少女/芝居と師弟 ◆7fqukHNUPM


どこから、変わったの?

信じてたもの、迷子になった。


□  □  □


闇の中でウサギを追いかける、アリスのように。
紅林遊月は、山の中で息をきらせていた。
草いきれが足を擦るのも構わず、駆け下りていた。
白カードの点灯だけを頼りに、天々座理世を探し求めて走っていた。

「まっすぐ、まっすぐ……」

己に言い聞かせるように繰り返しながら、斜面に時折足を取られながらも、走っていた。
まっすぐ追いつけ、まっすぐ急げ、と。
ときどき、白カードの機能をライトからマップへと切り替えて、ラビットハウスに『まっすぐ』進めているかを確認する。
リゼが向かうとしたら、動転したまま戻りたくなるとしたら、あるいはそこではないかと直感しているがゆえに。
そして本当にそうだった場合、ラビットハウスのあるG-7が禁止エリアになる前に、理世を連れ戻すために。
そして、余計な事を考えるとわいてくる、不安や恐怖を振り払うために。

「あぶっ」

まっすぐを続けていれば、いずれはぶつかる。
通せんぼするように伸びていた木の枝のせいで、顔に木の葉がたくさんついてしまった。苦い。
流石に止まる。口のあたりに付いた葉をぺっと吐きだし、顔をぬぐう。
効率が悪そうなことをしている気がする。これで理世が見つからなかったらどうしよう、と思う。

――まっすぐすぎるのも困りものです。

チノの呆れたようなため息を、思い出した。
心臓のあたりがズキリと傷んだ。

どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
なんでこんなことをやってるんだろう。
なんで、自信なんか無いのに、できるかも分からないことをやろうとしてるんだろう。

「……でも、今はこれしかできないから」

ラビットハウスの方角。
禁止エリアぎりぎりまでそこを探してみて空振りだったならば、他にアテなんて残っていない。
すごすごと城に引き返して、何もできなかったと承太郎に報告する羽目になるか、

もしかしたら、最悪は承太郎と雄二までもが戻ってこないなんてことも――
――その可能性は、考えないことにした。

そうならないために、少しでも承太郎の負担を減らして、風見雄二を助けられるようにするために。
その為にも、まっすぐ走ってきたのだから。
承太郎に向かって『私がリゼさんを連れ戻す』と大見得をきるような返事をしてみせた理由には、それもあったはずなのだから。

左手の白カードから、地図をよくよく確認する。
右手の方に持っていた二枚の黒カードを、ぎゅっと強く握りしめる。
それは、承太郎と別れる際に、『そう言えばお前は丸腰だったな』と手渡されたものだった。
時間の余裕がない中で、せめてもの激励代わりという意味もあったのかもしれない。
黒カードから表示される説明書きもあらかじめ読まされている。

一つは、遊月の片手にも収まってしまう大きさの、黒い円筒形の筒。
M84スタングレネード。
映画やドラマでも、同じようなものを見たことがある。
ようするに、危険人物の前に放り投げて、眼が眩むほどの閃光と轟音で行動不能になったところを取り押さえるなり逃げるなりするための、人が死なない爆弾だ。
針目縫や纏流子のような遊月では戦おうとするだけ自殺行為になるようなバケモノもいることを考えると、ほとんど後者の為だけに使った方がいいだろう。
――銃弾を撃たれてもすぐに回復するようなバケモノに、スタングレネードがどこまで通用するかは別としても。
もう一つは、『なるべくなら使わねぇ方がいい』と言い渡されて預かった武器だ。
そう、使いようによっては人を殺せる『武器』だ。
走り出す前に一度カードから取り出してみたが、手にずっすりとした重みが伝わる黒くて分かりやすいフォルムは、れっきとした実銃のそれだった。
トンプソン・コンテンダーと呼ばれるその銃器は、連射が効かない代わりに、威嚇の拳銃弾から狙撃のライフル弾まで、口径を嵌めなおすことでたいていの弾丸を撃つことができるという変わりモノの銃らしい。
とはいえ、連射が効く方が実戦の使用に堪えることは間違いなく、その上に弾丸にもよるだろうが、反動はたいそうキツイ。
『それでも』と渡したのは、承太郎の手元にあったカードの中で一般人でも使える武器がその二品しかなかったこと、
そして、天々座理世と再会した後を見越してのことだろう。
『基本的には使うな、重いお守りだと思っておけ』、
『天々座が落ち着いてふたりで城に戻ったら、天々座に渡しておけ』、
『ただし、天々座が落ち着いたと確信できるまでは、決して使わせるな』と。

たしかに、どうにかリゼを落ち着かせたとして、その後にふたりきりで無事に城まで戻って、承太郎たちの帰還まで留守を守らねばならないのに、
二人とも武器らしい武器無しのままでいるのは、『誰か悪意をもった奴に鉢合わせしたら、そのまま殺されろ』と言うようなものだ。
むしろずっと武器らしい武器を持たずに(ルリグカードで人の秘密を暴いたり、爪に仕込まれた刃物で拘束を解いたりはしたが)、一日を生き延びてきた今までの方がおかしかったのだ。
よく生き延びてこれたなぁ私、と。
喜んだり呆れたりするよりも、とにかく驚いた。
悪運だけはあったことを自覚させてくれた承太郎に、ひそかに感謝した。

とはいえ、『そんな遊月に、なぜ承太郎が今さらのように(チノや蛍たちには爆弾を与えたりしたのに)武器を与えたのか』は遊月自身も知らない話になる。
そして、だいぶ以前まで時間をさかのぼって、少し長々と説明しなければならない。

まず、この二つの武器は空条承太郎に支給されたアイテムではない。
元は、J・P・ポルナレフの支給品だったものだ。
ポルナレフはもとより銃火器よりスタンドの方によほど武器としての信頼を置いていたし、第一放送前から東條希を監視下においていた都合があった。
殺し合いに乗っていた希の目の前で、拳銃や榴弾のように見えるものをチラつかせて『あれを盗めばまた不意打ちができるかもしれない』と思われるのも不都合だったので、それらは黒カードに死蔵されたままになっており、承太郎の手に渡ることになったのだ。
そして、本来の承太郎に支給された道具は三種類あった。

第一放送前に紅林遊月に譲渡され、最終的には言峰綺礼によって使い切られた『令呪三画』。
そして、香風智乃と一条蛍の目の前で『支給品を確認しておきたい』と言いながら確認してみせた『フルール・ド・ラパンの制服』と『ジャスタウェイ(爆弾)』。

しかし、問題となるのはこの三つの支給品を確認した時点のことだ。
この時、承太郎は判断ミスと思われても仕方ないかのようなふるまいをしている。
彼は遊月に自らの令呪を譲渡した『後で』、チノと蛍にも呼び掛けて支給品の確認をしているのだ。
この時に、一見すると人形のようにしか見えないジャスタウェイをチノと蛍が勘違いから捨てようとして、承太郎が爆弾であることをスタープラチナで確かめる一幕もある。
つまり、承太郎は三種類全てを確かめることなく、一つ目の黒カードから出てきた支給品をそのまま遊月に渡してしまったことになるのだ。
結果的に、その令呪は『遊月の姿に化けて現れた針目縫にカマをかけて、偽物だとボロを出させる』という役立ち方をしたのだが、いつも冷静な承太郎にしては雑な行動だ。
未だ確認していない残り二つの支給品が、令呪よりもよほど使い勝手が良く、かつ遊月の身を守るのに適したアイテムだったかもしれないのに。
(事実、承太郎はジャスタウェイのことを確かめるや、チノと蛍の二人には『身を守る役に立つだろう』と言ってそれらを渡している)

なぜ、このようなことをしたのか。
その理由は、たった一つ、とてもシンプルだ。
彼は、実のところチノと蛍に呼びかけるよりもずっと以前、それこそ最初に折原臨也と一条蛍に出会う直前に、とっくに支給品の確認を終えていたのだ。
ジャスタウェイに対して、『まるで初めてそれが爆弾だと気づいたかのようなふるまい』をしたのは、ちょっとしたパフォーマンスである。
いくら『殺人事件』を経て『この会場には殺人者がいる』という危機感を持っているとはいえ、女子小学生や女子中学生に、扱いを間違えれば自爆しかねない爆弾を持たせておくのはあまりにも危なっかしい。
『これはふざけたデザインの人形にしか見えないが、爆弾だから扱いには気を付けろ』と言い聞かせて持たせておくよりも、
『ややっ、調べてみたらコイツは爆弾じゃないか!』という風に披露した方が、蛍たちには『気を付けろ』と伝わると狙ってのことだ。
承太郎は女の子と会話することが苦手だが、同時にふざけ心も持ち合わせた男子高校生でもある。
旅の仲間たちの前で、『火のついたタバコを五本口の中に入れて、中の火を消さずにジュースを飲んでみせるかくし芸』を披露するぐらいには悪ふざけもするのだ。
つまり、幼い少女達を茶番劇で慌てさせたに過ぎなかった。

そして、遊月に対してはジャスタウェイではなく令呪の方を渡すべきだと判断したから、そうした。
最初に紅林遊月と出会った時点では、敢えて武器を渡さなかった。
すでに『殺人事件』を経て大切な人を失っていた一条蛍や、悲しむ一条蛍を目の当たりにしたことでそれなりの危機感を持っていた香風智乃とは違って、
その時点の紅林遊月は、まだ考えが浅いように見えた。
友好的な振りをして襲ってくるかもしれない参加者がいると頭では分かっていても、
『そんな相手に遭遇したら、自分に何ができるのか』というレベルにまでは、考えがおよんでいないように見えた。
そうでなくとも分かりやすく直情径行型である遊月に爆弾を手渡したりすれば、下手に『こちらには爆弾があるんだ』と選択肢を増やしてしまったことで、却って身を危うくする結果になるかもしれないと、そう配慮した。
その点、令呪ならば『魔力によって身体能力を強化して逃走』という選択肢を選ぶこともできる。
結果的には、黒カードに書かれていた効果の説明がやや分かりにくかったこともあり使用する機会に恵まれてこなかったのだが、しかしそのおかげでセイバーを打倒する一助にはなった――話を戻す。

かつては渡さなかった『使わない方がいい自衛の手段』を譲ってまで遊月を一人きり送り出したのは、それだけ承太郎にとっても苦渋の頼みだったことを意味していた。
彼がそんな風に、裏であれこれと考えていたことを遊月はもちろん知らない。

知らないけれど。
針目縫やセイバー、『きりゅういんさつきさん』と呼ばれていた白服の少女のような人外達と、言峰達が交戦するのをずっと見てきたなりに。
承太郎という男が、言いようは冷淡だけれど決して冷徹では無いことを察してきたなりに。
拳銃という武器を渡された重みを、ここに至っても理解できないほど、バカなままでは無いつもりだった。

「リゼさんは要らなくなんか無いよ……」

少なくともリゼは、あの針目縫に対してこの武器を撃ってみせたのだ。
どんな言葉をかければいいのかはまだ分からないけれど、それだけは確信していた。
だから彼女は、すぐに走り出す。
まっすぐ、まっすぐ。


□  □  □


ぴょこぴょこと、森の中の根っこや植物をウサギが跳ねるように飛び越えて、進んでいた。
猟犬から逃げるウサギのように、意地になって逃げていた。
きっと悪いのは自分で、正論を言ったのは承太郎と遊月の方なのだろうとは、たぶん分かっていた。
傷つけてしまったという、後悔もあった。

――ココアの代わりのくせにチノを守れなかった人なんかに、そんなこと言われたくないっ!!

そんなこと言う権利なんかないのは、自分の方だ。
ずっとラビットハウスで一緒にいたのに、ココアの代わりができなかったのは自分なのに。
遊月にココアの代わりをさせていたのは、風見雄二と――天々座理世自身も、お願いしてのことなのに。

「リゼさん!!」

そのまっすぐな、硬い声に。
だから、呼び止められたくなかった。
なんで今さら、と言いたくなったし。
ごめんなさい、とも言わなきゃいけなかった。
すぐに、足を速めて離れようとした。
今はとにかく、目指すのはラビットハウスだった。
そこに行けば――少なくともラビットハウスというお店は、まだ失われていない。
まだ失っていないものがあれば、私は、

「行っちゃだめだリゼさん! そっちは――ラビットハウスの周りは、禁止エリアになったんだよ!」

さっきよりも近くから、声が聞こえてきた。

ラビットハウスが禁止エリアになった――本当?
最後の逃げ場までも封じるかのような新情報に、ぞくりとした。
そんなの嫌だ、さっき旅立ったばかりの店なのに、もう戻れないなんてずるいじゃないか。
――もしかしたら、リゼを止まらせるための嘘かもしれない。
なにせ、さっきは『あんまり、手をかけさせないでくれねえか』とか言ってたぐらいだ。
手っ取り早く言うことを聞かせるためなら、それぐらいの嘘も方便にするかもしれない。
それに本当だったとしても、あれだけ酷い決別をしてしまった以上、お城には戻れないし。ラビットハウス以外に今のリゼがいられる場所なんて無いのだし。
そう、それに千夜だって、到着がずっと遅れていただけで、もしかすると合流するために店を目指していて、近くまで来ていたかもしれないし。
もし本当に千夜に会えたら『チノを守れなかった』ことを告白しなければならないけど――今、それは考えたくない。
そんな風に『ラビットハウスに戻る理由をこじつけて探している』ことを自覚しないまま、リゼはまたも声の主を避けることにした。
声は背中から呼び止めるのではなく、進行方向に回り込むように――横手の斜面になっている上の方から聞こえてきた。
だから自分も西では無く南へ、斜面をすべり降りるように進路を変えようとして、

