猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

続虎の威33

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匿名ユーザー

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 翌朝、少しばかり寝坊してだらだらと食堂に向うと、先日よりもはるかに露骨な葬式モードがカブラ達の周囲に立ち込めていた。
「トラって種族には他人のベッドシーンをデバガメした翌日に無駄に落ち込む性癖でもあるわけ……?」
 呆れて聞いた千宏をじろりと睨みつけ、うるせえ、とカブラが吼える。
「聞きたくて聞いたんじゃねぇよ今回は今回に限っては……! なんっで俺がイヌ野郎とチヒロがやってる声なんざ聞かなきゃなんねぇんだ。それをまあ一晩中いちゃいちゃいちゃいちゃあんあんあんあんと……!」
「何言ってんだよカブラ。おまえすっげー耳そばだててたじゃねぇか」
「だぁってろカアシュ!」
 カブラの拳がカアシュの顔面にめり込み、カアシュがその勢いのまま後ろ向きにひっくり返る。ひどい八つ当たりである。
「チヒロが……チヒロが国外逃亡のイヌ野郎とあんな……あんなうらやま――いかがわしいことを……ッ!」
「本音が漏れてるぞカブラ。ただの欲求不満だろそれ」
「だぁってろブルック!!」
「トラにいかがわしいと言われる日が来るとは光栄だな」
「ハンスァアアァ! てめぇ今すぐ表に出ろぉお!!」
 心底やかましいトラである。
 千宏はテーブルの中央で山積みになっているパンを一つ皿に取り、大口を開けて食らいついた。
「いやー激しい運動した翌朝のごはんはおいしーねえ」
 ご、と鈍い音を上げ、カブラがテーブルに頭を打ち付ける。そのままふるふると肩を震わせ、がりがりとテーブルの表面を引っかいた。
「俺だって……俺だってなぁ……俺だって!!」
「カブラカブラ。テーブルにすっごい深い傷できてるよ、猫が爪とぎした柱よりひどい事になってるよ」
「俺だってチヒロと一戦交えてぇのを我慢して……! 俺は! 俺はぁああぁ!」
 男泣きである。千宏はカブラを指差しながら、その隣で淡々と食事をすすめているブルックを見た。
「カブラってイシュのことが好きなんじゃなかったっけ……?」
「トラに限らず、伴侶と下半身の欲望は別もんだ」
「あぁにすました面してやがるブルック! てめぇだって同じだろうが!」
「いや、俺は――」
「あたしブルックとはしたことあるよ」
 瞬間、ブルックとカアシュの動きが止まった。
 ブルックが表情を引き吊らせ、バカ野郎、と視線だけで千宏を罵る。
 言ってはまずいことだったか。次の瞬間カブラとカアシュがテーブルに乗りあがり、裏切り者めと罵り声を上げながらブルックに掴みかかった。
 乱闘である。
 ハンスは肉の塊を口の中に押し込むと、ひょいと千宏の体を抱え上げ、微動だにしないコウヤの車椅子を押し、静かに食堂を後にした。

 それから、だらだらと三週間の月日が流れる。
 からりと晴れた朝だった。
 部屋には千宏とハンスとコウヤが思い思いに腰を下ろしており、そこはかとない緊張感と沈黙が満ちている。
 トラヤキだけがいつもの様に、ぷうぷうと鼻ちょうちんを膨らませながらハンスの頭の上で船をこいでいた。
 そののんきな鼻ちょうちんを、ばん、と勢い良くドアが開く音が弾き飛ばした。
「産科医が来たぞ、気合入れろ!」
 興奮した様子で言ったカブラの後ろから、ひょいと背の低いネコの老婆が顔を覗かせる。
 妊娠の確認のため、ブラウカッツェから呼び寄せた産科医である。

