咲からば、さあ―――『この■が届くまで』 ◆NiwQmtZOLQ





蒼い光に吹き飛ばされ、ごろごろと地面を転がった。
何が起こったのか、全く以て分からなかった。
さっきまで、私は風先輩と話していた筈だ。
そして、風先輩が、「さよなら」と言って何かを呑んで─────

「─────■■………!!」

そこで、思考は一度遮られる。
未だに燃え盛る炎の中から、三本の短刀が放たれたのだ。
後方へ跳んで何とか回避し、ふと違和感を覚える。
風の精霊、鎌鼬の力として使える短刀は、白を基調として黒と黄色の模様が描かれている。
だが、今こちらに向けて投げられたこれは、それとは形こそ似通えど非常に異なっていた。
刃や持ち手は白から黒に、黒く塗られていた部分は真赤に変わり、唯一変化していない黄色の部分とその形状だけが同一のものと主張していた。
そして、何よりも。
発するその邪悪な気配が、犬吠埼風の使っていたそれとの決定的な違いだった。

その身を包む焔は、最後に一際強く燃え上がったかと思うと、辺りへと飛び散って消え去り。
そこにいたのは、もう『犬吠埼風』では無かった。

魔王。
そう形容するに相応しい禍々しさを漂わせ、傲然と構える少女の悪魔がそこにいた。


「…………我が名は、ゴールデンウィンド」


何を以て、彼女はそう名乗ったのだろうか。
或いは。
或いは、犬吠埼風の残り滓が、せめてそうあってくれと願ったのだろうか。
黄金の風を自称する、魔王であれと。
勇者を斃し、「彼女」を生き返らせる為の、魔王たる存在であれ、と。


今となっては、知る由も無い。


「─────ゥォォオオオオオオオオオオオッッッッ!!!」

高らかに咆哮を上げて、魔王が一直線に友奈へと向かう。
彼女が誇っていた大剣もまた、その彩を邪悪に変化させている。

一切の躊躇無く振り下ろされた剣を、渾身の力で踏み止まって受ける。
が、先の攻防でとうに限界を迎えていた身体は思うようには動かない。

一撃目、辛うじて踏みとどまり、防ぎ切る。
二撃目、先程より更に重い一撃によってバランスが崩れ。
三撃目、それでも何とか刃から身を守り─────吹き飛ばされた。
ボロ屑のようになって叩きつけられる少女へと、魔王は一歩一歩ゆっくりと歩いていく。
片腕で何とか立ち上がり、どうして、の形に口が動く。
しかし、魔王が耳を傾ける筈もない。
当然だ、魔王に勇者の言葉へ傾ける耳もない。
それに。

「■■■■■■■、■■■…………」

─────勇者も、最早言葉を持ってはいない。
彼女が散らしたのは、勇気に溢れていたその声。
犬吠埼風に何より伝えたかった、その声は、散った。
そこは奇しくも、犬吠埼樹と同じ場所で。

それを、或いは察したのか。
友奈が口を開いた様を見ていた魔王は、何かに苛立つかのように雄叫びを上げる。
最早人間から発せられるかどうかも怪しまれるような声を出して、大剣を一際大きく振り被る。
それを見て、友奈は何とか足に力を込める。
全力で地を蹴り、一先ず距離を取った友奈は、その跡を見て目を見開いた。
コンクリートの地面に、大きなヒビが走っている。
それまでの風とは比べ物にならない、躊躇いの一切ない全力の一撃。
その威力に驚愕し、束の間動きを止める友奈。
僅かなその一瞬は、しかし迷い無く殺意を向ける今の魔王には十分過ぎた。
一気に間を詰められ、慌ててもう一度跳ぶも既に遅い。
至近距離で追い縋り、身体を捻る魔王に、不味い、と思う暇もなく。
精霊の壁を隔てても尚強力な痛打が、友奈を先程開いたマンションの穴へと吹き飛ばした。
─────まだ、死んではいない。
そう判断したのか、魔王は穴の空いたマンションへと歩みを進める。
その一足一足に、燃え盛る花弁が湧き上がる。
魔王の一挙一動に、総て青白い炎が付いて回っていた。
それは、カタバミの花弁が燃える様。
その姿は、正しく魔王に相応しき禍々しさを振り撒いていた。

