本能字の変(2) その覚醒は希望 ◆gsq46R5/OE



  桂小太郎は、その瞬間を見た。
  しかし、一部始終を目撃していた彼ですら、何が起こったのかを説明することは困難だった。
  銀時と神威への介入が間に合わないと判断した彼は援護に出るべく走りつつ、固唾を呑んでその激突を見守っていた。
  長い間侍をしていると、自然に『戦況が大きく動く』瞬間は分かるものだ。
  桂は今をこそこの戦いの転機、命運を大きく傾ける瞬間だと直感した。
  それに力添えすら出来ないのは歯痒かったが、その無念も含めて銀時へ託したつもりでいた。
  だが――桂の直感は、彼も、杏里も、銀時も、神威ですら予期できなかった形で外れることとなった。

  今まさに激突せんとしていた二人が、全く同じタイミングでその反対方向へと吹き飛んだ。

  体をくの字に折り曲げ、呆気なくだ。
  何よりも驚嘆すべきは、桂にはその攻撃が放たれたことも、攻撃の主がやって来たことさえも分からなかった。
  気付いた時には二人が吹き飛んでおり、――彼らの間に、一人の男が立っていた。
  見ればそれは杏里や、神威が言うところの『観客』である絵里達も同じだったらしい。
  理解不能。理解不能。今、何が起こった?

 「こんばんは、諸君。いい夜だな……フフ、それともお前達はそうは思わないか?
  所詮は短い時をしか生きられぬ人間ども。このDIOの感覚は理解できんかな」
 「……いきなり現れて、何中二病みてえなことベラベラほざいてんだ、オッサンよ」

  立ち上がる銀時。
  見れば神威も既に体勢を直し、ぱんぱんと付着した土埃を払っている。
  この二人を戦闘不能とするには、今の一撃ではどうやら温すぎたようだった。

  DIO。
  そう名乗った男を見て、桂は思う。
  この男は――危険だ。その全身から放たれる不思議な魅力に戦慄を覚えながら、晴嵐を握る手に力を込める。
  別に、DIOは神威や彼の仲間のように殺気を撒き散らしているわけではない。
  むしろその振る舞いは静寂と気品に満ちてすらいる。
  男色のケがない桂をして美しいと思わせる整った容貌も相俟って、不思議な落ち着きすら覚える程だ。
  だからこそ、桂はDIOをこの場に居る誰よりも恐ろしく、またおぞましく思った。

 「今のを受けてすぐに立つとは……素晴らしい。
  どうだ、白い侍。そっちの中華男もだ――このDIOに君達の力を、少しばかり分けてはくれないか?」
 「はっ。黙れってんだよ、このカマ野郎が」

  銀時は取り付く島もない、徹底的な拒絶をDIOへ示している。
  だがその額には、一筋の冷や汗が伝っていた。
  彼もまた感じている。これは間違いなく、規格外の存在であると本能的に理解した。
  単に魅力があるだけならばまだいい。しかしDIOのそれは、さながら迷える者の前に現れる悪魔のような――。


 「いいか、よく聞け。俺は仕事柄、性根の腐ったやつなんざ腐るほど見てきたのさ。
  ――テメーからはその中でも、最悪ってくらいくっせえ臭いを感じるんだよ。
  酔っ払ったオヤジが吐いたゲロよりも何倍もひでえ、くっせえくっせえ臭いがプンプン香ってきやがる」
 「ほう。このわたしをそう称したのは、君で二人目だよ。侍」


  ゴゴゴゴゴ……と。
  重々しい擬音が響いてきそうな緊張感の中で、DIOと銀時の視線が交錯する。


 「もう名前も覚えていないような、実に下らんゴロツキだったがね。
  奴は確か、このDIOには何も出来ず横で見ていただけだったと記憶しているが――さて、君はどうかな」
 「……男の癖に能書きの長えことで。器が知れるぜ、ナルシスト君」

  一瞬の静寂の後――銀時がDIOへと肉薄した。
  吸血鬼となり人間を逸脱した身体能力を手に入れた彼をして、目を見張るほどの速さ。
  風聞で耳にしたことしかなかった『侍』という存在だが、成る程これは侮れないと、DIOは思う。

  だが、それでも勝てない相手では断じてない。
  DIOの傍らに立つ金色の大男……彼の『スタンド能力』が、銀時の剣に合わせて拳を放つ。
  如何にスタンドの鉄拳とはいえ、銀時が振るう剣は聖剣だ。
  本人はその価値など露も知らずに振るっているが、同ランクの聖剣でもぶつけない限り、その刀身は砕けまい。
  DIOの手首が裂ける。それに少し驚いた様子を見せ――DIOが小さく何か呟いたのを、銀時は見た。


  次の瞬間――再び、坂田銀時は地を転がっていた。


 「が……っ」
 「どうした、威勢の割にはその程度か」

  まただ。
  また、何も分からない内に衝撃だけを受けていた。
  痛みの感じからして、恐らく打撃のダメージ――あの大男に何かされたのだろうということは分かる。
  が、逆に言えばそれだけ。
  それ以外に分かることは何一つない。
  正体不明の『何か』で侍を打ちのめした邪悪の化身は口元を弧に歪め、ゆっくりと近付いてくる。

  膝を突き立ち上がろうとして――

 「無駄、無駄、無駄、無駄……おまえはもう、このDIOの前に立つことすら出来ない」

  今度は真上から、叩き伏せられていた。
  がはっと吐血し、目だけで果敢に吸血鬼を見上げる。
  圧倒的な暴力に曝されながら、なおも闘志を失わないのは流石に侍の魂か。
  在り方こそ違えど、その姿は過去の宿敵をどこか彷彿とさせる。
  確かにこの男は強いのだろう。自分ほどではないにしろ、スタンドを持たない人間としては破格なほどに。

  だから――DIOは、手始めに彼を『手駒』とすることに決めた。

  それは『肉の芽』。
  埋め込まれたあらゆる存在にカリスマを刷り込み、平伏させる洗脳装置。
  DIOの髪の毛が奇妙な形状に変形し、彼のスタンドに頭を押さえつけられ動けない銀時へと迫っていく。
  肉の芽は精神力でどうこう出来るものではない。
  彼がどんなに高潔な魂を持っていようが、それも含めてDIOへの忠誠へと変えてしまう。