「風見さんが、まだ戦ってるかもしれないんだよ!
 リゼさんが死んだら、風見さんや言峰さんが戦ったのが無駄になる!」

三度目の声はもっと大きく、きっと振り向いてライトを剥ければ見える距離から聞こえた。

足が、止まった。
一瞬、まだ戦ってる、どうして、みんな城にいたのに、と思った。

声の主――紅林遊月は息せき切って駆け下りてくる。
右手にはライト代わりの白カード。
左手には、武器のように、お守りのように握りしめた、黒カード二枚。

険しい顔で捕まえようと迫って来る少女の手に、黒カードが二枚。
びくりと体を硬直させ、カードを凝視するリゼの姿に、遊月もいちどその足を止めた。

「いや、これは違うから……護身用だから」

しばらく迷った素振りを見せたあと、ゆっくりと黒カード二枚を地面に置く。
護身用の武器を捨てたりして、それをリゼに奪われたりしたらどうするつもりなのか。
それとも紅茶を投げつけられた時のように攻撃される意思はないと、リゼのとっさの怯えようを見てそう判断したのかもしれない。
そんな分析が終わった後になって、遊月が叫んだ言葉の意味が、改めて頭に入ってきた。

風見さん――そうだ、あのお城で目覚めた時、チノはいなかったし、承太郎と遊月はいたけれど――風見雄二も、いなかった。そして、言峰綺礼も、いなかった。

風見雄二――この殺し合いが始まった直後からずっと行動を共にしている、心愛や智乃たちをのぞけば、付き合いが一番長いパートナー。
『自分のためには引き金を引けなくても構わない。だが、他人のためなら迷わず引き金を引けるようになれ』と、言ってくれた人。
言峰綺礼――言葉は少なく、人となりを知るには取っつきにくい人だったけれど、ラビットハウスや自分達を守るために、針目縫や金髪の剣士と戦ってくれた、間違いなく恩人にあたる人。

そう、二人は、『チノと同じように、あの場にいなかった』のだ。
それが意味するのは、つまり、

「まだ戦ってるって、どういうことだ? なんで――」

その先は聞けなかった。
なんで――なんで二人は、さっき、いなかったんだ。
そう問いかけても、『別行動しているけど、二人とも無事だから安心して』なんて答えてもらえるはずなかったから。
そして、結果はやはり。

「承太郎さんと三人で、あのバケモノ女二人を相手にして。
金髪の女の人は、言峰さんと承太郎さんの二人がかりで倒した……って承太郎さんが言ってたけど、言峰さんは帰って来なかった」

死んだ、という言い方を遊月はしなかった。おそらく、少しでも言葉を選ぼうとしたのだろう。
さっきチノの死を告げられた自分は、そのせいで逆ギレしたのだから。
でも、まぎれもなく『死んだ』という意味であることは、声音と表情から分かった。

「風見さんは、白い服を着た女の方と、戦いながら逃げてて。
今、承太郎さんが助けに行ってる。だから私達、お城で2人を待ってなきゃ駄目なんだよ」

じゃあ、私たちは風見さんを置いて逃げたのか――そう声を荒げるところだった。
さすがに、それだけは堪えた。
なぜ遊月たちが、風見雄二ただ一人に戦わせて逃げるような真似をしたのか――おそらく天々座理世という気絶したお荷物がいたせいだと、察せないほど愚かではない(気絶させたのは当の雄二ではあるのだが)。

「だから……だからさ、リゼさんが禁止エリアに戻ったりしたら、皆ががんばったのが無駄になっちゃうよ」

自分を助けるためにがんばった――だったら自分達を助けるために、あと何人死ねばいいのだろう。
次は、風見さんまで死んでしまうかもしれない。
それが怖かった。助けに行きたかった。
でも、行ったところでお荷物になるだけというのも、嫌というほど分かっていた。
チノ一人でさえ守れなかったのに――と考えそうになって、また考えそうになるのを止めた。

「戻ってきた風見さんに『リゼさんは自分から禁止エリアに戻りました』なんて、絶対に言えないよ。だからさ……」
「戻って、こられるのか? 言峰さんは帰ってこなかったのに……」
「……分からないよ。でも、戻ってくると思って、できることするしかないじゃん。それしかできないじゃん!」

しゃべるにつれて、遊月が声を荒げていった。
泣きそうにも、怒っているようにも、どちらにも見える顔だった。
そんな、必死なことだけは伝わる顔が、目の前まで迫っていて。
ぐい、と引っ張り連れて行くように手首をつかまれた。

「だからさ、なんでそんなに冷静なんだよ……お前、チノと同い年だろ」

引っ張り返す腕の力と、足の力を使って踏ん張り、意地のようにそこに留まる。
どうやら力ではリゼの方が勝っていたようで――日頃の運動量がずっと多いのだから当たり前だが――遊月にはびくとも動かせなかった。
もはやラビットハウスに戻るべき理由は粉砕されてしまったけれど。
また城に戻ったとしても、他の皆について行ける気がしなかった。
皆のように、現実を見据えられる気がしなかった。また戦おうという気になれるはずがなかった。
周りの皆がおかしくなって、自分だけが普通であるような感覚を、また味わうのだろう。
承太郎だって、きっと戻ってきたリゼを見たら呆れた顔をする。
『さんざん人を煩わせたお荷物がまた戻って来やがった』という目で見られるだろう。

そんな、リゼのワガママでまた誰かの手を煩わせているこの状況が、たまらなく嫌だった。
そして、こんな風にまだ現実を見据えた上で正論が言える――状況を見て、他の人達のことを考えられる遊月のことが、すごすぎて、合理的すぎて、もっと嫌だった。
承太郎は、まだ『自分たちとは違う世界で戦ってきた人だから』と思えば理解できる。
人の死とか、犠牲の上に進むとか、そういうモノを経験しているのだろう、と。
だけど、遊月は違うはずだ。
私と同じ、一般人の女の子なのに。
ついさっきまで、同じようにラビットハウスでチノの面倒を見ていたのに。
同じように、たとえ『姉の振りをしたお芝居』でも、チノを可愛がっていたのに。

同じように――チノが、串刺しにされるところを、見ていたはずなのに。

「チノを失くして辛いのは分かるよ。謝らなきゃいけない事もいっぱいある。
 でも、まずは城に戻ってから――」



『番傘が身体を貫通して、絶望しながら死んでいくチノ』を見ていたのに!!



「っ分からないよ! 分かるはずないだろ!」

ぶん、と右腕を振り払って遊月の手をふりほどいた。

「お前、チノのことが本当に大事だったのか!?
 ずっと『お姉ちゃん』やってたのは、ただのお芝居だったのか!?」

だから、後悔すると分かっていても、非は己にあると感じていても、そう叫ぶ。
遊月の表情が、凍り付いた。

ここに至っても、二人にははっきりと認識の壁があった。
遊月にとってのリゼは『戦いや蹴落とし合いなんて経験したことのない、邪な恋情に悩まされたりもしていない、自分とはぜんぜん違う世界にいる女の子』だったのかもしれないが。
そのせいで、チノとココアの関係を羨んだり、嫉妬に悩まされたりもしたのだが。
その一方で、リゼにとっての遊月は、『自分と同じ普通の女の子』だったのだ。

「そうでなきゃ、そんなにしっかりしてられるはず無いだろ!
 チノと会って、まだ一日しか経ってないんだから!
 私達は、ずっとチノと、ココアと、みんな一緒だったんだ!」

確かに、ラビットハウスで情報交換を行った際に、『遊月のいた世界には、ウィクロスという魔法めいたカードゲームがある』という話は聞いた。
遊月がそのカードゲームに関わる『セレクター』の一人であり、そのゲームで三回負けてしまうと『願い事が反転する』という恐ろしいペナルティがあるらしい、とは聞いた。
けれど、知識として聞いただけだ。
そのゲームにおける遊月の振る舞いや、彼女のプライベートに関することまでは語られていない。遊月としては、語ることもできなかった。

「なんで、遊月なんだよ! 私じゃ駄目だったのか?
 声ぐらいしか、ココアと似てないじゃないか!
 その声だって、声色がそれっぽいだけで、声の出し方とか、口調とか、ぜんぜん違うじゃないか!」

だからリゼは、遊月が『実弟と恋人になりたい』という、世間的にはとても歪んだ願いを叶えるために戦ってきたことを知りようもない。
『三回負ければ恋心を永遠に失うことになり、バトルを続けるために友達のるう子とも決別する道を選んだ』というリスクを背負ってきたことを知らない。
そして何より、『願いを叶えるために、これまでに何人ものセレクターを蹴落とし、時には泣かせてきた』道の上に立ってにいると、知らない。
遊月は決して、リゼたちのような優しい日常にいたのでは無いのだと、分からない。

「あんな『お姉ちゃんごっこ』が嫌だったんなら、正直にそう言えよ!
 お芝居が始まる前から――針目が来てた頃から、遊月はチノに苛ついてるみたいだったじゃないか!」

何かあれば自分たちと同じように承太郎や雄二たちに守られるしかできない、普通の女の子のはずなのに、と思っている。
これまで銃器を持ったこともなく、雄二とリゼが軍に関する話をしていても付いていけなかった事もあり、むしろリゼ自身よりもずっと普通の女の子だとさえ認識していたかもしれない。
だから、普通ならこうだろう、という言葉で攻撃することしかできない。

「チノは――遊月から見たら、不愛想で、ツンツンして、壊れておかしくなった子かもしれないけど、本当にいい子だったんだ!!」

だから、



「私だって、嫌じゃなかったよ!!」



負けないぐらいの、魂からの叫びが放たれるなんて、思わかった。
細い糸のような二条の涙をつっと流す、そんな泣き顔を見るなんて、予想できなかった。


□  □  □


「嫌じゃなかった! 最初はできないと思ったけど、迷惑だと思ったけど、だんだん嫌じゃなくなった!」

誰が来ないとも限らない山の中で怒鳴り合うなんて、リスクをはらんだ行為だと、頭では分かっている。
だけれど、リゼが分かっていても叫ばずにはいられなかったように、
遊月にだって、譲れない感情はある。
私だって、香風智乃が死んでしまってショックだったのだと、そう言い返す。

「ウソ……だって、ココアの代わり扱いされて、困ってた」
「困るよ。だって私、チノの姉さんじゃないから! 紅林香月の姉さんだから!」

初めてだ。初めて、このゲームで出会った人の前で、香月の名前をだした。
リゼが「え」と、驚いたような一声を出す。

「私……元の世界では、弟と上手くやれてなかった。
 仲が悪かったわけじゃないけど、色々あって最近ぎくしゃくしてた。
 香月のことを嫌いなわけじゃない……好き、なんだよ。
だから、『ココアお姉ちゃんになれ』って言われて、最初はすごく困った。
『ココアさん』とか『お姉ちゃん』とか呼ばれるたびに、重しを乗せられてる気分だった」

それが、最も話しにくい、隠しておきたいことだろうとも。
香月のことを、恋愛感情だと言わないまでも『好き』と口にすることで、死ぬほど恥ずかしかろうとも。
感情の赴くまま振る舞ったから、桐間紗路を傷つけた。智乃にも苛立ちを見せてしまった。
すべては、この我が身の感情のせいだというのなら。

「ココアさんとチノは普通に仲が良くて……『中学生にもなって弟べったりで気持ち悪い』とか、言われたことぜんぜん無さそうで、羨ましかった。
お芝居始めた時は無理だと思った。『勝手な役割押し付けるな』って、正直思った。
『そんなにお姉ちゃんが好きなら、どうして生きてる間に伝えてやらなかったんだ』とか、勝手に腹立てたりも、ぶっちゃけ、あった」
「…………生きてる間に言えなかったから、後悔して、ああなったんだよ」
「それも、今なら分かる。自分が実は嫌じゃなかったんだってのも、後から気づいた」
「なんで、そんだけ抵抗あったのに……」

信用を得るために、それを語ることが必要だというのなら。
なんでも吐露する唯一の機会が、ここなのだとしたら。
遊月にはやはり、まっすぐぶつかることしかできない。
まっすぐ、まっすぐ。

「『ココアお姉ちゃん』は、すごくいいお姉さんだったんだって、話を聞いてて分かった。
 ココアさんなら、きっと妹とか弟が思春期で色々変わっちゃっても、変わらずに接することができて。
 きっと、弟から『姉離れしなきゃ』って言われても、しっかり受け止められるんだろうなって」
「そんなこと、無いぞ……アイツ、構ってほしがりだし。
自分が知らない間にチノが友達を呼んでたら嫉妬してたし。それにドジだしよく思い込みで勘違いするし。
むしろ、皆、ココアには呆れてたことの方が多いし」
「ドジで失敗しちゃうのか……そこだけ、私と同じかも」
「…………なんで、嫌じゃなかったんだ?」

『ココアの代わり』を承諾した理由ならば、意識してのことから無意識のものまでたくさんある。
自分がシャロとケンカしたことで、彼女が死んでしまう遠因を作ってしまった、その罪滅ぼしがしたかったこととか。
『きょうだい』というキーワードが、遊月にとっては特別なものだったから、とか。
ココアとチノは殺し合いに巻き込まれ死別してしまったけれど、遊月の思い人である香月は殺し合いに参加しておらず安全が保証されていることへの、後ろめたさまであった。

だけれど、姉妹ごっこを始めた理由、ではなく、姉妹ごっこをやめられなかった理由ならば、他にもあって。

「『ココアお姉ちゃん』をやってる間は、私も『いいお姉ちゃん』になれた気がしたから」

理由はシンプルで、身勝手なもので。
けれど、たしかに『ココアお姉ちゃん』としてチノと笑い合っていた、あの笑顔は偽りでは無かったことと、断言できるもので。

「現実逃避かもしれなかったけど、『普通のいいお姉ちゃん』も悪くないって……チノのおかげで初めてそう思えたから」

遊月は、『香月のいいお姉ちゃん』になることなんか望んではいなかった。
でも、『香月と恋人になりたい』という感情が、香月からしてみれば重すぎる感情であって、世間的には白い目で見られるもので、
そして香月の前では素直になれずに取り繕ってばかりいたことに、罪悪感を感じていた。
香月にとっての『いいお姉ちゃん』ではなかったことに、罪の意識を持っていた遊月だったから。
チノにとっては『妹が望むお姉ちゃん』でいられたことに、救われていた。

