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1-2 - (2008/12/27 (土) 22:16:50) のソース

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  1-2<br />
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おわああぁっ! 狭く暗いダストシュートに、絶叫が谺する。<br />
墨汁のような闇の中を、際限なく落ちていく感覚が、やけに生々しい。<br /><br />
「お、落ちるっ! 止めてっ! 助けてぇえ」<br /><br />
恥ずかしさを堪えきれずに、後先考えないで飛び込んだ、縦坑。<br />
ものの一分と経っていないのに、ジュンは自分の軽挙妄動を悔やんでいた。<br />
飛び込めば、すぐ隣りにある別の世界に、パッと移動するものと思っていた。<br />
それが、実は、こんなにも奥底深いものだったなんて……。<br /><br /><br />
ジュンは、いつだったか聞いた【ココロの闇】という言葉を想起した。<br />
なんとも概念的で、掴みどころのない表現だ。<br />
茫洋としたこの世界には、まさに打ってつけだろう。<br /><br />
いま、右も左も分からない世界に、たった独り。<br />
鬱陶しく思っていた親も姉も。友人たちも。教師たちさえも。<br />
頼れる者など……救いの手を差し伸べてくれる『誰か』など、ここには居ない。<br /><br />
今更ながら、先の見えない恐怖が、彼のココロを侵蝕しはじめていた。<br />
このまま墜落死するのか。<br />
それ以前に、いきなり目の前に現れた岩にぶつかって、砕け散るのか……。<br /><br />
全身打撲って、やっぱり、死ぬまで苦痛にのたうち回るのかな?<br />
それとも、案外と、一瞬で全てが終わってくれるんだろうか?<br />
出来ることなら、後者の方がいい。いま気絶できるなら、もっといい。<br />
ジュンは、耳の奥に鼓動を聴きながら、ギュッと目を閉じた。<br /><br />
もうダメだ。思わず、そんな弱音が口を衝いて出る。<br />
すると、次の瞬間!<br />
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  『そんなに固く眼を閉ざしていては、なにも見えないでしょう?』<br />
 <br />
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闇の中に、若い娘と思しい、稟とした声が響いた。<br /><br />
誰か居る! その事実は、孤独に苛まれていた彼を奮い立たせた。<br />
けれど、見開いた瞼の先には、相変わらず深淵の黒が広がっているだけ。<br />
幻聴? いや、そんなはずない。<br /><br />
誰か居るんだろ――ジュンは、あらん限りの声で叫んだ。<br />
助けてくれ――必死になって、声だけの娘への呼びかけを繰り返す。<br />
そして――<br /><br />
「答えてくれよ! 僕は、こんな終わり方はイヤだ!」<br /><br />
三度目の絶叫で、やっと返事があった。<br />
それも、思いがけないほど近く…………彼の真後ろから。<br /><br />
『ここは貴方の夢。この世界の構成も、貴方のココロが反映されたもの。<br />
 落ちる、墜ちる…………確たる目的もなく、自堕落な生活を送ってきたのね』<br /><br />
くくっ、と悪戯っぽい笑みだけが、耳元に絡みついてくる。<br />
ジュンは恐怖を持て余しながら、戦慄く声で、怒鳴り返した。<br /><br />
「そんなの、今はどうだっていいだろ! 助けてくれっ」<br />
『あら? 独りよがりで排他的な生き方をしている割に、依存心が強いのね。<br />
 貴方……いままでずっと、そうしてきたの?<br />
 すぐに他人の助力をアテにして、自らを変える努力すらしないで――』<br />
「うるさいっ! 僕のプライベートに、ずかずか入ってくるな!」<br />
『我が侭……まるで幼子のよう』<br /><br />
娘の吐いた溜息は、あからさまな嘲りの色を、滲ませていた。<br /><br />
『助けてもらいたいのなら、すぐに癇癪を起こさないことよ。<br />
 去れと言うのなら、これで失礼したって、私は構わないけれど』<br /><br /><br />
それは困る。落ちっぱなしは、もうたくさんだ。<br />
せめて、この現状を変えるまでは、つきあってもらわないと。<br />
ジュンは声を落として、素直に謝った。<br /><br />
