Mission: Impossible ◆KYq8z3jrYA

『怪物』は、目的地である映画館へ向かうため、鍛え抜かれた太い足でもって南に歩を進めていた。
バーテンダーとの戦いは敗北を迎え、定時放送による死者の発表は思わぬ衝撃を与え、その悲しみの咆哮は世界の全てを壊してしまうのかと錯覚するほどだったが、それも今や幻だったかのように無表情を貫き前だけを据えている。
なにか大きな変化でも起きたのか。しかし、真実は怪物以外知る由もない。
発した声は、誰にも聞こえず風に流されていった。

怪物の姿は、街角に消えていく。


◇◆◇


泣き叫び震えていることだけが恐怖を表すものではない。
紅林遊月はどこかで聞いたその言葉の意味を身をもって刻んでいた。

針目縫。この悪趣味な催しに少なくとも賛同しているのであろう人物。
彼女を止めるために拘束から抜け出した遊月は、使命感や正義感といった小さく燃え上がった炎とは別の、一つのある感情がふつふつと芽生え始めていた。
嵐が去った後にやってくるのは安心感なのではない。コップいっぱいに注がれた水が小さな振動で溢れ落ちるように、止まった時間から動き出した熱は、あの死の感覚よりも更に熱くも身を焦がしているーー

タールさながらの暗闇に横たわる自分の姿を想像し、妄想を消し去るように頭を振って散らして、するべきこと考えるべきことを心中で何度も反芻する。
それが嫌なことから逃げているだけなのか一刻も早く彼女を止めたいのかは分からないが、どちらであっても次に進むためのステップとしては正解であると確信する。


遊月は急ぐ。胸に焦りを抱えたまま素足から伝わってくる、冷たいリノリウムの床を踏み抜く。


まず、早急にするべきことは針目縫の動向について知らなくてはならない。
その情報を得るためには彼女がどんな人間であり、どのような目的があるのかを考える必要がある。
言葉の一つ一つに至るまで、会話を記憶を掘り起こす。

縫が聞いてきたのは主催者に繋がる情報について。これは優勝を目指すにしてもそうでないにしても、参加者同士の交流では獲得しておきたいものだ。
そこにおかしなところはない。敵意がなく、襲ってくる気配もない彼女は普通の女の子だった。
話した内容はこれまでの道筋。そこから当然のように自分たちを誘拐した繭へと繋がっていく。
魂などといった理解の及ばない現象。これまでの人間関係。どこで誰とどうやって出会ったのか。
さり気ない風を装いながらも一方的に情報を盗まれた。こちらに与えられた情報は殆どない。
ただ、西からやってきたという本当かどうかも分からないどうでもいいことだけを残して、繭で覆われていた仮面を外して本性を現わした。

(何で、わたしを殺さなかったんだろう)

一度、結論付けたことを、もう一度考える。
保険、だろうか。ルール通り優勝を目指す一方、自ら脱出の方法を探っていく。自分を殺さなかったのは利用価値があるから。
ならば、鏡写しにしたような同じ顔になった意味は? 情報の収集か。いや、そもそも、その行為に意味はあるのか。
まさかゲームに乗っているとは思えないほど、外見は小さく愛くるしいと言える容姿だ。敵意もなく近づかれたら警戒のレベルは下がる。実際に自分は騙され殺されかけた。
そんな彼女が小細工を使う意味はあるのだろうか。情報を得るなら普通に聞けばいいし、殺すのなら堂々と不意を打ってすればいい。

力のない少女だなんて、あの人形のような目を見た瞬間に頭から吹き飛んでいる。
機械のように、道端に落ちてあるゴミを踏みつけるように、簡単に生命を奪ってしまう凶器を向けていた時も変わらず、嘘くさいぐらいのニコニコとしたその表情のまま刃を振り下ろすことが可能だと理解をしたから。
息を吸うように彼女は人を殺すのだろう。殺せるのだろう。