そんな告白に、リゼはただ、涙の跡が残る眼をまんまるに見開いていた。

「だから……チノが死んで、私も悲しい。
 リゼさんにはどう見えてるとしても。でも」

遊月の方が、リゼよりもまっすぐに、折れずに立っているとしたら。
その理由は、住んでいた世界の違いだとか、遊月のいちばん大切な人である香月が参加者になっていないとか、たくさん考えられるけれど。

「私は、こんなこと言ってチノを守れなかったから。
 別に、これが罪滅ぼしになるとか思わないけど。
 でも、自分のせいなのに『チノが死んでどうしたらいいかわからない』って言うのは違うかなと思って。
だから、リゼさんには戻って来てほしくて……」

きっと、これまでに遊月の方が『罪』を重ねてきたぶん、それと直面することに慣れてしまったのだ。
セレクターバトルをしていた時からも、そしてバトルロワイアルの中でも。
だから、まずは言っておかなければいけないことがあったと思い出す。

「ごめんなさい。謝って済むことじゃないけど、チノを守れなくて、本当に、ごめんなさい!」

腰から90曲げるように、深々と頭を下げる。
遊月の長い髪がばさりと耳の横から真下に垂れ落ち、そのまま幾ばくかの時間が経った。

「チノは……遊月にとって、いい子だった?」

とても静かに、か細い声でリゼにそう問われた。

「いい子だった。もっと素直になればいいのにと思ってたけど……『お姉ちゃん』って呼んでくれるとこっちも嬉しくなって。
ココアさんが妹にしたくなったのも、分かる気がした」
「うん……私達にも、いい子だった。
 あの歳で、おじいちゃんから継いだお店を切り盛りして。
 滅多に笑わないけど、いつもラビットハウスを盛り上げること、考えてて……」

リゼの声が、しゃくり声のように割れた。
顔をあげると、くしゃりと歪んだ顔が眼に入ってきた。

「私のせいだ………チノのせいでも遊月のせいでもないっ。
 私が、銃を持ってたのに、何もできなかったからっ」

ここに風見雄二がいれば、リゼのせいではないということを簡潔だが優しい言葉で説いてくれたのかもしれない。
けれど、先ほど自分も『私のせいだ』と言ったばかりの遊月では、それを言うことはできなかった。

「チノは、何にも悪い事してなかった。
 ちょっと弱かったかもしれないし、素直になれない子だったけど、
 だからって、ココアとあんな別れ方しなくても、良かったはずだっ……」

きっと、リゼはどうにかこうにか認めたのだ。
チノがもう帰ってこないことを。
それならば遊月は、少なくともココアが死んだと知らされたチノの時の二の舞は避けられたということだ。
少なくとも遊月は今、理世の『泣いたって喚いたっていいだろ』を聞かせてもらえる立場にいる。
そう言えば、『リゼさん』と一対一で話すのもこれが初めてだったのだと気が付いた。
いつも、間にチノがいたから。

「シャロがいかがわしいお店で働いてるって事件になった時も、ぜんぜんそんなこと、無かったし。
 マヤとメグが遊びに来てココアがモヤモヤした時も、『チノを取られるのは寂しいな』って言うだけで終わったし。
 危ない大事件なんて、何にも起こらなかった……」

リゼは、彼女の視点での、ラビットハウスの喪われた人たちのことを語っていた。
さっきは『私ではココアの代わりはダメだったのか』と言ったけれど、彼女も間違いなくチノたちの『輪』の中にいた人だったのだと、遊月もそう納得して――

「ジグソーパズルのことでチノたちが喧嘩した時も、たいした喧嘩にはならなかったし。
シャロの家がばれた時も、知られたくない秘密ぐらい誰にでもあるって、五人で笑って終わったんだ――」



――え?



リゼも、乗り越えたわけではないにせよ、どうにか落ち着いて、止まった。
そんな風に、真剣に話を聞きながらも、『承太郎さんから託されたことは、果たせたのかな』と安堵しようとしていた遊月は。
そこで、ある『新事実』を知ってしまった。


□  □  □


「承太郎さんに報告したら……最後の最後でツメが甘いって言われるかも……」

結論から言えば、天々座理世を止めることには成功した。
彼女は、『もうチノの身体を探しに戻ったりしない』と、『もうラビットハウスに戻るようなバカはしない』と、遊月に約束してくれた。

けれど、『だからさっさと来た道を戻りましょう』ということにもならなかった。
『ほんの少し、思い出とお別れする時間が欲しい』と、だから少しだけ一人で座らせていて欲しいというのが、リゼの望みだった。
彼女はそれまで『ラビットハウスに戻りたい』という欲求に従うことで、逃避していたのだ。
第三者のいないところで、現実に向き合うための時間が少し欲しいんだと言われれば、無碍にはしづらい。

けれども、本来の遊月なら、それはそれだと割り切って『一人になりたいなら、せめて城に戻ってからそうしましょう』とやや強引に連れて行くぐらいのことはしたはずだ。
リゼの心情は分かるとしても、この会場で一人きりにさせてしまうリスクを遊月は嫌と言うほど知っている。
承太郎だって、そこまでやって欲しいと期待して、遊月に任せたのかもしれない。

心ここにあらずに、リゼのお願いに『分かりました』と同意して、
黒カード二枚を、リゼの元に残してきてしまったことを、立ち去った後で気づき、
『今のリゼさんならだいぶ落ち着いていたし、銃器を扱えない私が持ったままにするよりは安全だろう』と判断して、
そのまま来た道を戻るような、そんな凡ミスをしたのは、成長した遊月にしてはらしくないことだった。

その理由もまた、ただ一つだけ。
成長した紅林遊月を、それでもなお怯ませ、ついリゼの言う通りに従ってしまうほどの新事実を、彼女が知ったことにあった。
いつもみたいに慌てたり、激情に負けたりして失敗せずにやり遂げようと決めていた紅林遊月を、それでも動揺させるような過去からの刃があったのだ。
彼女にとっても不確定要素であり、不意打ちだったのは。

リゼの『五人で』桐間紗路の秘密を知った、という言葉だった。

桐間紗路は、かつて言っていた。
『好きな人』に、自分の家の秘密を知られて、嫌われたかもしれないとショックを受けたのだと。
そのことに激昂した遊月は、『ラビットハウスに共に向かおうとしていたシャロさんを、別行動させて死なせてしまう』という失敗をした。
けれど、ついさっき気が付いたことは、それとはまた角度の違う、別の真実だ。

――けど私達はみんな、がっかりなんてしてません。嫌いにもなりません。シャロさんはシャロさんです

チノは、遊月が懺悔した時に『私達』という表現をした。
遊月も、その『私達』の内訳までは聞かなかったし、その時からしばらくは『シャロさんをラビットハウスに来られなくしてしまった』という後悔の方が大きかった。

――そしたら、そのウソが友達と好きな先輩にばれた

ピルルクは、シャロの願いをそう言っていた。
この会場にいるシャロの友人は、全員が女の子だと聞いていたし、
遊月はばくぜんと『いつもの友人+好きな男の子』に秘密がばれたような、そういうイメージを抱いていた。
世の中には実弟を好きになる女の子がいるように、女の子を好きになる女の子がいたって何もおかしくないのに。

リゼは言った。
『友達五人』でいる時に、シャロの家のことを知ったのだと。
シャロやチノが言っていた『ここにいる五人』の中に『先輩』――シャロより年上の存在は、一人しかいない。
それは、つまり。
遊月のように『他の誰にも渡したくない』と拗らせるほど、歪んだ恋情では無かったかもしれないにせよ、
もしかしたら、ガチの恋愛ではなく『憧れ』とか『親愛』に近いベクトルだったかもしれないにせよ、

天々座理世は、桐間紗路の『好きな人』だった。
シャロにとってのリゼとは、遊月にとっての香月だったのだ。

だから遊月は想像した。嫌でも想像した。
もし、香月がこんなバトルロワイアルに参加させられていたら。
自分が、香月とちょっとした喧嘩をしてしまった直後の時点から参加して、『香月に嫌われた』と思い込んだまま、彼とバラバラになってしまったら。
そのまま、『香月もこの殺し合いのどこかにいるのに』と絶望したまま、死んでいくことになったとしたら。
遊月のしたことは、シャロが死ぬ遠因を作ってしまったことだけではない。
桐間紗路を、『大好きなリゼ先輩』に嫌われたと思ったまま、独りぼっちで死なせてしまったのだ。
『そんな小さな願いに誘惑されるなんて』などと考えていた当時の自分を、気が済むまで引っ叩いてやりたかった。

リゼにその事を告げてまた謝ろうなんて自己満足は、当然にできるはずがなかった。
遊月にも好きな人がいるから分かる。
自分が死んだ後で、『実はシャロさんはあなたのことが好きだったんです』とその想い人に打ち明けてしまうなんて、自分が桐間紗路だったならば恥ずかしくて耐えられないだろう。

『ココアお姉ちゃん』はもういない。お芝居は、お仕舞い。
幾つもの罪を、遊月は、『ココアお姉ちゃん』の仮面なしに背負わなければならない。

友達だったるう子と再会して、最愛の弟の元へと、生きて帰るために。

【G-5/夜中】

【紅林遊月@selector infected WIXOSS】
[状態]:口元に縫い合わされた跡、疲労(大)、精神的疲労(大)、リゼの言葉に対する動揺(中)
[服装]:天々座理世の喫茶店の制服(現地調達)
[装備]:超硬化生命繊維の付け爪@キルラキル
[道具]:腕輪と白カード、赤カード(18/20)、青カード(17/20)
黒カード:ブルーアプリ(ピルルクのカードデッキ)@selector infected WIXOSS
[思考・行動]
基本方針:叶えたい願いはあるけれど、殺し合いはしたくない
   0:リゼさんを呼び止めることはできたけど、これからどうしたらいいんだろう……
   1:城に戻り、承太郎たちの帰還を待つ。
[備考]
※参戦時期は「selector infected WIXOSS」の8話、夢幻少女になる以前です
※香風智乃、風見雄二、言峰綺礼と情報交換をしました。
※ピルルクの「ピーピング・アナライズ」は(何らかの魔力供給を受けない限り)チャージするのに3時間かかります。
※チノの『演技』に気付きましたが、誰にも話すつもりはありません。
※チノへの好感情、依存心は徐々に強まりつつあります
※第三放送を聞いていませんが、脱落者と禁止エリアは確認しています。


「トンプソン・コンテンダーだな……」

遊月が残して行った黒カードの中には、リゼにも知っている銃器が入っていた。
実銃を撃ったことは初めてであって、リゼは自室に専用のガンルームを持っているくらいなのだ。
銃器の種類と特徴に関する知識ならば、人一倍に多い。
黒カードからは銃そのものだけでなく、いろいろな種類の弾丸が納められたケースまで一緒に出てきた。
そうだ、これって何種類もの弾丸を使い分けられるやつだっけな、とモデルガンから学んだことを思い出す。
ご丁寧にもその銃身と銃床は、もっとも破壊力の大きいだろう弾丸を撃つ時のそれ――ライフル弾を撃てる30-06スプリングフィールドでセットされていた。

バケモノを一撃で仕留める用、ってことなのかな。
感傷にひたっている間にも、胸がからっぽでも、そんな分析だけはぱっと思いついて。

バケモノ――という言葉から、チノを刺し殺した『花嫁衣裳の女』を思い出してしまった。

「――――っ」

遊月にはああ言ったけれども、時間が経てば前に進めるのかと言えば、まったくそんなことはなかった。
彼女を支えていた『チノたちを守る』という芯は、あのひと刺しで折れてしまったのだから。
それを失った彼女は、このゲームが始まった直後に『わたしがみんなを守らなければ』と誓った以前の彼女にさえも劣る。
雄二に庇われてばかりで、『他人のためなら迷わず引き金を引け』という教えさえも守れなかった。

雄二は今でも、仲間たちを守る為に『迷わず引き金を引いて』、あの白衣の女と命懸けで戦っているのだろうか。
承太郎は、雄二を助けて戻って来ることができるのだろうか。

城のある山の麓近くを移動していた一条蛍は、もしかしてその戦闘に巻き込まれたりは――

「――――あ!」

その時になって、思い出した。
今さら思い出すという、大ポカをした。

――そう言えば、蛍ちゃんを見かけたことを、遊月に伝え忘れていた。

私はバカか、バカだ。
先に遊月にそのことを伝えていれば、『蛍が雄二たちの戦闘に巻き込まれる可能性もあるから、見つけて引き止めよう』となっていたかもしれないのに。
せっかく、蛍の方から声をかけてもらえたのに。
座りこんでいる暇はなかった。
たとえ傷心の真っ最中だろうとも、小学五年生の女の子を――それも、チノと仲が良さそうにしていた子をそのまま振り切ってきたのは、いくらなんでも危険すぎる。
だから遊月は、即座に遊月に伝えようと立ち上がった。

ちょうど、そのタイミングだった。



白いカードの灯りが、木々の奥から点灯しているのが見えた。



両手にコンテンダーを持った中腰のまま、リゼの身体は緊張に包まれた。

まず最初に一瞬で、蛍が理世を探しにここまで追ってきたのかと思った。
蛍ならば、遊月と違って『森の中を突っ切るルートでラビットハウスに向かったのだろうか』などと察するのは難しい。
森の中をあてもなく探すうちに、今になってやってきたとしてもおかしくはない。

しかし、白カードのライトが掲げられたその高さから、『蛍かもしれない』という予測は否定された。
蛍の身長がかなり高かったことを踏まえても、その腕の位置よりも高い。おそらく、あの灯りを持っているのは承太郎と同じぐらいには背の高い男性だ。

それに、よく見れば灯りの数は一つではなかった
最初に見えた灯りよりもやや低い位置に、白カードの灯りがもう一つ。
それに、やや明るい色をした、白カードとは別のライトを点けているようにもいる。

幾つもの灯りは、葉擦れの音とともに近づいてくる。

二人以上、いる。
その事実に、バクバクと高鳴っていた鼓動がさらに大きくなった。

そう言えば、一条蛍の傍には別の人影があったような気もする。
だとすれば、あれはやっぱり、蛍とその同行者の人なのかもしれない。
だったら安心する。それならばいい。そうであってほしい。だけど、

幾つもの灯りは、葉擦れの音とともに近づいてくる。もう十メートルぐらいの距離にいる。

だけど、もし、『危険人物の二人組』だとしたら……?
さっきの金髪剣士と『チノの仇』のように、二対一で、問答無用で殺そうとするような輩にばったりと会敵してしまったら?
雄二も遊月も、たった1人しかいない場所で、リゼの力だけで対処しなければならないとしたら?

