人は、とても簡単に死ぬ。
今これを読んでいるあなたの隣でも、毎秒数人の命が失われている。
おとぎ話。絵本。アニメ。漫画。小説。ドラマ。特撮。架空戦記。
誰かがどこかで描いたその空想がもし、他の世界での真実なのだとすれば、
あなたが絶対に知ることのできない場所で生きている沢山の命もまた、一秒でいくらでも死んでいる。
ひとつの世界でN人死んだら、億個の世界ではN億人死ぬ。
広げれば、広げれば、広げれば。一秒ごとに世界単位で命は死んでいるともいえるだろう。
これから描かれるのは、そんな世界を因り合わせて作られた世界での、死のおはなし。
ドミノ倒しみたいに、あっけなく死んでしまう人間たちの物語だ。
////////|病院|
「ただいまー」
「おかえりなさいです」
「おかえり……ど、どうだった?」
「あー、緊急救護室が荒らされてた。やっぱりさっきのは人だったんだねェ。
相当焦ってたんだろう、銃で扉を無理やり壊すなんてサ。救急箱も無くなってたし、こりゃあ大ごとだ」
「でしたら……」
「ここも安全じゃないかもねェ」
救急箱だけ取って逃げるなんて、追われてなきゃやらない動作だしねェ――と。
見回りをしてきた鰺坂ひとみ(アースMG、元魔法少女のOL)は、コールセンターの入口扉を閉めて同行者に状況を伝えた。
同行者、ラクシュミー・バーイー(アースE、インド料理店経営)と
ジェナス=イヴァリン(アースF、魔女見習い)は、伝えられた情報にごくりと唾を呑む。
起きている。
自分たちがのんびりしている間にも、殺し合いが起きていると、改めて知る。
「……隠れているのも、限界……?」
彼女たちが……いや、この“世界”に連れ去られてきた全ての参加者が、
イヤホンの説明によってバトルロワイアルを始めさせられてから、四時間が経とうとしていた。
そんな中でこの三人の女たちは、幸運なほうだったと言えるだろう。
表だって戦闘する気のない者たちで集まることも、協力関係を組むことも出来ていたし、
なによりここまで暴威にも脅威にも狂気にも晒されることがなかったのだから。
「ん。そゆことサ。ラクシュミーちゃんのナンカレーを食べるのももう限界だ。移動すんのが得策さね」
「悲しいです……」
「また安全なとこに移動できたら頼むよ。おいしかったし」
ナースコールセンター控室の机の上にはカレー皿とナンの切れ端が置かれている。
ラクシュミー・バーイーがありあわせで作ったもので、これを囲みながら和んだ時間もあった。
辛すぎて火を噴く鰺坂ひとみ、もう無理辛すぎると泣き喚くジェナス、
だんだんクセになってきた鰺坂ひとみ、無理無理言いながらも手が止まらないジェナス、
にっこり笑いながらそれを見るラクシュミーなどの光景が、確かに一時間前くらいまでは存在していた。
だがそれももう終わりだ。病院だからといって安全とは限らない。
いま鰺坂ひとみは一人で病院内を見回ってきたが、一人で広い施設を見回るなど気休めでしかない。
最初のほうに見回った場所に、最後のほうになって偶然殺人者がやって来ていたとしても、
それを検知できないということなのだから――悪ければすぐ、悪いことは起こりうる。
例えばナースコールセンターのドアが、突然がちゃりと音を立てたりもする。
「!」
「……!」
「ゼビー」『はいな』
扉外にはあからさまな人の気配。
三人は構える。
「はー……魔法少女なんてもうやだったんだけどねェ」
元魔法少女の現OLでありながら、未だ蝿型マスコット・ベルゼビューアとの契約を切っていなかった
鰺坂ひとみは、襟裏に隠していた彼に声を掛け、さび付いた魔法変身回路に魔力を流す。
「でもその衣装はカワイイと思いますです、ひとみさん」
転生したインドのジャンヌダルク、ラクシュミー・バーイーは、
生前に培って今でもキッチンで振るっている包丁(剣)の腕を存分に発揮する蝶の型を取る。
「わ、わたしも……」
病院のトイレに引きこもっていたところを発見されたほどのヒッキー魔女、ジェナスもまた、
コミュ症の自分を安心させてくれた二人を守るために脳内で呪文を詠唱し始めた。
「嬉しいこと言ってくれるじゃん。……と、来るよ」
そして扉がゆっくりと開かれる。
黒い影、比較的大柄、おそらく男――持っているのは剣?
