに髪を結っておらず、背中へとストレートに降ろしている。<br> 品のいい洋服に身を包んでいたばかりか、うっすらと化粧もしていたので、<br> 一瞬、ジュンの目には別人のように映ったのです。<br> ジュンの胸はトキメキに躍り、頬が熱を帯びてゆくのが分かりました。<br> <br> 「やあ、待たせてゴメン。ところで、笹塚……あのさ――」<br> <br> 笹塚くんは、ジュンの視線が残る二人の娘に注がれたのを見て、紹介を始めます。<br> <br> 「こちらは、僕のバイト仲間さ。柿崎めぐさんと、水銀燈さん。<br>  僕らと同郷で、僕らよりふたつ上なんだってさ」<br> 「こらこら、笹塚くん。女の子の歳を、安易にバラすものじゃないわよ」<br> 「ほぉんと、デリカシーなぁい。そこでサバ読むのが常識よねぇ」<br> <br> めぐという黒髪の美しい娘と、見目鮮やかな銀髪を靡かす水銀燈という娘が、<br> 左右から笹塚くんの頬に握り拳をグリグリ捻り込みます。<br> 笹塚くんは、えへへ……と、だらしなく笑っていました。<br> <br> その様子を冷ややかに眺めつつ、腕組みした真紅が、可憐な唇を開きます。<br> <br> 「立っているのも疲れるわ。早く、店に案内してちょうだい」<br> 「あら、気が強ぉい。私ぃ、貴女みたいな子、好きよぉ♪」<br> 「なんか気品を感じるわよね。私も好みのタイプかな。仲良くしようね、真紅ちゃん♪」<br> 「え? ええと……あの、ちょっと」<br> <br> めぐと水銀燈は、新しいオモチャを見付けた子供のように瞳を輝かせて、真紅を取り囲む。<br> 一行は、解放された笹塚くんに案内されて、駅前の居酒屋『きらき屋』に入りました。<br> </p> <br> <p> 飲み放題で予約を入れてあったので、お座敷に案内されます。<br> 五人は掘りゴタツのように造られたテーブル下の凹みに、足を投げ出しました。<br> すると、すぐに店員がやってきます。左眼に、薔薇を象った眼帯を着けた娘です。<br> <br> 「……いらっしゃいマホ」<br> <br> おちょくってるのか? と思える挨拶をして、注文を取っていきました。<br> なんだか、ふわふわと掴みどころのない女の子でした。<br> <br> <br> 「それじゃあ、桜田くんと真紅さんの就職祝いも兼ねましてー、乾杯っ!」<br> <br> 笹塚くんの音頭で始まる宴。<br> 最初に頼んであったビールとおつまみは、見る間に無くなっていきます。<br> めぐと水銀燈が、常軌を逸した飲みっぷりを見せたからです。<br> この二人、普段から暇さえあれば飲み比べをしているとか、なんとか……。<br> <br> 「おいおい、真紅。そんなに飲んで大丈夫なのか?」<br> 「……へーひなのらわ、ほれふら~い」<br> <br> 二人に触発されたワケではないでしょうが、真紅も大した飲みっぷり。呂律が回っていません。<br> いつもは、あまり飲まないのに……<br> やはり、独り暮らしができる喜びが、羽目を外させるのでしょう。<br> 真紅は資産家のご令嬢で、本当ならば、額に汗して働かなくてもいい身の上でした。<br> にも拘わらず、彼女は我を通して就職し、上京したのです。<br> <br> (まさか、僕を追いかける為とか…………いや、自惚れすぎだな)<br> <br> 酒気に頬を染めた真紅の横顔を一瞥して、ジュンはコップに残る、生温いビールを呷りました。<br> </p> <br> <p>楽しい時間は、すぐに過ぎ去ってしまいます。<br> 夜の9時を回り、一次会は終わりました。<br> <br> 「じゃあ、定番だけど、二次会はカラオケ行きますかー!」<br> <br> いい気分に酔っている笹塚くんの提案に、水銀燈とめぐも腕を突き上げて賛成します。<br> でも、ジュンは……。<br> <br> 「ごめん、みんな。まだ部屋の片づけが終わってないし、こいつも――」<br> <br> 俯きがちに熱い息を吐く真紅を支えながら、心配そうに見遣りました。<br> 飲み慣れない酒を聞こし召したせいか、真紅は自力で歩けないほど、ぐでんぐでんです。<br> <br> 「こいつも、送り届けなきゃいけないからさ。