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教師達の臨海学校 - (2006/03/02 (木) 11:12:20) のソース

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  『教師たちの臨海学校』<br />
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――七月初旬。<br /><br />
薔薇学園の二年生は、毎年恒例の臨海学校に来ていました。<br />
鄙びた海辺には、学園所有の研修寮があったのです。<br />
今日は、その初日。長距離のバス移動でくたびれていた生徒や教員は、<br />
寮内に怪しい雰囲気が漂い始めた事に、全く気づいていませんでした。<br /><br />
 「梅岡先生。今夜辺り、どうです?」<br /><br />
内山田教頭先生が、厨房で片付けをしていた梅岡先生に声を掛けたのは、<br />
生徒達の昼食も終わって、一段落ついた頃でした。<br /><br />
 「ブラッドレイ先生と、レイザーラモン先生も行くそうですよ」<br />
 「あ、例の件ですか。勿論、参加しますとも」<br /><br />
竹刀を振るようなポーズを取った教頭先生に、<br />
梅岡先生は当然と言わんばかりに何度も頷きました。<br />
この二人、実は教頭が主催する親睦会『薔薇学釣遊会』の会員なのでした。<br />
勿論、教頭の口から出た両名も会員です。<br /><br />
 「ふふふ……この先の岬は、絶好の磯釣りポイントですからね。<br />
  私なんか、これが楽しみで臨海学校に来てるようなもんですわ」<br />
 「ほっほっほ。それは私も同じですよ」<br /><br />
二人は、今夜の釣果に期待を寄せて、ニンマリと笑ったのです。<br /><br /><br /><br /><br />
――その夜。<br />
夜中の磯場に瞬く四つの明かりが、潮風に揺れていました。<br />
今夜の釣果はいつになく好調で、みんな上機嫌でした。<br /><br /><br />
  マ…………ス・カ? ……キ・マ…………カ?<br /><br /><br />
鼻歌混じりに暗い水面のウキを眺めていた梅岡先生は、<br />
潮騒に紛れて人の声が聞こえた気がして、隣にいた教頭先生に話しかけました。<br /><br />
 「山ちゃん、なんか言いました?」<br />
 「は? 私は何も言っていませんよ。梅ちゃんの空耳じゃないですか?」<br /><br />
教頭先生は怪訝な顔をして、頚を横に振りました。<br />
因みに、山ちゃんとは内山田教頭のことです。<br />
釣り場ではニックネームで呼ぶ事が、薔薇学釣遊会での慣例となっていました。<br /><br />
もしかしたら、ブラッドレイ先生かレイザーラモン先生の鼻歌が、<br />
潮風に乗って聞こえたのかも知れない。<br />
そう考えて、梅ちゃんが再び釣りに専念していると、今度はもっと明瞭に、<br />
先程の声が聞こえたのです。<br /><br /><br />
  マ・キ・マ・ス・カ? マ・キ・マ・セ・ン・カ?<br /><br /><br />
流石に気味が悪くなって、梅ちゃんは辺りを見回しました。<br />
すると丁度、山ちゃんが市販の配合餌とオキアミを混ぜ合わせたコマセを、<br />
スコップで愉しそうに掻き混ぜているのが見えました。<br /><br />
 「撒きますか~♪ 撒きませんか~♪」<br /><br />
お前かよ、ヂヂイ! <br />
梅ちゃんは心の奥で、山ちゃんに罵声を浴びせました。<br />
幽霊の正体見たり、枯れ尾花――と、川柳にあるように、<br />
正体が判ってしまえば何も怖くありません。<br />
梅ちゃんは安堵に胸を撫で下ろし、コマセを投下しながら、<br />
山ちゃんに倣って独り言を呟きました。<br /><br />
 「撒きますよ~。ついでにリールも巻きますよ~」<br /><br />
