10月;

―ガラリ

勢いよく扉が開く。
その音に顔を上げると、先生がツカツカと教壇に上がっていくところだった。
朝のチャイムが鳴ったのはもう5分も前のことだ。
いつも時間厳守のはずの先生の遅い到着の所為か、教室内は騒がしい。

礼「静かに!」

少し大きめの声を出して生徒達を静める。
ぴたりと生徒達の声が止んだ。

礼「それでは出席…といきたいところですが、今日はその前に大事な話があります」
主「?」

突然の話に生徒達は疑問符を浮かべる。

礼「大変残念な話なのですが…どうやらクラス内でイジメが起こっているようです」

クラス中が一気にざわめきだった。
反応はといえば、どこか好奇心に目を輝かせる者、キョロキョロと辺りを見回す者、近くの生徒と喋り出す者とさまざまだ。

礼「静かに!!」

再び先生が声を張り上げ生徒達を静める。

礼「高校生にもなってこのようなことが起こるというのはとても残念です。と言うよりも、あってはいけないことです。今回のことで誰がどうだなどと問い詰めるようなことはしませんが、もし心当たりがある者がいればそのような行為は今後一切しないように。…それでは出席をとります」

それだけ言うと先生はいつもと同じように生徒達の名前を読み上げ出した。

それにしてもイジメ…か。
そんなもんがクラス内にあったんだなぁ…俺は気付かなかったけど。
でも普通、こんなことぐらいでなくなんないよなあ…。
もしかしたら逆上して酷くなるかもしれんのに。
ま、言われるまで気づかなかったし、俺には関係ないな。



休み時間に入ると、案の定と言うべきか、先ほどの先生の出した話題で持ちきりだった。
そこらかしこでイジメについての話題が飛び交っている。

主「イジメ…ねえ…」
リ「○○さん、どうしました?」
主「え…あ、いや…」

どうせ暇だし、この話題に俺も便乗してみるかな。

主「イジメなんかあったんだなーって思ってさ」
リ「あ、今朝の…」
主「そ。俺全然気付かなかったわー」
リ「………」
主「でも誰だろーなー…」
リ「それは…」
小「ねえ、灰塚さん!」
リ「え…!?」

何か言おうとした瞬間、リヨさんの名前を呼ぶ声が響いた。
その声に彼女は吃驚した表情で口をつぐむ。

主「有栖川か、なんだよー」
小「うるっさいわね!あんたには用なんてこれっっっぽっちもないわよ!」
主「………」

何だか今日はいつもにも増して有栖川の俺に対する扱いが酷い気がする。
まあ別に、どうでも…いいんだけど。
俺は大人しく二人の話が終わるのを待つことにした。

小「で、さ、灰塚さん」
リ「あ…はい…」
小「先生が呼んでたわよ」
リ「え…」
小「ね?」
リ「あ、はい…」

そこまで言うとリヨさんはくるりとこちらを振り返り、軽くお辞儀をする。

リ「あの、そういうことですので…では」
主「え、あ、ちょ、ちょっと!」
小「だーかーらっ!あんたには何の用もないって言ってんのよ!ついてこないでよねっ!」
主「う…」

そう甲高い声でぴしゃりと言いつけられては、ぐうの音も出ない。
そのまま二人は行ってしまった。



授業も全て終わり、早々と家路に着くことにした。
人の波に添い、校門の方へと歩いていく。
頭の中では、今日帰ったら何をしようかと、いくつか候補を挙げながら簡単に予定を立てていく。
予定と言っても、何して遊ぼう、何を読もう、何を食べようなどと言うくだらないものなのだが。

リ「●●さん!」

ふと名前を呼び止められ、考えを中断させる。
ちょうど校門を出ようとしたときだった。
振り返れば、肩で息をする見慣れた人物。

主「リヨさん?」

そう、それは恋人のリヨさんその人だった。
その姿を見れば、早めに教室を出た俺を一生懸命追いかけて切れくれたのだということが分かる。
申し訳なさと共に嬉しさが沸き起こった。