 「怖がることはない。おまえはこれから、このDIOの部下として幸福に――」

  その時、DIOは己の背後から迫る『もう一人』に気が付いた。



  そして、三度目の不可思議が発生する。
  DIOを残したすべての存在が、まるで凍り付いてでもしまったかのように動きを止めた。
  風の流れも、何もかもが停止している。銀時達のみに限らず、離れた場所で交戦している流子達も、すべてだ。
  この世界を――『時の止まった世界』を認識できるのは、他ならぬDIOのみ。
  動くことが出来るのもまた、彼以外には誰も居ない。

  最初に神威と銀時を吹き飛ばしたのも、種を明かせば単純なことだ。
  DIOは校庭での争いを認知するなり自らのスタンド能力――『世界(ザ・ワールド)』を用い、時を止めた。
  時間を増す毎に過激化していく乱戦模様は、しかし超越者であるDIOにとっては恐るるに足らない児戯だ。
  ――これだけ参加者が集まっているならば手間が省ける。
  無敵のスタンド能力『世界』で君臨し、叩き伏せ、殺すなり手駒を増やすなりすればいい。
  それに、『世界』の不具合についても今一度確認し、明らかとしておきたかった。
  その試金石にこの激戦をチョイスする辺りにも、彼の絶対の自信が見え隠れしている。


  「愚かなことだ。自ら死期を早めようとするとはな……
   ――――無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァァ!!」


  振り返り、背後で刀を今にも突き出さんとしている長髪の侍へ『世界』のラッシュを叩き込む。
  最後の一秒で片足を彼の腹に添え、ほんの軽い力で押した。
  それから再び元の方角へと向き直り、――そして時は動き出す。


 「――ぐ、あああああああっ……!!」


  体へ幾度もの打撃を受け、桂小太郎が吹き飛ぶ。
  彼は地面へ何度かもんどり打ってバウンドし、やがてそれが収まると――がくりと脱力し、動かなくなった。

 「か――桂さんっ!!」

  少女の叫ぶ声が聴こえる。
  ちらりと視線をやれば、力なき者達であろうか。
  この戦いを見ていることしか出来ない、三人の女子供の姿が目に入った。
  一人が一際小さな童女を抱くようにして震えており、もう一人はDIOを強く睨み付けている。

  ふむ。
  ひとつ呟いて、DIOはまた時間を止めた。

 「成る程、これくらいの間を空ければ再度時を止められるか」

  止まった時間の中で、彼は確かな疲労感を覚えてもいた。
  銀時の剣で受けた手の傷も既に再生が終わり、どこにも疲労の余地はないにも関わらずだ。
  やはり、これが『世界』の行使による疲労なのであろうと再確認するDIO。
  面倒な真似をしてくれたものだが、しかしこの程度ならば何ら問題はない。
  帝王として君臨する彼と他者の力の差は、これしきのことで埋まるほど大きなものではないのだ。

 「いい目だ。このDIOに臆さぬとは、面白い娘よ……
  だからこそ、おまえは自分が何も出来ない無力を噛み締めながら……同じ場所へ逝くがいい」

  もし長髪の方がまだ生きていれば、一足先になるかもしれないが。
  しかしどちらにせよ、あの手傷では再度戦えはすまい。
  遅かれ早かれ、おまえの大切な仲間とおまえは同じ場所へ逝くことになる。
  DIOは黒カードの支給品であったサバイバルナイフを懐から取り出すと、少女の胸元目掛け投げつけた。

 「時は動き出す」
 「――――ぁ」
 「こ、コロナちゃん!? ちょっと、しっかりしなさいよっ、コロナちゃん!!」

  時間の再動。
  それと同時に、コロナ・ティミルの胸へ、一本の刃が生えていた。
  小さな体ががくりと崩折れる。まだ息はあるようだが、どうせ此方も永くは保たない筈だ。
  命の灯火が尽きるまでの間、精々恐怖と絶望を味わうがいい。

 「テメェ……」

  ぐぐ、と――銀時の頭を押さえつけた腕が、下からの力で少しずつ持ち上げられる。
  見れば、その眼に灯る光は先程までのものよりも遥かに強く、鋭いものへと変じている。
  だが悲しきかな、如何に彼が激昂しようとも、結果は見え透いている。
  DIOが少し手に力を加えるだけで、たかが一人間でしかない銀時の頭は木っ端微塵になるだろう。

  故にこの時、白夜叉は完全に詰んでいた。

  狂乱の貴公子は沈み。
  罪歌の少女は高まる『声』を抑えるだけで手一杯。
  彼を救える味方など、もう誰もいない。


 「よし、そろそろ混ぜてよ」


  ――そう、『味方』は。


 「ぬッ――」

  時止めのインターバルが終わるほんのコンマ数秒前。
  最初の一撃をDIOが打ち込んで以降、ずっと静観に徹していた三つ編みの男――
  神威が、日傘を構えて猛獣さながらの勢いでDIOへ急襲を仕掛けたのだ。
  咄嗟にスタンドでガードするが、それでも腕がぐしゃりと嫌な音を奏でてひしゃげる。

 「貴様……」
 「そこのお侍さんは俺の獲物でもあるんだ。
  横取りするなとかは言わないけど、どうせなら皆で楽しんだ方がいいでしょ?」

  初めて顔へ怒気を浮かべたDIOに、変わらない笑顔で微笑みかける神威。
  その隙に銀時も立ち上がり、再び聖剣を構え、ギロリと鋭く吸血鬼を睨み付ける。
  彼らだけではない。妖刀を担う眼鏡の少女、杏里も再び戦場へと参入する。

  ますます混迷を極める戦場で確かなことがある。
  それは、此処で誰か一人のみを不倶戴天と定めるのは自殺行為だということ。
  現に神威などがいい例だ。彼は先程銀時を助ける形になったが、彼が銀時の味方かと言えば断じて否。
  彼は遊撃手である。その場に応じ、攻撃したい相手を適宜に攻撃する。
  そこを見誤れば、途端に夜兎や吸血鬼の凶腕を前に倒れることとなるだろう。


