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「『危険!落ちたら死ぬ!』」(2006/09/21 (木) 13:00:05) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
「ふぅ~、すっきりしたですぅ」<br>
「いい湯だったわね」<br>
温泉からあがり、休憩スペースで一休みする。<br>
夏真っ盛りという事もあり、冷房は効いていたものの、火照った体には丁度良い。<br>
こうリラックスできるときにはやっぱり……。<br>
<br>
「翠星石、紅茶をお願い」<br>
「了解ですよ」<br>
翠星石は手にしていた魔法瓶から紅茶をふたに注ぐ。<br>
ホットの状態で入れているので、薄く湯気が上がる。<br>
<br>
「やっぱりお風呂上りの紅茶はいいわね」<br>
紅茶を口にして一息つく。どこか心が和み、落ち着く。<br>
至福の時とはこのような状況をいうのかも知れない。<br>
「その辺、翠星石にはよく分からねえです。熱い湯に入った後なのに、なんで熱い紅<br>
茶が欲しくなるですか、真紅」<br>
「心を休ませたい時には紅茶に限るのよ。それも冷たいものではなく、美味しさが最<br>
高に引き立たせる温度で入れた紅茶でないとだめよ。暑いから冷たいものを飲むなん<br>
ていう常識は必ずしも正しいものではないわ」<br>
「そんなものですか?」<br>
翠星石はあまりこの贅沢を理解できない様子で、冷えたスポーツドリンクを一気に<br>
飲み干す。<br>
紅茶を飲み終えると、私は立ち上がった。<br>
「そろそろ行くとしましょう」<br>
「そうですね」<br>
翠星石も私の後に付いて、温泉施設を後にする。<br>
<br>
外に出ると、真夏の熱気が容赦なく襲い掛かった。<br>
日差しはまぶしく、夏特有の蒸しっぽさも少しはある。<br>
しかし、今いる場所は山奥という事もあり、都会とは違って吹き込む風は多少爽や<br>
かように感じる。<br>
周囲の山々の緑がまぶしく見える。<br>
<br>
岐阜県本巣市は根尾にて。<br>
長期休暇を利用して、どこか遠出しようと翠星石と車で出かけたのだった。<br>
近辺の都会や山々に行くのも何なのでと最初は名古屋に遊びに行ったのだった。<br>
しかし、都会は蒸し暑くて、折角の休みに行く場所でもないと思い、それなら山奥<br>
に行こうと、行き先も決めず車を走らせていたのだった。<br>
行った道を引き返すことはせず、ひたすら進むという形で。<br>
<br>
ただ、車のエアコンに掛かり放しなのも体に毒だと思い、窓を全開にしていたのだ<br>
が、やはりそこから吹き込む熱気のために体はすっかり汗ばんで多少不快になってい<br>
たのだった。<br>
だったら温泉に行こうと適当に地図を眺めていたら、この場所が目に止まって行っ<br>
たわけなのだった。<br>
この近辺には淡墨桜という名所もあったが、生憎今は夏だった。<br>
春にも来てみたいと思いながら、車に乗り込み地図を開ける。<br>
<br>
「次はどこに行く?」<br>
「山は十分堪能したです。できれば海に行きたいです」<br>
「海ねぇ……としたら三重あたりかしらね。でも、同じ道を引き返すというのもどう<br>
かと思うわ」<br>
「そうでもねえですよ。ほら、さっきここに来る時に使った国道ですけど、北の方に<br>
向かっているです」<br>
翠星石はそう言って地図にある、国道を示す赤い線を指差した。<br>
岐阜から現在いる根尾に向かって国道157号線を走って来た訳なのだが、確かに<br>
彼女の言うとおり、そのまま北へと向かい、福井県へと伸びていた。<br>
「このまま大野まで出たら、後は道なりに進んで海にいけるですよ。東尋坊あたりな<br>
