猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

シー・ユー・レイター・アリゲイター05

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集
RRRRRR... RRRRRR......


 『…………はいもしもし』
 『やあ、僕だよ』
 『ああ、なんだエルヴィンか……』
 『何それ、ちょっと失礼じゃない?』
 『いや、むしろ安心した。お前で良かったとも思ってるさ。
  ……そろそろ、だからな』
 『……そっか。なるほど。大変だね』
 『こればっかりはいつまで経っても、……慣れねえな』
 『応援はしてるよ。それで? 手紙は?』
 『ああ、あれな。……助かったよ。ありがとな。ちょっと癪だが』
 『ふふん、これからの君たちには絶対必要になると思ってたからねえ』
 『そこまでして、アマネを押しつけたかったのか?』
 『ん? 別にい? でも、いいプレゼントにはなったでしょ?』
 『まだわからんよ』
 『まだわかんないんだ? 頭かったいな、もう』
 『あいつに、なんかあんのか?』
 『疑りすぎだよ、ギュスターヴ。
  別に、彼女はただのヒトで一流のヒトメイド。それだけだってば』
 『ふうん。ま、そういうことにしといてやるかな。
  ……いつか、聞かせろよ』
 『何それ陰謀論? 古臭いぞ。
  あ、そうそう、最後にひとつ。
  ……………………がんばってね、シ・メ・キ・リ』


 「あああああー! あああああー! 聞こえないいいいいいいいい――!!」




   *   *   *







 第五話

  アム・アイ・ディスタービング・ユー?








   *   *   *


最近のギュスターヴさんは、それはそれは一生懸命、必死にお仕事をなさっています。
今までは本を読む方がメインでしたが、近頃は原稿用紙に向かって書く方が主です。

 「ううう……ううう……」

万年筆にインクを時々足しながら、頭を抱えて、それでも手が止まることは根本的にありません。

 「くそぉ……、締め切り……」

普段はリビングにいることが多いギュスターヴさんも、この時ばかりはさすがに書斎にこもっていらっしゃいます。
大きなデスクの上、頭を抱えながら原稿用紙を埋めている姿をよく見かけます。


 「鎮まれェ、おれの右腕ェ…………!」


……いえ、やはり、原稿用紙に向かって呻いている状態が一番多いかもしれません。

 「大丈夫ですか? お疲れのようですから、少し休憩なさった方がよろしいのではないでしょうか?」
 「ふぐぅ……、今休んだら、もうずっと働けない気がする」

押さえていた右手を軽くほぐしながら、今しがたお出ししたマグカップいっぱいの熱いコーヒーを、
ぐいぐい一気に飲み干して、また原稿用紙に向かいます。
やけどしないか、心配でしたが、特になんともないようです。

 「タイプライター、お使いにならないのですか?」

机の上の原稿用紙には、ぎっちります目が詰まっています。
さらにその中には、わたしには一瞬で読めないような、達筆な行書の文字が連なっています。
字がいっぱいになった原稿用紙は、概ね机の上の並べられていきますが、
時々はみ出して落ちてしまい、それをわたしが拾い上げて、また机の上に戻しておきます。
それらは、国語の教科書の末尾に乗っていた明治の文豪の直筆原稿を思い出させるものでした。

 「タイプライターなあ……」
 「ええ、きっとその方がお仕事もはかどると思います。
  手だって疲れるでしょうし、編集の方だって、そのほうが助かるのではありませんか?」
 「無理」
 「そうですか。差し出がましいこと言って申し訳ございません」
 「えええええ、無碍に断ったんだぜ? 理由ぐらい聞こうよ」
 「そんな、不躾なこと、メイドのすべきことではありません」
 「お願い、聞いて。話が弾まないから」
 「……お邪魔じゃありませんか、わたし」
 「全然。ちょうどいい気分転換になるから。な、だからさ、聞いてくれよ」

コーヒーに添えたチョコレートをほおばって、わたしと会話をしながらなお、
ギュスターヴさんの指はすらすら、すらすらと軌跡をつなげていきます。

 「なぜ、タイプライターをお使いにならないので?」
 「だって、よくわっかんねえんだもん。
  ボタンの並びも全然わからんしさ、却って書くのに時間かかるしよお。
  素直に書いちゃう方がおれの性に合ってんのさ」
 「タイプライター自体はお持ちなのですか?」
 「ああ、あるよ。たぶん、お前の部屋で埃被ってるはずだな」

