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―弥生の頃　その５― - (2006/06/10 (土) 08:12:04) のソース

―弥生の頃―　　【３月２１日　　春分】<br>
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日本全国、津々浦々。今日は春分の日であり、休日に定められていた。<br>

春分とは二十四節気のひとつ。昼と夜の長さが等しくなる日である。<br>

しかし、バイトに精出す翠星石と雛苺にとっては、関係が無かった。<br>

勤務先の工場が定めているカレンダーでは、通常の火曜日扱いなのだ。<br>

当然、時給も通常どおり。休日出勤手当などは付く筈もない。<br>

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翠星石は、普段どおりに起きて、祖父母とチビ猫に朝の挨拶をすると、<br>

朝食を済ませ、身支度を整えて、いつもより空いている道を通勤した。<br>

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「この頃は、だいぶ温かくなって来たですぅ～」<br>
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勤務先の食品製造工場の柵伝いに植えられた桜も、五分咲きと言ったところだ。<br>

そろそろ、あちこちの公園が花見客で賑わう季節を迎える。<br>

開花の早い場所では、今週末がピークになるだろう。<br>
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翠星石は、夜桜見物が好きだった。<br>
けれど、酔っぱらい達の乱痴気騒ぎが大嫌いなので、公園には行かない。<br>

自宅の庭にある小さな桜の木を眺めながら、毎年、祖父母と一緒に、<br>

ささやかな宴を楽しんでいた。<br>
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「そう言えば、ウチの桜も咲き始めてたです」<br>
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見頃とは言えないけれど、今夜あたり、雛苺でも誘ってみようか？<br>

翠星石は、ふと、そんな気分になった。<br>
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入り口で守衛さんと挨拶を交わし、翠星石は更衣室に向かった。<br>

どこからか、ふうわりと菓子パンの美味しそうな匂いが漂ってくる。<br>

ラスクを製造している棟からだろうか。<br>
それとも、ベイクドチーズケーキの製造ライン？<br>
コンビニ向けに卸す菓子パン以外にも、直営のケーキ屋向けの製造も<br>

しているから、その匂いかも知れない。<br>
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「はぁ……甘い物は別腹って、ホントですぅ」<br>
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きちんと朝食を摂ってきたと言うのに、翠星石は、なんとなく小腹が<br>

空いてしまった。<br>
帰りしな、おみやげに何か買っていこうか？　そんな気分になる。<br>

春の野で思い浮かべるのは、よもぎ摘み。ケーキの類があまり得意ではない<br>

祖父母も、草餅なら旬な感じがして喜ぶだろう。<br>
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まだ仕事も始まらない内から、帰りがけの事を考えるのも気が早いけれど、<br>

取り敢えず、そうしようと思った。<br>
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――そして、昼休み。<br>
窓辺の日向で、雛苺は一人掛けの椅子に座って、うつらうつら舟を漕いでいる。<br>

翠星石は笑いを堪えながら近付くと、故意に、雛苺の肩をポン！　と叩いた。<br>

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ビクーン！　と身体を震わせた雛苺は、危うく、椅子ごと仰向けに倒れそうに<br>

なった。翠星石が腕を掴まなければ、本当に、ひっくり返っていただろう。<br>

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「もお！　なんて事するのー！」<br>
みっともなく狼狽えた気恥ずかしさと、翠星石の悪戯に対する憤りで、<br>

雛苺は頬を膨らませて怒りを露わにした。<br>
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「すまねぇです。まさか、あんなに驚くとは、思ってなかったですぅ」<br>

「……いつか、仕返ししてやるのよ～♪」<br>
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にこにこと翠星石に笑い掛けながら、雛苺は、さり気なく物騒な台詞を吐いた。<br>

本気なのか冗談なのか、判断に苦しむ、曖昧な表情。<br>
悪い冗談と勝手に解釈して、翠星石は徐に、今朝、思い付いた話を切り出した。<br>

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「そんな事より、雛苺。仕事終わった後って、急用とか有るですか？」<br>

「うよー。ないけど……どうして、そんなコト訊くの？」<br>

「ウチの庭で、質素なお花見でもどうかな～って、思ったですぅ」<br>

「おぉ、夜桜見物なのねー」<br>
「そういうコトです。満開には、ほど遠いですけどね」<br>
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それでも、雛苺は期待に瞳を輝かせ、声を弾ませた。<br>
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「みんなで楽しめたら、ヒナは満開じゃなくても構わないのっ」<br>

「根っからのお祭り娘ですねぇ、雛苺は」<br>
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雛苺は朗らかな笑みを浮かべたが、彼女の心には、暗い影が落ちていた。<br>

バイトが終わって家に帰っても、両親は仕事が忙しくて、帰宅していない。<br>

独りで夕飯を食べる事になるなら、いっそ外食でもした方がマシ。<br>

そんな風に考えていた。<br>
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「ねえ、翠ちゃん。巴も呼んだら……ダメ？」<br>
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上目遣いに顔を覗き込んでくる雛苺に、翠星石は「勿論、良いですぅ」と応じた。<br>

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バイトが終業となり、翠星石と雛苺は家までの道すがら、不死屋の草餅を買って、<br>

柴崎家に戻った。門の前では、巴が待っていた。<br>
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「お帰りなさい、二人とも。バイト、お疲れさま」<br>
「あっ！　トゥモエェーっ！」<br>
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雛苺は彼女の名を呼びながら駆け出して、人目も憚らず、巴に抱き付いた。<br>