悪魔となり、魔王となったゴールデンウィンドは止まらない。
その身が如何に疲労困憊を呈していようと、止まることなく勇者を殺さんとする。
立ち塞がった勇者を殺す、その為に勇者の姿を探して歩みを進める。
その理由は、恐らくは─────やはり、世界への、神樹への、そして自分への怒り。

樹がもういない世界に憤り。
樹から声を奪った神樹に怒り狂い。
そして、樹を巻き込み、皆を巻き込んだ自らへと、更に呪いを募らせて。
言わずもがな、それはとことんまで身勝手で自己中心的な思考に他ならない。
何せ自らを呪うその為だけに、自らを慕う人間を殺すのだから。
願いに最悪の形で応える、まさしく悪魔の所業。
そして、それを成すのもまた、悪魔となった彼女自身だったというのは、つまりそういう運命だったのかもしれない。


地上から大きくジャンプし、マンションの壁の残骸に足を乗せる。
吹き飛ばされた友奈と思しき血痕が残り、続く先にある窓のところでそれは途切れている。

穴の内側を見ると、そこはちょうど居住スペースの一室だった。
友奈の姿が見えないと判断し、ゆっくりとその中へ足を踏み入れる。
見逃さぬように油断無く目を配りながら、間も無く魔王は通路に続くドアが開いていることを認識し。
外へと踏み出してそう時間が経つことなく、その目に蹲る少女の姿が映った。
尚も座り込み、変身も解除されている。
前のめりに、何かを食い入るように見ているのか、しかし変身する気はないのか。
そんな思考のみが頭に浮かび、結果的に選択されたのはこのまま暗殺を仕掛けるというもの。
感傷など、悪魔と化した真なる魔王に残っている筈が無い。
ただ欲望の為に必要なことだけを遂行する、無情で合理的な思考のみが残っていた。
だから、何の躊躇いも無く。
音を立てず、狙いを定め、剣を振り上げ。
そのまま、勇者に変身してすらいない無防備な背中へと振り下ろして。


刃が、止まった。





倒れ伏した友奈の変身は、解けていた。
気絶していたのはほんの僅かな時間だと分かったのは、すぐそこにあった端末のおかげ。
何らかの拍子にスイッチが押されたらしく、ホーム画面のみが表示されていた。

──────まだだ。

端末に手を伸ばし、しっかりと握りしめる。
まだ倒れる訳にはいかない。
ボロボロの身体を引き摺るように立ち上がろうとして、左手が無く上手く立てない事に気付く。

─────まだ。
─────まだ、倒れる訳には、いかないのに!

まだ、すぐその辺りには風がいる筈だ。
止めなければ、そして、いつもの風先輩に戻ってもらわなければ。

その想いをただひたすらに掲げ、
ほんの少しずつ身体を動かすも、その動きは本当にほんの僅か。
絶大な疲労とダメージに軋み、力を込めた事で左腕のあった場所からは血が一層強く溢れ出す。
それでも何とか上体を起こし、スマホを掴み─────震える手でつい操作に失敗する。
代わりにその画面に現れたのは、いつの間にか受信していたらしき映像。
こんなものがあったんだ、と、その画面を覗き込んで。

『─────あ、ええっと……これでいいのかしら?
いきなりでごめんなさい、放送局から放送しているわ』

そこに映った夏凜の姿に、呆気にとられた。
何でこんな、と驚きながら、一分かそこらの放送に見入る。
暫く続いたその放送は、ある特定の誰かを呼び掛ける目的だったようだけれど。

