猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

シー・ユー・レイター・アリゲイター06

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集
RRRRRR... RRRRRR......


 『はいもしもし』
 『チャオ。調子はどう?』
 『ちゃお?』
 『チャオ?』
 『なんで、“ちゃお”?』
 『うーん、なんでだろうね? 普通に、挨拶じゃないかな』
 『あいさつで、よりによって“ちゃお”?』
 『え、え、何がそんなに気になるのさ。なあに? なんか変? イントネーション?』
 『いやあ、“ちゃお”ってセンスがどうかと思うぜ?』
 『そうなの?』
 『なんていうか……、イマドキ言ってるやつもいないっていうか……、微妙に古臭いっていうか……、
  どことなくクサいセリフでもあるし……、まあ、そんなところだな』
 『そっかあ……、もう使わないことにするよ。ありがとう、ギュスターヴ』
 『ああ、そうそう、ひとつ聞きたいことがあったんだけど』
 『何? なんでも聞いてよ』
 『お前、エルヴィンだよな?』
 『…………』
 『あれ? 違った?』
 『……………………』
 『いやあ、すみません、どちら様でしょう?』
 『ハァァァァ~~~~~~ッッ!!???』
 『うおっ』
 『なんだよなんだよなんだよなんだよなんだよなんだよなんだよなんだよ!!!
  僕が誰かももわからないで話してたっていうのか!!?
  バカじゃないのバカじゃないのバカじゃないのバカじゃないのバカじゃないのバカじゃないのバカじゃないの!!
  トンチンカンな君とわざわざ話してやるようなのは僕しかいないだろ! エルヴィンだよ! このスットコドッコイ!
  マヌケ! マヌケ野郎め! 豚のケツに挟まれておっちね! だいたい君は昔っから――』


(その後も罵詈雑言は延々と続くが割愛、やがて一方的に回線を切られてしまう。
 通話相手のいなくなった受話器に向かって一言、)


 「…………で、用件は?」




   *   *   *








 第六話

  フー・アー・ユー・コーリング?








   *   *   *


がたんがたん、がたんがたん――――。


車体は揺れる。週末夜の下り列車は人気がまばらであった。
おれたちしかいないコンパートメント、窓際の席で二人、向かい合っていた。


がたんがたん、がたんがたん――――。


窓の外は暗い。夜の闇には車内の様子が浮かんでいる。
窓の中のアマネが対面するおれをじいっと見つめている。


がたんがたん、がたんがたん――――。


向こう側の彼女が口を開く。ぷっくりと膨れた小さな唇が動く。
ゆったりと微笑む顔。けれどもそれはいつものようにではなく、どこかたくらむような含みのあるものだった。
少し垂れた目の目じりがさらに下がって。






 「ギュスターヴさん――――」






がたんがたん、がたんがたん――――。






 「結婚、しましょう」






がたんがたん、がたんがたん――――。






がたんがたん、がたんがたん――――。


   *   *   *


台所で料理をするアマネをなんとはなしに眺めていると、ふと気が付くことがあった。

今日おれがアマネを眺めはじめたのは、彼女がうちに来た当初に思ったような不安感からではなかった。本当になんの意味すらないのだ。
無理に理由を挙げようとすると、たまたま仕事に一段落付いて、アマネが淹れてくれた茶の残りを一気に飲み干し、
見るようなテレビもなくて手持無沙汰だった時に、たまたま視線の先にいたからくらいのものだろう。
特になんの感慨もなければ、それこそもちろん下心なんて微塵もなかった。

時刻はちょうど昼前、アマネは何か料理をしているようだった。
野菜とソーセージを小さく刻んでいて、とんとんと小気味のいい音が鳴る。
傍らには洗ってざるに上げられた米があり、どんな料理ができるやら想像もつかない。
というより想像すれば意味もなく腹が減るので、とりあえず何も考えずただ楽しみに待つことにした。

アマネはエプロンをしない。メイド服の時は、まるで服の一部のようなエプロンがあったけれども。
台所に立つ女性と言えばエプロンというイメージで凝り固まってるので、逆に新鮮な気がした。
長めの黒い髪を束ね、食卓に背を向けている。ちらちらと覗く首筋は、絞めれば折れてしまう錯覚すら覚える。絞めないけど。
白いカットソーを着た背筋はぴんと伸び、腰の上らへんがきゅっとくびれている。おれにはない。
視界が下がる。(いや、そんな――)腰から下の引き締まった小ぶりな(やましい気持ちは――)尻。
黄色っぽい(ないんだけれども――)色のショートパンツから伸びた太もも。