「……悪かったよ。八つ当たりなんかして。<br />
 なあ、教えてくれ。僕は、どうすれば……どうすることが最善なんだ?」<br />
『それには、まず…………貴方自身を、しっかりとイメージすること』<br />
「僕自身? もう少し、具体的に言って欲しいんだけど」<br />
『難しく考えないで。貴方は、だぁれ?』<br />
「僕は……桜田ジュンだ」<br />
『それでは、ジュン。次は、貴方の身体を……容姿を想像して。<br />
 名前と、姿――<br />
 どんな世界で生きてゆくにも、個の定義(エントリー)は必要なのです』<br /><br />
自分の夢の中で、わざわざ自分を定義するなんて――<br />
おかしな話だとは思うが、ジュンは言われるままに、自分という存在を想像した。<br />
高校二年生の少年……小柄で、メガネを掛けてて、やや生意気そうな自分を。<br /><br /><br />
すると、どうだろう。<br />
彼を包み込んでいた闇が、雑巾で拭き取られるように、消えゆくではないか。<br />
黒が取り除かれた裏面には、目映い白が配色されていた。<br /><br />
真っ白な色は蛍光灯のように、ジュンの手足を浮かび上がらせる。<br />
服装は、いつも着ている高校の制服だ。これも、イメージしたとおり。<br />
なにより、地に足が着いている……その事実が、大きな安堵を彼に与えていた。<br /><br /><br />
ジュンが自らの姿を矯めつ眇めつする間も、闇は次々と白に塗りつぶされて、<br />
今や黒と言えば、残るは彼の足元から伸びる影だけになっていた。<br /><br /><br />
『想像は、創造。……貴方という個の定義は、問題なく完了しました。<br />
 ――さあ。これでもう、歩き出せるでしょう?』<br />
「あ……うん。多分な」<br />
『でしたら、私のお手伝いもここまで。あとは貴方次第です。<br />
 様々な経験をして、自分で自分を補いながら、至高の存在を目指すも良し。<br />
 望むままに、進んでごらんなさい』<br />
「え? あ、ちょっと待ってくれ。君は――」<br />
『ごきげんよう、ジュン。いずれ……また逢いましょう』<br /><br />
背後からの声が、急速に遠退くのを感じて、ジュンは振り返った。<br />
だが、目映い光の直射を受けて、目の奥がガツンと痛んだ。<br />
咄嗟に腕を翳したものの、捉えることが出来たのは、ほんの僅かな残像だけ。<br /><br /><br />
  そよ風に靡く、長い髪…………そして、血を想わせるほどに紅い三角形。<br /><br /><br /><br />
白色光の洗礼が収まった時、そこにはもう、誰の姿も無かった。<br /><br />
「誰……だったんだろう。せめて、名前を教えて欲しかったな」<br /><br />
また逢いましょう。彼女の声が、耳に残っている。<br />
それに、あの紅い三角形も瞳に焼き付いて、目先にチラついていた。<br />
おそらく、彼女もまた、翠星石のように何らかの紋章を持つ存在なのだろう。<br /><br />
「だったら……うん。きっと、また逢えるんだろうな」<br /><br />
その時にでも、名前を訊ねたらいい。<br />
差し当たっては、翠星石が言っていた『ココロの樹』なるものを探さなければ。<br /><br />
――とは言うものの、ぐるり見渡す限り、白一色しか目に入ってこない。<br />
果たして、何を手懸かりに、どこから探せばいいのだろう?<br />
暫し、茫然と立ち尽くしてると、今度は何の前触れもなく足元が揺らいだ。<br /><br /><br />
「うわわっ?! な、なんだ……」<br /><br />
地震? その単語を口にしかけて、あまりの揺れの激しさに中断した。<br />
いま喋れば、きっと舌を噛む。立っていることさえ覚束ない。<br />
ジュンはその場に蹲って、激震が収まるのを、じっと待っていた。<br />
 <br />
 <br />
  ~  ~  ~<br />
 <br />
激しく揺さぶられる中で、散漫だったジュンの意識が、ひとつに凝縮してゆく。<br />
頭の中の冷静な部分はもう、少ない情報をかき集めて、分析を始めていた。<br />
この揺れ方は、地震じゃない――<br /><br />
とすると、誰かが現実世界の自分を、揺すり起こそうとしているのでは?<br />
その推測を肯定するように、やたらと間延びした声が、覚醒を促してきた。<br /><br />
「もうー。ジュンくんったら、早く起きてよぅ」<br />
(…………なんだよ、姉ちゃんか)<br /><br />
いままでのことは全部、他愛ない夢だったのか。<br />
ジュンは重たい瞼を指先で揉みほぐしながら、欠伸を噛み殺して、<br />