  ――激化する戦場の片隅で、小さな強さが芽吹こうとしていることなど……彼らはまだ知る由もない。





 「雁夜さん!」
 『な――流子、おまえッ……!』


  皐月と鮮血の声を遠くに聞きながら、間桐雁夜は崩れ落ち、虚ろに歪む意識の中で何が起きたのかを理解する。 


 「(…………腹を、やられたのか……俺……)」


  胴体から、ごぽごぽと気味の悪い水音がする。
  その音が一度鳴る度に体が冷えていくのを感じ、また視界も霞んでいく感覚を覚えた。
  のたうち回りたくなるような激痛を感じているのに、不思議と心は静かだ。
  ただ――二度目の人生を得ても、結局何かを成すことは出来ず仕舞いなこと。それだけが心残りだった。


 「ハハハ……ご立腹かよ、鬼龍院皐月。
  天下の皐月様がなんだってあんな虫ケラみてぇなヤツ連れてんのか不思議だったが、ひょっとして盾目的だったりしたのか、ええ? だったら残念だったなあ。今度はいつもみてえに蟇郡でも連れてくるこった!」
 「ッ、黙れ!」

  皐月が激昂している。
  最早視界も覚束ない有り様でありながら、生きている聴覚で雁夜にはそれが分かった。
  俺なんかの為に怒ってくれることへの喜びよりも、やはり申し訳無さの方が勝る。
  力になるなどと言っておきながらこの体たらくだ。
  謝ろうにも、か細く今にも途切れそうな息遣いが精一杯。

 「……行くぞ鮮け――がッ!?」
 「遅ッせぇ!」

  皐月の腹へ、流子の膝が叩き込まれる。
  最初こそ皐月の予想外の強さに面食らっていた流子だったが、これだけ戦いが長引けば否応なしに適応もしよう。
  これはその結果でもあった。
  皐月の動きが鈍っている訳ではない――むしろ力強さのみで言うなら上がっていると言ってもよかった。

  雁夜の腹を流子が打ち抜く瞬間は、皐月も見ていた。
  だからこそ分かる。希望的観測のしようなど全くなく、あれは致命傷だ。
  仮に万全の医療設備が整っていたとしても、あの傷ではまず助からないだろう。
  同行していた時間が短いとはいえ、雁夜は皐月と志を同じくした仲間だ。
  それを目の前で手にかけられ、何も思わないほど鬼龍院皐月は冷酷な人間ではない。少なくとも、今の彼女は。

  その怒りがありありと滲み出た一撃は――力は確かに籠もっているが、それ以外は疎かになっている。
  そこを見逃すほど、流子は甘くない。
  叩き込んだ渾身の一発に皐月が苦悶の呻きを漏らすや否や、にぃと微笑み追撃。
  皐月の顔面へ、横殴りの強烈な打撃を見舞う。

 「ぐッ――」
 『皐月! まずいぞ、このままでは!』

 「ああ、分かっている!」

  三発目は正面からの一発だ。
  体ごと右に逸らすことで回避し、流子の体を蹴ることで後方へ飛び退こうとする皐月だったが。
  そう簡単には逃がさんと、流子が伸ばした右足を思い切り掴み取った。
  それから足ごと彼女の体を持ち上げ――振り回し、たっぷりと勢いをつけて地面へ叩き付ける。

 「があッ……――ッ、鮮血、閃刃!」

  常人なら気絶は必至の大ダメージを受けながらも、そこは鬼龍院皐月。
  鮮血を着こなしていない彼女ならば、此処で流子の手元から抜け出すことは出来なかったかもしれない。
  しかし。離脱に成功したのはいいが、負ったダメージが大きなことには変わりはなかった。
  こめかみから血を流しながら、それでも流子を見据える皐月。
  獰猛な笑顔を浮かべ、純潔を纏った破壊者がにじり寄ってくる。
  流れてくる血を拭いつつ、それに抗するべく皐月もまた一歩を踏み出す。



  そして。同じ頃、間桐雁夜は瀬戸際へと立たされていた。
  出血量はとうに致死量を超え、今やいつ命の灯火が消えてもおかしくない状態。
  走馬灯を見ることはついぞなかった。
  汚れきったこの体には、もう夢を見ることさえ許されないのだろう――そんな気がしていた。
  無理もない。あの子達のことを想うには、俺は間違いすぎた。

 「ぁ……――――ッ」

  けれど――けれど、それでも。
  最後の最後に、何か俺にもやれることはないのか。
  だってこれで終わりでは、あまりにあまりだろう。
  全身を苛む刻印虫の激痛に比べれば、この程度の痛痒は屁でもない。
  体感温度は極寒のそれに匹敵し、手が小刻みに痙攣するせいで伸ばした手がひどく不格好だ。
  血反吐を撒き散らして悶絶する雁夜の姿たるや、流子が言った通り、死にゆく虫螻とすら大差なかった。

  そこに違うところがあるとすれば……それは――。

 「さ――つ…………き、――――」

  血塗れの左手を伸ばす。
  そして、最後の魔力を用い、回路を流動させた。
  雁夜はそれきり、ぴくりとも動かなかった。
  その伸ばした左手は何かを掴むこともなく、べちゃりと地へ投げ出されて。
  それでもその口元にだけは、何かを確信した微笑を浮かべて――哀れなる落伍者は、今度こそその生涯を終えた。


【間桐雁夜@Fate/Zero  死亡】
【残り59人】


  皐月と流子。
  二人の神衣装着者が衝突する、まさにその瞬間だった。
  流子の視界へ、これまで数十と潰してきた蟲の一匹が飛び込んできたのだ。
  蟲は流子の眼球を目掛けて羽音を鳴らし、一直線へ飛んでくる。
  剥き出しの眼球を噛まれてはさしもの流子もひとたまりもないが――しかしこれしき、片手の一動で叩き潰せる。
  ましてや群れすら成さないただの一匹。神衣純潔で強化された流子がそれを恐れる道理は真実皆無だ。