リ「そ、その…今、帰りですよね?」
主「ああ、そうだけど…あ、リヨさんも、だよな?」
リ「あ、はい…その…ちょっと姿が見えたので声を…」

追いかけてきたという事実が恥ずかしいのか、バレバレの嘘をつく彼女がとても愛おしく感じられた。
少し顔を赤らめ俯いている。
それが妙に可愛くて、気付いていないふりをする。

主「あ、そっか…えっと…リヨさん、良かったら一緒に帰らない?」
リ「え…私と…ですか?」

俯いていた頭を勢い良く上げる。
その瞳には驚きと期待が見え隠れしている。

主「うん…どう?」
リ「あ…えと、その…一緒に…帰りましょう…」

語尾に近づくにつれ小さくなるものの、しっかりと聞こえた。

主「それじゃ、帰ろっか」
リ「はい!」



主「え、リヨさん家って、あそこの豪邸!?」
リ「そ、そんな、豪邸だなんて…」

他愛のない会話の中で、ふと知った事実。
確かに、豪邸と言うのは少しばかり言いすぎかもしれないが、彼女のその口にした家は、周りの家よりも断然大きく、それで居て何処か品と雰囲気のある和風家屋だ。

主「やー、でもさ、ああ言う家って憧れるんだよなー…」

素直に思っていたことを述べると、まるで以外だとでも言うかのようにこちらに視線を向けてくる彼女。
それに思わず言葉が詰まる。

主「あ、えっと、そのー…」
リ「あの、本当に…」
主「え?」
リ「本当にそう思いますか…?」

確認するように、おそるおそる聞いてくるリヨさん。

主「え…?ああ、もちろん」
リ「そうですか…」

頷き肯定する。
それに一言答えると、黙り込んでしまった。
しばしの沈黙が続く。

(何か、まずいことでも言ったか…?)

それが続くにつれ、だんだんと不安になっていく。
頭にいろいろな考えを巡らせる。
よく分からないが謝ってしまおうか、そう思ったとき、リヨさんが口を開き沈黙を破った。

リ「その…●●さんは、今週の日曜日、お暇でしょうか…?」
主「うん、暇だけど…」

ドキリと心臓が音を立てた。
その次の言葉に期待が膨らむ。

リ「よければ…家にいらっしゃいませんか…?」

(え…?)

その言葉に一瞬時が止まったように感じた。
一応俺とリヨさんは付き合っているのだし、もしかするとデートに誘われるんじゃないかと思っていたのは事実だ。
しかもそうなれば初デート。
これは期待しないほうがおかしい。

(初デートで…いきなり家…?)

嬉しくないわけではない。
本音を言ってしまえば凄く嬉しい。
しかし、今はそれよりも緊張が勝っている。

リ「あ、あの…もしかして、ご迷惑ですか…?」

眉を下げ、不安そうな目を向ける彼女。

主「い、いや!全然そんなことはないけど…!」
リ「良かった…」

そう言って心底嬉しそうに微笑む。

(まいったな…)

そんな顔をされては惚れた弱みか、選択肢は1つしかなくなってしまう。

(まあ、何とかなるか…て言うか、何とかなれ…!)

緊張を落ち着けようと、頭の中でああだのこうだの色々なことを考えてみたが、どうも落ち着かない。
日曜は、もう既に4日後と迫っている。
そのことを考えると、今から俺の心臓はどうにかなりそうだった。



待ちに待ったリヨさんとの約束の日曜日。

(あー、なんか緊張してきた…!)