 千宏はゆったりとソファに腰を下ろし、その腹に手を添えた老婆の言葉を固唾を飲んで待った。
 千宏よりも固唾を飲んでいるのはトラの三人衆で、今にも緊張で卒倒しそうなほど露骨に息を飲んでいる。
 ハンスもコウヤもそれなりの興味を示しており、じっと千宏と老婆を見つめていた。
 そしてぱっと老婆の表情が明るくほころんだ時、つられて千宏の表情もほころんだ。
「おめでとう。立派な女の子が育ってるにゃ」
「や――」
「よっしゃぁああぁ! よくやったコウヤお手柄だ!」
「チヒロに子供が! 女の子が!」
 千宏がやったと叫ぶ前に、カブラとカアシュが同時に叫んで躍り上った。
 カブラとカアシュは二人してばんばんとコウヤの背中をたたき、ブルックは感慨深げに千宏にホットミルクを差し出しだしてくる。
「安産祈願のお守り出しとくにゃ。これを肌身離さず持ってれば、流産の危険性は八割減にゃ!」
「効果が高すぎて逆に怪しいけど……」
 人気商品にゃよ、と不満そうに言うネコの老婆に金を払って、千宏はお守りの小さなペンダントを受け取った。
 たとえ気休めだろうと、これで少しは安産の可能性が上がるならば安いものだ。
「ありがとう。また何かあったらお願いします」
「きっと元気な子が生まれるにゃ。私が請け合うにゃ」
 ベテランのネコの産科医が言うのなら、きっと元気に育つのだろう。千宏は急に肩の荷が下りた気がして、ブルックの入れてくれたホットミルクをありがたくすすりながらその小さな後姿を見送った。
「な、な、もう動くのか? 触ったらわかるのか?」
「三日じゃまだ形にもなってねえって……」
 子供の様にきらきらと瞳を輝かせるカブラに、カアシュが呆れたように言う。
 そうか、と残念そうに耳と尻尾をへたらせはしたが、カブラはなおもそわそわと千宏の周りをうろつきまわった。
 自分が父親にでもなったような雰囲気である。トラの気質はこういうとき、妙にくすぐったくて居心地が悪いような、いいような、微妙な気分にさせられる。
「それじゃあ……」
 こほん、と咳払いを一つ。千宏は複雑な面持ちでコウヤを見た。
「次はアトシャーマだね。出発の準備しなきゃ」
 コウヤは少しだけ眉をひそめた。
 千宏は思わずぎくりとする。ハンスの表情が動くことは珍しい。張り付いたような笑顔ならば時折みるが、なんらかの不快感を表す表情を見せる事は本当にまれだった。
 と、突然車椅子を進めて、コウヤはじっと千宏の腹を凝視する。
「よければ、触っても……?」
「え!? え、ああうん、どうぞどうぞこんな肉のついた腹でよければ……!」
 コウヤから子供に対して反応らしき物があるとは少しも期待していなかったので、千宏は慌てて素っ頓狂な声を出した。
 コウヤは千宏の腹の肉に付いては何も言わず、すっかり元の無表情に戻って千宏の腹部にそっと手の平をあてがう。
「……その子は」
「うん」
「どう、生きるのでしょう」
 どうって、と。千宏はコウヤの表情を窺い見た。
「安全なところで産んで、あたしが育てて、できれば人間の友達も作って……」
「幸せに?」
 問われて、千宏は一瞬息を止めた。
「そ、それはもちろん……! 幸せに生きるよ。絶対、この世界の誰より幸せに産まれて、幸せに育って、幸せに生きていく! 元の世界で生まれるより、ずっといい人生にするんだから!」
 そう、とかすれた声でささやくコウヤが、何を思っているのか千宏にはわからない。
 ただ、これからこの世界に生まれてくるこの子供に、何らかの興味を持っているのは間違いないようだった。
「名前は……決めているのですか?」
「う、うん。一応、女の子だったらヒロミかなって。千宏の宏に、美しいって書いて」
「宏美」
「うん」
「……私の」
 子供か、と。おそらくコウヤは言ったのだと思う。
 何度も交配に使われてきたコウヤには、血のつながった子供が多くいるはずだ。それでもそれらは商品でしかなく、コウヤの子供という扱いはしてもらえなかったのは間違いない。
 私の子供。
 コウヤが呟いたその言葉の意味、その重さはどれほどか――千宏には想像もつかなかった。


