キルラララ!! あの子を愛したケダモノ二匹 ◆eNKD8JkIOw




♪ ♪ ♪





遠ざかる日に、背を向けかけた





もう二度と、振り向きはしないだろう





♪ ♪ ♪



曖昧模糊。
この空間、もしくは世界のことを表現するなら、その言葉がぴったりだ。
暗いような、明るいような。
黒いような、白いような。
ショッキングピンクの壁紙が全面に貼られている部屋なのだと言われれば、そんな気がするし。
灰色の通路が世界の果てまで伸びている廊下の途中だと言われても、得心がいきそうだし。
就寝前、目を閉じた世界に広がる、なんとも形容しがたい模様の空間、と言われても納得してしまう。
一つだけ、分かることは。
分かってしまうことは。


「やっほー、イザ兄!」

「……久(お久しぶりです、兄さん)……」


眼鏡に黒いセーラー服という文学少女合格の要素を、三つ編みを尻尾のようにぶるんぶるんと顔ごと振るって破壊しながらこちらに駆け寄る少女。
そんな我が妹、折原舞流に少し遅れて、発達しすぎた身体の一部を体操服とブルマで隠し、大人しそうな顔をしながら声をかけてくる折原家の長女、折原九瑠璃。


「はぁ……」


割りと、居心地がいい場所ではない、ということくらいか。


「もしもここが天国で、お前たちが案内役の天使だっていうんなら、まずは人事部を紹介してくれないか。
お宅の人選、申し訳ないけど最低ですよってクレームを入れてやる」

「さりげなく実の妹が先に死んだこと前提で話を進めるなんてサイテー!」

「……酷(酷いです、兄さん……)」

「ごめんごめん。まさか清く正しく生きてきたこの俺が地獄に落ちた、なんて考えたくなくてね」

「堂々と実の妹が先に死んで地獄に落ちたこと前提で話を進めるなんてサイアク―!」

「……惨(惨いです、兄さん……)」


隠すことなく溜息をつき、やれやれと額を抑える。


「じゃあここはどこで、お前たちは何なんだよ。
まさか『実は謎のパワーで折原臨也君だけはゲームから脱出することが出来たんだ』なんて最低B級映画のオチみたいなことは言わないよな」

「そんなこと、どうでも良いじゃん!」

「一番どうでもいい解答をどうもありがとう。
俺は今、こう見えても舞流の百万倍は忙しいから、さっさと次の客?にでも愛想をふりまいててくれ」

「ふーんだ。イザ兄は、静雄さんのことを兄として大事にしてる大正義幽平さんの爪の垢でも飲めばいいと思うよ?」

「……違(幽平さんと兄さんを比べるのは失礼……幽平さんに)……」

「じゃあ、お前らは少しは蛍ちゃんから『良い子』ってのがどういうことなのか教えてもらうべきだね。
良かったじゃないか。今年高1になるのに今更小学5年生の子に道徳を教わるなんて、なかなか出来る経験じゃない」


次の瞬間、臨也の胸に一切の容赦なく足刀が飛んだ。
予め予想して、のけ反るように回避挙動をとっていなければ、鳩尾をやられていただろう。


「可愛い妹の可愛いハイキックを避けるなんて、イザ兄は可愛いものが嫌いなの!?」

「全世界の可愛くなろうと努力してる女の子と、可愛いものを得ようと努力してる男への冒涜は止せよ。
お前のキックに名前を付けるなら、可愛いじゃなくて野蛮、もしくは脳筋が妥当だよ」


実の兄への急所攻撃を全く悪いとは思っていない様子の妹にも、慣れたものだ。
身内贔屓を差し引いてもかなり暴力的に育ちつつあることが、嫌なやつを思い出してムカムカはするが。
そんな臨也の心中を知ってか知らずか、二人の妹は好き放題に喋り始める。


「でも意外だよね、クル姉! イザ兄があんな普通の子と一緒にいるなんて!
私たちが50点と50点で合計100点満点だとしたら、あの子って0点だよ!
面白味も噛み応えもなさそうな、どっからどうみても普通の人妻だよ!」

「……過(小5にしては大きいけど、それだけだよね)……」

「蛍ちゃんで0点なら、お前らはマイナス50点とマイナス50点を足してマイナス100点だよ」


ダーツの要領で投げられた画鋲を首を横に倒し避ける。
動かなければそのまま眼球に突き刺さっていただろう。


「だから、良いんじゃないか」


どっから持ってきた。そんな言葉を呑み込み、臨也は語りだす。
実の妹二人に、自分が見つけた逸材の、披露を始める。


「彼女は素晴らしい『普通の良い子』だよ」


「あの子はね、どこまでも普通なんだ。良い子なんだ。
異常な世界にいてさえ、異常に呑まれることなく、良い子でいようとあり続ける。
それは、彼女自身が、まだ殺し合いに直接は関わっていなかったからかもしれない。
それとも、死んでしまった先輩の分まで良い子で生きよう、なんていう感傷的な思いがあったのかもしれない。
いずれにせよ、彼女は良い子で、良い子のままでいようとしている。それが面白いのさ」


「俺は、彼女にこう聞いたんだ。
『かたきを討つ気は無いのかい?』ってね。
『小鞠先輩を殺したにっくき相手を、殺すつもりはないのかい?』ってね。
勿論、言葉は選んださ。実際には、ここまでストレートに言ってはいない。
俺だって、せっかく蛍ちゃんが俺を信用してくれたのに、わざわざ、危ないことを言う人だ、なんて思ってほしくはなかったからね。
だけど、彼女には、何を言われているのか分かったはずだ。自分がどうすべきか、理解できたはずだ。
自分のため、じゃなくて良い。小鞠ちゃんの無念を晴らすために。
もしくは、これから他の人間が、殺人鬼に殺されないために。
仮に、俺や、宮内れんげちゃんが、そいつに殺されかけてたらどうする?なんて質問もしたよ。
その場にいるのは蛍ちゃんと殺人鬼、そして彼女の友人であるれんげちゃんのみ。
蛍ちゃんが殺人鬼を殺さなければ、れんげちゃんがそいつに殺される。
それでも君は殺さないのかい、とね」


「相変わらずクソ野郎だね!よっ、折原家の恥さらしっ!」

「……当(勘当されても当然の行為……)」


「爆弾なんて物騒なものを持ってたら、俺じゃなくても『殺意』の有無くらいは確認するさ。
で、彼女はなんて答えたと思う?」


ワクワクと、とても楽しそうな表情を浮かべて問いを出す。
今の臨也を見たら、自らの方が回答を心待ちにしているクイズ番組司会者に見えるかもしれない。


「分からないし、そもそも全く考えなかった!」

「…………」


さすれば、二人の妹は、お馬鹿な芸能人と、何故バラエティに出たと言わんばかりの無口なタレントだろうか。
自信満々に無い胸を張る舞流と、ふるふる、と頭を横に振り回答拒否を示す九瑠璃は、早く答えを出せ、と言わんばかりの瞳を同時に臨也に向けて来る。
お前らに期待した俺が馬鹿だったよ。


「きっかけは、お前たちだったんだ」

「私?」

「……達……?」


蛍は、すぐには答えを出せなかった。
当たり前だ。大の大人でさえ千差万別の答えがあるだろう問いに、小学五年生の女の子が即答できるはずがない。
だから彼女は、考えて、考えて考えて考えて。
うんうんと唸り、時間をかけて、最後の最後に、閃いて。
彼女は、彼女なりに、彼女の答えを出した。


「蛍ちゃんはね、分かったんだ。
いや、分かっていたけど、頭に出て来なかったものを思い出したと言うべきかな」


「彼女は、越谷小鞠ちゃんの死を悲しむのが、自分だけではないということを分かっていた。
この場に呼ばれているれんげちゃんも、そうでない小鞠ちゃんの妹も、母も、父も、兄も、学校の先生も、みんな彼女の死を悲しむだろう、とね」


「めんどくさいから40字以内で結論だけ言ってよ!」


軽く無視して。


「だから、だよ。蛍ちゃんは、俺が、お前たちのことを話に出したのを思い出した。
折原臨也が死んだら、悲しむ人間がいるということを思い出した。
誰かが死んで悲しむのは、何も自分や自分の周りだけじゃない、ということを思い出したんだ」


「クル姉、イザ兄が死んだら悲しむ?」


「……無(ノーコメントで)……」


あえて無視して。


「それはつまり、俺や、蛍ちゃんだけの話ではない、ということを、彼女は理解したんだ」


「彼女はね、例え殺人犯だろうと、憎い仇であろうと、その人が死んだら誰かが悲しむという真理に、到達したんだよ」


「だから彼女は、殺さないんだ」


「例え、どんな相手であろうと」

「例え、どんな状況だろうと」

「殺してしまったら」

「新しい『越谷小鞠と一条蛍』を生み出してしまうということを、理解したんだ」


それは、悪いことだ。


一条蛍は、大好きな人が死んだら、どれだけ悲しいのか知っている。
一条蛍は、大好きな人が死んだら、どれだけの人が悲しむのかを知っている。
先輩を殺した相手がどれだけ悪い人であっても、家族がいるはずだ。
友人もいるかもしれない。もしかしたらお嫁さんがいるかもしれない。
だから、その人が死んだら、沢山の人が悲しむ。自分や、相手だけの都合で、皆を悲しませてしまう。
いけないことだ。良い子がしては、いけないことだ。
「自分の嫌なことは人にしてはいけません」なんていう、学校で学ぶ普通の、常識の、
だからこそ守るべきルールを、破ってはいけない。
だから、一条蛍は殺さない。
彼女は殺人を、何が何でも、否定する。


