憧憬ライアニズム Tonitrus ◆gsq46R5/OE



  一切の予兆もなく、本部以蔵の喉笛を刺し貫くべく、日傘の一突きが放たれた。
  顔に貼り付けた笑顔とは裏腹に、神威の攻め手には一切の容赦だとか様子見だとか、そういう概念が存在せず、貫徹した氷の殺意のみがあった。
  本部以蔵は、彼が春雨という、まさに泣く子も黙る破竹の勢いを帯びた宇宙海賊の一員であるということは当然知らない。
  まして、その中でも最強と恐れられる最強部隊、第七師団の団長――『雷槍』であることなど。
  如何に本部以蔵という男が博識であろうとも、神威の住まう世界とは根本的に辿った歴史が異なるのだから、知っている訳がない。
  しかしそれでも、本部はその一瞬で確信した。
  自分の彼に対する見立てが、化け物、というそれですらまだ甘かったことを。甘すぎた、といってもいい。
  文字通り格が違う。将棋に例えるならば、自分とこの男の差は香車と成った飛車ほどもある。
  ともすれば、あの範馬勇次郎にすら匹敵するのではないだろうか。それほどの力と、彼が踏んできたのであろう場数を、本部は一瞬で看破した。
  だが本部も、何の心構えも無しに決闘へ及んだ訳ではない。
  妖刀の力に手を染めでもしなければ倒せない相手だと、最初から承知はしていた。見極めに誤差こそあったものの、まだ許容範囲内だ。

  紅桜の間合いに神威の日傘が到達したと同時、本部は紅桜の一閃を振り抜いた。
  空を切り裂いて迸る斬撃は彼の並々ならぬ剛力で放たれた突きを見事に鍔迫り合いの状況まで持ち込み、妖刀の実力を雄弁に物語る。
  「へえ」と感心したように呟いた神威は、瞬きの速度よりも捷く日傘を引き、真横からの薙ぎ払いで本部への追撃を試みた。
  本部が武道の達人であるとはいえ、まともに受ければ背骨が確実に粉砕されるだろう一発。
  どうにか本部は紅桜の刀身でそれを受けるが、その時本部は誇張抜きに、自分は大型トラックにでも激突したのではないかと錯覚した。

  人間の力ではない。若き怪物の笑顔に、鬼(オーガ)の獰猛な微笑みが重なって見えた。
  驚愕が生んだコンマ一秒にも満たないであろう隙を、神威の桁が外れた観察力は見逃さない。
  日傘を持っていない左手を手刀の形にして、本部の腹部へ突き出した。本部は紅桜を両手で構えている。受け止めるのは不可能だ。
  ならばと彼は体をくの字に折り曲げるようにして、勢いよく後ろに飛び退く。日傘から解放された紅桜を、これで迎撃に出すことが出来る。
  狂気の刀匠・村田鉄矢が心血注いで鍛えた妖刀と、春雨が誇る微笑みの雷槍。
  かち合えばどちらが勝つのか。好き者ならば金を払ってでも見たがった局面だろうが、生憎その結果が明らかとなることはなかった。

  神威の方が退いたのだ。迎撃に急ぐ紅桜を避けるように拳を逸らし、日傘で刀を受け流しながら、一気に本部への間合いを詰める。
  彼としてもそそる勝負ではあったが、面白い物見たさで戦い自体を棒に振ってはお笑いだ。
  神威も妖刀紅桜がかつて齎した騒動については知っている。実際に相手取るのは初めてだったが、その危険度が頭抜けていることは承知の上だ。
  対艦兵器とまで謳われた妖刀の一撃をまともに受ければ、さしもの夜兎でも無事では済むまい。
  幸いなのは、未だ本部以蔵と紅桜は、完全には適合を果たしていないらしいことだろうか。

  そのことには、紅桜に現在進行形で身を冒されている本部も気付いていた。
  使ってみてよく分かる。この紅桜は、刀というよりも悍ましい生体兵器と呼んだ方が余程的を射ているような、そんな代物だ。
  武器を用いての戦いを十八番とする本部でも、これを武器とはとても捉えられない。
  明らかにこれは兵器だった。それも、その力を借りようとした者の体を容赦なく蝕み、辻斬りじみた挙動へと誘う悪夢じみた殺人兵器だ。とんでもねェもんを渡してくれたな、ラヴァレイさんよ――と、そんな呟きが譫言のように漏れ出す。

  何より質が悪いのは、この紅桜は、どうやら侵食が進めば進むだけ強くなる性質を持っているらしいことだった。
  超実戦柔術の使い手である本部ですらもが、扱いこなせないと思う。この紅桜が持つ旺盛な食欲ばかりはどうしようもできないと。
  それでも、今の本部には紅桜しかない。他の宝具では、恐らく神威には届かないからだ。
  世の中には頑然たる実力差というものが、確かに存在する。
  そして大抵そういう時に、小細工とは踏み躙られるものだ。
  蟻の大群が全力で酸を吐いたとしても、列車の進行を止められないように。