どうすればいい?
心臓の動悸ははげしくて、頭にはぐるぐると血が上っているはずなのに、立っている足元はおぼつかなくて目まいがする。
今まで仲間とともに、頼れる指導者たちと共にいた彼女は、一人で何とかするというプレッシャーを知らなかった。
それ以前に、庇ってくれる者もいない場所で、自分ひとりが標的にされるという恐怖も、初めて味わった。

幾つもの灯りは、葉擦れの音とともに近づいてくる。もう五メートルぐらいの距離にいる。
姿は木々に隠れていても、先頭の人物の体格が、視認できる距離にいる。やはり、大人の男のそれだった。
守ろうとしてきたチノはもういないのに、前に進む理由はないはずなのに。
命を奪われるかもしれないとなれば、すぐそこにいる驚異がただ怖くてたまらない。
チノも、こんな怖い思いをしたのだろうか。

――違う。チノと違って、今の理世には、少なくとも『武器』という選択肢だけはある。

幾つもの灯りは、葉擦れの音とともに近づいてくる。

フラッシュバンは、もう使えない。
人の気配におびえて凍り付いているうちに、人影はもうすぐそこまで――近すぎて使えない距離にまで来てしまったから。
ならば、もしもの時は、コンテンダーを使うのか。今のリゼに、使えるのか。
仲間を守るために引き金を引くことはできた。
ならば、自分を守るために撃つのだって――雄二は撃たなくてもいいとは言ったけれど、撃つという選択肢は、もしかしたらアリなのかもしれない。

ほんの短い時間のあいだにぐるぐると悩んで、振り子のようにぶれて。
リゼの思考は『いざとなったら』という方向に傾いていく。

少なくとも『針目縫たちのような危険人物だったならば、撃ってもいい』と、焦りながらもリゼは認識していた。
だって、あいつらは、『チノを殺したバケモノである、きりゅういんさつきと呼ばれた少女』の同類なんだから。
たとえば『チノの仇』がすぐ近くにいるとしたら、リゼは我が身の安全などと関係なく撃つだろう。
それに、それに、まだ遊月に謝ってない。
ここで死んだら、最低限、謝ることさえもできなくなる。
『ココアの代わりなんて言ってごめん』って。
『チノを笑顔にしてくれてありがとう』って、言えてないのに。

だとしたら、本当に、いざという時は。
このコンテンダーを、一発。

幾つもの灯りが、近――

逃げたいと思った。
言峰神父がいつだったか、『同行していた少女に、黄金の飛行機のような乗り物であっというまに逃げられた』という話をしていたのを思い出した。
自分にも、一瞬で遠くに逃げられる飛行機が支給されていれば良かったのに。
そんな埒もあかないことを、少しの間だけ考えて。

――灯りの主が、リゼの目の前で、最後の影になっていた木の下からぬっと出てくるように、姿を見せた。

「おっ――」

現れたのは、金髪にバーテン服の。

(あ――――――――撃たなきゃ)

つまり、リゼもいつか聞いたことのある『平和島静雄とかいう危険なバケモノ』だった。


□  □  □


平和島静雄と、一条蛍の不運は、周囲をいっそう警戒しながら進まなければならなかったことだ。
すっかり日も暮れ、まして山の中であり、数メートル先もおぼつかない景色。
それまでの進行方向に危険があったことを知らせる、戦闘の余波やもしれぬ火災。
風見雄二に守られていたはずが、ひとりぼっちになっていたリゼ。
しかも山の中を進むにつれて、エルドラが魔力の気配だけでなく、ルリグの気配まで感知するようになったのだ。
つまり、静雄は蛍を庇いながら、自分が先行する形で山の中を探していた。
分校を二人で探索した時もそうしていたように、静雄が前にでて、蛍を守る盾のようになって進んでいた。
『火事』を引き起こした危険人物が、近くをうろついていることも警戒しながら、進んでいた。
白カードの灯りと、折原臨也が蛍へと残したスマートフォンのライトを使って、照らしながら進んでいた。

天々座理世の顔を知っているのは蛍だったのだけれど、そうせざるを得なかった。
もっと言えば、蛍はばくぜんと『もしかして静雄さんだと、他の人から警戒されるんじゃないだろうか』と感じていたのだけれど、
「蟇郡だって、ここいにたら蛍ちゃんに先を歩かせるような真似しなかったはずだ」と死んだ人の名前まで使って説かれたら、納得するしかなかった。

ここで大前提として蛍のことを擁護するならば、彼女も、忘れていなかったわけではない。
『平和島静雄は、“越谷小鞠殺人事件”の容疑者の一人として、事件の前後に喫茶店にいた人々には少しどころでなく警戒されている』ことを、忘れていなかったわけではない。

忘れてはいなかったのだが、彼女はまだ、考えが浅かった。
誰が小鞠先輩を殺したのかを一番に知りたがっていた自分や、同じく喫茶店にいた蟇郡さんも一度会っただけで平和島さんを信じたのだから、
小学生の私よりずっと大人である皆さんならば、きっと平和島さんが危ない人ではないと分かってくれる、と考えていた。
「自分が割ってはいり、平和島さんは無実だと説明すれば、分かってもらえる」と。

ただし、蛍は知らなかった。
天々座理世はついさっき、妹のように可愛がっていた少女を目の前で『人間離れしたバケモノ』に殺されており、
それ故に『危険なバケモノ』への敵愾心を、極めて最大限に引き上げていることを。

そして、蛍は失念していた。
蟇郡苛には、平和島静雄が暴走しても止められるだけの力があり、
一条蛍には、蟇郡苛と折原臨也という、立場は違えども『仮に静雄が蛍に危害を加えようとしたら止めてくれる』者が二人もいた安全圏で、静雄と対話することができたが、
今の天々座理世に、それは無いということを。

さらに、蛍には視点が欠けていた。
天々座理世には、殺された越谷小鞠との接点も無ければ、『殺人犯』への恨みも無かったからこそ、
『殺人事件の犯人捜し』に、これまで直接には関わってこなかったからこそ、
ゲームセンターの現場検証をしたとか、言峰の証言からDIOにアリバイが成立したとか、容疑者の筆頭が衛宮切嗣になったとか、そんな推理を承太郎や雄二のように自力で考える立場ではなく、受け身で聞かされる立場にいたからこそ、

「――平和島、静雄っ!!」

ほとんど、反射的に。
論理的な答えをすっ飛ばして。

『金髪でバーテン服の男は危険人物だと、そう聴いた覚えがある』という記憶だけを、真っ先に思い出して。
その次に、『ゲームセンターで見た、幼い少女の頭部をつぶされた凄惨な死体』のことを思い出して。
その死体を見て、トイレに駆け込んで吐いたことや、ゲームセンターの周りが『人ならぬバケモノが暴れたかのように』荒らされていたことを、ぶり返して。
あの時、自分は確かに『チノやシャロ達がこんな風にされたら耐えられない』と、『殺人事件の犯人(バケモノ)』に恐怖したのだと、その感情までもが蘇って。

ほんの一瞬の間に、そんなことを次々と連想して。

こいつは、あんな酷いことをした『犯人』の、その『容疑者』に挙がったほどの危険人物なんだと認識して。

――撃たなきゃ。

殺される。

モデルガンの時のように「動くな! 怪しい奴め」なんて言う余裕はなかった。
引き金に指をかけたまま、腕を持ち上げた。
コンテンダーの機構は単純だ。弾倉も遊底もない。撃鉄のセレクターをいじって、引き金を引くだけで撃てる。
その巨大な銃を水平に維持し、平和島静雄の胴体に向け、すぐに構えた。
弾丸は黒カードを調べた時に、『もしもの時のために』と銃身に合ったものを装填している。
バケモノが、襲ってきたときのために。

しかし。
いきなり銃口を向けられ、平和島が驚いたように目を丸くする。
獲物を見つけたという風ではなく、これはどういうことだという風に。

撃つはずだった人間と、眼が合ってしまった。



――本当に、撃つのか?



それが、迷いになった。

針目縫や『きりゅういんさつき』を撃った時は、相手が問答無用で仲間を殺そうとする者達だったし、
何よりも『風見さんを助けたい』とか『よくもチノを』といった思いが最優先で、『こいつは危険人物だから排除しておこう』なんて割り切ったものではなかった。
だから、躊躇する。
見た目は明らかに人間である、平和島静雄を撃つことに、普通の女の子として、ためらってしまう。

いや、それ以前に、こいつは本当に『殺人事件』の犯人だったのかと、理性が待ったをかける。

一瞬の『危ない奴なら、撃たなきゃ』というパニックから醒めれば、別のことも思い出す。
ゲームセンターを出た時、風見さんは『平和島静雄が犯人とは限らない、証言が嘘かもしれない』とか言ってなかったっけ?
承太郎さんは、一番怪しいのは『衛宮切嗣』の方だとか、そんなことを言ってなかったっけ?
とっさに頭の中を整理できない。

そもそも、二回目の放送が流れてからずっと、リゼはおかしくなってしまったチノの方を気に掛けることで精いっぱいだった。
ゲームセンターの二度目の現場検証でも、承太郎たちにまかせっきりでチノたちとゲームに興じていた。
だから、風見雄二や空条承太郎のように『怪しくないわけではないが、ひとまず容疑者の筆頭から外していい』という冷静な判断を持てなかった。

だから。
銃口を向けたポーズのまま、じっと硬直するという結果になった。
そのまま、実際の時間にして三秒ほど、状況が止まった。

「おい……」

しかし。

「何やってんだ」

静かだったが、重く、低く、何よりも噴火前のような怒りに満ちた声が、状況を動かす。
仁王立ちをする平和島静雄の、唸り声じみた問いかけが。

ここに、決して混同してはならない、取り違えてはならないことがある。
平和島静雄は、成長して怒りをセーブできるようになりつつあるだけで、
決して激しい怒りの感情を失ったわけではないのだ。

東條希に一条蛍を殺されかけた時にも、手出しこそしなかったものの『守るべき存在である蛍ちゃんを殺しかけた』という時点で逆鱗には触れていたし、
それに対して希が『殺されるのではないか』と予感するほどの激情は披露してみせた。

そして、静雄の筋で言えば、『刃物や銃口を向けた時点で、そいつは万死』であることには変わりないし、
リゼのしたことを、静雄視点で受け止めれば、
『蛍ちゃんはリゼを心配して追いかけたのに』
『蛍ちゃんと自分が一緒にいるところを見ていたはずなのに』
『拳銃なんかで人を撃ったら、弾が貫通した場合に後ろにいる蛍ちゃんも怪我をするか最悪死んでしまうことぐらい、予想できるはずなのに』
銃口を向けたことになる。

「……ッオイ、テメェ、その銃口はどういうことだ」

一条蛍を連れている以上、不用意に手出しはしない。
しかし、その声が怒気をおびるのは、仕方がない。
一度は、東條希にあと一歩で蛍を殺されていたということもあり、『この子もその類なのか』と疑いの眼が向いたせいもある。
それでも、池袋での静雄を知っている人々ならば『静雄にしてはずいぶんと大人しい』と驚いたことだろう。
静雄を少しでも知る人間ならば、『恫喝』ではなく『説得』のニュアンスさえ嗅ぎ取れる、その程度には抑えられていた。

しかし、天々座理世と静雄はまったくの初対面だ。
しかも、リゼは針目縫という『バケモノ』に拘束された遊月や、折原臨也という『理解不能』と会話をして耐性を付けていた蛍と違って、
『怪しい人物と、一対一で対峙する』という経験さえ持たなかった、普通の女の子なのだ。

――殺される。

そう直感した。

普通の女の子であるリゼにとっては、『“きりゅういんさつき”の殺意に満ちた凶暴な声』も、『平和島静雄の、静かだが迫力ある怒声』も、その違いを判別することなどできはしない。
どちらも等しく恐ろしく、生命の危機を感じるだけのものがあった。
これは、本当に『暴力』だけで生きている存在の声だ、と。

「そんなモンを人に向けたら、どうなるか分かってんのか」

銃口を向けた自分の方が先に仕掛けた立場であり、少なくともその点で非がこちらにあることは、百も承知で、それでも。

――やっぱりこの人は、危ない奴なのか。

そんな疑問を、言葉にすることもできずに。

「あ、あ……」

どういうことだ、という質問にも答えられず、
かといって、東條希がそうしたように、『もうイヤだ』と開き直って降参することもできず、
引き金にかけた指が、不安定に震えはじめて、
危なっかしくそこに力が入りかけて、



