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教師達の臨海学校」(2006/03/02 (木) 11:12:20) の最新版変更点

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<p> <br>  <br>   『教師たちの臨海学校』<br>  <br>  <br> ――七月初旬。<br> <br> 薔薇学園の二年生は、毎年恒例の臨海学校に来ていました。<br> 鄙びた海辺には、学園所有の研修寮があったのです。<br> 今日は、その初日。長距離のバス移動でくたびれていた生徒や教員は、<br> 寮内に怪しい雰囲気が漂い始めた事に、全く気づいていませんでした。<br> <br>  「梅岡先生。今夜辺り、どうです?」<br> <br> 内山田教頭先生が、厨房で片付けをしていた梅岡先生に声を掛けたのは、<br> 生徒達の昼食も終わって、一段落ついた頃でした。<br> <br>  「ブラッドレイ先生と、レイザーラモン先生も行くそうですよ」<br>  「あ、例の件ですか。勿論、参加しますとも」<br> <br> 竹刀を振るようなポーズを取った教頭先生に、<br> 梅岡先生は当然と言わんばかりに何度も頷きました。<br> この二人、実は教頭が主催する親睦会『薔薇学釣遊会』の会員なのでした。<br> 勿論、教頭の口から出た両名も会員です。<br> <br>  「ふふふ……この先の岬は、絶好の磯釣りポイントですからね。<br>   私なんか、これが楽しみで臨海学校に来てるようなもんですわ」<br>  「ほっほっほ。それは私も同じですよ」<br> <br> 二人は、今夜の釣果に期待を寄せて、ニンマリと笑ったのです。<br> <br> <br> <br> <br> ――その夜。<br> 夜中の磯場に瞬く四つの明かりが、潮風に揺れていました。<br> 今夜の釣果はいつになく好調で、みんな上機嫌でした。<br> <br> <br>   マ…………ス・カ? ……キ・マ…………カ?<br> <br> <br> 鼻歌混じりに暗い水面のウキを眺めていた梅岡先生は、<br> 潮騒に紛れて人の声が聞こえた気がして、隣にいた教頭先生に話しかけました。<br> <br>  「山ちゃん、なんか言いました?」<br>  「は? 私は何も言っていませんよ。梅ちゃんの空耳じゃないですか?」<br> <br> 教頭先生は怪訝な顔をして、頚を横に振りました。<br> 因みに、山ちゃんとは内山田教頭のことです。<br> 釣り場ではニックネームで呼ぶ事が、薔薇学釣遊会での慣例となっていました。<br> <br> もしかしたら、ブラッドレイ先生かレイザーラモン先生の鼻歌が、<br> 潮風に乗って聞こえたのかも知れない。<br> そう考えて、梅ちゃんが再び釣りに専念していると、今度はもっと明瞭に、<br> 先程の声が聞こえたのです。<br> <br> <br>   マ・キ・マ・ス・カ? マ・キ・マ・セ・ン・カ?<br> <br> <br> 流石に気味が悪くなって、梅ちゃんは辺りを見回しました。<br> すると丁度、山ちゃんが市販の配合餌とオキアミを混ぜ合わせたコマセを、<br> スコップで愉しそうに掻き混ぜているのが見えました。<br> <br>  「撒きますか~♪ 撒きませんか~♪」<br> <br> お前かよ、ヂヂイ! <br> 梅ちゃんは心の奥で、山ちゃんに罵声を浴びせました。<br> 幽霊の正体見たり、枯れ尾花――と、川柳にあるように、<br> 正体が判ってしまえば何も怖くありません。<br> 梅ちゃんは安堵に胸を撫で下ろし、コマセを投下しながら、<br> 山ちゃんに倣って独り言を呟きました。<br> <br>  「撒きますよ~。ついでにリールも巻きますよ~」<br> <br> その直後、梅ちゃんのロッドが勢い良くしなりました。<br> どうやら、なかなかの大物みたいです。