  日傘と紅桜にそれぞれ力を込め、本部は魂までも込め、衝撃波すら散らして競り合う両者。
  力を増しつつある紅桜が、まだその力勝負ですら打ち勝てていない。
  ニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべているのとは裏腹に、神威の繰り出す攻撃はその全てがとんでもない重量と密度を持っている。
  この男は、恐らく人間ではない。真の意味で、人とは違う種族だ。
  戦いの中で本部は、早くもそのことに気が付き始めていた。
  足払いを繰り出して膠着を解き、逆袈裟懸けに斬撃を放つ本部。神威の衣服を掠めはしたが、肝心の彼自身には傷一つ与えられていない。
  そして次の瞬間、お返しだとばかりに鋭い蹴りが、紅桜に侵食された右腕を打った。
  本部ほどの体格の持ち主が、鍛錬を積んだ格闘家が、持ち堪えることも出来ずにノーバウンドで宙を舞う。
  闘技場の壁に激突してようやく止まった彼は、かはっと僅かに血を吐き出した。

 「面白いねぇ、それ」

  そんな本部へ一歩また一歩と歩を進めながら、神威は彼を、正しくはその刀を賞賛した。
  こっちを褒められても嬉しくないぜと悪態を返しながら、本部は刀を杖代わりにして立ち上がる。
  それを確認するや否や、地面に小さなクレーターを作りながら、弾丸のような勢いで神威が本部に突貫を仕掛けた。
  日傘か――いや、徒手だ。
  狙いを見抜くなり本部は紅桜を構え、速度勝負では勝てない為にただ彼の到達を待つ。
  そして実際に到達した時、彼は何を考えてのことか、紅桜を振るおうとはしなかった。
  頬に一筋の赤い線を作りながらも拳を躱して神威の懐へ飛び込み、試みるのはそう、柔術だ。
  現状こちらが一方的に不利を強いられる長物同士の対決を捨てて、一撃で勝負を決められる可能性に賭けた。しかし、その判断は甘過ぎた。

 「ぬ……ッ!?」

  胸倉を掴まれ、そのまま本部の体は宙を舞う。
  投げ技のプロセスというものをなぞる暇さえない、一瞬の出来事だった。
  プロの武道家である本部が、投げられてからやっと自分が打ち負けたということに気付くほどの、まさに瞬間の妙技であった。
  空中に足場はない。
  よって無防備を強いられる――その時本部を救ったのは、彼を喰らって強くなる紅桜だ。
  ほとんど自動動作のような俊敏さで神威が繰り出す日傘を迎撃、腕と同化した異形の触手が侵食を早め、その重みで落下速度が増す。

 「次はこっちの番だぜぇッッ」

  神威よりも速く落ちていることを利用して、本部はまさしく神速の勢いを帯びた一閃を放つ。
  決定打にこそ至りはしなかったが、神威の首筋に小さな切り傷が走り、一滴の赤い雫が垂れる。
  届いた。最初に比べて明らかに、実力の差が縮まっているのを感じる。
  これが妖刀紅桜。なるほど狂気の沙汰だと、本部をして認めざるを得ない。
  神威ほどの男がそれを使っていれば死ぬぞと忠告しただけのことは、確かにある。
  だがこれだけが、今の本部に勝利を手繰り寄せるもはや唯一の鍵だった。
  全てを守護る為。それだけを行動原理として、修羅道に入った赤鬼は紅に染まる。喰われる。

  神威のドロップキックを、本部は紅桜で受け止めた。
  ミサイル弾もかくやの威力を孕んだ一撃に、最初ほどの脅威は感じない。
  自然と心に余裕のようなものが生まれてくるのを、本部以蔵は感じていた。
  いや、それだけではない。
  彼ほど冷静な男であれば日頃まず覚えることのない、『力に酔う』という感覚すら、心なしか身の内に沸き起こっているのが分かる。

 (いつまで正気でいられるか、分からねェな……こりゃ、予想以上だぜ)

  自分の中に生まれた狂気の種が瞬く間に発芽して、こうしている今も着々と育っている。
  短期決戦で幕を引かなければ、最悪、敗北よりも回避せねばならない未来が待っている。
  そのことを本能的に悟った本部は、紅桜の力に任せて神威を空中へと跳ね飛ばす。
  忍者のように天井へ足を突き、落下エネルギーの庇護を受けながら、日傘で本部の頭を狙う彼。
  それが読めたから、本部は勝負を避けて回避に徹した。

