Spread your wings(前編) ◆gsq46R5/OE


  厄日だ。
  走行するV-MAX二輪の後部座席に跨りながら、ホル・ホースは自分の運のなさを心底嘆いていた。
  これまで過ごしてきた人生はそれなりに長いが、今日はその中でも最悪の一日だ。
  J・ガイルの旦那が殺された日も、DIOの暗殺に失敗した日だって今日に比べれば平和な一日だったとさえ思う。
  草木もぐっすり眠っているような真夜中に叩き起こされ、得体の知れない餓鬼に殺し合いをしろと言われ。
  縫い目の気狂い女に殺されかけて、どうにか同盟相手を手に入れたと思えばおっかない悪魔に出会う有様。
  そろそろ不幸が一周してとびきりのいいコトが舞い込んでこなければ割に合わないほどの不運を味わっている。

  少なくとも、あの繭とかいう餓鬼にはいどうぞと命をくれてやるつもりはない。
  具体的な方法はまだ見えてこないが、どうにかして生きてこの島を出るのが最終目標だ。
  首なしの怪物に行き遭った時はどうなるかと思ったものの、こいつのおかげで縫い目から逃げ切ることが出来た。
  腕輪を外す方法なんかはおいおい考えることにするとして、それでも順調に状況を立て直せていた。

 (それも全部テメーのせいで台無しだぜッ! 聞いてんのかよ悪魔ヤローッ!!)

  ホル・ホースは軽く舌打ちをし、前方を低空飛行する悪魔アザゼルに毒づく。
  勿論、聞こえているわけがない。口にしていないのだから、誰にも聞こえる訳はない。
  それに、もし聞こえていたなら一転ホル・ホースは冷や汗を流すことになっただろう。
  あの悪魔はいけ好かないが、しかし実力は相当なものだ。
  『皇帝』の力と首なしライダーの影を扱う技、二つを合わせて全力でぶつかっても勝てる見込みは限りなく低い。
  幸いだったのは、きっと先程既に小競り合いを済ませたことだろうとホル・ホースは思う。
  あそこでアザゼルが力を片鱗程度だろうと見せていなければ、自分はきっと命知らずなことをしていたに違いない。

  ホル・ホースは、「やる」奴と「やらない」奴の区別がつく男だ。
  アザゼルがどちらであるかなど言うまでもない。
  殺し合いに乗らないと口にしてはいるが、いざとなれば迷わず他人を殺せる――文字通り、悪魔の冷徹さを秘めた男。
  そういう目をしている。亡きJ・ガイルも相当に残忍な男だったと記憶しているが、本物の悪魔には到底敵うまい。

  何故彼が対主催派の立場に固執するのかは知らないし、知ったことではない。

  悪魔らしく単なる気まぐれでそうしているのか、それとも奴なりに思うところがあってのことなのか。
  どちらなのかは定かではないが、一つだけ確かなことがある。
  先刻の数十秒ほどの対峙でさえひしひしと感じた、悪魔の強さ。
  あれは必ずや、この島で今も牙を研いでいるだろうDIO、場合によっては繭。
  いずれにせよ、立ち向かう上で強力なカードになる。欠かせない、と言ってもいいかもしれない。
  そのことを非常に癪に思いながらも、しかし冷静に悪魔の価値を見定めておく辺りは流石というべきか。

 (まあ、いざとなりゃバレねえようにトンズラこかせて貰えばいい話だしなァ~……
  ポジティブに考えていこうやホル・ホース! 化け物どもを上手く使って旨い汁を啜らせて貰おうぜッ!)