夕べはその所為かあまり眠れなかった。
ただでさえ、仮にも彼女の家に行くのだ。
それに付け加えてあの豪邸。
緊張するなと言う方がおかしい。

(えーと、まず家族の方にはきちんと挨拶してー…って、やっぱりリヨさんとお付き合いさせていただいてるとか何とか言うわけか!?うわ、どうする!?『お前にうちの大事なリヨはやらん!』とか言われたりしたら!…いや、待てまだそうと決まったわけじゃ…案外歓迎してくれるかも?いや、待て待て待てそんな上手くいくはず…あー、でもなぁ…)

そんなことを頭の中でグルグル考えながら歩いていると、あっという間についてしまった。

(に、してもやっぱり凄いよなぁ…)

目の前に広がるのは広々とした日本家屋。
まさに由緒正しきという言葉がぴったりの豪邸だ。
さながらちょっとした旅館のようにも見える。

(うう………)

何処となく気後れがして、門の前で立ち往生してしまう。
間の前にあるチャイムを押すに押せない。

(あー…いきなりご両親とか出てきたら気まずいなあ…あああ、でももう約束の時間だし…よし、ちょっと一回深呼吸して…)

主「スー…ハー…よし!」

カチリとボタンを押す。

(待ってる間ってのも緊張するよなー…て、最初から緊張してたんだけどさ!どうかリヨさんがでますように…!)

―ガラガラガラ

主「あ…リヨさん!」

少し重そうな玄関の引き戸が開けられたかと思うと、そこには笑顔のリヨさんが立っていた。

リ「○○さん…ようこそいらっしゃいました」



(それにしても…やっぱり中まで綺麗と言うか…)

玄関から入り、リヨさんに案内されるまま廊下を歩く。
決して新しくはないが、隅々まで手入れが行き届いていて、その分何処か威厳を感じさせる。
豪華と言うよりは清楚と言う言葉が良く似あっている。

(広くて長い廊下…)

パタパタと二人分の足音が響く。

主「あ、そうだリヨさん!やっぱりこう言う時ってご家族の方にも挨拶とかしといた方がー…」
リ「あ…いえ、今日はみんな留守ですので…」
主「え?…あ、なんだ、そっか」

(はあ、悩み損だったな…)

リヨさんの答えに少し拍子抜けしてしまう。

(…ってことは、二人っきりか。なんか別の意味で緊張してきた…)

と、突然彼女の足が止まる。

リ「○○さん?」
主「へっ!?あ、はい?」
リ「あ、えと…ここが私の自室ですので…」

そう言いながらゆっくりと襖を開ける。

リ「少しここで待っていてください。飲み物などを用意してきますね」
主「あ、ああ、ありがとう…」

俺を中に入れると、少し駆け足で恐らく台所の方へ向かっていく。

(…とりあえず、座るか)

部屋の真ん中にある小さなテーブルの前にと座った。

(へぇ、やっぱりリヨさんらしい部屋だなあ…)

ぐるりと部屋の中を見渡す。
綺麗に片付けられた室内。
余計なものなど一つもないように、きっちりと整理整頓されている。

(なんだかあんまり生活臭がしないと言うか…まあ、でもリヨさんらしくて良いかな)

リ「○○さん」
主「はいっ!?」

突然声をかけられビクリと方が震えた。

主「リ、リヨさん…」
リ「どうぞ」
主「あ、どうも」

リヨさんは丁度俺の向かいに腰を下ろす。
テーブルの上に二人分のお茶とお菓子が並べられた。

(おお、高そう…)

リ「…すみません、なんだか面白い実のない部屋で…」
主「へ?え、あ、いや、リヨさんらしくて良いと思うよ」
リ「私らしい、ですか…」

少し困ったような笑顔で笑う。

リ「どうやら家は、他の家庭と比べると両親が少し厳しいようで…昔からこのような感じなんです…」
主「そ、そうなのかー…あ、でも確かリヨさんお姉さんとかいたよな?」
リ「はい…姉は、私なんかよりもずっと賢い人ですので…」

(な、なんだか話が思い方向へ…!えーと、なんか他に話題、話題…)

主「あ、そうだ!猫!」
リ「え?」
主「ほら、1学期にリヨさん拾ってっただろ?あいつ元気かなーって…」
リ「死にました…けど…」
主「へぇ、そっかー…って、え!?」