それは気づきませんでした。
けれども、もともとわたしの部屋は体の良い物置だったわけですから、
使わないタイプライターはそこにおいてありそうだと納得します。

 「なんなら、やろうか?」
 「わたしにくださるくらいなら、練習なさって使えるようになったようがよろしいと思いますよ」
 「だから使えないんだって」
 「使えない使えないと敬遠していてはいつまでたっても使えるようにはなりません」
 「すぐインクがべたべたついちまうしさ、紙だってあっという間にこんがらがるし、
  それに、使ってない原稿用紙だってまだまだある。もったいないだろ?」
 「それでは、少しずつ使えるように練習しましょう?」
 「なんだよ、お前は使えんのかよ」
 「タイプライターそれ自体を使ったことはないのですけれど……、
  パソコンとかワープロとかなら少しは使ったことがありますから。
  そこまで大きく違うとは思いませんし」
 「へえ、やっぱりすげえんだな、向こうは」

気がつけば、ギュスターヴさんの手が止まっていて、にこにこしながらおしゃべりに夢中になっていました。

 「ギュスターヴさん、手、止まってますよ」
 「気のせい気のせい」
 「やっぱりお邪魔ですから、わたし、お掃除に戻りますね」
 「ああちょっと! 待てってば!」

呼ぶ声を後目に、わたしは書斎を出て、そっとドアを閉めました。


   *   *   *


 「こちら側ではどうなのか、わたしは存じておりませんが――」

時刻はちょうど夕食時、執筆に一生懸命だったギュスターヴさんが「メシだー!」と大きな声で叫びました。
その時すでに夕食の支度を終えていたわたしは、書斎に向かいます。

 「向こう側では、サンドイッチ伯爵が初めて用意させたからこそ、サンドイッチという名前なのだそうです」

手にしたトレイの上には、山ほどのサンドイッチが載せてあります。
いつも通りの黒っぽくて硬いパンをスライスして、間にはそれなりに多くの具を用意させていただいたつもりです。

 「それではなぜ、サンドイッチ伯爵がパンに具材を挟むような料理を用意させたのかといいますと――」

狐色の焦げ目がついたトーストの合間に、まずは薄切りにしたハムをご用意しました。
チーズと交互に重ね合わせ、スライストマトと挟みました。
バジルとマスタードも効かせて、さっぱりとした良い香りが感じられます。

 「トランプをしながらでも、片手で食べられるように、という説が主流かと思われます」

ディナーであることも考え、ジューシーなローストチキンのサンドイッチもお作りました。
オーブンを使えるようにお掃除していませんので使えなかったのですが、
フライパンだけでも香ばしく作れたものだと自負しております。
ローストチキンをしっかり味わえるように、薄く塗ったマスタードと申し訳程度のレタス以外は、
厚切りのローストチキンだけをサンドしてあります。

 「ちょうど、今日のギュスターヴさんにもふさわしいかもしれませんね」

そしてサンドイッチとして忘れてはならないBLTサンドも、もちろんあります。
ベーコンはかりかりになるまで焼き、レタスはざっくりと手でちぎりました。
トマトは厚めに、噛めば果汁があふれ出ること請け合いです。
こっそり、マヨネーズも手作りしたものを使用しています。

 「……つまり?」
 「お仕事しながらでも、食べられるようなものにさせていただきました」
 「嫌だー! メシの時間くらいは楽にさせてー!」

がんがんと机に頭を打ち付けるギュスターヴさん。

 「え、ちょっと! 止してください! 大丈夫ですか? 原稿と、それから頭。おけがありませんか?
 「おいおいおいおいおいおいお、おれと原稿どっちが大事なんだよ」
 「もちろんギュスターヴさんの方が」
 「…………。
  じゃあさ、ちょっと休憩がてら、メシ食うくらいいいだろ?」
 「だって、締め切りでお忙しいのでしょう?」

ギュスターヴさんは顎の下に手を当てて、うーんとつぶやきながら、何かを考えはじめました。
その状態でも口がぽかんと開けられていて、どうしてギュスターヴさんはいつも口を開けていらっしゃるのだろうと疑問に思ってしまいます。