<br> 梅ちゃんは歓声を上げながら、懸命にリールを巻きました。<br> <br> けれど、何か様子が変です。<br> 普通ならブルブルと魚が暴れる感触が伝わって来るのですが、全くありませんでした。<br> 流木でも引っかかったのでしょうか?<br> <br> ゆらり――と、漆黒の水面に金色の煌めきが揺れていました。<br> <br> <br>  「な、なんだこれ? 山ちゃん、網! 網もって来て」<br>  「ほいほいほい。梅ちゃん、もっと岸に寄せて」<br> <br> 山ちゃんに言われて、梅ちゃんはグイッとロッドを立てました。<br> すると、砕けた波の泡が漂う海面を割って、海藻を被ったモノが現れたのです。<br> 海岸には色々なゴミが漂着します。多分、そんな何かを引っかけてしまったのでしょう。<br> かと言って、仕掛けを切る訳にもいかず、山ちゃんは網で掬い上げました。<br> <br>  「や、山ちゃん……これは」<br>  「なんとなんと。こんな物まで……」<br> <br> それは、精巧な造りのビスクドールでした。可哀想に、右眼が破損しています。<br> 元々は奇麗な深紅だったと思われる衣装も、長く海に沈んでいたせいか、<br> ピンクに色褪せていました。<br> <br>  「こんな物まで海に捨ててしまうなんて。悲しくなるねぇ、梅ちゃん」<br>  「全くですよ、山ちゃん。ウチの生徒には、もっと自然を大切にするよう<br>   教育しなきゃいけませんね」<br>  「ほっほっほ。では、最終日には海岸のゴミ拾いをしましょうか」<br> <br> 梅ちゃんが人形を抱き上げると、人形の服から何かがこぼれ落ちました。<br> それは青く錆びた、小さな鍵でした。<br> <br>  「梅ちゃん。それ、この人形のゼンマイなんじゃないの?」<br> <br> そう言った山ちゃんの瞳は、何かを期待する様に輝いていました。<br> 俗に言う、wktk目線です。<br> <br>  「あ、あのぉ――」<br>  「……………………バッチコイ♪」<br>  「はあぁ? ちょっと、山ちゃん――」<br>  「……………………ガッツだぜ♪」<br>  「つまり…………巻け、と?」<br> <br> 聞いてはみたものの、逃れる術が無いことを、梅ちゃんは知っていました。<br> これ以上、渋っていては冬の賞与の査定に響いてしまいます。<br> <br> <br> ごくり――<br> <br> <br> 口の中の乾きを覚えながら、梅ちゃんは生唾を呑み込み、<br> 人形の背中に鍵を差し込み、ゆっくりと回しました。<br> 海に沈んでいたのだから、内部のゼンマイは錆びて動かないのでは?<br> 梅ちゃんの密かな願いは、残念ながら直ぐに裏切られました。<br> <br> <br>   きりり……きりり……きりり……<br> <br> ゼンマイを巻いて、梅ちゃんは人形を岩に座らせました。<br> けれど、何も起こりません。やはり、海水で内部機構が浸食されている様です。<br> なぁんだ。梅ちゃんは胸を撫で下ろし、山ちゃんは小さく舌打ちしました。<br> <br>  「うえぇぇえぇ…………ぎも゛ぢわ゛る゛い゛」<br> <br> 突然、真夜中の磯に不気味な声が流れました。<br> 勿論、梅ちゃんが言ったのでも、山ちゃんが悪ふざけした訳でもありません。<br> 顔を見合わせ、二人は揃って、人形に目を向けました。<br> <br>  「アタシを起こしたのは、アナタ?」<br>  「ひえっ!」<br>  「ウホッ!!」<br> <br> いきなり喋りだしたのが人形と判って、山ちゃんと梅ちゃんは抱き合って、<br> ガタガタと震えました。<br> でも、本当の恐怖はこれからだったのです。<br> <br> <br> <br> <br> 人形を岩場に置いたまま、山ちゃんと梅ちゃんは他の二人を促して寮に逃げ帰りました。<br> 勿論、本当のことは誰にも話せません。<br> 言ったところで、失笑を買うのが目に見えていたからです。