※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

「『貴女のとりこ』 第九回」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

『貴女のとりこ』 第九回」の最新版変更点

追加された行は青色になります。

削除された行は赤色になります。

 <br>
   『貴女のとりこ』 第九回<br>
 <br>
 <br>
 午後九時になろうという頃には、流石に、ジュンと薔薇水晶も、<br>
 
 事態の異様さに勘付き始めていた。<br>
 巴と雪華綺晶が行方を眩ませてから、五時間以上が経っている。<br>
 
 置き手紙に記されていた帰宅予定時間を、疾うに過ぎているにも拘わらず、<br>
 
 連絡の一つも無いのは、不自然にして不可解だった。<br>
 <br>
 二人とも、子供じゃないとは言え、若い娘たちだけに、やはり心配だ。<br>
 
 最近では幼児誘拐殺人など、常識では考えられない猟奇的な事件が頻発している。<br>
 
 そんな、頭のおかしな人間によって危害を加えられた可能性も、否定は出来なかった。<br>
 
 <br>
 <br>
 とかく、この世はストレスの海。<br>
 地に足の着いていない者は、うねる荒波に揉まれ、浮遊し続ける他ない。<br>
 
 波間を漂う様に、日常の街中を彷徨い続けるだけ。<br>
 そして――先行きの解らぬ不安を打ち消そうと、刹那の享楽に身を委ねる。<br>
 
 <br>
 全ては、一瞬のスリルを得るため。<br>
 <br>
 たった、それだけの理由。<br>
 <br>
 けれど、最も優先されやすい本能的な欲望。<br>
 <br>
 <br>
 ストレスを強く感じれば感じるほど、満たされぬ欲望もまた、<br>
 
 強く、大きく…………風船のように膨らんでいく。<br>
 その風船が弾けたとき、人は容易く、加害者に成る。<br>
 誰もが、幼児的な嗜虐性を内包しているのだ。<br>
 <br>
 もし、巴と雪華綺晶が、そんな身勝手極まりない者が引き起こした犯罪に<br>
 
 巻き込まれたのだとしたら、悠長に構えてなんか居られない。<br>
 
 いくら巴に武芸の心得があっても、不意を衝かれれば不覚を取るだろうし、<br>
 
 必ずしも、単独犯であるとは限らないからだ。<br>
 携帯電話に繋がらない理由だって、真っ先に犯人が奪い取って、<br>
 
 川などに投棄してしまった可能性が考えられた。<br>
 <br>
 応接間で、薔薇水晶と一緒に大きな壁掛け時計を睨んでいたジュンは、<br>
 
 やおら椅子を蹴立てて、玄関に向かった。<br>
 <br>
 「やっぱり、これから探してくる」<br>
 「あ……それなら、私も――」<br>
 「ダメだ。もう暗いし、薔薇水晶は家に居てくれ。<br>
  捜索状況の経過を連絡する、中継役になって欲しいんだ」<br>
 
 「う…………うん」<br>
 <br>
 ジュンは玄関に向かいがてら、後ろに付き従う薔薇水晶に、<br>
 
 地元の消防団と警察にも協力を仰ぐように指示を出した。<br>
 
 日が暮れてしまっているが、日付が変わるくらいまでは、<br>
 
 付近の捜索してくれるだろう。<br>
 <br>
 「みんなには、僕の方から電話しておくよ。頼めば、ベジータや笹塚も<br>
 
  一緒に探してくれると思うから」<br>
 「はい、コレ。気を付けてね、ジュン。きっと、お姉ちゃん達を見付けてね」<br>
 
 「解ってる。それじゃあ、連絡役は任せたからな」<br>
 <br>
 ジュンは、薔薇水晶が差し出したライトを受け取って、夜の闇に飛び出した。<br>
 
+<br>
+<br>
 <br>
 一夜開けた月曜日。<br>
 町内や学校では、行方不明になった二人の噂で持ちきりとなっていた。<br>
 
 もしも誘拐事件だったら、いたずらに犯人を刺激しない方がいい。<br>
 
 そんな理由で、学校側は騒ぎを大きくしないように注意を払っていたのだが、<br>
 
 人の口に戸は立てられない。<br>
 昼休みを迎える頃には、学校中の生徒の知るところとなっていた。<br>
 
 <br>
 悪事千里を走る……と、諺にも有るように、悪い噂ほど早く広まるのが世の常。<br>
 
 初めの内は、関係者の身内と言うこともあって、多くの者が薔薇水晶に同情的な<br>
 
 眼を向けていた。<br>
 だが、ここ最近の、巴に対する雪華綺晶の異常な接し方が話題に上り、<br>
 
 妙な噂が広がると、忽ち、薔薇水晶を好奇の目で眺め始めた。<br>
 
 <br>
 実のところ、雪華綺晶が巴を拉致、監禁したのではないか?<br>
 
 犯人の妹なら、二人の居場所くらい知ってるんじゃない?<br>
 
 <br>
 <br>
 何処からともなく流れ出す、根拠のない噂話。<br>
 フィクションに対して訊かれても、薔薇水晶だって解らない。解らないから、答えようがない。<br>
 