  あからさまな空元気だったが、そうでもしないととてもじゃないがやってられなかった。
  現状を嘆いてそれでどうこうなる訳でもない。
  縫い目の殺人者が突然死してくれる訳でもなければ、DIOや繭といった厄ネタ共を誰かが倒してくれる訳でもない。

 (それに、だ)

  どだい、残り四十人以上もいる参加者を皆殺しにするなどホル・ホース一人では不可能なのだ。
  となると必然的に、生き延びる手段は主催者を殺すか、穴をついて脱出するかのどちらに絞られてくる。
  どちらにしたって腕輪を外すという難題が立ち塞がってくるが、それはひとまず置いておくとして。
  繭が誰にも感知されることなく、拉致されたことにさえ気付かせない手際で参加者を集めたことを考えれば……

 (殺すしかねぇわな)

  繭を野放しにしておくのは、あまりにも危険に思える。
  もう一度同じことを、今度は付け入る隙もないくらい完璧に再現される可能性だって当然ある訳だ。
  少なくとも自分は、もう二度とこんな趣味の悪い遊びに付き合わされるのは御免だった。
  多少道のりが険しくたって不安要素をスッキリ消してから、また心置きなく元の日常に帰れれば万々歳だと思う。
  ついでに、その道中でジョースターの連中やDIOが勝手に潰し合うなりして共倒れになってくれればもう大満足だ。

  落ち込んだって仕方がない。
  今はいいカードを二枚も引き込めたと喜んでおくことにしよう。
  首なしライダーの背に抱き着くあまり嬉しくない姿勢で、ホル・ホースはやっと一息をついた。
  考えを整理したことで、随分心が落ち着いた実感を得た、その時。


 「止まれ」


  疾走を制する声をあげたのは、先を進んでいた悪魔アザゼルだった。
  運転から集中が逸れ気味だった所への唐突な指示で、やや乱暴な停車となり、ホル・ホースが放り出されそうになる。
  無言で抗議するセルティとホル・ホースなど意にも介さず、アザゼルは右の方角を示した。
  そちらはF-3。間もなく禁止エリアに指定される筈の場所。

 「おいおい……そっちがどうしたってんだ?」
 「参加者だ。小娘が二人。俺の存在には少なくとも気付いている」

  自分から先導しておいて、またしても自分の都合で止めるとは流石に悪魔、傍若無人だ。
  しかし、そう思ったのはホル・ホースだけだ。
  少なくともセルティは、参加者を見つけておきながら放っておくほど酷薄な神経の持ち主ではない。
  それが年端もいかない少女たちというならば尚更である。
  ホル・ホースが以前に心中で零したように、池袋の首なしライダーは基本的にお人好しなのだ。
  ……もっとも張本人のアザゼルは小湊るう子という探し人の存在さえなければ、躊躇なく無視していただろう。

 「接触してみるまでは分からないが、恐らく乗ってはいない。
  年上らしい方が小さい方を庇うようにしている。乗った連中の反応にしてはやや可愛らしいな」

  ホル・ホースはこんなに心の篭っていない『可愛らしい』を初めて聞いた。
  この悪魔は本当に可愛げもクソもない。
  ムサい男にそんなものを見せられた所で、背筋が薄ら寒くなるだけなのも確かなのだが。

 『接触するんだな?』
 「当然だ。情報源は多いに越したことはない」

  頷くジェスチャーの後に、悪魔一行は少女達の方へと歩き始める。
  年は片方が中学生か高校生、もう片方が小学生くらいだろうか。
  どちらにしても、血腥い殺し合いに巻き込ませるには酷な幼さなのは変わりない。
  セルティは静かに心を痛め、ホル・ホースはどこがフェアなゲームだと流石に辟易した。
  警戒を露わにしている二人へ、セルティが両手を挙げて交戦意思がないという意を示す。
  「そういうことだ」と不遜に言い放つアザゼルが先頭となって、五人は一堂に会することになった。

 「安心しろ。貴様らを殺すつもりはない――ただ、情報が欲しいだけだ」

  ……二人の少女が悪魔へ抱いた印象がどんなものだったかなど、改めて語るまでもないだろう。


 ◯  ●


  場所をF-3からF-2へと移して。

  三好夏凜が現れた三人へ抱いた第一印象は、『嫌な奴とその取り巻き』というものだった。
  名乗るよりも先に安心しろ、と傲岸に言い放ち、貴様らには情報以上の勝ちなどないと言わんばかりの余計な補足。
  これで良い印象を抱く人間など、百人居て五人いるかどうかという話である。
  ひとつ嫌味でもくれてやろうかとも思ったが、子供じみていると思ったのでぐっと堪えた。