<br> <br> もう寝よう。梅ちゃんは風呂にも入らず、浴衣に着替えました。<br> ところが――<br> <br>  「うひぇっ!」<br> <br> 布団に脚を突っ込んだ途端、ぐっしょりと濡れたナニかが転がっていて、<br> 梅ちゃんは奇声を上げました。<br> 隣で寝ていたアーカード先生が、梅ちゃんの声を聞き付けて目を覚ましました。<br> <br>  「どうした、梅岡先生?」<br>  「ふ、ふ……布団の中に、ナニか濡れた物がっ!」<br>  「は? 何なんだ、一体?」<br> <br> どれ……と、アーカード先生は掛け布団を捲りました。<br> そこには大きな水たまり意外、何も有りませんでした。<br> <br>  「…………梅岡先生。おもらしですか?」<br>  「ちっ! 違う違う! 本当に、何かが転がってたんですよ!」<br> <br> 懸命に否定する梅岡先生でしたが、その必死さが余計に胡散臭さを募らせていることに、<br> 気付いてはいませんでした。<br> <br> <br> <br> <br> ――夜には、各部屋の見回りがあります。<br> 生徒達は普段と違う環境に来て、ついついハメを外し過ぎてしまうのです。<br> <br> 懐中電灯を手に廊下を見回っていた梅ちゃんは、<br> 部屋の中からヒソヒソと話す声を聞き付けて立ち止まりました。<br> 扉に近付いて耳をそばだてると、どうやら怪談話で盛り上がっている様子でした。<br> <br>  「たとえばぁ、こぉんな光景を思い浮かべてくださぁい……」<br> <br> 水銀燈か。梅ちゃんは溜息を吐くとノックをして、扉を開けました。<br> <br>  「こら。消灯時間は過ぎてるんだぞ。早く寝なさい」<br>  「えぇ~。でも、先生……まだ十時でしょぉ」<br>  「この頃では、小学生でも深夜番組を見ているのだわ。ねえ、蒼星石?」<br>  「そうそう。最近は深夜に面白いアニメやってて、つい見ちゃうんだよね」<br>  「お、お前ら、屁理屈ばっかり言って……」<br> <br> ここは一つ、ガツンと叱ってやる。梅ちゃんは拳骨を振り上げました。<br> すると、生徒達は急に表情を強張らせ、悲鳴を上げて布団に潜り込んだのです。<br> 減らず口を叩いていても、撲たれることを怖れるところが子供らしい。<br> 梅ちゃんは「はやく寝るんだぞ」と念を押して、部屋を後にしました。<br> <br> <br> その頃、室内では――<br> <br> 「ねぇ…………先生の背後から覗いてた人形……あれ、ナニ?」<br> <br> <br> <br> <br> 梅ちゃんは背筋に寒気を覚える様になっていました。肩凝りも酷くなる一方です。<br> 周囲の眼も、何だか余所余所しく感じられました。避けられているみたいです。<br> けれど、それが何に起因しているのかは、相変わらず解っていませんでした。<br> <br> 朝――昨日と同じ様に、梅ちゃんは不快感で目を覚ましました。<br> 枕と布団が、ぐっしょりと濡れているのです。<br> 若い女性を彷彿させる金髪が、枕に付着していました。<br> <br>  「なんなんだろうなぁ……この気怠さは」<br> <br> 臨海学校も、今日で終わりです。そう思うと、梅ちゃんは何故か急に、<br> 磯で見たあの人形が気になり始めました。<br> あれ以来、磯には近付いていません。<br> もしかしたら、波に浚われてしまったかも知れない。<br> <br> 本来なら厄介払いできて清々するところでしょうが、なんとなく、<br> 罪悪感に苛まれていました。第一、海に投棄するなど以ての外です。<br> 海岸で生徒達がゴミ拾いをしている光景を横目に、<br> 梅ちゃんは夜釣りをした磯へと、独り向かいました。<br> <br> <br> <br> <br> あの日と変わらず、人形は岩に腰掛け、水平線を眺めていました。<br> 梅ちゃんは、不思議と胸のトキメキを感じました。<br> まるで、かつての恋人に再会するような気恥ずかしさと、微かな不安。