猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

続虎の威24

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集
 シャエクは遠くに倒れたネコの医師を、日の光に目をすがめて眺めていた。
 惜しい、と口の中で小さく呟き、倒れたネコが再び起き上がって動きは
すまいか、期待を込めてしばし待つ。
 しかしネコは動かなかった。
 細くゆらゆらと上がる黒煙が、焼け焦げた肉の臭いを運んでくる。
「終りか……つまんねぇ」
 不満げにへたりと耳を伏せ、シャエクは踵を返した。
「いいところまでは行ったんだがなぁ」
 街道まで送るのは面倒だ。道を教えるから自力で帰れと道を教えてやったのに、
ネコはそれをたがえてトラップに踏み込んだ。
 あとわずか、残り二回の分かれ道を正しい方向に進んでいれば、
森に入って街道に戻ることができただろうに、焦って教えた印を
見逃したのだ。
 無数に転がる石ころの中に、ひっそりと紛れ込ませた縞の平石。
ぱっと見れば明らかに周囲の石と違うので、目を凝らせば見間違うはずも
ない物だ。
 であるのに、多くの者はそれを見逃し、道を違えてトラップを踏み、
生き延びたとしても進むべき道を失って立ち尽くす。 
 右にか、左にか、見失ってしまった道を探して闇雲に足を進めれば体は
高くはじけとび、かろうじて次の一歩を踏み出してもまたはじける。
 そして、多くの者は恐怖に身を竦ませて、立ち上がることさえできなくなった。
 シャエクはその顔を見るのが好きだった。
 助けてくれと懇願する顔を見るのが好きだった。希望に縋ってはいずりまわり、
結局待つのは死でしかないと悟った時の、怒りとも嘆きとも憎悪とも付かない
叫びを聞くのが好きだった。
 もちろん、トラップのひしめく荒地を無事に抜け、森へと消えていく後ろ
姿を見送ることも嫌いではない。
 これはゲームだった。
 だが、たかだがひとつのトラップで命を落とされてしまっては――。
 千宏たちを捕らえたトラップは、純粋に捕獲用のもので殺傷力は無いに等しい。
だがこの一帯に張り巡らせたトラップは、かかった者の皮膚を引き裂き肉を焼く。
何度かは耐えられる者も多かった。だが先ほどのネコのように、一度で命を
落とすことも時にはある。
「まあ、いいか」
 興醒めだったが、役には立った。これで千宏の怪我は治せたし、あれはきっと
まだしばらく自分のところにいるだろう。
 あのネコが治したがっていた人物が誰なのか、シャエクは知らない。
 だがシャエクと手を組んだネコの役人はそれが誰なのかを知っていて、
治療されるのを面白くは感じていなかった。
 殺せと言われたわけではない。ただ、邪魔なのだとちらと話しに聞いた。
暇だったので殺しておけば、後日前触れもなく贈り物が届くだろう。
 ついでに客人の怪我も治せて、それで娯楽まで与えてもらおうとは、少々贅沢が
すぎるというものだ。
 巣に帰れば千宏がいる。邪魔なイヌがいはするが、あれもあれで――何か
面白いことに使えるかもしれない。
 シャエクは上機嫌に尻尾を揺らし、ふと盛大に鳴いた腹の虫に追われて足を
急がせた。

 巣である倉庫に近づくにつれ、騒々しい言い争いが聞こえてきた。
 まさかコウヤが声を荒げて誰かと争うわけもない。ならば千宏とハンスだろう。
 イヌのハンスがいるのなら、シャエクの足音に気付いているはずだが――
それでも口論をやめないところを見ると、気付いていないほど白熱しているか、
気付いていてもやめられる状況にないか。
 これは面白いと思い、シャエクは口論を中断しないよう、しばし扉の外に
立って二人の口論に耳をそばだてた。
「なんでヒトなんかをわざわざベッドに運ぶんだ。床に倒れていたのなら、
そのまま倒れさせておけばいいだろう」
