猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

続虎の威31

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 ネコの占い師の助言と排卵日の計算によって選び出した、一番妊娠しやすい数日間――それが勝負どころである。
 乙女の夢も真実の愛も裸足で逃げ出すような計算づくの子作り計画だが、生憎と千宏にもコウヤにも夢や愛を育んでいる余裕はない。
「なんか……男を引き留めるために妊娠を狙う地雷女になった気分」
 一発勝負を狙っているあたり、愛を育んで日常的にセックスをしているカップルという感じがまるでしない。事実そうなのだから仕方がないが、どうにも複雑な気分である。
 この世界に落ちてきたときは「初恋だってまだなのに」とめそめそ泣いていたと言うのに、たかだが数年で随分と乙女心がひからびたものだ。
「実際は違うんだからいいだろう、別に」
 テーブルにだらしなく突っ伏してぶつくさと言っている千宏に、ハンスが相変わらずの無感動な声で正論を投げた。
「そうなんだけどさ……乙女心は複雑なのよ」
 ため息を吐いて、千宏はそっと腹を押さえた。
「ちゃんとできるといいな」
「……そうだな」
「赤ちゃん生まれたら、三番目くらいに抱かせてあげるよ」
「三番?」
「一番があたしで、二番がコウヤさんで、三番目がハンス」
 実質ハンスが一番みたいなもんだよと笑うと、ハンスは複雑な表情を浮かべて、短くそうかと呟いた。
「何、嬉しくない?」
「いや……嬉しい」
 とは言うものの、その尻尾は微動だにしていない。
 まあ、そうかと千宏は内心肩を落とした。
 別に他人の子供など、抱いた所で嬉しくもあるまい。
「――子供ができたら」
「うん?」
「どうするんだ、それから」
「どうって……コウヤさんをアトシャーマに連れてって、それから家に帰るかな。その途中で、運が良ければお腹の子の結婚相手も探せたらいいけど……」
「家に……」
 うん、と千宏は小さく笑う。
 思いの他、長い旅になった。どれほど心配しているだろうか。もう死んだと思われているだろうか。帰ったらどんな顔をするだろうか。それを思う少し不安で、待ちきれないほどに楽しみだった。
「その家は――俺の帰る場所じゃない」
 静かだが、強い口調で言われて千宏は目を瞬いた。
 え? と声を上げて見上げると、ハンスの沼色の瞳はやはり千宏を見ていない。
 それが兆しである事に、千宏は気付くことができなかった。
 兆しどころか、それがそのままハンスの答えで、そして決意である事に。