一番最初にその陰を認めのは扉の一番近くにいた鰺坂ひとみだった。
十二年前は“最小のマスコットと最大の戦果の魔法少女”と呼ばれていた彼女は冷静に思考する。
扉の大きさから言って入ってくるのは一人。
こちらにはひとみとジェナス、2人の遠距離攻撃手がいるし、近距離に持ち込まれても剣術に長けたラクシュミーがいる。
有利は取れている、はずだ。相手がどんな規格外であろうと、フクロにすれば問題は無い――
「――ひとみさん!!!」
突然掛けられた声に気付かされる。
自分が見ていた黒い影が、ただの残像にすぎなかったことに気付かされる。
視界の端に、“侵入者”はいつのまにかもうひとみの隣にいて、
すでに魔法少女の腹部に向けて一太刀目を浴びせようとしているところだった。
おいおいちょっと早すぎんだろう。
せめて考える時間くらいはくれてもいいものを、躊躇もなしか。
「クソが……ァ」
蝿でもたかるくらいにクソな展開だ、
そう思いながらも鰺坂ひとみは自分の腹部が両断されていく感覚を味わっていた。
魔法少女であっても腹部を両断されれば死ぬ。
これは無理だ、自分はすぐに死んでしまうだろうと、ひとみは逆に冷静に痛みを受け入れた。
しかしそこは歴戦の魔法少女、
斬られながらも魔法≪蝿の目≫を展開し、せめてこんな屈辱を浴びせてくれた奴の顔を見てやろうとする。
だが、それは叶わなかった。
「――ああン?」
「――◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆」
その男の頭部は、仮面に覆われていたのだから。
_///////|ビル街|
「アイドルをやらないか?」
「あは。面白いジョークですね」
三階から四階建てほどのビルの立ち並ぶ北東の街の中心部。
本来ならば車が行き交うために造られたのだろう広い通りを歩く黒髪の乙女の前に、
すたすたと歩み寄っていきなり名刺を差し出したのはプロデュース仮面(アースC、プロデュース仮面)だった。
「ジョークではない、本気だ。
様々な世界を渡り歩いて何人ものアイドルをプロデュースしてきた私だからこそ分かるが、
君には天性の強運と人を引き付けるカリスマというものがある。きっと最高のアイドルになれる。
私の仮面の裏には君が武道館で一万人のファンを救済している姿がすでに見えているぞ」
「ここが殺し合いの場だってこと、分かっていますか?」
謎の仮面を被りつつ、深く礼をして頭を下げ、まるで首を自分から差し出すかのような格好の男。
これに対し黒髪乙女はデイパックから業物を取り出して、舌をちろりと舐めてくすくすと笑った。
委員長じみた口調の彼女は女学生にして殺人鬼、剣崎渡月(アースR、人殺し)である。
彼女はアイドルとしてちやほやされるのなんかより、人を斬ってほかほかの血を浴びる方が好きだった。
獲物を探して街を歩いていたところに思わぬ形でのナンパを受けたが、
日常的に殺し合いゲームに参加していた彼女にとって、ここでやることは変わらない。
「スカウトは嬉しいですが、返事はノーです。首を斬らせていただきますね」
「待て、剣戟もできるのか? 時代劇アイドル――そういう方向性もあったか、やはり逸材!!」
手に入れた業物「三日月宗近」を振るい、
いまだ状況が分かってないらしいプロデュース仮面のいけすかない仮面を叩き割ろうとする剣崎渡月は、
「ん?」
そこで空気を切り裂くように身近に迫っている“なにか”の音を聞き、肌を粟立たせる。
まずい。
即座にバックステップ。
ワンテンポ遅れて飛来した銃弾は、プロデュース仮面の肩を上から貫き、鮮血をまき散らした。
「む……!!?? なんだこれは……胸のドキドキが急に高鳴ったと思ったら止まった……!?」
「それは多分、スナイパーに心臓を打ちぬかれたんだと思いますよ」
「おお……スナイパーか。スナイパーアイドルも……いいな……」
最期までアイドルのことを考えながらばたりと倒れて動かなくなったプロデュース仮面を後目に、