そんな、彼女がなぜ自分を生かしたのか。

そして、姿形を真似てどうするのか。友人たちに何か繋がるものでもあって、近づくことが目的なのか。
それとも借り物の姿で暴虐を尽くし、本当の自分を見せず汚さないで勝ち抜くつもりか。
もしくは苦戦をするような一筋縄ではいかない存在がいて、その打倒のためだけに奪ったのか。
または殺人を犯すたびに顔を変えていき、安心安全に殺し合いを制すつもりであるのか。
あるいは、これは飛躍した説ではあるが彼女は意図的に用意された舞台装置。参加者を悪意のある方向に導く役割を持っており、それが意味することはこの場で結成した集団の崩壊。
少しでも触れれば脆く崩れ去ってしまいそうな特殊な状況下で疑心暗鬼が発生したのなら、あとは坂道を転がっていくように事態は悪い方へ収束していく。
シャロとの小さなすれ違いでさえ亀裂を生んだ。いや、初めから、あの白い部屋からすでに自分たちの日常はひび割れている。


縫に挑む勇気はあるというのにこのまま外へ出るには躊躇がある。
ロビーから続く通路を右に曲がり、劇場に『忘れ物』がないか早足に調べていく。


では、縫が主催者から差し向けられた者であると仮定するとして。
それにしては彼女の行動は、繭と繋がっていると考えるならば不自然と言えるだろう。
あちら側の人間であるならば、此方の情報など紙屑にも劣るものであるはずなのに求めてきた。
そして、あの時、笑顔の仮面の中から一瞬だけ覗いた、彼女の顔。

(違うにせよそうでないにしろ、そういう存在はいるのかも)

争いの停滞時に備え、火種をばら撒いている者がこの世界に潜んでいるかもしれない。
どのような死に方であろうとも関わらず、ここで死んでしまえば魂を閉じ込めるというカードに入れられ、一人寂しく冷たい牢獄のような場所で永遠に意識が残る、と繭は言った。
言い聞かせるように、生き残りたければ他者を殺せとも。勝ち残り最後の一人になる以外にここからの脱出は不可能なのだと、力を示して見せながら。
脅しとしては感想を聞くまでもない、目を耳を塞ぎたくなるような血溜まりの中での厳しいルールの数々。
それを見せられてもまだ歯向かう参加者に対する切り札を用意してきてもいい筈だ。
いや、むしろそうしない理由はない。始まりから悪意に満ちたこんな世界なら、なおさら。


一つ二つ三つ四つ、こちら側の通路の劇場に『忘れ物』はないようだ。


優勝したからといって生きて帰れるという保証もないと縫は考えたのだろうか。
細い糸に掴まるような気軽さで、いつ折れても自分には正方向にゲームを終わらせられる力があるという自信が、あの薄気味悪い笑顔に反映でもされているのか。
良く言えば現実的、悪く言っても現実的。いや、ほんとうにそうだろうか。

少なくとも自分が知りうる情報だけでは脱出は夢のまた夢。
友人たちを死なせたくないとみんなで無事に助かりたいと思ってはいても、大人数の人間を攫ってきたという事実は決して無視できるものではない。
海に囲われたどこかも知らない島。いつでも殺せるように設定された禁止エリアの存在。腕につけられた奇怪な腕輪、魂を封印するという白のカード。
そんな監獄のような場所。脱出のための道など残しているような間抜けなことはないだろう。
一度しか会ってなく、一度しか話してもなく、受け取った内容も吹けば飛ぶようなものだけれど、微かな希望に望みを賭けるような人物ではないことは分かる。
だからこそ、意図が分からない。繭に閉じ篭もった仮面の中を、最後まで見ることは未だ出来ていない。

深く考えすぎなのだろうか。答えはもっとシンプルなのだろうか。


いけない、横道に逸れている。元に戻さないと。


(仮に、本当に西から来たのだとしたら南下をしていることになる)


血で手を汚しているような不都合なことは隠すだろうが、何処からやって来たのかという小さな嘘はつくのだろうか。思考を戻すためにふと思ったことは、なるほど辻褄は合う。
自分がラビッハウスから北上してきたことを考慮すると、少なくとも南からのルートを辿ってはいない。
では、彼女はどこを目的地にしているのか。気ままに渡り歩いているというのは考えたくはないが。


