猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

犬国奇憚夢日記12c

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匿名ユーザー

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~承前


「・・・・想像以上だな」

 呟くようにして吐いた言葉。
 アーサーの一歩後ろに立っていたマヤは言葉を完全に失っていた。

 王都のダウンタウンを抜けやってきたのは城塞都市の外壁沿いに続く貧民窟。
 東側に連なる城壁のすぐ裏は一年を通して直射日光が入りにくい場所だ。

 北回帰線を越え高緯度地域とも言えるこの辺りでは、夏至の頃の光線ですら斜めから差し込んできている。

 ・・・・つまり。

 真冬ともなれば絶望的に陽の入らない極寒のエリア。
 作物の保管に適した環境ゆえ、倉庫街のようになっている場所もあるのだが、大半は作物や雑草ですら育たない荒地になっている。
 そして、何も使い道の無い・使える環境に無い不毛の場所と化したところへ流れ着くのは、やはり・・・・ 社会の底辺たち。

 破れ長屋の板敷き間で、藁のむしろに包まって眠る者たち。
 極度の栄養失調と慢性的な日光の不足が、住民たちの生命を脅かしている。

 だが、そんな貧民窟でも一日3度は賑やかな時間があった。
 巷でズケ屋とかヅケ屋と呼ばれている商売・・・・ 要するに残飯屋。

 王都の高級階層や士官学校や、繁盛するレストランの厨房や、それだけでなく、文字通り生ゴミ置き場などから集めてきた残飯を貧民たちに格安で販売する業者たち。

    ―― さぁさぁ並んだ並んだ!
    ―― 今日は特別だ。なんせ今日は貴族院さまの食堂からの直送でぃ!
    ―― さすが貴族様は食ってるもんが違いすぎらぁ~

 どんな世界であっても貧困ビジネスは存在する。

 かつてマサミはアリスに言ったのだとか。
 せめてスキャッパーからはあの商売を根絶させよう・・・・と。

    ―― 釜のへっついにアライ 株切は早いもん勝ち!
    ―― さぁさぁ早く並んだ並んだ!

 何処からこんなに集めてきたのか?
 お調子者なマダラ雑種の男が引いてきたリアカーには大きな桶がいくつも載っていた。
 破れ長屋の戸が一斉に開いて、鍋やら欠けたドンブリやらを持った者たちが我先にと並んでいる。

    ―― ドンブリで5バクトゥン!鍋で10バクトゥンだよ!
    ―― 20バクトゥン買った人にゃこの割れリンゴを付けとくよ!
    ―― 折詰の詰め直しは5ダトゥンにまけとくからね!

 鍋やドンブリですらなく、鍋の蓋や穴の開いた兵士のヘルメットまで。
 様々な器を持って列に並ぶ貧民窟の住人。

 その様子を見ておきなさいと言う母アリスの言葉に従って、僅かな護衛を付けやって来たアーサーとマヤ。
 数日前の馬車を停めた近衛師団がどう過ごしているのか?
 それを確かめる意味もあったのは間違いないだろう。

 しかし、アリスがこの地へ息子を送り込んだ本当の理由に、アーサーは気付きつつあった。
 共にこの国の最高階層の身なりでやってきたのは、ある意味で試練でもあったのだ。

    ―― なにか なにか恵んでください・・・・

 何処からか死にそうな声が聞こえてくる。
 周囲を見回したマヤが見た物は、業病に焼かれ生き物の姿を失った病人の手だった。

「えぇい!あっちへ行け! シッ!シッ!」

 アーサーとマヤに付いたいた護衛の兵士が手荒に追い払っている。
 半ば光を失った目から膿混じりの涙を流し、必死になって物乞いをする手。
 指は半ば崩れ落ち、生きながらに腐っていく病魔がそこにあった。