「蛍ちゃんはね、言うならば『光』だよ」


殺せない、でもない。殺したくない、でもない。彼女は、殺さない。
自分に人を殺せるわけがないと諦めて、壁から目を背けるが如き現実逃避ではない。
自分だけが綺麗なままでいたいがために他人に重荷を押し付ける責任転嫁でもない。
彼女が選んだ選択肢は。
例え、免罪符があっても。どれだけ暗い闇の中でも。大きな壁にぶち当たっても。
それでも、と言い続ける覚悟だ。
自分の意志で決めた、自分の中に見つけた、一条蛍の『不殺(ころさず)』の道だ。
本人に、自覚はないのかもしれないが。


「しかも、彼女の『光』は、都会の華々しい喧噪の中で輝きを放つ照明器具みたいな、自己主張激しく周りを照らしつける光じゃない。
かといって、戦場で敵を葬り去るために焚かれ続けるマズルフラッシュのように、暴力的で破滅的で刹那的な、悼みを伴う光でもない。
見るもの全てを焚き付け、引き寄せる、カリスマ溢れる支配者が放つギラギラした光でもないし。
何もかもを安心させて、無抵抗で我が身を委ねさせるような、神からの贈り物じみた聖人の光でもない。
そうだな……そう」


「寂れた田舎の夜闇に紛れて、未だ人間の手に汚されていない豊かな自然のなかで『ぽぅ』と姿を現す光」



「ホタルの光、みたいなもんかな」



「すぐに消えそう!消されそう!自然破壊でぐわーっと消え去りそう!」

「……儚(とても殺し合いの中で生きていけるとは思えない)……」

「いいんだよ。だから彼女は、最高に『普通の人間』なんだから」


恐らく、臨也の問いに蛍が即答していたら、彼は萎えていただろう。
こんな覚悟を最初から己の内に刻んでいる者など、それは『普通の人間』ではない。
それは、聖人や聖者や聖女と呼ばれるものだ。臨也は、少なくとも蛍にそんな役割は求めていない。
唐突に、殺人、復讐という壁が、目の前に聳え立って。
悩み、苦しみ、それでも。
蛍なりの経験から。思い出から。
時間をかけて、考えて。ようやく、答えをかざす。
彼女の答えは、子供が大人へ一歩近づく成長の証であり、この状況に対し自分なりに適応するための進化であり。
何より、普通の、等身大の人間が見せてくれる、魅せてくれる、善性の顕れだ。


「一条蛍はね、『正義』でもなく『希望』でもない、ただの『光』だ」


彼女の想いは『正義』のように、硬く、練り固まり、故に強く、尖っているものではない。
その強さゆえに、周りも自分も傷付けてしまうものではない。


彼女の願いは『希望』のように、温かく、優しく、見るもの全てに肯定されるご都合主義の産物ではなく。
手に取ったものを必ず幸せに出来るような、お伽噺の中にだけあるようなものではない。


弱弱しく、儚く、形さえも朧気なれど、現実とは繋がっていて。
ちっぽけだけど、確かにそこにある。夢ではなく、現実に在り続ける。
だから、光だ。一条蛍の、人を殺さないという意志は、光だ。


「すごいよクル姉!イザ兄がここまで人を褒めてるの、生まれて初めて目撃したよ!」

「……珍(一生に一度の思い出になったね)……」

「そりゃ、比較対象がお前らだからな」


流石に、人がここまで楽しく語っている最中に飛び蹴りが来るとは思わなかった。
よけきれず受け止め、たたらをふみ、ふぅ、と冷汗をかく。
空気の読めないやつめ。人の話は最後まで聞け。


「そもそも、いつ俺が、彼女のことを褒めた?」

「どういうこと!?実はほたるんは褒められて悲しむ逆ドМなの!?」

「……静(少し黙ってて)……」


流石に空気を読んだのか、姉である九瑠璃が妹の舞流の耳をぎゅーっと掴みにかかり。
さて、うるさいのもいなくなったし、ここからが本番だ、とでも言わんばかりに愉し気に。
ここに来て、臨也の評価は反転する。
しかし、それは単純に、光を闇に落とす、のではない。


「光は光だよ。それ以上でも以下でもない」


「スタングレネードの原理を知ってるか?
もしくはチョウチンアンコウが獲物を捕食する方法でも良い」


「彼女は良い子であると同時に、無自覚の爆弾だ。光を放つ爆弾だ」


一条蛍という存在は。


「彼女の『光』を『正義』と信じ、蛍ちゃんを守るために死んでしまう人間が現れるかもしれない。
彼女が相手を殺さなかった結果として、取り返しのつかないくらい沢山の人が死ぬかもしれない」


『正義』のように、強いせいで自他を傷付けるわけでなく。
ちょっとしたことで消えそうなくらい、か弱いせいで、他人も自分も殺し得る。


一条蛍の、想いとは。


「彼女が想いを強くすれば強くするほど、自分を強く持てば持つほど、きっと彼女は誰かと衝突する。
現実主義者と。もしくは『正義の味方』と。彼女はいつか、絶望するよ。
誰も殺さずハッピーエンド、なんて道が、現実的であるはずがないからね」


『希望』のように、全ての者に受け入れられるわけもなく。
現実の中を生きていく限り、ハッピーエンドとは程遠い結末を迎える可能性が高い。


一条蛍の放つ『光』とは。


「彼女の理屈だと、人を殺した者はみんな天国に行けない悪い人になるのかな?
例え誰かを守るためでも? 自分自身を守るためでも?」


他者を、弱者を守るため、鬼となった者の目を焼くかもしれない。
自分が生き残るため不可抗力で人を殺してしまった弱者を、そうとは知れずに傷付けるかもしれない。


「もしかしたら、彼女が良い子であることにこだわるのは」


くつくつと、悪魔の顔をして情報屋は笑う。
可愛い子猫の滑稽な仕草を愛でるように。
口端を歪め、推測を口にする。


「そうしないと小鞠先輩のいる『天国』にいけないから、なんて思いこんでるのかもしれないねえ」


臨也は思い出す。
一条蛍が答えを出した後に、自分に対して言った言葉を。
「ありがとうございました」と、彼女は言ったのだ。
先ほどまで「怖い人」だと思っていたにも関わらず。
蛍という存在を観察し、そのために大小様々な壁を彼女の前に突き立てた男に向かって、言ってのけたのだ。
臨也にとって都合の良いように動かされて、臨也が思い描く計画に加担させられようとしている少女は。
「折原さんが気付かせてくれなきゃ、私はどこかで取り返しのつかないことをしちゃってたのかもしれません」と。
「だから、折原さんは良い人です。意地悪なことも言うけど、私のことを本当に考えてくれてる、良い人です」と。
臨也の、意地悪な問いに対して、蛍は。

「もしも、れんちゃんが悪い人に殺されかけていて」
「誰かが死ななきゃいけないようなことになったとしたら」
「その時は」
「代わりに」
「私が」

なんて、あまりにも『自己満足』に過ぎる答えを用意した。

彼女が死んで、それでどうなる?
それで、本当に宮内れんげが救われると思っているのか?
蛍が死ねば、本当にれんげの方は死なずに済むのか?
浅い。もしくは、見えていない。
もしもそうなった場合。結局彼女は、自分だけ満足して、後のことは何も考えずに死ぬことになる。
自分だけ『良い子』のままで、他をすっぽかして、退場することになる。
だが、臨也はあえて指摘しなかった。指摘しない方が、面白そうだと思ったからだ。


ああ、本当に、これだから人間ってやつは面白い。
殺し合いといういうシチュエーションの中で、こんなにも、俺に可能性を見せてくれる。
賢しくも愚かしく。弱いままで強く。死に脅えながらも生を投げ捨て。
『良い子』であるために、自分を殺して、他人を殺す。


「彼女がこれからどう転ぶのかは分からない。
天を突くように良い方向に登っていくのか。
坂を転がり他者を巻き込み、地獄へと落ちていくのか。
だから俺は、彼女のことを観察対象として、高く評価してるのさ」


彼女に起きる悲劇に、喜劇に、思いを馳せ。
臨也は、満足気に語り終えた。


「……理(だからなの)?……」


しかし。
語り終えたから、それで満足だ、なんて。
折原臨也に、許されるはずがない。
外道が。畜生が。人格破綻者が。
そんな簡単に、終われるなんて、思わない方が良い。


