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 まだ陽が昇らなくて真っ暗な、寒い寒い真冬の夜明け前。

 眠っていた私は、ちょっと前に代わったばかりの新しい旦那様に叩き起こされて、ひどく乱暴に突っ込まれて揺すられた。
 何か、旦那様が色々言っていたような気がするけれど、よく聞いていなかったから覚えていない。
 三回目に突入した辺りで旦那様を引っぺがしたのは、目が眩むようなきれいな白猫さん。
 私を見て眉をしかめた白猫さんに浴室で念入りに洗われ、黒い外套を被せられて連れ出されて、そうしてどうやら私は売られたらしいと気がついた。


 街灯が照らす石畳の上を、浮かび上がる白い尻尾についていく。
 真冬の夜明け前だから、空気はとても冷たい。
 首元を握り締めてまだ暗い空を見上げる。

 浮かぶ二つの欠けた月は、嘲り笑う目玉に似ていた。

◇◇◇

「旦那様。その格好は」

 良くない夢を見た気がして真夜中にはっと目を覚ますと、真っ赤な衣に身を包んだ狼男がベット脇に佇んでいました。
 ホラー以外の何物でもありません。

「……む、目を覚ましてしまったか。
 いやこれは夢だ。君は夢を見ているんだ。さあ目を閉じなさい。良い子はまだ寝ている時間だぞ」
 所々白い綿で飾られた赤いモンスターが子供をあやすように囁きますが、仮に良い子が夢に見たら十中八九飛び起きて泣き出す光景でしょう。
「どうして真夜中にサンタコスで私の枕元に立っていらっしゃるのですか。あの、そういうプレイをお望みでしたか」
 旦那様の口元がへの字に歪む。
 幸い怒声もデコピンも飛んできませんでした。
「プレイではない。いいから寝ていろというに」
「すみません。ちょっと、無理です」
 悲鳴を飲み込みきった私は我ながら大したものだと思いますが、実はまだ心臓がバクバク鳴っているのでした。



「全く、どうして素直に眠っていないんだ」
「そう仰られましても」
 まだぶちぶち言っている旦那様を背中に、大小二つのカップにココアの粉末を入れてお湯を注ぐ。
「旦那様って、意外とイベント大好きですよね……」
「ミーハーでやっているわけじゃないぞ。行事には須らく魔術的意味がある」
 果たして魔術的行事にサンタ帽は必須なのでしょうか……。
 片付けないままで寝てしまったので、テーブルの上も台所も夕飯の残骸で散らかっています。
 明日はクリスマスの準備もあるのに、朝からこれを片付けなければならないと思うとちょっと鬱。
 これからはお酒は控えるべきでしょう。飲ませたのは旦那様ですが。
「サンタさんに来ていただけるのって、小さいうちだけだと思っていました」
「魔術的意味があると言っているだろう。これはプレゼントじゃない、ただの呪いだ」
 おまじない?
 言われてみればクリスマスのプレゼントはツリーの根本に置いてあります。
 私からのと、旦那様からのと。
 お互い当日のお楽しみだと置かれた箱は変わらずそこにありました。
 では、この旦那様が手ずから枕元に置いた箱は何なんでしょうか。
「一年のうちで今日という日に寝ている子供の枕元にプレゼントを届ける聖人の伝承、これは故無いことではない。
 暦と日月、夢と現の循環とは即ち生死の循環にも等しい意味がある。
 時と季節二つの終わりに近い中で眠りに落ちた魂は擬似的な死にあるとも捉えられるのだね。
 魔術など半分はこじつけで出来ているようなものだが、それでも魂が生まれなおすと捉えられる時期と時刻ならばそれは新しい祝福を与えるのに最適な」
「……あの、何を仰っているのか全然分かりません」
「ん、む」
 スイッチの入った旦那様は、放っておくとこちらを置き去りに喋り続けてしまいます。
 顔をしかめて顎を撫でる仕草は、気を悪くしているのではないとこの一年で学びました。
「つまり魔法学的に、君はほんの少し幸せになれたはずなんだ。ちゃんと寝てさえいれば」
 結局そこに行き着くんですか。
 寝てるだけで幸せに、とか、新興宗教もびっくりのお手軽さですが。
 でも、この人が言うんならちょっとは効力あるんだろうな。
 後姿が拗ねて見える程度と、同じくらいには。
「ココア、どうぞ」
「ん、ああ」
 旦那様にカップを手渡して、隣に座る。
 部屋はまだ冷えたままなので、腰に回るもふもふの尻尾をありがたくお借りします。
 私の手の中にはマグカップと、金色のリボンが掛けられた、小さな赤い箱。
「開けてもいいですか?」
「あー……、ま、いいだろう。だが中身には期待するなよ。魔術的意味づけを優先しているから」
 え、何が入っているのコレ。