僕はこれで帰るよ。<br>  笹塚。それに、柿崎さんと水銀燈さん。今夜は祝ってくれて、ありがとう。楽しかったよ」<br> 「そっか……OK。気を付けて帰ってくれよ、桜田くん。<br>  困ったことがあったら、気兼ねなく電話してくれて構わないからさ」<br> 「じゃあねー、桜田くん。また今度、遊ぼーねー♪」<br> 「ばいばぁ~い。送りオオカミになっちゃダメよぉ?」<br> <br> テンションMAXな三人に別れを告げ、ジュンは真紅を連れて、タクシー乗り場に向かいました。<br> <br> <br> <br> 泥酔した真紅をマンションまで送り届けたばかりか、きちんとベッドにも寝かし付けたので、<br> ジュンが帰宅を果たした頃には、12時近くなっていました。<br> 些か酔っぱらっていて、部屋の片づけなど億劫です。<br> 今夜はもう、シャワーを浴びて寝よう。バスタオルを手に、浴室に向かいました。<br> </p> <br> <p> そして、何気なく風呂のドアを開いた途端、それはジュンの目に飛び込んできたのです。<br> 若い娘の後ろ姿――<br> しかも、目が潰れそうなほど眩しいHADAKAじゃあーりませんか!<br> 緑髪の娘は瑞々しい肌も露わに、気持ちよさげに鼻歌を唄いながら、シャワーを浴びています。<br> 酔いも手伝って、ジュンの目の前で、娘の桃尻がグ~ルグルと回り始めました。<br> <br> 「あ、あっれ――? 部屋、間違えたかな~」<br> <br> 朦朧としながら呟いた声は、この得体の知れない娘にも聞こえたようです。<br> え? と振り返るなり、彼女は黄色い声で叫びました。<br> <br> 「き…………きゃ――――っ!?!? チカンかしら――――っ!」<br> 「わわわわ……ゴメンっ!」<br> <br> 我に返り、大慌てで玄関を飛び出したジュンですが、よくよく表札をみると、やはり自分の部屋です。<br> 寝惚けたのかと思って、恐る恐る玄関を開いて覗くと、さっきの娘がバスタオルで前を隠して、<br> 玄関先に仁王立ちしておりました。<br> 涙を浮かべた娘の眼差しに気圧されそうになりながらも、ジュンは勇気を奮い立たせ、誰何します。<br> <br> 「だっ……誰だ、お前っ。ここは僕の部屋だぞ!」<br> 「カナが先に住んでたかしらっ! その…………死んじゃったんだけどぉ」<br> 「…………なにぃ?」<br> <br> まだ酔ってるらしい。そう考えた矢先、ジュンは思い出しました。<br> この部屋が、事故物件ということを――<br> <br> (じゃ……じゃあ、こいつ……ホントに……ゆ、ゆ、ゆ……幽霊なのかーっ!?)<br> <br> ジュンの意識は、そこで途絶えました。<br></p> <br> <p>――ゆさゆさと、身体を揺すられる感覚。<br> <br> 「――――しら。さっさ……きる……かしら」<br> <br> 誰かが、自分を揺り起こそうとしている。<br> ジュンは微睡みながら、のり姉ちゃんが起こしに来たのかと思いました。<br> しかし、よくよく考えると、ここに姉が居るワケがありません。<br> では、誰が……?<br> 興味に負けて、重い瞼を開いたジュンの前には、さっきの緑髪の娘がっ!<br> 彼女は青ざめた表情で、彼の顔を覗き込んでおりました。<br> <br> 「あー、気が付いたかしら?」<br> 「ひぃっ!」<br> 「うふふ……怯えちゃって、かーわいい♪ そんなにカナが怖いかしら~?」<br> 「あっ、当たり前だろ! お前、幽霊じゃないか!」<br> 「……そうよ。あれは……忘れもしない5年前のことかしら」<br> <br> カナと名乗る幽霊少女は、聞いてもないのに身の上話を始めました。<br> <br> 「春一番が吹く頃、お布団を干すため、ベランダの手すりに身を乗り出したカナは、<br>  強風に煽られてバランスを崩し、お布団ともども落っこちて――」<br> 「ここって五階だぞ。死んじゃうじゃんか」<br> 「だーかーらー、死んじゃって、こうして地縛霊になってるかしら。<br>  カタカナ書きの言霊で封じられてたのを、貴方が解放してくれたってワケかしら」<br> 「…………ぷっ。