「どうしてそういうことが言えるわけ? いくらイヌが冷血だって言ったって、
倒れて苦しんでいるのにそのまま方っておくなんて人道にもとると思わないの?」
「ペットの扱いは主人が決める。客分の俺たちが勝手にしては、しつけと
言うものが成り立たない」
「しつけ?」
 は、と千宏が吐き捨てるように笑った。
「もしシャエクが倒れたヒトを放置しておくべきだったって言うんなら、
それは虐待って言うんだよハンス。シャエクがそんなこと言うわけないじゃない!」
「何故そう言える。何度も言うようにやつは盗賊だ。国外で盗賊をやるトラに
まともなやつなどいないことくらい、あんただって分かっているはずだ」
 なるほど、とシャエクは空を見る。
 口論の原因は、どうやら自分であるらしい。否――それともコウヤの方か。
 そう言えば、座れと命じてから一晩、様子を見に行くのを忘れていた。また倒れたか、
今まで持った方が不思議であるが、もう少し期を見て倒れることはできなかったものか。
 ――困った奴だな。
 声には出さない。イヌがいる。今のところ千宏はシャエクに肯定的なようだし、
余計な口を滑らせて反感を抱かれては面倒だ。
 シャエクは背を預けていた壁から離れ、何食わぬ顔でドアを開けた。
 途端に、ぴたりと口論が止まる。
「外まで丸聞こえだぜ、お二人さん。コウヤがどうかしたって?」
「シャエク! 聞いて、大変! コウヤが部屋で倒れてて――」
「ああ――またか。今どうしてる?」
「ベッドに寝かせてあるけど……」
 不安げな千宏に、シャエクは頷いた。
「そうか、助かる。――ありがとう」
 ぱっと千宏が笑うと同時に冷たい視線を感じ、シャエクはハンスに視線を投げた。
「――うんざりだな」
 短く吐き捨てたハンスに、千宏は表情を強張らせた。
「こっちこそ――あんたにはもううんざりだよ! 冷血、自分本位で、疑り深くて
根暗で陰気で――あんたと一緒にいると気が滅入ってくる!」
「そうか」
 短く言って、ハンスは踵を返した。
 そのまま一度も振り返らず、何も言わずに部屋――倒れたハンスを寝かせて
おいた部屋だ――に姿を消す。
 ドアを閉める音を最後に、完全な無音になった。
 ちらと、シャエクは千宏を見下ろす。
 千宏は唇を引き結び、顔を顰めてドアを睨み付けていた。それからふと、
乱暴に息を吐いて顔を上げる。
「……コウヤの様子を見に行こう。かなり具合が悪そうだったから」
「嫌、ただの――」
 寝不足だろう。でなければ、過労か。
 言いかけてシャエクはしばし迷った。
「いつもの発作だ。横になっていれば回復する。俺たちにできることは特にない」
「けど」
「それよりいいのか? あのイヌ、お仲間なんだろう?」
「やめてよ。今の聞いてたでしょ?」
 苦笑いして、千宏はシャエクを見上げた。
「次の町についたら、どうせ分かれようと思ってたんだ。仕事に困ってるって
言ってたし、あたしも丁度護衛が欲しかったから雇ったけど……どうも融通が
利かなくて」
「ま、見るからにだな」
「普通さ、倒れてるヒトを前にして、“関わるのはやめておけ。他人の所有物に
触ることは面倒の元だぞ”なんて言う? それでコウヤが死んじゃったりしたらさ、
それこそ大事になっちゃうのに、あいつってば責任逃れのことしか頭にないんだから!」
「だが、あいつが俺のトラップで倒れたときは、随分心配してたじゃねえか」
 そりゃあ、と千宏は眉をひそめた。
「結構長い付き合いだから、それなりに情はあるよ。死んで欲しいとまでは
思ってない。けど、もう限界。ねえ、顔の傷も治ったしさ、あたししばらく
ここに居ていい? ハンスはそのうち勝手に出て行くと思うし」
「勝手に? そいつはちょっと――」
 難しいのではないか。言いかけたところに千宏が言い刺した。
「ああ、トラップがあって出られないんだっけ。けど、たぶん大丈夫じゃない? 