 「……見えてきたぜ。あんたの『底』が」

  着地の瞬間を狙い、本部は攻める。
  裂帛の気合を込めて振り抜く刀を止めた日傘諸共、神威が地面を靴底で擦って後退させられる。
  次は相手の得意技、突きだ。紅桜の先端が神威の喉笛を狙って、常人では目視も難しい速度で放たれた。
  神威はそれを、刀身を真下から蹴り上げることで対処した。大きく当たりがずれ、空振った隙を利用して、掌底の一撃を叩き込む。
  ……だが本部は吹き飛ばされない。その場で持ち堪え、返しの斬撃で神威の胸板を切り裂く。
  浅い。それでも、確かに入った。
  もう数センチ深ければ、彼にも無視できない傷になっていた筈だ。

 「……驚いたな。本部さん、武道家なんてやめて、剣術家にでもなったらいいんじゃない?」
 「皮肉は結構だぜ。――来な。ちぃと気が早ぇが、次で決めさせてもらう」

  紅桜を水平に構え、本部はそう断言する。
  鬼となった守護者は、もはや人間とも言えないような姿に変貌していた。
  虫とも海洋生物ともつかない触手に侵されたその姿は、まさに妖怪、化け物の類そのものだ。

 「ははっ、好き勝手言ってくれちゃって」

  神威は語気を荒げるでも殺気を強めるでもなく、今まで通りの口調と笑顔で肩を竦めた。
  宇宙最強の第七師団を統べる『春雨の雷槍』を相手に、こうも大きく出てくる輩はそう居ない。
  事実彼も、春雨に入団してからはめっきり誰かに舐められたり、侮られたりする機会は減ったものであった。
  こうして実際に拳や剣を交わして語り合ったのなら、尚更。
  本部以蔵は、理解していない。春雨の雷槍という称号の強大さを、夜兎という戦闘民族の底がどれだけ深いのかを、理解していない。
  彼にらしくもない早合点をさせたのは、ひとえに、刀の魔力なのだろう。持つ者を狂わせ凶事に導く、紅桜が持つ危険な魅力の仕業だ。

 「せっかちなオッサンは嫌われるぞ?」

  ゾッと、背に冷たいものが走る感覚を、本部は覚えた。
  本能が警鐘を鳴らす。紅桜に侵されてなお健在な彼の聡明な部分が、正気に戻れと血相を変えて叫んでいるのが分かる。
  それを認識した頃には、もう遅かった。本部の背後に、一瞬で神威が移動していたからだ。
  振り返りざまの剣戟を見舞おうとするが、間に合わない。その前に本部の首元の布地が掴み取られ、柔道家として慣れたものである、『投げられた』時の浮遊感が彼を襲う。それから解放されるのは、高所からの落下でももう少しマシだろうというほどの激しすぎる衝撃だった。

 「ぐ……ごは……!!」

  込み上げてくる喀血。衝撃で声帯が麻痺し、声も碌に出せない。
  そんな中でも努めて平静を維持して、本部は己の肉体を踏み潰さんとする神威の足を、どうにか紅桜で止めることに成功した。
  しかし位置関係は上と下。おまけに本部の体勢は地に倒れており、ダメージも小さくない。
  ぐぐぐぐ、と、段々刀身が迫ってくる。このまま行けば刀はいずれ自分の顔面にめり込み、結局最後には頭を潰されてしまうだろう。
  これを本部は、意を決して紅桜を足から離し、首を全力で横へ反らすことで避けようとした。

 「づ……っ」

  その代償に、左の耳が痛ましく踏み潰される。
  それだけで鼓膜が死ぬことはなかったが、副産物の衝撃波が、忘れずに彼の聴覚の片方を奪い去っていった。
  片耳の方はキンキンと甲高い音を鳴らしているが、どうやら無事のようだった。
  これだけでも、僥倖というべきだろう。本部は身を跳ね起こして紅桜で神威へ突進、何度目かの鍔迫り合いへと持ち込んでいく。
  力勝負でなら、勝てる。しかし戦闘センスの領分では、逆立ちしても本部は神威に勝てない。
  戦闘民族と地球人の間にある種族の格差を度外視しても、神威のそれは天才的なものがあった。
  彼がもしも格闘家だったなら、世辞でも何でもなく、範馬勇次郎と双璧を成す若きグラップラーとして大成していたことだろうと本部は思う。