『最後に―――――東郷、それに風。あんまりバカなことはやめなさい。
友奈、私はちょっとここから動くかもしれない。また連絡するわ。
それじゃあ、また』

最後の、その一言に。
彼女の身体に、温かい力が生まれたような気がした。

─────うん、そうだ。
夏凜ちゃんだって、頑張っている。

背中を、押されたような気がした。
今そこにいる犬吠埼風を、何としてでも救え、と。

言われた通り使えるようになっていたメール機能を使い、床に置いて右手だけで何とか打ち込んでいく。

『坂田銀時っていう着物を着た人と、絢瀬絵里っていう名前の金髪の人は信用出来る人。
私は行けなくなったけど、その二人が向かってるよ!
今、風先輩を頑張って説得してるから…だから、絶対にそっちに連れていくよ!
だから、待っててね!』

メールを送り、目を瞑る。
勇気が湧いてくる、そんな気がした。
今も、夏凜が、仲間がついていてくれている─────そんな感情が、湧き上がってくる。

さあ、行こう。
勇者は諦めない。
諦めて、たまるか。
殴ってでも、何をしてでも、私は──────



 風先輩を、止めるっ!
「■■■■、■■■■!」



何故かと思考を巡らせるよりも、現実を認識する方が早い。
目の前に迫る、ただの女子中学生の右脚。
軽く受け流そうとして左手を伸ばし、触れ合って─────手が、吹き飛ばされる。
魔王の左手を弾き飛ばしたのは、一瞬前まで存在したローファーではなく、勇者がその身に纏う春色の具足。
更に身体を捻り、立ち上がりながら再び右拳を構える勇者の姿に、魔王は一度距離を取る。
拳が空を切り、大気が振動する。
地面を踏み締めた左足と、いつでも放てるように構えられた右拳に、武装が次々と装着されていく。
一箇所一箇所に身に纏う度、桜の花弁が吹き荒れる。

地を蹴った。
真っ直ぐに飛ぶ彼女の髪が、その色彩を変えていく。
塗り替えられるその色は、春を彩るに相応しき花の色。
「貴方に微笑む」、その花の色。
桜色。

分かっている。
今の自分には言葉が無く、今の風は聴く耳を持たない。
ならば、この声を、この想いを届けるにはどうすればいいのか。
─────この拳に乗せて、直接叩き込む。
単純明快、分かりやすい。
それに、今の風を、魔王を見るたびに、思う。
どんな姿になろうとも、どんな意志を持とうとも。
犬吠埼風は、犬吠埼風でしかないのだ。
その本質は、彼女の本当に本当のところは、変わっていない筈だ。
そうで、なければ。
魔王が、残滓の涙など、流す筈もないのだから。

拳を振り上げると同時に、華々しき衣装がその身を包む。
髪留めが光に包まれ、純白の桜の花弁を象ったそれへと変わる。
そうして、彼女はゆっくりと─────『勇者に成る』。
さあ、する事は簡単だ。
真正面から、想いを込めて。