「ま、待ってくださいリゼさん!!」



静雄の背後から飛び出し、並び立つように、少女の姿が現れた。

その声は、チノとよく一緒にいた二人組の一人――メグを思わせる、やわらかい声で。
小学五年生にしては大きな体躯から、両腕をばっと真横にのばし、静雄の前に細い腕を割りこませるようにして。

「違うんです! 静雄さんは、誰も殺してないんです!」

「蛍、ちゃん?」

第一放送後に少し会話をしただけの関係だが、気立てが良さそうな子だった。
『殺人事件』で殺されていた女の子と友達だったのだと聞いて、それでも気丈にしているのがすごいなと思った。
チノと、仲が良さそうにしていた。
さっき、声をかけられた。

その蛍が、リゼと平和島静雄の間に入っている。

「誤解なんです! 私、平和島さんとちゃんとお話しして、小鞠先輩を殺してないって分かったんです!
 ここに来るまでも、ずっと平和島さんが私について、守ってもらったんです!」

さて、ここには、一条蛍の言う通り。
わるいひとなどひとりもいないすばらしき場所だ。

だから、睨み合う二人の間に割り込んできた、真摯な少女の声に、どちらも耳を傾けないはずがない。

平和島静雄は、少女が改めて見せた芯の強さに呆けたような顔で、怒りをいったん忘れて。

天々座理世は、『やっぱりこの人は違うんじゃないか?』という躊躇に、後押しをされたような心持ちになって。

「そう、なのか?」

銃口の向きを斜めにして、少なくとも蛍からはやや逸れるように角度を変えて、そう訊ねた。

「そうなんです」

蛍は、真剣な顔で頷いた。
それは見た目よりも幼い口調で、年相応の、小学五年生の少女らしい純真さがあった。
それはマヤとメグの二人に(声のせいでどちらかといえばメグに)、憧れに満ちた目で見つめられた時のように、照れくさい気持ちにさせる表情だった

「先輩を殺した犯人は分からないけど、それは絶対に静雄さんじゃないんです。
蟇郡さんもそう言ってました。静雄さんはいい人だって
――あ、リゼさんは蟇郡さんに会ったことないかもしれないですけど。
でも、チノさんや承太郎さんも信用されてた方なんです」

その声は、静雄のこともリゼのことも、まっすぐに信じ切っていて、
二人ともいい人なんだから、誤解さえ解ければ何事もなく平和になると期待していて、
この少女の信頼を得るだけのことを、平和島静雄がしたのだろうと、察してしまうほどのもので、





――だからこそ、それが恐ろしかった。





「どうして、なんだ?」

蛍のおかげで、落ち着いた。
リゼはさっき、静雄から蛍に庇ってもらった。
彼女は、最初に出会った印象どおりの『良い子』だった。

だけど。
だからこそ。

「『犯人』でも、そうじゃなくても。そいつが、『バケモノ』なことは変わりないのに」

そんな平和島静雄のことを、どうしてそんなに純粋無垢に信じているの、それが恐ろしい。

問われた蛍と平和島静雄は、何を言われたのか分からないという顔をした。


□  □  □


天々座理世は、普通の女の子だが、頭は悪くない。
むしろ、記憶力も、頭の回転も、呑み込みの速さも、人よりずっと優れている方だ。
だから、冷静になれば正確に思い出せる。
小学生の少女が間に入って両者が止まり、当面の危機感はひとまず去ったタイミングならば、必死に考えて、記憶の蓋を開けることはできる。

もう、十二時間以上も前のことだったけど。
その間にチノに関して色々ありすぎたから、顧みるのに時間がかかったけれど。
それでも、落ち着いてラビットハウスでのことを振り返れば、たしかに覚えていた。
承太郎たちは、第二放送直前の情報交換で『やはり逃げた衛宮切嗣が容疑者としては一番怪しい』とか何とか話していた。
それは、たしかに覚えていた。だから、『殺人事件』の犯人が平和島静雄じゃないというのは、そうなのかもしれない。

しかし。

承太郎も雄二も、「平和島静雄は『殺人事件』の犯人ではないかもしれない」という擁護はしたが、
「平和島静雄は危険人物ではないかもしれない」とは擁護しなかった。
もっとも彼等の立場からすれば、それは当然のことだった。
二人はこれまでに、当の平和島静雄と一度も面識がないのだから。
憶測で、「平和島静雄は越谷小鞠を殺していないようだから、イコール平和島静雄は危険人物ではないだろう!」と口にできるはずもない。

だから、リゼにとっての平和島静雄とは。
未だに折原臨也が語ったこと、全くそのままなのだ。

平和島静雄とは、
『良い奴では断じてない』
『肉の芽があろうとなかろうと、そもそもが超危険人物』
『誰にでも喜び勇んで暴力を奮う悪い奴』
『池袋でもことあるごとに暴力を奮っている』
『もしも出会ったならば、即殺しにかかった方が君と君の仲間たちのため』
そんな、人物像のままなのだ。

そう、ラビットハウスで暴れ回った針目縫や、慈悲も何もなく凶暴にチノを殺してみせた『きりゅういんさつき』のような『バケモノ』達と、どこも違わないのだ。
しかも銃口を向ければ、およそ常人がするものではないような迫力ある威嚇の声をあげてきたのだから、これはもうリゼの中では完全に『敵に回せば恐ろしい奴』というイメージで合致した。

だからこそ、『平和島静雄は、怒りさえしなければ気の良い人物であり、ゲームセンターの周りで暴れ回ったのも小鞠を死なせてしまった怒りと悲しみのせいだった』なんて、想像することもできない。
その発想に至るには、折原臨也が大嘘をついたという前提が必要になる。

しかし、折原臨也が嘘をつくべき理由も蓋然性も、リゼの中にはない。
接していたのはゲームセンターで出会った時と、ラビットハウスで最初の情報交換をした時だけだったが、臨也への印象は決して悪いものではなかった。
ゲームセンターで小鞠の死体を見て恐怖と不安の中に突き落とされ、その上で蟇郡に声をかけられて萎縮していたところを、優しく落ち着かせてくれた。
チノのことが心配で仕方がないリゼに、『早くラビットハウスに向かうといいよ』と気持ちを察してくれたし、雄二を同行させるようにも促してくれた。
ともすると軽薄そうにも見えたが、『女の子は大事なんだから』と戦えないチノや蛍たちのこと身を何よりも案じて、蛍の『分校へ行きたい』という意思も尊重してくれていた。
ちょっと真剣に記憶を漁るだけでも、これだけ臨也への『良かった印象』をあげられる。

実際は、喫茶店にいた人々も、リゼ以外はそこまで折原臨也のことをあっさりと信頼していたわけでは無い。
しかし、リゼはそのことを知らない。
何故なら、承太郎たちが『折原臨也も怪しい』という疑惑を口に出したとき、いつもリゼはその場にいなかったからだ。

第一放送前にチノに『もしもの時の保険』として『衛宮切嗣と折原臨也が利用し合っている可能性』を伝えた時も、
同じく放送前に遊月に『衛宮切嗣と折原臨也には心を許すな』と伝えた時も、リゼはまだラビットハウスに到着していなかった。
ゲームセンターを出た時に雄二から『平和島静雄が殺したという証言が全てウソという可能性もある』とは聞いたけれど、それは直接に『折原臨也の語る平和島静雄像までもが嘘だ』と指弾するものでは無かった。
何よりもそれを言った雄二が、第一放送後に承太郎ともども『折原臨也が、無力な少女である一条蛍と二人きりで行動する』ことを黙認していることが大きかった。
実際は承太郎たちも『より怪しい人物』である衛宮切嗣を折原から引き離すために、やむなく折原の自由にさせていたに過ぎないのだが。
リゼの視点では、折原臨也が本当に怪しい人間なら、蛍ちゃんと二人きりにさせてもらえるはずがない、という風に印象づけられた。

そしてその後は、容疑者の筆頭は衛宮切嗣となり、もしくは折原の唱えたDIO真犯人説も一考しようという形で考察が進んだため、折原臨也だって怪しいと蒸し返す者はいなかった。
当然だ。もし承太郎あたりが『俺は折原を容疑者から外しはしたが、信用したわけじゃあ無いぜ』などとでも口にしようものなら
『えっ、じゃあ何で信用できない人を無力な蛍ちゃんと一緒にしたんですか』と、逆に承太郎の方が反感を買うことになってしまっただろう。

だから、リゼにとっての折原臨也とは、『あの風見さんや承太郎さんも信用していた(ように見えた)人で、確かな筋からの情報源』であり、
リゼにとっての平和島静雄とは、冷静に顧みれば、『たとえ『犯人』ではなかろうとも、同じように幼い子どもの頭部を潰すような残酷さで殺してしまう危険性があると、折原さんから保証されたモンスター』なのだ。

そんな恐ろしい平和島静雄が、チノよりも年下の少女を引き連れて歩いていて。
その少女は、平和島のことを保護者でも見るような目で『いい人』と呼んでいるのだ。
『折原さんの情報は嘘だったのか』と疑うよりもまず、恐怖心が先行する。

「だって、平和島さんは危ないって話を、蛍ちゃんも聞いてたじゃないか。
 何があって、その平和島さんが『いい人』になったんだよ」

だから、口調もつい、詰問するようなものに変わる。

なまじ、『きりゅういんさつきさん』というバケモノを『味方』だと信じてしまったために、
チノを不用心に近づかせて死なせてしまった、その直後だったからこそ。
一条蛍に対して、大人びた外見だけどチノより幼い小学生なのだという先入観があったからこそ。

『平和島静雄が、本当にいい人だった』という可能性よりも、
『極悪人の平和島静雄に、蛍が騙されて連れ回されている』という危険性の方を、恐れてしまう。
だから、リゼは。

「一緒にいたはずの折原さんは、どうしたんだよ。
 折原さんに何があったんだ?
 蛍ちゃんだって、折原さんのことは信頼してたはずじゃないか。
 折原さんも、『平和島静雄はやっぱりいい人だ』って言ってくれたのか?」

畳みかけるように、そう言ってしまった。
静雄と蛍の二人の間で、話題にすることが半ばタブー視されていた『その名前』を言ってしまった。

「ッオイこら!! よくもそれを、蛍ちゃんの前でっ――!」

それは、平和島静雄から見れば。
リゼの後ろに寄り添うように、折原臨也の冷たい嘲笑が見える。そんな錯覚すら覚えた。

今回は、東條希の時と違って、相手はやけに大きな銃を持っている。
そして蛍の目の前でリゼを死なせるわけにもいかない以上、どうにか実力行使ではなく言葉でもって収めるしかない。
だから、彼女に手出しをすることはできない。相手が銃を取り落とすか、銃口を完全に降ろすまでは。
しかしそれはそれとして、その名前を出されることは気に入らない。
石油のようにドロドロとした怒りの燃料の上で、火の点いたマッチが揺らめいているような心境だ。
死んでしまったとはいえ『折原臨也』の名前を出されるだけで、静雄にとっては胸糞の悪さしか覚えないというのに。
その名前を、またもや『平和島静雄ではなく折原臨也を信じろ』という出汁に使われているのだ。
怒りで飛び出さなかったのは、ひとえに蟇郡に諭された時と、同じ失敗を犯さないように――が怒りにまかせて飛び出し、その拍子になされた発砲で蛍の命が奪われるようなことがあってはならないと――学習したためだ。

しかし、静雄の心に去来したのは、怒りだけではなかった。

「あ…………折原、さんは…………」

そんな質問をされたら、ホタルちゃんが『臨也が死んだときのこと』を思い出してしまう。
幼い少女にとってトラウマになったことは間違いない、そんな記憶をぶり返してしまう。

だから平和島静雄は、天々座理世にも完全に予想外となる行動をした。

ギラついた視線をふっと緩めて、蛍の顔色を気づかわしげに、困ったような顔で、のぞきこんで。
そして腕を蛍の前に出し、立ちふさがるようにして少女をまた下がらせたのだ。

――――あれ?

それが、リゼにとっても違和感になる。

聞いていた話と違うぞ、と。

その人は――平和島静雄は、折原さんの話では、もっと凶暴性剥き出しの怪獣ではなかったか?
少なくとも、傷心の少女から信頼を勝ち得て、今だってこうして庇ってみせるような、そんなことを、演技でもやってみせるような人だなんて聞いてない。
それに、こうやって蛍ちゃんと会話をしていても、襲ってくる様子はない。
リゼが銃を構えて脅しているから、迂闊に襲いかかれないせいなのだろうか。

それとも。

もしかして……本当にもしかすると。
蛍ちゃんが言っていた「守ってもらった」という言葉も、本当?