んかどうですか」<br>
「いいわね。それでいくわ」<br>
私は地図を閉じると、車のエンジンを掛けゆっくりと進ませた。<br>
<br>
もっとも、その地図に『大型車通行不能』という注意書きがあったのが何となく気<br>
にはなったのではあるが。<br>
<br>
<br>
国道まで出ると、そのまま標識に従って北の方向へと走らせる。<br>
大野まで65キロ。距離はかなりある。<br>
この近辺までは2車線の快適な道路が続いていたのだが、突如1車線の狭い道にな<br>
り、集落の中を通る形になっていた。<br>
さらには急なヘアピンカーブが出てきたり、大型車通行不能とでかでかと記された<br>
看板がやたらと目に付くようになる。<br>
<br>
「これ国道なのかしら。もっと広い道を想像していたのだけど」<br>
私は思っていた疑問を口にしながらハンドルを道の進行方向に従い動かす。<br>
「まあ、ど田舎の国道だったらある話です。砂利道になっていたり、すれ違いができ<br>
ねえほど極端に細くなるとは思えねえですから、大丈夫ですよ、多分」<br>
翠星石は特に驚くこともなく、窓の外の景色を眺めていた。<br>
<br>
さらには『大型車最終転回場』なんて看板まで出てきて、少し行くと通行止め用の<br>
ゲートと大型車通行不能を示す大きな看板がまた現れる。<br>
しかし、その下にふと気になる看板が一つあるのに気付いた。<br>
<br>
『危険!落ちたら死ぬ!』<br>
<br>
<br>
その問題の看板のあたりで、前から車が1台来たので車を止め、やりすごす。<br>
「何なのかしら。今更こんなことを言っても仕方がないと思うのだわ」<br>
「意味ねえです。常識ですよ。税金の無駄遣いもはなはだしいです」<br>
私と翠星石はその看板の文言に首をひねっていた。<br>
まあ、そんなことぐらい承知なのだわと、私は対向車がないのを確認して車を進ま<br>
せた。<br>
<br>
少し行くと突如、道は急激に細くなった。<br>
乗っている車はニッサンのステージア。<br>
正直、車の幅いっぱいしかない。<br>
ガードレールはあるものの……と右手の川の方を見ると!<br>
<br>
「何、これ?」<br>
私は唖然とした。<br>
ガードレールはなく、代わりにポールが等間隔に立っていて、それらにトラ縞のロ<br>
ープが張られているだけだった。しかも、所々だらしなく垂れていて、場所によって<br>
はロープが地面に着いていたりしていた。<br>
対照的に道はうねうねと曲がりながら、標高を上げていく。<br>
川との高低差は広がるばかりだった。<br>
<br>
「こんなところで対向車でも来られたら、自信がないわ」<br>
「まったくです……って!?」<br>
翠星石は顔を強張らせて前を指差して叫んだ。<br>
<br>
前方から1台の……ダンプカーが砂煙を巻き上げてこちらに向かって走ってくるの<br>
が見えた。<br>
見渡す限りすれ違える広い所は見当たらない。車1台がやっとの幅の道が伸びてい<br>
るだけであった。<br>
しかも、左手は崖。右手に至っては急斜面の崖が遥か下方にある川まで続いている。<br>
<br>
「これ、どうすれ違えというの!?」<br>
私は半ばパニックになっていた。<br>
そうこうしている間にもダンプカーとの距離は縮まってきている。<br>
「と、とにかく、広い所を探すです!ダメだったらバックするです!」<br>
翠星石も前のほうを見ながら懸命にすれ違える場所を探す。<br>
ちょっと、こんな道をバックしろというの!?<br>
到底無理な話よ!下手したら崖下に転落するわ!<br>
<br>
その時、先ほどの看板の文言が思い起こされる。<br>
『危険!落ちたら死ぬ!』<br>
すれ違いに失敗してハンドル操作を誤ったら、そのまま崖下に転落するのは確実……<br>