 二人の父母たち。アリスとマサミとポールとカナの見たもの。
 不条理に差別される姿。絶望的に貧しい姿。虐げられる側の必死さ。

 豊かになったスキャッパーでは、もはやほとんど失われたル・ガルの現実。

「おい。この病人どもを収容する施設はないのか?」

 警護のついた二人に向かって、夥しい数の死を待つ者たちがやって来た。

 どれ程に祈っても救われない存在がここに居る。
 父母が遠い目をして語る昔話に出てきた、本来貴族が救うべき存在たちの姿。

 きつく目を瞑り、どこか自責の念に駆られて話しをする父ポールは・・・・
 これを見ていたのか・・・・・・

「誰か答えろ! 何か無いのか!」

 苛立ったアーサーの怒声が周囲の者たちを威圧する。
 しかし、護衛の任に付いた者たちにその余裕はなかった。

「キャッ!」

 悲鳴を上げて振り返ったマヤ。
 その背中にあるエプロンの紐には腐汁混じりの汗の跡が残っている。
 ヒトのマヤの鼻にも分かるほどの死臭。
 当然、アーサー達イヌの鼻には試練ともいえる程の悪臭・・・・

 慌てて逃げるようにしてきたマヤがアーサーに抱きつく。
 気が付けばジワジワと集まってくる社会の底辺は、やがて逃げ道すらも埋め尽くしてアーサー達を取り囲んでしまった。

「えぇい!あっちへ行け!道を開けろ!」
「お前ら如きが手を触れられるようなお方ではない!」

 腰に下げたサーベルの鞘を乱暴に振り回し、半ば強引な手法で道を作りつつある。
 その振り回す鞘に当たり、黒く濁った血と鼻につく膿の臭いが漂う。

 アーサーもマヤも初めて見る底辺の真実。

 いや、それだけでなく・・・・・・
 この世界がどこまでも清浄で不正と不敗の汚れなど無く、理想的な平和な世界であると信じていた者達にとっての。その見たくない・認めたくは無い、絶望的な現実・・・・・

 風を切る音が響き、その都度に低く篭った汚い音がする。
 壮絶な臭いと共に救われぬ者達の静かな嗚咽が漏れてくる。

 目を背けたくなる凄惨な光景。我慢ならずマヤはアーサーの袖を引っ張った。
 震える指で鞘を振り回す若い兵士を指差しながら。

「おい!貴様だ! ちょっとここへ来い」

 大声で呼びつけられた兵士が走ってきた。

「申し訳ありません!すぐに道を開けさせます!」
「いい。それより、それを貸せ」

 兵士が握っていた鞘を受け取ったアーサー。
 鞘には鼻を突く腐臭を放つ異物がベットリとこびりついていた。

    ブン!

 風を切る音を立てて鞘を振ってやると、ベチャリと汚らしい音を立てて異物が地面に落ちた。

「大尉!」

 アーサーの怒声が再び響く。
 呼びつけられたのは数日前に公爵の馬車を止めてしまった近衛連隊の警備隊長だった。

「いかがされましたか!」

 ハァハァと息を切らせて走ってきた大尉が要件伺いをする間にも、再び酷い有様の者たちが集まっている。
 その数はザッと見ただけでも100人は下らないのだろう。
 狭い路地や裏通りの片隅や使われなくなった半分崩れた納屋の中や。
 決して衛生的とはいえない環境で死を待つ者たち。

「この者達を収容するところは無いのか」
「まさか。そんなものはありえません」
「なぜだ?」
「だって・・・・ 国中から幾らでも集まってくるんですよ? すぐにパンクします」
「・・・・しかしだな」

 次の言葉を見つけられず、アーサーは言葉を飲み込んだ。
 大尉の言っている事は正しいのかもしれない。

 王都ソティスへ行けば・・・・

 僅かな希望で着の身着のままに遠路はるばる歩いてくる乞食は後を絶たない。
 長年にわたり周囲の国が経済封鎖を続けてきたその結果が・・・・これだ。

「大尉。一番近い駐屯兵舎はどこだ?」
「まっ・・・ まさか・・・」
「何処だと聞いてる?」
「・・・・ここから路地4つ向こうの角です。ここは重要監視地域ですから」
「一旦そこへこの病人どもを収容出来ないのか?」