――――――――――ぶん殴れ。


 勇者、パァァァァァンチッッッ!」
「■■、■■■■■■■■■■■!」

精霊ガードごと、魔王の身体が後方へ吹き飛ばされる。
そのまま壁に打ち付けられ、それでもゆっくりと立ち上がる魔王の、その視線の先に。

勇者は、ただ凛として立っていた。


壁から抜け、魔王が再び飛びかかる。
手に持つのは、この狭い場所では振るい難い大剣ではなく、鋭い日本刀。
片腕を構え、友奈もそれを真っ向から迎え撃つ。
─────響く、甲高い音。
勇者の拳が切り捨てられる事は無く、僅かに魔王の刀が欠ける。
何とか打ち返したその隙を突くように、友奈の蹴りが風に届く。
再び吹き飛んだ風は、しかし先と同じように壁に叩きつけられはしない。
短刀を突き立て、それに掴まりながら壁を蹴る事で、
並外れた身体能力で、無理矢理技術を補った形になる跳躍。
それを繰り広げながら、魔王は屋外へ─────自分の得物である大剣が使いやすい場所へと場所を移す。
それは、魔王の直感か、或いは友奈の性格を知っている風の残滓の一端か。
ともあれ、そのまま見逃す事なく、友奈が追ってきたのは確かだった。
マンションの屋上から尚も飛び降り、その目の前の道路へと降り立つ。
勿論、友奈もそれに続いて飛び降りる。
壁を蹴って更に勢いをつけ、一直線に風へと拳を振り下ろす。
着地後に一歩退いた風の懐へとここぞとばかりに潜り込み、更なる拳を顔面へと放つ。
入った、という感触。
一瞬弛緩した身体は、しかし否応無く緊張状態へと逆戻りした。
拳が進んでいない。見上げてみれば、拳を射殺さんばかりに見つめ、全力でその場に踏み止まっている風の姿。
その目線が自分へと向けられた瞬間、直感のみで危険を感知する。
すぐに飛び退けば、風の腹部から─────正確には腹部に備えてあったらしき黒カードから、いつの間にやらカードに戻してあったらしい日本刀が一本突き出している。
僅か一秒でも回避が遅れれば、そこにあったのは串刺しにされた己の頭部。
危なかった─────その安心が、命取りとなった。
そのまま溢れ落ちる日本刀を、魔王は友奈へと蹴り飛ばした。
ほんの僅かとはいえ警戒を解いていた友奈の回避は間に合わず、また勇者の脚力で蹴られた刀のスピードに弱体化させられた精霊が間に合う訳もない。
胴体へと突き刺さり、重要な臓器を貫いて止まった日本刀を、しかし意に介している暇さえない。
元々の得物、大剣を振り翳すゴールデンウィンドの姿を確認し、激痛に構わず地を蹴った。
そのまま放った後ろ蹴りで追撃を弾き飛ばし、僅かに距離が取れたと見るや否やすぐに腹部に生えた剣の柄を握る。

「■■……■■■■■■■■■■■■■■!!!!」

もしも彼女が声を失っていなければ、何処まで届いたか検討もつかない絶叫が響き渡る。
痛い、痛い、痛い、でも─────風先輩も樹ちゃんも、もっと痛い。
全力で己を鼓舞し、前を向いて。
すぐ目の前に迫る魔王に、抜いたばかりの日本刀を突きつける。
万が一そのまま突っ込んで来ても刺さりはしなかったろうが、僅かな逡巡の後に姿勢を逸らして攻撃方法を変えた。
日本刀をそのまま放り投げ、魔王の迷いと行動の変化から出来た隙を活かす。
本来なら、武術の訓練をしている友奈と言えどそう簡単に突ける隙ではない─────しかし、相対する魔王の戦闘経験はどうか。
大赦の勇者として選ばれたとはいえ、妹の世話や一家の家事をこなし、訓練すら大して受けていない風の戦闘経験だけをとってみれば、友奈以上にたかが知れている。
魔王となって彼女が変化した点と言えば、明確な殺意をこちらに向けるようになった、ただそれだけだ。これまで出来なかった異常な技術や、思いも寄らぬ機転を次々と生み出す頭脳が追加されている訳ではない。
更に言えば、聴覚という、戦闘で言うならば視覚に次いで重要な部位を散華している魔王に比べ、友奈の散華箇所は声─────直接的に戦闘に関与する訳ではない場所。
だからこそ、風を殴り倒してでも元に戻すという信念を宿した友奈が食らいつく余地はある。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

尚も雄雄しく雄叫びを上げるように口を開き、次なる攻撃を仕掛けようとする。
放つのは、近寄ってからのシンプルな拳一発。
彼女の誇る最強の武器に、風を想う心の底からの想いを込めた一撃を撃ち放とうとして。

ぐらり。
身が、入らない。
どうしてだ、と考えて、原因にもすぐに辿り着く。
身体のバランスが、全く違う。
左腕を失ったせいか、大きく感覚が変わっている。
僅かに狙いがずれ、魔王の一撃が真っ直ぐにこちらを捉えようとする。