ドジなヤツ。地縛霊というより自爆霊だな」<br> 「ぬなぁっ?!」<br> <br> 思わず噴き出したジュンの態度に、カナはカチンときたらしい。<br> 彼女の周りに、ぼぼぼっ! と火の玉が出現しました。<br> <br> <br> 「あったまきたかしらー! 危害を加えるつもりはなかったけど、気が変わったわ。<br>  取り憑いて、貴方の身体を乗っ取ってやるかしらっ!」<br> 「ひえっ! や、やめろよっ!」<br> <br> 飛び起きたジュンは、100m十秒を切る早さで、玄関にまっしぐらです。<br> しかし、カナが「えいっ!」と声をあげると、身体がビクとも動かなくなってしまったのです。<br> <br> 「あはっ。これが正真正銘『カナ縛り』かしら~♪」<br> <br> 身体が動かない。声も出せない。瞬きすらも……。<br> ジュンの全身から、脂汗が滲み出していきます。<br> そんな彼を玩ぶように、ジュンの首筋に、青白い腕が絡みついてきました。<br> くすくすと含み笑う声が、耳元をくすぐる。<br> <br> 「それじゃあ…………いっただっきまぁ~す、かぁ~しぃ~らぁ~」<br> <br> やめてくれえっ! ココロの中で叫びましたが、効果なし。<br> ジュンの身体に、カナの影が重なり、なんとも表現しがたい一体感を覚えました。<br> しかも、頭の中に娘の声が響いてきたではあーりませんか。<br> <br> 『残念だけど、カナにはすぐに乗っ取るほどの力が無いかしら。<br>  だから、こうして取り憑いて、じっくり身体を奪ってア・ゲ・ル。<br>  あ……名乗り遅れたけど、カナの名前は金糸雀っていうかしら。<br>  これから、ヨロシクかしら~、桜田ジュンくん♪』<br> <br> 「冗談じゃないよ」ジュンは、カナ縛りが解けると同時に吐き捨てました。<br> だからと言って、どうすることも出来ません。この状況を受け入れること以外、何も――<br> <br> ――こうして、幽霊少女の金糸雀とジュンの、奇妙な同居生活が幕を開けたのです。<br> </p>
<p>『ひょひょいの憑依っ!』<br /> <br /> <br /> 凍てつく冬が、静かに舞台を降りてゆく頃。<br /> それは、春という再生の訪れ。<br /> 多くの若者たちが、新しい世界に旅立っていく季節。<br /> <br /> <br /> 彼……桜田ジュンもまた、新たな道に歩を踏み出した若者の一人でした。<br /> <br /> 「今日から僕は、ここで――」<br /> <br /> 穏やかに、昼下がりの日射しが降り注ぐ空間。<br /> 薄汚れた壁際に、山と積まれた段ボール箱を眺め回して、独りごちる。<br /> 大学を卒業したジュンは、首都圏に本社のある企業に、就職が決まっていました。<br /> そこで、これを機に親元を離れ、独り暮らしを始める予定なのです。<br /> <br /> 彼が借りたのは、都心から電車で30分ほど離れた下町の、ボロアパートでした。<br /> 築20年を越える5階建てのコンクリート家屋ですが、立地条件は悪くありません。<br /> 勤務先にも、公共の交通手段を用いれば、1時間以内に辿り着けます。<br /> <br /> そんなアパートならば、家賃だって安かろう筈もなく――<br /> 最低でも、一ヶ月10万円は、覚悟しなければなりませんでした。<br /> 入居に際しては、その他にも敷金、権利金、生活を始めれば光熱費も必要になる。<br /> 両親に養われていた時には顧みもしなかった出費が、色々とかさみます。<br /> 新卒の安月給にしてみれば、かなりの負担になるでしょう。<br /> <br /> ジュンも恥をかなぐり捨てて、半年くらいは親に援助を求めるつもりでした。<br /> ところが――</p> <p> </p> <p>部屋探しの最中、ジュンが不動産屋に苦しい台所事情を話すと、ある物件を仲介されたのです。<br /> そこは2LDKで風呂、トイレ完備。敷金、権利金なし。<br /> 肝心の家賃も、相場の半値以下と破格で、夢のような物件でした。<br /> <br /> 古今東西、オイシイ話には裏がつきもの。