思いもがけない彼女の言葉に、一瞬場の空気が凍る。

主「あ、えと…」
リ「やっぱり、雨の所為なんでしょうね…風邪を引いてたようで、まだ子猫でしたし、そのまま拗らせて…」
主「…そっか、なんか、ごめん」
リ「いいえ…」

(…気まずい)

どうやら話題選びに失敗してしまったようだ。
リヨさんは俯いてしまった。

(でもそっか、あの時の猫…)

あの子猫のことを思い出すと、何となく俺まで沈んだ気持ちになった。

(…って、いかん!せっかくリヨさん家にきたって言うのに…!)

主「あ、えと、リヨさん…」
リ「○○さん」
主「!?は、はい!」
リ「あ、あの…そちらへ行っても良いでしょうか…?」
主「へ?…あ、ど、どうぞ!」

一瞬惚けてしまった。
が、すぐに言葉の意味を理解し答える。
彼女は立ち上がり、俺の隣に来ると再び腰を下ろした。

リ「すみません、この方が落ち着く気がして…。やっぱり、落ち着きます」
主「…そっか。なら、良かった」

少し照れたように笑うリヨさん。
ぐんと近くなった彼女に、先程までの空気も忘れて心臓がうるさいぐらいに鳴った。



主「リヨさん…どうしたの?さっきからずっと黙りこくってさ」

彼女は先程から俺が何を言っても無言だ。
これじゃまるで会話になっていない。
はっきり言って泣いてる女の子は少し、いいやかなり苦手だ。
どう扱っていいのか分からないし、泣いて通じるわけでもないし。

主「……………」
リ「……………」

何も答えてくれないから、ただ刻々と時だけが過ぎる。
このまま、何も聞かずに放っておくこともできる。
でも、彼女はいつもそうだ。
何も言わないし、自分から進んで他人に干渉しようとはしない。
そう考えると自分は何も頼りにされてないのだと思い、不甲斐ないような情けないような気持ちになる。
少しでいいから、彼女の口から何かが聞きたい。
もっと俺のことを頼って欲しい。

主「…あのさ、俺でよければ、話聞くから」
リ「……………」

(はあ…)

主「…具合でも悪い?」
リ「……………」

言葉は発しないものの、ゆるゆると首を横に振り一応の意思表示はしてくれた。

主「誰かに、嫌なことされた?」
リ「……………」

また答えはNO。

主「そっか。…じゃあ、先生に、何か怒られた…とか?」
リ「……………」

これもNO。

(…だよな)

自分で言ってはみたものの、あの優等生のリヨさんが怒られるなんて想像もできない。
だからと言って、自分の想像力の貧困な頭で思いつく理由はこれくらいのものだ。

(じゃあ、一体何なんだよ…)

主「はあ………」

もう困り果てて彼女と同じく言葉の出なくなった俺の口から盛大なため息がこぼれた。

リ「……………ごめん、なさい」
主「え?」

やっと開いたと思った彼女の口から聞こえたのは謝罪の言葉だった。

リ「なんでも、ありません…から」
主「……………」

『なんでもない』
理由の代わりに出たこの言葉に、もうそれ以上何も聞けなくなる。

主「………そっか」
リ「はい…すみません」
主「いや、いいよ」

謝罪の言葉なんて、いい。
聞きたいなんて思ってない。

リ「…もう、こんな時間ですし…帰りましょう」
主「…そうだな」

胸の中にモヤモヤとしたものが立ち込める。

(いや、いいんだ…これで…)

そう、多分、大事なのは言葉よりも一緒にいることだ。
言いたくないことを無理やり聞き出すこともない。
リヨさんはこうして進んで俺と一緒にいようとしてくれる。
きっと、これがリヨさんなりの頼りにしている、と言うことなのだろう。

(…うん)

そう思い込み、胸の中のモヤモヤとしたものを追い払った。

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最終更新:2008年08月04日 03:32