 「あー、旦那が失礼なことを言っちまったがよ。俺達が殺し合いに乗ってねえってのは本当さ。誓ってもいいぜ」

  そんな雰囲気を察してか、フォローに入ったのはホル・ホースだ。
  日頃から女の扱いに慣れているということもあってか、そのフォローは的確で丁重である。
  相手を安心させる柔和な笑みも忘れない。少しわざとらしい気がしないでもなかったが、それはそれだ。
  この場でアザゼルの言動が不和を生むのをカバーできるのは、セルティが喋れない以上彼だけだった。
  PDAの入力が出来るとはいえ、肉声と入力音声とではやはり差異がある。

 「……それで? 情報って、何を聞き出したいのよ」
 「そりゃ色々さ。まあ……その前に自己紹介をしておこうぜ。
  俺はホル・ホース。こっちのライダースーツがセルティの旦那で、そっちがアザゼルの旦那」
 「……三好夏凜よ」
 「アインハルト・ストラトスといいます」

  ホル・ホースはふと思う。
  目の前の二人が醸す空気が、どこかぎこちない。
  アザゼルの非礼のことを抜きにしても、単なる恐怖とは別な意味でぎくしゃくしているように感じられる。
  同行者二人がそこへ気付いた様子がない辺り、流石は女に優しい男、ホル・ホース……とでも言ったところか。

 「では、問おう」

  そしてそんな空気をものともせずに、アザゼルが再び切り出した。
  元より純粋な対主催派とは言い難い彼のことだ。
  自己紹介という当然の流れ自体、必要があるのかどうか疑問に思っていたに違いない。
  ましてや相手は年端もいかない小娘。
  ただ情報さえ聞き出せればそれでいい――そんな悪魔らしい考えが透けて見える。

 「『小湊るう子』。この名前に覚えはあるか?」

  そんな悪魔に対して、唇を固く結んで向き合っていた夏凜。
  その表情が、彼の口から小湊るう子の名前が出た途端――驚きのそれへと変わった。
  彼女だけではなく、その後方にいるアインハルトもだ。
  言葉にはせずとも、それは覚えがあると答えていることとまったく同義であった。
  アザゼルの唇が笑みの形に吊り上がる。
  あまりにも獰猛な――彼のことを知らずとも『悪魔のよう』と思うであろうその顔を見たからか。
  暫し唇を結び、答えを渋る様子を見せていた夏凜に、アザゼルは肩を竦めて続ける。

 「何も取って食おうという訳ではないさ。ただ俺は、小湊へ聞きたいことがある。それだけだ」
 「……アンタ、るう子の知り合い?」
 「いいや。だが――近いものではある。
  少なくとも小湊の方も、俺と接触することに意義がある筈だ。それに」

  組んだ腕を崩し、一本指を立ててアザゼルは更に続けた。

 「俺の予想が正しければ、小湊るう子は間違いなく繭を打倒する上で重要な存在となる」

  それは、考えられる限り最大の殺し文句だった。
  反応したのは夏凜とアインハルトのみではなく、彼の同行者であるセルティとホル・ホースもだ。
  当然である。
  アザゼルは彼らへウィクロスとルリグ、タマの話はしたが、肝心な所については一切話していない。
  信用出来ないから、というのがその理由だったが、今や渋る理由もない。
  小湊るう子へ繋がる人間と出会うことが出来たのならば、それ以上のことはない。

 「オイオイ旦那ァ~ッ! 俺達にも説明してもらおうかッ! 何の話だそりゃあよォ~!?」

  詰め寄るホル・ホースと、静かながら確かな意志を込めた瞳で説明を要求するアインハルト。
  セルティと夏凜は無言で見つめていたが、彼女達の考えも同じであることは優に察しがつく。
  落ち着きのない奴らだ、と一つ嘲笑すれば、アザゼルはやがて語り始めた。