<br /> 訝しんだジュンが問い詰めると、不動産屋は渋々、白状しました。<br /> そこは死人が出た部屋。いわゆる『事故物件』だったのです。<br /> しかも、近所でもアヤシイ噂が囁かれていると言うではあーりませんか。<br /> <br /> でも、背に腹は代えられないのが現実。<br /> いつまでも親のスネを囓っているのは、ジュンのプライドが許しませんでした。<br /> 寧ろ、これは絶好のチャンス到来かも知れません。<br /> <br /> (物は考えようだ。こんな安い物件が見付かるなんて、幸先いいじゃないか)<br /> <br /> 即決でした。<br /> こうして、ジュンはボロアパートの五階に引っ越してきたのです。<br /> <br /> 「さーて……梱包を解いて、荷物をかたずけないとな」<br /> <br /> どの段ボール箱から開こうか。選別をするジュンの目が、壁の一点で止まる。<br /> そこには、どうだと言わんばかりに、日に焼けて黄ばんだおフダが……。<br /> ミミズがのたくった様な筆書きの字で『アブラカナブラ』と書いてあるようです。<br /> そんな胡散臭いモノが、部屋のあちこちに貼りつけてありました。<br /> <br /> 「なんだこりゃ? ここの大家さん、インチキ祈祷師に騙されたんじゃないのか」<br /> <br /> 失笑して、ジュンは全てのおフダをひっぺがし、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込みました。<br /> 糊で貼ってあったためキレイに剥がれず、見た目がかなり汚らしいです。</p> <p> </p> <p> </p> <p>引っ越してきて早々、気分が悪くなってしまいます。<br /> これじゃあ、仲良くなった女の子を、部屋に呼ぶことも躊躇われるというもの。<br /> 荷物の整理をしながら、紙片の残る壁や柱を見る度に、ジュンは頬を引きつらせるのでした。<br /> <br /> <br /> ――と、その時です。<br /> ちゃぶ台に置いたマナーモードの携帯電話が、ぶいーんと振動して、ジュンを驚かせました。<br /> <br /> 「な、なんだよ……ビックリさせやがって」<br /> <br /> 照れ隠しに悪態をつきつき、携帯電話のディスプレイを見ると、相手は親友の笹塚くんでした。<br /> 彼は高校卒業後、こちらの大学に進んでいたので、都会暮らしに長けています。<br /> ジュンも、上京して新居探しをするに当たり、彼の協力を頼みにしておりました。<br /> <br /> 「もしもし、笹塚か?」<br /> 『やあ、桜田くん。久しぶりだね、元気してたかい』<br /> 「不動産屋めぐりで、一昨日にも会ってるだろうが。それで……どうしたんだ?」<br /> 『君のお姉さんに、今日こっち来るって教えてもらってさ。<br />  折角だから、引越祝いをしようと思ってね。真紅さんも来るって言ってたよ』<br /> <br /> まだ半分も片づけが終わっていないが、笹塚くんの好意を受けないワケにもいきません。<br /> それに、同期入社する幼なじみの名を出されては、断れなかったのです。<br /> <br /> 「……解った、行くよ。どこで待ち合わせるんだ」<br /> 『僕、バイト中なんだ。今は、お昼の休憩時間でね。<br />  バイト終わるのが6時なんで、そうだなぁ……6時半に駅前で、どうだい?』<br /> 「それで良いよ。じゃあ、また後でな」<br /> 『うん。バイバイ』</p> <p> </p> <p> </p> <p>そうと決まれば、グズグズしていられません。<br /> 夜までに、出来るだけ片づけを終えなければ……。<br /> 急ぐあまり、粗雑になる動作。<br /> ジュンはうっかり、箱から出して積んだままになっていた本の山を、蹴り崩してしまいました。<br /> <br /> 「痛てててっ……あーあ、余計に散らかしちゃったよ」<br /> <br /> 溜息まじりに見下ろした本の山に、ハードカバーの冊子が紛れています。<br /> 高校の卒業アルバムでした。