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真なるクー  ~名伏し難きもの~



  遠くで、雷鳴が響く。
  さっきまでの血のように赤い夕暮れが、まるで混沌とした意識のような雲によって、急速に覆われた。
  わたしは、その日、どうしてもあの洋館に行かなければならなかった。
  理由をひとことで言うならば。
  失踪。
  あの老人の洋館を、偶然を装って相続させた青年が、消えたのだ。
  彼が住んでいたアパートの管理人に話を聞くと、どうやら、あの屋敷に行ったきり、帰って来ていないらしい。

  都会を離れた、深く暗い森の奥にある、洋館。携帯電話の電波も届かない。
  それは、広大な敷地に建つ、立派なゴシック建築で、内装も豪華だった。
  わたしは、そこの主の――偏屈、と言っても良いような老人と、懇意にさせて貰っていた。
  父は、彼の顧問弁護士で、よくここに来ていたからだ。
  わたしは、その後、今は亡き父の跡を継いで、老人の顧問弁護士になった。
  養女のようなものだ。

  新緑の季節のある日。
  薔薇の咲き誇る庭園を、わたしが老人の車いすを押しながら、散歩しているとき。
  彼は突然、こう言った。
『わしは、この屋敷と、ここにある家財道具一式を、こいつに相続する』
  彼が懐から差し出したものは、探偵を雇って調べたと思われる、青年の調査報告書だった。
  わたしは、それを見て、別段、変わったところもない普通の青年であるとしか思えなかった。
  老人が口を開く。
『何故? とでも、聞きたそうな顔じゃな』
  わたしは、眼鏡を直して問いかけた。
『ええ。その通りです。確かに血の繋がりはあるようですが、それ以上に、あなたはこの青年と、特別な何かが、あるのですか』
  老人は、つるりとした血色の良い頭を回転させ、わたしの目を見た。
『性的な意味で?』
  わたしは、鼻血を吹きそうになった。
  老人は、これまでになく大笑いをした。
『かっかっかっ! お前さんにそんな趣味があるとはのぅ。まあ、お前さんも若いお嬢さんじゃからな』
  結局、老人は彼に会った事も無いと言った。じゃあ何故、と更なる問いかけをしたが、答えてはくれなかった。
  老人は最期まで、謎めいた人だった。

  その後、老人は亡くなり、わたしは細かな指示のある遺言に従って、彼に屋敷と家財道具一式を彼に相続させた。
"亡くなって三ヶ月、連絡が付かなくなったら、アトランダムに親戚に相続させる"
  そういう風に彼に言って相続させるように、と言う指示があった。
  また、法的には屋敷と家財道具一式は彼の物になるが、名目上は、屋敷の管理人とした。
  これも、老人の指示だ。
  それらの何故、もまた、今となっては解らない。

「く! 降ってきたか」
  ぱらぱらと、木々の葉を打つ雨音が鳴り出した。わたしは、足を速めた。
  ツタに不気味に絡まれた、朽ちた道標が、僅かばかりの意図を持って、屋敷を指し示す。
  これがなければ、まるで場所は解らないだろう。夜になれば、灯りもない土の路上で、立ち往生することになる。
  急がねば。

  洋館の門の前まで来ると、わたしは戦慄した。
  表の庭には、異様な生物がたくさん、蠢いていたのだ。
  二足歩行の巨大な蛙。同じような蛸。深海魚もいる。みな、人間の身体を持った水棲生物だ。
  ブリューゲルの絵画『叛逆天使の墜落』に描かれているような、奇怪な生き物達。彼らは、降っている雨を楽しんでいるかのように、はしゃいでいた。
  鳥獣戯画のように、相撲を取ったりしている。
  わたしは、現実感の喪失した感覚に囚われた。それと同時に確信した。きっと、あの青年は人知の及ばない、恐ろしい事態に陥っているに違いない。
  理性が叫ぶ。帰れと。しかし、もはや帰るにも、辺りは暗くなり始めている。これでは途中で遭難するだろう。
  しかたない。わたしは古い記憶を頼りに、屋敷の倉庫に続く、抜け道に向かった。