 「よし決めた! この家で暮らす以上の決まり第一項!」

それから、ぴんと指を立て、にやりと微笑みました。

 「“この家での食事は、同じ物を、同じ場所で、一緒にとるものでなくてはならない”!」



 「…………はあ」
 「というわけで、ほら、行こうか。おお、今日もうまそう。
  何これ? 肉? こんなのつくれんの? アマネお前、すげえな」
 「わたしがここで食べれば良いのではありませんか?」
 「ん?」
 「“同じ物を”、……わたしもこのサンドイッチを。
  “同じ場所で”、……わたしもこの書斎で。
  “一緒に”、……ギュスターヴさんと一緒にいただけば、ルールは守れます。
  どうぞ、お仕事なさっていてください」
 「…………この家で暮らす者たちのルール第一項改定版!
  “この家での食事は、同じ物を、同じ食卓で、一緒にとるものでなくてはならない”!!」
 「食卓? あっ」
 「この机は食卓じゃないからだめ。よし、じゃあ行こうか」
 「もう、ちゃんと締め切りは守ってくださいね」
 「心配しなくとも、大丈夫だってば。おれは、両手両足の指で足りるほどしか締め切り破ったことねえのが自慢なんだから」


   *   *   *



 「うおおおおおおおおおお…………」



締め切り間際の生活も徐々に長くなってきて、ギュスターヴさんもいよいよ切羽詰まってきたようです。
最近はだいぶ睡眠時間も削っているようで、夜遅くまで起きていらっしゃいます。
わたしは、ギュスターヴさんに雇われたメイドで、しかもヒトといえども一流のメイドなのですから、
ご主人様たるギュスターヴさんより早くに休むことがあってはならないと思っています。
けれども先日、

 「アマネ、お前、寝ないの? 普段はもっと早く寝てるだろ」
 「仕える主人が夜更けまで働いていらっしゃるというのに、どうしてメイドのわたしが先にお休みできましょうか。
  ギュスターヴさんがお休みになるまで、一緒に起きていようと思います」
 「気持ちはありがたいんだがな、そういうの、別にいいぞ。
  朝早くからずっと働き三昧なんだろ? 先に寝ろよ」
 「でも――」
 「ま、正直、お前が起きてるとやりにくいってのもあるわけだ。
  おれに付き合って起きてられちゃうとか、申し訳ねえよ」
 「そんなこと、気になさらなくても――!」
 「いいのいいの、だからもう寝ろってば。明日も朝早く起きるんだろ?
  今早く寝る分、ちゃんと明日からもうまいメシ用意してくれりゃあ十分、十二分だよ」

というやりとりがございまして、結局言い負かされて押し負かされて、先に休んでしまうことにしたのです。





そして今も書斎の中、栄養ドリンクをぐびぐび飲みながら、原稿用紙相手に格闘していらっしゃるはずです。
ギュスターヴさんにはギュスターヴさんのお仕事があります。
ですから、わたしはわたしの仕事をしましょう。だって、わたしは一流のメイドですから。

今のわたしのお仕事は、なんといってもお掃除です。
ここに暮らすようになってからずっと、それがわたしの仕事でした。
目に見える範囲で、リビングなどの目立つところは概ねきれいにできたといえますが、
それ以外の場所はまだまだ片付いたとは言いづらい状況です。
例えば、日用品をしまう棚も乱雑になされたままですし、お風呂の水あか取りにも全然手が付けられていません。
ただお洗濯をしているだけでも、穴の開いた服が出てきて、それも繕わなければなりません。
あとは、しいて言うなれば、わたしの部屋の荷解きもまだ済んでいないのです。
ですから、毎日毎日、わたしはこの家を掃除させていただくのです。
日常的なメンテナンスにはじまって、それが終われば、いまだ片付かぬあちらこちらへ。


拭き掃除をしていますと、仕事中だったのギュスターヴさんがゆっくりと歩いてこられました。
さっと立ちあがり、「どうかなさいましたか」と声をかける直前で――。



 「うるさい」



ギュスターヴさんが、ぴしゃりと言い放ちました。

 「掃除もいいけどよ、おれ、今仕事してんの。わかるだろ。
  もっと静かにやってくれよ。気が散る」

申し訳ございません、と謝る間もなく、ギュスターヴさんは踵を返して、また扉の向こう側へ。
気がついたときに残っていたのは、掃除もできない、何もできない宙ぶらりんなままのわたしだけでした。