<br /> あれから4年……まだ、懐かしむほど日数は経っていません。<br /> ですが、ジュンは手に取り、ついつい眺めてしまいました。<br /> 郷里に居る友人たちの写真を眺めながら、時を忘れ、思い出の中で遊ぶ……。<br /> <br /> <br /> 気付けば、柱に掛けたアナログ時計の針は、6時を回っています。<br /> <br /> 「うわ、やばい!」<br /> <br /> 部屋の隅に脱ぎ捨ててあったジャンパーを羽織って、ジュンは駅まで駆け出しました。<br /> <br /> <br /> <br /> 「あ、来た来た。遅いよ、桜田くん!」<br /> <br /> 息急ききって辿り着いたジュンに、笹塚くんの文句が飛ぶ。<br /> ジュンの腕時計では、6時半ジャストでしたが、反論はしませんでした。<br /> 否……できなかったのです。<br /> なぜなら、笹塚くんと一緒に立っていた三人の美しい娘に、目を奪われていたのですから。</p> <p> </p> <p> </p> <p>娘の一人は、真紅でした。<br /> 特徴的なツインテールに髪を結っておらず、背中へとストレートに降ろしている。<br /> 品のいい洋服に身を包んでいたばかりか、うっすらと化粧もしていたので、<br /> 一瞬、ジュンの目には別人のように映ったのです。<br /> ジュンの胸はトキメキに躍り、頬が熱を帯びてゆくのが分かりました。<br /> <br /> 「やあ、待たせてゴメン。ところで、笹塚……あのさ――」<br /> <br /> 笹塚くんは、ジュンの視線が残る二人の娘に注がれたのを見て、紹介を始めます。<br /> <br /> 「こちらは、僕のバイト仲間さ。柿崎めぐさんと、水銀燈さん。<br />  僕らと同郷で、僕らよりふたつ上なんだってさ」<br /> 「こらこら、笹塚くん。女の子の歳を、安易にバラすものじゃないわよ」<br /> 「ほぉんと、デリカシーなぁい。そこでサバ読むのが常識よねぇ」<br /> <br /> めぐという黒髪の美しい娘と、見目鮮やかな銀髪を靡かす水銀燈という娘が、<br /> 左右から笹塚くんの頬に握り拳をグリグリ捻り込みます。<br /> 笹塚くんは、えへへ……と、だらしなく笑っていました。<br /> <br /> その様子を冷ややかに眺めつつ、腕組みした真紅が、可憐な唇を開きます。<br /> <br /> 「立っているのも疲れるわ。早く、店に案内してちょうだい」<br /> 「あら、気が強ぉい。私ぃ、貴女みたいな子、好きよぉ♪」<br /> 「なんか気品を感じるわよね。私も好みのタイプかな。仲良くしようね、真紅ちゃん♪」<br /> 「え? ええと……あの、ちょっと」<br /> <br /> めぐと水銀燈は、新しいオモチャを見付けた子供のように瞳を輝かせて、真紅を取り囲む。<br /> 一行は、解放された笹塚くんに案内されて、駅前の居酒屋『きらき屋』に入りました。</p> <p> </p> <p> </p> <p>飲み放題で予約を入れてあったので、お座敷に案内されます。<br /> 五人は掘りゴタツのように造られたテーブル下の凹みに、足を投げ出しました。<br /> すると、すぐに店員がやってきます。左眼に、薔薇を象った眼帯を着けた娘です。<br /> <br /> 「……いらっしゃいマホ」<br /> <br /> おちょくってるのか? と思える挨拶をして、注文を取っていきました。<br /> なんだか、ふわふわと掴みどころのない女の子でした。<br /> <br /> <br /> 「それじゃあ、桜田くんと真紅さんの就職祝いも兼ねましてー、乾杯っ!」<br /> <br /> 笹塚くんの音頭で始まる宴。<br /> 最初に頼んであったビールとおつまみは、見る間に無くなっていきます。<br /> めぐと水銀燈が、常軌を逸した飲みっぷりを見せたからです。<br /> この二人、普段から暇さえあれば飲み比べをしているとか、なんとか……。<br /> <br /> 「おいおい、真紅。そんなに飲んで大丈夫なのか?」<br /> 「……へーひなのらわ、ほれふら~い」<br /> <br /> 二人に触発されたワケではないでしょうが、真紅も大した飲みっぷり。