そういう意味だったのね……って、感心している場合じゃない!<br>
車の速度を急激に落として、私はなんとかしてすれ違いをするための場所を探すので<br>
精一杯だった。<br>
<br>
-to be continiued-<br>
<br>
<br>
「ふぅ~、すっきりしたですぅ」<br>
「いい湯だったわね」<br>
温泉からあがり、休憩スペースで一休みする。<br>
夏真っ盛りという事もあり、冷房は効いていたものの、火照った体には丁度良い。<br>
こうリラックスできるときにはやっぱり……。<br>
<br>
「翠星石、紅茶をお願い」<br>
「了解ですよ」<br>
翠星石は手にしていた魔法瓶から紅茶をふたに注ぐ。<br>
ホットの状態で入れているので、薄く湯気が上がる。<br>
<br>
「やっぱりお風呂上りの紅茶はいいわね」<br>
紅茶を口にして一息つく。どこか心が和み、落ち着く。<br>
至福の時とはこのような状況をいうのかも知れない。<br>
「その辺、翠星石にはよく分からねえです。熱い湯に入った後なのに、なんで熱い紅<br>
茶が欲しくなるですか、真紅」<br>
「心を休ませたい時には紅茶に限るのよ。それも冷たいものではなく、美味しさが最<br>
高に引き立たせる温度で入れた紅茶でないとだめよ。暑いから冷たいものを飲むなん<br>
ていう常識は必ずしも正しいものではないわ」<br>
「そんなものですか?」<br>
翠星石はあまりこの贅沢を理解できない様子で、冷えたスポーツドリンクを一気に<br>
飲み干す。<br>
紅茶を飲み終えると、私は立ち上がった。<br>
「そろそろ行くとしましょう」<br>
「そうですね」<br>
翠星石も私の後に付いて、温泉施設を後にする。<br>
<br>
外に出ると、真夏の熱気が容赦なく襲い掛かった。<br>
日差しはまぶしく、夏特有の蒸しっぽさも少しはある。<br>
しかし、今いる場所は山奥という事もあり、都会とは違って吹き込む風は多少爽や<br>
かように感じる。<br>
周囲の山々の緑がまぶしく見える。<br>
<br>
岐阜県本巣市は根尾にて。<br>
長期休暇を利用して、どこか遠出しようと翠星石と車で出かけたのだった。<br>
近辺の都会や山々に行くのも何なのでと最初は名古屋に遊びに行ったのだった。<br>
しかし、都会は蒸し暑くて、折角の休みに行く場所でもないと思い、それなら山奥<br>
に行こうと、行き先も決めず車を走らせていたのだった。<br>
行った道を引き返すことはせず、ひたすら進むという形で。<br>
<br>
ただ、車のエアコンに掛かり放しなのも体に毒だと思い、窓を全開にしていたのだ<br>
が、やはりそこから吹き込む熱気のために体はすっかり汗ばんで多少不快になってい<br>
たのだった。<br>
だったら温泉に行こうと適当に地図を眺めていたら、この場所が目に止まって行っ<br>
たわけなのだった。<br>
この近辺には淡墨桜という名所もあったが、生憎今は夏だった。<br>
春にも来てみたいと思いながら、車に乗り込み地図を開ける。<br>
<br>
「次はどこに行く?」<br>
「山は十分堪能したです。できれば海に行きたいです」<br>
「海ねぇ……としたら三重あたりかしらね。でも、同じ道を引き返すというのもどう<br>
かと思うわ」<br>
「そうでもねえですよ。ほら、さっきここに来る時に使った国道ですけど、北の方に<br>
向かっているです」<br>
翠星石はそう言って地図にある、国道を示す赤い線を指差した。<br>
岐阜から現在いる根尾に向かって国道157号線を走って来た訳なのだが、確かに<br>
彼女の言うとおり、そのまま北へと向かい、福井県へと伸びていた。<br>
「このまま大野まで出たら、後は道なりに進んで海にいけるですよ。東尋坊あたりな<br>
んかどうですか」<br>