「……なんだって?もっとはっきり」


臨也の言葉を遮るように、九瑠璃の言葉を引き継ぐように。


「だからイザ兄は、蛍ちゃんを庇ったの?」


折原舞流は、核心を突いた。


「…………」


臨也は、初めて言葉に詰まった。
口を開け、しかし言葉は出て来ず。
表情を消し、熟考せんと瞳を閉じ。
数秒の後に開けて、ようやく。


「さあ、どうだろうね」


濁した解を。
解答にもなっていない誤魔化しを、口に出した。


「意外と、何とかなると思ってたのかもしれない。
今までシズちゃん相手にも上手くやってきたからさ」


まるで、言い訳をしているようだった。


「それに、蛍ちゃんは俺のスマホを、俺の大事なメモを持っていた。
蛍ちゃんじゃなくてそれのために俺は体を張った、とも考えられるんじゃないか」


まるで、後付けをしているようだった。


「あそこで彼女を庇うそぶりを見せないと、もし蟇郡君が生き残ったら俺は白い目で見られてしまうだろうしね」


まるで、空虚な、言葉だった。



気付けば。



折原九瑠璃と折原舞流は、消えていた。
言いたいことを、言いたいだけ言って。
聞きたかったことを、聞きたいだけ聞いた、とでも言わんばかりに。
煙のように、臨也の前から消えていた。



「臨也にしては下手糞な嘘だねえ」



その代わりに、彼の前に立っていたのは。
白衣の男。眼鏡の男。
折原臨也の、唯一の友人にして。
折原臨也に、唯一影響を与えた男。

岸谷新羅が、ムカつくくらい爽やかに。



「あの折原臨也が、そんなことくらいで誰かを庇うわけないじゃないか」



ニッコリと、毒を吐いた。



♂♀



「ノミ虫を潰したことはどうだっていい。むしろ、それだけならよくやったって褒めてやりてえところだ。
だがよ……お前、ホタルちゃんを狙ってたよな?
なーにも悪いことしてねえ子を殺そうとしてたってことだよなあ?
つまり、お前は悪いやつだってことだよなぁ?」

「だったらどうだってんだよ、あァ?」

「人を殺そうなんて悪人は――――殺されても、文句言うなってんだよ!!!!」



二人にとってはいつものことである、売り文句に買い文句を始まりとして。
殺し合いは、始まった。
神衣と一体化した生命戦維の化け物。
池袋最強にして人類を超えた化け物。
そんな二人が一度力を競えば大地が割れ、木々が倒れ、森を荒れ地へ変えていく。
齢数十年はするであろう大木が、男の細腕で投げ飛ばされれば。
対抗するように、女は苔むした巨石をボールのように蹴り飛ばす。
飛来する枝葉が小石が切り株が岩石が、番傘により次々と撃ち落されたかと思えば。
木漏れ日を感じるお散歩の休憩にいかが、とばかりに設置されていたベンチが引っこ抜かれ、返す刀で突撃していた女へとぶちかまされる。
暴力と剛力が激突し、叫びと雄叫びが木霊し、拳と脚が突き刺し合う。
男が「殺す!!!」と道路脇のガードレールを引っぺがし、女へ向かって横薙ぎすれば。
女が「やってみろよ!!!」と傘を下から突き上げ、襲い掛かって来た分厚い金属板を迎撃する。
ガードレールは一撃目でたわみ、二撃目でひしゃげ、三度目には砕け散る。
だが、傘の方も同時に女の腕から弾け飛び、結局は振り出し。互いに無手。
次の得物を探すため、右に左にバーテン服のネクタイが揺れる。
そのほんの少しの隙をつき、先手必勝とばかりに白い悪魔が躍りかかる。
彼女は、今や傘以外の武器になる支給品を持ち得ていない。
伊達男の宝具たる槍は暗黒空間に呑み込まれ、代わりに手に入ったのは投げつけるにしても重量感に物足りなさが残る水晶の玉。
だからというわけでもないが、最強の男は、まさか少女が取り落した武器を拾うでもなく、そのまま拳を突き込んで来るとは思いもしなかったのだろう。
だが、神衣の力を侮るなかれ。ハサミさえなかれど、その身は平和の島に負けずとも劣らぬ人外の域。
静けさとは程遠い爆音と共に、驚愕の表情が男に浮かび、男の身体が宙に浮かんだ。
いつもは吹き飛ばす側だった最強の身体が、今は女の抉るようなアッパーカットにより地を離れた。

「なっっっ!?」

だが、浮いたのはほんの数センチ。ほんの数十コンマ秒。男が咄嗟に腹に籠めた力が、それ以上の進撃を拒んでいる。
今度は、女が驚く番だった。今まで三人の腹を貫いてきた彼女の拳をどてっぱらにまともに喰らい、突き抜かれないどころか吹き飛ばされさえしなかったのだ。
ならばもう一発、と引いた腕が、引き戻される寸前、万力の力で捕まれる。
掴んだのは当然、彼女から一撃をもらった男の手だ。
掴んだのは当然、良いパンチだったと相手を称え、握手をするためではない。
ならば当然、この後起こることは確定している。
次は、平和島静雄の手番だ。反撃だ。
纏流子が、宙に浮いた。数センチではなく、数十コンマでもなく。
十数メートルを、数秒の時間をかけて。
自販機を片手でボールのように投げつける男の力で、投げ飛ばされる。
捕まれた腕を『持ち手』にされて、身体そのものが真っ直ぐに、見えないストライクゾーンに叩き込まれる。
それでも流子は、地面に直撃する愚は起こさなかった。空を飛ぶのは生憎ながら初めてではない。
土煙を上げながら、土の上を前転しながら、前と前へと愚直に突き進もうとするエネルギーを逃がす。
転がり、転がり切り、それでも傷一つつかない純潔の素晴らしさに笑みを浮かべ、パンパンと汚れを払いながら立ち上がる。
ちょっとだけくらくらする頭を振り被り、相手を見据えれば、男の方も追撃する余裕はなかったらしい。
ふらり、と少しだけよろめいていた。あちらもあちらで、全くのノーダメージというわけではない。
距離が開いた。自分の傘の位置も把握した。あの馬鹿力男よりも遠く、流子のいる位置からは近い。余裕を持って拾えるだろう。
まだやれる。再度前進だ。後退などあり得ない。
バーテン服の方も全く同じことを思ったようで、数歩歩き、この戦争の中を運よく生き延びていた樹木を慈悲もなく一息で引っこ抜き。
頭上に影が伸びた。伸びて、伸びて、まだ伸びる。10メートルは下らない。
流子を見下すように高々と持ち上げられた木製の槌が、次の瞬間、上昇から落下へと運動を切り替える。
上等だ。タッパだろうが、エモノだろうが、ただでけえだけで私に勝てると思うなよ。
己の頭に向かって振り下ろされた大木の幹を横数センチといったところで躱し、駆け。
静雄へと向かう道すがら、脇道に逸れて番傘を拾う。まだまだ壊れる気配が見えないそいつに、余裕ぶった神威のアホ面が被る。
そんな、くだらないことを考えている間に魔人の手により引き戻されて、次はこちらに向かって勢いよく、丸太のように突き込まれる木槍に。
今はどこで何をしているのかも分からない同盟相手への苛立ちも込めて、カウンター気味で傘を思いっきりぶちこんだ。


そういった衝突が、何度続いただろうか。
一人と一人の大戦争は、化け物同士の戦いの趨勢は。
徐々に、しかししっかりと、片方に傾きつつあった。


静雄と流子は、怪獣と猛獣だった。


平和島静雄という男は、とにかく強かった。べらぼうに強かった。
平和島静雄という男の人生において、生身で彼と対等に戦えるものなどいなかった。
彼はいつでも怪獣で、周りのものは皆、人間でしかなかった。
怪獣と生身で徒手空拳で戦うものなどいない。
いうならば、怪獣映画における地球防衛軍の秘密兵器のように。
いつだって、彼を傷付け得るのは人間以外のものだった。
それは臨也の計略によって静雄を轢く、トラックであったり。
それは変態企業ネブラ社特製の、ボールペンであったり。
それは池袋という日本の都市には相応しくない、拳銃であったり。

サイモンという巨漢は、いつもニコニコと喧嘩を止めるために静雄の拳を受け止めるのみで、あちらから攻撃を仕掛けてきたりはしなかった。
六条千景というチーマーは、アメフト選手並みの体型をしている男のタックルを足一つで止められるほどの身体能力を有していたが、それでも静雄に怪我一つ負わせることが出来なかった。
折原臨也などは、それこそ論外だ。生身どころかナイフを使ってですら、静雄の薄皮一枚削ぐのがやっとという有様で、何かしらの道具を使わねば静雄に肉体的ダメージを与えることなど出来るはずもない。
あのジャック・ハンマーですら、先ほどの起死回生の一撃でしか、明確に静雄と互角の『戦い』をしたことにはならないだろう。
だから、これが初めてなのだ。
初めて、平和島静雄は自分と同格の、もしかしたらそれ以上のフィジカルを持った相手と相対する。
怪獣は初めて、自分以外の怪獣とぶつかり合うことになる。
ぶつかる、ではない。怪獣がビルを腕の一薙ぎで一掃するような、一方的な『破壊』ではない。
ぶつかり合うのだ。互いの身体は等しく武器で、防具で、『戦い』のための道具だ。
今までのように、一撃を与えれば終わる勝負ではない。一方的ではない。
一撃を喰らってもノーダメージという勝負ではない。互いに殴られればのけぞるし、蹴られればたたらを踏む。