渡月はさらにジグザグにバックステップを取りながら目線を上げて銃口を探す。
そう、スナイパーだ。
スナイパーがこちらを狙っている。おそらくは消音付きのライフルで。
これまで平沢茜という悪魔の下、様々な殺し合いゲームに参加した渡月ではあるが、
「スナイパーはさすがに……二度目くらいですかね? ――っと!!」
前方視界の右端がキラリと光ったと共に、肩を打ちぬかれていた。
距離50、四階建てのビルの上から。どうやらかなりの腕とみた。
「あは、惜しかったですね。スナイパーさんの位置は今ので割れてしまいました。
位置が割られたスナイパーは、狩る側から狩られる側に回る、というのがこの世の中の摂理です」
ぐいと引き気味だった体を前へ起こして女学生はスナイパーの元へダッシュする。
彼女は逃げ惑うエサではない。むしろ獰猛なライオンだ。
殺した数は34。まだ若いからもっと殺せる。
目指すはいつだったか朝読書の時間に読んだ、自分に似た殺人鬼のスコアである45。
「では、殺人をさせていただきますね」
東雲駆や麻生叫といった人物たちにはそれでも悲しい過去があったが、彼女には全くない。
職業学生兼人殺し。
剣崎渡月という少女は殺すために生まれ殺すために生きている、天性のシリアルキラーである。
__//////|ビル屋上|
(うっそやろ……あかんでしょう。
俺のスナイプ避けて、しかも位置押さえて、速攻潰しに来るて? 血の気しかないやんけ)
同時刻、ビルの屋上では近畿純一
(アースM、エセ関西弁の防衛狙撃手)が頭に手を当てて顔をしかめていた。
完全に仕留めてあげるつもりで撃ったアサルトライフルは女学生の肩口をかすめただけだった。
あの女学生、スナイパーからの避け方を知っている。
銃口を光らせた瞬間に反応速を上げてきたのが証拠だ。間違いなくカタギの人間ではない。
裏組織のエージェントか、雇われの傭兵か……
ただの女学生にしては目が据わっているとは感じていたが、厄介なものに手を出してしまった。
「んー、こりゃ辿り着かれんのも時間の問題やな。あー、欲ばるもんやなかったなぁ……」
むしろのん気に両手を挙げて欠伸すらしてしまうほどに残念な展開だ。
ああ、幸いにも使い慣れたものに似たライフル銃が支給されて調子に乗ってしまったか。
あるいは最近知り合いの恋人と遊んだバチでも当たったか。
こんな早くにピンチに追い込まれるとはなあ、と肩まで伸ばしている頭を掻く。
近畿純一は欲望のままに生きるタイプで、その点では殺人鬼・剣崎渡月に似ていた。
肉が食べたいと思えば肉を喰う。銃が撃ちたいと思えば撃てる職に就く。
眠りたいと思えば任務最中でも寝てしまうし、女を抱きたいと思えば抱く。
もちろん友人の彼女には手を出さないくらいの義理は持ち合わせているが、それも時と場合だ。
そういう男だから殺し合いに乗るのも躊躇しなかった。
候補名簿には光一やみゆきの名もあったが、同じチームでなければ殺すと決めた。
純一なら殺せる。目の良さとスナイプの腕には自信があった。
どんな敵だろうと遠目からチームを判断し、
別チームであれば即座に頭を吹っ飛ばしてあげることで、生き残るくらいはできるはずだった。
それがまさかこんなに早くスナイプに失敗して追われる側になろうとは。
「ま、計算が甘すぎたわな……しゃーない、返り血のひとつでも浴びますか」
やってしまったものは仕方がないので切り替えることにする。
純一はビル裏で拾っておいた鉄パイプと、支給された大ぶりのクナイをデイパックから取り出して、
これから屋上へ上って後ろのドアを開けてくるだろう女学生との戦いに備えて構えを取ろうと後ろを向いた。
「……あ?」
その首元に突き付けられたのは、変わった刃形状の剣である。
一般にフランベルジュと呼ばれるその剣波状の刃は、美麗な見た目に反し削り取られるような傷を人体に与える、
決闘よりは拷問道具に向いている武器であった。
「あー……どちらさま?」