イヌは鼻が利くし、あいつ疑り深くて用心深いから。まあ、トラップが発動した
気配がしたら助けてやる――くらいでいいよ。それとも、そっちの方が面倒?」
 いや、と答えて、シャエクはハンスの消えたドアを見る。
「まあ、そうさな……」
 勝手に消えてくれるのならば、手間が省けてむしろよい。トラップにはまって
動けなくなったなら、それはそれで面白い。
 千宏がいいと言うのなら、放っておいても構うまい。
「とりあえず――」
 飯にするか。
 言いかけたところで、千宏とシャエクの腹が同時に鳴った。

 倉庫の大扉を開くと、天井まで吹きぬけた巨大ながらんどうが広がっている。
 その大扉の真正面――ひび割れた灰色の壁を背に幾重にも積み重ねた
クッションと、どこかの金持ちが持っていた悪趣味な赤と金糸の絨毯が、
日中のシャエクの居場所だった。
 壁には巨大な窓が二つあり、日当たりがよく風も通る。二階に寝室は作って
あるが、シャエクは夜部屋で眠るよりも、昼間この場所でうとうととしている方が
好きだった。
 旅をしているのだ、と千宏は言った。
 理由は特にない。ただ世界を見て回りたくて、トラの国を飛び出してもう
二年以上になるという。
 他国で娼婦をしながら旅費を稼ぐとは、中々に剛毅だ。
 一人でか、と聞くと、最初は四人だったのだと千宏は語った。
「けどハンスを護衛にするって言ったら切れちゃってさ。俺たちよりイヌ野郎の
方が頼りになるって言うのか! って」
「そいつぁ、目に浮かぶようだな」
「で、しばらく国内をうろうろして、景気のいいネコの国に流れてきたってわけ」
「なるほど」
「シャエクは?」
「あん?」
「ネコの国なんかで、なんで盗賊やってんの?」
 そりゃあ、と。
 口にしかけてシャエクは黙った。
 簡単な話だ。トラの国が嫌だった。あの国の奴らはどいつも、こいつも――。
「――俺はマダラだから」
「うん?」
「だから」
 千宏は妙な顔をして首を傾げた。意味が理解できなかったのだろう。だろうとも、
千宏はマダラであるシャエクを前に、普通のトラ男を前にするのとなんら変わらぬ態度でいる。
「そういや、知り合いにマダラがいるんだって?」
「まあね」
「俺、自分以外のマダラを見たことねぇんだ。どんな感じだ?」
「どうって……」
 千宏はシャエクの髪を見た。
「銀髪で、長髪」
 シャエクは軽く目を見開いた。
「銀髪? そりゃ珍しい!」
「魔力が高いとなるんだって言ってたけど」
「ああ、白いトラは基本的に高い魔力を持ってるからな」
 白いトラは希少であり、おおむね他のトラより魔力が高い。そしてマダラも
力が弱い分高い魔力を持って産まれることが多く――魔力が高いからこそ
マダラになるのだという説もあるが――銀髪のマダラとなれば、それはトラ国でも
屈指の魔力を持つことになるだろう。
「けど、自分がマダラだってこと凄く気にしててさ。そいつ、弟が一人
いるんだけどね、いっつも弟と自分を比べて、自分は弱いって落ち込んで……」
「マダラは弱い。それは事実だ」
 腕一本で立ち向かって、勝てる相手などあの国にはいはしない。腕相撲で女に
勝てればいい方で、例え相手が子供だろうと、トラの男に力で勝ることは決してない。
「けど、強いやつだったよ。どんなに力が弱くても、武器なんて持ってなくたって、
自分よりずっと大きい男たちに平気で立ち向かって行く奴だった」
 険しい表情を浮かべそうになるのを、シャエクは酒を煽って誤魔化した。
 ――馬鹿め。
 千宏の語るマダラを内心で罵って、シャエクは空になった杯に酒を注ぎ足した。
 弱さを自覚しながら強さに立ち向かい、結果得るのは惨めな敗北だけである。
 マダラとして生を受け、子供の時分からどれだけ土を舐めさせられたか。
その男とて安穏と育ってこられたわけが無い。
 それか、たまたま運がよかったか。どちらにせよ、そんな生き方をしていては
いずれは現実に心を砕かれる。
 マダラはトラではない。どれほどトラだと叫んでみても、彼らはそれを認めない。
 なんだ、マダラか――と。