  そこは、ほとんど鍾乳洞だった。だが、足元はしっかり煉瓦で舗装されており、人為的に加工されたものだ。
  老人はここを、アルデバラン洞と名付けていた。意味は解らない。
  奥に進むと、重厚な鉄の扉があった。わたしは、以前、老人から貰っていた古びた鍵で、それを開けた。
  埃っぽい木の階段を昇って、突き当たる天井を押し上げる。わたしは、倉庫の床下から顔を出す格好になった。

「さて、これからどうしたものか……」
  洋館には、いくつかの倉庫があった。ここは、カルコサ倉庫と呼ばれていた。わたしは、中をざっと見回した。
  棚に所狭しと並んでいる、ワケの解らない民族的で呪術的な代物。だが、武器になりそうな物は、見あたらない。
  ふと、黒い張り子の虎が目に留まった。どこからか風が入ってきているのか、その吊された虎の首が揺れた。
「何故、博多名産がこんなところに」
  何気なくそれを手に取ると、その奥には、関西のコントなどで見かける、ハリ扇がある。これもどういうわけか黒い。
  わたしは、それも手に取った。まるで、吸い寄せられるように。

  それらを持ったまま、倉庫内を出口に向かう。
  ふと、羽の飾りが彫刻された、豪奢な姿見に自分の姿が映った。
  片手にハリ扇、もういっぽうに、張り子の虎。
  ぐっしょり濡れたスーツ姿の、三十路手前の女。
  わたしは、ばかばかしくなって、両方をそのへんの棚に戻そうとした。
  だが、その瞬間。
  鏡の中のわたしが、振り向いた。
「誰? アタシを起こすのは!」
  わたしが驚いていると、張り子の虎がわたしの手から離れ、鏡に吸い寄せられた。
  稲光と共に、弾け散る。
  鏡に映っていたわたしの姿は形を変え、ゴシックロリータを身に纏った、銀髪の美少女になった。
  少女は、びっくりしているわたしの手元を見た。
「はん、そんなものでアタシをどうこうしようなんて、思い上がりも甚だしいわ!」
  わたしは、手に持っているハリ扇を、持ち上げて見た。
「ひゃッ!」
  鏡の中の少女は頭を押えて、目を瞑り、怯えている。
  ゆっくりと目を開けて、きょとん、とするわたしの顔を見る。彼女は真っ赤になった。
  すぐさま、わたしに指を突きつけて、叫ぶ。
「べべべ別に、そんなの、こここ怖くなんかないんだからねッ!」
  わたしは、さらに高く、ハリ扇を持ち上げた。
「いやぁぁぁッ!」
  彼女は半泣きになって、しゃがみ込んだ。
  どうやら、このハリ扇が怖いらしい。しかも、彼女は明らかに人ではない。これは、使えるかも知れない。
「大丈夫。君に危害は加えない。名前はなんと言うんだ?」
  目一杯、優しく語りかけた。
「ほんと? 何もしない?」
  おずおずと、立ち上がり、涙を拭いた。
  気を取り直すように、大きく息を吸い込んで、腕を組んだ。非常に偉そうな態度だ。
「我が名は、ハスツゥン。名伏し難きもの!」
  わたしをまた指さし、告げた。
「黒きハリ扇を持つ者よ、その力に因って我が主となり給いて、未来永劫、アタシと生き長らえなさい!」
  そう言って、鏡から抜け出し、そのまま、ふわりとわたしに近づいた。
  その赤い瞳に、吸い込まれそうな恐怖を感じて、思わず、わたしは叫んだ。
「うわぁぁぁっ!」
  だが、彼女は、にっこりと笑い。
  わたしのほほを、そっと手で押えて。
  キスをした。
「んん……っ?!」
  今まで、男性経験すら皆無だったわたしは、その初めての快感に、腰が砕けた。
  これこそが、ボッシュが描いた『快楽の園』の、真の意味なのだろうか……そんな事を思いながらわたしは、その感覚に身を委ねてしまった。


written by coobard ◆69/69YEfXI

coobard ◆69/69YEfXI 氏の 素直クール小説掲載サイト クーのいる世界


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