 「な」

  だが――二つの要素が重なり合って、魔術師の悪足掻きは思わぬ成果を挙げることとなる。

  一つは、纏流子が完全に油断しきっていたこと。
  腹を文字通りぶち抜いたことで、間桐雁夜は既に死んだものとばかり思っていた。
  注視すれば彼が生きていることなど容易く分かったかもしれないが、相手は鬼龍院皐月だ。それも、流子の想定を超えた領域で鮮血を着こなしている――通じ合っている鬼龍院皐月だ。
  どれだけ戦況が優勢でも、決して余所見をしながら戦える相手ではなかった。纏流子をしても、である。

  もう一つは、蟲が流子の目前まで辿り着いたのが、流子と皐月、二つの攻撃が接触し合う寸前だったことだ。
  如何に流子が超人的な力を持っていようとも、既に攻撃を振りかぶり、放ち始めている以上、迎撃は間に合わない。
  しかし迫ってくる蟲を指を咥えたまま見過ごしていれば、確実にこれは彼女の目を潰すだろう。
  痛手としては大きすぎる。流子は已むなく出来る限りの最大限で首から上を逸らし、どうにか掠る程度に留めた。

  どうにか難を逃れた。
  彼女がそう思った瞬間、顔面へ鈍く重い衝撃が走って、流子は吹き飛ばされていた。


 「がッ……て、めえ……!」
 「――鮮血」
 『……ああ。雁夜の奴め、無茶をする……』


  回避のために頭部を逸らしたことで、流子の拳が釣られて僅かに角度を逸らした。
  その一瞬を、皐月は見逃さなかった。鮮血も同じだ。
  彼女達は力づくで僅かな角度のブレを抉じ開け、無防備な流子の顔面を空いていた左手でもって、全力で殴り付けた。
  防御手段のない流子はそれを直撃するしかなく――このような結果になったというわけだ。


 『言っておくが、流子。今の一発は、我々だけのものではないぞ』
 「然り。間桐雁夜――お前が取るに足らない虫螻と軽んじた男の、最後の『意地』だ」
 「ッ……意地、だと……!」
 「そうだ、意地だ。そしてお前はそれに敗北した。間桐雁夜は、最後にお前へ勝利したのだ!」

  後光が射す錯覚すら覚えるような、相変わらずの気迫を放って皐月は喝破する。
  雁夜の方は振り向かない。
  彼もきっとそれを望んでいるだろうと、皐月は思っていた。
  彼女は彼の生き様へ敬意を抱く。仮にどれだけの罪に汚れていようと、その手は最後に勝利をもぎ取った。
  他の誰が彼を悪徳と侮蔑しようとも、鬼龍院皐月のみは、間桐雁夜を決して侮辱しない。

 「下らねえ……私があんな雑魚に負けただと? 寝言は寝てから言いやがれ……」

  鼻血を拭い、立ち上がる流子。
  その眼から未だ闘志は消えておらず、だからこの戦いが此処で幕引きとなることはありえない。

  それでも。
  間桐雁夜の最後の意地が、この姉妹喧嘩へある種の節目を与えたのは確かなことだった。




  剣と傘とが衝突する。
  杏里は手にビリビリと流れてくる痺れに、敵の力の程を改めて実感させられていた。
  空中へ居座ったまま繰り出される連打を――止める、止める、止める、弾く、突く。
  しかし神威はするりと逃れ、横殴りの一打で杏里を牽制。
  決着に導くため、一際深く傘を引いたかと思えば……

 「おっと……」

  背後から迫っていた、『世界』の拳を察知してそちらの回避へと移行。
  その隙を逃さず轟いた剣閃を抜かりなく止め、空いた片腕で握り拳を作り、吸血鬼へ打ち込む。
  手応えはあるが、有効打と呼ぶには程遠い。生半可なダメージならば、吸血鬼はすぐに癒してしまうからだ。

 「フン――無駄無駄無駄ァ! 貴様の力など、このDIOには遠く及ばんわッ。
  踊るしか能のない滑稽な山猿の分際で帝王にゲスな喧嘩を売った罪……軽くは済まんぞ」
 「山猿はテメーも同じだと思うがね、俺ァよ」

  剣士は杏里のみではない。
  疾走しながら現れた銀髪の侍が、通り過ぎざまに神威とDIOへ神速の一太刀を見舞った。
  杏里の罪歌のような、反則的なまでの反応速度こそないが、剣の腕ならば銀時は決して劣っていない。
  『白夜叉』の名は伊達ではなく、現に今の奇襲は二人の悪鬼へ相応の痛手を与えていた。
  神威の右腕からは血が滴り、DIOの脇腹からもじわりと穢れた血液が滲み出してくる。

 「いいじゃないか、面白くなってきた」

  神威が浮かべる笑顔が、より好戦的なものへと変化した。
  次の瞬間には、銀時の懐まで踏み入った彼の鉄拳が、その腹腔を勢いよく打撃する。
  何度目かの吐血。意識が持って行かれそうになるのをすんでで堪えながら、彼は更に歯を食い縛った。

 「(そろそろ来る頃だろうな……あの野郎の『インチキ』が)」



  銀時の危惧した通りに、そこで時が停止する。
  誰にも認識できず、介入できないDIOだけの『世界』。
  しかし銀時の警戒とは裏腹に、彼が狙いを定めたのは彼ではなかった。
  その矛先は神威へと向けられている。
  先の意趣返しというのも確かにあるが、この場で最も厄介なのは間違いなく彼であったからだ。
  銀時や杏里が優れた使い手なことは確かに間違いない。
  それでも彼らはあくまで『人間』だ。DIOにとって人間とは即ち下等な生物であり、恐れる対象ではない。
  その点神威はどうだ。
  あの動き、反射神経、力――どれを取っても、明らかに人間をやめてしまっている。

 「だが、そんな貴様でもこのDIOの『世界』へ踏み入ることは出来ない……」

  笑みと共に『世界』の拳を見舞い、時が動き出すと共に神威の体が吹き飛んだ。
  決して生温い攻撃ではなかった筈だが、彼はそれでも表情を崩すことなく事も無げに立ち上がる。
  されど、いくらタフネスがあるとはいえ再生手段を持たない彼ではDIOの優位には立てない。
  DIOが負ってきた傷は常に再生を続けている。
  これぞ、彼がかつて至高のものと信じた体の最大の強みであった。