 返答に窮して黙っていると、今度は、謂われのない誹謗中傷が待っていた。<br>
 
 <br>
 ――答えないのは、姉を庇っているから。――共犯者だから。<br>
 
 <br>
 ただでさえデタラメな話が、人口を膾炙するにつれて、更に悪意ある尾鰭が付き、<br>
 
 終いには聞くに耐えない内容になっていた。<br>
 ジュンや、親友たちがどれだけ庇い立てしようとも、一度生じた流れは、<br>
 
 そうそう止められるものではない。<br>
 <br>
 そして、遂に――<br>
 <br>
 「お姉ちゃんは…………お姉ちゃんは、犯人なんかじゃないもんっ!」<br>
 
 <br>
 耐えかねた薔薇水晶は、悲痛な叫びを発すると、両手で耳を塞いで、<br>
 
 泣き喚きながら教室を飛び出してしまった。<br>
 <br>
 一瞬、しぃん……と静まり返る教室。<br>
 気まずい空気に、誰もが動きを止め、苦々しい顔をしている。<br>
 
 そんな中で、ジュンは無言で教室を出ると、彼女を追いかけた。<br>
 
 <br>
 <br>
 <br>
 薔薇水晶は、何処に行ってしまったのだろう。<br>
 多分、もう校内には居ないと、ジュンは見当を付けた。<br>
 学校の中では、嫌でも聞きたくもない話を、耳にする事になるからだ。<br>
 
 と言って、私物の入った鞄を置きっ放しにして帰るとは考えにくい。<br>
 
 <br>
 「……やっぱ、あの場所かな」<br>
 <br>
 ジュンは昇降口で靴に履き替えて、校舎の裏手にある丘へと向かった。<br>
 
 そこは城址公園になっていて、昼間なら殆ど人が居ない。<br>
 
 高ぶった気分を落ち着けるには、最適の場所と思えた。<br>
 <br>
 けれど、今日は珍しく、大勢の人間が屯していた。<br>
 警察と消防団、野次馬ともつかない近所の人々……。<br>
 どこで噂を聞き付けたのか、マスコミの取材班までが、辺りにいた。<br>
 
 <br>
 「こんなに騒がしいんじゃあ、居ないかもしれないな」<br>
 <br>
 けれど、折角ここまで来て、確かめずに帰るのも馬鹿げている。<br>
 
 <br>
 この丘の周辺には、戦争中の防空壕や、古井戸の痕などが存在する。<br>
 
 捜査員たちは、茂みの中で藪蚊に閉口しつつも、それらを虱潰しに探索していた。<br>
 
 <br>
 ジュンは彼らの脇を通り、木立の間を抜け、石段を昇って、頂上にある広場に辿り着いた。<br>
 
 どこか不謹慎な賑わいを見せる公園。広場の片隅のベンチに、彼女は座り込んでいた。<br>
 
 両手で顔を覆い、丸めた背中を小刻みに震わせている。<br>
 <br>
 彼女の側まで歩み寄って、ジュンは労るような小声で、そっと話しかけた。<br>
 
 <br>
 「隣り…………座っていいか?」<br>
 <br>
 薔薇水晶は、手で顔を覆い隠したまま、微かに頷いた。<br>
 並んでベンチに腰を降ろしたジュンは、前屈みの背中に手を添えて、<br>
 
 緩くウェーブのかかった美しい髪と一緒に、薔薇水晶の背中を優しく撫でた。<br>
 
 <br>
 「あのさ、薔薇水晶。気にするなって言うのは、無理な話だと思うけど……<br>
 
  あんまり思い詰めない方が良いよ」<br>
 「…………でも……酷いよ。あんな言い方」<br>
 「確かにな。だけど結局、あいつらだって、本気で言ってるワケじゃない。<br>
 