 それが彼らの下す評価の全てだ。不満があるのならば何もかも、力を持って
もぎ取らなければならないのがトラの国である。怪我人は労わられるが、
生まれつき病弱な者や体の小さい者を蔑むことに、彼らは微塵の疑問も抱きはしない。
「あのさ」
「うん?」
「マダラだから盗賊になるって、どういう意味?」
 シャエクは苦笑した。
 トラの国ではトラになれない。
 だから国外でトラとして生きる。それも――力を持ったトラとして。
 そんな説明をしたところで――。
「言ってもわかんねぇよ」
 千宏は目を瞬いてシャエクを見据えた。
「なんで?」
「マダラじゃねえから」
「はあ?」
「俺もトラの端くれだ。俺が何かを言ったとき、トラがどう返すかは想像がつく。
おまえさんには言ってもわからん」
 けど、と食い下がる気配を見せたが、千宏は結局口をつぐんだ。
「シャエクはトラが嫌いなんだ」
「かもしれねぇな」
 じゃあ、と千宏は唇を尖らせる。
「なんであたしを呼んだの?」
「うん?」
「単に無理難題を吹っかけるだけならさ、クマの女とか。そういうもっと
国外に出てこない種族を指定したらよかったのに。なんでトラの女だったの?」
「女は別だ、別。俺も色んな種族の女と寝たが、結局同族の女が一番いい。
だからまあ、無理難題とは言ってもな、来たら来たで嬉しい女を要求したんだ」
「へーえ。じゃ、あたしとも寝るつもりなんだ?」
 悪戯っぽく千宏が笑った。
「つもりだけはな」
 柔らかな頬に唇を寄せると、くすぐったそうに身を捩る。
 だめだめ、と笑って千宏はシャエクの顔を押し返した。
「もうちょっと酔ってからね」
「焦らすのか?」
「これでも娼婦だからね」
 笑って、千宏は肉の塊を硬そうに食いちぎった。
「そういえばさ」
「うん?」
「コウヤの体、痣だらけだったけど」
「足が悪くてよく転ぶからな」
「うん。折角だから、ネコのお医者さんに治してもらえばよかったなーと思って。
っていうかあの足さ、ネコの魔法で治してあげられないの?」
 無理だな。と短く答え、シャエクは果物にかじりついた。
「ありゃあ、腱を切ってその上に呪をしてある。歩けないどころか、
立てば傷を抉ったように痛むときてる。呪を解かなきゃ治療はできんが、
呪を解くには金も時間も根気も必要だ。逃走防止と、他の奴隷に対する
見せしめもあったんだろうな。俺も治せねぇかと何人か医者を呼んでみたが、
ことごとくダメだった」
 千宏は痛ましげに顔を顰めた。
 なにより、とシャエクは続ける。
「本人に治す意思がそもそもねぇ」
「本人に?」
「足をやられたのは、もう十年以上も前だそうだ。今更歩きたいとも思ってないとさ。
それどころか、コウヤは死にたがってる」
「そう……なんだ」
「俺があいつを飼い始めたのは、俺に殺してくれと頼んだからだ」
 必死に守る命なら、奪い取るのも楽しいものだ。だが捨てた命など、
奪ったところでつまらない。ならば拾って好きにしよう。そう思ったのが始まりだ。
何気なく飼い始め、何気なく毎日を過ごしてきたが、今では拾ってよかったと
シャエクは思っていた。
 あれで賢い男である。木の枝を一目見て、葉が何枚茂っているかを誤差数枚で
言い当てるという芸当もしてのける。
 カードもすこぶる強かった。最初はなんどやってもシャエクが勝ったが、
手を抜いているのだと見抜いて本気でやれと脅したら、結果シャエクは決して
コウヤに勝てなくなった。
 確立だとか、演繹だとか、コウヤはよく分からない言葉を時々口にすることがある。
「数学の教師だったんだと」
「え? じゃああのヒト、オチモノなの!?」
「らしいな。向うの世界の話ってのも聞けば結構楽しいもんで、暇つぶしの
相手には丁度いい。だからまあ、当面請われてもあれを殺す気はねぇな」
 少々痛めつけることくらいはするが、それはしつけだ。舌を噛むなと暴力で
脅さなければ、コウヤは容易く自分の命を捨てるだろう。
「なに辛気臭い顔してんだよ」
 硬い表情で何かを考え込んでいる千宏の頭を軽く小突いて、シャエクは