その直後、梅ちゃんのロッドが勢い良くしなりました。<br />
どうやら、なかなかの大物みたいです。<br />
梅ちゃんは歓声を上げながら、懸命にリールを巻きました。<br /><br />
けれど、何か様子が変です。<br />
普通ならブルブルと魚が暴れる感触が伝わって来るのですが、全くありませんでした。<br />
流木でも引っかかったのでしょうか?<br /><br />
ゆらり――と、漆黒の水面に金色の煌めきが揺れていました。<br /><br /><br />
 「な、なんだこれ? 山ちゃん、網! 網もって来て」<br />
 「ほいほいほい。梅ちゃん、もっと岸に寄せて」<br /><br />
山ちゃんに言われて、梅ちゃんはグイッとロッドを立てました。<br />
すると、砕けた波の泡が漂う海面を割って、海藻を被ったモノが現れたのです。<br />
海岸には色々なゴミが漂着します。多分、そんな何かを引っかけてしまったのでしょう。<br />
かと言って、仕掛けを切る訳にもいかず、山ちゃんは網で掬い上げました。<br /><br />
 「や、山ちゃん……これは」<br />
 「なんとなんと。こんな物まで……」<br /><br />
それは、精巧な造りのビスクドールでした。可哀想に、右眼が破損しています。<br />
元々は奇麗な深紅だったと思われる衣装も、長く海に沈んでいたせいか、<br />
ピンクに色褪せていました。<br /><br />
 「こんな物まで海に捨ててしまうなんて。悲しくなるねぇ、梅ちゃん」<br />
 「全くですよ、山ちゃん。ウチの生徒には、もっと自然を大切にするよう<br />
  教育しなきゃいけませんね」<br />
 「ほっほっほ。では、最終日には海岸のゴミ拾いをしましょうか」<br /><br />
梅ちゃんが人形を抱き上げると、人形の服から何かがこぼれ落ちました。<br />
それは青く錆びた、小さな鍵でした。<br /><br />
 「梅ちゃん。それ、この人形のゼンマイなんじゃないの?」<br /><br />
そう言った山ちゃんの瞳は、何かを期待する様に輝いていました。<br />
俗に言う、wktk目線です。<br /><br />
 「あ、あのぉ――」<br />
 「……………………バッチコイ♪」<br />
 「はあぁ? ちょっと、山ちゃん――」<br />
 「……………………ガッツだぜ♪」<br />
 「つまり…………巻け、と?」<br /><br />
聞いてはみたものの、逃れる術が無いことを、梅ちゃんは知っていました。<br />
これ以上、渋っていては冬の賞与の査定に響いてしまいます。<br /><br /><br />
ごくり――<br /><br /><br />
口の中の乾きを覚えながら、梅ちゃんは生唾を呑み込み、<br />
人形の背中に鍵を差し込み、ゆっくりと回しました。<br />
海に沈んでいたのだから、内部のゼンマイは錆びて動かないのでは?<br />
梅ちゃんの密かな願いは、残念ながら直ぐに裏切られました。<br /><br /><br />
  きりり……きりり……きりり……<br /><br />
ゼンマイを巻いて、梅ちゃんは人形を岩に座らせました。<br />
けれど、何も起こりません。やはり、海水で内部機構が浸食されている様です。<br />
なぁんだ。梅ちゃんは胸を撫で下ろし、山ちゃんは小さく舌打ちしました。<br /><br />
 「うえぇぇえぇ…………ぎも゛ぢわ゛る゛い゛」<br /><br />
突然、真夜中の磯に不気味な声が流れました。<br />
勿論、梅ちゃんが言ったのでも、山ちゃんが悪ふざけした訳でもありません。<br />
顔を見合わせ、二人は揃って、人形に目を向けました。<br /><br />
 「アタシを起こしたのは、アナタ?」<br />
 「ひえっ!」<br />
 「ウホッ!!」<br /><br />
いきなり喋りだしたのが人形と判って、山ちゃんと梅ちゃんは抱き合って、<br />
ガタガタと震えました。<br />
でも、本当の恐怖はこれからだったのです。<br /><br /><br /><br /><br />
