夢を見ました。
なぜそれが夢だとわかったかというと、テレビドラマを見るように、その夢の中には私がいなかったからです。
画面の中には両親がいました。
ちらしのようなものを配っているようです。それには私の写真と、似顔絵らしきものが載っていました。
父は生粋の学者肌で、娘である私に感心はありませんでした。いや、ないのだと思っていました。その彼が、通行人に必死で頭を下げ、すがりつかんばかりにビラ配りをしていました。みっともなさすぎて涙が出そうです。
……ああ、諦めたつもりだったのに。
あの日ケンカなんてしなきゃよかった。
きっと私は何度だって後悔する。生きている限り、何度も、何度も――
目覚めて、久しぶりに絶望しました。
※※※
「……アリサ」
「はい?」
昨夜の悪夢が抜けないのかはたきをもったままぼーっとしていました。
妙にリアルな夢だったなあ……。正夢だったら困る。
もう戻れないと割りきってはいても、かつての家族や友人がまだ自分を探してるんじゃないかと思うとたまらないですね。
せめてどうにか生きてることを伝えられれば……むしろそれはそれで辛いか、会えないんだから。
今日は会議の日とかで陛下は朝から仕事です。寝起きが悪い陛下は不機嫌に後宮から出て行きました。
「アリサ、聞いてます?」
すみませんよく聞いてませんでした。
私に声をかけたのは後宮の侍女の一人です。仮に侍女Aと呼びましょう。
「アリサ、王がお呼びです」
「何ゆえ」
反射的に理由を問うてしまったのですが、侍女Aは怒ることもなく答えてくれました。
「陛下がやっかいなものを献上されたようです」
王に何か献上するのに奴隷はいらないと思うのですが……。
わたしの疑問を感じ取った彼女はにやりと口に笑みを浮かべました。
「懐かしい感じのやつらしいですよ」
「懐かしい……?」
言われるがままに王座のある部屋まで行きました。
「離せ! 離せよ! 化け物どもが!」
確かに懐かしい感じではありました。
※※※
玉座の前で暴れていたのは成人男性、こっちでいうところのオスヒトです。彼は侍女の拘束から逃れようと必死でした。
「陛下、アリサが参りました」
王座に座った男性は美しい眉をひそめて暴れているオスヒトを指さしました。
「アリサ、あやつを大人しくできるか?」
「や、やってみます」
陛下が外面モードなのでしゃべり方が違います。別に怒っているわけではありません。
とはいえ成人男性が暴れているところに近づくのはさすがに怖いです。ほかのチョウがいるのでやばくなったら誰か止めてくれると思いますが。男性兵士ではなく侍女がおさえつけているのは陛下の優しさなんでしょう。
「あ、あの、落ち着いてください。わたしはあなたと同じ、ヒトです」
わたしの言葉に男性は若干筋肉をゆるめて停止します。
「どこなんだ、ここは? ドッキリか何かか? あの男は誰なんだ?」
うーん、どこから説明していいのやら。とりあえず最後の質問に答えます。
「あの人はこの国の王様です」
「ふざけてやがる。それが本当だとして、なぜ俺が捕まらなきゃいけないんだ」
「それは……話せば長くなるんですが」
たぶんはじめにここに来たときは私もこんな感じだったんでしょうね……。
男性は凶暴そうな瞳でわたしをにらみました。
「とにかく俺を解放しろ。捕まる筋合いはない」
「いや、それはしないほうが……」
たぶんこの王宮は、ヒトを保護するには島で一番適した場所でしょう。今後どこへ行くとしても今はここにとどまった方が得策です。
男性の顔がふっと目の前から消えたかと思うと、突然茶色い物体が飛んでいきました。
はじき返されるそれ。よく見ると男性が履いていた靴のようでした。
「馬鹿か。死ぬぞ」
どうやらはじき返したのは陛下のようです。魔法だ……。
「陛下、抜刀の許可を!」
近衛たちがざわつきます。彼らを制止する陛下。
あ、これはやばいやつです。急に背筋が寒くなってきました。
人間を傷つけるようなヒトは死ぬしかありません。それが貴人であればなおさら。
今ばかりは陛下のヘタレさ……じゃなかった。寛大さに感謝するしかありません。
「誰が拾ったのだ? こいつは」
「わ、わたくしにございます」
白黒の斑点羽を持つ兵士の一人が一歩前に出ました。
「では、お前が面倒を見ればいいではないか」
「うちは幼い弟妹がいまして、ヒトの面倒まで見れません。売るにしても、あまりひどい扱いをすれば祟られるのではないかと不安で……」
陛下は鷹揚にうなずいて、じゃらじゃらついている首飾りを一本取りました。そして侍女に渡します。
「私がこいつを買おう。すまんな、自由にできるセパタがほとんどないから物々交換だが、たぶんあのオスヒトくらいの価値はあるだろう」
「ああ、王様、ありがとうございます! ありがとうございます! この御恩は忘れません」
「別に恐縮するほどのことではない。単なる取引だ。楽にしろ」
完全に厄介払いですね!