 鋭い視線のその圧力に気圧されて大尉は僅かに後ずさった。
 だがしかし、一旦地面に視線を落とし、何処か覚悟を決めたように再び顔を上げる。

「こいつらは死を待つだけです。ほっとけば死にます。私は反対です」
「・・・・なぜだ?」
「ここからこいつらが出て行くと面倒ですから」

 面倒・・・・
 その言葉にアーサーの表情が険しくなった。

 明らかに迂闊な一言。
 されど大尉は悲壮なまでの険しい表情を浮かべ、なお言葉を繋いだ。

「ここは仮にも王都です。イヌの国家の都なのです。イヌだけでなく、様々な種族が集まります。この病魔を拡散させるようなまねをすれば、再びル・ガルは恨まれます。ならばこそ、誰かが汚れ役を引き受けねばなりません・・・・・」

 言葉の後半。大尉は目を瞑っていた。
 アーサーとマヤが投げかける眼差しに耐えられなかったのだろう。
 重い沈黙と静寂。這いずって蠢く者達の衣擦れだけが聞こえてくる。

「・・・・そうか」

 どこか納得したように言ったアーサーの言葉が大尉には意外だった。
 そして、自分の左遷は免れぬだろうと言う確信もあった。

「だが、救済は必要だ。例えそれが無駄と揶揄されたとしてもな」
「お言葉ですが公爵家の若旦那さま。そんな事をしたって無駄ですよ」

 唐突に投げかけられた言葉。
 僅かに驚くも、出来る限り平静を装って視線を向けた先には、どこから現れたのか、若い官吏と思しき者が立っていた。そして、全くの無関心と言った目で業病に焼かれる者達を眺めた後、どこかウンザリとしたかのように、再び口を開いた。

「今居るのだけでなく、それこそ湧いて出てくるようにル・ガルの国中から集まってくるんです。喰い詰者がエサとヤサ目当てでいくらでも。そんな連中を養う予算もエサもありませんよ。そもそも、生産を行えない者が消費を行ってはならぬのです。労働をせずに権利だけ貪る者ばかりになったら、必死で働く者は報われぬじゃないですか」

 かつてアーサーの母アリスはまだ幼いアーサーにこう言って聞かせた。
 大切にするから大切にされるのよ。順番を間違えちゃ駄目・・・・と。

 現実的に、予算も人的な財産も限られた環境で全てに答える事は難しい。
 ならば、時間を掛けてこういった人々が生まれないようにする方が、結果的に安上がりになる・・・・

 個別の要望は無視しろ。全体の利益と幸福を考えるんだ。
 少数意見を汲み上げてやるのは良いが、それに振り回されてはならない。

 家庭教師でもあったマサミの言葉をアーサーは思い出した。

「王都の近衛連隊が持つ一番の仕事とは国主の警備ではなく国主の庇護する国民の保護です。つまり、健康で健全で国家を支える能力のある国民を様々なものから守ることです。国家の運営に著しい障害をもたらす者は排除しなければなりません。死を待つだけの者達を飼い喰わせ続ける事など、誰も出来やしません。ル・ガルにそんな余裕はないのです」

 能面のような無表情の顔立ちに、薄く線を引いたような細く冷たい眼差し。
 膝まで隠れるほどに丈の長い、深い緑の詰襟の制服。国家機能をつかさどる官庁街に勤める公務員なのだろうか。
 散歩のついでに立ち寄ったとでも言いそうな雰囲気だが、微妙にそれも違う感もある。

「君はこれらを仕方が無いと言って見殺しにするのか?」

 アーサーは出来る限り平静を装ってそう訊ねた。
 だが、腹の底から沸き上がって来る理不尽さへの憤りは隠せない。

「見殺し・・・・ そうでしょうね。見殺しです。現状では手の施しようが在りません。中央官庁街の聖導教会が貧者救済施設を持ってますけどね。今現状ここでは何処も手を差し伸べていません。どうにもならないんですよ・・・・ 誰もここを見ていませんから」

 線を引いた様な細い眼差しが、スッと毛並みに隠れたように見えなくなってしまった。
 悔しさとも無力感とも付かない感情だろうか。
 何かを変えるには、この官僚はまだまだ若すぎる。

 かつて、マサミやカナが散々感じていた、人生の長さが生み出すもう一つの弊害。

 大志を胸に官庁街へ挑んだ青年達もやがて老成する。
 入ったばかりの単なるコマでしかない若者達が自らの意思で動かせる権限を大幅に増やし、ある程度の挑戦や冒険や抜本的な改革を行えるほどの権力を手にする頃。
 彼らの多くは残念な事に青雲の志をすっかり忘れてしまって、後は権力闘争に明け暮れるようになっている・・・・。