だが。
分かりきった問いだ。
ここまできた勇者が、たかがその程度で諦めるだろうか。

「■■■■■…………、■■■■■■■■■■!!」

当然、否。

気合いと根性と精神力を振り絞って、その拳を振り上げる。
奇しくも、攻撃を仕掛けようとしていた魔王の隙を突く天然のカウンター。
不意を突いたその一撃に、魔王は数歩後ずさり、しかし命中の未来が変わる事は無く。

しかし、それは思いも寄らぬ方向へと進む為の、もしかしたら最後の分水嶺だった。

その拳が、風の鳩尾を捉えた。
数歩よろめくと同時に、風の変身が解除された。

―――――しまった。

狙いが、上手く定まらなかった。
想像もしない強い一撃が入ってしまった事に、友奈は焦りが先に来た。
大丈夫か。
そう思って、友奈は駆け寄った。

或いは、先のやり取りから、友奈が僅かにでも冷静な観点を持ち合わせるようになっていたら。
慎重になりながら、風を一旦捕らえる事に主眼を置いていれば。
最後の分岐点に、なっていたかもしれなくて。

けれど。
彼女にとっては、結局のところ魔王の姿をしただけの、大切な先輩で。
それを傷付けてしまう事を恐れてしまうくらいに、大切に彼女を想える勇者だった。





勇者は、駆け寄ったそこで。
魔王の、歪んだ笑みを見た。



─────何。



それで一歩、たたらを踏んで。



─────何を。



近付いてくるこちらの腹部に手を伸ばす風に、疑問を抱いて。



―――――まさか。



とっさに導き出した答えに戦慄して。



─────まずい。



踏み込んだその足で逆に地面を蹴り、距離を置こうとして。





それでも、魔王からは逃げられなかった。


魔王が友奈へと肉薄し、その腹へと片手を押し付ける。
それと同時に、隠し持っていたスマートフォンが輝いた。


ズブリ。


嫌な音が、聞こえた。

目線を落とすと、そこにあったのは─────左肩の付け根から右の腹部まである刃渡りの刃が、自分の身体を貫いている姿。
身体が半分にならなかったのは殆ど奇跡といってもいい。あとほんの少しでも大剣が水平に近かったならば、間違いなく彼女の身体は泣き別れになっていただろう。
しかし、そうでなくともその傷はどこからどう見ても致命傷で、百人医者がいても匙を投げ、助からないと太鼓判を押すだろうもの。
─────肉薄してからの変身、そして武器の召喚。
制限のせいで体内にまで及びようがない精霊の護りを、効率的に突破できる糸口。
魔王の選択したその行動は、油断を誘って隙を突くという、彼女にとっては非常に幸運にも、性善を信じる結城友奈にとっては効果が絶大である手段だった。
そのまま両断しようとする大剣をなけなしの力を振り絞って食い止め、そのまま地を蹴って、何とか身体から刃を抜き出し。
迫る、
最早防御が間に合う筈も無く、辛うじて精霊だけが立ち塞がり。
それでも、勢いが殺しきれる事はなく─────人体から出るものとはおよそ思えない異音を立てて、勇者は大地を転がった。