一方で、纏流子は猛獣だ。
神衣という毛皮があり、片太刀バサミという牙を持つ猛獣だ。
彼女もまた、強かった。グレた一匹狼として生きた中学時代も、神衣を手に入れてからも。
彼女は強い少女だった。
だが、彼女の強さは絶対的なものではなかった。本能寺学園には、彼女以外の猛獣が沢山いたからだ。
鬼龍院皐月という支配者へと喧嘩を売った結果として、流子は沢山の戦いを経験した。
ボクシング部の部長に始まり、多くの部の部長たちと。
皐月へと傅く、本能寺四天王と呼ばれる強敵たちと。
皐月本人と戦ったこともあるし、ヌーディストビーチを名乗る変態とやりあったこともある。
時には、敗北する時もあった。辛勝したことも多くある。
だからこそ、彼女が手に入れた強さは、叩かれ、削られ、砕かれ、結果として研鑽されたものだ。
負けたくないから、頑張る。勝てる方法がないか、考える。どんな難題に対しても、諦めない。
成長もするし、努力だってする。負けた悔しさをバネにして、更なる高みへと昇りつめようとする意志もある。
神代の大英雄、アルトリア・ペンドラゴンと比べれば、まだまだ彼女など喧嘩っ早い青二才も良いところだろう。
だが、それは流子に戦いの経験が全くないことを意味しない。
アルトリアよりも弱いことは、流子が弱いことを意味しない。
殺し合いや戦場なんていう物騒極まりない日常を送ってはいなくとも。
英雄にはかなわなくても。戦士とまでは呼べずとも。
纏流子は、一流の猛獣だ。狩るか狩られるかの一線を戦い続け、戦い抜いたケダモノだ。
それは、純潔と共に生命戦維の化け物と化した今も変わりない。
纏流子としての記憶を取り戻し。
セイバーや神威という強敵との再戦に想いを馳せ。
殺し合いに勝ち上がり、たった一人勝利することを決めた猛獣が。
貪欲に力を求め、ひたすらに戦場に挑み、最強の地位を追い求める女が。

ロクに『戦い』を経験したこともない、殺し合いの新米に。
生まれてこの方ずっと、頂点で在り続けざるをえなかった、怪獣に。
最強と呼ばれながらも己の力を、暴力を嫌い、平穏という名のぬるま湯を望む男に。
喰らい付けない、はずがない。


平和島静雄は戦い方を変えなかった。
怪獣は他の怪獣と戦ったことがない。
だから怪獣は、その力が目覚めた小学生時代から20代も半ばに差し掛かりつつある今まで、やり方を変えなかった。
変えられなかったといっても良い。だって、変えなくても、勝てるのだから。
その辺にあるものを、放り投げる。
武器に出来そうなものは、持って振り回す。
近づいたら、殴る。蹴る。
あまりにも、シンプルなファイトスタイル。それだけで、彼に敗北の二文字はなかった。

一方で、纏流子は戦い方を変えた。
猛獣は、他の猛獣に合わせて戦い方を変えたほうが勝てるということを、分かっていた。
もしも、本能寺での戦いのように、純潔の力を思う存分発揮してそれで勝てていたならば、勝ち続けていたならば、流子も静雄と同じだったかもしれない。
己の力をただ好きなように振る舞うだけの戦い方を、ここでも変えなかったかもしれない。
だが、セイバーとの戦いに敗北したことによって。
纏流子として、鮮血と共に戦ってきた記憶が戻ったことによって。
彼女は、学習する。思い出す。戦い方にも工夫がいると、理解する。

流子は、単純な力比べを出来るだけ避け始めた。
このバーテンは、力だけなら流子にも勝り得る。
その事実を認め、だからこそ、真っ向勝負をしないようにする。
受け流し、もしくは避けて、躱して、体力と筋力の消耗を減らす。
攻撃、打撃を加える時も、一発一発、反撃をもらわないように丁寧に、慎重に、ヒット&ウェイを心掛ける。
元々、速さで言うなら流子に分があるのだ。蝶のように舞い、蜂のように刺す。
奇しくもその動きは、平和島静雄の大嫌いな、折原臨也のよう。
静雄はますます激昂し、手当たり次第に暴力を繰り出し続ける。
当然、流子の戦法では平和島静雄は倒せない、倒れない。
彼は、銃弾で打ち抜かれても平然としているような化け物なのだから。
だが、そうこうしているうちに。なあなあしているうちに。

静雄の武器となりうるものが、なくなり始めた。

当たり前だ。資源は有限。ゲームのように、時間が経てば補充されるようなものではない。
打撃代わりに使っていた木々は割れ、折れて、短くなり、破片となり、静雄の武器足りえる大きさ、長さにはならなくなっていく。
投擲物として使っていた岩は流子が受け止めず、躱すようになったことでどこかしこに転がっていき、こちらも割れることで、数を減らしていった。
ガードレールや、看板も同じことだ。静雄に使われれば使われるほど消耗し、破損し、使い物にならなくなっていく。
これまで、静雄がここまで長い間戦い続けたことはなかった。
大抵は一撃で片が付いたし、そうでなくても2度、3度彼が暴力を振るえば、大抵のことは何とかなった。
折原臨也との戦いにおいても、臨也は基本的に逃げの姿勢を取るので、街中で追いかけながら武器の類はいくらでも用意できた。
だが、今回は違った。纏流子は、逃げもしないが、負けもしない。

もしも、纏流子の今の戦い方が、素手、もしくは番傘を使用するというものででなかったら。
静雄の方も、やり方を変えたかもしれない。
いつものように、片太刀バサミを使っていたら。
もしくは、セイバーのような剣士が相手だったならば。
静雄も、凄まじい切れ味を誇る刃物に最大限警戒し、力の限り暴れずにいたかもしれない。
流子が、番傘の仕込み銃を積極的に攻撃に使用していたならば。
もしくは、アザゼルの持つイングラムM10のような、そのまま銃器が相手だったならば。
静雄も、鉛中毒になるのはヤバいという知識、経験から、少しは防御、回避に気を割いたかもしれない。
だが、流子の戦い方は、静雄にとってはいつもの喧嘩の、延長線上にあった。
果てしなく遠い線の向こう側、静雄と渡り合うという力を持った相手との喧嘩であったが、それでも線は繋がっていた。繋がってしまっていた。
だから静雄は『いつもどおり』を崩さなかった。

そんなことをしていたから、長い間していたから。
静雄の息の方も、徐々に乱れ始める。
これだけフルパワーで動き続けて、暴れ続けて、体力を消耗しないわけがない。
身体の方も、子供の頃のように静雄が力を振るうだけですぐに壊れてしまうほど柔ではなくなったが、それでも、疲弊しないわけがない。
平和島静雄は人を超えた超人なれど、無尽蔵のエネルギーを秘めているわけではない。
これまた、今まではここまで長い間、連続で戦い続けたことがなかった静雄に、スタミナ管理という言葉が思い浮かぶはずもなく。
一呼吸が長くなり、それだけ隙が増え、ここぞとばかりに流子の攻撃が差し込まれる。
最初の頃に比べて動きにキレがなくなり、スピードに分があった流子に、ますますついていけなくなる。

気付けば、完全に形勢は逆転していた。
攻めていたはずの静雄が、防戦し。
守っていたはずの流子が、攻めに転ずる。


「私は、お前みたいなやつが、イッッッチバン嫌いなんだよ」


185㎝の長身が、少女の蹴りにより吹き飛ばされる。
立ち上がった頭に鈍傘の先端が襲い掛かり、揺れるように何とか身を捩る。
だが、トロい。体勢を立て直す暇もなく、武器を拾う余裕もなく。
男はクロスした両腕で、二度三度バットのように打ち込まれる傘から体を守りながら、再度後退を余儀なくされた。


「皐月みてえに、自分は強いです。強くて当然ですって顔してるやつがな」


どれだけ追い込まれても、静雄は泣き言一つ口に出さない。
悲鳴も挙げず、命乞いもせず、倒れても何度でも何度でも立ち上がってくる。
彼がこちらに寄越すのは、自らに活を入れるかのような雄叫びと。
汚ならしい、いかにも頭の悪い罵詈雑言で構成された怒号と。
どこまでも流子の瞳から離れない、殺意のこもったガン付けだけ。
まるで、ここにきてまだ、自らの勝利を、疑いもしていないかのよう。


「精々、ちっちぇえお山のてっぺんで大将でも気取ってろ」


イライラした。
殴っても屈服しない。蹴っても服従しない。
まだ、自分が強いと思ってやがる。
まだ、自分の方が強いと勘違いしてやがる。
ちょいと、力が強いくらいで。ちょいと、私とやりあえたくらいで。
私よりも、自分の方が上なんだと、生意気な目が言っている。
気に入らねえ。だから、流子は真正面からこいつを折ってやろうとする。
今にも倒れ込んでしまいそうな、ひょろい身体に向けて。
フェイントもしない。ジャブも打たない。気持ちのいいくらい、真っ直ぐな一撃。
思いっきり、手加減なしで、力を込めて、ストレートの拳でぶん殴る。


「……俺は」


それは、隙だった。
静雄相手に戦い方を変えた流子が見せた、初めての隙だった。
この男を真に乗り越える。この男に完膚なきまでに勝つ。
負けず嫌いな心をバネに、今まで何度も挫折から立ち直って来た流子の心根が。
今まで勝ったはずなのに敗北感ばかり味わって来た彼女の怒りが見せてしまった、隙だった。
だが、こうしないと、纏流子は平和島静雄に、本当の意味で勝利することはない。