  だが、それを惜しいと悔やんでいる猶予すら、今の本部には与えられなかった。
  郷愁に浸っていては、そのまま郷愁の世界に――範馬勇次郎や範馬刃牙が向かった死という結末へと、この怪物に送られてしまう。
  互いに全く同じタイミングで、二人は己の得物を相手の武器から離した。
  本部が高速で刀を振るう。一見闇雲に振るっているように見える攻撃には、その実一発として狙いを外したものがない。
  それに全て対処し、傘と肉体を駆使して被弾を避け、笑顔を保っていられる神威はやはり異常なのだろう。
  紅桜の桜色と真っ赤な火花が目まぐるしく散る光景には、線香花火でもしているかのような、不思議な趣すらあった。

  げに恐ろしきは、夜兎の戦闘能力。
  本部以蔵には、もはや額に浮いて流れ落ちる汗を手で拭う暇すらない。
  攻撃の手が少しでも緩めば、この神威は待ってましたとばかりに形勢をひっくり返してくるからだ。
  技術以上に力。そう、ただ力。それだけのことで、本部は今圧倒されている。
  紅桜ほどの刀を持っても詰められている気がしないというのは、冗談のような状況だった。
  仮にマシンガンやグレネード弾、対人地雷、まきびしやチェーンのような武器を全て持ってきても、この男には碌に通用しないに違いない。
  もっとも紅桜に侵食される本部には、そういった手段に訴えることすら、今や叶わないのだが。
  右腕に視線を移せば、触手が包んでいる範囲は、明らかに広がっているようであった。

 (備えあれば憂いなしってのは確かにそうだが、これじゃあ意味がねェな……)

  本部は紅桜の他に、かの英雄王が誇る二大宝具と、少なくない小道具を所持している。
  だがその全てが、今やまともに使えない状態だ。
  乖離剣は戦闘開始早々に不要と判断して地へ転がし、王の財宝についても、開帳の機会は恐らくないだろうと踏んでいる。
  その理由は単純にして明快だ。
  他の武器まで利用して、あれこれと策を巡らせる戦い方では、紅桜を抑えきれない。理性を失い、真の意味で人間の心を失った剣鬼と成り果てないためには、本部は紅桜という一つの武器だけに集中する必要があった。
  そんな状況でもまるで不自由を感じさせない――それどころか快適ですらあるのは、やはり妖刀の魔的な魅力に取り憑かれている故なのか。

  本部が地を蹴るべく一際強く踏みしめたのと、神威が同じ理由で地を蹴り飛ばしたのは全く同時のことだ。
  一瞬ほどの時間とはいえ、本部は出遅れた。このことがツケとなって、彼を苛むことになる。
  神威の日傘と本部の紅桜が火花を散らす。
  もう何度となく繰り返した武器同士の対話だが、今回は話が違った。
  神威が鍔迫り合いの状態から地を蹴って更に加速し、本部を強引な力押しで打ち破ったのだ。

 「そういや、俺の底が見えたって話はどうなったのかな? 俺としては、本部さんの底が見えてきたって感じなんだけど――」

  紅桜を振り下ろせば、神威の身体を一刀両断できる。
  それほどの間合いだったが、日傘が触手の内にある腕を刺し貫いており、動かせない。
  その状況で神威が振るった鉄拳が、本部以蔵の顔面を打ち据えた。

 「ぐはああッッ!!」

  鼻が砕け、血を噴き出しながら本部がもんどり打って転がる。
  顔の骨にも罅が入ったのが、医学的知識がなくても分かる痛烈な一撃だった。
  しかし悶絶している暇はない。早く立ち上がらなければと足に力を込めた本部は、再び血を吐きながら吹き飛ばされることになる。
  サッカーボールでも蹴り飛ばすように、神威が彼の頭を横から蹴りつけたからだ。

  戦闘を始めた神威は止まらないし、止められない。
  紅桜とあれほど打ち合っておきながら、未だに壊れる気配のない日傘を振り上げる。
  用途も意図も、今更語ることでもない。
  それを察知した本部は堪らず紅桜を動かし、辛うじて迎撃。
  出来た隙で、今度は脇腹を蹴り飛ばされ、もう聞き慣れた骨の砕ける音が鳴る。
  このまま押し切られ、殺されてしまうのではないかというほどの激しさがあった。
  暴風雨に晒されたボロ屋のように、後は敢えなく潰されるのを待つのみ。そう思われた本部だったが、彼だけは、諦めていなかった。

  紅桜が、妖刀の触手が、本部の胴の半分ほどまで一気に侵食していく。
  一瞬本部の目が紅い光を帯びたのは、錯覚ではないだろう。
  彼は今、紅桜に精神を呑まれかけた。どうにか引き戻すことには成功したが、危ない橋を渡ったのは間違いない。
  そして危険を冒してまで手に入れた強き力は、彼に大きな恩恵を与えた。