 「ギュスターヴさん。少し言いづらいんですけれども……」

手を拭いたアマネがくるりと振り返る。慌てて何も見てないような振り。
困ったような顔。じろじろ見すぎたか、と不安になる。いくらなんでもいい気分はしまい。
同時に、白いカットソーの前面が明らかになった。
デフォルメされたブッフーのプリント。とても素晴らしい笑顔を浮かべて、ブッフー肉の料理を食べている。共食い?
ただでさえ正気を疑うような絵柄なのに、妙にかわいらしい絵柄である。
もはや狂気じみている笑顔で仲間の肉をむさぼるような絵が大きく、中央に印刷されていた。
率直に言う。あまりにもセンスがない服。もちろんおれが買ったものではない。

 「もう少し、お昼ご飯には時間がかかってしまいそうです。すみません」
 「おま、お前……」
 「申し訳ありません。足しになるかはわからないのですが、確か戸棚にマフィンがありましたのでお持ちしましょうか」
 「なんなんだその服――――――――!!」
 「えっ」

服の裾を伸ばして、見せびらかすように。

 「かわいいですよね?」
 「かわいくな――――――――い!!」

見られてたことはどうでもいいのかとか、待ちきれないわけじゃあないがマフィンは食べたいとか、
そういうどうでもいいことはあっけなく吹き飛んでしまった。


   *   *   *


おれたちの暮らす町は田舎である。良く言えば郊外なんて表現もあるが、どう贔屓目に見ても田舎だ。
けれども昨今、それなりの住民数を獲得できているようなのだ。
もちろん理由がある。それこそが、我が町の誇る名物、鉄道である。
ある時突然落ちてきた鉄道が、庶民の知るところはない理由でこちら側で複製された。
そして会社が設立され、線路が敷かれ、駅が作られた。ついでに、この町も便利になった。
線路の続く町。そういうキャッチコピーまであるんだとかないんだとか。

 (どれだけ線路しか目玉がないんだよ、っていうね)
 「路面電車じゃなくって鉄道だなんて、面白いですね」

がたんがたんと揺れながら、おれたちは向かいあって座る。
一応休日とはいえ、まだまだ田舎なので乗客はそこまで多くない。
運良くコンパートメントを一つ占領することができた。

 「そういえば、どれくらいしたら着くんですか?」
 「三十分ちょっと、ってところだろうな」
 「へえ、思ったより短いんですね。もっと乗るんだと思ってました」
 「ふうん」
 「こういう向かい合う座席とか、あまり慣れていなくって」
 「コンパートメントに?」
 「コンパートメントっていうんですか、この席」
 「らしいぜ」
 「初めて知りました。ありがとうございます」

にっこりと笑ったアマネは、家にいる時と見違えるようだった。主に、服が。
七分丈のシフォンブラウスとデニムのホットパンツ。今着ているものこそ、こないだおれが買ってきた服である。
エグい服じゃなくてまともなものを着せてやれば、かわいらしい女の子なのだ。
きちんと揃えられた膝小僧はかわいらしく、その上の太ももは細身なのに肉感を持ち合わせている。

 (いかんいかん、何を見てるんだおれは)

窓の外を見遣る。土と草が流れていく。
努めて何か別のことを考えよう。今日は、何をしに行くんだったか――。


   *   *   *


 「なんで! なんでそんなの着てるんだよ!」
 「え、変ですか?」
 「言いづらいんだけどな! おかしい!」

憤慨するおれ。きょとんとした顔のアマネ。
どうせ着るにしたってもうちょっとわかりやすくかわいい服があったと思う。
エグいけどかわいい、なんてどうしても思えないただ下品なだけの絵だし。というか、全然アマネに似合ってないし。

 「ていうかさあ、こないだ買ってきてやったろ! 服!」
 「はい、おっしゃる通りです」
 「なんで着ないの! 服なんて着てなんぼだろ!」
 「すみません。ですが……」
 「何、なんか理由があるわけか」
 「はい」
 「よし、聞いてやろうじゃあないか。ほれ、言え言え」