  ホル・ホース達に離したウィクロスのこと、タマヨリヒメというルリグのこと。
  そして、未だ誰にも話していない「その先」の話もだ。
  タマは繭と面識があること。
  繭の素性。セレクターの話。
  夢限少女の末路のことも、全て。
  話を聴き終えた者達が覚えた感想は、二通り全く別のものだった。

  ホル・ホース達は素直に驚愕だ。
  ウィクロスやタマのことについて聞いていたとはいえ、それがよもや繭に繋がるとは思わなかった。
  これならば確かに、小湊るう子という少女に彼があそこまで執着していた理由も分かる。

  一方で夏凜達は、アザゼルの持つ情報に嘘偽りがないことを認識。
  彼がるう子を通じて何か目論んでいないことを再確認した。
  話の内容は概ね、彼女達が仲間……るう子から聞かされた内容と同一だったからだ。
  ただ、彼女の存在が繭を倒す上で重要な鍵になる――というのは初耳である。

 「ほう? さして意外でもない――という顔をしているが。
  ああ、そうか。さては小湊から先に聞かされていたようだな。ならば先に言えばいいものを」
 「……そうね。そこについては謝っておくわ。それで? るう子が繭を倒せるかもしれない、ってのはどういう訳よ」
 「こいつだよ」

  アザゼルが夏凜に示したのは、彼にウィクロスの可能性を知らせたルリグカード・タマヨリヒメ。
  思えば彼女の存在がなければ、アザゼルは道化の立場を抜け出せずにいただろうことは請け合いだ。


 「こいつの名前はタマヨリヒメ。繭の始まりを知るルリグカードだ」


  とはいえこれに関しては、アザゼルも詳しく知っている訳ではない。
  繭によって生み出された経緯を聞き出したとはいえあくまで触り程度。
  だが、セレクターシステムの創始者である繭と深い関わりを持つということが分かっただけでも十全だ。
  ごくりと誰かが息を呑む。
  アザゼルは笑みをいっそう深くした。
  この場に、極端に頭の悪い人物はいない。
  だから全員が自分の言わんとすることを理解した。
  そう確信した為の微笑みだった。

 「タマは小湊を捜している。
  ――よもや此処まで言って理解の出来ぬ愚図はおるまい?」
 「……じゃあ……!」
 「俺も、あらゆることを小湊頼みで解決出来るとは思っていないさ。
  確かに繭は規格外だが、それでも単独で此処までのことをしでかせるかと問われれば疑問が残る。
  多かれ少なかれ、協力者の存在を加味しておいて損はない……だが」

  眉を顰めたのは、仕方のない事とはいえ、自分が勝利できない人間が存在するという事実を忌まわしく思ったからだ。
  アザゼルは自分が悪魔であることにプライドを持っており、同時に人間を見下している。
  現在は協力すべき相手と見做しているが、不遜にも自分へ刃を向けた輩に限ってはそうではない。
  繭はその点で、間違いなく彼にとっての不倶戴天の敵だった。

 「繭に限って言えば、恐らく奴の土俵に上がって戦うしか打つ手はないと踏んでいる」

  その根拠など――見せしめとして殺されたアーミラの結末だけで十分だ。

  悪魔を畏れず、自分のルールで支配し、自分の土俵以外での戦いを許さない。
  かつてアザゼルは彼女を悪魔に生まれるべきだった人間と称したが、同時にこうも思う。
  あれはそもそも、人間でも悪魔でもない『何か』とでも呼ぶべき存在であると。
  神、という言葉が脳裏を過ぎり、反吐の一つも吐き捨てたい心境になる。

  皮肉だが、それは彼に限った話ではなかった。
  セルティも、ホルホースも、夏凜も、そしてアインハルトも。
  同時にその言葉を連想し、心に淀んだ撓みが生まれ、厭な気分になった。

 「それが――繭と同じ土俵で戦うための手段が、ウィクロスってこと?」
 「そうだろうな。少なくとも、それ以外には考えつかん」

  アザゼルは懐から、先ほど一人回しに使った市販のスターターデッキとホワイトホープの両方を取り出してみせる。
  これは殺し合いだ。そしてタマの話を聞く限り、小湊るう子が『戦える』タイプの参加者とは到底思えない。
  つまり、彼女が志半ばで朽ち果てる可能性は十二分に存在するのだ。
  そしてそれが、悪魔の想定し得る限り最悪の未来。
  そうなることだけは何としても避けなくてはならない。