「俺は、強くなくても良かったんだ。
自分で制御できねえ強さになんて、これっぽっちも興味がなかった。
自分の力が嫌いで、嫌いで仕方なかった」


流子の、グーの拳は。
静雄の、パーの掌に、止められていた。
そうこなくっちゃなあ。甲斐がねえってもんだ。


「急に一人語りしてんじゃねえ、死ね」


捕まれそうになる拳を、力ずくで引き抜き。
次こそ打ち勝たんと、歯を喰いしばり、地面をしっかり踏み込み、腰を入れ。
ただの拳を振るう、ぶん殴るという行為だけで、流子の周りに風が吹き荒れ、足元に亀裂が走った。


「だがよ」


全力の、先を行く。限界を、乗り越える。
纏流子は、戦いの中で、前へ進む。
もう一度だ。逃げずに受けろよ。



「お前や、繭みてえなカスを殴るためなら」



そして、流子は、見た。




「この力で、ホタルちゃんが、死なねえで済むなら」




流子の、神衣純潔の、最大の拳を受けるというのに。
既にズタボロの、負け犬のような格好をしているくせに。


平和島静雄の目は、死んでいない。




「俺はいくらでも―――大嫌いな『暴力』を振るってやる」



受け止める、のではない。
パーの掌が、グーの拳に握りしめられる。
防御など性に合わぬ、とばかりに、彼が選んだのは攻撃。
即ち、流子と同じ、真っ直ぐのグーパンチだ。
静雄はそれを、いつものように、ぶつける。
怒りを込めて。憤りを込めて。殺意を込めて。
いや、それでは駄目だ。
いつものように、を超える。
静雄の遙か背後にいる、一条蛍のために。
殺すためではなく。自分のためではなく。
守るために。大切なあの子のために。
これが、平和島静雄の、全力全開。
更に、苛烈に。
更に、過激に。
更に、最強に。
最強の神衣たる純潔と。
生命戦維の化け物たる流子と。
ぶつけ合う。





「無理すんなよ、おっさん」

「年上には敬語使え、クソガキ」





二つの全力がぶつかり合い————————二匹の化け物はそのまま、お互い、逆方向に吹き飛んだ。



♂♀



「全く……この世界にまともな人間はいないのか?」

「君も含めて、いないんだろうね」


お互いに言葉のジャブを打ち。
二人の狂人は。
全ての人間を愛する男と、一人の異形だけを愛する男は、向かい合う。
今現在、セルティを目覚めさせることで、殺し合いからの脱出を図る情報屋と。
かつて、セルティの目覚めを邪魔し、殺し合いには呼ばれてすらいない闇医者が。
二人の友人が、相対する。


「君もいい加減、色々な謎に対する答えが欲しくなってきた頃だと思ってね。
自分が何もかも知ってるって顔をしてなくちゃ死んじゃう病だからねえ、臨也は」

「俺はお前という人間の成長に感動してるよ、新羅。
お前に教わったことなんて、宿題の答えから、ずっと騙し続けてきた女と同棲し続けられる無神経さの秘訣に至るまで、今まで一つもなかったから」


皮肉気に、挑発するように笑う臨也を、新羅は全く意に介することもなく。
右手の人差指を挙げ、人畜無害な笑みを浮かべて、ゆっくりと語りだした。
それだけ見ると、彼が着込んだ白衣も相まって、まるで今から理科の授業を始めますという新米教師のようだ。
教師ヅラした男は、不良然した男を前に、答えを述べる。


「まず、ここは死後の世界でも別世界でも何でもない」

「ここは、君の脳内さ。更に言うなら君の妄想。死に間際に見ている幻覚とでも言えば、もう少し格好がつくかい」

「走馬燈……の逆とでも言えばいいかな。
あれは今までの人生を思い出して何とか死なない方法がないか探すためのものだって説があるけど、この場合は違う」



「君は、自分が死ぬ理由を探しているのさ」



「自分はどうしてあんなことをしてしまったのか。
逃げれば良かった。放置しても良かった。静雄や蟇郡君と流子ちゃんを潰し合わせても良かった。
なのに、何故君は一番自らの生存から遠い選択を、蛍ちゃんを庇うなんて選択をしたのか、ってね。
それが知りたいから、未練がましく、女々しくも、脳内に脳内妹や脳内僕を作り出して、話し相手になってもらってるわけ。
つまり、結局は自問自答ってことだね」


驚きは、なかった。


「そうか」


あの時、纏流子へと走り、一条蛍を引き寄せ、何の策もなく化け物の一撃を受けて。
その後、直通でこんな意味の分からない場所に、放り込まれていたのだから。


「俺はこれから、死ぬのか」


こんなことだろうとは、思っていたのだ。


命の灯は、折原臨也という蝋燭は、既に消えていた。
今の臨也の意識とでもいうべき思考は、いつ何時消えるとも知らぬ、消えた蝋燭の芯から立ち込める煙に過ぎない。


「ああ、死ぬね。どんな名医だろうと手遅れだ。
君にだって自覚はあったんだろ、最初に天国地獄と言っていたんだから。
これで死ななきゃ、それこそ君は化け物だよ」

「勘弁してくれ」


自身の死よりも、化け物という単語の方に嫌悪感を示し。
どこかスッキリとした顔で、脳内友人に先を促す。
その様子はまるで、先ほどの、臨也に答えを急かした彼の妹二人のよう。


「君が蛍ちゃんを庇ったのは、人間を愛し、化け物を憎んでいるからだ」

「更に言うとね」

「折原臨也のせいで」
「折原臨也の計画の外で」
「人間が」
「化け物に殺される」

「それだけは、認められなかったのさ」


もしも、蛍が静雄から逃げ出し流子と出くわしてしまったことが、臨也による誘導の結果ではなく蛍の意志によって起きたことだったならば。
臨也は「これもまた、人間の選択の結果だね」と、飄々と彼女の死を見送っただろう。


もしも、流子に蛍が殺されることが臨也の計画通りだったならば。
臨也は「蛍ちゃんの尊き犠牲によって俺たちは救われた、ありがとう。本当にありがとう!」と、彼女の死に感謝しただろう。


もしも、流子に殺されるのが蛍ではなく、彼の大嫌いな静雄、もしくは静雄のような化け物だったならば。
臨也は「化け物が化け物に殺されるとは、素晴らしいね。さあ、残った方は俺たち人間で始末をつけよう!」と、歓喜したことだろう。


もしも、蛍を殺そうとしたのが流子のような化け物でなく、ジャック・ハンマーのような人間であったならば。
臨也は「人間同士の意志がぶつかり合い、強いほうが生き、弱いほうが死んだ。それだけのことさ」と、人間による殺人を否定はしなかっただろう。


「特に君は、人間が化け物に殺されることだけは認められなかった。
君は静雄君が嫌いだ。化け物が人間の何もかもを踏み潰していくことが嫌いだ。
だから、それこそ人間の可能性を根こそぎ奪っていく『死』というものを、化け物が人間に与えるなんて、許せなかったのさ」


「だから君は、自分で人間を殺すことが出来ないんだ。
静雄君と頭脳で渡り合う、渡り合えてしまう自分を、本当に『人間』として見て良いのかどうか、分からなかったから」


「それに、君は人間が静雄君を殺すように仕向けたことはあっても、逆はなかった。
静雄君を排除するのに一番良い方法は、彼に殺人を犯させて、化け物として消えない汚名を被せて、社会から抹殺することだ。
なのに、君はその手を10年間使わなかった。人間を操り、静雄君の手で殺させようとはしなかった」


「臨也、君ならば出来たはずだよ。
静雄君が本気でブチギレそうな人材を見繕い、静雄君が絶対に許せない行為を彼の前でさせて、静雄君がそいつを殺すように仕向けることが。
折原臨也ならば、出来たはずだ。なのにしなかった。
化け物が人間を殺すことを何より嫌ったんだ」


だから折原臨也は、一条蛍を庇った。
喫茶店で切嗣を待つ間に、蟇郡苛から流子がどういう存在なのかを、聞いていたから。
どれだけ言葉で肯定的に美化しても、纏流子が生命戦維と融合した存在、臨也にとって化け物であることには変わりない。
それでも、運良く、もしくは運悪く、流子が改心した時期よりこの地に呼ばれた蟇郡苛の勘違いにより。
今の流子は人間たちのために戦う戦士であるという、判断をして、DIOのように排除するつもりはなかっただけだ。
セルティのように、人間の可能性を奪うような化け物ではないと判断して、臨也の脳内で放置していただけだ。

しかし、纏流子はどう見ても殺し合いに乗っていた。
蟇郡から聞いた、鮮血という黒い改造セーラー服を着ているわけでもなく。
喧嘩っ早いが情に厚い、という様子も全く見せずに。
慈悲の欠片もなく、一条蛍を殺そうとした。
だから臨也は、纏流子を、化け物を許せなかった。
だから臨也は、一条蛍を、人間を庇った。