特に役に立ちそうもない反抗的なヒトを引き受ける。陛下はたぶん……わたしに気を使っているのでしょう。
ありがたいんですけど、いたたまれさも感じます。こうまでしないと、ヒト一人の命が助からないなんて……。
そもそもが美形種族であるチョウの社会で、ヒトの相場はめちゃくちゃ安いです。桁一つ少ないレベル。国全体にそんなにお金がないのと、ヒトの知識や技術を重んじない国民性がまた値段を下げています。
わたしがここにいることは奇跡的なんですよ?
※※※
彼は「とりあえず」外から鍵のかかる後宮の一室に放り込まれました。壁が薄いものだから時々わめいたり壁を殴る音が聞こえます。正直怖い。
「ね、陛下……あのオスヒト、どうするおつもりです?」
露台の長椅子に座って私はつぶやきます。
欄干にもたれていた陛下は私に気づいて向き直ります。
「助けてやりたいのはやまやまだが、僕が飼ってどうする」
「男色の趣味があれば……」
「無い」
前にも言った気がしますが、この島では同性愛は後腐れない恋愛形態として一般的なのでたとえ陛下がゲイでもバイでも子どもさえ残せば文句を言われませんよ。
「BL展開としてナイスだと思うんですけどね。身分違いで美形同士という……」
「冗談でもそういうのはやめろ」
主人をからかうのはこれくらいにするとして。
ただ単純に後宮の誰かが彼を飼えばいいのでしょうが。、ノトさまとアドさまはああみえて吝嗇だし、スセリさまは引きこもりなので生き物を飼えるようなお人ではないし。
リィミヤさまは……
「簡単なことです。売ればよろしい」
きらきらした青い羽を持つ女性が現れました。陛下はあからさまにのけぞります。この光景見てると彼らが夫婦であることを忘れそうになります。
「年を食っているとはいえオスヒト。売ってしまえば何かの足しになるでしょう」
鳥の羽でできた扇を口に当てて、リィミヤさまはあっさりと告げます。
「ま、待ってください」
普段あまり口答えはしないのですが、この時ばかりは黙っていられませんでした。
「彼は自分の状況を理解していません。非常に混乱しています。その状態で売るのはいかがなものかと」
「情が移るからこういうのは早く処分したほうがいい」
一瞬この女の口に手を突っ込んで舌を引きずり出したい気持ちに駆られましたが、我慢しました。わたし偉い。
……一応述べておきたいのは、リィミヤさまは別にヒト差別してるつもりは全然ないということです。むしろものすごく優しい部類に入ります。
ただ元の世界でわたしたちが犬や牛を一個の人格を持った生命と扱わないように、わたしたちヒトが感情を持ち恐怖したり喜んだりするということを、感覚的に理解できないのです。
わたしはたまたま付き合いが長く従順なので、「まあ家族と呼んでやってもいいかな、比喩表現として」くらいになってる気がしますが、目の前のオスヒトはその対象外ということです。
「陛下もまったくもって甘い。間接的とはいえあなたがあのオスヒトに使ったのは税なのですよ? たかが愛玩動物に国の財産を使うとは」
「だが、あいつを放り出したら死ぬかもしれないんだぞ。国外に出たら行方も追いかけられないし」
「そんなことわたくしどもに関係ありません」
「……わたしにはある」
衝動が、わたしを突き動かしていました。
わたしが彼を見捨てることだけはあってはならない。
「彼の面倒を見させてください、わたしに」
※※※
その部屋に机はなく、薄い敷物がしかれているだけでした。
ほぼ真ん中にオスヒトが一人虚空を睨んでいます。彼はふと私に気づきました。
「少しは落ち着きました?」
床にひざをつき、お盆を置きます。男の人は器に鼻を近づけて顔をしかめました。
「なんだこれ」
「とうもろこしのお茶です……何か口にしたほうがいいですよ、飲まず食わずでしょう」
彼は器を取って一口二口飲みました。味を確かめてるようです。毒でも入ってると思ってるんでしょうか? そこまでするほど王宮はヒマじゃないです。
器から口を話すと彼は問いました。
「さっきから、きみは何者なんだ? 連中とは違うよな?」
そういう聞き方をされると困るんですが……。
「何者というと……ヒト奴隷ですが」
「奴隷!?」
彼はカルチャーショックだったです。そりゃあなあ。私も最初はめちゃくちゃショックでした。
「わたしはヒトです、あなたと同じ。わかりますか。あの浮かれた仮装みたいな人たちとは違います」
言いながら、わたしは男性を観察します。
