「有難うございましたー!」
明るい店員の挨拶を背中で受けながらコンビニを出る。
特にこれと言ってやることもなく、暇をもてあましている俺はだらだらと足を進めながら、これからどうしようか、などと考えていた。
(そうだ、どうせ暇だしなあ…)
ここから垂髪の家までそう遠くはない。
最近全然顔を見てなかったから、なんとなく、ただそれだけ。
気まぐれで、ほんの少し、会いたくなっただけだ。
(電話、かけてみるか)
ポケットから携帯を取り出し、電話をかけようと着信履歴内、彼女の番号を探す。
(…………………)
ほんの1ヶ月くらい前まではあった大量の彼女の名前は、今は上城白雪姫の文字に変っていた。
仕方なくメニューから電話帳を開き、垂髪の名前のところで発信ボタンを押す。
すぐに呼び出し音が聞こえてきた。
ち「はい…」
主「あのさ、俺だけど…今ちょっと用事で近くまで来てて…」
ち「え?」
何の根拠もないけれど、喜ぶ声が返ってくるはずだと思って電話を掛けたのに、聞こえてくるのは慌てた声。
主「…どうかした?」
ち「その、今はちょっと、」
それと同時に、電話口の向こうから僅かに聞こえる聞き覚えのある声。
(羽生治…?)
その声の主に気付いた瞬間、突如居たたまれない気持ちになった。
主「あ…悪い、それじゃ」
ち「あ、その、」
主「何?」
自分で思っていたよりも冷たい声が出る。
ち「…あ…なんでも」
主「じゃあ、切るから」
プツッ…ツー…ツー…ツー…
返事を聞く前に電話を切った。
さっきまで彼女の声がしていた電話からは無機質な機械音が聞こえてくる。
どうして彼がいるのか、なんてことは聞けない。
よくよく考えれば、いや、考えなくともそうしたのは自分なのだ。
その瞬間、思い知らされた気がした。
(結局、何にも分ってなかったのは俺の方なんだな…)
いつか聞いた羽生治の言葉が頭の中で響いた。
そう、今更探しても自分の入る余地など、もう何処にもないのだ。
(俺は…結局…、どうしたいんだろう…)
逃げたのは俺の方なのに、何となく、今までのこと全てが無駄になったような気がして、自分の中の何かが空っぽになったような気がして、そのままほとんど思考は停止したまま岐路へとついた。
俺が垂髪のことを気にかける理由。
もう別に、彼女を好きだとか、そう言うものでは、ないのかもしれない。
本当は、彼女を好きだなんて気持ちはとっくの昔に冷めてしまっていて。
そう、ただ同じクラスメイトとして同情しているだけ。
ただそれだけの理由になってしまっているのではないだろうか。
(いや…)
そこまで考え、否定する。
否定しなければいけないような気がした。
(俺はあいつの恋人で、だから心から心配して…)
もう何度言い聞かせたのか分からなくなった言葉を頭の中で復唱する。
(そうだ、そうなんだよ…)
それでも、垂髪に対する思いはどんどんと、まるでこの寒空を流れる雲のように不安定で、常に形を変えながら流れ、今では自分ですら把握できないような物にと変化していた。
主「じゃ、これ今週の分だから」
プリントの束を差し出し、お決まりの台詞を言う。
ち「ありがと…あの、もし良かったら、上がって?」
少しやつれた顔で、これまたいつもと同じ、お決まりの台詞を口にする。
彼女には似合わない、ねだるように媚びた甘い声で。
~~~♪(着信音)
(あ…)
彼女が言い終わるのを待っていたかのようなタイミングで俺の携帯が鳴り出した。
垂髪の顔から笑みが消える。
主「悪い…もしもし?」
母『あ、●●?』
一言断り通話ボタンを押す。
耳に当てたそれから聞こえたのん気な母の声に、思わず力が抜ける。
主「なんだよ?」