 「コーヒーを淹れましたので、どうぞ」

きっとそろそろお疲れでしょうと思いまして、書斎のドアを叩きます。
ん、と気のない返事を聞きドアをくぐると、いつもと変わらぬギュスターヴさん。……もう、お怒りではないようです。
コーヒーと一緒に冷蔵庫からプリンをひとつ、お渡しします。

 「おお、ありがとな。ちょうどなんか甘いもんが欲しいと思ってたところだった」
 「時々でいいですから、しっかり休憩なさってくださいね」
 「お前もな。毎日が大掃除だもんな。くだびれるだろ」
 「わたしは……、一流のヒトメイドですから。これが仕事です」
 「おれだって、これが仕事だよ」
 「ですが、具合悪そうに見えるので、心配です。目に隈も目立ってきましたし」
 「おれはな、身体が丈夫なのは取り柄なんだ」
 「それでも、何があるかわかりませんから。2時間に10分とか、定期的な休憩をはさんでくださいね」
 「まるでテレビみたいだな」

喉の奥とくつくつと鳴らして、ギュスターヴさんは愉快そうに笑いました。けれどもその声もどこかしわがれて聞こえました。
コーヒーは喉に悪いと聞いたことがあるような気がします。何か違うお飲物の方をお出しすることにしましょう。

ギュスターヴさんはペンを置くことなく、そのまま私に話しかけます。

 「そういやさ、素朴な疑問な」
 「はい、なんでしょうか」
 「お前さ、仕事してない時以外、なにやってんの?」
 「はい?」

わたしが淹れたコーヒーをものすごく美味しそうに飲みながら、ギュスターヴさんは続けます。

 「なんか妙に気になったんだよ。
  ほらさ、お前、ふと思ったら、仕事以外のことしてる時がないんじゃないかと思っちまってさ。
  昼間はずっとうちの中掃除に回ってるよな。少し綺麗好きすぎる嫌いがあるとも思うが、まあそこはおれが怠惰なだけか。
  のんびりテレビを見てるようなとこ見たことないし、たとえテレビ見てても、洗濯物たたみながらだとかで話半分にだろ。
  そう考えたら、書類の整理してたり帳簿をつけてたり、果てはボタンの取れた服とか見つけてきて繕ってくれてたり、
  とにかく、どこからともなくやること見つけて、こまごま働いてるよな。すごく助かるぜ」

わたしは、よくわからない声で相槌を打ちました。

 「まあよくもそんなせこせこ働けるもんだとも思うけれどもさ、
  なんだかんだで、もうすぐ目立つところ、居間とかは粗方片付くだろ?
  そしたらそれから先は、そんな毎日ごりごり掃除ばっかりする必要なないわけだ。
  じゃあ、その後お前は何すんのかな、と思って。でもこれが全然想像できなくてさ。
  アマネさ、なんか趣味とかあんの?」

何かが、胸の奥から喉を通って、零れ落ちてしまいそうでした。
だから、わたしはそれこらえるのに一生懸命で、だって、わたしは一流のヒトメイドですから。
ご主人様の影に隠れて、ご主人様の後ろにつき従って、陰ながらご主人様をお支えするのが仕事であり、誇りなのです。
だから、……まさか、気づいてくださってるなんて、思いもよらなくて。
わたしのことなんて、気にかけなくてもかまいませんのに、
それなのに、ギュスターヴさんは、わたしのこと、見ていてくださったんだと思うと。

 「……さあ」
 「さあ、って、おい」
 「もう、ずっと……、仕事しか、してません、でしたから……」
 「ずっと?」
 「ええ、もう……、何年も、ずっと、仕事ばっかり。
  だから、そういえば、……趣味なんて、ない、ですね」
 「何年も、ねえ」
 「はい、何年も……」
 「落ちてきたの、二年前なのに?」


 「…………はい」


まるで時間が止まったかのような錯覚に、わたしの背筋は凍りつきそうでした。


 「……………………」


ギュスターヴさんが、じいっとわたしを見つめていました。
わたしを、裏側まで見透かそうとするように。


 「…………」

 「…………」

 「…………」

 「…………」


その瞳から逃れるように、わたしは目を伏せます。
視線を上げるのが怖くて、どうしてもできませんでした。
ギュスターヴさんは、きっとわたしを見つめています。
骨だって打ち砕いて、貫通させ、射抜くような、力強い視線で。
それに捕まったら、もうきっと逃げられません。
だから、わたしはギュスターヴさんから視線を逸らします。