<br> ……少しだけ、脚が重くなりました。<br>   <br> 梅ちゃんの足音を聞き付けたのか、人形の頭が梅ちゃんの方へ向きました。<br> <br>  「来てくれたのね」<br> <br> あの夜の様に人形が話しかけてきましたが、梅ちゃんは少しも恐怖を感じませんでした。<br> <br>  「今日、帰るのね」<br>  「ああ。そういう予定だからね」<br> <br> 見た目は不気味なジャンクでしたが、会話してみると、人形はとても理知的でした。<br> 二百年ほど、海の中を漂い続けていたそうです。<br> <br>  「ワタシの初恋の人に似ているわ、アナタ」<br>  「そうなんだ? いつの話だい、それ?」<br>  「レディの過去を詮索するなんて、デリカシーがないわね」<br>  「ははは……手厳しいな」<br> <br> 頭を掻き掻き、梅ちゃんは人形に問い掛けました。<br> <br>  「一緒に来るかい? 探せば、キミを奇麗に修理できるところが見付かるかも」<br>  「地上は煩くてキライなの。ワタシはまた、海の中を気儘に泳ぎ続けるわ」<br>  「そうか。残念だな。もう少し、話をしていたかったんだが」<br> <br> もう、帰る時間です。梅ちゃんは立ち上がって、腰を伸ばしました。<br> <br> <br>  「それじゃあ、もう行くよ。元気でな」<br>  「アナタもね。あと、鼾が酷いから耳鼻咽喉科に行くことを奨めるわ」<br>  「えっ?」<br>  「さよなら…………素敵な思い出を、ありがとう」<br> <br> そう告げて、人形は海に飛び込み、見えなくなってしまいました。<br> <br> <br> <br> <br> 人形は海流に揉まれながら、張り裂けそうになる胸を必死に押さえていました。<br> 本当は、梅ちゃんと一緒に居たかったのです。<br> でも、自分と違って彼には天が定めた寿命があります。<br> かつて恋心を抱いた人のように、いつかは自分の元から去ってしまいます。<br> あんなに辛い想いをするくらいなら、いっそ最初から知らない方がマシでした。<br> しかし、一度でも『恋』という甘く切ない禁断のリンゴを口にしてしまった人形は、<br> それを求めずにはいられなくなっていたのです。<br> <br> <br> 人形の側に、イルカが近付いてきました。<br> <br>  「いいところへ来たわ。ワタシを遠くまで運んでちょうだい。何処へ? <br>   そうね……アナタに任せるわ。取り敢えず、今は遠くへ行きたい。そんな気分なの」<br> <br> イルカは人形を背に載せると、ゆったりと海の中を泳いでいきました。<br> <br> <br> <br> <br> 研修寮では、生徒達が荷物をバスに積み込んでいました。<br> 岬の方から砂浜を歩いてくる梅ちゃんを見付けて、水銀燈が話しかけました。<br> <br>  「先生、何処へ行ってたんですぅ? ゴミ拾いの時も居なかったし」<br>  「ん? ああ、ちょっと散歩をな」<br>  「? あの……先生。目の下、汚れてますよ」<br>  「これは……向こうで、砂が目に入っちゃってさ。ははは――」<br> <br> 水銀燈がそっと差し出したハンカチで、梅ちゃんは目元を拭ったのでした。<br> こうして、臨海学校は今年も無事に終わりました。<br> <br> <br> <br> ――翠星石のお話は、これで終わりですぅ。ご静聴ありがとうございましたです。</p>