わずかな逡巡。目線が斜め下に行き、右手の指が唇に触れていた。
すぐにもう一度目を上げ、おれと目を合わせた。

 「だって、……汚してしまったら申し訳ないじゃないですか」
 「あがァ」
 「本当に、素敵なお洋服だと思ったんです。
  わたしは、お掃除とかご飯の支度とか、そういう汚れるかもしれない仕事をしますから、
  そんなことで汚してしまったら、もったいなく思えてしまって。
  だから、せっかく良いお洋服なのですから、よそ行きにしようと考えました」
 「全部か」
 「はい、どれも素敵なものばかりですから」
 「ああそう……」

別にそんな大層なものじゃないんだがな、と少しため息をつく。
物を大切にする気持ちはわからんでもないが、それじゃあなんのために買ったのかわからないじゃないか。
どうせ服なんて服でしかないんだし、着潰すくらいがちょうどいいのではなかろうか。
それから、ふと思いつく。要するにこいつは、仕事をするときに着ててももったいなくない服が欲しいんじゃないのか?
そういう、いわば部屋着さえあれば、この妙ちきりんな服を脱がすこともできるというのか。

 「よし、午後から出かけるぞ」
 「かしこまりました。行ってらっしゃいませ」
 「ばか、お前も一緒に行くんだよ」
 「え? ど、どちらへ向かうのでしょうか」
 「服を買いに、街まで」
 「はあ」
 「鉄道に乗ってくんだ。……その辺の繁華街でもないと、ろくな服すら買えやしないんだから」

まずはとりあえず、目の前の昼飯をやっつけてしまおう。きれいに磨いてあるスプーンを手に取った。
赤茶色に色づいた米がなんとも食欲をそそる香辛料の匂いを放っている。
米の中には細切れの野菜とソーセージが混ざっており、一緒に炊きこまれたらしい。
周りにはパプリカやら葉物野菜やらが散らしてあり、見た目も華やかになっている。
米の上には大きな一枚肉のチキンが載っていて、さらにトマトソースがかけられている。
とりあえず一口。ぱくり。

 「うま――――――――い!!」


   *   *   *


 「ほうらやっぱり似合う似合う、キープ」
 「え、あ、はい」
 「このチュニックも良い色してるね、後ろ向いてみ?」
 「こう、ですか?」
 「そうそう、うんサイズも大丈夫そうだな、キープ」
 「は、はい」
 「うーん、このシャツも良さそうなんだけどなあ。合わせるのが難しそうだよなあ。なんか良さげなの持ってる?」
 「わからないです……」
 「じゃあ単体であってもしょうがないし、いらんな。ぽい」
 「はい」
 「そうだ、ボトムスも見ないとだった。無難にジーンズでいいよな、サイズいくつよ」
 「ウエストは、確か……、ごじゅう――」
 「おっ、SMLでしかなさそうだ。お前S? M?」
 「……M、だと思います」
 「ばか言え、どっからどう見てもSだろ。Mじゃでかい、絶対でかい」
 「はあ」
 「うーん、とりあえず、これとこれと……これも、履いてこい」
 「全部ですか?」
 「当たり前だろ。お、こっちの形もきれいだな、一緒に履いてきてよ」
 「は、はい……」
 「あ、履けたら一本一本全部見せろよ」

繁華街の一角、わりといろんなところでよく見られる服屋、いわゆるチェーン展開の服屋に着ていた。
本当はもっと良い服を着せてやりたいところだが、それだとなんのために来たのかさっぱりわからないので、
もう少しお手頃価格で一式揃えられるようなお店である。
普段はあまり来ないのだが、かなり良い服も見繕えることでもあるし、悪い店じゃあないなと上から目線で感心した。
そして、試着室の中から声が聞こえてきた。