やがて、ふう、とため息がつかれました。

 「ま、そんなさびしいこと言うなよ。
  趣味なんて、見つけりゃいい。違うか?」

あっけらかんとした口調で、言葉が放たれました。
おずおずと目線を上げ、いつも通りの優しい顔をしたギュスターヴさんがそこにはいました。

 「メイドは仕事をするものですから。趣味なんて、持つべきではありません」
 「おいおい、四六時中メイドなわけないじゃないか」
 「仕えるご主人様の前では常にメイドです。
  わたしは、ギュスターヴさんと一緒に暮らしているわけですから、二十四時間メイドなんです」
 「かったいなあ、もう。身体壊すぞ」
 「……今のギュスターヴさんの方が心配ですよ。目に隈だってできてますから」



目つきは鋭くて、無表情にしか見えなくて、大きな口から牙が覗いて、
しかめっ面で、目に隈ができてて、鱗だらけで、だのに……優しい顔。


   *   *   *


わたしはメイドです。ヒトでありメイドです。お屋敷で鍛えられた一流のヒトメイドなのです。
メイドの役目とは、可能な限りのありとあらゆる手段でもって、仕える主人をお支えすることです。
身を粉にして働き、すべての雑務を担い、日々のわずらいをほんの少しでもなくして差し上げるのがお勤めなのです。

ならばわたしは、自分を指して“メイド”と呼称して良いのか、もうわかりませんでした。


ギュスターヴさんはますます弱っていくようでした。
いらいらなさっていることもとても多くなりました。
あれだけお風呂がお好きだったのに、入浴の時間すらも惜しんで執筆なさっています。
そうなってまだいくばくも経っていないでしょうに、深い湖の底のようだった鱗の輝きも鈍ってしまいました。
それだけ大変なことかもしれませんのに、わたしはそれをどうすることもできないのです。

それでもなお、ギュスターヴさんは、食卓でのお食事にこだわっておりました。
どんなにお忙しかろうと、食事の頃になると必ずダイニングまでお越しになるのです。

 「大丈夫ですか……? デスクでも召し上がっていただけるものをご用意しましたから、
  書斎で待っていてくださっても、構いませんよ」
 「いい。ここで食べる」
 「……どうして、ですか?
  お風呂に入る時間も削っていらっしゃるでしょうに、どうして」
 「おれが決めたルールだろ」
 「……ルールなんて、誰も気にしませんのに」
 「おれが気にする」
 「ルールよりもよっぽど、ご自身のことを気にされるべきです。
  もっと、ご自愛ください……。心配です」
 「…………」

まるで詰め込むように、料理を口に運ばれます。
むっつりとした顔で、心ここに非ずといった様相で、黙々と。


 「くそ、うまいなあ……」

 「どうせ、一日二日メシ抜いたって死ぬわけじゃなかろうに」

 「まずかったら、食わないで続き書いてやるってのに」

 「でも、やっぱり、うまいなあ……」


それなのに心なしか、微笑んでいるように、普段通りのように見えてしまったのです。
ダイナミックで荒ぶるような、いつだって笑顔でわたしを褒めちぎる、そんなありふれた、日常の食事風景。


   *   *   *


その日の夜も、ギュスターヴさんは遅くまでお仕事をなさっていました。
日付が変わってもうだいぶ経ちましたのに、書斎のドアの隙間から、細く光が差しています。

 「ギュスターヴさん、少しお時間よろしいですか」
 「んなわけあるかばか」

わたしを一瞥もしないで、つっけんどんに言い放たれます。
そのまま息を継いで続けました。

 「どこをどう見たらお前と遊んでる暇があるんだ? ん?」
 「ちゃんと休憩なさってますか」
 「そんな暇ない」
 「お体に障ります」
 「問題ない」
 「眠ってもいないのでしょう」
 「大丈夫だ」
 「大丈夫には見えません」
 「忙しいって言ってんだろ!」

とうとうギュスターヴさんは大きな声を張り上げ、わたしに向かいます。
びりびりと空気を震わすような低い声。睨みつけたその目は怒気に満ち満ちていて。
……けれども、ここで引くわけにはいかないのです。