年齢は30代くらいかな……チョウに慣れてヒトの年齢の測り方を忘れた気がします。
「あの、お名前を教えてください」
「……徳川衛(とくがわ・まもる)だ」
「マモルさんですか」
「君に下の名前で呼ばれる筋合いはない」
「じゃあトクガワさん」
議論している場合じゃないのでサクサク譲歩します。
「わたしは有沢梅(ありさわ・うめ)。こっちの方にはアリサと呼ばれています。ここはあなたが知っている世界じゃありません」
「……なんだって?」
「ここは獣がヒトを飼う世界です。わたしはあの男性に飼われています」
「あんなふざけた格好の男が?」
うん、ふざけてますよね……、心底共感します。
「いや、あれは見た目的にはわりとヒトに近いほうなんですけど……それはそれとして、この世界で安全に暮らすためには主人が必要です。わたしはあなたの主人を探すために協力するのであなたも努力してください」
トクガワさんはしばらく絶句したあと、引きつった笑いを浮かべました。笑わないと精神が保てないというように。
「なあ、ジョークなんだよな? こんな大仰なものでっち上げて趣味が悪いぜ」
「信じてください。誓って嘘は言っていません」
トクガワさんは考え込むようにあごをなでました。
「よしわかった。君は連中に騙されてる」
「いいえ、違います」
そうきたか……私は肩を落とします。
話がまったくかみ合わないぞ! 人生を投げ出したくなる無力感に襲われます。だが人生から逃げられる人間などいようはずもなく。
「こんな若い女の子をだますとは連中もひどいな」
「私はもう20超えてるんですが」
「そうなのか?」
童顔で悪かったですね。私はリィミヤさまと同い年です。
「ちなみに陛下……一番えらそうなあの人は19歳です」
「マジでか。老けてるな。なおさらあんな子どもにだまされちゃだめだよ」
老けてるも何もチョウは羽化すれば一気に大人ですからね。彼らにティーンの見た目でいる時間はほとんどないです。
「トクガワさんはおいくつですか?」
「32」
うーんかなり微妙な年齢。おそらく高値はつかないでしょうね。
「とにかく俺を解放してくれ。何も悪いことはしていない」
私は口を開きます。それはきっと一番言いたくないこと。私自身も。
「間違ってるのはあなたなんですよ、トクガワさん。この世界ではあのチョウたちのほうが正しいんです。すべてにおいて」
トクガワさんの目には熱っぽい怒りが燃えていました。
「……君はどうして何も言わない? 理不尽だと思わないのか?」
「そりゃ、思いますよ」
ただすべての理不尽に怒っていたらここでは生き残れない。
「アリサワさん、君は……」
そこではたと言葉を切ります。彼の視線を追うと、誰かが扉の前に立っていました。
入ってきたのは陛下でした。後宮内とはいえ、共もつけずに一人で出歩くとまたうるさいこと言われますよ。
陛下はあぐらをかいて床に座りました。
「陛下、どこから聞いてたんです?」
陛下はそれには答えず、トクガワさんに釘を刺しました。
「お前、僕に手を出すなよ、次はないからな? いいな?」
陛下は完全な善意で言っているのですが、トクガワさんにそれがどこまで伝わるか。陛下は私に視線を移しました。
「アリサ、そんなにこいつを助けたいのか?」
「はい……」
じわりと涙がにじむのを慌てて我慢します。
陛下はそれを言う前にちょっとためらいました。
「なら、こいつと結婚しろ」
隣でトクガワさんが目をむきました。
「部下の縁談を用意するのは主君のつとめ……ってことでリィミヤのことは説得する」
「……わかりました」
「本気か君は」
「本気ですよ」
「犬猫のようにつがわせられて嫌だと思わないのか?」
「生きるためならしょうがないです」
「……やっぱり、おかしいのは君だ。俺じゃない」
トクガワさんがはっきりと嫌悪感を示したので、わたしの心ががつがつ削られていきました。
だってしょうがない。
わたしたちは「人間」じゃないんだから。
「人」の庇護を受けて生きていかなければいけないのだから。
「なぜそこまでするんだ?」
「決まってるじゃないですか、あなたは私の同胞です。あの虫どもとは違う。私はこの国の行く末なんてどうでもいいですが、ヒトとしてあなたは助けたい」
そうでなければ私に残された「人間らしさ」は永遠に失われてしまうでしょう。
これは私の問題でもありました。
「そこまで言うなら……きみのことは受け入れるよ」
そのときは、この言葉が、私が受け取った意味とは違うことに、まだ気づいていなかったのです。