「いいわね。それでいくわ」<br>
私は地図を閉じると、車のエンジンを掛けゆっくりと進ませた。<br>
<br>
もっとも、その地図に『大型車通行不能』という注意書きがあったのが何となく気<br>
にはなったのではあるが。<br>
<br>
<br>
国道まで出ると、そのまま標識に従って北の方向へと走らせる。<br>
大野まで65キロ。距離はかなりある。<br>
この近辺までは2車線の快適な道路が続いていたのだが、突如1車線の狭い道にな<br>
り、集落の中を通る形になっていた。<br>
さらには急なヘアピンカーブが出てきたり、大型車通行不能とでかでかと記された<br>
看板がやたらと目に付くようになる。<br>
<br>
「これ国道なのかしら。もっと広い道を想像していたのだけど」<br>
私は思っていた疑問を口にしながらハンドルを道の進行方向に従い動かす。<br>
「まあ、ど田舎の国道だったらある話です。砂利道になっていたり、すれ違いができ<br>
ねえほど極端に細くなるとは思えねえですから、大丈夫ですよ、多分」<br>
翠星石は特に驚くこともなく、窓の外の景色を眺めていた。<br>
<br>
さらには『大型車最終転回場』なんて看板まで出てきて、少し行くと通行止め用の<br>
ゲートと大型車通行不能を示す大きな看板がまた現れる。<br>
しかし、その下にふと気になる看板が一つあるのに気付いた。<br>
<br>
『危険!落ちたら死ぬ!』<br>
<br>
<br>
その問題の看板のあたりで、前から車が1台来たので車を止め、やりすごす。<br>
「何なのかしら。今更こんなことを言っても仕方がないと思うのだわ」<br>
「意味ねえです。常識ですよ。税金の無駄遣いもはなはだしいです」<br>
私と翠星石はその看板の文言に首をひねっていた。<br>
まあ、そんなことぐらい承知なのだわと、私は対向車がないのを確認して車を進ま<br>
せた。<br>
<br>
少し行くと突如、道は急激に細くなった。<br>
乗っている車はニッサンのステージア。<br>
正直、車の幅いっぱいしかない。<br>
ガードレールはあるものの……と右手の川の方を見ると!<br>
<br>
「何、これ?」<br>
私は唖然とした。<br>
ガードレールはなく、代わりにポールが等間隔に立っていて、それらにトラ縞のロ<br>
ープが張られているだけだった。しかも、所々だらしなく垂れていて、場所によって<br>
はロープが地面に着いていたりしていた。<br>
対照的に道はうねうねと曲がりながら、標高を上げていく。<br>
川との高低差は広がるばかりだった。<br>
<br>
「こんなところで対向車でも来られたら、自信がないわ」<br>
「まったくです……って!?」<br>
翠星石は顔を強張らせて前を指差して叫んだ。<br>
<br>
前方から1台の……ダンプカーが砂煙を巻き上げてこちらに向かって走ってくるの<br>
が見えた。<br>
見渡す限りすれ違える広い所は見当たらない。車1台がやっとの幅の道が伸びてい<br>
るだけであった。<br>
しかも、左手は崖。右手に至っては急斜面の崖が遥か下方にある川まで続いている。<br>
<br>
「これ、どうすれ違えというの!?」<br>
私は半ばパニックになっていた。<br>
そうこうしている間にもダンプカーとの距離は縮まってきている。<br>
「と、とにかく、広い所を探すです!ダメだったらバックするです!」<br>
翠星石も前のほうを見ながら懸命にすれ違える場所を探す。<br>
ちょっと、こんな道をバックしろというの!?<br>
到底無理な話よ!下手したら崖下に転落するわ!<br>
<br>
その時、先ほどの看板の文言が思い起こされる。<br>
『危険!落ちたら死ぬ!』<br>
すれ違いに失敗してハンドル操作を誤ったら、そのまま崖下に転落するのは確実……<br>