そんな迷いが、小さな泡のようにぶくぶくと湧き出てきた。

どっちだろう。
聞いた情報と、目の前の印象と、どっちを信じればいいのだろう。

しかし。
蛍がゆっくりと、たどたどしく語り始めた。

「お、折原さんと平和島さんは………最後まで違うことを言ってて。
 蟇郡さんとも三人でずっと話してたのに、意見が合わなくて、殺し合いになって」

自分でもよく分かっていないかのように、困った顔で。

「折原さんは、それから私を守って戦ってくれて、庇って。そのせいで、白い服の人に」

『白い服』という言葉を聞いて、リゼの眉がひそめられる。

「それって……チノを……」
「でも、違うんです。それは平和島さんのせいじゃないんです。
 平和島さんは、いい人なんです」

それで、リゼも少しだけ事情を察した。
しかし、余計に分からなくなった。

「ごめん……蛍ちゃんに、すごくイヤなこと思い出させたみたいで」
「い、いえっ。言わなきゃいけない事だったから、いいんです」

察したこと。
折原臨也は、おそらく一条蛍を庇って死んだのだろうということ。
それをリゼは、まだ小学生の少女に自分の口から言わせてしまったのだということ。
殺されるかもしれないという緊張の中であっても、幼い少女にそんなことを言わせてしまった罪悪感がこみあげてくる。
謝ると言えば、平和島ごと銃口を向けている行為こそ謝ってしかるべきなのかもしれないが。
しかしリゼの中では、最悪の可能性――『本当に平和島が撃たなきゃいけない存在だったら』という疑いがまだ抜けていないのだ。

それに、蛍の言葉で、また分からなくなった。

「でも……蛍ちゃんは、折原さんより、平和島さんを信じたってことなの?」
「え……」

問いかけてから、ひどく意地悪な聞きようになったと気づいて、また自己嫌悪がわいた。
しかしそれ以外の言葉で、問いかけようもなかった。

蛍の話は、折原臨也に関する辻褄がどうしたって合わない。

「だって、蛍ちゃんの話だと、折原さんもすごく誠実な人に聞こえるけど……」

そう、仮にだが。
折原臨也の方が間違った情報を広めていたとして。
例えば、平和島静雄のことを憎んでいて、他の参加者を利用して殺そうとしたとか。
例えば、平和島静雄を殺人事件の犯人にしたてあげて楽しみたかった、最低の愉快犯だったとか。
どんな理由であれ、『殺人事件』が起こる前から『平和島静雄を殺してしまおう』と皆を騙していた大噓つきなのだとしたら。

そんな詐欺師が、身体を張ってまで、そして『平和島静雄を殺す計画』を投げ捨ててまで、
一条蛍という少女を守る為に戦い、庇って散っていったというのは、第三者視点であまりにも腑に落ちない。
誰しも、『蛍ちゃんを庇って死ぬような“良い人”が、蛍ちゃんをそんな酷い嘘で騙していたのか?』と思うところだ。
土壇場でいわゆる良心に目覚め、少女を助けようと体が勝手に動いたのだとしても疑問が残る。
皆が生き残ろうと必死になっている場所で『平和島静雄は本当は良い奴だけど、危険人物だと思いこませてやろう』なんてはた迷惑なウソをついて被害を拡大させ、
大切な友達を殺された少女に『友達の仇は平和島静雄だよ』などと嘘を教えこみ、
少女に『小鞠先輩の仇だ』と静雄を殺しに向かわせることが目的なのだとしたら。
蛍という少女が、正当防衛で静雄に殺されてしまう可能性だって十分あることも分かっていたはず。
普通の女子高生であるリゼにとっては、『そんなおぞましい計画を立てるような人間の屑がいて、しかし土壇場でなぜか蛍ちゃんの命だけは守ったのだ』という方向に考えるよりも、
『やはり折原臨也さんは誠実な人で、我が身を犠牲にしてまで蛍ちゃんを平和島および白い服のバケモノから守ろうとしたのだ』ということにしておく方が、よほど想像しやすいし、優しい真実だ。

普通の人間には、『蛍ちゃん個人が死んでしまうのは別に構わなかったけれど、自分の計画ミスでバケモノが人間を殺してしまうことには耐えられないから庇いました』なんていう真実の動機など、想像がつくはずがない。

「命を懸けてまで、『平和島さんは危ない』って伝えようとしてくれたんじゃないか?
蛍ちゃんは、それが違うと思ってるの?」
「それはあのノミ蟲が――」

平和島静雄が吼えるように何かを言いかけ、しかし言葉に迷ったかのように呼吸を一瞬止めて
しかし。

「感謝、してますよ」

言葉を継いだのは、静かな声だった。

「折原さんは、やっぱり私の恩人ですから」

小さいけれど、ホタルの光のように染み入るような声だったから、きれいに届いた。



「私は今でも、折原さんにすっごく感謝してます!」



誰にも邪魔されず、一条蛍はそう言い放っていた。


□  □  □


平和島静雄は、折原臨也の本性を知っている。

だからこそ、『蛍ちゃんを命懸けで助けるような人が、そんな酷い嘘をつくはずがない』という言い分を感情に任せて否定することは簡単だった。
あのノミ蟲はそんなんじゃない。
臨也は平気で人を騙すし、破滅させるヤツなんだ。
池袋でもさんざん前科を積んできた屑野郎だ。
ホタルちゃんを助けたのだって、何か普通ならば想像もつかないようなアイツだけの企みがあったに決まってる。

それこそ、いくらでも臨也のしてきたことをあげつらうことはできただろう。
それでも言葉に迷ってしまったのは、やはり一条蛍の存在があったからだ。
他の人間にとってはどれほど悪魔だろうと、一条蛍にとっての折原臨也は、すでに『命の恩人』に据えられてしまったからだ。
その本性が極悪人だと知れば、傷つかないはずがない。
そこで躊躇することができたのは、静雄が怒りを抑えられるように成長したからというだけではない。
リゼの言葉が、『折原臨也の死を、一条蛍はどう思っているのか』と問い詰めるものでもあったせいだ。
その『折原臨也の死』を招いた責任の一端は、間違いなく平和島静雄にもあったから、そこで動揺した。

コシュタ・バワーを運転して移動している時から、静雄は漫然といろいろなことを考えていた。
蛍は当初気絶していたし、目覚めてからも会話は少なかったから、その分だけ一人で思うところに浸っていた。
あまり複雑なことを考えるのは得意ではない静雄なりに、それでも時折、こういう考えが頭をよぎっていた。
『蛍ちゃんは、折原臨也が死ぬ原因を作った平和島静雄のことを、心のどこかで恨んでいたりはしないだろうか』と。
目覚めて早々、彼女は向こうから謝ってきた。
小鞠が言っていたとおり、本当に優しい良い子だと思う。

しかし、優しい子だからこそ、わだかまりを堪えて、無理して許してくれたのではないかと勘ぐってしまう。
原因がどうあれ、静雄があの場で怒りを爆発させて「殺す!!!!」と大上段に宣言して暴れはじめたせいで、
蛍は怯えてしまってあの場から逃げ出し、
そのせいで纏という女(蟇郡はそう呼んでいた)に襲われて殺されかけるような目に遭わせてしまい、
それを自分は助けるのが間に合わず、間に合ったのがノミ蟲だったのだ。
蛍からすれば、静雄は『自分を死なせかけた挙句に、恩人である折原臨也を死なせた大戦犯』と言っていい。

そもそも、静雄には知らないことが多すぎるのだ。
まず、女心というものが難しくて複雑怪奇だし、それがまだ年若い少女ともなればなおさらだ。
そして折原臨也と一条蛍がどういう関係で、どういう遣り取りがあったのか分からないし、
気丈に振る舞っているけれども、小鞠を失い、悪人とはいえ臨也を死なせてしまって、
その心中にどういうものがあるのか、これから何を望んでいるのかも分からない。
蛍を傷つけてしまうかもしれないと、ろくな会話もできずに、踏み込むことができずにいた。
だから。



「私は今でも、折原さんにすっごく感謝してます!」



その心中は複雑だろうなと思っていたけれど、改めてそう断言されたのは、さすがに驚いた。


□  □  □


一条蛍にとって、折原臨也とはどんな人だったのか。

分校でも、車の中でも、蛍はひそかに考えてきた。
車の中だと、考え事をする時間はそれなりにあったので、じっくりと、こっそりと考えてきた。
エルドラを相手に、これまでのことを色々話したりしながらも、考えて、考えて、考えてきた。
自分の気持ちなのに、ちっとも分からなかった。

折原さんのことをよく知っているらしい平和島静雄さんに聞いて、確かめることはできなかった。
実は悪い人でした……という真相を知るのが怖かった気持ちもあるけれど、二人とも仲が悪いのを通り越して憎み合うような関係にあると分かったからだ。
せっかく平和島さんと和解することができたのに、嫌いな人のことを質問して不愉快な気持ちにさせてしまうかもしれない。
そんな遠慮をして、踏み込むことができずに、蛍は一人で考えてきた。

本当の折原臨也さんは悪い人だった……のかもしれないが、そうと断言することは蛍には難しい。
折原という男は、いつも蛍には優しくしてくれたし、蛍の立場を慮ってあれこれ考えてくれたし、あの人がいたおかげで心の支えになったことが何度もあったからだ。

人にナイフを振りかざしてみせたり、承太郎さんも蟇郡さんも平和島さんも出会う男の人が折原さんを相手にすると喧嘩腰になったりして、怖く感じたりはしたけれど、
意地悪な質問をされたりして、恨みがましい気持ちになったことはあったけれど、

『折原さんがいたおかげで、私は絶対に人を殺さないと決められました。ありがとうございます』と言った気持ちには、少しの嘘もなかった。
『折原さんは良い人です。意地悪なことも言うけど、私のことを本当に考えてくれてる、良い人です』と打ち明けたのは、本音だった。
死んでほしくなかった。
追いて行かないでほしかった。

平和島さんからは悪党呼ばわりされていたけれど、実感だってわかなかった。
なぜなら、折原さんの言うことは、いつもいちいち筋が通っていたかのように聞こえたからだ。
それでも実際に会ってみた平和島静雄さんは、すぐに怒る人だったけれど、悪い人には見えなかった。
それなのに、折原さんの話を聞いていると、平和島さんを怪しむべき理由があるようにも思えてくる。
だから、今になって天々座理世からも『折原さんは命懸けで蛍ちゃんを助けてくれたのに、その折原さんを信じないのか』と痛い所をつかれたようで、自分の方が悪い事をしたような気持ちになった。

でも、本当の平和島さんが『喜び勇んで暴力を奮う悪い人』で『肉の芽を植えられて悪魔になった人』なんかでは無かった以上、
折原さんは、蛍や仲間たちの皆を騙していたのが真相になる。
平和島静雄という人を、陥れて殺してしまうために。
そういうことに、なってしまうのだった。

じゃあ私は、折原さんに怒ればいいの?
それとも、私にずっと優しくしてた人だから、平和島さんを信用するけど折原さんも庇い続けるべきなの?

そういったことも、考えてきたけれど。
実は。
一番に悩んだのも、考えたのも、苦しいのも悲しいのも、その事ではなかった。



「折原さんは、嘘ついてたんだと思います。それは、きっと間違いないです」



感謝している、と言い切った続く言葉で、蛍はそう言った。
リゼも、オウム返しに「嘘?」と尋ねる。

「はい…………だって、折原さんの言ってた平和島さんと、実際に話してみた平和島さんはぜんぜん違ってましたから。
 私は子どもだし、皆さんみたいに頭は良くないですけど、『平和島さんがいい人』だってことは、つまり折原さんが嘘つきだってことになりますから」

まるで皆の前で作文を読み上げるかのような、そんな硬い声だった。
それこそ、ずっと用意して、練ってきた原稿を読み上げるように、何かを切り替えたような話し方だった。

「折原さんも優しかったですけど、平和島さんのことは、悪い人だと思わせようとしてるみたいに見えたのも、本当ですから。
どうして折原さんが私を助けてくれたのかは分からないけど、折原さんと平和島さんだと、平和島さんの方がいい人だと思うんです」

その切り替えに、リゼもただ面食らうしかない。
明らかに事情を分からないまま流されている風だった少女が、実は真理を体得していたかのように語り始めたのだから。
しかも、そうやって言い切られた『平和島静雄を信じられる理由』も突き詰めてしまえば、
『実際に接してみたから』という、良く言えばシンプルであり、悪く言えば第三者には曖昧なものなのだ。
しかも『感謝してる』と言った後に、同じ人物のことを『嘘つき』と評した。

「感謝、してるのに?」
「感謝、してます」

そこで、まるで重大な告白をするかのように、息を吸ってから吐いて。



「だって折原さん、『妹さんが二人いる』って言ってたのに、私のせいで死んじゃったから」



実は。
一条蛍が一番に悩んだのも、考えたのも、苦しかったも悲しかったのも、折原臨也の人となりとはまったく別のところにあった。
蛍の犯してしまった、罪についてだった。

つまり、折原臨也が何者であれ、一条蛍を助けるために、死んでしまったのだということだ。
小学五年生の女の子にとって『自分の命を救うために、悪人(かもしれない)とはいえ人ひとり死んだ』という事実が重くないわけがない。
ましてや蛍は、折原臨也にも家族がいることを知っていた。

――ちょっと変わった子たちだけど、2人とも俺のことをとっても大切に思ってくれてるんだよね。
――もし俺がこんなとこで死んじゃったら、きっと泣くよ。それどころか、もう立ち直れなくなっちゃうと思うんだ。

もし、『クルリちゃん』と『マイルちゃん』が絶望して立ち直れなくなったら、それは一条蛍のせいだ。
どうしても妹二人のところに帰りたいと言っていたのに、その命を一条蛍のために捨てさせてしまった。
たとえどんなに悪い人だったとしても、家族がいる。
だから蛍は、『たとえ小鞠先輩の仇が相手でも、殺してはいけない』と、そう決めたばかりだったのに。

……もっとも、一条蛍がその懊悩を平和島静雄に打ち明けていれば、違った意見も聞けただろう。
平和島静雄は、折原の妹二人ともよく見知った仲でもあるし、妹達があっさり兄を静雄に売ろうとしたことがあるのも知っている。
少なくとも静雄は、過去に臨也を殺そうとしていた時に、『殺してしまえば折原妹達は悲しむだろうか』などと配慮をしたことはない。
流石にそこまでぶっちゃけた事は蛍に言わなかったとしても、『そんなことで立ち直れなくなるほどあのガキどもはヤワじゃない』ぐらいの保証と慰めはしただろう。

しかし、ともかく。
きっかけは、折原臨也の双子の妹達だった。
あの時、折原臨也と二人きりで話した時に。
誰であろうと絶対に殺さないという覚悟に辿り着いた時のように、そうだった。