  満悦の笑みを浮かべながら、DIOは次に銀時へと視線をやる。
  それに気付いた彼は、渾名の通り夜叉のように鋭い眼光でDIOを睥睨した。
  そして――白夜叉が再び風の如く疾走し、吸血鬼の首を切り落とさんと刃を振るう。
  だが同じ手をそう何度も食うDIOではない。
  人外の跳躍力を駆使して飛び上がることで攻撃を回避し、『世界』の手刀を銀時の首目掛けて振り落とす。

 「チィィッ」

  咄嗟に剣を横に構えることで防御し、首と胴体が泣き別れになることだけはどうにか回避した銀時。
  後方へ飛び退き仕切り直しを図る銀時だったが、DIOは再度相手に攻撃の機は与えまいと追撃を放つ。

 「無駄無駄無駄無駄ッ! 
  貴様の薄っぺらな考えなど、このDIOには手に取るように分かるッ! WRYYYYY――ッ!!」

  繰り出されるのは『世界』のラッシュ。
  時間停止が発動していないのがせめてもの救いだったが、脅威なことには変わりない。
  徒手空拳の使い手ではない銀時ではいくら足掻いても、これと真っ向から張り合うのは不可能だろう。
  だから此処は耐えるしかない。再度剣を横構えで盾とするが――

 「ぐ、――ァァァァァッ!!」
 「ハハハハハハ! 脆い、脆いぞサムライ!
  まるで紙か何かを殴っているようだ……やはり貴様は所詮ただの人間よ。それ以上でも以下でもない。
  そして人である以上、お前の末路も既に決まっている……血の一滴まで残さず、このDIOへ利用されて野垂れ死ぬ。それが貴様に待ち受ける未来だッ!!」
 「ハァ、ハァ…………、うるっ、せえ。相変わらず能書きの多いヤローだな、テメーは……」

  拳の直撃こそ避けたが、刀身越しにかかる衝撃に耐え切れず吹き飛び、それでも尚悪態をつく。
  確かに、坂田銀時という侍がDIOと真っ向勝負で勝てる可能性は限りなくゼロに近い。
  しかしながら、その程度のことで諦める潔さを彼が持っていたなら、その人生はもっと平穏だった筈だ。
  銀時は屈しない。諦めない。何度地を転がろうとも、命が尽き果てるまでは絶対に。

 「よく吼える犬だ。さて――そろそろ『首輪』を付けさせてもらおうか」


  ――来る!
  何がなど、改めて語るまでもない。
  正体不明の攻撃。DIOが持つ、見ることさえ出来ない打撃。
  銀時や神威達に対して彼が優位に立ち続けられる最大の理由こそが、その力――『世界』の能力だった。
  そして銀時の予想通り、DIOは時を止めようとしていた。


 「――、」


  その時、彼は見た。
  視界の端。
  これまでずっと神威と戦っていた筈の少女が、こちらへと踏み込んでいる。
  DIOも、神威が彼女の持つ刃と接触することを過剰なまでに避けているのには気が付いていた。
  毒でも塗ってあるのか、はたまたあの娘もスタンド能力の使い手なのか。
  それは実際に目の前で誰かが斬られてみないことには確かめようもなかったが、もう一つ厄介なことがある。
  彼女の剣の反応速度だ。
  特に相手からの攻撃に対しては、銀髪の侍をも凌駕する速度で対応している。

  DIOは、『アヌビス神』というスタンド能力を知っている。
  その知識と重ね合わせて考えて、どうやら彼女の剣もアレに近いものなのだろうと判断した。


 「ふむ」


  ――先に、排除しておくか。


  ――――時が止まる。
  疲労は大分目立ってきたが、それでもまだ余裕はある。
  制限された状況下での使い方にも、この戦闘を通し大分慣れてきた。
  一飛びでいざこちらへ迫り、己を切り伏せんとしていた少女の前まで辿り着く。


 「自動防御(オートガード)のような能力があるようだが……」


  そして、その頭部を『世界』の怒涛の拳打が打ち据える。
  確実に殺すためのラッシュが少女の急所を一発余さず捉え、誰も感知できない時間の中で致命打を与えていく。
  妖刀・罪歌は園原杏里に戦闘能力を与える。
  オートガードの領域にすら届く超反応も、DIOの考え通り刀が齎しているものだ。


 「止まっている時間の中では――何の意味もない」


  時間停止の中では、さしもの罪歌も型なしだ。
  触れないようにだけ気を配れば、DIOにとっては脅威とすらなり得ない。
  最後の止めに、一際痛烈な拳を彼女の喉笛へと打ち込み、残虐な笑みと共に宣言する。
  少女の終焉を。『人間』では決して倒せない、邪悪の化身としての力を存分に鼓舞しながら。


 「時は動き出す」



  杏里の頭が血を噴いた。
  喉がいびつな音を立てて潰れ、口から血が吐き出される。
  何が起こったのかを認識する間もなく、彼女は宙を舞った。
  眼鏡が砕け、それでも刀を握り締めたまま、受け身も取れずに吹き飛ばされて。

 「(あ……れ――わた、し…………)」

  薄れる意識の中で、茫然と自分の身に起きたことを思う杏里。
  視界がスローモーションになるのを感じて、他人事のように、どうやらこれが今際というものらしいと認識する。
  何がどうなってこうなったのかは、何となく分かる。
  恐らく、あのDIOという男だ。
  彼の持つ、『認識されない攻撃』をモロに受けてしまった……か。

  こうして死の淵へ立たされてみると、やはり死にたくないと感じる。
  池袋で出会った、たくさんの人。
  池袋で経験した、たくさんのこと。
  色々なものを思い出す走馬灯の中でも、罪歌の愛の声は未だ煩わしく響いていて、こればかりは最後まで変わらないのだなと少し自嘲したくなった。