屋上の扉はすでに開いていた。
スナイパーへの訪問客はひとりではなかった。
金毛の野獣が仁王立って、理性に研ぎ澄まされた瞳で純一を見下ろしていた。
「ラインハルト・ハイドリヒ。――地獄でこの名を復唱しろ、殺人者」
男はゆっくりと名乗った。それは無慈悲な宣告だった。口答えの時間は、近畿純一には残されていなかった。
___/////|もういちど、病院|
ラクシュミー・バーイーは動かなくなった鰺坂ひとみの口にナンの欠片を入れてあげた。
もう一度食べたいと言っていたからだ。
ただ、追加で作ることは出来そうになかった。ラクシュミー・バーイーもまた、片腕を失っていたからだ。
ついでに言えば片脚も喪っていたし、先ほどから頭の左後ろのほうの感覚もなかったが、
料理人のラクシュミーとしてはとにかく腕が片方なくなってしまったのがショックで、店じまいすら考えた。
扉が開く。
「オイオイ、この匂い成分は……」
「血……死体、ですね……」
二人の青年が中に入ってきたのを確認すると、ラクシュミーは力なく笑いかけた。
「あの……ラクシュミー・カレーハウス、にいらしゃい、ませ。
何も出せませんが、ごゆっくり……ど……ぞ……」
「!!」
「だ、大丈夫で――あ、頭が――!!」
泉で一戦交えたあと病院にたどり着いた青年二名、
巴竜人(アースH、三乗改造人間)と道神朱雀(アースG、四重人格神見習い)は、
営業スマイルをしてくれた褐色店員さんの後頭部が鋭利な刃物によって斬り削られ、
そこから薄血の桃色脳漿が漏れ出しているのを確認すると驚きに打ち震えた。
見れば、彼女が残ったほうの片膝でひざまくらをしているOLじみた風貌の女性も、半身しか存在していない。
もう半身は壁に叩き付けられてしまっている。部屋中に血が飛び散っていた。
部屋中には戦闘痕もあった。
ナースコールセンターは血の嵐が吹き荒れた戦場ヶ原へと変貌してしまっていた。
「誰がやった!!」
うつろな瞳で息をする褐色店員に駆け寄ると肩を揺さぶり、竜人が叫ぶ。
強く話しかけることで意識を保たせようとする。もうすぐ死んでしまうのは明らかだったからだ。
褐色店員のほうもそれに応えようと口を動かす。
か細い声で――紡がれたのはしかし、巴竜人の脳をさらに動揺させる言葉であった。
「ひーろー、でした」
「――なっ!?」
後ろで朱雀も目を見開く。
ヒーロー?
それは、巴竜人の職業にも通ずるはずの――。
「“仮面のヒーロー”と、“悪魔の剣”……ジェナスちゃんが……危ないです……」
そこまで絞り出すと褐色の少女、ラクシュミー・バーイーは不自然に前傾し、そのまま崩れ落ちた。
背中にも深い切り傷があり、そこから大量の血が流れ出ていたのが分かる。
素人でも分かる。これは剣の傷だ。それもとても大きな。
「巴さん……」
「悪魔の剣――ヒーロー……? どういう……」
「と、巴さん、あれを!」
唯一残った脳をフル回転させて思考をする竜人だったが、それは朱雀の発見に遮られる。
朱雀が指差していたのはテーブルだった。そこには三人分のカレー皿が残ったままになっていた。
すぐに竜人も察する。
ここに今つくられた死体は二つ。
襲撃者が去ったのだとしても、三つの皿が存在する以上、襲撃前には“三人”いたと考えるのが自然だ。
加えて最期にラクシュミーが喋った言葉――「ジェナスちゃんが危ない」。
「もう1人……居た? 逃げてるっていうのか?」
「た、助けにいかない――とッ!?」
「ああ! ん……道神くん、どうした?」
ヒーローとして意気よくナースコールセンターを後にし、救助者の下へ向かおうとした巴竜人は、
道神朱雀の様子が急におかしくなったのに気付く。
胸を抑え、苦しそうな表情。
……まさか。
「ごめん、巴さん――また人格が変わるみたいだ――!」
____////|ビル屋上|
「あは、先客がいたんですね。でも良かった。おじさま、刃ごたえのありそうなオーラが出てますね」
薄紫の空の下、女学生が日本刀を構える。