<p align="left"> <br />  <br />   『教師たちの臨海学校』<br />  <br />  <br /> ――七月初旬。<br /><br /> 薔薇学園の二年生は、毎年恒例の臨海学校に来ていました。<br /> 鄙びた海辺には、学園所有の研修寮があったのです。<br /> 今日は、その初日。長距離のバス移動でくたびれていた生徒や教員は、<br /> 寮内に怪しい雰囲気が漂い始めた事に、全く気づいていませんでした。<br /><br />  「梅岡先生。今夜辺り、どうです?」<br /><br /> 内山田教頭先生が、厨房で片付けをしていた梅岡先生に声を掛けたのは、<br /> 生徒達の昼食も終わって、一段落ついた頃でした。<br /><br />  「ブラッドレイ先生と、レイザーラモン先生も行くそうですよ」<br />  「あ、例の件ですか。勿論、参加しますとも」<br /><br /> 竹刀を振るようなポーズを取った教頭先生に、<br /> 梅岡先生は当然と言わんばかりに何度も頷きました。<br /> この二人、実は教頭が主催する親睦会『薔薇学釣遊会』の会員なのでした。<br /> 勿論、教頭の口から出た両名も会員です。<br /><br />  「ふふふ……この先の岬は、絶好の磯釣りポイントですからね。<br />   私なんか、これが楽しみで臨海学校に来てるようなもんですわ」<br />  「ほっほっほ。それは私も同じですよ」<br /><br /> 二人は、今夜の釣果に期待を寄せて、ニンマリと笑ったのです。<br /><br /><br /><br /><br /> ――その夜。<br /> 夜中の磯場に瞬く四つの明かりが、潮風に揺れていました。<br /> 今夜の釣果はいつになく好調で、みんな上機嫌でした。<br /><br /><br />   マ…………ス・カ? ……キ・マ…………カ?<br /><br /><br /> 鼻歌混じりに暗い水面のウキを眺めていた梅岡先生は、<br /> 潮騒に紛れて人の声が聞こえた気がして、隣にいた教頭先生に話しかけました。<br /><br />  「山ちゃん、なんか言いました?」<br />  「は? 私は何も言っていませんよ。梅ちゃんの空耳じゃないですか?」<br /><br /> 教頭先生は怪訝な顔をして、頚を横に振りました。<br /> 因みに、山ちゃんとは内山田教頭のことです。<br /> 釣り場ではニックネームで呼ぶ事が、薔薇学釣遊会での慣例となっていました。<br /><br /> もしかしたら、ブラッドレイ先生かレイザーラモン先生の鼻歌が、<br /> 潮風に乗って聞こえたのかも知れない。<br /> そう考えて、梅ちゃんが再び釣りに専念していると、今度はもっと明瞭に、<br /> 先程の声が聞こえたのです。<br /><br /><br />   マ・キ・マ・ス・カ? マ・キ・マ・セ・ン・カ?<br /><br /><br /> 流石に気味が悪くなって、梅ちゃんは辺りを見回しました。<br /> すると丁度、山ちゃんが市販の配合餌とオキアミを混ぜ合わせたコマセを、<br /> スコップで愉しそうに掻き混ぜているのが見えました。<br /><br />  「撒きますか~♪ 撒きませんか~♪」<br /><br /> お前かよ、ヂヂイ! <br /> 梅ちゃんは心の奥で、山ちゃんに罵声を浴びせました。<br /> 幽霊の正体見たり、枯れ尾花――と、川柳にあるように、<br /> 正体が判ってしまえば何も怖くありません。<br /> 梅ちゃんは安堵に胸を撫で下ろし、コマセを投下しながら、<br /> 山ちゃんに倣って独り言を呟きました。<br /><br />  「撒きますよ~。ついでにリールも巻きますよ~」<br /><br /> その直後、梅ちゃんのロッドが勢い良くしなりました。<br /> どうやら、なかなかの大物みたいです。<br /> 梅ちゃんは歓声を上げながら、懸命にリールを巻きました。<br /><br /> けれど、何か様子が変です。<br /> 普通ならブルブルと魚が暴れる感触が伝わって来るのですが、全くありませんでした。<br /> 流木でも引っかかったのでしょうか?<br /><br /> ゆらり――と、漆黒の水面に金色の煌めきが揺れていました。<br /><br /><br />  「な、なんだこれ? 山ちゃん、網! 網もって来て」<br />  「ほいほいほい。