─────勇者は傷付いても傷付いても、決して諦めませんでした。


─────諦めてしまったら、本当に彼女の心が闇に閉ざされてしまうからです。

─────だから勇者は、決して諦めませんでした。


─────魔王に相対している勇者は、一人ぼっちでした。


─────勇者が一人ぼっちであることを、誰も知りませんでした。


─────一人ぼっちで戦って、それでも勇者は、戦う事を諦めませんでした。


─────諦めない限り、希望が終わる事は無いからです。


─────全てを失っても、それでも。


─────それでも勇者は、一番大切な友達を、一番大切な仲間を、失いたくありませんでした。


─────だから。


─────だから、一人ぼっちの勇者に教えてあげよう。


─────一人じゃないと、彼女と同じ拳を掲げて、応援の声を届けよう。




─────頑張れ、頑張れ、と。

辛うじて即死は免れていたらしい、だが─────このまま放っておけば死ぬ。
誰の目にも、歴然としていた。
下手な動きをすれば、そのまま千切れ飛ぶようなその身体を、魔王は既に見ていない。
見て、いなかった。
犬吠埼風ならば、見ていた筈だ。
彼女が演じる『魔王』ならば、それでも目を離す事はしなかった筈だ。
彼女達は、目を背けないだろう。
結城友奈の死に、悩み、苦しみ、そのどうしようもなく己の中で巻き起こる罪悪感を、それでも犬吠埼樹の為だという志を貫くことで、乗り越えて先に進んだ筈だ。

けれど、いまここにいる彼女は、そのどちらでもない、魔王。
魂を闇に染まらせきった、勇者部部長の姿を完全に捨て去った、魔王。
一切の余念を捨てた彼女には、そうやっていとも簡単に、あっさりと友奈の死を受け入れる。
そこに抱くべき感傷も罪悪感も、悪魔であるゴールデンウィンドが最早感じるわけがなかった。

だからこそ、彼女は見なかった。
結城友奈が、その身体を半ば千切れさせながらも、その拳を掲げて跳ぶ姿を。
音も聞こえず、鼻も利かず、唯一残った視覚を背けていたゴールデンウィンドが、ギリギリまでそれに気付く事はなかった。
傷跡から鮮血や、漏れてはいけないものすら僅かに溢れ、それでも雄雄しく叫ぶように口を開いて拳を振り上げる友奈の姿。
迫る裂帛の気合いを背筋で察して振り返り、その姿を見て驚いたように目を見開く魔王。
その一瞬が、魔王の命運を決めていた。
大剣が取り出されるよりも、短刀が投げられるよりも速く、友奈の拳は風の顔面に突き刺さった。


 私、は
「■、■」

言葉と共に、血反吐を吐く。
一撃一撃ごとに、身体のいたるところから音がする。
ぶちりぶちりという、血管や筋肉や神経が千切れ飛ぶ音が。
今すぐにでも息を引き取ってしまいそうな様相を呈して、それでも勇者は撃ち放つことを止めない。

この分からず屋の先輩に、拳を届ける為に。
二発でダメなら、三発で。
三発でもダメなら、五発で。
十発で、百発で、千発だってぶつけてやろう。

 讃州中学、勇者部………っ!
「■■■■、■■■………■!」

魔王と共に、勇者は真っ直ぐに突き進む。
魔王が撒き散らす、星のように輝く火の粉すら霞むように、山桜の花弁が吹き荒れる。
傷だらけになりながら尚、友が為に無限に湧いてくる根性を、満ち溢れる力へと変えて。
牛歩の歩みだった一足一足を、やがて光を纏う走りへと変えて。



 ─────勇者!!結城、友奈だああああぁぁぁぁっっ!!!
「─────■■!!■■、■■■■■■■■■■■■■!!」



足は進む。
腕も動く。
動かない、わけがない。
何故なら、
友を想う心が、信じられる仲間を想う心が、彼女の心に無限の根性を生み出す。
だから、勇者は決して負ける事なく突き進む。


だから。
この拳よ。
この思いよ。
この願いよ。


─────この、声よ。


 ───────────届けえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!
「───────────■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!」





─────やがて。
鮮血と灯火と花弁からなる鮮やかなグラデーションに彩られながら向かう二人の先にあったのは─────小さな、公園と言うのも憚られる程に小さな、原っぱ。
緑色の絨毯に紅いラインを引きながら、その中心で。
友奈が、最後の拳を振り抜いて、そうしてようやく二人は力尽きた。




いつしか、自分が生きているということに気付いた。
多分、あれからまだそう時間は経ってはいまい。
何と言っても、これだけの重症を受けた自分がこうやって生きているのだ。
如何に根性があっても、死んだ人間は生き返らない。