 「おおおおおッッ!!」
 「ッ――」

  空気が震えるような一喝と共に振るわれた、紅桜の一閃。
  それは今までのものとさして変わらない動きだったが、生んだ破壊はまさに桁が違った。
  爆弾でも投下されたかのように床面が衝撃だけでめくれ上がり、鍔迫り合いにすらさせず、神威を吹き飛ばしたのだ。
  これにはさしもの神威も、一瞬ではあるが、確かな驚きの表情を浮かべた。
  対艦兵器と謳われた所以が今まさに、神威の目の前で披露された。
  それでもなお、その笑顔は消えない。だが彼でも、これによる斬撃を直接浴びたなら只では済まないのは明らかだ。
  そうなったなら確実に、神威は真っ二つにされた死体を晒すことになる。

 「……見誤ったのは、俺の方も同じか」

  まさに剣鬼といった姿になった本部を見ながら、神威は苦笑交じりにそんな言葉を零す。
  体の半分ほどを蠢く触手と同化させたその姿は、明らかに神威よりもずっと悪役じみたものだ。
  誰が見ても、今の本部以蔵を正常な対主催派の人間とは思うまい。
  ましてや、彼が全てを守護るなどと口にしたところで――その言葉を信じる人間など、この会場に何人居るか分かったものではない筈だ。

 「来ねぇのかい、神威さん」
 「言われなくても、行くさ。けどその前に一つだけ、聞かせてもらってもいいかい?」
 「…………」

  本部は答えない。
  それは好きにしろ、という意味合いの沈黙だと解釈して、神威は問う。
  挑発でもなんでもない、心からの疑問だった。

 「そんなザマになって、一体何を守るっていうんだい?
  化け物みたいな姿になって、自分さえ見失いかけながら、それで誰かを守護れるとか、まさか本気で言ってるわけじゃないよね?」

  たとえやむを得ない理由であろうとも、妖刀の力に手を染めた代償は軽くない。
  侵食は激戦の中で加速度的に進んでいき、同時進行で理性は狂気に挿げ替えられつつある。
  紅桜に内蔵された人工知能『電魄』。それが、彼を冒しているものの正体だ。
  今でこそそれに耐えられているが、それも長くは続くまい。
  この戦闘中耐え切れれば拍手喝采、しかしもう何時間、あるいは何十分かする頃には、彼は力に溺れた剣鬼羅刹と化している筈だ。
  当然、誰かを守護るだけの理性など……残っている訳がない。

 「……確かにあんたの言うことはもっともだ。俺は遠からぬ内に、ツケを支払わされるだろうぜ」

  本部もまた、自分の体を襲うものについては認識している。
  これが時間経過とともに、より激しさを増して自分を鬼に変えていくだろうことも。
  全て承知の上で彼は今、こうして夜兎族の戦鬼・神威と交戦している。
  ――そう、承知の上だ。どんな姿になろうと、どんな代償を背負おうと、全て承知の上。

 「…………それでも、守護るんだ」
 「意味分かって言ってる?」
 「おうさ」

  理屈が通らない。
  百も承知だ。

  矛盾している。
  知っていると言っている。 

  未来はない。
  だからどうした、関係あるか。

 「――それでも、守護る。たとえどんな姿になろうが、気が狂おうが、俺は全てを守護るのさ」

  本部は、そう断言した。
  紅桜にこうしている今も冒され、蝕まれ、その重大さを誰より知っている男が、理屈にならない馬鹿の理屈で吠える。
  守護る、と。
  それでも守護ってみせる、と。

 「……さあ、問答はもういいだろう。さっさとかかって来な。それとも、俺の紅桜(コイツ)に臆しちまったってことでいいのかい」

  話にならないね、と神威は困った風に笑う。
  しかしそこには、単なる享楽とは違う、苛立ちのようなものが垣間見えた。
  気のせいかもしれないが、本部には確かに、そう見えた。
  やはりこの男にも、何か事情がある――それを確信したからといって、話し合いの通じる相手でもないが。
  激しい戦いの中で所々が破けた日傘を構え、神威は再び飛び出す前に、本部へ言った。

 「あんたみたいタイプの馬鹿は、あんまり好きじゃないや」

  自然と、紅桜の柄を握る手に力が入る。
  紅桜の力は遂に、脅威的な程の領域へと突入した。
  だが、それで神威が弱くなった訳ではない。彼は相も変わらず強いだろうし、気を抜けば呆気なく殺されてしまうだろうことは明らかだ。
  地下闘技場で、二人の戦士の視線が交錯する。