 「ギュスターヴさん」
 「お、履けたか」
 「はい」
 「開けるぞ」
 「あっ……、はい」

アマネは服の裾を握りしめて、妙にもじもじしていた。紺色のジーンズがよく似合っている。

 「きついとこない?」
 「ぴったりだと思います」
 「しゃがめる?」
 「はい、大丈夫です」
 「腰捻るのは」
 「えっと、できますね」
 「前屈」
 「んっと、……できました」
 「ちょっと失礼」
 「え、あっ」
 「どれどれ」
 「や、触らな、っ」
 「足んとこちょっと緩くないか」
 「ひゃっ、なんでそんなとこ、っ」
 「尻もなあ、もうちょっとぴったりするので良いんじゃね? 股上は良さそうだけど。
  ほい、次のやつ履いて」
 「あの」
 「何」
 「……全部やるんですか、これ」
 「もちろん。ちゃんと身体に合うやつ買わないと」
 「がんばります……」

そうして、アマネはまたカーテンの向こう側へ消えていく。


   *   *   *


突然カーテンががらっと開いた。本来ならば三着目が着られているはずの時であり、おれもそうであると思っていた。
けれどどうやら違うようだ。アマネはうちから着てきた服で、四着のジーンズは全てその手の中に収められている。
少し青い顔と、小さくわななく口、引き攣った笑顔を浮かべていて、何やら尋常ではない様子である。

 「おい、どうした」
 「あの、あのっ、すみません、全部、全部やっぱり、いらないです……!」
 「あがァ」

ぽかんとしていると、ジーンズがすべて押しつけられた。
それからアマネは、キープしている服をひったくるように奪うと、何やらまさぐる。
そして、ふらりとよろめき、倒れ――

 「危ない!」

――そうになったところを、慌てて支える。

 「すみません、ちょっと、めまいが……」
 「どうした、大丈夫か」
 「ええ、はい、何ともありません。何ともありませんから、この服も全部、戻しましょう」
 「ハァ? なんで」
 「お願いします」
 「そんなに気に入らなかったか」
 「いえ、そんなことは決して」
 「じゃあなんで。お前のことだ、なんか理由でもあるんだろ」
 「…………すごく、言いにくいんですけど」
 「教えて」
 「…………ね、」

値段が――。と、か細く呟いた。値段?
値札を見る。大層な額が書いてあるわけでもない。ハードカバーの本なら二冊、もしかすれば三冊分程度の金額が記してある。

 「こんな高い服なんか着られません……」
 「高い? 高くないじゃん」
 「恥ずかしいからあまり大きな声で言わないでください、お願いします」
 「……別に、普通じゃん?」
 「普通じゃありません!」
 「むしろすごく得してると思うんだが。生地も縫製もしっかりしてるし」
 「そんな、そんな良いお洋服じゃなくていいんです……。
  しまむらでいいのに……、ハニーズだとものすごくうれしいのに……」
 「何だよそれ」

何やら遠くを見遣りながら、急にしょんぼりしはじめた。

 「よくわからんけど、この程度が高いなんて言いだしたら、今お前が着てるもんはどうなるんだよ」
 「えっ、そんな、まさか、これも……!」
 「ごにょごにょ」

値段を耳打ちする。深夜警備員のバイトをして稼げる日当といえば、おおよそこのくらいが思いつくだろうという辺りである。

 「全身! 上から下まで一式で、ですよね!」
 「残念ながら、そのブラウス一枚で、だ」

言った瞬間、アマネの顔から笑顔が消えた。
血の気が引いたような青い顔をして、すぐに真っ赤な顔に変わり、わなわなと震えはじめた。
そして服の裾を掴むと一気にまくりあげ――

 「危なァい!!」
 「放して、放してください……!」
 「脱がない脱がない脱がない脱がない!!」
 「でも! だって! わたし!」
 「迷惑だから! 迷惑だから! ここ店だから! 落ち着けェェェェ!!」


   *   *   *


 「冷静になった?」
 「……はい、すみません」

繁華街に響く雑踏の中央、広場にある噴水の縁に腰掛けた。
店を飛び出してなお動揺を隠さなかったアマネも、ようやくおとなしくなった。
反動で、ずいぶん肩を落としてしょげかえっているのだが。

 「まったく」
 「すみません、本当に、申し訳ありません」
 「……お前さ、おれが怒ってると思うか?」
 「それは、もちろんお怒りになるでしょう……?」
 「怒ってるっていうか、驚いた」
 「すみません」
 「あと、困った」
 「すみません……」
 「ものすごく、困った」