「――なぜ殺す?」
広い空を背に金毛の尋問官は無感情に問う。対峙する女学生はクールに返す。
「上に立ちたいからです」
「……」
「一番が好きでした、昔から。勉強も運動も、誰かに負けるのが嫌で嫌で。
人より上でありたい・人より下でありたくない・人を下していたい。人間の本質的な競争欲ですけれど。
私はそれを抑えなかった。抑えようとしなかった。でも、あるとき気付いてしまいました。
人を殺すということは、自分がその人より永遠に上であると示す行為であると言うことに」
仮に人生がリレーだとするならば。
殺した人からはもう抜かし返されることは絶対にありませんから。
淡々と女学生はそんなことを言った。
「なので――あなたも殺して、永遠の上位を手に入れるんですよ」
「そうか」
ラインハルトもまた淡々と頷き、再確認したとでもいう風に呟いて、フランベルジュを振るった。
「やはり、人間は無価値だ」
剣と刀の合わさる甲高い金属音は殺し合いの合図だった。
____////|数分後のビル下|
黒いドレスの少女が走っている。かと思えば消える。
一瞬後、3mほど先に現れ、また走る。
ジェナス=イヴァリンは魔法に関してはかなりの才能を持っていた。
人付き合いの才能と反比例するくらいそれは強い才能で、彼女は齢16にして特級魔法までマスターしていた。
ファンタジー世界でもなかなかお目にかかれない、ショートワープの魔法が使えるのも才能あってこそだ。
「……ッ! ……ぅぅううッ!!」
しかしジェナスの表情からは才能ある者特有の優雅な雰囲気など一ミリも感じられない。
なりふり構わず走るその顔は涙と汗と鼻水と涎で汚れていて、生きること以外のすべてを後回しにしている。
それほどに追いつめられていた。
追われていた。命を狙われていた。殺されかけていた。
「ぅ……え!?」
そんなジェナスの目の前に現れたのは死体である。
頭がトマトめいて潰れた落下死体。
顔が原型をとどめておらず、細身の男だということくらいしか分からなくなっているそれが、
奇跡的に地面に刺さったかのように逆直立した状態でぷらぷらと手足を揺らしながらジェナスを出迎えた。
ショックを受けざるを得ない光景に足がブレーキを勝手に掛ける、
「――◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆」
その瞬間、背後に近づいていた“ヒーロー”が、言語無き鋭角な叫びを伴いながら黒の魔少女に襲いかかった。
「邪魔だ!」「邪魔です!」
そこへ、流星が落ちてくる。
ジェナスがショートワープの術式を辛うじて脳内詠唱し、発動し終えたその瞬間、
それを間に合わせず彼女の首を跳ね飛ばす予定だった刃の上に男性の皮靴裏がストンピングされる。
次いで金属音、金属音、剣戟による火花音、火花音、火花音!
高速戦舞を踊りながら、はためかせたスカートを抑えつつ、
黒髪ロングの女がその手に携えた銀の日本刀の柄で“ヒーロー”の胸板を蹴った。
完全に虚を突かれた“ヒーロー”がバランスを崩した空隙を逃さず、金毛の尋問官が追いの拳を叩きこむ。
「――◆◆◆◆◆◆!!!」
たまらず吹き飛ばされる“ヒーロー”。
ようやく着地した二名の剣士が、本当に偶然だがジェナスを守るような位置で“ヒーロー”の方を向く。
ここでジェナス=イヴァリンが遅れて状況を把握した。
金髪と黒髪の、この二人……どこかのビルの屋上から、“落ちながら戦っていた”のだ!
「おい、誰だこの野蛮人は! 君の知り合いか?」
「こんな変なコスチュームで変な剣を持った変な人は知ら……いえ、どこかで見たような……?」
ともかく強い人たちであることには間違いなさそうなので、ジェナスは声を掛ける。
「……あ、あの! あ、あなたたち……!」
「む?」
「あは、もう1人いらしたんですね。可愛いお顔ですね、お名前は? どこ住み? LINEやってる? どうしてここに?」
「ジェナス=イヴァリンです……お、追われて……!