口の中でモゴモゴと文句を言った。「勝手に、部屋はいってくんなよ」<br /><br />
寝返りをうって、二度寝モードに突入――<br />
――しようとしたら、姉に布団をひっぺがされて、激しく揺さぶられた。<br /><br />
「起きなきゃダメっ! お仕事に、遅れちゃうでしょっ」<br />
「はぁ? なに寝惚けてんだよ。僕は、まだ高校生だぞ。仕事なんて……」<br />
「ジュンくんこそ、なに言ってるのよぅ。まだ学生気分だなんて、めっめっよぅ」<br />
「……なんだって?」<br /><br />
なにか、おかしい。起き抜けで朦朧としていたジュンの思考が、エラーを検出した。<br />
これは現実の世界じゃない。とてもリアルな、別物の世界だ。<br />
その証拠を求め、ぐるり見回すや、彼は束の間、言葉に詰まった。<br /><br />
「…………ココ……ドコデスカ?」<br />
「やぁねぇ、ジュンくんったらぁ。私たちの家に決まってるでしょぉー」<br />
「姉ちゃんこそ、なに寝ボケてるんだよ!」<br /><br />
そこは、住み慣れた家ではなかった。もっと粗末で、薄暗くて……<br />
ちょうど、小学生の頃に家族で泊まった、高原のログハウスに似ていた。<br />
否、間取りやベッドの造りなどは、そのものではないか。<br /><br /><br />
(これって、子供の頃の記憶……か?<br />
 いや、違うな。あの声だけの女も、言ってたじゃないか)<br /><br />
この世界は、ジュンのココロを反映して構成されている……と。<br />
つまりは、記憶が継ぎ接ぎされた、パッチワークみたいな異空間だろう。<br />
やはり……ここはまだ、翠星石に連れてこられた夢の中なのだ。<br /><br /><br />
――となると、やるべきことは、もう決まっている。<br /><br />
「姉ちゃん。ちょっと出かけてくるよ」<br />
「ええっ? でもぉ、お仕事はどうなるのぅ?」<br />
「さっきっから、ワケ解んないな。なんだよ、僕の仕事って」<br />
「自宅警備員でしょぉ」<br />
「……ふざけんな」<br /><br />
すげなく切り返して、ジュンは簡素な木のベッドから起き出した。<br />
そして、なにやら不安げな目を向けてくる姉に、決然と言い放った。<br /><br /><br />
「そんなもん辞めだ。僕は今から旅に出る」<br />
「えっ? ……ええええぇっ?!」<br /><br />
姉、のりは大袈裟に驚き、わなわなと撫で肩を戦慄かせた。<br /><br />
「ジュ……ジュンくんが…………自分探しの旅……に?」<br />
「悪いかよ」<br />
「う、ううん。全然っ! って言うか、お姉ちゃん感激よぅ!」<br /><br />
まん丸メガネをはずして、溢れる涙を懸命にゴシゴシこする、のり。<br />
そんな姉の姿に、ジュンの胸が、きりりと痛んだ。<br />
彼女のお節介を疎ましいとさえ思っていたけれど、姉は姉なりに、<br />
たったひとりの弟のことで悩み、良かれと考え、行動してきたのだろう。<br />
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「姉ちゃん…………勝手ばかりで、ごめん」<br />
「ううん。いいのよぅ。ジュンくんは、何も心配しなくていいの」<br /><br />
ジュンの言葉を、置き去りにすることへの謝罪ととったらしく、<br />
のりは涙を浮かべたまま、気丈に微笑んだ。<br />
そして、革袋をひとつ、ジュンに差し出した。<br /><br />
「少ないけれど、持っていって。お姉ちゃんが貯めておいたお金よぅ。<br />
 いつか、こんな日が来ると信じていたから」<br />
「ね……姉ちゃん」<br /><br />
とりあえず、その革袋どこから出した――<br />
なんて無粋なことを訊くのは、やめにしておく。<br />
ジュンは、姉の思いやりに胸を打たれて、鼻をすすり上げた。<br /><br />
「ありがとう、姉ちゃんっ! 僕、やるよ。<br />
 必ず『ココロの樹』を探し出して、立派に転職して……<br />
 ホリ○モンみたいな大金持ちになって、姉ちゃんに楽させてやるからな」<br />
「嬉しいわ、ジュンくん。でも証券取引法は守らなきゃ、めっめっよぅ」<br />
「分かってるって。それじゃ、行ってくるよ!」<br /><br />
姉の想いが詰まった革袋を、しっかり胸に抱いて、ジュンは我が家を飛び出した。<br />
 <br />
 <br />
  ~  ~  ~<br />
 <br />
家を出て、徒歩3分。ジュンは再び、激しい違和感に苛まれていた。<br />