人形を岩場に置いたまま、山ちゃんと梅ちゃんは他の二人を促して寮に逃げ帰りました。<br />
勿論、本当のことは誰にも話せません。<br />
言ったところで、失笑を買うのが目に見えていたからです。<br /><br />
もう寝よう。梅ちゃんは風呂にも入らず、浴衣に着替えました。<br />
ところが――<br /><br />
 「うひぇっ!」<br /><br />
布団に脚を突っ込んだ途端、ぐっしょりと濡れたナニかが転がっていて、<br />
梅ちゃんは奇声を上げました。<br />
隣で寝ていたアーカード先生が、梅ちゃんの声を聞き付けて目を覚ましました。<br /><br />
 「どうした、梅岡先生?」<br />
 「ふ、ふ……布団の中に、ナニか濡れた物がっ!」<br />
 「は? 何なんだ、一体?」<br /><br />
どれ……と、アーカード先生は掛け布団を捲りました。<br />
そこには大きな水たまり以外、何も有りませんでした。<br /><br />
 「…………梅岡先生。おもらしですか?」<br />
 「ちっ! 違う違う! 本当に、何かが転がってたんですよ!」<br /><br />
懸命に否定する梅岡先生でしたが、その必死さが余計に胡散臭さを募らせていることに、<br />
気付いてはいませんでした。<br /><br /><br /><br /><br />
――夜には、各部屋の見回りがあります。<br />
生徒達は普段と違う環境に来て、ついついハメを外し過ぎてしまうのです。<br /><br />
懐中電灯を手に廊下を見回っていた梅ちゃんは、<br />
部屋の中からヒソヒソと話す声を聞き付けて立ち止まりました。<br />
扉に近付いて耳をそばだてると、どうやら怪談話で盛り上がっている様子でした。<br /><br />
 「たとえばぁ、こぉんな光景を思い浮かべてくださぁい……」<br /><br />
水銀燈か。梅ちゃんは溜息を吐くとノックをして、扉を開けました。<br /><br />
 「こら。消灯時間は過ぎてるんだぞ。早く寝なさい」<br />
 「えぇ~。でも、先生……まだ十時でしょぉ」<br />
 「この頃では、小学生でも深夜番組を見ているのだわ。ねえ、蒼星石?」<br />
 「そうそう。最近は深夜に面白いアニメやってて、つい見ちゃうんだよね」<br />
 「お、お前ら、屁理屈ばっかり言って……」<br /><br />
ここは一つ、ガツンと叱ってやる。梅ちゃんは拳骨を振り上げました。<br />
すると、生徒達は急に表情を強張らせ、悲鳴を上げて布団に潜り込んだのです。<br />
減らず口を叩いていても、撲たれることを怖れるところが子供らしい。<br />
梅ちゃんは「はやく寝るんだぞ」と念を押して、部屋を後にしました。<br /><br /><br />
その頃、室内では――<br /><br />
「ねぇ…………先生の背後から覗いてた人形……あれ、ナニ?」<br /><br /><br /><br /><br />
梅ちゃんは背筋に寒気を覚える様になっていました。肩凝りも酷くなる一方です。<br />
周囲の眼も、何だか余所余所しく感じられました。避けられているみたいです。<br />
けれど、それが何に起因しているのかは、相変わらず解っていませんでした。<br /><br />
朝――昨日と同じ様に、梅ちゃんは不快感で目を覚ましました。<br />
枕と布団が、ぐっしょりと濡れているのです。<br />
若い女性を彷彿させる金髪が、枕に付着していました。<br /><br />
 「なんなんだろうなぁ……この気怠さは」<br /><br />
臨海学校も、今日で終わりです。そう思うと、梅ちゃんは何故か急に、<br />
磯で見たあの人形が気になり始めました。<br />
あれ以来、磯には近付いていません。<br />
もしかしたら、波に浚われてしまったかも知れない。<br /><br />
本来なら厄介払いできて清々するところでしょうが、なんとなく、<br />
罪悪感に苛まれていました。第一、海に投棄するなど以ての外です。<br />