 ハンスの妙な態度がほんの少し気になりはしたが、それでも毎日は慌しく過ぎていく。
 指し当たっては、コウヤの足を直すためにアトシャーマへと向う準備だ。
「長い船旅になるからな、必要な物を少しずつそろえておかねぇと」
 アトシャーマと言えばウサギの国で、その航程は数ヶ月にもなる。どこの港にも立ち寄らない高速船に乗ればもう少し早いだろうが、それにはかなりの費用が掛かるし、不測の事態を考えると何度か港に立ち寄ってくれた方が安心だ。
「子供の事もあるから、あんまり不安定な時期に長い船旅はやだなあ。行くなら早めに行っちゃって、アトシャーマでゆっくり産むのがいいかも」
 何せ医療の発達しているウサギの国だ。多少の難産でも魔法の力でどうにかしてくれそうな気もする。
 ウサギは性的に奔放だと言うが、トラよりは安全なんじゃないかと千宏は思っていた。
 そう言うとトラ三人衆などは真っ青になってウサギの危険性をあげつらっていたが、当人達もアトシャーマには行ったことがないと言うのだから、所詮は伝聞である。
 尾ひれの付いた噂よりも、トラの無節操な女好きの方が身近な恐怖だ。何せ微塵の悪意もなく千宏を強姦しかけた実例が三人、ガン首揃えて千宏の前に並んでいるのである。
 くわえてシャエクにも襲われたし、バラムですら出会った当初は危険な存在だった。一方シュバルカッツェではネコに強姦されかけた経験など一度もない。
 結論として、千宏からしてみればウサギよりトラの方が余程危険だった。
「大体、ウサギは人が必死に抵抗してるのに“焦らしてんのか? 燃えるじゃねぇか”なんて言い出さないと思うし」
「そりゃそうかもしれねぇがな……!」
 否定するにしきれなくて、カブラが悔しげに歯軋りする。
「じゃあハンス。一応必要になりそうな物リストアップしといたから、何か抜けが無いか確認しといてくれる? 明日ブラウカッツェに買い出しに行こう」
「ああ」
 メモ用紙を受け取って、ハンスは静かに頷く。
 それからふいと顔を上げて、恐ろしく真っ直ぐに千宏を見た。
「――少し、話せるか」
 千宏はきょとんとしてハンスを見返し、ふと表情を曇らせた。
 嫌な予感がする。
 こうしてハンスが改まって切り出す話に、ろくな話があったためしが無い。その上、やはりと千宏は溜息と共に肩を落した。
 気のせいではない。今日、今この時まで、ハンスは自分から千宏と視線を合わせる事を避けていた。ハンスは今、千宏が呼ばなければこちらを見ない。
「じゃあ、カブラ達はちょっと……」
「いや、全員一緒でかまわない」
 千宏に言われて部屋を出ようと腰を浮かせかけたカブラ達は、互いに顔を見合わせて再び腰を落ち着ける。
 ハンスは千宏の渡したメモ用紙を懐にしまい、ゆっくりと息を吐いた。
「俺は護衛をやめる」
 日常の崩壊とは、あまりにも突然にやってくる。
 千宏はぽかんと口を開け、呆然とハンスを見た。
 一瞬の間を開けて、爆笑したのはカブラ達である。
「何を突然言い出すかと思ったら、真面目な顔でギャグと来た!」
「護衛をやめて保護者になるとでも言う気か? 確かに、すでに護衛ってよりそんな感じだもんな」
「もしかして、俺達が護衛に戻ったからって何か気にしてんのか? 肩書きにこだわるのはイヌの悪い癖だぜ、一緒にいるなら護衛だろうが保護者だろうが関係ねぇよ!」
 ああ、なんだ冗談か。
 ならば笑おう、笑わなければ。そう思っても頬が引きつるばかりで、どうしても笑えない。何よりハンスの表情が、千宏に笑い飛ばすことを許してはくれなかった。
「随分前から考えてはいたんだ。カブラ達が護衛に戻った今がいい機会だと思ってな」
 ぴたりと笑い声が止んだ。
 爆笑の余韻のような表情を張り付かせていたカブラ達の目に、真剣な鋭さが戻ってくる。
 千宏は硬く強張った表情を浮かべたまま、一言も発する事が出来なかった。
「無事に子供ができたら、千宏と分かれてコウヤをアトシャーマに連れて行こうと思っている。コウヤとは既に話が付いてるんだ。あいつも大勢でぞろぞろと行動するより、二人で動く事を望んでる。だからあんた達は……千宏は、国に帰ってかまわない」
 ハンスの口から出てくる言葉は、本当にハンスが喋っているのか疑いたくなるほど流暢で、はっきりとしていて、揺ぎ無い。
 これは決意を語る者のしゃべり方だ。
 護衛をやめようと思う、ではなく、護衛をやめると断言した。
 ふいに、心臓が不愉快に高鳴り出した。どくどくと唸るその鼓動は鈍く痛んで、千宏は心臓を押さえつけるように胸の中心に爪を立てる。
 ちょっと待て、待ってくれ――。嫌な予感はしていたが、これは予想していない。
 千宏はカラカラに乾いた口を唾液で潤し喉を鳴らした。
「冗談にしろ……冗談じゃないにしろ……胸糞悪い話だな。ハンス」
 低く唸ったのはカブラだ。ハンスはその澄んだ青い瞳を見据え、侮るような笑いを零す。
「そうか? あんた達なら理解してくれると思ったんだがな」
 それは、一度千宏を見捨てたカブラ達への明らかな挑発だった。高く吼えて立ち上がったカブラの体を、カアシュとブルックが力ずくでソファへと引き戻す。
「落ち着けカブラ、いちいち乗るな! ハンスも控えろ、話がややこしくなる!」
「なんで……?」
 ようやく、辛うじてと言える程度の声が出た。
 ハンスの耳がピンと立ち、努めて無表情を装うように千宏を見る。
「あんたは、どの道いつかは家に帰るんだろう。そうしたらもう護衛は要らなくなる。カブラ達は自国に帰るついでに護衛をできるからいいだろうが、俺にとっては無駄手間だ。俺以外に護衛がいないならやむをえないが、そうではない以上、俺にはこれ以上あんたの護衛を続ける理由が無い」
 実にハンスらしい、現実的でカッチリとした理由だった。
 そもそも千宏は、カブラ達を護衛にしてトラの国を飛び出してきた。ハンスを得てカブラ達と分かれ、またカブラ達と出会ってハンスと分かれる。
 そこになんら不自然な点は無い。おまけに、カブラ達と分かれたときとは状況も大分変わっている。あの頃に比べてカブラ達は千宏に協力的で、理解もはるかに深まった。
 だから、ハンスはもう要らない。それは事実だ。だがそれは事実でしかなくて、感情を丸ごと無視している。
 いままでずっと、千宏が感情を無視してきたのと同じように。
「――代わりに、最後に一仕事引き受けると言っているんだ。俺達全員で行くより、旅費も遥かに安く済む」
「けど、足を治したらコウヤさんも、あたしと一緒に帰りたがるかもしれないし……ハンスだって、あたしと一緒にトラの国で暮らせば――」
「本気で言ってるのか?」
 ハンスはあからさまに顔を顰め、不愉快そうに千宏を見下ろした。
「あんたがそれを望んでいることくらい、俺もコウヤも知ってる。――その上で、ここで終りだという話をしているんだ。俺もコウヤも、あんたの希望に沿って生きる事はできない。俺はあんたの護衛だったが、あんたの所有物になった思えはない」
「ハンス!!」
 声を荒げたのはカアシュだった。
 だが、声を荒げたところですでに遅い。ハンスは言って、千宏は聞いた。
 背筋が凍りつくような、寒気と呼ぶには少々甘い感覚に貫かれ、千宏は椅子を倒して立ち上がった。
「あ……そう」
 おっけー分かった、じゃあそんな感じで。今までありがとうね、助かった。またどっかで会えたらよろしく。
 そう言えればよかったのだが、言葉の代わりにこみ上げてくるのが嗚咽だと気が付いて、千宏は部屋を飛び出した。
「チヒロ! ハンスてめぇ――ああくそ、てめぇなんざ知るかもう!!」
 その後を追って、カブラが部屋を飛び出して行く。
 ハンスは千宏が出て行ったドアをちらと見やり、そのまま黙って腰を下ろした。