一緒に居た人、みんな殺されて……逃げろって言われて……えぐっ」
「泣くな小娘、そんな暇があるなら戦え」
「おじさま、レディーの扱いがなってないと思いますよ。そう、殺されたの。じゃああの人が殺したの?」
「う、うん……っ」
「そうなの。それは僥倖ね。
ああ、私は剣崎渡月。こっちのおじさまはLINEアプリさん、でしたっけ?」
「ラインハルト・ハイドリヒ(アースA、ドイツ国家保安部長官)だ、覚えろ」
「覚えました」
剣崎渡月はにこりと笑った。
ぎぎぎ、と音を立てて、剣を杖のようにして立ち上がろうとする“ヒーロー”を見ながら、楽しそうに笑った。
「それと、少し思い出しました。彼は私の住んでいる町のとなり町にある学校の生徒会長です。
有名人なんですよ彼。どうしてああなってしまっているかは――たぶんあの剣のせいでしょうか」
「セイトカイチョウ?」
「生徒会長とは何だ?」
「知らないんですか? ……ふうん、面白いですね」
世界観の違いからくる常識の祖語に三人は首を傾げる。
しかしその祖語についてを論じている暇はない。
“ヒーロー”が、立ち上がったからだ。
「◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆……」
その“ヒーロー”は異形の仮面と白のマントを身に着けている。
仮面は今時の特撮ドラマに出てくる、昆虫にも似たフォルムの巨大な両目が印象的なヒーローのものだ。
ただ仮面と言っても丈夫さは皆無だ。夏祭りの屋台で売られているタイプのゴム耳止め紙マスクでしかない。
服装は白のマントに大部分が覆われているものの、見える部分は学生服のようだ。
ただこれも、マントには返り血がおびただしくこびりついているため、潔白さは失われてしまっている。
どこまでも作り物で、さらに汚れてしまっているヒーロー衣装。
物悲しくすらある。
最後に、何よりも目を惹くのが――彼が握っている、いや、“握らされている”獲物だ。
「あは……美しい剣、ですね」
それは美しい銀色の幅広剣であった。
魔の存在であることを示す蝙蝠翼の意匠があしらわれた鍔をはじめとし、
柄までが漆じみて艶のある深黒に染まっているが、それが剣身の銀色をむしろ引き立てている。
刃の中心線――樋が深く掘られた剣身はまるで血を吸いたいという意思が込められたかのように仄暗く輝いていて、
殺しに精通するものが思わず共感を覚えてしまうほどの殺戮力を備えていることが分かる。
その支給品は、実際に意思を持つ。
細かく見れば分かることだが、出来そこないのヒーロー衣装の少年の握り手が、
剣のグリップから伸び出た黒色の根のようなものに浸食されているのがその証拠だ。
生体魔剣セルク(アースF)。
落ち延びた魔族の皇子の魂が封じられた呪いの剣。
“ヒーロー”はその剣に、寄生されている。
「……あの剣……魔力……闇の魔力を感じるの。
つ、強い……間違いなく、普通じゃない力。しかも、二種類……」
「二種類?」
「うん……剣に本来宿っていた魔力と、それをブーストしてる魔力……。
頭がおかしくなりそうなの……魔法学校の先生にも、あんな化け物じみた魔力を扱ってる人、いなかった……!
とくにブーストしてる魔力、おかしい……ふざけてる……絶対、勝てないよっ……に、逃げないと……!!」
「――その魔力というのは、己には見えん」
ジェナスが引っ張った袖を振り切って、ラインハルトが前に進み出る。
「ただ、“お前が嘘をついていない”ということは己には分かる。
長年の勘でな。嘘をついている人間の目はだいたい見分けられる。全く煩わしいことだがな。
……なるほど目の前の彼は化け物だ。およそ人間では培えない、魔力とやらも持っているのであろう。
だがだからといって敵前逃亡の選択肢を取るのは、少し早いと己は思う。
見たところ彼は狂っている。剣がどれだけ強かろうと――使う頭がなければ無用の長物だ」
「それにこちらは3人ですしね、おじさま」
「お前は先まで己と殺し合ってたのを忘れたのか……仕方ない。今だけ共闘の許可を出す。
他人、しかも犯罪者と共闘など虫唾が走るが、責務遂行のためには時には信念を折ることも必要だ」
しかめ面のラインハルトの横にうきうきとした表情で渡月が並び立つ。
軍官の横に黒髪ロングのブレザー女学生が並び立つさまはまことに滑稽だ。
ついでに言えばその後ろには黒ドレスの魔少女すら控えているし、
対峙するのは凶刃に囚われた“ヒーロー”だと言うのだから混沌とした取り合わせに限りがない。
「◆◆◆◆◆◆◆◆!!」
それでも――キャストがいかな色物だろうと舞台は止まらず、参加者たちは踊らされ続ける。
「全く……アカネとやらは己たちに何をさせようとしているのだろうな!」
「殺し合いでしょう?」
「……もうやだぁ……」
魔剣と日本刀とフランベルジュの輪舞曲の開始だ!