ああ、私は─────死ぬんだろうな。

そう思う。
当たり前だ。
こんな身体にまでなって、意識を取り戻せたこと自体が殆ど奇跡に近い。
本当なら、あそこで貫かれた時点で死んでいなければおかしい。

ならば。
生きている自分が、結城友奈が、最期に出来る事は何か。

変わらない。
目の前の先輩を、救う事だ。
まだ、生きている筈。
殺すつもりで殴ってはいないし、精霊の護りの事も考えれば生きている筈だ。
血に濡れた、半分だけの視界で。
紅でぼやけたその視界で、何とか前を見ようとして。

犬吠埼風の笑顔を、そこで見た。

……………風、先輩。

なあんだ、と笑う。
もう見えない左目と、血で塗れた右目じゃあ、上手く見えないけれど。
その表情を見て、友奈は笑った。
犬吠埼風の、犬吠埼風としての笑顔を見て、彼女は嬉しくて、笑った。

─────さあ、行って下さい。
東郷さんも夏凜ちゃんも、待ってますよ。

手を伸ばして。
笑顔を見せて。
しっかりと、その背中を叩き、最期に自分の勇気を託そうとして。
何かを言おうとした口から、これまでとは比べ物にならない程の鮮血が漏れて。
それでも、その笑顔だけは崩さないまま。
最期に、燃えるような熱さが、一瞬だけ身体の中心を貫いた気がした。




………それが、本当に最後の最後だった。


そうやって、勇者・結城友奈は、勇気に溢れた勇敢なる勇者は、死んだ。




─────まだだ。

拳を受け続ける魔王の中で、何かが叫んだ。

まだ、終われない。
だって、あの子をまだ救えていない。

やがて、身体が後ろへと傾き、何が起こったと思った時には既に倒れていた。
最後の勇者の拳に、自然と限界に達した身体が動きを停止させていた。
それでも、執念は止まる事はない。
友奈は死んだ、或いはもうすぐ死ぬ筈だ。
ならばそれでいい。ほんの少しだけ体を休めるのも、魔王には必要だ。
悪魔としてのそう告げる本能に身を任せ、ゆっくりと意識が溶けていく。

そして。
次に、意識が戻ったその瞬間に。

─────もう、いいんだよ、お姉ちゃん。

聞こえる筈のない声が、聞こえた。
もう何も聞こえない筈の耳に、何よりも聴きたかった声が、届いた。
何処にいるかは分からないような空間にいて、聞こえるのは樹の声だけ。
そんな不思議な世界で、風はただ、その言葉を聞いていた。
本当に久し振りに聞く、本当の樹の声を。

─────お姉ちゃんが、これ以上戦う必要なんて、ない。

違う。
それじゃあ、駄目なんだ。
ゴールデンウィンドは吼える。
魔王が望むのは樹がいる世界で、その為に壊すのは樹がいない世界。
そうでなければ、ならない─────

─────ううん、違うよ。

そこで、声が途切れて。
ふと、懐が熱くなった。
何だろうとただ疑問に思い、熱を発するそれを取り出して。
そこに入っていた、犬吠埼樹の魂が閉じ込められた、白いカードを見つけて。
魔王には、そこに描かれた彼女の顔が、微笑んだ気がした。

─────歌手にも確かになりたかったけど、それよりも、私は。

─────勇者部の皆がいてくれたら。お姉ちゃんが、いてくれたら。

─────私は、それだけで幸せだよ。

―――――だから、お姉ちゃん。



─────だからもう、お姉ちゃん自身を許してあげて。




結局のところ。
犬吠埼風は、ただその責任が辛かっただけなのだ。
誰よりも大切な犬吠埼樹の声を奪った、その責任が。
それを覆す為に、自らが巻き込んだに等しい東郷や夏凜、そして友奈を殺すという責任。
何もかもが自分のせいで、その為に全てを壊さないといけないというマッチポンプ。
それが何より重くて、逃げたくて、でも逃げられない。
彼女がどうあったところで、世界は彼女に責任を強いていた。
それが、原点。
歪みきってしまった魔王の、『魔王』の、それが原点だった。