 「俺もルールは覚えた……しかし現状、所詮は独り遊びの域を出ない……というのが正直なところだ。
  この『ホワイトホープ』のように支給品として配られているカードデッキをかき集め、特訓の真似事でもすれば少しは腕を磨けるやもしれんが。
  それでも、小湊以外の参加者が繭とバトルするのは最後の手段だと俺は思う。
  タマの力を最大限に引き出すことが出来、最も繭に近い位置にいる小湊が戦い、繭を倒す。恐らくそれが、繭を打倒する最善の攻略法に違いない」
 「オイオイ……勘弁してくれよ。
  あの嬢ちゃんと戦うにはわざわざあっちの得意分野に合わせなきゃならねぇってのかッ!?」 
 「落ち着け。あくまで予測の段階だ……ただ、貴様らも覚えているだろう? 奴に殺された娘のことを」

  アーミラ。
  鍵の娘。
  繭へ実力行使に打って出、そして捻り潰された最初の犠牲者。
  これが夢や冗談ではないということを身を以て知らしめた存在であるからこそ、その末路は皆の脳裏に焼き付いている。

 「あれの二の舞を辿りたいか?」
 「そいつは……」
 「そういうことだ。俺もあのような犬死には御免被りたいからな。
  小湊るう子というワイルドカードを使って最も厄介な敵を挫けるならば、それに越したことはない」


  ――誤解してはならないことがある。

  それは、アザゼルは決して善良な存在ではないということだ。
  彼がこうして自分の考えを下等と見下す人間らへ提供し、導いているのはあくまで自分の為に他ならない。
  自分の力では繭を倒せないし、そもそもこれらの仮説全てが的外れだとしても、ゲームを打破できるとは思えない。
  考えるだけで腹立たしいが、二度の敗北が悪魔を成長させた。
  この殺し合いを瓦解させ、悪魔を侮った主催陣営に報いを与えるには……彼ら人間の力が必要不可欠と理解した。
  だから彼は足並みを合わせている。
  だがしかし、その生命の価値などには毛ほども頓着していない。
  先の放送を耳にして、憤るどころか嘲笑ってみせた――そのことからも彼の悪魔らしさは窺える。


 「ちょっと……そういう言い方はないでしょ」


  だからこそ、会う相手が悪かったと言う他ないだろう。
  アインハルトだけならば、反感を抱きこそすれども事の荒立つことはなかったに違いない。
  ホル・ホースやセルティのように、彼のような手合いにある程度慣れている参加者でも同様だ。

  しかし、夏凜はそうではない。
  彼女は直情的な一面を持ち、そしてそれ以上にその根底から悪魔と対極を成している。

  勇者。
  繭の打倒を掲げて立ち上がり、仲間と共に歩み続ける善性の象徴たる存在。
  彼女は、勇敢に立ち向かった末に殺された最初の少女……アーミラへの侮辱を聞き捨てられなかった。
  アザゼル達の与り知らぬことではあるが――アインハルトと斜路の一件があったことも、彼女の感情に拍車をかけていたのかもしれない。兎角、タイミングと、相手が悪かった。

 「それがどうした? 撤回しろとでも言うつもりか」
 「別にそこまでは言ってないわよ。ただ……人の死を鼻で笑うような真似は慎めって言ってるの」

  大真面目に言う夏凜だったが、アザゼルにはそれがひどく滑稽なものに写った。
  こればかりはお互いの価値観の違いだ。
  悪魔にとって、人の死は嘲り利用するものでこそあれ、尊ぶものではない。

 「クク……青い考えだな、三好夏凜。
  いかにも短い時間だけしか歩んでいないものの考えだ。
  無価値な死を遂げた狗の末路をいくら美化したところで、何も――……ああ。
  ク――クハハハハハ! ああ、そうか……そういうことか!」