目の前に広がる光景は、いままで彼が慣れ親しんできたソレとは、明らかに違う。<br />
道路は未舗装だし、疎らに建つ家々は、悉くが木造だ。<br />
ほかにも、井戸あり畑あり厩舎ありと、何からナニまで片田舎そのもの。<br /><br />
「これって……ずっと前にやった和風RPGの世界そっくりだな」<br /><br />
記憶が創りだした、幻想世界――ジュンが居るのは、冒険の始まる場所。<br />
さしずめ、ホニャララ地方のナントカ村といったところか。<br /><br />
「こんな世界を旅したいと夢みる辺りが、まだ子供ってコトなのか?」<br /><br />
独りごちても、よく判らない。<br />
しかし、ここが本当にRPGの世界ならば、安全が保証されるのは村の中だけだろうことは解る。<br />
一歩でも外に出れば、たちまちモンスターが……。<br /><br /><br />
「……ば、バカらしい。ありっこないじゃん」<br /><br />
ちょっとだけ頭を擡げた恐怖心を、強がりで抑えつけ、ジュンは村を出た。<br />
すると、村の門から数メートル先……道のド真ん中に、ナニかが転がっている。<br />
近づいて見れば、それは両手に包丁を持った、愛嬌タップリの『ぬいぐるみ』だった。<br /><br />
「こいつ確か、クマのブーさんって言ったっけ?」<br /><br />
誰か、村の子供が落としていったのかも――<br />
ただの人形と思って、ジュンが腕を伸ばした次の瞬間、ビカッ!<br /><br />
ブーさんは吊り上げた双眸を真っ赤に輝かせて、むっくりと起きあがった。<br />
なんだ、これ? 狼狽えるジュンに、クマが包丁を翳して飛びかかってくる。<br />
咄嗟に躱したものの、彼の制服は、胸元がスッパリと裂けていた。<br /><br />
「ぎゃああっ!? 切れっ切られっ切っ……し、死むぅ――っ!」<br /><br />
包丁はホンモノ。おまけに、クマの動きは早い。<br />
対して、ジュンは素手で、喧嘩もロクにしたことがない、ときている。<br />
周りを見回したって、助太刀してくれそうな人影は皆無。<br />
真っ向から戦えば、敗北は必至だ。<br /><br />
「ちょ……待てよ。こんなヤツ、相手にしてられるかっ!」<br /><br />
RPGに限らず、戦闘の基本は『勝てないなら逃げろ』である。<br />
命あっての物種。ジュンは前に回り込まれないよう注意しながら、走り出した。<br /><br />
はぁっ! はぁっ! はぁっ!<br />
日頃の運動不足のせいか、いくらも走らない内から、息切れしている。<br />
フーッ! フーッ! フーッ! じゅるっ!<br />
後ろから、ブーさんの荒い息づかいが、じわじわと近づいてくる。<br />
ヨダレを啜ったような音は、この際、聞かなかったことにしておく。<br /><br />
このままでは、追いつかれる。捕まれば、ジュンの活け造り一丁あがり~、である。<br />
夢の中で死んだりするものなのかは不明だが、個の定義をした以上、<br />
およそ、タダでは済むまい。<br /><br />
もっと早く走らなければ。<br />
焦れば焦るほど、彼の脚は急激に重くなって、もたもたと縺れそうになる。<br />
そして、遂に――――ジュンは転倒した。<br /><br />
(もう、ダメだっ)<br /><br />
こんな事なら、ずっと自宅警備員でいればよかった。<br />
ギュッと瞼を閉ざして、観念したジュンの背後に、猛烈な殺気が覆い被さってくる。<br /><br />
だが――<br /><br /><br />
  ブギャアッ!<br /><br />
身の毛もよだつ断末魔が聞こえるや、殺気は消え去っていた。<br />
そして、代わりに男の声が、彼の頭上から降ってきた。<br /><br />
「よぉ、小僧。災難だったじゃねぇか」<br />
「え? だ、誰――」<br /><br />
見上げるジュンの瞳に映ったのは、威圧的に黒髪を逆立てた青年。<br />
偉そうに腕組みして、傲慢な眼でジュンを見下していた。<br /><br />
「俺は、この辺りをシマにしてる盗賊『兎のシリアナ団』の頭、ベジータ様だ」<br />
「とっ、盗賊っ?!」<br /><br />
一難去って、また一難。盗賊団の名前ダセー! なんて、笑ってる余裕はない。<br />
ズリズリと尻を擦って退くジュンに、ベジータの嘲笑が投げかけられる。<br /><br />
「そう怖がるなよ。おとなしく言うことを聞くなら、殺しゃしねえよ」<br />
「ほ、ほ……ホントか」<br />
「ああ、俺はウソは吐かねえ」<br /><br />
信用しても、いいものだろうか。いや、即断は禁物。<br />