「何か、心境の変化でもあったか」
 母体の安全が第一だとか、激しい運動は控えろだとか、トラ三人衆がぎゃあぎゃあと喚きながら千宏を部屋から連れ去って、コウヤとハンスだけが残された。
 コウヤは千宏の腹に触れた手の平をぼうと眺め、そんなコウヤをハンスは壁にもたれたままじっと見る。
「――死ぬ気が失せたか?」
 ハンスはコウヤから視線を外し、コウヤは手の平からハンスへと視線を移した。
「まさか」
 答えた声は淀みない。
 あの日、嘘をつけとハンスは言った。
 一息で殺してやるから、千宏に「生きる」と嘘をつけ、と。それはコウヤにとって、何よりも素晴らしい提案だった。
 ハンスは間違い無く自分を殺す。殺してくれるとコウヤは確信した。だから千宏との取引に乗ったのだ。
 千宏に子供ができたあかつきには二人でアトシャーマに向い、その道中でコウヤはその命を落す。そういう筋書きだったのだ。
 けれども、何かが妙にひかかる。
 コウヤはぼんやりと、千宏の腹に触れた手を眺めた。
「ただ、少し……気になって」
「気になる?」
「この世界で得られる幸せなどあるのかと」
 あるとしたら、それはどのような物なのか。
 この世界に来てから普遍だった「ヒトならば奴隷」という定義を、千宏は命をかけてつき崩して見せた。
 その千宏が断言する幸福とは、どのような物なのか。奴隷が鎖を誇るような物ではない、ヒトが人間として幸福に生きて死ねるのだと言っているように見えた。
 だとするならば、この世界でそれはどのような生き方なのか。
「――数学を学ぶ者は、神を信じるようになるという話を?」
「……いや」
「最近、確立ばかりが頭をめぐる。明崎さんという存在は、それが私と出会ったという現実は、どれほどの偶然が重なれば存在しうる奇跡なのかと」
 普通の家庭で生まれ育った大学生が、この世界に五体満足で落ちてくる。
 その後、野垂れ死にする前に保護される。――ここまでは、コウヤも同じだ。
 ヒトを人間として扱う存在に保護される。それがひとつめの奇跡だ。
 この世界に適応し、この世界で生きて行こうと決断し、実行し、成功する。それも奇跡。
 その奇跡がコウヤと出会い、救おうと決断し、実行し、成功する――その確率。
 まるで神のいたずらだった。
 だがそういった奇跡が、形は違えど世の中にはあふれていて、ありふれている。
 誰かが設計し、作り上げたのではと思えるような偶然の蓄積が、人に神を思わせ、信じさせるのだと――はるか昔、生徒にそんな話をしたことをコウヤは思い出していた。
 コウヤが幸福を感じるための方程式はとうの昔に崩壊していて、常にマイナスの解しか吐き出さない。
 だがA(ヒト)ならばB(奴隷)という前提が崩れた今――その式もいつか、変化するものなのか――。
「――興味がある」