  本部が神威の圧倒的な姿に、範馬勇次郎の面影を見たように。
  神威も本部の理解し難い馬鹿げた姿に、ある人物の面影を見た。
  ――頭髪の禿げた、一人の男だった。


 「それじゃ、俺もこっからは出し惜しみ無しだ」

  貼り付けた笑顔の底に、底冷えするような戦意を渦巻かせて、神威が日傘を構えた。
  本部は既に構え終えている。にも関わらず先手を取らないのは、今の神威を前に、迂闊に踏み込みたくないがためだった。
  出し惜しみはしない。その言葉はきっと、ハッタリではない。
  此処から先が、彼の本気なのだ。

 「守護るってんなら、やってみなよ。無理だと思うけどね」

  そいつは、やってみなきゃ分からねえぜ。
  本部はいつものように挑発を繰り出すが、その表情に余裕らしいものは皆無だ。
  ずっと戦っていて、一時は凌駕したと舞い上がりかけもした男が、違う生き物に見える。
  これが、神威の全力――……本部以蔵ですらも見たことのない、夜兎という名の先天的グラップラーが、春雨の雷槍が、遂に牙を剥く。

  衝撃波で地面を凹ませながら飛び出した神威は、目にも留まらぬ速度で本部の動体視力の遙か先を行く。
  本部は速度で勝つのは不可能と見るやいなや迎撃に徹し、威力を増した紅桜の一閃を一撃でもいいから当てることに腐心すると決めた。
  まだ、彼らの戦いは続く。どちらかが倒れるまで、終わらない。

  紅桜が。
  日傘が。
  虚空で交差して、あまりの衝撃波に天井のライトが幾つか粉砕される。
  降り注ぐ硝子の雨を演出効果として、二人のグラップラーが再び舞い始めた。

  たかだか硝子の破片と侮れば、死を見ることになる。
  空中から降ってくる無数の刃に等しいそれが血管を切って、人を死に至らしめるというのは、何も珍しい話ではない。
  だがそれはあくまでも、人間の尺度に合わせた脅威だ。
  元より宇宙最強の兎である神威と、人間を半分ほどはやめている本部には、それこそただの騒がしい演出程度のものでしかない。

  紅桜が虚空を薙ぐ。
  降り注ぐ硝子の、精々大きくても五センチ前後である破片が更に細かく切り裂かれて、透明な砂粒のようになった。
  本命の神威はその斬撃を潜り抜け、日傘で本部の眉間を貫かんとする。
  本部は読んでいたかのようにこれへ問題なく反応し、神威が以前やってみせたように、素手の拳を使って軌道を反らすことで完全回避した。
  此処までは双方、読み通り。
  回避を読んでいた神威は野生動物顔負けの瞬発力で本部の腹へ蹴りを見舞い、その体勢を崩す。
  そこに日傘を振り下ろすが、猛烈な反応速度で迎撃に出た紅桜がトドメとはさせなかった。

  紅桜が力を増している以上、激突となれば不利を被るのは神威の方である。
  神威もそれを察しているため、当然、接触時間は最小限に留めようとする。
  それでもなお、大きな衝撃が彼の体を襲った。
  襲った、程度で済んでいるのは、彼が規格外の実力者であるからだ。そうでなければ武器の日傘m諸共に、ひしゃげた死体が出来上がっている。

  対戦艦用機械機動兵器、紅桜。
  妖刀などというのは便宜上の呼び名に過ぎず、この仰々しい名前こそが正式名称だ。
  機動兵器の名に違わない破壊力を有しているだけあり、神威も考え無しには打ち勝てない。
  ある意味では、対価に見合うだけの力を齎す刀だ――驚くべきは、これほどの代物を鍛えた刀匠(おとこ)の執念である。

  距離にして数メートルほどを、神威は後退させられた。
  彼の間合いへ踏み込むのは、生半可な覚悟で出来る行いではない。
  それでも本部はこの隙を見計らい、攻めに出た。強気の姿勢でなければ、所詮はジリ貧だ。 
  紅桜を縦に振るうと床がそれだけで地割れのように裂け、神威は当然、それから逃れるために側方へと跳んで逃れる。
  襲い掛かって視界を潰す大小様々な瓦礫を日傘の一振りで払い除け、空へ跳躍する。
  次の瞬間、紅桜の刀身が、神威の存在していた場所を横薙ぎに通りすぎていた。
  もはや浴びれば死ぬと言っても差し支えのない一撃を、しかし神威は危なげなく躱していく。

  それでも、彼に防戦を強いているというだけで、当初の一方的な戦況に比べれば大きな進歩だ。
  今の本部以蔵は、間違いなく神威に喰らいつけている。
  夜兎族と地球人の間に存在する覆し難い種族の壁を、紅桜の圧倒的な力で詰めている。
  こうまで来れば、神威も本部を厄介な敵と見做し始めていた。彼も、いよいよ本気だ。
  尋常ならざる速度で放たれる本部の剣戟を、神威も同じく、尋常ではない反射神経で回避。
  空中を蹴るという埒外の離れ業でもって肉薄する神威の笑顔は、どんな獣の威嚇より恐ろしい。
  互いに、攻撃と回避の応酬だ。だが被弾数が多いのは、明らかに本部の方であった。
  息は喘鳴のように荒くなり、咳には血反吐が混ざっている。臓器を傷付けられているらしい。