腕輪から地図の機能を表示させてざっと目を通す。
どうやらここは海に囲われた三つの島が線路を挟んで出来ているようで、八×八の計六十四のブロックに切り分けられているらしい。
このブロックというのが放送での禁止エリアというものに六時間ごとに変わっていく。
分かりやすさという意味でも地図に複数記されているシンボルマークはいい目印になる。参加者と積極的に出会うのが目的である以上、そういった施設を回っていくことは効率的だ。
現在地、南東の市街地に立つ映画館もそう。おそらく、縫もそう思うことは想像に難くない。
彼女がやって来た経路は北西から南下として、これで随分と行動は絞り込める。
映画館の近くに存在するシンボルマークは四つ。万屋銀ちゃん、ゲームセンター、駅、ラビットハウス。


そして、遊月はラビットハウスにいる三人のことを話してしまった。


(……うん、ラビットハウスへ行こう)

喉に骨が引っかかったような違和感の正体はまだ晴れてはいないけれど、彼女たちの目前の危機と比べるなら粗末なことだ。
店内には挽いたばかりの豆の香りが漂っていて、そこは何処か異国に迷い込んだような雰囲気を醸し出しいるラビットハウスに到着したら、呑気にコーヒーを飲んでいる二人がいて、承太郎さんはそんな二人を眺めながら泡立つビールを煽っている。
そんな、ふわふわとした空気の女の子たちと街の不良みたいな人が並ぶ光景を想像して、思わず口元が笑ってしまう。


開いた扉から中を覗いて見れば、今の自分に必要な物があった。



◇◆◇


ーー『怪物』が映画館に辿り着いたのは放送から暫く経ってからだった。

正面から侵入し自分の家だと言わんばかりに遠慮一つなしにロビーを物色していく。万屋を荒らした時と同じ要領で、人が隠れられる隙間以外に目をつけるところは特にない。
その際に物を壊すなどということはしていないので、これでは異常に体格の大きいお客様なのだが
、表情なく淡々と動かれるだけでどこか不気味なものを漂わせていた。
カウンターの奥、チケットボックスの近くにある二つのゴミ箱、ストア商品棚の下、コンセッション周り、休憩室の扉をぶち破りはせず、ドアノブに手を掛け中を探る。
数分もすれば呆気なく捜索は終わりを迎えようとする。既に事の終わったトイレを後にして、まだ調べていない劇場へ怪物は足を向けた。


◇◆◇


映画館の一階、入り口のプレートには9と表記された劇場、白と黒と移り変わるスクリーンを背後に遊月は重たく息を漏いた。
普段当たり前のように身に付けている服がこんなにも暖かいなんて思いもよらず、安堵するように漏らしてしまった行動である。
下から二番目の列にある席に掛けてあった藍色のロングコートは、冷たくなった体から熱を戻す仕事をしてくれる。下半身も同時に隠してくれるというのもありがたい。
遊月はコートに包まりながら劇場に入室した時から気になっていたものに目を向けると、世話忙しく点滅していたスクリーンが視線に答えるように切り替わり明るくなり始めた。
どうやらタイミングよく上映が始まるところだったよう。映写室から発射されていた光はスクリーンに映像を映していく。

静まり返った劇場内は暗闇に覆われていき、始まりを告げるように流れ始めたのは早めのアップテンポで聞こえてきたピアノの音。
確かこれは、‘子犬のワルツ’だっただろうか。遊月はぼんやりと、もう間もなく変化があるだろうスクリーンを眺める。
頭、足、そして胴体の順で画面の端からゆっくりと現れたのは、もこもことした白色の毛並みが特徴的のアルパカ。
クリッとした丸い目は今時の女子学生には黄色い声を掛けられることだろうと、そう思わせるほどの真っ白で純粋な瞳。
続くように姿を出したのは、目元が焦げ茶色の毛で完全に隠れてしまっているアルパカ。
白いアルパカとは違う方面で喜ばれそうな、笑っているような表情はとてもチャーミング。
くるくるくる、と二頭のアルパカは画面の中で踊るように回り始める。健を叩く指が絡まっていしないかと想像してしまうほど、リズミカルなテンポはそのまま終曲を迎える。