「なあんだ」



魔王・ゴールデンウィンドは─────違う。
『魔王・ゴールデンウィンド』は─────それも、違う。

犬吠埼風は、最後に届いたその言葉を、最期に届いたその声を聞いて、だから心の底から笑った。
多分一番聞きたくて、だからこそ聞くわけにはいかないと思っていた言葉を聞いて、涙をぼろぼろ流して泣きながら、ゆるゆるになって溶けてしまうような笑顔で、笑った。

なんだ。
それで、良いんだ。
たったそれだけで樹が笑ってくれるのだとしたら、悩む必要なんて一切なかったじゃないか。
何十の屍を積み上げること無く、ただ─────私がいなくなる程度で彼女が帰ってくるのなら。
私が樹にした、してしまった事を償うのに、たったそれだけで良いのなら。

「ありがとう─────今行くよ、樹」

そこにいるのなら、私がそっちに行く方が、早いわね。

そうして魔王は、右手に再び刃を生み出した。
ゼロ距離で生み出されたそれは、精霊の護りを通す事なく、その身体を、胸元の白いカードごと貫いて。


魔王、或いは『魔王』、或いは─────犬吠埼風は、そうやって死んだ。



それは、或いはただの幻聴だったかもしれない。
或いは、散華した箇所の『魂』が、先にカードに入り、そしてそれか何らかの誤作動で、同じく持っていた白カード─────犬吠埼樹の白カードへと誤って吸い込まれていたのかもしれない。
或いは、これもまた誤作動で、犬吠埼風自身の魂が犬吠埼樹の白カードへと混入してしまったのかもしれない。

その真実は、散ってしまった花以外に知るものは無かった。







―――――一つだけ
一つだけ、ただ事実のみを書き記すのであれば。

二人が倒れたその叢には、花が咲いていた。
クローバーが一面に絨毯のように敷かれた小さな広場の、一本の桜の大樹が堂々と構えるその袂に。
真っ白な、一輪のナルコユリが。

そして、やがて風が吹いた。
ほんの僅かなそよ風は、小さなカードを吹き飛ばすには十分過ぎて。
もはや力が入っていない彼女の手からふわりと浮いたカードと、彼女自身の腕輪から外れてやはり同じように風に吹かれたカード。
その二枚が、二枚ともそのナルコユリの近くへと飛ばされて。
偶然か必然か、丁度絵柄の面どうしが被さるように、重なったということ。

それだけは、誰が何と言おうと決して揺らぎようがない、事実。

ご都合主義だとしか思えない、奇跡だけがそこにはあって。
けれど、勇者と魔王の御伽噺には、そんなご都合主義があふれていて。
だからそれは、きっと、導かれた必然でもあったはずだ。







これは、一人の勇者と一人の魔王の物語。







運命に翻弄されてしまった、少女たちのおとぎ話。







いつだって、魔王と戦うのは勇者であり、勇者と戦うのは魔王である。







そして、多くの場合、その結末は──────







【結城友奈@結城友奈は勇者である 死亡】
【犬吠埼風@結城友奈は勇者である 死亡】



※村麻紗@銀魂がC-6のとあるマンション前に落ちています。
※結城友奈と犬吠埼風の死体、二人と犬吠埼樹の魂カード、二人の持っていた赤カード、青カード、及び友奈と風の所持品である友奈のスマートフォン@結城友奈は勇者である、風のスマートフォン@結城友奈は勇者である、樹のスマートフォン@結城友奈は勇者である、IDカードはC-6のどこかにある広場に落ちています。
※犬吠埼樹の魂カードには、大きく切れ込みが入っています。


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158:咲からば、さあ―――『あの■■が無ければ、変わる事も無かっただろうさ』 結城友奈 GAME OVER
158:咲からば、さあ―――『あの■■が無ければ、変わる事も無かっただろうさ』 犬吠埼風 GAME OVER