  けらけらと嗤って悪魔は嘲る。
  ひどく不快な笑い声だった。
  対主催派を名乗っていれども、決定的に自分達とは一線を画す存在なのだと再認識させる外道の哄笑だった。
  アザゼルは夏凜を指差し、滑稽で堪らないとばかりに口角を吊り上げ指摘する。
  悪魔にとってそれを察するのは造作も無いことだ。
  何故なら彼は、人の嘆きを餌としてのさばってきた存在なのだから。

 「貴様、察するに――知己の相手を亡くしたな?」
 「…………」
 「ククク……! そうならばそうと先に言えばいいものを。それなら俺も少しは気を遣い、祈ってやれたかもしれんぞ?」

  当然のことだが。
  それを知っていたとしても、アザゼルは気など遣いはしなかったろう。

  悪魔を前にした夏凜は、砕けんばかりに奥歯を噛み締めて拳を震わせていた。
  アインハルトが手を伸ばそうとするが、何と声を掛ければいいか分からなかった。
  今の自分に、彼女をどう止めればいいか――正しくは、止められるかどうか、自信が持てなかった。 


 「滓ほどの役にも立てず、ゴミのように踏み殺された貴様の友の冥福とやらをな」


  その言葉を耳にした瞬間――夏凜の感情が、完全に沸騰した。


 「――――黙りなさいッ!」


  即座に変身し、刀を悪魔へと突き出した。
  それは寸止めに留まりこそしたが、アザゼルはそれすらも予期していたとばかりに微笑んでいる。
  誰がどう見ても夏凜は冷静ではなかった。
  一瞬遅れて止めに入ろうとするセルティ達を、悪魔が――そして勇者までもが制した。
  二人の眼光が空中で交錯する。火花を散らす。
  嗤う悪魔と猛る勇者。
  それはあまりにも、彼らの本来の関係性をよく表した構図だった。

 『おい……仲間同士で潰し合っても何の意味もないだろう!』
 「俺もそう思うのだがな。どうやらこの娘は、それでは納得できんらしいぞ」

  どの口でそんなことを。
  セルティは呆れて物も言えない気持ちになる。
  だが彼の言う通り、夏凜もただで引き下がるつもりはない様子だった。
  ……セルティ達は、縫い目の女に殺された勇者が、夏凜の友人であるということをまだ知らない。

  夏凜はこの時、自分が熱に浮かされていることを自覚してもいた。
  仲間同士で消耗しても意味はない、セルティの意見はもっともだと思う。
  だがそれは――あくまでも、理性に則った場合での話だ。
  時に人間は、理性で分かっていても自分を止められないことがある。

  夏凜にとっては今がまさにその時だった。
  アザゼルは今、侮辱した。
  見せしめの少女だけに飽き足らず。
  アインハルトの友達と、夏凜の仲間の死を、同時に侮辱したのだ。
  ゴミと言った。必死に生きて、その末に死んだだろう彼女達のことを、あろうことかこいつはゴミと嘲った。

  三好夏凜は、それを我慢できなかった。
  アインハルトのことを言えた義理じゃない、と自嘲しながら、しかし刃を収める気には全くなれない。
  それはきっと――悪魔が言う通り、自分が『青い』ということなのだろうと思う。
  ……中学生は大人じゃない。
  アインハルトに先輩風を吹かせた所で、所詮は年の一歳二歳しか変わらない子どもだ。
  だからこそ。聞き過ごせなかった。
  アインハルトにあれだけ偉そうなことを言っておきながら、夏凜は怒りを抑えることが出来なかった。
  変身し、刀を取った瞬間は……この悪魔が、バーテックスと同じ倒すべき敵に見えていた。

  だが、それは違う。
  そこだけは理解できている。
  アザゼルは味方だ。
  彼はるう子と繭の関連性、繭の力と対処法についての考察を提供してくれた。
  それは間違いなく、対主催派にとって大きな前進だ。
  だからその点については感謝しつつ、切り離して考えなければならない。