まずは要求を聞いてからだ。ジュンは固唾を呑んで、男の声を待った。<br /><br />
ベジータは無遠慮な目つきで、ジュンの身なりを眺め回している。<br />
金目の物があるか、品定めされているのは間違いない。<br /><br />
そして――<br /><br /><br />
「そうだな。お前には選択肢をやろう」<br />
「選択肢? なんだよ、それ」<br />
「有り金すべてを差し出すか、俺の前にケツを差し出すか……<br />
 ふたつに、ひとつだ」<br />
「な、なんだとっ!」<br /><br />
馬鹿げた二択だ。現実ならば、迷うまでもなく、金を差し出している。<br />
だが……ここは夢という未知の領域。<br />
ブーさんに襲われて、かなり危険な世界なのだと認識できた。<br />
ちゃんとした装備を整えるためにも、アッサリと金を手放すべきではないだろう。<br /><br />
(それに――これは、姉ちゃんが爪に火をともして貯めてくれた、大切な金だ。<br />
 これを元手に株(?)で大儲けして、転職して、姉ちゃんに楽させてやるんだ。<br />
 なのに……僕の夢を、こんな盗賊なんかに渡してたまるか!)<br /><br />
残念ながら、ベジータに喧嘩で勝つ自信は――無い。<br />
ジュンは覚悟を決めて、四つん這いになり、ベジータの前に尻を突きだした。<br /><br />
屈辱で頬が引き攣り、目頭が熱くなる。<br />
もっと強ければ! もっと力があれば! 知らず、ジュンは拳を握りしめていた。<br /><br />
「はぁ――っはっはっは! なかなか素直じゃねえか! 気に入ったぜ」<br /><br />
いきなり、臀部にベジータの強烈な蹴りを見舞われて、<br />
ジュンは受け身を取る間もなく、無様に顔面着地してしまった。<br />
メガネのフレームが、ガリガリと土を削り、砂利が頬にメリ込んだ。<br />
幸いにして、レンズまでは傷つかなかったようだ。<br /><br />
……が、弾みで、ベルトに結わえておいた革袋が、がちゃんと地に転がる。<br />
ベジータは、目敏くそれを拾い上げて、短く口笛を吹いた。<br /><br />
「驚いたぜ。しみったれたナリの割に、意外と金持ってるじゃねえかよ」<br />
「か、返せっ!」<br />
「あぁ? これはもう俺の金なんだよ、ボケが」<br /><br />
飛びかかってきたジュンを蹴り飛ばして、ベジータは革袋を懐に入れた。<br />
これでもう、取り返すことは絶望的だ。<br />
ジュン一人では、どう逆立ちしても、ベジータを倒すことなど出来ない。<br /><br />
(くそっ! 情けない……こんなゴロツキに、あしらわれるなんて)<br /><br />
悔しくて、口惜しくて――胸の奥底から、言いしれぬ感情が沸々と湧いてくる。<br />
そこに、ベジータの嘲笑が加わって、どうしようもなく涙が溢れてきた。<br /><br />
「ちくしょう……ちくしょう……」<br />
「おいおい、泣くことねえだろ。お前はむしろ、ラッキーなんだぜ?」<br /><br />
なにがラッキーなもんか。<br />
言い返そうとした矢先、ベジータの左腕が、ジュンの頭を地面に抑えつけた。<br />
だけでなく、彼は右腕でジュンのベルトを掴み、腰を引っ張りあげるではないか。<br /><br />
なにをされるか分からない恐怖で、ジュンが表情を強張らせる。<br />
ベジータは、その変化を面白そうに眺めて、ニヤニヤしていた。<br /><br />
「このベジータ様に、金ばかりかケツの初めても頂いてもらえるんだからな!」<br /><br />
そう宣告した男の目の色は、決して、狂人のソレではなかった。<br /><br />
こいつは本気だ。最初っから、金と尻、両方を狙っていたんだ。<br />
いまになって分かっても、もう遅かった。<br />
筋骨隆々たるベジータは、盤石の重みで、ジュンを抑えつけている。<br /><br /><br />
(ごめん、姉ちゃん……。僕はもう、ホ○エモンには成れないよ。<br />
 掘られモンとして、ゲイ人デビューすることになりそうだ)<br /><br /><br />
なけなしの所持金を奪われ、男としてのプライドすらも奪われようとしている。<br />
それなのに、自分には抗う術さえ、残されていない。<br /><br />
 『おとなしく言うことを聞くなら、殺しゃしねえよ』<br /><br />
タイミング良く、ベジータのセリフが頭の中でリフレイン。<br />
死なずに済むのなら…………まだ、マシかも知れない。<br />
ジュンは観念して、身体中のチカラを抜いた。<br />
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