 「心配なんです!」
 「お前には関係ない!」
 「関係あります! わたしは、ギュスターヴさんのメイドなんですよ!」
 「 メ イ ド だ っ た ら 、おとなしく言うこと聞け!」


はっと、ギュスターヴさんの目が見開かれました。
驚き、衝撃、それから、まるで取り返しのつかないことをしてしまったかのような表情でした。
口が少し動きますが、声は聞こえません。
うろたえるように目が泳ぎ、泳いだ末にもう一度わたしと目が合って、そのまま床まで落ちていきました。


 「メイドだから!」


負けじと張った大声は、不恰好にも裏返ってしまって。




 「メイドだから、心配なんですよ……!
  メイドだから、主の言うことにも背かなければならない時があるんですよ……!
  ほかならぬ、ご主人様のために……」




別に、わたし自身は何を言われても、気になんかなりません。
わたしはメイドですが、それでも、メイドである依然、一介のヒトにすぎないのです。
どんな暴言だって暴力だって、甘んじて受けなければならないヒトなのです。


 「一分だけで良いんです。右手を、貸していただけませんか。少し、お休みしましょう」
 「…………」



 「…………一分だけ、だから、な」



ばつが悪そうに俯いたまま、ギュスターヴさんは右手をわたしに突き出しました。


 「ありがとうございます」


一礼してから、その右手をわたしの両手で包み込むようにして、そっと取りました。
鱗の生えた大きな手。小さいけれども鋭い爪の生えた指先。
擦れたインクが手についていて、黒く汚れています。

 「手、大きいですね」
 「……一応、商売道具だからな。変なことすんなよ」
 「失礼します」

まずは熱いお湯で固く絞ったおしぼりで、その手をそっと拭きました。
それから、まずはわたしの両手にハンドクリームをいっぱい取りまして、軽くなじませます。
そのまま、ギュスターヴさんの右手を取って、塗りこんでいきます。

 「良い香りがすると思いませんか?」
 「……ああ、そうだな」
 「さわやかなハーブの香りですよね」

そして、手のひらも手の甲も指の間も、爪の先から肘の方まで、力を込めながらクリームを塗りこんでいきます。
途中、親指の腹でもってぐいぐいと、つぼを押していきます。

 「やっぱり、絶対に凝ってると思ってたんです」
 「…………」
 「タイプライターも使わず、ずっと酷使されていたようですから。
  右手をかばうようなそぶりだって、してらしたでしょう?」

親指と人差し指の間、手のひらの端、手首の骨のそば、肘の内側。
どこもかしこも固くこわばっていいらっしゃいました。

 「本当に、大きな手……」


でも。


 「この手で、書かれてるんですよね」








 「わたし、考えたんです。
  ギュスターヴさんに言われて初めて気が付いたんですけど、やっぱりわたしに趣味なんてありませんでした。
  いつか、仕事がなくなってからやればいいだろう、とも思っていたのですが、
  こないだ、お怒りになってでしょう? “うるさい”って。
  だから、わたし、これ以上お邪魔するわけにもいかなくて、お掃除も、静かにできることだけやろうと思いまして、
  そうしましたら、そんなものすぐに終わってしまったのです。
  家事以外、できることなんて何もありませんのに、その家事もできなくって、
  わたし、ただ宙ぶらりんに、何もできなくって、ぼうっと立っているだけだったんです。

  ただそうしているのも不毛ですから、何かしないければいけないと思いました。
  けれど、やっぱり家事は少なからず騒音となりますから、ご迷惑になるでしょう。
  家事以外に、何かやるべきことを見つけないといけませんでした。
  何か、できるだけお役にたてることで、趣味にもできること。
  そんな都合の良いものを探しまして、答えは意外とすぐに見つかったんです。

  本を読もうと思いました。
  ほんのわずかでもギュスターヴさんのお仕事のお手伝いをするとなれば、やっぱり、本を読むのが一番だと思ったんです。
  幸い、私の部屋は物置でしたから、書斎に入っていない本もたくさんみつかりました。
  だから、読みました。……ギュスターヴさんが書かれた本も。
  “飛翔”、“誰が足りない”、“剣の行く末”、“薔薇色の笛”、他にもいっぱい。