 「これはどうかな?」

  曲芸のような宙返りから繰り出される蹴り上げ。
  本部の体が少し掠っただけで宙に浮く。
  そこを突くのは、ごく短い飛翔距離からのドロップキックという人外技だ。
  しかし本部以蔵も武闘家である。
  いくら超人芸とはいえ、動作を読むこと自体は容易い。
  それに紅桜を合わせることで、辛うじて攻撃を防御。文字通りの返す刀で、神威を弾き返した。

 「……甘ぇよ。年季が違うぜぇ」
 「ひゅー、かぁっこいい」

  その台詞が、殆ど虚勢と言ってもいいものであることは、当の本部が一番よく理解していた。
  経験した場数の差は戦況を分ける。ただ、どんな戦いにも質というものはあるのだ。
  質の低い戦いを千重ねても、質の高い戦いを百重ねた経験に届かないことも、ある。
  この神威という男は、まさに怪物。本部の戦ってきた相手よりも、彼の戦ってきた相手は水準が上なのだ、恐らく。

  振るわれた紅桜を、神威が自分の得物で止めないようになった。
  これ以上の接触は、武器ごと体を切り裂かれる可能性がある。
  武器が壊れたなら取り替えればいいという話ではなく、そのまま押し切られる可能性が出てくる以上は、競り合えば競り合うだけ不利になる。

  本部は自分の意図していた所を見破られたことに気付き、静かに歯噛みする。
  彼はまさに、武器ごと神威を撃破することで押し破る算段を立てていたのだ。
  速度で神威が本部に勝っている以上、自分が勝てる力勝負へと誘導したかったが、そんな簡単な手に掛かってくれる相手ではなかった。
  飛び回って本部を翻弄する神威の姿は、野山を駆け回る兎によく似ていた。
  しかし兎は兎でも、彼は夜兎。宇宙にその名を轟かす、猛禽さえ食い殺す肉食だ。

 「む……ッ」

  紅桜が巻き上げた粉塵を目眩ましに舞い上げて、神威は本部の刀を持つ腕を蹴り抜く。
  骨が折れなかったのは、紅桜から伸びた触手が、本部の腕を覆ってくれているおかげだった。
  何とも不本意な鎧だが、これがなければ本部はもう刀すら握れないだろう。
  増強された腕力で強引に紅桜を引き戻し、どうにか胴を抉られるのは免れた。
  続く日傘の突きも、紅桜で弾く。火花が散って、小気味いい音が奏でられる。
  寄ってくる羽虫を払うがごとく紅桜を振るえば、神威は面白いほど簡単に吹き飛んだ。
  力が明らかに増している。
  本部以蔵が担った紅桜は、かの人斬り似蔵が担ったのと同じか、それ以上の力を発揮していた。
  本部が武器というものを扱うのに長けている以上に、環境が良すぎる、というのが理由だろう。

  相手は夜兎、それも、その中でも限りなく最強に近いだろう戦闘の鬼だ。
  彼に付いて行くには、生半可な力ではいけない。
  如何に対戦艦を謳う兵器であろうと、半端では逆にへし折られる。
  信じ難いが、これが現実なのだ。春雨の雷槍は、妖刀よりも遥かに強い。
  熱を増し、加速する戦場に適合するために、紅桜は更に更にと力を増し、成長していく。
  ……代わりに、本部以蔵の精神を、通常の数倍の速度で蝕みながら。
  正しくこれは、捨て身の奥義に違いなかった。
  本部の了解など得ず、ただ力だけを供給し続ける――怪物。寄生生物。

  それでもなお圧倒されていない神威は、もはや規格外の言葉ですら生温い。
  紅桜の攻撃は速度も威力も増している。通常の侍ならば、一太刀すら見切れないほどにだ。
  では何故神威が反応できているのかといえば、並外れた動体視力。
  そして、本能的な反射神経の最大活用であった。
  敵の攻撃を見極めるよりも速く動き、動いてから見極めて避ける。謂わば、必ず先手を取る。
  語る分には簡単だが、実践できる者など殆ど居ないであろうそれを見事、確実にこなしている。
  それが、神威の強さの秘密であり、この戦いの正体とでも呼ぶべきものだ。