ふう、とこれ見よがしにため息をついてみる。隣ではおおげさなほどアマネがおれの顔色を伺っていた。

 「お前さあ、おれをなんだと思ってんの?」
 「……すみません」
 「いやすみませんじゃなくて。そもそも怒ってねえし。
  あのなあ、別にさあ、こんな服くらい買ったって別になんてことないっての」
 「……はい」
 「服だけじゃないぞ。生活費だって、屁でもないんだからな」
 「はい」
 「むしろさ、一人だと金なんて溜まってく一方なんだよ。経済活動に還元されるなら有効活用だろうが」
 「はい」
 「独身男の財力、なめんなよ」

なんだか説教臭くなってしまった。わざと明るい声を振り絞った。

 「あーあ、なんか疲れた! 甘いもんでも食うか!
  そういやさっきその辺でアイスクリームが売ってたな。買いに行こうか」
 「わたしは、別に……」
 「いらないィ? まさか、いらないなんて言うつもりじゃないよな?
  男女二人で歩いてて、男の方だけなんか食ってて、女は手ぶらとか、それってどう思うよ。
  なんか男が嫌なやつみたいじゃねえか。おれをそういう男にするつもりか?」

そこでアマネがくすりと笑った。ようやく顔を上げて、おれと目が合う。

 「わかりました、わたしもいただきます」
 「おう、それでいい」
 「味は? なにがあるんでしょうか?」
 「知らない、とりあえず見に行こう」

噴水の縁から立ち上がる。ぽんぽんと尻を叩いているのを見て、ハンカチでも敷いてやればよかったかと少し後悔した。

 「あの、ギュスターヴさん」
 「何」
 「さっきの服なんですけど、……やっぱり、買っていただいてもいいですか?」
 「実は、あの店出るときにさ、こっそり買っておいた」
 「さすがですね。ありがとうございます」
 「でもボトムスだけは買えないからさ、後で別の店に行くぞ」
 「はい。でも、お手柔らかにお願いしますね」
 「何を?」
 「……足回りのサイズとか、確かめるの」
 「なんだよそれ、どういう意味?」


   *   *   *


がたんがたんと車体を揺らし、列車は進む。
買い物が終われば辺りは既に夕暮れ、そのままゆっくりと日は落ちていく。
列車が走り、街から離れていく。
はじめはたくさんいた乗客もだんだんとその数を減らす。客が少なくなってくるのに応じて、辺りは夜の様相を呈していく。

 「この鉄道、あんまり揺れないだろ」
 「馬車よりは全然揺れませんね」
 「なんか、落ちてきた列車を真似して作ったんだと」
 「へえ、知りませんでした」
 「それでな、ここから先は噂なんだけど。
  ……運転手として、落ちてきたヒトが雇われてるらしいぜ」
 「そうなんですか」
 「まあね、あくまで噂だが」
 「……やっぱり、手に職あるヒトは違いますね」

彼女の言葉には何か隠された意味があるのかもしれないし、ないのかもしれない。
羨むようにも、嘆くようにもどうにも見えなかった。
一見すると、ただ思いついたのことを口に出しただけのような気もする。
けれどもやっぱり、何か思うところがあって発した言葉のようにも窺い知れた。
真相は、わからない。

 「お前もさ、いろいろできるじゃん。料理とか」
 「わたしができることは、誰にだってできることですから」
 「そんなことないんじゃないか。おれには無理だぞ。料理とか全然できねえもん。
  ほら、今日の昼飯だって、あれ、なんだっけ、ジャ、ジャンボロア?」
 「ジャンバラヤです」
 「そう、それ。うん、うまかったよ」
 「もう、何回目ですか。……でも、ありがとうございます」
 「とにかく、ジャンバラヤ? とか作れる気もしないね。
  できないのなんて料理だけじゃないしな。
  掃除なんか面倒くさくてやってられないし、洗濯だってすぐ溜め込むし」

がたんがたん。列車が揺れる。
窓の外を見るともはや真っ暗。窓ガラスに映りこんだ車内がくっきりとよく見える。
人のまばらな席、買い込んだ服でいっぱいの紙袋、黒髪の少女。

窓の中の彼女は正面にいるであろうおれをじっと見つめ、少し考えるような素振りを見せた。
それから、何か良いことを思いついたような顔をする。
小さな口から言葉が飛んでくる。


 「ギュスターヴさん、結婚しましょう」


がたんがたん、がたんがたんと揺れる音が妙にうるさく聞こえた。
ぎゅっと胸の奥に何かがつかえたかと思うくらい、にわかに苦しくなる。
かと思えば、今度は心臓が早鐘を打ち始める。全身隅から隅まで、噴き出しそうなほど血がめぐるのを感じる。


 (今、今、こいつはなんと言った? ……まさか、おれと?)