「君は蛍ちゃんを庇ったわけじゃない。
君は『化け物』に殺されかけている『人間』を庇ったんだ。
蛍ちゃんじゃなくて、チノちゃん、蟇郡君、空条君、風見君、他の誰でも。
全く同じ状況だったならば、君は彼らを庇っただろう。君は『人間』を庇っただろう」


「セルティ以外の存在を背景くらいにしか思っていないやつが、好き勝手言うじゃないか。
それとも、俺の脳内で生まれた存在だからって、俺のことは誰よりもよく知っていると勘違いしてるんじゃないか?」


「例え僕が本物の私でも、これくらいは言っただろうさ。
例え背景に興味がなくたってね。
その背景が長い年月の間ずっと背後に見え続けていたら、否が応なしに、ある程度は理解できてしまうものだよ」


ふぅん、と、一応は納得が行ったという顔をして。
俺も、馬鹿なことをしたな、と呟き、自嘲し。
人間を愛しているのならば仕方ないか、と、自分自身に言い聞かせ。

それでも、何故自分がこんなに満足しているのか、臨也には分からなかった。

今から自分は死ぬのだ。どんな善行を為したとしても、どれだけ己の信念に従ったのだとしても。
死ねば、終わりだ。臨也は未だ、天国の実在に立ち会っていない。だから臨也は、死ぬことが嫌だったのだ。
なのに、意外と、悪くないな、と思ってしまっている。


「それはつまり、こういうことだよ」


こちらの心を読んだように語りかけてきた、新羅は。
闇医者としてのトレードマークであると言わんばかりに年中着こなしている白衣を、着ていなかった。
あと数年で20代後半に差し掛かりつつあるのに未だ童顔、といった顔でもなかった。


今の岸谷新羅は。
臨也のよく知る学校の、制服を着ていた。
童顔ではなく、本当に幼い、子供のような身長に見合った、顔をしていた。
折原臨也と出会った時の、中学校時代の、新羅だった。





「ああ、そうか」





得心が言った。なぜ自分が、これほどまでに満ち足りているのか、納得がいった。
折原臨也の人生観に唯一影響を与えた闇医者が、中学時代に起こした蛮勇を、思い出し。
『ヒーローになればセルティに褒めてもらえる』という、臨也からしたら至極どうでも良い理由だけで。
風景のようにしか思っていなかった友人を、折原臨也を庇い、死にかけた馬鹿が。
こちらに笑いかけているのを見て。
『自分が愛している存在のために死ねる』男を羨んでしまった、あの日の自分を振り返って。








「俺はようやく、追いついたんだな」

完全燃焼したとでもいうように、感慨深げに、折原臨也は息を吐いた。

10年以上も前から目の前の友人に抱いていた嫉妬心も、対抗心も、もしかしたら憧れも。

全てが散っていく。いつのまにか切られていたゴールテープを、ようやく自覚する。

学生時代の岸谷新羅という答えを前に、未練を、後悔を、思い残しを、浚い切っていく。







「まあ、僕は死ななかったから、君は未だに私に及ばなかったとも言えるわけだけど」

「お前だって俺がいなきゃ死んでたろ。それに、ナイフを持って逆上した中学生よりも、シズちゃんばりの化け物の方が格はずっと上さ」

「いつもの君ならこう言うだろうね。『死ねば終わりだって言うのに格なんて曖昧なものに拘るなんて馬鹿らしいとは思わないの?』」

「……はぁ。数少ない友人がこんなに達成感に浸っているっていうのに、相変わらず空気が読めないな、お前は」

「君に言われたくはないよ!」

「俺は空気を読んだ上で、面白くなりそうだったらあえて読まないだけさ。お前とは違う」

「知ってる、臨也?世間ではそういう人を最低って言うんだよ?」

「人間のことをどこまでもどうでも良いと思ってるお前よりはマシだろうさ」

「酷いなあ。俺だって、セルティが一番なだけで、例えば杏里ちゃんと臨也のどちらかを助けろと言われたら、一切迷わずに杏里ちゃんの方に手を差し伸べるくらいには善人だよ?」

「それはセルティにとって俺よりも杏里ちゃんの方が大事だからってだけだろ」



「臨也にとってはさ」



「臨也自身よりも、『人間』の方が大事だった?」



「馬鹿言えよ」



躊躇いは、もはやなかった。



「――――俺だって『人間』さ。
蛍ちゃんや、蟇郡君と同じ、人間さ」



嘯くことなく、心の底から、断言する。
折原臨也は、人間である。
そう言い切り、愛することが出来るまでに、どれだけの時間がかかっただろう。
愚かな選択を取り、たった一度の人生を投げ捨て、自身の敵を一人も、自らの手で抹殺することが出来ず。
自分が自分であるための道を選び、たった一人の女の子を救い、岸谷新羅という好敵手とようやく肩を並べることが出来た男。
そうだ、俺は今こそ『人間』である『折原臨也』を、愛そう。
多くの人間に嫌われ、憎まれていた、どうしようもなくクソッタレなヤツの末路を。
俺は、せめて俺だけは、心の底から祝福しよう。


「さて、思う存分自己満足したところで、自問自答も終わりとしようか」


曖昧模糊な世界が崩れ、これ以上ないくらいはっきりと、臨也は闇に覆われる。
とうとう終わりがやってきた、ということだ。
結局、天国の実在を証明することも、自身を殺し合いに参加させた繭への復讐も、平和島静雄を殺すことも出来なかった。
一条蛍も、臨也が命を懸けて庇ったあとに、流子にあっさりと殺されているかもしれない。
無駄死に。もしかしたら、今の臨也を『折原臨也』が見たら、そう冷静に評価するかもしれない。
だけど、悲しみとか、怒りとか、そういった負の感情は浮かばなかった。
ああ、俺は、やっぱり人間が好きだ。
こんな時でも、場合でも、達成感に満たされながら死ぬことが出来る、人間の愚かしさが大好きだ。


繭の言う通りならば、これから臨也はカードに閉じ込められる。
暗い寒いカードの中は、いったいどうなっているのだろう。
暗いって、どれくらいだ?何も見えない無明の闇か?
はたまた、目を凝らせば自分くらいは見えるのか?
寒いって、どの程度だ?そもそも魂に寒いって感覚はあるのか?
逆に言えば、暗い、寒いと『感じる』ことは出来るのか?
好奇心が沸く。
もしも魂が寒さを感じるための『肉体』の形を取るのならば。
手足の、身体の感覚は残っているのか?
空腹は?排便は?睡眠は?性欲は?
カード内部はどのような空間になっているのだろう?
動けるスペースは?外界は全く見えないのか?
例え魂が閉じ込められても、臨也の大好きな、思考をすることは出来るのか?


また、臨也は『天国』を未だに諦めていない。
セルティ・ストゥルルソンはまだ生きている。
臨也のメモが入ったスマートフォンは、蛍が未だ所持している。
臨也は、未だ希望を捨てない。
自身は死ねど、他の『人間』が彼の遺志を継いでくれることを、期待する。
誰かが主催者を倒し、誰かがカードの中から魂を開放し、臨也にとってのハッピーエンドとなることを、自分勝手に望む。
そうして臨也は天国に行き、思う存分人間観察に励むのだ。なんと心躍る可能性だろうか!


まるで走馬燈のように、今更に、人間たちの、顔が浮かんだ。
生みの親である両親、彼らの親でもある祖父母。
どうしようもなく愚かな、しかしてこんな臨也を家族だと慕ってくれた妹たち。
弟好きの秘書。妖刀を乗り越えた少女。顔に火傷痕の男。胴着を着た女性。禿頭の元ヤクザ。ロシアからやってきた何でも屋。
たった一人の、臨也よりも頭がおかしかった、白衣の友人。
この地で出会った空条承太郎、衛宮切嗣、一条蛍、ラビットハウスに残った面々。
他にも、沢山の人の顔が。商売相手や取引相手やお得意様や情報源やターゲットやその他諸々。
彼が希望を与えた少女も、彼が絶望を与えた少年も、彼のことなんて構わず非日常を求め続けた後輩も。
誰も彼もの幾つもの表情が浮かび、消え、最後に、一つの顔が残った。
虚無。空白。もしくは、『人間』という存在そのもの。


「ああ」


彼らに、『人間』に、別れは告げない。
折原臨也は天国を信じ、この地の仲間を信じている。
きっと、あの世でまた会える。湿っぽいのは無しだ。

だから。

臨也は、自分という存在がこの世から消え去る、刹那の間に。
絶対に自分と同じあの世へ、天国へ来てほしくないシズちゃんへ。
地獄でも煉獄でもいいから、自分と同じ世界にだけは来てほしくない化け物へ。
もう二度と会いたくない化け物に、一方的に、永遠の別れを告げて、締めくくりとした。





「さよならだ」



♂♀



「ここは退け、平和島」



飛んできた静雄を受け止めて。
開口一番、蟇郡苛はそう言った。


「ああ?」


全身打撲、出血している場所も、青痣になっている箇所もある。
満身創痍にして絶体絶命。こんな状態でもう一度流子と戦ったら、間違いなく彼は死ぬ。
しかし、そんなことくらいで止まるつもりはない、と言わんばかりに、当たり前のように。
自分が吹き飛んで来た方向に戻り、つまり、戦場へと舞い戻り。
あの程度で死ぬとは思えない、静雄を待ち受けているであろう、あいつを殴りに行こうと。
静雄は再度、あのクソ女をぶち殺しに行こうとしていた。
静雄の中で暴れ千切っている破壊衝動、未だ噴火したりないと吠えている大火山の如き怒り。
彼はそれらを発散しようと、蟇郡に背を向けようとして。