「折原さん、私に手紙を残してくれてたんです。『天国で、また会おう』って」

気が付いたのは、森の中を進むために、スマホを取り出した時だった。
白いカードの灯りだけでは心もとなく思って。

以前にも、夜道をこんな風に、懐中電灯が電池切れで歩いたことがあって。
『あの人』と真っ暗だと怖がりながら歩いたな、と懐かしくなって。
そうだ、スマホならば懐中電灯が付いているはずだと、気が付いて。
それが折原臨也の遺品だということを、取り出してから思い出して。

そこで、元からメモ帳のアプリが開きっぱなしになっていたのを見つけた。

メモは幾つもあったけれど。
ちょうど開かれていたのは、たった一言だけ書かれていたファイルだった。



――天国で、また会おう。



『また明日ね』と手を振ってくれた。
夏色の風景にいた、あの人のように。

その一言だけで、泣きそうになったから。
白状すると、少し泣いていたから。
前を歩く静雄に気付かれないようにするので必死だったから、他のメモは見ていないけれど。

「私が一言も言ってないのに、私の言って欲しいことを分かってくれてたんです、『また会おう』って」

師匠(せんせい)、とは少し違うと思う。折原さんはいつだって、蛍にああした方がいいと物を教えたわけではなかったから。
たとえるなら、『こんな未来も有り得るかもしれないよ』と、神様の言葉を教えてくれる預言者、だろうか。
折原臨也が、どんなに凶悪な詐欺師だろうとも、それは変わらないことだ。

そう、折原臨也がどんな悪人だろうと、残された妹達が悲しむことは変わらない。
つまり、折原臨也がどんな悪人だろうとも、一条蛍という命を残してくれたことは変わらない。
理解して、救ってくれたことも変わらない。

「だから、折原さんが本当に悪い人だったなら、天国でまた会えた時に怒ります。
よくも騙したなって、怒って、暴力はやったことないけど、叩くかもしれないです」

一条蛍は、あくまで『良い子』なのであって『聖女』ではない。
『折原さんは平和島さんを追い詰めるためだけに私の大切な先輩を利用して、その上間違った犯人を私に唆してたくさん騙したけれど、命の恩人だから気にしてません、許します』なんて、人間離れした寛大さは持ち合わせていないのだ。
たとえ折原さんでも、どんな理由があっても、怒るし、恨むし、もしかしたら罵るかもしれない、だから。
また会いたいですと恋しがりつつ、また会う時は覚悟しててくださいね、その時は怒りますからと拳を固める。
でも、その前に。
そんな日が来る前に、ここを生還したらマイルちゃんとクルリちゃんに、お兄さんを死なせてしまってごめんなさいと謝らなければならない。
赦してもらえないかもしれないけれど、静雄さんが自分に謝ってくれたように、頭を下げよう。
いつか臨也さんに向かって怒りをぶつけるその時が来るまでは、感謝しながら、謝りながら生きていく。

「だから、折原さんのことが信じられないのかって聞かれたら、『はい』しか言えないです」

そんな結論で、『作文』は結ばれた。
ずっと聞き役だったリゼも、蛍が相当の試練を歩いてきたと察したのか、静雄の後ろにいる少女にあぜんとしている。

「ま、そりゃそうだ」

そして平和島静雄も、そんな言葉で認めた。
もともと、『蛍の恩人だから』という理由で、折原臨也の遺体を運び、埋葬までしてやったぐらいには筋を通す男である。
だから、たとえ大、大、大嫌いな折原臨也を肯定して褒めたたえる発言だろうとも、
蛍なりの筋を通した結果の結論ならば否定しないし、『臨也なら地獄行きだろ』などと空気を読まない発言もしない。
そもそも静雄は、強い人間のことが好きなのだった。
己の感情を制御して、他人に迷惑はかけず、しかし芯は守り通す、そういう強さを持った人間には、敬意を払っている。

折原さんの話をしたのに平和島さんが喜んでくれた、という事実を見て、蛍はさらなる勇気にかられたらしい。

「だから、リゼさんもその銃をおろしてください。
平和島さんにもしものことがあったら、平和島さんの家族だって悲しい思いをします」
「家族……?」

平和島静雄に庇われながら、ではあったけれど。
課題の『作文』を終えて、『説得』のための言葉を自発的に語り始めた。

「そうです。もしどうしても平和島さんが信じられないなら、その時は撃つよりも、逃げてください。
 私を置いていくことになるとか、考えなくていいですから。そっちの方が、リゼさんも人殺しにならなくて済むし、絶対いいですよ」
「いや、そういうわけには……それは蛍ちゃんが」
「私だったら大丈夫ですから」
「全然大丈夫じゃないぞ! 言っておくけど私の方が蛍ちゃんよりはまだ全然強いからな!?」

もはや、誰にもはばかることなく。



「私は、何があっても絶対に人殺しはしないから、大丈夫です」



一条蛍という少女の『光』は、ここに輝く。



「失礼なたとえですけど、平和島さんが本当に人殺しだったとしても、私は殺すより殺される方を選びます。
 平和島さんがいい人に見えるからじゃないです。
相手が、本当に小鞠先輩を殺した『犯人』でも、折原さんを殺した白い服の人だったとしても、殺さないです。
蟇郡さんは、確か、その人にはお姉さんか妹さんがいるって言ってました。
だったらやっぱり、殺すのはいけないと思います」

強者のように不敵に笑うでもなく、
弱者のように小さな声で、必至そうな顔で。
それでも、ただひたすらに眩しい姿で。



「どんなに悪い人でも、殺しちゃったら、哀しい思いをする人がいますから」



そして。



「チノさんだって、リゼさんに人殺しになって欲しくないと思います」



ある者によっては、見ようによっては、不気味な姿で。


□  □  □


あらかじめ言っておくと、天々座理世はごく善良な少女であった。
さっきからずっとリゼは平和島静雄と、それに伴う一条蛍の証言を疑い続けてきたけれど、
何もそれは彼女がことさらに人を信じられない性質だとか、考え過ぎる性格をしているからというわけではない。

むしろ、木組みの街からきた他の少女たちもそうであるように、70人の参加者の中でもお人好しで、人を陥れたり嵌めるような悪意とは無縁の暮らしをしてきた少女だ。
では、なぜこんなにも無辜の無実を訴える二人を疑いの眼で見ているのか。
一言で言ってしまえば、『この世界に来てから、あまりにもおかしな現象を見続けてきたから』ということになる。

例えば、針目縫と交戦した時の経験がそれだ。
リゼがしっかりと狙い定めて右目に銃弾を撃ち込んだはずなのに、針目縫は即座に立ち上がり、なんとその負傷を短時間で自然治癒させてみせた。
人間ならば片目を撃ちぬかれた時点で死んでしまうし、実際にリゼはその覚悟をもって撃ったにも関わらず、だった。
そして、折原臨也も言っていた。
平和島静雄は、自動販売機を持ち上げてボールのように投げつける怪力と、銃弾さえ筋肉で止まってしまう強靭さを兼ね備えていると。
平和島は針目と違って種族としては人類にカテゴライズされるらしいが、『銃が効かない』と聞いてまず思い浮かぶのは針目縫のことだ。
少なくとも拳銃弾は、怯ませる程度にしかならなかった。
ならば、このコンテンダーのライフル弾ならば効くのか、それともバズーカ砲でも用意しなければならないのか、リゼは折原からそこまで細かく聞いていない。
(ちなみに銃弾も効かないという風評にはやや言葉のあやがあり、実際はいくら静雄でも拳銃で撃たれたらダラダラと血を流しながら闇医者に通う)
だから。
『自分が無抵抗の青年と少女に銃口を向けていて、青年は少女の前に立ちふさがって少女を庇っている』という状況を、
格好としてはどう見ても自分の方が悪役であり、
善良な少女を騙している狡猾な男ならばここまで身体を張った真似ができるだろうかと、普通なら疑問を抱くはずの光景を、
ちっとも額面通りに受け取れない。
なぜなら、『平和島静雄には、銃弾が効かない』のだから。
『出会ったら撃ち殺すのをお勧めする』と警告された以上、針目縫よりも通用すると踏んでいるけれど、
それでも『本心から庇っている』のか、『銃が効きにくいからリスクを承知で庇える』のかを見分ける常識が、摩耗して、麻痺している。

例えば――こちらの方がより大きい理由だが――例えば、もう一つ。
針目縫が、空条承太郎そっくりに変身してラビットハウスに現れた時にその演技をまったく見破れなかった、という経験を経ていたことだ。
承太郎を演じていた間の針目縫と、本性を現してからの針目縫は何から何までが別人の演技力を持っていた。
『あの場に演技を見破る眼を持っている風見雄二がいなければ』、誰もが狡猾なバケモノの演技を見破れないまま、本物の承太郎が帰って来てくれるのを待たずして皆殺しにされていただろう。
そして、『この場に演技を見破る眼を持っている風見雄二はいない』のだ。
真の悪党であるならば、正義感ある人間になりきることぐらいは容易にできること。
そしてリゼ自身には、あいにくとその演技の違いを見破る眼は無いこと。
針目縫によってリゼはこの二つを、しっかりと学習してしまった。

だからリゼは、『もしかすると平和島静雄は良い人なのかもしれない』という自分の感想を、全く信用することができないでいる。
そうやって迷わせ、信じさせることこそが相手の狙いではないかと、メトロノームのようにぶれている。

でも、それは同時に。
天々座理世は、普通の女の子だけれど、普通の女の子なりに、バトルロワイアルという環境に順応していることを意味する。
『普通の女の子』であることは変わらないなりに、『自分がされたらいやなことを人にしてはいけません』とか『ましてや銃口を向けたり、撃ったりしてはいけません』とか、
そんな人としては当たり前の光からは、遠ざかりつつあることを意味する。



『自分のためには引き金を引けなくても構わない。だが、他人のためなら迷わず引き金を引ける男になれ』



リゼは、それを己に言い聞かせ続けてきた。
チノやシャロ、皆を守りたいという思いを形にするために。
実際にそこまで覚悟が決まっていたかともかく、意識の上ではそうあろうとしてきた。
そこには、軍人の父親を持ち、日ごろからミリタリー趣味にはまり、また最初に出会ったパートナーである風見雄二も軍属の人間だったという背景もあっただろう。
メンタルは普通の少女だったとしても、知識の上では『世の中には、必要ならば人を殺すことを任務とする人間もいる』ことを理解していたし、敬意を持っていた。
蛍のように『絶対にしてはいけないことをしている人殺し』などとは間違っても思わないし、抵抗なく受け入れる土壌があった。

そんな、リゼに。
そこまでして守りたかったシャロやココアを手が届かないところで失い、
手の届くところにいたはずのチノを、目の前で失った今になって。

「相手が、本当に小鞠先輩を殺した『犯人』でも、折原さんを殺した白い服の人だったとしても、殺さないです」

その少女は、小さくも眩しい、美しすぎる光だった。

――なんで?

その言葉を聞いた瞬間に、そんな疑問が抑えられなかった。

少女が、そんな結論を出すに至った背景は聞いている。
ついさっき、作文の朗読のように一生懸命に『折原さんの妹達を悲しませてしまった』と懺悔するのを、聞いたばかりだ。
だから文脈としては分かる。

だけど、だからって。
『相手があの白い服の化け物や、“殺人事件”の犯人だろうとも殺さないし、殺すぐらいなら殺される』なんて、そんな考えに至ることは無いじゃないか。



――有り得ないよ。



それはまるで、爆弾を落とされ焼き尽くされているような災害跡地の真ん中で。
一匹のホタルが、何事もなくきれいな光のまま、ふわふわと飛んでいるようなものだ。
美しさに見惚れるよりも先に、本当にホタルなのかと疑ってしまう。

「蟇郡さんは、確か、その人にはお姉さんか妹さんがいるって言ってました。
だったらやっぱり、殺すのはいけないと思います」

同じように、大切な人を失ったはずなのに。
大切な友達だったはずの越谷小鞠を、まったく他人のリゼでさえ見た直後に嘔吐してしまうような、そんな酷い有り様で殺されたのに。
同じように、『白い服のバケモノ』に、大切な人を目の前で殺されるという経験をしたはずなのに。
この子だって、あの心が壊れそうな思いを経験して。
『自分のせいで死なせてしまった』という後悔を、
『自分が何とかできれば死なせなかった』という慙愧を、味わってきたはずなのに。

放っておけばこれからも人を殺し続けるような人外に、そんなことを言ってのけた。
まるで、放射熱戦を吐いて街を破壊する怪獣を見ても、『あの怪獣にだって大切な家族がいるかもしれないのだから、殺すのは可哀想だ』と言われたかのようなカルチャーショックだった。
言わんとする論理は理解できても、そんなことを言える神経が理解できない。

――もっとも、リゼは一つだけ『勘違い』をしている。

蛍は必ずしも、リゼと同じようなものを見たわけでは無い。
というより、実のところ蛍は殺し合いの中で、一度もまともに『人間をはるかに超えた怪物の脅威』だとか『怪物に殺された犠牲者』を目撃していない。
もっとも衝撃的だった越谷小鞠の死も、承太郎の口から『殺された』と告げられただけだ。
破壊しつくされたゲームセンター周辺を目にしていないし、小鞠の遺体がどんな有り様だったかも知らない。
その後に彼女を交えて行われた情報交換でも、皆がまだ小学生の蛍に配慮をして、『犯行はかなりの力技であり、犯人は相当の怪力の持ち主だ』というように遠回しな表現を使った。
(蛍がこれまで『先輩の命を奪われた』ことには怒りを露わにしても、『先輩の頭を見る影もないほど潰された』ことに反応してこなかったのは、それを知らなかったからだ)
そして、放送後に平和島静雄と折原臨也の殺し合いが始まりかけた時も、いちはやく逃がされた為にほとんど現場を見なかった。
纏流子に目の前で折原臨也を殺された時も、臨也の背中に隠れて『殺害現場』と呼べるものはほとんど目撃しなかった上に、その直後に気を失って記憶もあやふやになっている
衛宮切嗣の死体も、平和島静雄が配慮をしてくれたおかげで、凝視せずに済んだ。
だから蛍は、『殺人犯』や『白い服の女』のことも、『怪物』ではなく、あくまで『悪い人』として見ていた。
悪い『人』であっても、私は殺さないのだと、そう言ったつもりだった。

「どんなに悪い人でも、殺しちゃったら、哀しい思いをする人がいますから」

相手が『殺人犯』だろうと、平和島静雄だろうと、『白い服の女』だろうと、『白い服』と組んでいた金髪の剣士だろうと、あのDIOだろうと。

――できっこない。

怪物たちの殺し合いを目の当たりにして、怪物に大切な人を奪われた少女はそう思う。


これは、ホタルの光だ。



普通の女の子らしい考え方のはずなのに、リゼからしたら普通じゃない。
普通の女の子なのに、リゼも蛍も、普通の女の子だったはずなのに、どうしてこんなに違うのか。

だから。



――この子は、本当に、私の知っている蛍ちゃんなのか?