夜の帳が降りて、人通りが無かったから良いものの、これは結構、恥ずかしい。<br>

端で見ていた翠星石も、思わず「何やってんだか、ですぅ」と呆れてしまった。<br>

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（でも…………ちょっとだけ、羨ましいかも……です）<br>
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考えてみれば、自分だって蒼星石に対して、雛苺と似たような真似をしてきた。<br>

白昼堂々、ふざけて抱き付いてみたり。<br>
突然の落雷に、ビックリして抱き付いてみたり。<br>
去年の夏、真紅たちと行ったキャンプで、泥酔して抱き付いてみたり。<br>

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（……なんだか、抱き付いてばっかりですぅ）<br>
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けれど、人目なんか気にしなかった。ちっとも、気にならなかった。<br>

蒼星石を抱き締めて、服越しに彼女の体温を感じて、サラサラした鳶色の髪から<br>

薫る芳香を胸一杯に吸い込むだけで、幸せな気持ちになれたから。<br>

世界でたった一人の妹が、ちゃんと近くに居る事が、実感できたから。<br>

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（蒼星石……。私……また、蒼星石のコトを……ギュッて、出来るですよね？）<br>

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今すぐに願いを叶えてもらえるなら、もう一度、蒼星石を抱き締めたい。<br>

そんな想いを胸にしまい込んで、翠星石は雛苺と巴を、家に招き入れた。<br>

居間でチビ猫をあやしながら、少し休んだ後、三人の娘は祖父母と夕食を共にした。<br>

バイト先から帰る直前に翠星石が電話して、二人分多く、支度をして貰ったのだ。<br>

久しぶりの賑やかな晩餐に、祖父母も上機嫌だった。<br>
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食後、翠星石たちは縁側に腰を降ろして、星空の元、庭の桜を観賞した。<br>

日に日に気温が上がっているとは言え、三月の夜は肌寒い。<br>

桜の蕾も、大きく膨らんでいながら、あと一歩のところで躊躇している。<br>

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それでも、翠星石は楽しかったし、巴も、雛苺も、少し早い夜桜を愉しんでいた。<br>

気の合った者同士、肩を寄せ合ってお喋りしているだけで、時の経つのを忘れた。<br>

祖母が熱いお茶と、翠星石が買ってきた草餅を盆に乗せて運んでくると、三人の会話が、<br>

より一層、賑々しくなる。女の子にとって、甘い物は悉く別腹に収まるらしい。<br>

ニコニコと草餅を食べていた雛苺が、ふと思い出したように、翠星石に訊ねた。<br>

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「ねえ、翠ちゃん。しゅんしょういっこく……って、知ってる？」<br>

「なんです、それ？　マンガのタイトルです？」<br>
「それは『めぞん一刻』なのよー」<br>
「んん～？　あっ！　分かったです。腹話術のヤツですぅ！」<br>

「……それ、いっこく堂なの」<br>
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二人のやり取りを聞いていた巴が、クスクスと笑みを零した。<br>

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「春宵一刻値千金、よ。春の夜は趣が深くて、短い時間でも千金の大金にも<br>

　代え難い価値がある……って意味なの」<br>
「巴は物知りですね。春宵一刻、か。なんとなく実感できるです」<br>

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こうして、三人並んで夜桜見物をしながら他愛ない話に興じる時間も、金では買えない。<br>

この瞬間だって、一生に一度だけの、何物にも代え難い貴重な思い出だ。<br>

春の夜も、人の縁も、大した違いは無い。翠星石には、そう思えた。<br>

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『保守がわり番外編　　明るい（？）通販生活』<br>
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「翠ちゃん翠ちゃんっ！」<br>
「なんです？　騒々しいヤツですね」<br>
「あのね、あのね。ヒナ、ジュンに通販で手に入れた物を貰っちゃったのー♪」<br>

「？！　聞き捨てならねぇです。何を貰ったですかっ！」<br>

「うゅ…………お人形の、製作キットなのよー」<br>
「人形製作？　まさか、美少女フィギュアとか、ガレージキットとか……です？」<br>

「よく分からないけど、珍しいお人形なの。翠ちゃんも、一緒に作ろ？」<br>

「ふむふむ。まあ、良いですよ。大した用事もねぇですし」<br>

「やったー♪　それじゃ早速、ヒナの家へゴーなのよー」<br>

　・<br>
　・<br>
「ほらほらっ！　これなのー」<br>
「！？　こ…………これって……『呪いの藁人形』製作キットですぅ！」<br>

「呪い？　よく分かんないけど、面白そうなのっ。さあ、張り切って作ろうなのー」<br>

「……ジュンのヤツ、後でヌッ殺してやるです」<br>
　・<br>
　・<br>
「ここで、藁を束ねるって、説明書に書いてあるですよ。紐は、どれです？」<br>

「普通の紐じゃないみたいよ？　なんか、絶縁被覆された電気配線で縛るみたい」<br>

「電気配線でっ？！　どーいう藁人形ですか、これは」<br>
「ヒナに訊かれても、分からないのよー。はい、これが使う配線なの」<br>

「…………ダ・ビンチ印の電気コードって、ラベルに書いてあるですぅ」（落涙）<br>

「！！　翠ちゃん、凄いのっ！　これが噂のダビンチ・コードなのよー！」<br>

「……おバカ苺ぉ、ですぅ」（血涙）<br>
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･･･次回、丑の刻参り編。ﾌﾋﾋﾋ<br>