「……自分のセリフにそこまでへこむくらいなら、もうちっと言い方考えた方がよかったんじゃねぇのか?」
 千宏とカブラの足音が完全に遠ざかった頃合を見計らい、ブルックが何気なく呟いた。
 それもそのはず、ハンスはソファに腰を下ろした状態で頭を抱え込み、これでもかと言うほど耳を伏せ尻尾を丸めてしまっている。
 そのまま縮まって消えてしまいそう見えた。むしろそれを望んでさえいるのだろう。
 ハンスは頭を抱えた腕の隙間からちらとブルックを見て、
「へこんでない」
 心底無駄に強がった。
「なんだぁ? ハンスおまえ、わざとチヒロを怒らせたのか?」
 カアシュが大きく目を見開き、鼻の頭に皺を寄せてどういうつもりかとハンスを睨む。
「ハンスはイヌだぞカアシュ。自分で選んで決めた主に背を向けるなんざよっぽどの話だ。チヒロがよっぽどのとんでもねぇ裏切りをしたか、でなきゃ千宏のためか」
 まあ、とブルックは重々しく息を吐く。
「後者だろうよ。チヒロは死に物狂いでハンスを助けた。こりゃイヌにとっちゃ一生かかっても返しきれない恩だろうよ。その恩を返すためなら、イヌってやつらはどんな犠牲でも払う。例えば――」
 言って、ブルックは千宏が駆け出していったドアに向けて軽く手を振った。
「これとかな」
 するとハンスの表情はますます険しくなり、その背はますます丸くなる。
「おいちょっと、わけわかんねぇよ! どういうことだそりゃ? なんでチヒロに恩ができたら、それでチヒロにあんなこと言う必要があるんだよ!」
「何か……どうしても別行動を取らなきゃならねぇ理由があるんだろうよ。コウヤを連れて、チヒロと別れる必要がな」
 低く言ったブルックの表情は何気ないが、その視線は冷たく鋭い。
「俺の予想が正しければな、ハンス」
 言いながらブルックは立ち上がり、カアシュにも部屋を出るよう促した。
 カアシュは不安と不満の浮かぶ表情でブルックとハンスを交互に見やり、しぶしぶと言った様子で部屋を出る。その後を追って半開きの扉に手をかけ、ブルックはちらとハンスに振り向いた。
「最悪だぞ、おまえがやろうとしてることは。チヒロが知ったら絶対にお前を許さねぇ」
 ドアが閉まり、静寂が落ちる。
 ハンスは丸めていた背をのろのろと伸ばし、両目を手の平で覆って溜息を吐いた。
「わかってる……そんなこと」
 苦いものがこみ上げてくるが、その吐き出し方がわからない。苦味は喉の奥で滞り、より苦味を増して腹に落ちる。
「――だからこうしたんだ」

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