呂律が回っていません。<br /> いつもは、あまり飲まないのに……<br /> やはり、独り暮らしができる喜びが、羽目を外させるのでしょう。<br /> 真紅は資産家のご令嬢で、本当ならば、額に汗して働かなくてもいい身の上でした。<br /> にも拘わらず、彼女は我を通して就職し、上京したのです。<br /> <br /> (まさか、僕を追いかける為とか…………いや、自惚れすぎだな)<br /> <br /> 酒気に頬を染めた真紅の横顔を一瞥して、ジュンはコップに残る、生温いビールを呷りました。</p> <p> </p> <p> </p> <p>楽しい時間は、すぐに過ぎ去ってしまいます。<br /> 夜の9時を回り、一次会は終わりました。<br /> <br /> 「じゃあ、定番だけど、二次会はカラオケ行きますかー!」<br /> <br /> いい気分に酔っている笹塚くんの提案に、水銀燈とめぐも腕を突き上げて賛成します。<br /> でも、ジュンは……。<br /> <br /> 「ごめん、みんな。まだ部屋の片づけが終わってないし、こいつも――」<br /> <br /> 俯きがちに熱い息を吐く真紅を支えながら、心配そうに見遣りました。<br /> 飲み慣れない酒を聞こし召したせいか、真紅は自力で歩けないほど、ぐでんぐでんです。<br /> <br /> 「こいつも、送り届けなきゃいけないからさ。僕はこれで帰るよ。<br />  笹塚。それに、柿崎さんと水銀燈さん。今夜は祝ってくれて、ありがとう。楽しかったよ」<br /> 「そっか……OK。気を付けて帰ってくれよ、桜田くん。<br />  困ったことがあったら、気兼ねなく電話してくれて構わないからさ」<br /> 「じゃあねー、桜田くん。また今度、遊ぼーねー♪」<br /> 「ばいばぁ~い。送りオオカミになっちゃダメよぉ?」<br /> <br /> テンションMAXな三人に別れを告げ、ジュンは真紅を連れて、タクシー乗り場に向かいました。<br /> <br /> <br /> <br /> 泥酔した真紅をマンションまで送り届けたばかりか、きちんとベッドにも寝かし付けたので、<br /> ジュンが帰宅を果たした頃には、12時近くなっていました。<br /> 些か酔っぱらっていて、部屋の片づけなど億劫です。<br /> 今夜はもう、シャワーを浴びて寝よう。バスタオルを手に、浴室に向かいました。</p> <p> </p> <p> </p> <p>そして、何気なく風呂のドアを開いた途端、それはジュンの目に飛び込んできたのです。<br /> 若い娘の後ろ姿――<br /> しかも、目が潰れそうなほど眩しいHADAKAじゃあーりませんか!<br /> 緑髪の娘は瑞々しい肌も露わに、気持ちよさげに鼻歌を唄いながら、シャワーを浴びています。<br /> 酔いも手伝って、ジュンの目の前で、娘の桃尻がグ~ルグルと回り始めました。<br /> <br /> 「あ、あっれ――? 部屋、間違えたかな~」<br /> <br /> 朦朧としながら呟いた声は、この得体の知れない娘にも聞こえたようです。<br /> え? と振り返るなり、彼女は黄色い声で叫びました。<br /> <br /> 「き…………きゃ――――っ!?!? チカンかしら――――っ!」<br /> 「わわわわ……ゴメンっ!」<br /> <br /> 我に返り、大慌てで玄関を飛び出したジュンですが、よくよく表札をみると、やはり自分の部屋です。<br /> 寝惚けたのかと思って、恐る恐る玄関を開いて覗くと、さっきの娘がバスタオルで前を隠して、<br /> 玄関先に仁王立ちしておりました。<br /> 涙を浮かべた娘の眼差しに気圧されそうになりながらも、ジュンは勇気を奮い立たせ、誰何します。<br /> <br /> 「だっ……誰だ、お前っ。ここは僕の部屋だぞ!」<br /> 「カナが先に住んでたかしらっ! その…………死んじゃったんだけどぉ」<br /> 「…………なにぃ?」<br /> <br /> まだ酔ってるらしい。そう考えた矢先、ジュンは思い出しました。