 手にしたものを失うような改革など、出来るわけが無い。

「いつかはここを変えたいと思っています。ですが、それを行うにはまず、自分自身が猛烈な出世競争を生き延びねばなりません。脱落した者は、そこらの出張事務所で生涯を終えて終わりですよ。だから、平民出の官僚は期待するんですよ」

 遠くを見て独り言の様に呟いていた若い官吏。
 フッとアーサーへ向けられた視線が何かを語る。

「何に期待するんだ?」
「貴族ですよ。失うものの無い貴族。汚れ役を引き受けてくれる貴族です」

 何処までも透き通るような透明な瞳がアーサーを見つめていた。
 その瞳が不意に閉じられ、深々と頭を下げて、そしてどこかへと歩み去った。

 スローモーションにも見えるその動きを、マヤは美しいと感じた。

「あの方。凄く悲しそうでした」
「あぁ。そうだな」

 後姿が建物の角を曲がって見えなくなるまで見ていた2人。
 気が付けば周囲に居た業病の病人達も居なくなっている。
 あの酷い臭気が風に飛ばされ、前からそこにあった貧しい者達の悲しみに満ちた生活臭だけが残っていた。

「死を待つ者の施設が要るな。せめて最後位は何か食わせてから死なしてやりたい」
「いつだったか、母が言ってました。ヒトの世界にもそんな話しがあったそうですよ」
「そうか・・・・ ヒトの世界も大して変わらないのかもしれないな」

 遠くに見えていた残飯屋の大きな桶が空になったようだ。お調子者だったマダラのイヌの若い男が桶の中に残った物を僅かな水で濯いでいる。

 その周りにはあの業病の者達。

 一人につき手桶一杯程度しかないその水を飲んでいると破れ長屋の戸が開き、あの貧民達がパンの耳や焦げた部分をこそぎ落とした物を分け与えている。
 深々と頭を下げ、拝むようにして謝意を述べ、路地の奥へと消えて行った。

「・・・・もう行こう。みな、ご苦労だった」

 声色を変え胸を張って。アーサーは周囲を一瞥し歩き始めた。
 護衛に付いていた者達が深々と頭を下げているなか、マヤは一礼を返してアーサーに付いて行った。

  ―― これが真実か・・・・

 今まで軽々しく考えてきた現実がここにある。

 封鎖された経済が何をもたらし何を引き起こすのか?
 きっとそれをする側は何も思わないのだろう。
 いや、むしろ。ネコやオオカミはそれを楽しんでいるのかも・・・・
 誰も何も言わず、問題提起もせず、改善を志す事さえもせず。

 今日も貧民は死んでいく。誰からも省みられずボロキレのように。
 軽い気持ちで誰かが始めた経済封鎖に、誰も疑念を抱かず続く限り。



 街外れから段々と中心部へ入っていくと、さっきまでの貧しく寂れていた街が賑やかになり始めた。

 絶望的な格差と貧富の差。
 その見事なまでのコントラストを眺めつつ、2人は大通りに出た。

 大きな馬車が行きかい、人々が楽しそうにしている繁華街。
 綺麗どころを何人も連れた富める者が、瀟洒なカフェの店先でホーフブロイを味わう。
 血の滴るようなぶ厚い肉にナイフとフォークを就き立てて、ガツガツと食事する者。

 流行の音楽が流れ、洒落た服を並べるブティックが軒を連ねる。半ば裸の様に僅かな着衣だけを纏った派手な化粧のヒトの女が、印刷された広告を道行く人に配っていた。

 ソティスは栄えている。それは間違いない事だ。
 取り残された者達を置き去りにしながら。

 苦々しくそれを眺めていたアーサー。
 険しい表情にマヤは言葉を掛けあぐねている。

 だが、事件は唐突に起こった。

 ―― まて!