その眼前に熟れた果実を差し出した。
「心配せんでも、あいつはあれでそれなりに今の生活に適応してる。
そりゃ、こんな辺鄙なところに暮らす盗賊に飼われてちゃ何不自由なくって
わけには行かねぇだろうが――」
「前にいたとこよりずっとマシ?」
 おう、と笑って答えると、千宏は片頬だけで笑って果物を受け取った。

 互いの身の上話や、千宏の旅の話など、話題は尽きることなくあった。
 自分でも気付かぬうちに、シャエクは随分と会話に飢えていたのだと
気が付いた。町の娼婦達はベッドの上では最高だが、会話の相手としては
少々不足だ。そもそも彼女達が見ているのはトラのマダラという存在であって、
シャエクと言う個人ではない。
 それに比べて、千宏はシャエクがマダラであることをほとんど気にして
いなかった。マダラであるという前提は忘れていないようだが、だからどう――
ということは決してない。
 それは、シャエクに産まれてこの方感じたことの無い心地よさを抱かせた。
 食べて、飲んで、話して、千宏にせがまれてこのささやかな城の案内などを
している内に、気が付くと昼時をとうに過ぎ、日が落ちかかる時刻が迫っていた。
 あと一時間もすれば夕暮れがやってくる。
「……なあ」
「うん?」
 黒い髪に指を絡めて、何の気なしにその唇に唇を寄せる。
 千宏は一瞬体を引いて、しかし思いなおしたようにすいとシャエクに唇を許した。
 しっとりと触れ合い、舌を差し入れるとなれた調子で舌が答えた。
 ぬるりとした、柔らかな感触だった。ふと違和感を覚えたが、それがなんで
あるか理解する前に千宏が唇を離して薄く笑った。
「あたし、体温低いでしょ」
 確かに、不思議な体温だった。久しくトラの女に触れていないが、ネコの体温も
トラに似てそこそこ高い。それに比べると千宏の体温はネズミに近いように感じられた。
もしかするともっと低いかもしれない
 だが、それよりも。
「――マダラとするの、初めてじゃねぇんだな」
 でなければ、女との情事に慣れているかのどちらかだ。
「さっき言ってた、銀髪の野郎か?」
「気になるの?」
 楽しげに千宏は笑った。
「あたしは娼婦だよ? ナメクジのマダラとだってしたことあるんだから」
「ナメクジのマダラと何してようが気にならねぇが、トラのマダラとなりゃあ妬けもする」
「妬く?」
 千宏はわずかに目を見開いた。
「行きずりの娼婦に独占欲?」
「持っちゃ悪いか?」
「身を滅ぼすよ。そういうの」
 千宏はすうと目を細めて、今度は自分からシャエクの唇に舌を絡みつかせた。
 先ほどより深く絡む舌の感触に、ざわざわとした昂ぶりが這い上がってくる。
「ね、部屋に連れてってよ。さっき見せてくれたシャエクの部屋。あのベッド
最高に寝心地よさそう」
「ここも悪くねぇだろう?」
「さすがに明るい部屋の吹きさらしじゃ落ち着かないよ」
 じきに日が暮れると言っても、今はまだ日が高い。もしもハンスが部屋から
出てきたら気まずいだろうし、想像しただけで萎えそうでもある。
 シャエクは腰を浮かせると、唇を尖らせている千宏を抱えて立ち上がった。
「ちょ、ちょっと!」
「確かに、俺のベッドの寝心地は最高だ」
 笑って、足取りも軽く自室へと走り出す。
 驚いて叫び声を上げ、直後にけらけらと笑う千宏の声が耳に心地よかった。
階段を駆け上がり、部屋に駆け込む勢いのまま千宏の体をベッドへと放り出す。
 大柄なトラ男が裕に三人は寝られるだろうという、巨大な天蓋付きのベッドで
ある。柔らかな絹布にぎっしりと詰めた羽毛はどこまでも柔らかく、千宏は
ベッドに沈み込んで嬉しそうに声を上げて笑った。
「すっげーふかふか! 羽毛じゃんこれ超高級!」
 ベッドのスプリングを軋ませながら、布団に包まって心地よさげに目を閉じる。
 シャエクもベッドに乗り上がり、布の海から顔だけ出している千宏に覆いかぶさった。
「肌触りのよさも請合うぜ。裸で寝ると最高なんだ」
「なるほど。そりゃあ、試してみないとね」
 クスクスと笑いながら、千宏は布団の中で器用に服を脱ぎ、ベッドの外へと