そういう意味だったのね……って、感心している場合じゃない!<br>
車の速度を急激に落として、私はなんとかしてすれ違いをするための場所を探すので<br>
精一杯だった。<br>
<br>
バックミラーを頼りに、恐る恐るゆっくりと車をバックさせる。<br>
しかし、視界が限られているので正直はっきりとは見えない。<br>
ガードレールなんかない狭い山道。ハンドルさばきを一つでも間違えば谷底に<br>
一発で転落なのは間違いない。<br>
「真紅、急ぐです」<br>
翠星石は目の前に迫りつつあるダンプを震える手で指差す。<br>
「分かっているわ」<br>
私は窓を開け、そこから顔を出して後方を覗き込んだりしていた。<br>
時折、崖側の路肩に乗り上げそうになり、ヒヤリとする。<br>
正直、怖くてたまらない。人によってはスリルがあっていいなんていうのもい<br>
るが、少なくとも私はそんなものは感じない。<br>
幸いだったのは後続車がなかったことだった。<br>
あれば、もっと厄介なことになっていただろう。<br>
<br>
やがて、道は大きくカーブしているのが見えた。山側に向かって多少膨らんで<br>
いた。ここでやりすごすことにした。というか、それ以上バックする気には到底<br>
なれない。<br>
<br>
ゆっくりと慎重にカーブの膨らみ一杯一杯まで車を寄せる。<br>
なんとか、すれ違えるかなと思える所まで押し込んだあたりで……<br>
<br>
ガリッ、ガッ……<br>
<br>
後方でなにかが無理矢理擦れる音がした。<br>
何となく……嫌な予感がする。<br>
<br>
直後、前に迫っていたダンプが砂煙を上げながら、私の車の横を通り過ぎてい<br>
った。舞い上がった砂煙が容赦なく開け放った窓から舞い込んでくる。<br>
「けほんけほん」<br>
「煙てえです。もっとゆっくり走りやがれです」<br>
車の中に舞い込んだ砂が収まり、前に対向車がないことを確認して車を走らせた。<br>
後ろが正直気になって仕方がないが……それを確認する余裕なんか全くない。<br>
とにかく、道が多少広くなったあたりで確認することにした。<br>
<br>
幸い、それからは対向車は全くなかった。<br>
相変わらずトラ縞のロープが張られた狭い道をゆっくりと進む。<br>
そんな道でも途中に国道を示す看板があるのだからたまったものじゃない。<br>
ロックシェッドを一つ通り過ぎたが、そこが辛うじて人の手が加わっていると見え<br>
たところだった。<br>
<br>
やがて、進むうちに右側の崖下との高低差が縮まり、路面と同じ高さになったくら<br>
いでゲートが見えた。その先には砕石所らしき工場がある。<br>
その前あたりに広場があったので、そこに車を止める。<br>
そこにはダンプが1台止められていた。どうやら先ほどの車はここから来たようだ。<br>
「やれやれなのですぅ」<br>
「…………」<br>
私は何も言わず、エンジンを掛けたまま車を降り、気になっていた左後方へと回り<br>
込んだ。<br>
<br>
「最悪なのだわ」<br>
悪い予感は的中した。<br>
後部バンパーに大きな擦り傷。挙句の果てに、ひびが入って少しずれたリアランプ。<br>
大いに落ち込んだのは言うまでもない。<br>
「まさか……?」<br>
助手席の翠星石が心配そうにこちらをのぞきこんで来る。<br>
「そのまさかなのだわ。左後部をやってしまったわ。<br>
正直、この先運転する自信がないわ。翠星石、運転替わって頂戴」<br>
「翠星石もあんまり自信がねえです」<br>
「私はこの先運転する気力がないわ。正直、死亡事故になってしまうかも」<br>
「分かったです。そこまで言うならやるですよ」<br>
翠星石は渋々、助手席を降りて運転席に乗り込む。<br>
それを見届けると私は力なく助手席に乗り込んだ。<br>