そんな疑問が、本音として口から出そうになり。
その一瞬で、天啓のようにリゼは閃いた。



ああ、そうか。
『私の知っている蛍ちゃんじゃない』としたら。



噛み合った。

確かに、聞いていたじゃないか。
平和島静雄は『DIOに操られて、猛獣から悪魔にランクアップしてる可能性がある』と。
『善良な集団の中に紛れ込む悪知恵まで身に付けてるかもしれない』のだと。

そして、空条承太郎さんから、DIOという吸血鬼の脅威を説明された時にも聞いていた。
『どんな正義感あふれる人間でさえも洗脳し、DIOに忠誠を誓ってしまう』
『どんな優しい人間でさえも悪の心に染め、狡猾な策を用いるようになる』
そんな、肉の芽という恐ろしい道具は。
『複数』作り出せるのだと。



「チノさんだって、リゼさんに人殺しになって欲しくないと思います」



その少女が、安心させようと作り出した精いっぱいの小さな笑みは。
リゼの眼には、いびつな作り笑いに見えて。
そして何よりも。



――おねえちゃん、たすけて。



彼女の最後の言葉を、表情を、真っ黒く塗りつぶすものに思えて。



「違う。チノはあの時、『たすけて』って言ったんだ。目が死にたくないって言ってたんだ」



そんな反論をスイッチとして、リゼのメトロノームからぶれが消えた。
カチリと、一方向に傾いて止まった。



「チノは私達の目の前で殺された。白い服の『きりゅういんさつき』に。私はそいつを許さない」



平坦な声で反論を続けながら、リゼの中で答えは組みあがっていく。
それならば、不自然だった状況の、つじつまが合うのだ。

『折原臨也のことを信頼していた、一条蛍が』
『第二放送を迎える前に、折原臨也と死別し』
『しかし、彼女だけは折原に庇われた後も、なお生かされ続け』
『再会した時には、折原臨也の敵であり、折原がもっとも警戒していた平和島静雄と二人でいて』
『こうして携帯電話を持っているのに、保護者である折原臨也が死亡して喫茶店の人々が心配する中で、チャットに連絡ひとつも寄越すことなく』
『しかも、折原の死が告げられた放送から9時間が経過しているのに、保護者である平和島静雄さえもが、携帯電話で無事を連絡してあげようと提案することもなく』
『肉の芽を埋められた疑惑がある平和島静雄と、二人でいて』
『以前の一条蛍と、どこかが違っていた様子』
だったのだ。

これで、聡明なリゼに、『一条蛍が、静雄から洗脳ないし思考誘導されている可能性』を疑うなという方が難しい。
なまじ、数時間前に『他の対主催派と連絡を取るために』ゲームセンターで携帯電話を手に入れようと奮闘していたこともあり、携帯電話を持っていたのならなぜ連絡を寄越さなかった』という点も違和感のもとになる。
『小学生の蛍に、自分達の位置を特定されないような形でチャットに書き込むのはハードルが高かった』ことや、
『平和島静雄は、雄二や承太郎や言峰たちと違って、そういった事に気が付く目ざとさを持っていない』ことまではとっさに想像がつかない。



「私が風見さんに庇われてないでちゃんと撃ってたら、チノは死ななかった。
それを、撃たなくて良かったみたいに言ってほしくない」



しかし、DIOには『アリバイ』がある。
平和島静雄がゲームセンター周辺にいたのと同じ時間帯に、DIOの館で言峰神父と遭遇している。
だから承太郎と風見雄二は、『真犯人DIO説は崩れる』と結論づけた。
そんな論証も、今や機能していない。

リゼ自身も、ついさっき思ったことではないか。
言峰神父が語っていたような『一瞬で離れた場所に離脱できる飛行機』が、ここにあれば逃げられたのに、と。
一瞬で別の場所に移動する手段があってもおかしくないと分かった以上、『だいたい同じ時間帯に、別の場所で見かけましたよ』という現場不在証明は、何の意味もなさなくなる。



「私は『他人のためなら引き金を引け』って教わったんだ。
 それが間違ってるわけない!
 なんで、あんな簡単に人を殺せるような連中の家族にまで、気を使わないといけないんだよ」



考えて、考え続けて、本当にこの答えでいいのだろうかと、疲れ切った心に浮かんできたのは、風見雄二の言葉だった

『ネガティブなイメージが沸くのは、危機管理が出来ている証拠だ』

だったらこのネガティブな敵意は、リゼがちゃんとしている証拠なのだろうか。
そう考えると、少し安心した。
こんな殺し合いの場所で、最初のありようを示してくれた。
彼の姉や養母が、彼にとっての師匠だったように。
リゼにとっての彼もまた、師のような存在だった。

『そのままでいてくれ』

だから、天々座理世は、彼女らしくいるため、どうしても譲れない一線に、すがりつくために。
チノを守れずに、折れてしまった心を、これ以上、踏み躙られないために。
『そもそも誰かを殺してチノたちを守ろうという考えが間違っていたんだ』なんてことにだけは、しない為に。



「きりゅういんさつきは、針目のことを妹って呼んだんだぞ。
 妹とも殺し合おうとしてるのに、なんで家族に配慮してやる必要があるんだ!」



最後の判断で、銃口は蛍に当たらないよう、平和島の頭につけた。
『肉の芽』は戦闘力までもを向上させるわけではないと承太郎は言っていたはずだし、それならば平和島だけを怯ませるなり撃ち殺すなりするだけで良いはずだと思えたし、何より、
――リゼだって、好きこのんで一条蛍の家族や友人を悲しませる役目を、担いたいはずがなかったから。



ああ、それとも。
家族を悲しませないであげてほしい、という大義さえあれば、
その大義を優先してもらえるというのなら。



「…………私だって、ココアやチノの『お姉ちゃん』になりたかった」



発砲音が一つ。
そして、リゼの身体を強烈な反動が後方へと吹き飛ばし。
同時に、命を奪う30-06スプリングフィールド弾が、銃口から解き放たれた。

□  □  □


その時、その瞬間。
平和島静雄と、一条蛍の間にもまた。
ひとつのすれ違いが、生じつつあった。

二人の会話で、チノという少女の名前が出てから。
リゼの反論がだんだんと熱を帯びてくるのを見てとり、平和島静雄は判断をした。

ダメだ、このままでは、コイツは撃つと。
どこがどう地雷になったのかは知らないが、蛍の言葉でどうにかなるものではなかったと。
となれば、次に起こす行動は一つだ。

発砲される前にリゼを取り押さえる、では、無く。
まず、一条蛍を射線から――己のすぐ後ろから、避難させる。

それまでは、蛍のリゼに呼びかけたいという思いを尊重する形で庇いながらも後ろにおいていたけれど、荒事で抑え込むとなれば別だ。
東條希のナイフとは違って、拳銃には常に『暴発』というリスクがある。
守りながらの戦いをまだよく知らない自分では、射線がどうなるかという計算などできない。
感情に任せて対処すれば、纏流子との攻防で一条蛍を殺しかけた時の二の舞になるかもしれないと。
だから静雄は、蛍を押し出そうとした。
くしくも、かつて折原臨也がそうしたように、蛍の方を向いて、軽く背中を押し、「ここは俺に任せて逃げろ!」と指示しようとしたのだ


しかし、静雄は知らなかった。
これまで、一条蛍と、分校でも車中でも、気まずい空気のまま訥々としか会話をしてこなかったから、蛍のことをよく知らなかった。
さっきの蛍の長広舌を聞くまで、『自分はもしかしたら蛍ちゃんから恨まれているのではないか』と見当違いの懸念を抱いていたぐらいには、知らなかった。
『折原臨也』というタブーの話題があったとはいえ、あまりに一条蛍の知る人物の死に関わりすぎて、どう接していいか分からず、距離を縮めることを恐れていたせいだ。

だから、静雄は知らない。
蛍が先ほど言った『絶対に人を殺しません』という決意は、
『もし宮内れんげちゃんが殺人者に殺されそうになっていたら、殺人者を殺すよりも、私が身代わりを申し出て死にます』と言ってしまうほどに、重たいものであることを。
越谷小鞠を失った時に、一条蛍がどれほど打ちひしがれ、泣いたのかも。
そこから立ち直るために、『良い子』として生きていくためなら、自己犠牲も厭わないようになっていることを、知らない。

一方で、蛍もまた静雄のことを知らなかった。
ゲームセンターで静雄と小鞠がすっかり仲良くなっており、『小鞠が静雄に自分の話をした』ことを知らなかった。
『蛍はとても良い子なのだ』と、自分のことを好意的に紹介して、静雄からも好感をもたれていることを知らなかった。
だから、『静雄にとって一条蛍とは、出会う前からとっくに守るべき存在になっている』ことを知らない。
『親身になって一緒にいてくれるいい人だな』とは思っていても、蛍を命に替えても守ろうとしている思い入れの深さを、知らない。

だから、両者の思惑はきれいにすれ違う。
互いに、互いの思いを裏切るような行動を取る。

静雄が『これは撃つ』と思ったのと同時に、蛍もまた同じ予感を抱いていた。
自分の言葉が、リゼの逆鱗に触れてしまったことにショックを受けながらも、何とかしなければと思っていた。

私がリゼさんを怒らせたせいで、平和島さんが撃たれてはいけないと。
私を庇って静雄さんに何かあったのでは、折原さんに庇われた時の二の舞になると。

だから、同時に行動を起こしていた。
頭を下げて姿勢を低くし、静雄の脇をすりぬける格好で飛び出したのだ。

蛍は小学五年生にしてはかなりの大柄だが、静雄にしても成人男性の中では高身長な方だ。
だから二人の間には、はっきりと身長差がある。蛍がしゃがめば、よりいっそう差が開く。
だから、タイミングが一致したという問題でもあった。
静雄が蛍を軽く押し出すために――蛍の肩のあたりを薙ぎ払うようにして振るった腕は――回り込むために走り出した蛍の頭より、少し上の位置をきれいに『空振り』した。

「――――あ?」

動揺から、静雄の思考がその数瞬、止まる。
軽く動かした腕とはいえ、ただの女の子に『躱された』という動揺と。
蛍が理解できない行動をしたという、不可解で。

そして、蛍が静雄の前に飛び出したことで、
動揺から、リゼの引き金にかかった指も、タイミングが狂う。
本来なら、数秒かもう少し後に、もっとよく狙いをつけられて撃たれていた弾丸が、早いタイミングで発射される。

そして、二人には別の不幸な偶然がある。
天々座理世の発砲したトンプソン・コンテンダーの重量は約1.5キロ。
ライフル弾を撃てる銃器としてはかなりの小ささと軽さではあるが、拳銃としては充分以上に重い方なのだ。
天々座理世は、バトミントンのサーブ練習で羽根が木の幹にめり込むほどの腕力を持っているけれど、
重い銃をずっと構えたまま『保持し続ける腕力』は、とっさに発揮する腕力とはまた違う筋力を――普段は使わない筋力を必要とする。

結果として。
平和島静雄の頭部を狙うためにつけた狙いは、会話をしながらもだんだんと下にずり落ちるように下がっていた。
実際の弾丸は、それよりもずっと下の位置へと放たれていた。



それは、一条蛍の心臓をめがけて、過たず撃ち放たれた。



そして、そんな不幸な偶然など知らないけれど。
それまで平和島静雄の背中に半ば遮られていた、視界がぱっと開けた時。
蛍は、リゼの顔を正面から正視した。
その時のリゼの表情を、蛍はきっと、一生忘れないだろう。
その『一生』を、まさに己の手で終わらせようとしているのだけれど。

チノさん。

最後に、水色をした喫茶店の制服を着た、小さな少女のことを思った。

チノさんと、『帰ったらラビットハウスにご招待します』という約束を、していたのに。
チノさんとベッドの中でお喋りをして、ココアさん、リゼさん、シャロさん、千夜さんのお話も聞いていたのに。

『チノさんだって、リゼさんに人殺しになって欲しくないと思います』

だから、チノさんは絶対にリゼさんを責めたりしないって、言ってあげたかったのに。
言ってはいけないことを、言ってしまった。

ごめんなさい。チノさん。
せっかくチノさんと友達になれたと思ったのに、リゼさんにあんな顔をさせてしまって、すごく怒られるかもしれません。



鳴り響く銃声と同時に蛍の身体は倒れ、強い力で地面へと打ち付けられていた。


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190:serious and normal girls 天々座理世 191:Lostorage/記憶の中の間違ってない景色
190:serious and normal girls 紅林遊月 191:Lostorage/記憶の中の間違ってない景色
190:serious and normal girls 平和島静雄 191:Lostorage/記憶の中の間違ってない景色
190:serious and normal girls 一条蛍 191:Lostorage/記憶の中の間違ってない景色