体中がかっと熱くなっているのに、頭はまるで養分が回っていないように動かない。
言葉なんかどこかへ消えてしまったように、おれの口からはなにも出てこない。呻き声の一つすらも。
ただただみっともなく、開閉運動を繰り返すのみである。

 「      」
 「ギュスターヴさんは、結婚すればいいんだと思うんです、わたし。
  どんなに家事ができなくたって、ギュスターヴさんは男性ですもの、当然とも言えます。
  それでもやはり、ちゃんと人間らしい生活を送るためには、家事をしないといけませんね。
  ですから、お嫁さんをもらってその方に家事をしていただいて、ギュスターヴさんは一家の財源を担う。
  つまり、分担すればいいはずなんです。できないことは無理にやる必要はありませんから。
  特にお仕事で忙しい時期もあるでしょうし、そういう時こそ、どなたか手助けしてくれる方がいると、すごく心強いと思います」

その間にも、アマネはゆっくりと語っている。
頭の中で甘い声が鳴り響く。何度も何度も反復されるように。

 「        」
 「ビジネスライクな夫婦関係ではありますが、そもそも人間関係とはそういうものだとわたしは思います。
  家族だからどうこう、なんて免責もありえません。家族だからこそ、Win-Winの関係でないといけないのではないでしょうか。
  ギュスターヴさんは有名な作家でありますし、社会的な知名度も悪くないはずです。
  さらに貯金だって十分にあるようですから、金銭的な面でも女性にとって得があります。
  きっと、相互に利益のある夫婦関係が築けると思います」

ぐるぐるぐるぐると世界が回転する夢を見ているようだった。
混乱と発奮の極致に達し、彼女がおれの前にいるのか、はたまた隣にいるのか、それすらもわからなくなる。
それでもなお、アマネは声は止まらない。

 「                」
 「かと言って、今のままではいけませんよ?
  ビジネスライクだからといって、なんとでもなるわけではありませんから。
  ギュスターヴさんだって相手の方を選ぶ権利はありますが、同時に、相手の方に選ばれなくてはならないんです。
  身だしなみはきちんとしてるから大丈夫だと思うんですけど、
  さすがにお部屋のあの散らかりようは少し手に余ってしまいます。
  なんてったって結婚ですし、それ以外にもいろいろ、改善するべきところはあると思うんです。
  そういうところを正せるように、これから頑張りましょう! わたしもお手伝いしますから」

ふとようやく我に返った。
なんだか、こいつの話はどこか遠くのことみたいで、どにもおれの理解と離れている気がする。
思い出した言葉を投げかける。

 「ちょっと待って、ちょっと待って、ちょっと待て、待てよ」
 「はい」
 「結婚? ……おれが?
  誰と? ……お前と?」

アマネはくすりと噴き出した。なんだ、なにがおかしい。

 「何をおっしゃるんですか、ギュスターヴさん。わたしのわけ、ないじゃありませんか!」

周囲の様子を気にしてから、おれに顔を寄せて囁く。

 「わたし、ヒトですよ? わたしとギュスターヴさんとじゃ、ありえませんよ」

何やらふわり、いい匂いが漂った気がした。

 「相手は、がんばってこれから見つけるんです」
 「…………」

なんだそりゃ。急速に頭が冷えていく。
だのに、胸の高鳴りは止まらない。体中の火照りも引かない。どうすりゃいいって言うんだ。
おれはぷいっと顔を背けた。


窓の外は真っ暗で、何も見えない。


 「ギュスターヴさん? ……ギュスターヴさん? もしかして、あまり気に入りませんでしたか?
  けっこういいアイデアだと思ったんですけど……」

(くそっ、くそっ。くそ。                        くそっ)





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