梅ちゃん、もっと岸に寄せて」<br /><br /> 山ちゃんに言われて、梅ちゃんはグイッとロッドを立てました。<br /> すると、砕けた波の泡が漂う海面を割って、海藻を被ったモノが現れたのです。<br /> 海岸には色々なゴミが漂着します。多分、そんな何かを引っかけてしまったのでしょう。<br /> かと言って、仕掛けを切る訳にもいかず、山ちゃんは網で掬い上げました。<br /><br />  「や、山ちゃん……これは」<br />  「なんとなんと。こんな物まで……」<br /><br /> それは、精巧な造りのビスクドールでした。可哀想に、右眼が破損しています。<br /> 元々は奇麗な深紅だったと思われる衣装も、長く海に沈んでいたせいか、<br /> ピンクに色褪せていました。<br /><br />  「こんな物まで海に捨ててしまうなんて。悲しくなるねぇ、梅ちゃん」<br />  「全くですよ、山ちゃん。ウチの生徒には、もっと自然を大切にするよう<br />   教育しなきゃいけませんね」<br />  「ほっほっほ。では、最終日には海岸のゴミ拾いをしましょうか」<br /><br /> 梅ちゃんが人形を抱き上げると、人形の服から何かがこぼれ落ちました。<br /> それは青く錆びた、小さな鍵でした。<br /><br />  「梅ちゃん。それ、この人形のゼンマイなんじゃないの?」<br /><br /> そう言った山ちゃんの瞳は、何かを期待する様に輝いていました。<br /> 俗に言う、wktk目線です。<br /><br />  「あ、あのぉ――」<br />  「……………………バッチコイ♪」<br />  「はあぁ? ちょっと、山ちゃん――」<br />  「……………………ガッツだぜ♪」<br />  「つまり…………巻け、と?」<br /><br /> 聞いてはみたものの、逃れる術が無いことを、梅ちゃんは知っていました。<br /> これ以上、渋っていては冬の賞与の査定に響いてしまいます。<br /><br /><br /> ごくり――<br /><br /><br /> 口の中の乾きを覚えながら、梅ちゃんは生唾を呑み込み、<br /> 人形の背中に鍵を差し込み、ゆっくりと回しました。<br /> 海に沈んでいたのだから、内部のゼンマイは錆びて動かないのでは?<br /> 梅ちゃんの密かな願いは、残念ながら直ぐに裏切られました。<br /><br /><br />   きりり……きりり……きりり……<br /><br /> ゼンマイを巻いて、梅ちゃんは人形を岩に座らせました。<br /> けれど、何も起こりません。やはり、海水で内部機構が浸食されている様です。<br /> なぁんだ。梅ちゃんは胸を撫で下ろし、山ちゃんは小さく舌打ちしました。<br /><br />  「うえぇぇえぇ…………ぎも゛ぢわ゛る゛い゛」<br /><br /> 突然、真夜中の磯に不気味な声が流れました。<br /> 勿論、梅ちゃんが言ったのでも、山ちゃんが悪ふざけした訳でもありません。<br /> 顔を見合わせ、二人は揃って、人形に目を向けました。<br /><br />  「アタシを起こしたのは、アナタ?」<br />  「ひえっ!」<br />  「ウホッ!!」<br /><br /> いきなり喋りだしたのが人形と判って、山ちゃんと梅ちゃんは抱き合って、<br /> ガタガタと震えました。<br /> でも、本当の恐怖はこれからだったのです。<br /><br /><br /><br /><br /> 人形を岩場に置いたまま、山ちゃんと梅ちゃんは他の二人を促して寮に逃げ帰りました。<br /> 勿論、本当のことは誰にも話せません。<br /> 言ったところで、失笑を買うのが目に見えていたからです。<br /><br /> もう寝よう。梅ちゃんは風呂にも入らず、浴衣に着替えました。<br /> ところが――<br /><br />  「うひぇっ!」