  最後の一瞬。
  地面へ墜落する直前。
  視界の端に、自分が『寄生』すると決めた少女が叫んでいる姿が見えて。

 「(……れんげちゃん)」

  ごめんね、と言いたかった。
  けれど、現実とはままならないもので。
  結局、言えなかった。


【園原杏里@デュラララ!!  死亡】
【残り58人】




 「――れんげちゃん、見ちゃダメッ!」

  繰り広げられる超人たちの戦いに茫然自失となっていた絵里。
  しかし、今吹き飛んできたものをれんげには見せてはならないとその体は半ば反射的に動いていた。
  ぐしゃりという鈍い音を立てて地面へ落ちた『それ』は、とにかく頭部が惨たらしく潰されている。
  首から上のみを見れば、誰だか分からないほど。
  ――それだけに、首から下が見覚えのある制服を着ていると気付いた時のショックはあまりにも大きかった。
  吐きそうになる。さっきまで一緒に話していた少女が、あんな……。

 「えりりん、なんで押さえるのん! だって今、あんりんが……!」
 「ダメ……見ちゃダメ……!」

  その衝動を辛うじて堪えられているのは、やはりれんげの存在が大きかった。
  恐怖のどん底にあっても、自分より小さな女の子が近くに居るという事実が、絵里の心を壊れずに留めてくれる。
  自分が取り乱していては、れんげが心に傷を負ってしまう。
  それどころか、どこか怖いもの知らずな彼女のことだ。
  あの戦いの中に突っ込んでいったっておかしくはないと、絵里は感じていた。

  しばらく藻掻いていたれんげだが、急に彼女は静かになる。
  それから、彼女は絵里に問いかけた。
  いつも通りの独特な声色とトーンで、しかし僅かに声を震わせながら。

 「えりりん……あんりん、死んじゃったん?」
 「…………、」

  絵里は答えない。
  ――答え、られない。

 「なんでなん」
 「…………」
 「なんで、あんりんが死んじゃうん」
 「…………」
 「約束したのん! あんりんと学校行くって約束したのん!!」

  それなのに、なんでコロちゃんみたいに――
  そこで、れんげの声は途切れてしまった。
  『コロちゃん』。
  それは、杏里が殺されるまでの間、必死に手当てしていた少女……コロナ・ティミルのことだ。

  彼女は今、絵里達の傍らの地面で荒い喘鳴を漏らしている。
  胸に刺さったナイフは彼女を即死こそさせなかったが、確実な重傷を与えていた。
  幸いなのは出血量が爆発的なものでないことか――それでも、このまま捨て置けば遠からぬ内に彼女も杏里の後を追うことになるだろう。そして絵里は、そんな大傷の処置の仕方に心得はない。
  四苦八苦しても一向に事態は好転せず、それが尚更彼女の心を摩耗させる。

 「銀さんも、死んじゃうのん?」
 「……大丈夫。大丈夫よ、きっと……銀さんなら……」
 「…………」

  十秒ほどだったろうか。
  れんげは暫く黙った後、急に目を覆う絵里の手を振りほどいた。
  不意を突かれたこともあって慌てる絵里だったが、れんげは彼女の危惧した行動に出はしなかった。

 「あんりん、教えてくれたん。
  この黒いカードには、便利な道具がいろいろ入ってるって」

  地べたに座り込んで、三枚の黒カードを広げるれんげ。
  目元には涙を浮かべて、それでも健気にカードの中身を改めていく姿はどうしようもなくいじらしい。
  しかし、れんげの期待はあっけなく裏切られた。
  一枚目は折りたたみ式のナイフ。
  二枚目に至っては、タッパーに入ったコロッケだ。
  ――頼みの綱。祈りながら三枚目のカードから取り出したのも、不思議なデザインのただの手袋だった。


 「れんげちゃん……」
 「……なんでなん」

  れんげの目から、ついに堪え切れなくなったのか透明な液体が流れ落ちる。

 「あんりんはウチに優しくしてくれたのん。
  コロちゃんも、大丈夫だよってウチを励ましてくれたのん」

  なのに。

 「なのに、なんでウチは何もできないのん? ウチだって、コロちゃんやみんなを助けたいのん」

  ――杏里は、もう無理だ。しかし、コロナはまだ生きている。
  朦朧としていて、話したりは出来ないようだが意識もある。
  今ならまだ助けられるかもしれない。絵里もそう思う。けれど、助ける手立てがないのだ。

 「ほたるんやこまちゃんだって、泣いてるかもしれないのん。
  こまちゃんは怖がりだし、ほたるんは体はおっきいけど結構子供なところもあるし。
  だから……ウチが助けてあげなきゃいけないのん!」

  れんげは、タッパーからコロッケを一個取り出して泣きながら頬張る。
  ――何も変わらない。
  ナイフを開こうと四苦八苦して、指先を少し切った。
  ――何も変わらない。

 「れんげちゃん……」
 「えりりんも、なのん」
 「……え」
 「えりりん、ずっと怖がっててかわいそうなのん。
  ウチ、えりりんにも笑っててほしいのん……だから」

  最後。
  変わったデザインの手袋に、れんげはぽろぽろ涙を流しながら手を入れる。
  この世界は嘘のような現実であって、だからこそ都合のいいご都合主義はれんげ達を助けてくれない。
  繰り返そう、この世界は現実だ。
  現実にないものは、この世界にはない。




 「――ウチ、強くなりたいのん!」



  だが、現実にあるものなら、この世界にだってある。



  手袋を填めたれんげの手からは、淡い紫色の光が漂っていた。
  絵里とれんげが、顔を見合わせる。
  れんげの足元に、小さな紙切れが落ちているのを見つけたのは絵里だ。
  そこにはこう書かれている。『ブーストデバイス・アスクレピオス』――と。
  説明を読み進めていく度に、彼女の表情は怪訝なものになっていった。
  これがもしも本当なら、これ以上はないくらいの幸運だが……

 「魔法の……デバイス…………?」

  ――信じられない。
  こんなものが、現実にあるなんて。
  しかし、これに書かれていることがもしも本当ならば。

 「……れんげちゃん、よく聞いて。これを使えば、……コロナちゃんを助けられるかもしれないわ」
 「!? ……それ、ほんとなのん!?」
 「ええ。その手袋の名前は『アスクレピオス』っていうらしいわ。
  正直信じられないって気持ちの方が強いけど――魔法の『デバイス』なんだって。
  えぇと……魔導師じゃない人が装備しても、威力は多少低いけど魔力を使って攻撃したり……」