____////|ビル街を飛びゆく影二つ|
「悪ぃねぇ、巴(とも)やん。主人格である朱雀くんならうちらの能力、わりと自由に使えるんやけど」
同時刻――ビルとビルの壁を垂直に蹴って、
空の改造人間スカイザルバーとなった巴竜人に追いすがる機動を見せる朱雀少年の姿があった。
その瞳は少々細められ、纏う雰囲気は知的で落ち着いたものになっている。
神様見習い、道神朱雀の中に入っている四つの人格――そのひとつ、玄武の人格だ。
「青竜の『炎』、白虎の『加速』に比べると、
うちの『重力操作』は使い勝手も悪いし、こんな時に出てきてしもうてホント申し訳ありまへんわあ。
あとほら四聖獣ものでも玄武ってかませなことが多いやん?
うち、ホンマは戦いたくないんやけどねえ……どうして出てくる羽目になったのやら。ああ、怖いこと、怖いこと」
「……とりあえず、道神くんの容姿で女言葉で話されるとこう、驚くよな」
「まあ。でも以外と女装似合うんよ? この子。次の戦場を無事に切り抜けられたら見せてあげましょか?」
「いや、別に見たくはないかな……」
確かに四つの人格が全部男であるとは言われていなかったが、
玄武が思い切り関西方面の言葉遣いのおなごであったので巴竜人は複雑な気分になっている。
それにこの知的でミステリアスな感じは、彼の師匠である女性にどことなく似ていたのだ。
(そういえば……『先生』も、相手によって態度と口調がわりと変わる、多重人格みたいな人ではあったな……)
回想に入ろうとして、しかしその思考を振り切る。
今は昔の思い出に浸る時ではない。現実問題として一人の命が危機なのだ、ヒーローとして助けにいかなくては。
朱雀の人格が変わってしまったときにはヒヤリとしたが、幸い戦火を交えた凶暴な青竜ではなかったので良かった。
間にあえば、巴竜人はヒーローを全うできる。間に合えば。
(いや、たらればじゃない。間に合わせる――!)
……ヒーローと言っていた。魔剣を振るい病院を血に染めたそいつは、ヒーローだったと。
ヒーローとして生きている竜人にとっては、ヒーローを貶めるような行為を取るそいつは許せなかった。
しかし、可能性は低いが、自分や朱雀のように“暴走”しているだけだったり、
操られてしまっているという場合も竜人は想定している。
その場合はかの襲撃者に追われているジェナスという子だけではなく――襲撃者自身も救う必要がある。
自身の状態にも嫌なフラグを抱えながら。
だれより多くの悲劇をくぐりぬけ、それでも人間で在り続けるヒーロー巴竜人は、悲劇の回避を切に願う。
聴覚を強化された彼の改造耳にはすでにただならぬ剣戟の音がかすかだが響いていた。
そう遠くない。
(頼む、待っててくれ……! 俺が、全員救う――!!)
ヒーローはスカイザルバーの翼により力を籠め、玄武と共に現場へ急行する。
そんなヒーローを横目に、玄武はぽつりとつぶやいた。
「……ヒーロー、なあ。その思想は、崇高やけど……使命に呑まれんように、ほどほどにするんやで、巴やん」
神見習いの亀の言葉が何を案じているのか、神ならばあるいは、知っているのだろうか。
最終更新:2017年05月24日 17:30