※※※
夜も明けきっていないころ、侍女Aが私を起こしました。
「なんです? 」
「リィミヤさまがお呼びです」
こんな早朝に呼び出すなんていい身分だな!(実際そうですけど)
ろうそくを片手にリィミヤさまの部屋まで歩いていきました。くっそ、羽がない人向けに作られてないから渡り廊下が適当で遠回りです。
ふっと空に陰りが見えて顔を上げると、誰かが慌ただしく空をよぎったようです。
リィミヤさまは薄暗い部屋の中で待っていました。舶来物のランプを机の上に置いて、ぼうっと冷たい双眸が私を見ています。
はたと気づきました。
さっき空を飛んでいた人は――暗くてわかりにくいですが、羽の派手な男性です。
ぞっとするような嫌な予感が走りました。
「……なぜ後宮に男がいるんですか?」
彼女はそれに端的に伝えました。
「彼が逃げたわ」
彼、が誰なのか考えなくてもわかることでした。
「嘘でしょう……」
心臓がばくばくと暴れだしました。
「これ、読めるかしら?」
それは日本語で書かれた書き置きでした。ちり紙代わりに使われていた、書き損じの裏に書かれているので読むのは困難でした。
『やっぱり俺は納得いかないし、この場所にもいたくない。
君も早く目を覚ましたほうがいい。
でも君がそう信じているなら俺がどうこう言えないとも思う。
俺は抵抗する。そのために連中を傷つけることもためらわない』
「なんて書いてあるの?」
歯の根が合わなくなってうまくしゃべれない。
「だ、だってトクガワさんはもう逃げないって言った……」
挙動不審になったわたしを、リィミヤさまは憐れむように見ました。
「王の承認によって後宮に入ったものは、王の許可無くして外に出てはならない」
「彼はヒトですよ?」
「だからといって王やその身辺に危険が及ぶようなことをさせるわけにはいけません。私たちは彼に警告をしました」
こっちの世界でヒトが人間を殺す事例がいくつあるんだって話ですよ。トクガワさんに何ができますか?
「彼はこの世界が理解できていないだけなんですよ、だからって彼が不要なんですか? 死んでもいいんですか? 従順でないヒトは生きる価値がないんですか?」
私は思いつくままにリィミヤさまをなじりました。名前のつけられない感情の奔流が私を飲み込みます。
「アリサ……ここはあなたの世界ではないのです」
わかってる、そんなことはわかってる。
もし私がリィミヤさまだったら同じことを言ったでしょう。
「お願いです、彼を、彼を助けて……」
ああ、私は彼を助けることはできないのか。
彼は昼になる前に見つかりました。
その姿を見て、私は自分が奴隷であることも忘れ、泣き叫びました。
※※※
次の日仕事しようと思ったんですが……朝食がのどを通らず空腹と貧血でぶっ倒れたので強制的に部屋に戻されました。
侍女Aがそっとジュースをくれたので一気のみしました。糖分が脳に入って若干空腹がましになります。
寝台に横になっても悪夢しか見ません。
夢とうつつの境が曖昧なまま、起き上がろうと手をつきました。
そこでそばに誰かがいるのに気づきました。
「大丈夫か」
「……はい」
「嘘をつくな」
まったく、陛下は優しいだけがとりえです。
「すみません……今は、一人にしてください、お願いです」
彼は羽をひるがえしてそっと立ち去りました。
わたしがもっとうまく立ち回れば、トクガワさんは死なずにすんだのに。
でも、ひょっとしたら、頭がおかしいのはわたしなんじゃないだろうか。
トクガワさんは自分の世界に殉じたにすぎず、狂気に囚われたのではありません。
(君は連中に騙されてる)
最初にこの世界に落ちたとき、私も理不尽を理不尽として拒否するべきだったのではないでしょうか?
――でも、そうしたらこの世界では生き残ることができなかった。
わたしは自分の中の倫理観を捨て、自分の生命の安全を選んだのです。
それをトクガワさんに押し付けることなんてできるはずもなかったんです。
でもわたしはトクガワさんに生き残ってほしかった。理不尽だらけの地獄みたいな世界でも、生きてほしかったんです……。
だって、綺麗に死ぬより醜く生きてるほうがずっとましでしょう?
死の向こうには何もありませんよ、きっと。それは信仰みたいなものですが。
どうしようもない絶望を味わっても、世界が終わるわけじゃなくて、明日が来てお腹が空いて眠くなる。
私はそれを幸せだと思っておきたいです。
気休めですけどね。ほんとに。