  ごくりと生唾を飲み込んで、絵里は肝心な所を口にした。

 「――回復の魔法も、使えるって」
 「回復……それって、コロちゃんやあんりんを治せるってことなのん!?」
 「ううん……多分、園原さんはダメだと思う。けど……コロナちゃんなら、まだ間に合うかもしれない」

  それに少し落ち込んだ様子を見せるれんげだったが、その時間すら今は惜しい。
  暫くあれこれとデバイスを操るのに苦難するも、コツを掴むまでは非常に早かった。
  元々、宮内れんげという少女は時に天才肌だ。
  非魔導師にも使えるようになっていたとはいえ、これほど早く慣れてみせる参加者はそうは居ないだろう。

 「えりりん、回復って……こうでいいのん!?」
 「ちょ、ちょっと待って! ……――――、すごい……れんげちゃん、これ、本物みたいよ!」

  アスクレピオスが作り出した魔方陣は、横たわるコロナを囲うように輝いている。
  絵里が陣の中へ入ると、じんわりとだが力が湧いてくるような気がした。
  それからコロナの傷口を見てみると、どうだ。
  見る見るうちに、というほどでこそないが、少しずつ、しかし確実に傷が癒えているのが分かる。
  その証拠に、コロナの荒い息も少しずつ平静に戻っていき――


 「れんげ、ちゃん……?」
 「! コロちゃん、大丈夫なのん。ウチが必ず、コロちゃんを助けてあげるのん!」


  コロナはきょとんとした表情を見せたが、れんげの手に見覚えのあるデバイスを発見し、静かに頬を綻ばせた。
  アスクレピオスは、元々彼女の友人が使っていたものだ。
  それがこんなところで自分を助けてくれた。その事実は、なんだか心を暖かくしてくれた。
  必死に回復を施すれんげ。説明書と睨めっこしながら、それを見守っている絵里。

 「(助けるつもりだったのに、まさかわたしが助けられるなんて)」

  気恥ずかしいような、嬉しいような。
  そんな複雑な感情で治療に甘んじるコロナだったが――その目が、突然大きく見開かれる。



 「れ、れんげちゃん! 逃げてッ!」


  宮内れんげ。彼女の後方から、歩を進めてくる者があった。
  橙がかった髪を三つ編みに結い、笑顔を顔に貼り付けた青年。
  体には所々ダメージを受けた痕が見られたが、それを苦にしている様子は何処にもない。
  振り返ったれんげと絵里の表情が固まる。
  彼――神威は、れんげのみを見ていた。どこか嬉しそうに微笑んで、静かに死神が歩いてくる。

 「やっぱり、俺の予想通りだったみたいだ」

  初めて神威とれんげが会った時、彼はれんげを殺さなかった。
  子供を攻撃するのに抵抗があったというのもある。
  だが、自分を睨み付けた彼女の『目』に惹かれるものを感じ、殺さずに捨て置いたのだ。
  再会がここまで早くなるというのは予想外だったが、どうやら見立てに狂いはなかったらしい。
  魔法の力を身につけて仲間を癒す彼女の目は、どこまでも澄んだ強さに溢れているように見えた。

 「……来ないで、なのん。今は、うちゅうじんの相手をしてる暇はないのん!!」
 「ありゃ、これはつれないね。折角こうして会いに来てあげたっていうのにさ」

  コロナの言葉を無視し、れんげは逃げない。
  体は震えていたが、それでも毅然と神威を睨み付けている。
  とてもではないが、小学一年生の度胸とは思えない。
  現に絵里は神威を前にして、まったく動くことが出来なくなっていた。
  これが普通なのだ。先程の彼の戦いぶりを見ていれば尚更である。

 「心配しなくても、君を殺すつもりはないよ。
  そこの女の子も同じさ。刀の子は面白そうだから少し遊んだけどね」

  それに。
  言って神威は、れんげ達の更に後方へ目をやった。


 「俺が仮にそうするつもりでも、あの二人が許してくれなそうだ」



  神威が言い終えた直後だった。
  れんげ達の上を飛び越えるようにして吶喊した一人の少女が、神威へと鋭い拳を放つ。
  神威はそれを真っ向受け止める。地面にズリズリと音を立てて靴裏のラインが刻まれた。
  そこで漸く止まる。――渾身の一撃だったのか、神威の手にはビリビリとした痺れが残っている。

  れんげも絵里も、その二人の姿を見た。
  神威を急襲した、桃色の髪の少女。
  そして彼女に続くようにして現れた、金髪の凛々しい女性。

 「友奈。君はその男を頼む。私はあちらの少女を援護する」
 「分かりました! ジャンヌさんも、気をつけて……!」

  神威の右方を通り過ぎ、遠方の『姉妹喧嘩』へ介入すべく走っていく、ジャンヌと呼ばれた女。
  彼の気性上、それを妨げてもおかしくはなかったが、彼はこの時それをしなかった。
  夜兎の目は、真っ直ぐ桃の勇者へと向けられている。
  ……いい目だ。
  それはれんげのものとよく似た、眩しいほどに透き通った強さを灯した眼。
  顔には笑顔を浮かべたまま、神威は静かに拳を構える。
  応じるように、勇者もまた拳を構えてみせた。


 「貴女――」
 「……おねーさん、誰なん?」


  少女達に半身だけを向け、安心していいよ、とばかりの笑顔を見せる。
  神威のものなんかとは全く違い、それは見る者を例外なく安心させる――勇気付ける、華のような微笑みだった。
  大丈夫。私は二人の味方だよ。助けに来たの。
  口にする言葉の一つ一つが、不思議なほど暖かく響く。
  目の前の『悪』に向き直り、彼女は宣言した。
  ――これまでで最も力強く、自分とは何であるかを。


 「私は、結城友奈――」


  そう、彼女は――


 「――『勇者』だよ。」


  勇者である。




 「 「 うおおぉぉおおおおおおお――――ッ!!!! 」 」


  姉妹の怒声が共鳴し、真っ向からぶつかり合う。
  雁夜の死と、彼が遺した最後の置き土産。
  それが功を奏してから、皐月は流子へこれまで以上に力強く食らいついていた。