<br /><br /> 布団に脚を突っ込んだ途端、ぐっしょりと濡れたナニかが転がっていて、<br /> 梅ちゃんは奇声を上げました。<br /> 隣で寝ていたアーカード先生が、梅ちゃんの声を聞き付けて目を覚ましました。<br /><br />  「どうした、梅岡先生?」<br />  「ふ、ふ……布団の中に、ナニか濡れた物がっ!」<br />  「は? 何なんだ、一体?」<br /><br /> どれ……と、アーカード先生は掛け布団を捲りました。<br /> そこには大きな水たまり以外、何も有りませんでした。<br /><br />  「…………梅岡先生。おもらしですか?」<br />  「ちっ! 違う違う! 本当に、何かが転がってたんですよ!」<br /><br /> 懸命に否定する梅岡先生でしたが、その必死さが余計に胡散臭さを募らせていることに、<br /> 気付いてはいませんでした。<br /><br /><br /><br /><br /> ――夜には、各部屋の見回りがあります。<br /> 生徒達は普段と違う環境に来て、ついついハメを外し過ぎてしまうのです。<br /><br /> 懐中電灯を手に廊下を見回っていた梅ちゃんは、<br /> 部屋の中からヒソヒソと話す声を聞き付けて立ち止まりました。<br /> 扉に近付いて耳をそばだてると、どうやら怪談話で盛り上がっている様子でした。<br /><br />  「たとえばぁ、こぉんな光景を思い浮かべてくださぁい……」<br /><br /> 水銀燈か。梅ちゃんは溜息を吐くとノックをして、扉を開けました。<br /><br />  「こら。消灯時間は過ぎてるんだぞ。早く寝なさい」<br />  「えぇ~。でも、先生……まだ十時でしょぉ」<br />  「この頃では、小学生でも深夜番組を見ているのだわ。ねえ、蒼星石?」<br />  「そうそう。最近は深夜に面白いアニメやってて、つい見ちゃうんだよね」<br />  「お、お前ら、屁理屈ばっかり言って……」<br /><br /> ここは一つ、ガツンと叱ってやる。梅ちゃんは拳骨を振り上げました。<br /> すると、生徒達は急に表情を強張らせ、悲鳴を上げて布団に潜り込んだのです。<br /> 減らず口を叩いていても、撲たれることを怖れるところが子供らしい。<br /> 梅ちゃんは「はやく寝るんだぞ」と念を押して、部屋を後にしました。<br /><br /><br /> その頃、室内では――<br /><br /> 「ねぇ…………先生の背後から覗いてた人形……あれ、ナニ?」<br /><br /><br /><br /><br /> 梅ちゃんは背筋に寒気を覚える様になっていました。肩凝りも酷くなる一方です。<br /> 周囲の眼も、何だか余所余所しく感じられました。避けられているみたいです。<br /> けれど、それが何に起因しているのかは、相変わらず解っていませんでした。<br /><br /> 朝――昨日と同じ様に、梅ちゃんは不快感で目を覚ましました。<br /> 枕と布団が、ぐっしょりと濡れているのです。<br /> 若い女性を彷彿させる金髪が、枕に付着していました。<br /><br />  「なんなんだろうなぁ……この気怠さは」<br /><br /> 臨海学校も、今日で終わりです。そう思うと、梅ちゃんは何故か急に、<br /> 磯で見たあの人形が気になり始めました。<br /> あれ以来、磯には近付いていません。<br /> もしかしたら、波に浚われてしまったかも知れない。<br /><br /> 本来なら厄介払いできて清々するところでしょうが、なんとなく、<br /> 罪悪感に苛まれていました。第一、海に投棄するなど以ての外です。<br /> 海岸で生徒達がゴミ拾いをしている光景を横目に、<br /> 梅ちゃんは夜釣りをした磯へと、独り向かいました。<br /><br /><br /><br /><br /> あの日と変わらず、人形は岩に腰掛け、水平線を眺めていました。