 「どうした? 睨むだけで、実際に武器を振るう覚悟はない、か?」

  つまり――殺してはならない。
  それをすれば、自分は仲間殺しの屑に成り下がってしまう。
  殺さずに、この悪魔を倒す。
  味方として認めるためにも、この蟠る想いをきっちりと清算しておかなければならない。
  そうしないと――いつか自分とこいつは、皆を瓦解させてしまうような大騒動を引き起こす。
  そんな気がした。そんな奇妙な冷静さをもって、夏凜は刃を突きつけたまま、冷静ではない提案をする。


 「――アザゼル。私と戦いなさい」
 「……ほう? それはこの俺と殺し合いをする――ということでいいのか?」
 「違うわ。私はあんたを殺さない……あんたがどうするかまでは知らないけどね。
  ただ……私はあんたを倒す。そうしない限り、私はあんたを味方と思うことは出来ない」


  切っ先鋭く、淀みなき闘志を込めて。
  戦線する夏凜を、アザゼルは変わらぬ怜悧な嘲笑で迎えた。
  ――やはり、駄目だ。
  そう思ったセルティがもう一度制止しようとしたが、しかし。

 「吼えたものだな、小娘風情が」

  くつくつと笑い、悪魔も構えた。

 「力の差を教えてやろう」

  『二人共落ち着け! 今はそんなことをしている場合ではない!』
  ――そんなセルティの声は、夏凜の刃とアザゼルの鋏が衝突して奏でる甲高い音を前に呆気なくかき消された。


 ●  ◯


  ――強い。
  戦いが始まってすぐに、夏凜はそれを思い知らされることになった。
  鍛錬の賜物である剣技が、軽々といなされる。
  バーテックスをすら凌駕する軽やかさで飛び回られ、いたずらに空を切る剣閃の数々。
  端から見れば、それは遊ばれているようにも見えた。
  いや、事実そうなのだろうと夏凜は歯噛みする。
  身体能力も、戦闘のセンスも、相手は飛び抜けているように感じられた。
  勇者部全員で戦うならばいざ知らず。
  一人で挑みかかる相手では、間違いなくない。

  精霊の防御が、アザゼルの攻撃を殆どは止めていたが。
  中には、それを掻い潜って夏凜を襲うものも少なくなかった。
  どんな力をしているのか――舌打ちの一つもしたくなる。

 「そぉら、どうした? あれほどの啖呵を切ったのだ。一発程度は当ててみろ」
 「うっ――さいわね!」

  叩き込む、乱舞。
  当たったかのように思われたし、事実夏凜も取ったと確信した。
  だが、やはり刃は彼の体はおろか、衣服の一片すら切り裂けていない。
  アザゼルは敢えて夏凜の攻撃を引き付け、その上で回避してのけたのだ。
  曲芸の域にさえ到達した身のこなし。
  瞬時にこの間合は拙いと思い至るが、その時には既に悪魔の足が動いていた。
  精霊の防御を――上回る。

 「が、ぼぉ――ッ!」

  爪先が腹を抉るように打ち込まれ、肺の空気が逆流する感覚に平衡感覚を失う。
  追い討ちをかけるような回し蹴りが矮躯のバランスを完全に崩させ、地へと転がらせた。
  咳き込みながら立ち上がる夏凜を、アザゼルは相変わらず余裕の笑みで待っている。
  ――攻めに来ない。その意味が分からない夏凜ではなかった。

 (舐められてる、ってことね……)

  アザゼルという男を、完全に過小評価していた。
  小物の分際で口だけは達者な典型例と決めつけていた。
  だが、その評価は改めねばならないと今思い知らされている。
  明らかにアザゼルは格上の存在だ。
  ひょっとすると、勇者の道に足を踏み入れてから戦った敵の中では最も強い相手かもしれない。
  そう思わせるほどに、彼には隙というものがなかった。
  いや……違う。待ち受けるアザゼルの姿は真実隙だらけだ。