そして、彼女は車をゆっくりと動かしたわけなのだが……。<br>
<br>
「とりあえず、地図では引き返すか前に進むしかねえですね。でも、あんな道を引き<br>
返すのはごめんですぅ」<br>
「同感だわ。先に進んで頂戴」<br>
現在いる場所は、黒津という集落だった。途中で『福井県大野市 57km』という<br>
標識がある。こんな状態の道があとそれくらい続くのかと思うとうんざりする。<br>
しかし、引き返してあんな危ない羽目を再び体験するよりかはましだろうとも思っ<br>
てしまう。<br>
もっとも、この先の実態を知らないからそんなことを思ってしまっていたのだが。<br>
<br>
集落を通り過ぎて、再び道は鬱蒼とした森の中を縫うように走る。<br>
時折、右手に川が見える。<br>
澄んだ空気に、深深とした緑、そしてその中を流れる清流。周囲に聳え立つ山々。<br>
大自然とは、このようなことをいうのだろう。<br>
もっと落ち着いていたら、適当なところで車を止めて水遊びでもしていたかも知れ<br>
ないが、今は到底そんな気分にはなれない。<br>
<br>
「何ですか、あれ」<br>
翠星石が指差す先に、一つの看板が見えた。<br>
<br>
『この先洗い越し 段差あり注意』<br>
<br>
「何なのかしら、洗い越しって」<br>
「さぁ……」<br>
何のことかさっぱり分からなかったが、目の前に現れた変化を見てそれが何か、理<br>
解させられる。<br>
<br>
道が多少へこんでいたのだった。<br>
山側には砂防ダムがあり、そこから川が流れるようになっていた。もっとも、水自<br>
体はないが。<br>
思うに……川を橋で越えるのではなく、道のへこんだ部分に直接流すようになって<br>
いるのだろう。<br>
「妙なつくりしてやがるです」<br>
翠星石はぶつぶつと呟きながら、その箇所をゆっくりと通り過ぎる。<br>
<br>
その先にも、洗い越しはいくつか見られたものの、難なく通り過ぎる。<br>
この道の扱いにも多少慣れたのか、翠星石は多少飛ばしぎみになっていた。<br>
「ちょっと、スピード上げすぎなのだわ」<br>
「そうですか?」<br>
彼女はあまり気にしていなく、スピードを多少落とすに留まっていた……が。<br>
再び洗い越しの看板が見えて……道は大きく窪んでいた!<br>
<br>
「ちょっと、落として!」<br>
「え?」<br>
咄嗟に彼女の手を押さえてまで、スピードを落とさせるようにしたが……彼女が気<br>
付くのはあまりにも遅すぎた。<br>
<br>
ガリガリ!<br>
<br>
前方の車底から、擦る嫌な音がした。<br>
さすがに彼女もこれにはビックリして、車を急停止させた。<br>
<br>
「…………」<br>
少しの間、何ともいえない気まずい沈黙が車内を支配する。<br>
翠星石の作り笑いが痛々しい。<br>
<br>
「……」<br>
私は何も言わず、車を降りて前方を確認する。翠星石もその後に続くが……目にし<br>
たものにともに愕然としたのであった。<br>
<br>
ええ。はっきり見ましたとも。<br>
バンパーが少し下にズレていて、しかも大きな傷のおまけつきで!<br>
<br>
「……調子に乗ってるからよ。ツケはきっちり払ってもらうわ」<br>
「分かってるですぅ」<br>
案の定、落胆していた翠星石。<br>
私はそれ以上何も言わずに助手席に乗り込む。<br>
<br>
その先、この手の洗い越しは数え切れないぐらいあった。<br>
「川が道の上を流れてやがるです」<br>
「無茶苦茶なのだわ」<br>
特に……実際に川が路面を流れている所もあったのを目にしたときにはもはや呆れ<br>
るしかなかったが。<br>
<br>
なんだかんだで、うねうねとした山道をとおり、峠についた。<br>