<br /> 梅ちゃんは、不思議と胸のトキメキを感じました。<br /> まるで、かつての恋人に再会するような気恥ずかしさと、微かな不安。<br /> ……少しだけ、脚が重くなりました。<br />   <br /> 梅ちゃんの足音を聞き付けたのか、人形の頭が梅ちゃんの方へ向きました。<br /><br />  「来てくれたのね」<br /><br /> あの夜の様に人形が話しかけてきましたが、梅ちゃんは少しも恐怖を感じませんでした。<br /><br />  「今日、帰るのね」<br />  「ああ。そういう予定だからね」<br /><br /> 見た目は不気味なジャンクでしたが、会話してみると、人形はとても理知的でした。<br /> 二百年ほど、海の中を漂い続けていたそうです。<br /><br />  「ワタシの初恋の人に似ているわ、アナタ」<br />  「そうなんだ? いつの話だい、それ?」<br />  「レディの過去を詮索するなんて、デリカシーがないわね」<br />  「ははは……手厳しいな」<br /><br /> 頭を掻き掻き、梅ちゃんは人形に問い掛けました。<br /><br />  「一緒に来るかい? 探せば、キミを奇麗に修理できるところが見付かるかも」<br />  「地上は煩くてキライなの。ワタシはまた、海の中を気儘に泳ぎ続けるわ」<br />  「そうか。残念だな。もう少し、話をしていたかったんだが」<br /><br /> もう、帰る時間です。梅ちゃんは立ち上がって、腰を伸ばしました。<br /><br /><br />  「それじゃあ、もう行くよ。元気でな」<br />  「アナタもね。あと、鼾が酷いから耳鼻咽喉科に行くことを奨めるわ」<br />  「えっ?」<br />  「さよなら…………素敵な思い出を、ありがとう」<br /><br /> そう告げて、人形は海に飛び込み、見えなくなってしまいました。<br /><br /><br /><br /><br /> 人形は海流に揉まれながら、張り裂けそうになる胸を必死に押さえていました。<br /> 本当は、梅ちゃんと一緒に居たかったのです。<br /> でも、自分と違って彼には天が定めた寿命があります。<br /> かつて恋心を抱いた人のように、いつかは自分の元から去ってしまいます。<br /> あんなに辛い想いをするくらいなら、いっそ最初から知らない方がマシでした。<br /> しかし、一度でも『恋』という甘く切ない禁断のリンゴを口にしてしまった人形は、<br /> それを求めずにはいられなくなっていたのです。<br /><br /><br /> 人形の側に、イルカが近付いてきました。<br /><br />  「いいところへ来たわ。ワタシを遠くまで運んでちょうだい。何処へ? <br />   そうね……アナタに任せるわ。取り敢えず、今は遠くへ行きたい。そんな気分なの」<br /><br /> イルカは人形を背に載せると、ゆったりと海の中を泳いでいきました。<br /><br /><br /><br /><br /> 研修寮では、生徒達が荷物をバスに積み込んでいました。<br /> 岬の方から砂浜を歩いてくる梅ちゃんを見付けて、水銀燈が話しかけました。<br /><br />  「先生、何処へ行ってたんですぅ? ゴミ拾いの時も居なかったし」<br />  「ん? ああ、ちょっと散歩をな」<br />  「? あの……先生。目の下、汚れてますよ」<br />  「これは……向こうで、砂が目に入っちゃってさ。ははは――」<br /><br /> 水銀燈がそっと差し出したハンカチで、梅ちゃんは目元を拭ったのでした。<br /> こうして、臨海学校は今年も無事に終わりました。<br /><br /><br /><br /> ――翠星石のお話は、これで終わりですぅ。ご静聴ありがとうございましたです。</p>

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