二頭のアルパカは画面外へと帰っていき、スクリーンは再び沈黙を見せた。
可愛いなと、遊月は素直に思ったがこんな場所で休んでいるわけにはいかないと立ち上がる。
あまりに突然なことに言葉を失ったが、見てみればアルパカがただ回っているだけの映像だ。
毒にも薬にもならず、他人の命が掛かっているこの状況で貴重な時間を消費することは出来ない。
劇場に入ったその時図ったようスクリーンに明かりが灯ったのは、何か意図的なものがあってのものなのか興味がないと言えば嘘になるが、一刻も早くラビットハウスへ向かいそこに来店している彼女たちの無事の確認と、危険が迫っているかもしれない警告を出すことが何よりの優先事項。


『21世紀、世界の麻雀競技人口は1億人の大台を突破ーー』


遊月が目を逸らしている間に、いつの間にかスクリーンには映像が流れていた。
高らかに牌を持つ手を掲げて、学生服を着た少女たちが卓を囲んでいる姿。
終始表情を崩さない少女もいれば、対面に華が咲いていると錯覚してしまいそうなほど心の底から楽しそうに打っている少女もいる。
次々に少女たちが画面に大きく映されていくのを尻目に、足の裏と床が接触する音を場内に響かせながら遊月は出口へと目指す。

縫への課題は山ほどある。遊月が短い時間で考えた彼女に対する対策は、接触をせず奉仕対象の方を逃すという何とも情けないものだが、これが精一杯の出来ることだ。
言葉をやり繰りして止まるような相手なら、あのような無様は晒していない。
身包みを剥がされたのは衣服だけではなく、正面から立ち向かうという心までも引き剥がされた。
遊月はリルグが宿るカードを手にしたセレクターと呼ばれる少女たちの一人であるが、肉体や精神が強いというわけではなく、力も知恵もその辺にいるただの女子中学生。
彼女が危険だから殺さないといけないとそんな物騒な思考にはたどり着かず、かと言って話の通じる相手ではないことも身を持って経験済みだ。
選択肢は限られ、至る道筋も限定されているが、だからこそ、この道は正解だと確信出来る。

酷い別れ方をしたシャロの存在も勿論忘れてはいない。しかし、どこにいるのかも分からない人を見つけるというのは中々に骨が折れるものだ。
島であるとはいえ、発達した街や広大な森は存在している。この映画館があるブロックもビル群こそ見えないものの、商業施設や住宅などが点々と並び立っている。
その一つ一つを調べていくのは砂漠で一粒の砂粒を探すに等しい行為。
この世界が閉ざされる方が早いのでは、そう考えているのは仲違いしたシャロに対して一方的に自分が悪いと分かった遊月が悲観的になっているのが原因、だと本人は気がついているのだが、少なくとも彼女には目先の危機は迫っていないとして、ラビットハウスへ向かう選択を取った。
もしかしたらシャロもラビットハウスへ戻って来ているかもしれないというのも、悩む遊月の行動を後押しをする。

はた、と遊月はまだ見えない友人のことを考えて気分が重くなる。
酷いことをしたのはシャロだけに留まらない。るう子にしたのは心を覗いてしまったシャロ以上に無責任で一方的な関係の断絶。
それはいけないことだと理解はしていても、納得が出来ず諦めて心の奥に押し込んでいるしかない感情は、花代に出会い奇跡を知ったその時に抑えきれなくなった。
セレクターバトルに負けた敗者の末路を知ってもなお、胸に燻った炎は消えてはいない。
そう、今もまだ、こんな絶望しかない世界でも、遊月は諦めてなどいない。
花代にセレクターバトルの一端を教えて貰った後も、他のセレクターの願いを奪い取っている。
願いの代償は、その願いの反転。そうと知っていて、分かっていて、戦い続けた。


(……ん?)