放り出す。そうして、シャエクを布団の中へと引き込んだ。
 絹布がさらさらと肌を滑る感触を楽しみながら、シャエクは光の遮られた
暗闇の中で千宏の胸に顔を埋めた。
 しっとりと吸い付く、柔らかな肌だった。病弱だという言葉通り筋肉は
少なく儚げで、簡単にもろく砕けてしまいそうですらある。
 トラにしては控えめで、ふっくらと柔らかな胸を揉みしだき、その頂に
舌を這わせると千宏が甘い息を漏らして体をくねらせた。硬くしこり始めた
乳首を舌の先で丹念に嬲り、音を立てて強く吸う。
 ひゃん、と小さく千宏が鳴き、シャエクの頭をかき抱いた。
「どうだ?」
「な、にが……?」
「銀髪の野郎と比べてよ」
「ばか……!」
 暗闇の中、千宏が表情を険しくして顔を反らす気配がした。こんな時に、
他の男の話をするなど野暮だと文句を言う。
 かもしれない。
 けれど、
「俺の方がいいって言えよ」
 下腹部に指を滑らせ、湿った茂みの奥に息づく柔らかな媚肉に触れると、
千宏の肩が小さく跳ねた。つぷりと指先を埋めてみると、あふれ出た液体が
つうとシャエクの指を伝う。
「ほら、言えって」
「あ……はっ……ぁ、や……」
 浅く埋めた指を悪戯に奥まで突きいれ、ゆるゆると引き抜いてまた奥へと
突き入れる。そのたびに千宏の体は素直に喜び、シャエクの指を締め付けた。
「ほら」
 再度促すと苦しげに眉根を寄せ、千宏は濡れた息を吐いて嫌だとうめいた。
「言わせたいなら……言わせてみてよ」
 挑発を含んだ笑みが、千宏の唇に乗った。
 額に汗を滲ませながらついと弧を描いた唇は妖艶とは程遠かったが、
その奇妙な艶の無さがむしろ扇情的に思える。
 誘うように、千宏の足がシャエクの腰に絡みついた。
 被った布団の中に熱気が篭り、息苦しさを覚える。シャエクは布団を
跳ね除け、千宏の腰を高く抱え上げた。
「いいだろう。言わせてやろうじゃねぇか」
 そのまま、深くまで貫く。
「き、ひ――あぁあぁぁ……!」
 弱々しく悲鳴を上げて、千宏は肩を反らせてきつくシーツを握り締めた。
 押し入った千宏の中は、想像していたよりずっと狭い。根元から強く
締め上げられ、奥へ奥へと誘いこまれる感覚に、シャエクは軽く奥歯を噛み締めた。
 娼婦と言うから気を抜いたが、まだ若く硬いつぼみを押し開いたようですらある。
「娼婦って割りにゃ……慣れた感じがしねぇな」
「く、ふ……はっ……ぁ、は……」
 わずかに腰をゆするたび、千宏の喉から苦しげな声が上がった。
 濡れた唇をわななかせ、懇願するようにじっとシャエクの顔を見る。
「痛てぇか?」
 千宏はかぶりをふった。
 ただ、と唇だけで小さく呟く。
「ちょっと、くるし……」
 トラと言えど、シャエクはマダラである。一般的なトラの男と比べれば
小さいのが普通で、相手がネズミならいざ知らず、トラの女を相手に狭いと
感じたことなど一度もない。
 ことを急き過ぎただろうか。十分に濡れているようだし、中を傷つけた
ような感じも無いが、シャエクはそっと労わるように千宏の腰をなで上げた。
 尻尾はがちがちに緊張し、体毛は先端に至るまで完全に逆立っている。
 よくできている。
 思ってから、シャエクはふと動きを止めた。
 ――よくできている?
 一体、何が。
 まるで作り物に対するような感想である。本物の女を腕に抱き
、深くまで繋がりながら抱く感想としてはあまりにも不適切だ。
 いや、だが、それならば。この違和感は一体、どこから――。
 潤んだ瞳を覗き込み、しっとりと汗ばんだ頬をなでる。つやつやとした
黒髪をかきあげ、柔らかな体毛に包まれた丸い耳に触れる。
 本物のようだった。
 間近で見て、触れても本物とほぼ遜色無い。
 だがそれでもこれは――本物の耳ではない。
「チヒロ、おまえ、まさか……」
 トラではないのではないか。
それどころか、人間ですら。
ひたりと、シャエクの首に白刃の冷たさが触れたのはその時だった。

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