  戦況は決して大きく動いてはいない。
  皐月が流子を殴りつけたあの瞬間以降、皐月は有効打と呼べるものを一切与えられていなかった。

  だがそれは、流子の方も同じだ。
  攻めあぐねている訳ではない。持ち前の凶暴性を十二分に発揮し、皐月を常に押し切らんと追い立てている。
  しかし攻め切れない。
  流石に相手が相手だ、長々戦っている分、流子のパターンをある程度学習しているのだろう。

 『皐月、上だ!』
 「了解した!」

  鮮血との連携もより密になっている。 
  以前の皐月ならば回避できなかったであろう攻撃も、鮮血の助言で次々躱される。

  まさに千日手状態。
  このままでは、どちらかがスタミナ切れで倒れるまで延々と続ける羽目になる。
  それは流子だけでなく、皐月としても出来れば避けたい幕切れだった。
  流子を取り戻すことのみが全てではない。
  羅暁を倒すまでには幾らか猶予があるにしても、殺し合いの打破はごく早急に行う必要があるのだ。
  当然、纏流子は後のことなどを考えながらで倒せる相手ではない。

  ――故に皐月は今、すべての打算を捨て去り、流子のことのみを考える! 


  再び突撃する皐月と、迎え撃つ流子。
  もう何十度と繰り返したやり取りだが、常に攻め方、護り方を変えねば不覚を取る。
  そう知っているからこそ、二人は極限の集中力を持って臨んでいた。
  交差する二人。――跳ね飛ばされたのは皐月だった。

 「そら、見たことかよ! ンな出来損ないで、私の純潔に敵うわけがねえんだ!」
 「ぐ……、いや、敵うさ。私はそう信じている」
 『皐月……』

  しかし、流子の言うこともまた正しい。
  鮮血と純潔の間には、確かな力の差が存在している。
  おまけに、鮮血はそれに加えて繭からの細工を施され、更に弱体化を受けているのだ。
  それで長期戦となれば、次第に不利になってゆくのがどちらかは明白であろう。

 「そうかよ。だったら証明してみるんだな、鬼龍院皐月ィ!」

  叫び、流子が奔る。
  皐月は考える。
  鮮血が純潔にも敵い得ると言ったのは真実だ。
  真実、心の底から皐月はそう思っている。
  ただ問題は、どのようにしてその瞬間を引き寄せるかだ。
  皐月と鮮血は今や一人と一着で『一人』。人衣一体の境地で戦っている。
  それでも尚、流子の方が上。であれば、やはり必要となるものは。

  新たな戦力――そう皐月が呟くのと、流子の疾走軌道上へ金髪の女が割り入るのは同時だった。


 「な――貴女は」
 「私はジャンヌ。ジャンヌ・ダルク。
  ……戦いの鎮圧に来たのだが、どうやら暴れているのはあの娘のようだな」
 「……ああ。その認識で合っている」
 「ならば、私にも力添えさせてくれ。どうやら君は、私と志を同じくする者のようだからな」

  ジャンヌ・ダルク。
  世界史を習ったことのある人間ならば誰もが知っているだろう、オルレアン救国の聖処女と同じ名前。
  それに皐月は一瞬だけ驚かされたが、しかし些末なことだと切り捨てた。

 「私は鬼龍院皐月。あいつは纏流子……私の妹だ」
 「……成る程。では、適度に意識を奪う程度に止めた方が良さそうだな」

 「オイオイ、誰だよテメェは。いきなり割り込んできて、ワケの分からねえこと言ってんじゃねえぞ」

  ムカついた、だから死ね。
  とでも言わんばかりに、何の躊躇いもなくジャンヌへ攻撃を加える流子。
  常人ならば、呆気なく吹き飛ばされて終わるのが関の山だが――ジャンヌ・ダルクは生憎と、常人のカテゴリに当て嵌めるには度が過ぎた力量の持ち主だ。
  彼女は朱槍でもって、それを止める。
  止められたことで生ずる一瞬の間隙に、皐月の痛烈な蹴撃がヒットした。
  蹌踉めき、流子もこれには堪らず後退する。
  どうやら、今のは結構なダメージとして彼女に通せたらしかった。

 「うざってえ……」

  だが、それは纏流子に限っては弱体化を意味しない。
  苛立ちは強まり、その度に彼女の戦力は暴力的になっていく。
  破壊衝動と帰還願望が苛立ちで煮詰められ、今や彼女の闘争心は最高潮にまで達しようとしている。
  戦いが真に苛烈化するのは、恐らくこれから。
  ジャンヌと皐月、二人の戦士は――

 「そんなにお望みなら、お望み通りブチ撒けてやるよ――!!」

  殺気の爆ぜる音を聞いた。


時系列順で読む


投下順で読む


051:本能字の変(1) バクチ・ダンサー 間桐雁夜 GAME OVER
051:本能字の変(1) バクチ・ダンサー 園原杏里 GAME OVER
051:本能字の変(1) バクチ・ダンサー 坂田銀時 051:本能字の変(3) Angel Blossom
051:本能字の変(1) バクチ・ダンサー 絢瀬絵里 051:本能字の変(3) Angel Blossom
051:本能字の変(1) バクチ・ダンサー 鬼龍院皐月 051:本能字の変(3) Angel Blossom
051:本能字の変(1) バクチ・ダンサー 桂小太郎 051:本能字の変(3) Angel Blossom
051:本能字の変(1) バクチ・ダンサー コロナ・ティミル 051:本能字の変(3) Angel Blossom
051:本能字の変(1) バクチ・ダンサー 宮内れんげ 051:本能字の変(3) Angel Blossom
051:本能字の変(1) バクチ・ダンサー 神威 051:本能字の変(3) Angel Blossom
051:本能字の変(1) バクチ・ダンサー 纏流子 051:本能字の変(3) Angel Blossom
051:本能字の変(1) バクチ・ダンサー DIO 051:本能字の変(3) Angel Blossom
027:信仰は気高き戦士の為に ジャンヌ・ダルク 051:本能字の変(3) Angel Blossom
027:信仰は気高き戦士の為に 結城友奈 051:本能字の変(3) Angel Blossom