音が止んだ。
スクリーンには、もう麻雀を打つ少女たちの姿は映し出されていない。
ブラックアウト、遊月の心を表したように、色は消え音は死んでいる。
場内が暗いままということは、まだ映画は終わっていないのだろう。
そんな、大きな変化に気づかず、遊月はなにを疑問に思ったのか立ち止まりポカンとした顔つき。

(セレクターバトルに勝ち続ければ無限少女になりどんな願いでも叶えられる)

それが本当であるかどうかを問うのは意味のないこと。
遊月が望む願いは、例え、世界が滅びようとも叶えられる願いではなく、許されるものではないのだから。
選択肢など初めから与えられていない。だから奇跡に頼った。

(バトルに三回負けたら、願いはマイナスになり、反転して叶えられる)

例えば、友達が欲しいと願い負ければ、友達を作ることは出来なくなる。
かつて遊月の友達だった少女の願いは反転して、現実となり少女は一人きりになった。
セレクターバトルで叶えられた願いを覆すことは、同じセレクターの願いであっても出来ない。
だから、死ぬまでその少女は一人。

(わたしの願いは香月を……)

恋なんて生易しいものではない。遊月は血の繋がった実の弟を狂おしいほどに愛している。
この気持ちを忘れたことなど一日足りともなく、ずっとずっと想い続けてきた。
自分では絶対に叶えられない願いを叶えてくれる奇跡があるならば、遊月はどんな代償を示されても手を伸ばす。

(願いの代償……白のカード……)

カチリと、遊月の頭の中で感じていた違和感が溶ける。

(同じなんだ、この殺し合いとセレクターバトルは)

針目縫との短い会話の中で得た情報に有益なものは一つある。
豹変した彼女に圧倒されたのが原因か、今の今まですっかりと頭の中から外れていた。
セレクターバトル。願いを叶えるため、無限少女を目指す少女たちのカードバトルゲーム。
無限少女となった少女は望む願いを叶えて、三回負けた少女の願いは反転されセレクターに関わった記憶も失われる、勝者と敗者がはっきりと分かれるカードゲーム。

細かい違いはあるけれど遊月が置かれた状況はセレクターバトルに近い。
殺し合いに勝ち残れたら願いを叶えて、負けたら命を落としカードに魂を封じられる。
誰かの願いを踏みつけ、勝ち続けられたら願いを叶えられるセレクターと同じ。

(本当に……?)

リルグはセレクターには欠かせないパートナー。
彼女たちがいなければセレクターバトルに参加出来ず、願いを叶える挑戦をすることも出来ない。
魂を囚われた少女。それこそがリルグとするならば。

(花代さんたちは、殺し合いに参加していた? そして、負けてしまった?)

遊月は頭を振る。飛躍しすぎた発想を払うためだ。
あと少しでなにか掴めそうな気がする。静まり返った劇場は陽が当たらないからか肌寒い。
自身が感じたなにかを掴むまで、あと数歩。


ーーコツン。
手に掴もうとしたその間際、思考はリノリウムの床を踏みつける足音によって切られた。
一秒でも早くと急いでいた遊月が力押しで開いた、開けっ放しの重厚な扉。今や防音の役割を果たしていない扉の外から、思考を乱した足音が聞こえている。
遊月が初めに思ったことは縫が戻ってきたということ。しかし響く足音は、通快なステップを踏む小柄な彼女の音ではなく、まるで逆、重く一切乱れることのない。
男性だろうか、根拠もない考えは実りを見せず、足音の主に対してどう対応するか決めかねる……のは、一瞬だけ。

(……行こう、衣服を回収しただけで、この場は十分)

遊月の決断は早かった。劇場、入り口近くにまで来ていた体の方向を変える。万が一、足音の主が針目縫のような危険な『怪物』であったのなら、なにも出来ることなどないから。
危機に対して防衛する手段がないため、抗える相手というのは少なく限られている。
女子中学生というステータス。この小さな世界では弱者に位置付けられる遊月が、下手な好奇心を出したならすぐにあの世行きだ。自分の身を弁えている、とも言える。
何より、正体の見えない侵入者より、現在進行中で危険な彼女を相手にするべきだろう。