 不安に駆られながらリボンを解くと、箱の中から出てきたのは小さな木彫りのレリーフ。

 三角形の隅を幾何学的な模様が飾り、平面に象られた四足の獣は向こうの世界のオオカミに少し似ています。
 この辺ではこんなの売っていないし、作りも、その、結構粗い。多分旦那様の手作りでしょう。
 なんとなく旦那様の横顔を見つめてしまいました。
「期待するなと言っただろう。
 確かに粗末な品だがその獣は猛々しさを象徴し災厄を祓うと言われていて、あくまでもお守りとして……手順を踏めば、それなりの加護を期待できたんだが」
 旦那様はずっと横を向いています。
「これ、けっこう可愛いですね」
「そうかい?」
「はい」
 大きな肩に頭を預ける。
 たくましい腕が肩を回って、髪の毛をくしゃくしゃと撫でた。
「今年は色々あったからな。来年は君にとって良い年になるように、と」
「今年は、良い年でしたよ」
 だって、私なんかにこんなに優しい人がいる。
「来年はもっと良くなる」
 髪を撫でていた手が肩に回る。
 そのまま引き寄せられた先には、旦那様の鼻先があって。

 口と舌の大きさの分、旦那様は有利なんだ。ずるい。

◇◇◇

 なんか、変な夢を見た。
 よく覚えていないけど、有り得ない悪夢のような、そのくせ妙に暖かいような、そんな夢。
 夢から覚めると、外套を体に巻きつけたまま、埃っぽい床に頬をつけてる自分に気づいた。
 ……そうだった。私は、新しい旦那様に買われたんだ。
 確か、新しい旦那様が、お仕事に出かけていって(味見もされないのが意外だった)。
 一通り家の中を見て回って(家中至る所に本が積みあがっているのが意外。しかも立派な本ばっかり。掃除のしがいはありそう)。

 それから、 それから、どうしたんだっけ。 

 体を起こそうとしたけど、手足がうまく動かない。
 やっと手をついて頭を床から引き剥がしてみると、どこかからカチカチと音がした。
 なんだろうかと思ったけれど、頭も働かない。
 震える指先が勝手に肩を掴んで、強く体が縮こまる。

 旦那様が夕飯前には帰るって言っていたから、寒いから、火を使った料理、シチューとか、後で温めなおしても美味しいもの、作って。作り終わって。寒くなって、あんまり寝てないから、眠くて。でも、寒くて。


 ああ、寒いんだ。


 寒い。このままだと、多分良くない。だけど、どうしたらいいんだろう? 

 寒い。だって私は奴隷で、勝手なことをしちゃいけない。奴隷は、奴隷らしくしなくちゃ。

 寒い。仕方ないんだ、奴隷だから。ヒトだから。


 だから、仕方なかったんです。ごめんなさい。許してください。


 ばぁん、と遠くで音が響いて、再び落ちかけていた意識が覚醒した。
『Merry Merry X’nyass!! 降誕節おめでとう! どうだいユキカ、我が家には慣れたかな!?』
 新しい旦那様が、声を張り上げているのが聞こえる。
 お出迎え、しなくちゃ。
 強張りきった筋肉をむりやり引き伸ばす。
 少しでも失点を抑えないと。
 不本意なんて言われてるんだから。