 別れの日は駆け足でやってきた。
 コウヤとハンスの出発の準備は滞りなく整い、同時に千宏達の帰郷の準備も千宏の意思とは関係無くてきぱきと進んでいく。
 今日、ハンスとコウヤが船に乗る。
 ブラウカッツェの港についても、未だに別れの実感が湧かなかった。
 ハンスは今も隣にいて、コウヤは潮の香りに目を細めている。
「それじゃあ」
 切り出したのは千宏だった。
「ああ」
 頷いたのはハンスである。コウヤの視線は動かない。
 ふと、千宏は腰のナイフに指を滑らせた。
「ねえ、コウヤさん」
「――はい」
「これ」
 顔を上げたコウヤの眼前に、千宏はベルトシースごと腰からはずしたナイフを突き出した。
 表情を動かさないまま視線だけを動かして、コウヤは千宏を見上げた。
「でっかいナイフでしょ。あたしのお守りなんだ」
「お守り……?」
「そう。殺されそうになった時だけ、このナイフを抜け――ってね。そのナイフをくれた人が言ったんだ。たとえ犯されても我慢しろ。媚びてでも身を守って、生きる道を探せって。それからずっと、このナイフがたった一つのあたしの牙で、爪で、何よりも誇りだった。自分の力で切り抜けるって、そういう」
 ほんのわずかに、コウヤの目が見開かれる。
 その眼前で、千宏は鞘からナイフを引き抜いた。
「守ってやるって言われたよ。一生大事に飼ってやるって。だけどあたしは安全(くびわ)よりも、この自由(ナイフ)が欲しかった」
 だからね、と。千宏はナイフを鞘にしまってコウヤの胸に押し付けた。
「これ、貸してあげる」
 押し付けられたナイフを、コウヤは思わずと言った様に受け取ってしまう。
 それから困惑の表情で千宏を見上げた。
「あの、これは――」
「それが今日から、あなたの牙。――それとハンスが、きっとあなたの爪になる」
 自由の、力の、誇りの――人間の象徴。千宏が千宏であるための、千宏が人間であるための。
 このナイフは、ずっとそういうものだった。
 今までずっとこのナイフに縋って、人間であろうと足掻いてきた。
 けれど、もう。
「あたしはもう、それが無くても立てるから」
 コウヤの手が震えていた。その手は千宏の手よりもはるかに大きく、男らしい手のはずなのに、ナイフを持つと妙に不釣合いで弱々しく見える。
「自由になって、コウヤさん。一人で立って、歩いて、道を決めて。だって、あたし達ヒトは頭いいんだ! オチモノのあたし達には知恵もある。奴隷なんかじゃないよ、あたしたち。そのナイフが、きっとあたしたちの最初の一歩だ」
 力を持つ、という決意。
 抵抗をする、という決心。
 そして、“あえて媚びてやる”という気概。
 コウヤはきっと、それらをへし折られた過去がある。丁寧に誇りをすりつぶし、ねじ伏せられた過去がある。
 絶望に絶望を塗り重ねられる苦しみがどれほどのものか、千宏には想像も付かない。
 だが、希望は確かにここにある。
 ハンスはナイフを見つめ、千宏を見て、そしてその背後に立ち並ぶトラ達を見た。
 最後に傍らのハンスを見上げ、くしゃりと表情を歪める。
 そのままナイフを胸に抱いて体を折り曲げ、コウヤは声を殺して泣き出していた。
「ハンス」
「ああ」
「コウヤさんをお願い」
「――ああ」
 千宏はぐっと伸び上がり、ハンスの首に腕を絡めて抱きしめる。
「また、いつか」

 出発を告げる汽笛が空気を揺るがし、ハンスとコウヤを乗せた船がゆっくりと港を離れていった。
 千宏は腰のベルトを探り、ぎゅっと空っぽの拳を握り締める。
 大丈夫。もう、ナイフに縋らなくても。もう、ハンスに頼らなくても。
「行っちまったなぁ」
 ぐんぐんと小さくなっていく船を見ながら、ブルックが感慨深げに呟いた。
「むかつくイヌ野郎だったが、こうして見送ってみると……なかなか、こう……」
 言いながら、ぶわっとカブラの瞳から涙が溢れる。
「さびしくなるじゃねぇかうぉおおおぉ!」
 安直な性格である。
「そーいやよ」
 ふと、カアシュが思い出したように千宏を見た。
「チヒロと再会したの、ここだったな。俺の足が吹っ飛んだときにさ」
「あー、そうだったねえ。カアシュが自殺しようとしてるんだと思ってさ」
「むしろチヒロに突き飛ばされたせいで死にかけた」
 あったあった、そんなこと、と千宏は笑う。
 それから、港のはるか彼方にある奇想天外な建物の事を思い出した。
 天才的義肢職人ミーネと、その従業員のシャコとイヌ。
「軽く挨拶してこっかな」
「俺も、そうちょいちょいこれなくなるし、最後に足のメンテナンスしてもらわねーと」
 うん、と頷き、千宏とカアシュは歩き出す。
 その後ろを、おいおいと泣き続けるカブラを引きずりながらブルックが追いかけた。

 強い潮の香りは、いつだったかと同じように、やはり千宏に草原の香りを思い出させる。
 長く、ネコの国にいた。
 出会いがあり、別れがあり、救いがあり、死があった。
 胸に残る傷は深く、痛みは続くが――耐えられる。
「さぁ、てと」
 大きくのびをして、千宏は太陽がぎらぎらと輝く紺碧の空に両腕を付き上げた。
「帰ろう――あたし達の国に」

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