何かを探すよう静かに足音は続いている。どうやら遊月の読みは‘当たり’なのかもしれない。


ロビーの正面入り口に向かうと侵入者の視界に入ってしまうので無理として、であるならどうやって気づかれずに脱出をできるか。
映画館は二階建ての構造になっている。入り口からロビーへ入ると、右手に受付、左手にストアがあり、もう少し奥に進んだ右手にはポップコーンやチュロスを販売しているコンセッション、更に奥に進むと左手に二階へ続くエレベーター、右手がチケットの受け渡し、劇場の入り口。
劇場は二階のものを全て合わせると14部屋と多いが、1階のものだけだと7部屋になる。
二階に捜索の手を伸ばすか、トイレに行っている隙でも狙わない限り、正面から外へ出ることは出来ない。
劇場へ続く通路はT字に分かれており、番号が振り分けられたそれぞれの場所に繋がっている。
ここで問題になるのが遊月がいる劇場の扉が開いてしまっている。元に戻そうにも、閉める時の音が響く。
これが意味することは、見つかるまでのタイムリミットはそれほど長くはないということ。
侵入者がフロアの捜索を終えて次に探しに来るのは当然、劇場になる。

ーー鼓動が少し早まるが、それだけ。奇しくも針目縫との邂逅が糧となったのか、怯えるのではなく状況を打開するために頭を回す。

現在、遊月が置かれた状況は非情に辛い。外へ出るためにはロビー正面の入り口が必要で、そこを通るためには侵入者との接触をせざるを得なくなる。
他の出口を探そうにも劇場の前の通路にはトイレしかないことを確認しており、その通路の入り口であり出口はロビーへ繋がっている。
そんな、表情こそ平静を保っているものの時が経つごとに焦りを顔に出していく遊月の努力も虚しく、足音は明らかに此方に向かって来ている。
微かに震え始めた体はまるで袋小路に追い詰められたウサギのよう。
どうにかして頭を切り替えようとしたのか、足音から少しでも遠ざかろうとしたのか、衣擦れの音を響かせないようにそっと息を潜めて劇場の奥に進む。
鼓動は正反対にボルテージが上がっている。口を開けたら音となって飛び出してくるように思えて、遊月は口元を手で押さえるようにして歩みを続ける……とその先にあっさりと出口は見つかった。


視線の先には、強く光を発している誘導灯ーー非常口。


希望の光。


◇◆◇


ーースクリーンの画面には煌びやかな衣装を纏ったアイドルが歌い踊っている。

そんな光景を『怪物』ジャック・ハンマーは、深く座席に座り眺めていた。

(……さて)

映画館でジャックが求める参加者は見つけられなかった。人がいた‘形跡’こそあるものの、それが‘いつ’であるのか判断がつかない。
トイレに散乱していたガラクタ然り、目の前で上映している映像然り。一階に一つだけ劇場のドアが開いていたが、これも‘いつ’であるのか彼には分からない。
その劇場には非常口が存在していたが、開いたのは場内を調べ終わった後。
まさか足音だけを聞いて、話もせず逃げる者がいるとはとても思えず、いたとしてもそんな腰抜けは
放っておいても勝手に死んでいくだろうと様々な考えはあったが、単に場内に隠れている方が可能性は高いとそちらを優先しただけである。
ともあれ、獲物を見つけられずその報酬を取れなかったジャックは流れていた映像に足を止め、人一人いない貸切の劇場で、少しだけ疲労した体を休めていた。

ーー否、限界を超えたジャック・ハンマーはこの世界が終わる三日間を休みなく戦い続けることなど、東から西へ太陽が昇るより当たり前のことであり、鶏が卵を産むことより簡単なこと。

では、貴重な時間を使ってまで進撃を止めた訳とはーー

(……勇次郎ヨ、なぜ死んだのだ)

目的であり目標であり、ジャックの人生そのものと言っても過言ではない、父、範馬勇次郎。
その『死』をこの身に深く刻みつけるため、ジャックは留まる選択を選んだ。

(地上最強ではなかったのか、貴様の強さはそんなものだったのか)