海岸で生徒達がゴミ拾いをしている光景を横目に、<br />
梅ちゃんは夜釣りをした磯へと、独り向かいました。<br /><br /><br /><br /><br />
あの日と変わらず、人形は岩に腰掛け、水平線を眺めていました。<br />
梅ちゃんは、不思議と胸のトキメキを感じました。<br />
まるで、かつての恋人に再会するような気恥ずかしさと、微かな不安。<br />
……少しだけ、脚が重くなりました。<br />
  <br />
梅ちゃんの足音を聞き付けたのか、人形の頭が梅ちゃんの方へ向きました。<br /><br />
 「来てくれたのね」<br /><br />
あの夜の様に人形が話しかけてきましたが、梅ちゃんは少しも恐怖を感じませんでした。<br /><br />
 「今日、帰るのね」<br />
 「ああ。そういう予定だからね」<br /><br />
見た目は不気味なジャンクでしたが、会話してみると、人形はとても理知的でした。<br />
二百年ほど、海の中を漂い続けていたそうです。<br /><br />
 「ワタシの初恋の人に似ているわ、アナタ」<br />
 「そうなんだ? いつの話だい、それ?」<br />
 「レディの過去を詮索するなんて、デリカシーがないわね」<br />
 「ははは……手厳しいな」<br /><br />
頭を掻き掻き、梅ちゃんは人形に問い掛けました。<br /><br />
 「一緒に来るかい? 探せば、キミを奇麗に修理できるところが見付かるかも」<br />
 「地上は煩くてキライなの。ワタシはまた、海の中を気儘に泳ぎ続けるわ」<br />
 「そうか。残念だな。もう少し、話をしていたかったんだが」<br /><br />
もう、帰る時間です。梅ちゃんは立ち上がって、腰を伸ばしました。<br /><br /><br />
 「それじゃあ、もう行くよ。元気でな」<br />
 「アナタもね。あと、鼾が酷いから耳鼻咽喉科に行くことを奨めるわ」<br />
 「えっ?」<br />
 「さよなら…………素敵な思い出を、ありがとう」<br /><br />
そう告げて、人形は海に飛び込み、見えなくなってしまいました。<br /><br /><br /><br /><br />
人形は海流に揉まれながら、張り裂けそうになる胸を必死に押さえていました。<br />
本当は、梅ちゃんと一緒に居たかったのです。<br />
でも、自分と違って彼には天が定めた寿命があります。<br />
かつて恋心を抱いた人のように、いつかは自分の元から去ってしまいます。<br />
あんなに辛い想いをするくらいなら、いっそ最初から知らない方がマシでした。<br />
しかし、一度でも『恋』という甘く切ない禁断のリンゴを口にしてしまった人形は、<br />
それを求めずにはいられなくなっていたのです。<br /><br /><br />
人形の側に、イルカが近付いてきました。<br /><br />
 「いいところへ来たわ。ワタシを遠くまで運んでちょうだい。何処へ? <br />
  そうね……アナタに任せるわ。取り敢えず、今は遠くへ行きたい。そんな気分なの」<br /><br />
イルカは人形を背に載せると、ゆったりと海の中を泳いでいきました。<br /><br /><br /><br /><br />
研修寮では、生徒達が荷物をバスに積み込んでいました。<br />
岬の方から砂浜を歩いてくる梅ちゃんを見付けて、水銀燈が話しかけました。<br /><br />
 「先生、何処へ行ってたんですぅ? ゴミ拾いの時も居なかったし」<br />
 「ん? ああ、ちょっと散歩をな」<br />
 「? あの……先生。目の下、汚れてますよ」<br />
 「これは……向こうで、砂が目に入っちゃってさ。ははは――」<br /><br />
水銀燈がそっと差し出したハンカチで、梅ちゃんは目元を拭ったのでした。<br />
こうして、臨海学校は今年も無事に終わりました。<br /><br /><br /><br />
――翠星石のお話は、これで終わりですぅ。ご静聴ありがとうございましたです。</p>