<br /> この部屋が、事故物件ということを――<br /> <br /> (じゃ……じゃあ、こいつ……ホントに……ゆ、ゆ、ゆ……幽霊なのかーっ!?)<br /> <br /> ジュンの意識は、そこで途絶えました。</p> <p> </p> <p> </p> <p>――ゆさゆさと、身体を揺すられる感覚。<br /> <br /> 「――――しら。さっさ……きる……かしら」<br /> <br /> 誰かが、自分を揺り起こそうとしている。<br /> ジュンは微睡みながら、のり姉ちゃんが起こしに来たのかと思いました。<br /> しかし、よくよく考えると、ここに姉が居るワケがありません。<br /> では、誰が……?<br /> 興味に負けて、重い瞼を開いたジュンの前には、さっきの緑髪の娘がっ!<br /> 彼女は青ざめた表情で、彼の顔を覗き込んでおりました。<br /> <br /> 「あー、気が付いたかしら?」<br /> 「ひぃっ!」<br /> 「うふふ……怯えちゃって、かーわいい♪ そんなにカナが怖いかしら~?」<br /> 「あっ、当たり前だろ! お前、幽霊じゃないか!」<br /> 「……そうよ。あれは……忘れもしない5年前のことかしら」<br /> <br /> カナと名乗る幽霊少女は、聞いてもないのに身の上話を始めました。<br /> <br /> 「春一番が吹く頃、お布団を干すため、ベランダの手すりに身を乗り出したカナは、<br />  強風に煽られてバランスを崩し、お布団ともども落っこちて――」<br /> 「ここって五階だぞ。死んじゃうじゃんか」<br /> 「だーかーらー、死んじゃって、こうして地縛霊になってるかしら。<br />  カタカナ書きの言霊で封じられてたのを、貴方が解放してくれたってワケかしら」<br /> 「…………ぷっ。ドジなヤツ。地縛霊というより自爆霊だな」<br /> 「ぬなぁっ?!」<br /> <br /> 思わず噴き出したジュンの態度に、カナはカチンときたらしい。<br /> 彼女の周りに、ぼぼぼっ! と火の玉が出現しました。<br /> <br /> <br /> 「あったまきたかしらー! 危害を加えるつもりはなかったけど、気が変わったわ。<br />  取り憑いて、貴方の身体を乗っ取ってやるかしらっ!」<br /> 「ひえっ! や、やめろよっ!」<br /> <br /> 飛び起きたジュンは、100m十秒を切る早さで、玄関にまっしぐらです。<br /> しかし、カナが「えいっ!」と声をあげると、身体がビクとも動かなくなってしまったのです。<br /> <br /> 「あはっ。これが正真正銘『カナ縛り』かしら~♪」<br /> <br /> 身体が動かない。声も出せない。瞬きすらも……。<br /> ジュンの全身から、脂汗が滲み出していきます。<br /> そんな彼を玩ぶように、ジュンの首筋に、青白い腕が絡みついてきました。<br /> くすくすと含み笑う声が、耳元をくすぐる。<br /> <br /> 「それじゃあ…………いっただっきまぁ~す、かぁ~しぃ~らぁ~」<br /> <br /> やめてくれえっ! ココロの中で叫びましたが、効果なし。<br /> ジュンの身体に、カナの影が重なり、なんとも表現しがたい一体感を覚えました。<br /> しかも、頭の中に娘の声が響いてきたではあーりませんか。<br /> <br /> 『残念だけど、カナにはすぐに乗っ取るほどの力が無いかしら。<br />  だから、こうして取り憑いて、じっくり身体を奪ってア・ゲ・ル。<br />  あ……名乗り遅れたけど、カナの名前は金糸雀っていうかしら。<br />  これから、ヨロシクかしら~、桜田ジュンくん♪』<br /> <br /> 「冗談じゃないよ」ジュンは、カナ縛りが解けると同時に吐き捨てました。<br /> だからと言って、どうすることも出来ません。この状況を受け入れること以外、何も――<br /> <br /> ――こうして、幽霊少女の金糸雀とジュンの、奇妙な同居生活が幕を開けたのです。</p> <p> </p>

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