  地下闘技場の内部は、もはや爆発事故でも起きたのかという有様になっていた。
  観客席もリングも関係なく繰り広げられる戦いで、場内は大破状態。
  これでもなお戦いの勢いとしては途上だというのだから恐ろしい。
  少なくとも紅桜の、巨大な戦艦すら文字通り両断してしまえるだけの力が十全に発揮されれば、間違いなくこれだけでは済まないだろう。
  当然神威もそれに合わせて戦闘範囲を広げるため、この闘技場に倒壊以外の未来はない。

  神威が飛んで、本部が追う。
  空中で火花を散らす両者の戦いは、もはやグラップラーとすら言い難い。
  限度を知らず過熱していく殺し合いの中で、神威も、幾つかの小さな傷を負いつつあった。
  ……この期に及んでやっと、小さな傷を、である。

 (ちったぁ、限度ってもんを知ってくれよ……ッ)

  本部がそう思ってしまったのも、無理のないことだろう。
  既にどれだけの時間戦っているのかすら分からない。
  体力は幸いまだ有り余っているが、肉体の、謂わば耐久値とでも呼ぶべきものはそうではない。

  神威は本部の一刀で吹き飛ばされたかと思いきや、その先にあった壁を蹴ることで再び追い付いてきた。
  これにはさしも本部も瞠目し、対応が遅れる。
  痛烈な蹴り上げが彼の体を折り曲げ、天井に衝突させる――寸前、紅桜を振るって天井を破壊し、背中に受けるダメージはどうにか無効化した。
  その時の斬撃が地上にまで届き、上階部の屋根まで突き抜けたのを、本部は知らない。
  神威のように、天井や壁を足場にして戦うような超人芸は出来ない。
  本来であれば、こうして空中戦紛いの真似をすることさえ、本部には不可能だったろう。
  それを可能としているのは、紅桜というただ一本の刀だ。
  これがなければ本部は、これまでの時点でも既に少なく見積もって三回は死んでいる。

  もはや落下することに躊躇ってはいられない。
  変わらない笑顔で迎え撃たんとする神威に一撃当てること、それだけを考え腐心する。
  落下の衝撃を紅桜の刀身を突き立てることで緩和、地面に神威よろしくクレーターを作りながら、ぶおんと盛大な音を伴って刀を振るった。
  神威の腕に、余波のみで裂傷が走る。
  だが傷の対価として、神威は本部への接近を果たすことに成功していた。
  ぎゅおおんという、およそ人体からは決して鳴らないような音と共に放たれた回し蹴り。

 「おっ」

  驚きの声をあげたのは、神威の方だった。
  人体を軽々吹き飛ばす威力を秘めた蹴りを、本部は紅桜の刀身を盾代わりにして衝撃を殺しつつ、右腕を覆う触手で受け止めてみせたのだ。
  無論彼に通ったダメージも少なくないが、このくらいは必要経費というもの。
  それから神威の胸倉を掴めば、本部は今度こそ、柔術の要領で彼を地面へと叩き付けた。
  渾身の入りだ。神威の額から、一筋の血が流れ落ちる。

  しかして、神威も只ではやられない。
  胸倉を掴まれた時点でこれからどうなるのかは読んでいたために、対処は容易であった。
  受け身も取れず硬い床に叩き付けられたのだから無傷では済まないが、此処での対処とは、そこからの立て直し方の話だ。
  投げ終え、本部が自身の衣服から手を離した直後に、その腕を掴み返す。
  柔術家として経験したことのある場面ではあったものの、相手が相手だ。これまでのセオリーなど、通じる方が珍しい。

 「ぐううッッ……!!」

  本部の内臓の幾つかを間違いなく潰したのは、神威の強烈な膝蹴り。
  本部以蔵ほどの男をして、内容物を全て吐き出し、その場へ蹲りたくなるほどの衝撃だった。
  今頃体内では内出血が起き、本当ならすぐにでも病院へ搬送しなければならない有様が展開されているだろうことは想像に難くない。
  されど、と、本部は膝を突きながらも倒れることだけは堪えた。
  吐血の量はこれまで以上に増えていたが、自分の体のことを案じている暇すら、もはやない。
  追撃の日傘が振り下ろされる。紅桜で止めるには間に合わないと判断し、転がっての回避。
  その時、腹に響いた鋭い激痛に、本部は皺の目立つ顔をぐしゃりと歪める。
  明らかに、内臓が危険信号を訴えている痛みだった。

 (……こいつぁ、ちと急がなきゃあならねェかもしれんな)

  本部のそんな思考を読み取り、呼応するように。
  右腕から胴の半分ほどまでを呑み込んだ紅桜が、怪しく蠢いた。


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156:万事を護る者 本部以蔵 170:憧憬ライアニズム Daydream
156:万事を護る者 神威 170:憧憬ライアニズム Daydream