母『悪いんだけど、お醤油きらしちゃって。帰り買ってきてくれないかしら?』
主「ああ、分かっ…!?」
突然手の中から消える携帯。
主「な…、お前……」
垂髪の手に握られたそれを見て、瞬時に取られたのだと悟る。
主「お前、何やってんだよ!」
思わず荒々しくなる声。
感じるのは、何かを訴えるような、睨むような視線。
ち「………………」
主「…何とか、言えよ」
ち「…して」
主「え?」
ち「どうして!どうして、いつもいつも…!」
主「ちょ、おい…!」
だんまりを決めこんだかと思えば、突然の大声。
堰を切ったかのように目からは次々と涙が溢れている。
ち「また上城さんでしょ!?なんで…」
主「今のは違、」
ち「いつもいつもいつも上城さん上城さん!そんなに上城さんが良いの!?あたしじゃダメなの!?あたし、●●のためなら何でもするよ!?それに●●はあたしを選んでくれたじゃない!他の誰でもないわたしを!なのに、上城さん上城さんって…●●の彼女はあたしでしょ!?あたしなんだから!…なんで…なんでいつもあたしばっかり…」
主「お前、自分ばっかりって…なあ、」
ち「…っく、…だって、みんなが…いつもいつも、邪魔するから…あたしだけ、幸せになれなくて…」
その瞬間、いつも俺の中で無理やり抑えていた何かがあふれ出す。
今まで一生懸命作りあげた、嘘で固めた防波堤が崩れていく。
音を立てて何かが切れた。
主「っ被害妄想も大概にしろよ!お前がどんだけ周りに迷惑かけてんのか分かってんのかよ!?」
ち「違…っ、そんなこと…!」
主「被害者ぶるのもいい加減にしろ!」
ち「………っ」
主「もとはと言えば全部お前のせいだろ!?お前があんなことさえしなけりゃ…!」
ち「そ、れは…」
主「どんなに言い訳してもな、事実は変らないんだよ!」
ち「違う!言い訳なんかじゃ…!」
主「うるさい!結局何言ったってお前は被害者じゃなくて加害者なんだよッ!」
ち「…っ、か、が…いしゃ?あたしが…?」
主「ああ、そうだよ!悪いのは全部お前だろ!?」
ち「違、う…違う、違う違う違う違う違う」
主「違わねえよ!!!!!!!!!!」
もう何も聞きたくなくて、喉から搾り出すように大声を上げた。
その願いは叶い、その瞬間静寂が訪れた。
(あ…)
俯き、表情の窺えない彼女。
無音に包まれ、初めて我へと返る。
微かな息切れに上下する肩。
口から次々と出てくるそれを、止めることが出来なかった。
今まで押し込めてきたものを全て吐き出すまで。
主「…っ」
もうその場に居ることすら嫌になり、踵を返すと逃げるように彼女の部屋を後にした。
壊れてしまった防波堤。
今度はそれを“俺は悪くない”と言う言葉で修復しながら。
朝、いつもと同じで生徒達が吸い込まれるようにそれぞれの足取りで校門の中へと入っていく。
そんな生徒達の群れ中、ふと足を止めた。
一人、学校の敷地内に入らず校門の前に突っ立ってこちらを見ている人物が目に入ったからだ。
主「羽生治…」
羽「よう」
主「ああ、おはよう」
何処か気まずい雰囲気の中、軽く挨拶だけを交わして通り過ぎようとしたところで腕をつかまれた。
力が入っているのか、掴まれた部分から僅かに痛みが広がっていく。
主「…なんだよ」
羽「お前、この前垂髪の家に行ったんだよな?」
主「だったら何だよ…」
羽「その時、お前なんかしたか?」
主「なんかって…」
先日の出来事が頭にフラッシュバックされる。
主「別に…何も…」
羽「なあ、あいつに何かいったんだろ!?」
主「何にもしてねえよ!」
大声で叫ぶと手を振り払い走った。
後ろは振り向かずに。
周りからの視線が痛い。
それを振り払うようにと教室へと急いだ。
最終更新:2008年08月02日 13:51