「俺が守っていなければ、一条は既に3度は死んでいた」


目に入ったものがあった。
用意されている、黒塗りの車。助手席に寝かされている、静雄が守るべきか弱い女の子。
それらの周りに、いや、そこ以外のどこかしこにも。
静雄が投げ飛ばした、巨岩があった。流子が蹴り飛ばし返した、大木があった。
静雄が振るった結果、先端が千切れて飛んだ、標識の『止まれ!』が落ちていた。


「貴様と纏の戦いの余波は、ここにまで到来していた」


静雄は、理解する。蟇郡が、飛来物から蛍を庇っていなければ。
俺は、自分ではそうと気付かないまま、ホタルちゃんを殺していた。
静雄の内部で渦巻く、怒りが、熱が。
まるで、絶対零度の氷を、背中に流し込まれたように。
一瞬で、冷えた。凍った。動きを止めた。
はっと、蟇郡を見た。彼は、難しい顔をしていた。


「俺は」


誰かを守るために、力を振るっていたつもりだった。
彼女たちを守るためなら、いくら自分が傷ついても、悪人を傷付けても、暴力を振るうべきだと思っていた。
だけど。
全然、守れていなかったのか。
俺が勝手に、そう思っていただけで。
結局は、いつものように。
周りを、俺の暴力で傷付けていただけだったのか。


「平和島よ」


だから守れないのか。
だから俺は、コマリも守れず、ホタルも危険に晒してしまうのか。
言葉を失い、力なく、放心したように、腕をだらんと垂らした静雄に。
蟇郡は、声をかける。だが、慰めのためではない。



「貴様は――――弱い」



池袋最強は、この地にて最強に非ず。
その事実を示し、静雄への戒めとするためだ。


ガツンと、頭を殴られたようだった。
今まで受けた、どんな打撃よりも。
纏流子のグーパンチよりも、響く言葉だった。
今まで、強い強い強すぎると恐れられ。
それが嫌で嫌でたまらなかった、はずだった。
だけど、実際に。
自分が望んでいたはずの言葉を、もらい。
弱い、と言われ。お前は強くも何ともない、と言われ。
今までのやり方では駄目なのだ、と理解して。
最強として池袋の街で恐れられた男に、去来した想いは。
暴力以外の取り得もなく、それでも、守りたい者がいる男の胸に、残ったものは。
やりきれなさと。
無力感と。
じゃあどうすれば良いんだ、という、迷いだけだ。


蟇郡苛は、彼の心中を察する。
彼は、自分とは真逆の人生を送ってきたのだろう。
優しく、誰かのために戦うことが出来るほどに優しく。
だが、怒りっぽく、自身の力を制御も出来ず、だから失敗する。
守ること、負けないこと、いかなる力にも跪かぬことで、己が覚悟を貫く、蟇郡苛とは違い。
殴ること、勝つこと、いかなる力をも跪かせることで、己が人生を生きてきた平和島静雄は。
此度の戦いで、挫けた。転んだ。いつもどおりでは、どうしようもない壁にぶち当たった。


「貴様の弱さは、腕力やその他の『暴力』によって克服できる類のものではない」


ならば、蟇郡苛は、道を示そう。
かつて、鬼龍院皐月様が蟇郡にそうしたように。
この俺が、生きた盾であるこの俺が、平和島静雄へと道を示そう。
強さとは、己の為したいことを為し得る力のことだ、と蟇郡は語る。
お前が本当にしたいことは、流子のような悪人を殴ることか?と蟇郡は問う。
静雄は、違う、と力なく言った。そうだろう、と蟇郡は同意した。
捨て犬のように、頼りなさげに見つめてくる、蟇郡よりも年上の男に対し。
諦めるな、と盾は言う。だが、茨の道だ、と、かつて力なくして弱者を守り切れなかった男は言う。
誰かを守るという行為は、言うは易し、行うは難し。
一朝一夕で出来得る秘訣もなければ、心得を説けば誰でも出来るというものではない。


「結局、その力は、お前自身にしかどうすることも出来んものだ。
だが、今すぐコントロール出来るようなものならば、貴様はここまで苦しんではおらぬだろう」


時間が必要だ。
平和島静雄が、成長できるだけの時間が。
傷を癒し、十全に力を発揮し、その上で力を、誰かを守るために使うことが出来るようになるだけの時間が。
しかし、蟇郡は皐月様のように、誰かを圧倒的な力や弁舌や光り輝くカリスマ性で導くことが得意ではない。
ならばこそ、俺は俺が得意なことで、貴様に時間を、道を作ってやる、と彼は叫ぶ。
その道が、でこぼこでも、障害物だらけでも、辛いことばかりでも。
もう、ここで終わりでも良いんじゃないか、ここをゴールとして良いんじゃないか、と諦めかけても。
往くのだ。精一杯走り、転んでも立ち上がり、終わりのその先へ、向かうのだ。
生きろ。一条蛍と共に、生きろ。
そのために。


「ここは、俺が引き受けるッッッ!!!」


蟇郡は、静雄の代わりに、一歩を踏み出した。


「おい、ちょっと待てよ」

「なんだ、平和島。伝えたいことは伝えたぞ」

「一緒に、行かないのか」

「纏は飛行能力を持っている。車で逃切れるかも分からぬし、もし追いつかれたら如何する。
俺やお前だけならば何とかなっても、一条を庇いながら、守りながら、カーチェイスを出来るとは思えん。
一条のことを考えるなら、一人がここで纏と戦い、もう一人は一条を連れてこの場を離れるべきだ」

「だったら、どうしてだよ」

「どうして、俺を置いてホタルちゃんと逃げなかったんだよ」


ふん、と蟇郡は、静雄を馬鹿にするように鼻を鳴らした。
なんだよ、と不機嫌になる静雄に、分からぬのか、と、あえて言ってやる。


「信ずる友を見捨てて逃げるほど、この蟇郡苛、腐ってはおらぬ」


最初、静雄は、ぽかん、と口を開けた。
だが、少しして、意味を理解し、唇を震わせて。
瞳を隠すように、サングラスをかけて。
じゃあ、だったら俺だって、と、言いかけて。


「俺はアイツと、纏流子と浅からぬ因縁がある。
ならば、貴様ではなく俺が先、というのが筋というものだ。
それに、今でも貴様は一条を守ることよりも、纏を殺すことを優先する気か」


言い訳を、もらってしまった。
彼と彼女の間に入るのは、無粋であると。
筋を通すという言葉を。
一条蛍を守るという使命を。
立ち止まってしまった静雄をよそに、ずんずん、と蟇郡は進んでいく。
未だこの周辺は生き残っている木々の向こうで、戦争跡の向こう側で待っているだろう、堕ちた本能寺学園生徒へと向かっていく。
彼の体躯が森の合間に見えなくなりそうになり。
自分が蟇郡にしてやれることは本当に何もないのか、焦燥感が募り。
このまま、一方的に借りを作って別れるなんて嫌だ、と、惜別の念が込み上げ。
思わず、静雄は叫ぶ。


「守り方ってやつをよ!」


「……なんだ」



「『今度会ったら』守り方ってやつを、教えてくれねえか」



今度は、蟇郡が口を開ける番だった。
しかし、彼もまた少しして、静雄が何を言いたいのかを悟り。
うむ、と。任せておけ、と。大きく鷹揚に頷き。
静雄を安心させるように、言葉を返す。


「高くつくぞ」


「きっとだぞ」


「ああ」


「絶対だぞ」


「くどい!」



「……またな、蟇郡」


振り切るように蟇郡は、歩みを、進撃を再開する。
敵を討ち、仲間を守らんと、男は男の道を往く。
威風堂々、待ち受ける死神さえも道退く巨神は、死地へと向かう。
最強ではなくなった静雄が、以前よりも小さくなったのかもしれないが。
その背中は、とてつもなく大きかった。
静雄は彼の『強さ』に、純粋に憧れる。
自分も、彼のようになりたいと素直に思えた。
力に溺れず、己を律し、誰かのために自信を持って戦えるように。
自分も、あんなふうに。


「強く、なりてえなあ……」


暴力を何より嫌い、争いを誰より憎む、化け物は。
守るための、強さを望み。
守るために、この場を離れる。
『最強』の守護者を、自身がそうしてもらったように、信じて。
男の勇姿を見送った静雄は、蟇郡が用意してくれた車に乗りこむ。
免許はない。だが、そんなことを言っている場合ではない。
見よう見まねでエンジンをつける。
慣れぬ手つきでレバーをDへと倒し。
左がアクセルだっけか……と少しだけ試運転して、動かし方を確認する。
そして、さあ、発進だ、という前に、未だ目を覚ましていない助手席の蛍を、心配そうに見つめ。
他に何があるか、後ろを振りむき、そこで。
二人の人間が、寝かされているのを見つけた。
きっとどちらも、蟇郡が運び、乗せたのだろう。
男の方を見て、嫌そうな顔も、憤怒の形相もせず。
池袋を騒がせる最強の片割れは、無表情で。