『福井県 大野市』と書かれた看板が頭上に掲げられていることから、ここが県境だ<br>
った。時計はすでに3時を回っていた。<br>
そして、再び大型車通行不能という看板が。<br>
「ここまで大型車が来れるわけねえです」<br>
「どういう税金の使い方なのかしら、全く」<br>
そういう突っ込みはここまでにしておいて、山道を下る形になるのだが……。<br>
<br>
向こう側も相変わらずだというしかなかった。<br>
深い谷をうねうねとヘアピンカーブで下る道。<br>
ひびが無数に入り、通るたびにがたがたと大きく車を揺らせるコンクリート舗装。<br>
谷側のガードロープはだらしなく垂れ下がり。<br>
挙句の果てには、沢を通る端のガードレールはひしゃげた状態になっていた。<br>
(雪深い地域であるというにはしかたがないが……)<br>
<br>
正直、何も言う気になれない。<br>
こんな状態の道であるにもかかわらず、国道看板と地名を示す看板はやたらと多く<br>
あったのが、言葉を失ってしまう。<br>
<br>
ようやく、家……というか小屋らしきものが見えたあたりで、再び異様な光景を目<br>
にする。<br>
1車線の道が草むらのなかを、ただまっすぐ伸びていたのである。<br>
両側には森が、奥には山々が見える光景は、ある意味幻想的ともいえたのだが……<br>
そう感じる気力はくどいようだが、これっぽっちもそのときはなかった。<br>
「今度は地平線ですか」<br>
「なんでもありなのかしら」<br>
それ以上何も言うことなく、ただひたすら道を突き進む。<br>
<br>
その後、いくつかのヘアピンカーブだの、急坂だのを通り過ぎて、ようやく道は2<br>
車線の快適な道に変わった。<br>
それからは、スピードをあげて突き進む。<br>
<br>
大野市街に着いたのは4時半。そこから福井市内の渋滞に巻き込まれ、東尋坊に着<br>
いたのは7時前のことであった。<br>
太陽はすでに水平線のかなたに沈もうとしていた。<br>
周囲を赤々と照らし、心にも残りそうな風景だったものの……そこまで楽しめる気<br>
にはなれなかった。<br>
何せ……私も翠星石も気力はすでになく……車はボコボコになっているという現実<br>
がそこにはあったから。<br>
<br>
<br>
後日。<br>
「お馬鹿さぁん。あの157といえばマニア向けの道で有名よぉ。ネットを探してみ<br>
れば簡単に見つかるわ。『酷道 157』でググってみなさぁい」<br>
この話を水銀燈にしたところ、案の定思い切り笑われた。<br>
「そんなことまったく知らなかったのだわ」<br>
そして、むきになってしまう私。<br>
「落ちたら死ぬ区間に、路上河川に、温見ストレートに見所は満載だけど、正直通向<br>
けだわ。素人がそんなところ行っちゃあだめよぉ。<br>
とにかく、何とか通り抜けたのはいいけど、その結果がこれぇ?」<br>
水銀燈はそう言って1枚の紙――今回の車の修理代の見積り書を手にする。<br>
<br>
『見積書 真紅 様<br>
車種:ニッサン ステージア 色:ブルー(パール)<br>
<br>
左リアランプユニットASSY 脱着 交換<br>
リアバンパー 脱着 板金 <br>
フロントバンパー 脱着 板金<br>
塗装(2コートパール)<br>
<br>
合計:¥86000(税込)<br>
(株)ガレージサイヤ』<br>
<br>
「思い切りやんちゃしたわねぇ」<br>
これを見た彼女が、ふたたびくすくすと笑い出したのは言うまでもない。<br>
もっとも、これを私が見たとき、店主のベジータを百叩きにした上、梅岡に引き<br>
渡して1晩蜜月を過ごさせた後、値段を7割引にさせたが。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>