「時間はそこで止まらない」


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時間はそこで止まらない
2006-08-22

Gyaoで「少女には向かない職業」を見た。
原作は『GOSICK』の桜庭一樹の小説。13歳の大西葵と宮乃下静香の二人が二人の人を殺す物語。
第10回が良かった。原作にはない最終回。これで一度完結したはずの物語がもう一度戻ってくる。美食を楽しみでもそろそろ満腹の域を超えつつあって、そんな時にともかくも飲み下して胃に納めたはずのものがふとした気の緩みでもう一度喉を伝って戻ってきて、とはいえそれをあからさまにゲロするわけにもいかず、胃液の苦みを感じながらもう一度咀嚼し続けている感じ。
この回がなければ、それなりに不幸な状況に置かれた二人の少女が友情と自尊心だけを最後のよすがに不器用に状況に立ち向かおうとするハードだけれども切ない青春ドラマとして自己完結したはずの物語は、最終回によって一気に12年という時間を跳躍しながらも視聴者のリアルな時間と接続される。二人の時間は物語の中で自足することを許されず、物語の外の視聴者の時空間に繋がる。
主人公の一人大西葵は12年後荻窪駅前の書店でアルバイトをしている。物語の中の少女は、その後の時間の中で物語を陳列する棚の並ぶ書店で、時折こっそり売り物の本を持ち帰って読んだりしながら、働いている。いつか少女は物語の外に出なければならない。
どちらかと言えば静香の方が物語の中に居続けている。大学に進学しイギリスに留学する静香は、けれども人との距離を取り続け取り巻く環境に違和感を感じながら暮らし続けている。その場に適応しつつ実際には半透明な膜によって自分と外とを区分けしながら生き続けている。そもそも葵に本を読むことの楽しさを教えたのは静香だった。葵と出会うまで一人の友達もなく物語の世界の中に生きていたのは静香だった。静香にとって葵は物語の外との接点。けれども13歳の時には葵が静香の物語の中に巻き込まれてしまったのかもしれない。12年後、葵を訪ねる静香を現実の世界に繋いだのは葵だった。それゆえ静香は葵に感謝する。
最終回は、殺された二人の死も物語の中からサルベージする。物語の中で死んだ二人の人間の死が、物語の外で質量を得る。13歳の青春を駆け抜けて燃え尽きたはずの二人の12年後にその重石が載せられている。久しぶりに再開した二人が喫茶店で交わす言葉は数少ない。語るべき言葉は全て12年前に二人で体験してしまった。その後の12年のそれぞれの暮らしの重さよりもその後の12年の二人の間の空虚さが、にも関わらず13歳の時の二人の間にあった濃密な関係を呼び覚まして語る言葉を失わせる。
二人を捉える常に震えるような不安定なカメラは、その時々の彼女達の気持ちを上手く表現していた。殺され役の萩原聖人も要潤も殺されるべくして殺される嫌な役をうまく演じていたけれど、葵と親しくなる先田庄司警察官役の渡辺いっけいがとてもいい。物語の中で彼女達を唯一物語の外へと繋ぐ可能性として存在したゲートとしての存在。けれども最終回でも描かれていない彼のその後の人生を考えるならば、それはもしかしたらとても切ないものだったかもしれないと思う。
オープニングに毎回挿入される「中学二年生の半年間で、私大西葵13歳は人を二人殺した/少女の魂は殺人に向かない、誰か最初にそう教えてくれたら良かったのに/でもその時、私たちのそばには誰もいなかった」という言葉が、この作品のキーフレーズだ。人は出会う人にとって次の部屋に進むためのドアなのかもしれない。葵は静香に会ってひとつのドアを開け殺人という部屋にに入っていった、けれども葵は本当に小さな非常口として先田警官と出会っていた。第9回で二人を救うのは先田警官というドアだ。物語は本来、彼を救済へのドアとして終わっている。が、映像版「少女には向かない職業」では、第9回までの物語に第10回というドアが用意され、そこで第9回までの物語は別の時空間に接続される。その中で物語を生き続けてきた静香は、物語から踏み出しつつあった葵によって次の部屋へと誘われる、それは静香を現実の世界へと位置づけるための部屋なのだけれど、二人の人間の死という重みは二人の少女を救うには重すぎて、静香のためのゲートを用意するために葵の生は失われる。静香は三人の人間の死という重みによって開かれたゲートをくぐって次の部屋へと進んでいく。
映像版「少女には向かない職業」第10回は、決してエピローグではない。画竜点睛と言ってしまえばあまりにありきたりな表現になってしまうけれども、第10回という映像によって「少女には向かない職業」は転生を遂げている。