 「ぐ、ううううう――」
 「手応えのない女だ」

  しかし、彼にはそれを庇って余りあるだけの力がある。
  隙を突かれてから、被害を受けるまでの間に対処が出来る。
  夏凜達からすれば即、死に繋がるような油断を、自分の手で取り繕い立て直せる。
  それが非常に厄介だった。スペックからして隔絶していると言わざるを得ない。

 「どうした? 身の程も弁えず、悪魔へ牙を剥いたことを悔いているのか?」

  弧状に眼光を歪めて煽る悪魔に、心がかあっと熱くなるのを感じる。
  思わず飛びかかるように吶喊して、あっさりと腕ごと刀を止められた。
  完全に手玉に取られている。屈辱的だが、それが現実だった。

 「勘違いをするなよ。貴様を殺す気になれば、もう既に三度は殺せている」

  腕を捻り上げられ、走る激痛に顔を歪めて呻く夏凜。
  その胸倉を掴み上げ――アザゼルは地面へと投げ飛ばした。
  受け身をどうにか取ったが、そこに悪魔は追い討ちをかける。
  巨大な鋏の刀身が、冷たい輝きを湛えて夏凜目掛け振り落とされた。
  ぎょっとして飛び退き回避し、追撃を刀で防御。
  重みが伝わってくる――勇者のそれすら凌駕した膂力が。

 「それをしないこと。それ自体が慈悲だと知れ」

  かん、と軽い音がして刀が弾き飛ばされた。
  それを取りに戻ろうとする夏凜の右顔面を、アザゼルの拳が軽々殴り飛ばす。
  片手のジャブを精霊に防がせ、その間隙を縫っての本命だった。
  脳震盪に陥りそうなほどの衝撃と共に、唾液を吐き出してきりもみ回転。
  地面へ数度バウンドして、ようやく夏凜は止まった。
  盛大に地面と接吻をし、口の中が土の味で満たされていく。

  歯牙にもかけられていない――誰が見てもそう分かる、圧倒的過ぎる戦況だった。

  夏凜が切り札……満開を使えれば、話は別だったかもしれない。
  満開は勇者の輝きと力を最大とする、文字通り起死回生の一手だ。
  如何にアザゼルが強かれど、満開をすれば凌駕出来るかはさておき、拮抗には持ち込めるだろう。
  ――使えれば、の話だが。
  満開は何の対価もなしに乱発できる技ではない。
  あれは身を滅ぼす禁じ手だ。
  使う度に花弁が散華し、いずれ勇者は全てをなくす。
  そんな技なのだから、大事な戦いとはいえ、敵でもない相手に切ることは出来ない。
  三好夏凜は今、ただの勇者として、花開くことを許されぬ蕾のままで悪魔に勝利せねばならないのだ。

 「終わったか」

  くつくつと笑い、地面へ倒れ伏した哀れな娘を見下ろす悪魔。
  彼の言葉は嘘ではない。
  夏凜を殺す隙など、それこそ三度は確実にあった。
  今もそうだ。今、この手に握った片太刀バサミを投げでもすれば、それで勇者の命運は尽きる。
  それをしないのは、ひとえにこの場で敵を作るのが面倒だというだけの理由だ。
  ホル・ホースやセルティはともかく、小湊るう子の知り合いに逃げられる訳にはいかない。
  繭へ立ち向かわねばならないというのに、要らぬ悪名を轟かされるのも面倒だ。
  回復しつつあるとはいえ、まだ己は万全ではないのだから。

 「夏凜、さん」

  アインハルトの悲痛な声が漏れた。
  悪魔が踵を返した。
  状況の全てが、勇者の敗走を物語っていた。
  この場に居る全員が、勇者の敗北を確信していた。


 「まだ、よ」


  ただ一人、三好夏凜を除いては。


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104:MAN WITH MONSTERS セルティ・ストゥルルソン 123:Spread your wings(後編)
104:MAN WITH MONSTERS ホル・ホース 123:Spread your wings(後編)
104:MAN WITH MONSTERS アザゼル 123:Spread your wings(後編)
118:震えている胸で 三好夏凜 123:Spread your wings(後編)
118:震えている胸で アインハルト・ストラトス 123:Spread your wings(後編)