「臨也」


もう片割れからの、返事はなかった。
嫌味も、皮肉も、暴言も、何もなかった。
今まで幾度となく言葉で静雄をキレさせてきた男から、言葉が返って来ることは二度となかった。
折原臨也は、後部座席に安置されていた名前も知らない金髪少女の横で、大人しすぎるほど静かに、眠っていた。
沈黙を保った静雄の耳に届くのは、助手席に乗せた一条蛍1人分の、苦しそうな寝息だけだった。
「シズちゃんと相乗りだなんて、死んでもごめんだね」なんて、いかにもこいつがほざきそうな悪口は、永久に聞けそうにない。
静雄が「ゾンビのように執念深い」と嫌々ながらも評価したノミ虫が、パニック映画のようにいきなりこちらに襲い掛かって来ることもない。
こんなもんか、と思った。
意外と、あっけないもんなんだな、とも。

平和島静雄は、折原臨也を許したわけでは断じてない。
殺す理由は100も思い尽くし、殴る理由は1000にも上る。
この地においてもこいつは、静雄を陥れようとしていたようだし。
先ほど、蛍が死にかける原因を作ったのも、そもそもこの男だ。

だが、それでも。

一条蛍の命を救ったのが、折原臨也だったことは事実だ。
静雄も、蟇郡も、間に合わない距離で。
静雄よりも速く、蟇郡よりも迅速に。
いつも静雄から逃げている時のような、要領の良さで。
いつもからは考えられぬ、似合わないことをして。
臨也は間に合った。静雄は、間に合わなかった。
その事実は、未来永劫書き換わることがない。

だから静雄は、筋は通す。
筋を通さないことよりも嫌いな男は、ここにはいない。
この車から投げ出したりはしないし、これ以上損壊する気もない。
それに、蛍の恩人となってしまったやつに対して、不本意ながら、言葉の一つもかけてやるのが人情というものだろう。
では、なんと言ってやろうか、と少しだけ考えて。
感謝や、謝罪や、敬意や、そういった類の言葉は絶対に言いたくないし。
何より、自分たちには似合わないだろうから。





「あばよ」





せめて、別れの言葉くらいは、口に出してやることにした。



♂♀



「纏よ、一つ聞きたいことがある」



再会を、祝うでもなく。呪うでもなく。
純潔の流子に対しても、既に聞き及んでいた世界移動の話から驚きもなく、ただただ平常に。
蟇郡苛は、巨大な体躯から漏らすように、声をかけた。
今、この質問をすることに、意味はないのかもしれぬ。
だが、纏流子のために。いや、自分のためでもあったかもしれぬ。
無念に死した『彼女』のためでも、あったのかもしれぬ。
どちらにせよ、これだけは、聞いておく必要があった。


「満艦飾マコという少女を、覚えているか」


纏流子の、親友を。
纏流子を神衣純潔から救い出した、小さな英雄を。
止まれと言っても止まらない、あのどうしようもなく突き抜けたバカを。
お前は、覚えているか、と。


「なんで、んなこと聞くんだよ」


流子は、今の空の色を聞かれたように、不機嫌な声で唸った。


「さっき会った。死んでたよ」


流子は、自身の親友のことを、覚えていた。
いつだって、彼女と一緒で。
いつだって、彼女を救って。
いつだって、彼女の原動力だった。
そんな親友の、死を。
満艦飾マコは、死んでいた、と。
あっさりと言いのけた。
こともなげに言った流子の顔に、悲しみはない。


「止まる気は、無いのだな」


流子は、一瞬だけ驚いた顔をした。
まさか、そんなことをこの男から言われるとは、思いもしなかったのだろう。
こいつは人一倍やかましく、ことあるごとに風紀だルールだとうるさく。
流子のような輩には、もっとも容赦のない人種だと思っていたからだ。
あるいは、彼らしからぬ最終通告は。
救われた纏流子という未来を、知っていたから。
満艦飾マコと共にハッピーエンドを目指した纏流子を、知っていたから。
姉妹たる皐月様の傍らに立ち、我ら本能寺学園四天王と肩を並べ。
生命戦維と鬼龍院羅暁を打ち滅ぼさんと立ち上がった流子のことを、知っていたからこその。
変わってしまった流子への、『彼女』の無念を、涙を、代わりに俺が拭えれば、という。
未練、だったのかもしれない。

だが。

驚いただけで。


「……おせえんだよ、お前も」


流子の耳に、二度と讃美歌は届かない。


だから、蟇郡は決断する。
是非もなし、と。





「これ以上、貴様と語らう必要なしッッッ!!!」





三ツ星極制服、縛の装。



最終形態、解放。



煤けた灰の包帯を巻き、ありとあらゆる攻撃を受け止め。
変態ではなく変身し、全身から鞭を繰り出す。
死の恐怖により、他者を縛り。
自らの身体を戒め、他者への戒めとする。
第一の装、縛の装を脱ぎ捨て。



纏流子による戦維喪失より復活し。
神衣鮮血、純潔、更に針目縫の戦闘データを取り込み。
己の拘束を解き、縛りながら死縛を行う。
改の装、四将綺羅飾が一。
第二の装、縛の装改をも超越する。



本能寺四天王が守るべき、侍るべき主より授けられた、究極の戦装束。
神衣さえ切り裂く鬼龍院皐月の刀、縛斬と同等の硬度を持つ、正しく生きた盾。
拳に宿るは、燃える正義を表す炎。口から放つは、正しき意志を表す光。
己の肉体を余すことなく現世に晒し、露(あら)わに出(いで)るは絶対守護神。
其は、我が心を解き放ち、心行くまで蟇郡苛の信念を貫き通すための力。




縛の装・我心解放――――ここに見参!


「この本能寺学園風紀部委員長、蟇郡苛ッッ!
満艦飾のように甘くはないぞッッッ!」




風紀のために。
規律のために。
守るべきものたちのために。
益荒男は、立ち上がる。




「皐月様に仇なす悪鬼羅刹を打ち滅ぼすためッッッ!!
全ての兵(つわもの)を守るためッッッ!!!」




皐月様は、必ずやこの悪趣味愚劣な戦いを止めるために戦っている。
あの方は仲間を集め、情報を集め、先陣を切り、先頭に立ち、必ずや繭の喉元へと刃を突きつける。
彼女の元へ、戦士は集う。彼女の光に、防人が従う。彼女の剣は、服を着た豚を決して許さない。
ならば。
ならば、ならば、ならば!

主催へと刃向かう勇気ある者、全て皐月様の私兵也!

皐月様の私兵を犯す者、全て皐月様への逆徒也!

折原臨也を、一条蛍を、平和島静雄を。
殺し、傷付け、惑わした纏流子こそ。


我らが御旗、鬼龍院皐月様の怨敵也!


だから、鬼龍院皐月様の、生きた盾として。
本能寺学園生徒、纏流子の風紀を取り締まる風紀部委員長として。
倒すべき敵に、万死を与えるため。
守るべき友の、万難を排するため。





「貴様を―――処刑するッッッッ!!!」








蟇郡苛、ここに起つ。





対し、一人の逆賊は。
服を着た豚、一匹は。





「でけえなあ、でけえ、でけえ。
顔もでかけりゃ態度もでけえ。図体もでかけりゃ、夢まででけえってか」





纏流子、怯みを知らず。
神衣純潔、畏れを知らず。
孤服一着、変え着を知らず。
生命戦維の化け物、己が勝利を疑わず。




「全員守る? ふざけるなよ」




流子は、笑った。
肉食獣の笑みを、顔が張り裂けそうになるほど大きく、顔に浮かべた。
張り裂けそうな胸の痛みを笑顔に変えながら、嘲った。




「その全員とやらの中に、あいつは入ってなかったのかよ」




笑顔のまま、怒り狂った。
彼女がこの地に舞い降りてから。
皐月と鮮血にしてやられ、聖女や蟲男に敗北感を味あわされ。
セイバーに負け、高坂穂乃果に負け。
満艦飾マコが死んだと、放送で聞いて。
満艦飾マコの、救いも希望もない死に顔を見て。
今この瞬間に込み上げてきた、今日一番の怒りだった。
マコの死に対する、悲しみは既になくとも。
彼女を守れなかった、蟇郡と、■■に対する。
自分でもワケが分からないほどの、はち切れんばかりの怒りだった。




「マコ一人守れなかった、デクノボーなんぞに」




もしくは。彼女が今からすることは。
それこそ、年相応の少女ならば誰だって見せる。
余人にはどうしようもない、複雑な乙女心が見せる。
ただの、八つ当たりなのかもしれない。




「守らせるもんなんて、これっぽっちもねえんだよ」


時系列順で読む


投下順で読む


143:キルラララ!! わるいひとにであった 蟇郡苛 143:折原臨也と、天国を
143:キルラララ!! わるいひとにであった 平和島静雄 143:折原臨也と、天国を
143:キルラララ!! わるいひとにであった 折原臨也 143:折原臨也と、天国を
143:キルラララ!! わるいひとにであった 一条蛍 143:折原臨也と、天国を
143:キルラララ!! わるいひとにであった 纏流子 143:折原臨也と、天国を

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最終更新:2016年02月15日 18:01