武に生きる者であるならば範馬勇次郎を知らない者はいない。
この世のどんな生物であろうとも、彼を相手にすれば最弱に成り下がる。
勝てないからではない。圧倒的な戦力差ゆえ、ボロ布のように扱われ自らの強さの核を砕かれてしまうからだ。
アリがティラノサウルスに挑んで負けたとして、アリの強さを証明など出来るであろうか。
踏み潰されて死ぬ、所詮、アリはアリ。根本から勝てる要素などない。
一方的な蹂躙は相手の心を折り、そして二度と立ち上がることのない体になる。
例え 、癌細胞であろうとも勇次郎に打ち勝つとは不可能であり、核爆弾を使おうとも殺すことは出来ない。
そんな、自他共に最強と謳われている彼が、この地で命を落とした。

(負けた……などと言うつもりはないだろうな、勇次郎)

範馬勇次郎が負けたらそれはもう範馬勇次郎ではない。範馬勇次郎をした‘なにか’だ。
地上最強から最強を取ったら、そこらにいる有象無象の生物と何一つ変わらないということ。
そこにジャックが求める範馬勇次郎はいない。最強である彼だからこそ目標とする意味がある。
ティラノサウルスだろうと負ければアリだ。ジャックはアリに微塵も興味はない。

(……戦えば、自ずと分かること)

暗雲に支配されつつあった心を、拳でもって破壊しヤシの実も筋り取る歯で筋み砕く。
ノイズが掛かったまま戦いに赴くなど、これから出会う全ての者に失礼な態度である。
ジャックは全力で彼らを潰し優勝を勝ち取る。勇次郎を倒すという最大の目標は潰えたものの、その心までも、その戦いの道までも失ったわけではない。
それとこれとは、別。勇次郎の問題は参加者である彼らに関係はない。

(…………)

僅か、一分にも満たない思考は、防音加工してある扉を貫くほど強烈な音によって途切れる。
足を上げ落とした、その動作だけで床を踏み鳴らしたジャックは、大きく凹んだ床に目もくれず立ち上がる。


決意も新たに、出撃の時は来た。


(刃牙、お前はどんな選択をする)


『怪物』は一歩を踏み出す。





【G-6/映画館/一日目・午前】
【ジャック・ハンマー@グラップラー刃牙】
[状態]:頭部にダメージ(小)、腹八分目、服が濡れている
[服装]:ラフ
[装備]:喧嘩部特化型二つ星極制服
[道具]:腕輪と白カード、赤カード(9/10)、青カード(9/10)
     黒カード:刻印虫@Fate/Zeroが入った瓶(残4匹)
[思考・行動]
基本方針:優勝し、勇次郎を蘇生させて闘う。
   1:人が集まりそうな施設に出向き、出会った人間を殺害し、カードを奪う。
   2:機会があれば平和島 静雄とも再戦したい
[備考]
※参戦時期は北極熊を倒して最大トーナメントに向かった直後。
※喧嘩部特化型二つ星極制服は制限により燃費が悪化しています。
 戦闘になった場合補給無しだと数分が限度だと思われます。


◇◆◇


『怪物』が来襲していた事などいざ知れず、非常口を通り映画館から外へ出た遊月は振り返る事もせず去っていく。

『化け物』の危険を知らせるため、ラビットハウスへと走る。




【G-6/市街地/一日目・午前】
【紅林遊月@selector infected WIXOSS】
[状態]:口元に縫い合わされた跡、決意
[服装]:藍色のロングコート@現地調達
[装備]:令呪(残り3画)@Fate/Zero、超硬化生命繊維の付け爪@キルラキル
[道具]:腕輪と白カード
[思考・行動]
基本方針:叶えたい願いはあるけれど、殺し合いはしたくない
1:シャロを探し、謝る。 今は、ラビットハウスに戻る。
2:るう子には会いたいけど、友達をやめたこともあるので分からない…。
3:蒼井晶、衛宮切嗣、折原臨也を警戒。
[備考]
※参戦時期は「selector infected WIXOSS」の8話、夢幻少女になる以前です


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099:世界一歪んだ親孝行 ジャック・ハンマー 125:スコープ越しの怪物
094:女はそれを我慢できない 紅林遊月 131:お話をするお話