  突然、非現実的な日常に放り込まれて、みんな動揺したり、興奮してるだけさ。<br>
 
  冷静な判断が出来ない状態なんだよ。<br>
  みんなだって、本当は雪華綺晶が犯人だなんて、信じちゃいないさ」<br>
 
 「…………」 <br>
 「だから、元気出してくれよ。そして、雪華綺晶の冤罪を晴らすために、<br>
 
  一緒に頑張ろう。僕たちの手で、きっと柏葉と雪華綺晶を見付け出すんだ」<br>
 
 「……うん。ありがとう、ジュン」<br>
 <br>
 大好きな人に背中を撫でてもらった事で、凸凹に荒んでいた気持ちが綺麗に均され、<br>
 
 薔薇水晶は、心に希望と勇気を芽吹かせるのだった。<br>
 <br>
 <br>
 <br>
 ――――どれだけ、眠っていたのだろう。<br>
 <br>
 闇の中で、巴は目を覚ました。<br>
 左腕に、雪華綺晶の体温を感じる。彼女は巴の左側に、添い寝していた。<br>
 
 嬲られ、弄ばれた記憶が甦ってきて、身体が火照る。<br>
 熱を帯びた巴の頬を、彼女の規則正しい寝息が撫で上げていった。<br>
 
 <br>
 酷く、暑苦しい。それに、生々しい汗の臭いで、胸が詰まりそうだ。<br>
 
 間断なく続く頭痛が、巴を苛んでいた。<br>
 <br>
 (どうして、いつまでも頭痛が治まらないの?)<br>
 <br>
 疲労による頭痛では、なさそうだった。<br>
 では、どういう事だろう。この暑さが原因なのだろうか?<br>
 
 <br>
 ふと……。<br>
 巴は、真夏の体育館で、部活動中に熱中症で倒れた後輩の事を思い出した。<br>
 
 窓は疎か、通気口すらない部屋。締め切られた密閉空間。<br>
 
 この環境ならば、熱中症という可能性は、充分に考えられる。<br>
 
 目眩や頭痛などは、分類Ⅱ度の中等度熱中症の症状だ。<br>
 閉じ込められてから、一度も水分補給していなかったのも一因だろう。<br>
 
 <br>
 (水……飲まなきゃ。それに、体温を……下げないと)<br>
 <br>
 朦朧とする思考で、うろ覚えの対処知識を記憶から引き出して、<br>
 
 巴は応急処置をするべく、簡易ベッドから起き出した。<br>
 もう、洗面所の水は錆臭くてイヤだなんて、言っていられない。<br>
 
 このまま症状が進行すれば、体温を調節できなくなって、<br>
 
 多臓器不全を起こしてしまう。対応が遅れれば、それだけ死が近付く。<br>
 
 <br>
 おぼつかない足取りで進みながら、肌に貼り付いたシャツを脇に放り投げ、<br>
 
 汗で湿ったプリーツスカートを脱ぎ捨てた。<br>
 どうせ、こんな真っ暗闇の中では、誰に見咎められるものでもない。<br>
 
 その思いが、巴を大胆な行動に駆り立てていた。<br>
 下着を外さなかったのは、僅かに残っていた乙女の恥じらいに過ぎない。<br>
 
 <br>
 (……確か、こっちの方に扉があったはず)<br>
 <br>
 手探りで壁を探し当てると、巴は壁伝いに移動して、洗面台に辿り着いた。<br>
 
 微かに、血の臭いがする。<br>
 雪華綺晶が、髪に付いた血を洗い流していたから、その臭いが、<br>
 
 排水溝から立ち上っているのだろうか? <br>
 それとも、右の肩口に付けられた傷の出血が、臭っているのか……。<br>
 
 <br>
 水道の蛇口を捻ろうと、右腕を伸ばした途端、巴は鎖骨に激痛を感じた。<br>
 
 胸の上を、粘っこい液体が一筋、つぅ……っと流れ落ちていく感覚。<br>
 
 汗の雫ではない。<br>
 <br>
 巴は顔を顰めて、体勢を入れ替え、左手で蛇口を回した。<br>
 
 ややあって、ばしゃばしゃと水の弾ける音が、闇に轟いた。<br>
 
 聞き慣れていた音が、こんなにも大きく聞こえたのは、初めてかもしれない。<br>
 
 <br>
 差し出した両手が、水流を捉える。表皮が剥けた箇所が、ジンジンと滲みる。<br>
 
 ……が、水の冷たさが、とても気持ちが良かった。<br>
 水を掬った両手を口元に運び、巴は冷たい液体を口に含み、飲み干した。<br>
 
 <br>
 もう、錆臭いなんて言わない。そんな悠長なこと、言っていられない。<br>
 
 これは、生命の水。錬金術で言うところの、エリキサ。<br>
 巴は無我夢中で、のどを潤し続けた。<br>
 <br>
 <br>
   ~第十回に続く~<br>