  驚きました。本当にいろんな小説を書かれるんですね。
  わたしが最初に読ませていただいたギュスターヴさんの本は恋愛小説でしたから、
  恋愛小説作家なのかと思っておりましたから。
  それなのに、次に見つけたのはアクション小説でした。全然、恋愛小説関係ないじゃないですか。
  そのまま、ハードボイルドが出てきて、軍記小説が出てきて、ミステリが出てきて、本当に驚きました。
  文学っぽくもあるのに実際にはどこかエンタメじみてて、
  一貫性なんて全然なくて、一見バラバラなのに、ジャンルもことごとく違って、
  まさか、一人が書いたものだなんて思えるはずもありませんでした。
  それなのに、全部ギュスターヴさんの書いた小説だと思えたんです。

  なんでしょう、雰囲気とか、言葉の選び方とか、全体的に飾り気が少なくって、
  それなのに、ものすごく厚みを感じる、ような気がします。
  素朴で実直、だけど芯から強い迫力を感じるんです。
  わたしはまだまだ、言葉にだって不慣れです。それでも、すらすらと読めてしまいました。
  わからない単語もたくさんありますのに、なぜだか沁みこむように、馴染んでいくんです。
  わたしは……、浅学にして、うまく表現できませんが、とにかく、すごかったです。
  すごく、おもしろかったです。


  ギュスターヴさん。やっぱり、ギュスターヴさんは、すごく素敵な人でしたよ。
  ギュスターヴさんの書いたものは、すごく、ギュスターヴさんらしいとわたしには思えましたよ。
  そのどれもが、ギュスターヴさんじゃないと、絶対に書けないものだ、って心から思います。
  ギュスターヴさんらしくない、なんてそんなことありません。
  ギュスターヴさんのことを知っている方が読めば、誰もが納得されると思います。
  “これは、どこからどこまでも、ギュスターヴさんの小説だ”って、感じられるはずです。


  ですから、ちゃんとご自身のことも大切になさってください。
  あんまりご無理はなさらないでください。

  ……お願いします」






こんなにも固く強張ってしまって、がちがちの右手を一生懸命押していきます。
どうせノウハウもない素人のハンドマッサージ、効果なんてたかが知れています。
それに、この細いヒトの腕では非力すぎて、きっと解き解すことなんてできません。
ですけれども、わたしにできることは、きっとこれくらいしかないのです。
わたしが、ギュスターヴさんのためにできることなんて、ほんのほんの些細なことばかりで――。



 「わたし、この手、好きです。
  この手から、たくさんのお話が紡がれてきたんですよね」



大きな手、鉤爪の手、叩かれると痛い手。……すごく、素敵なあなたの手。



 「アマネ」
 「ああ、すみません。一分、過ぎてしまいました。すぐにやめますからクリームだけは拭き取らないと」
 「ごめんな」
 「何を謝ることがありましょうか」
 「ごめん」
 「別に、謝る必要なんて、これぽっちもありませんよ」
 「ちょっと、かりかりしてた。……すまなかった」
 「全然、何とも思ってませんから、大丈夫です」
 「酷いこと、本当に、最低なこと言ったな、おれ。
  謝っても謝っても、足りないくらい……、本当に……」
 「ギュスターヴさんが、そんなにも謝ってくださるのなら、それを許すのは、わたしの仕事ではありませんか?」
 「…………メイドとして、か?」
 「いいえ」




 「一ファンとして、ですかね」





わたしはメイドです。ヒトでありメイドです。お屋敷で鍛えられた一流のヒトメイドなのです。
メイドの役目とは、可能な限りのありとあらゆる手段でもって、仕える主人をお支えすることです。
身を粉にして働き、すべての雑務を担い、日々のわずらいをほんの少しでもなくして差し上げるのがお勤めなのです。

ならばわたしは、自分を指して“メイド”と呼称して良いのか、もうわかりませんでした。
わたしの力では、ギュスターヴさんをお支えするには、あまりにも弱すぎるから。
それに、





 「だから、新作も期待してますよ、せ ん せ い っ」


 「ふふ、冗談です。忘れてください。」





あなたの書いたものがもっと読みたいから、だなんて、下心に基づく行動なのですから。





 「はい、それではおしまいです。ご迷惑おかけしてすみませんでした。お仕事、がんばってください」
 「……ん」
 「どうかされました?」
 「その、なんだ」
 「はい」
 「……左手も、頼む」
 「ふふ、お任せください」




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