 ショッキングな内容の話と嫌でも目にする現実を上手く整理出来ず、消化しきれぬモヤモヤとした感情を抱いたまま歩いていたアーサーの耳に飛び込んできたのは、甲高い声で制止を命じる兵士の怒声だった。

 ―― 大人しく立ち止まれ!殺しはしない!

 人通りのあるメインストリートの歩道の上。
 やや暑くなり始めた直射日光を避け、木陰の中を縫うように歩いていた2人は反射的に声の方向へ目をやった。

 建物と建物の間。
 細い路地の奥から何者かが駆けて来る音がする。
 ペタペタと鳴る独特の足音が一番の興味の元だ。

 ―― どけ!

 再び怒声が響いた。それと同時に風に乗って嫌な臭いが流れてきた。
 アーサーは反射的にマヤを抱き寄せて上等な自らの装甲服の影に入れる。

 急に抱き寄せられて驚くやら、しかし、ちょっと嬉しいやらで笑顔になったマヤ。
 だが、見上げたアーサーの険しい表情に緊張感を伴った警戒感が漂っている。

「マヤ。誰かが銃を撃つぞ。気を付けろ」
「はい」

 その直後。空に向かった威嚇射撃の音が数発響いた。
 焼け焦げた鉄の臭いが風に乗って再び流れてくる。

 ―― 道を空けろ!

 通りの奥から駆け出てきたのは、不思議な格好をした若いヒトの男と、そして王都の軍警達だった。

 人通りのある大通りの中を軽やかなフットワークでその人の男は走っていった。
 右へ左へ人ごみを避けて素早い動きですり抜けて。
 やがて人ごみに埋まるようにして姿が見えなくなった。

 あれは一体なんであろうか?

「アーサーさま? あれはいったい」
「・・・なんだろうな? 逃げ回る理由が思い浮かばない。なんかやらかしたか?」

 ヒトの男が駆けて行った先をジッと凝視していると、ずっと遠くであのヒトの男がジャンプした。
 まるでキツネの国から来た旅人のような、この辺りでは見かけない衣装だ。
 浅葱色に染められた上着はまるで鳥の翼の様でもある。

 そして、その脇には随分と大きく、ややソリのあるサーベル。
 構造的に推測すると、おそらくそれは片歯だろうと思われた。
 ソリの裏手に当たる部分へ歯を立てる事は考えにくい。

「・・・・・・・面白そうだな」

 マヤが抱えていた藤のバスケットをヒョイと小脇に抱え、アーサーはマヤの首に手を掛けた。

「俺の後を離れるなよ? 良いな?」

 さっきまでの険しい表情がどこへ行ってしまったのか。
 面白そうな遊び道具を見つけた子供の様に目をキラキラとさせている。
 その姿がなんとも面白くて可愛くて、一緒になって嬉しそうにこくこくと頷いたマヤ。

 アーサーはマヤの反応を確かめるよりもやや早く、人ごみの中へ歩き始めた。
 道行く人々を追い越すように、しかし、流れを上手く読んで。
 思わぬ速度で歩いていくアーサーの速さに、マヤはなかば駆け足だった。

 長い手足と大きな体と。何より、そこらを歩く者達よりもはるかに上等な衣服で。
 それで尾行が良く勤まるなと思うようで居て、実は細心の注意を払って。
 目立たぬように腰を落として。

 街を流れる空気とは違う臭いをアーサーの鼻が捉えた。
 悪臭ではないが、独特の臭さだ。
 汗や体臭ではない、生き物の放つその生命の臭いとでも言うかのような。

 ―― とりあえず落ち着け!危害は加えない!まず名乗れ!
 ―― うるせぇ!誰だって良いだろぉ!このコスプレバカども!キメェんだよ!

 遠くから聞こえる声は混乱と怒号に満ちていた。
 これは明らかに・・・・ 落ちたばかりだ。

 アーサーとて今までそんなシーンは見たことが無いし、勿論マヤも見たことが無い。
 2人の興味が一気に加速し、どうしても接近したい衝動に駆られた。

 だが・・・・

 ―― ゴフッ!
 ―― きさま!
 ―― うるせぇ!

 明らかに人を殴った時の鈍い音。

「すまない、道を空けてくれ、すまない」

 取り囲んだ野次馬の群れを掻き分けてアーサーがその場にたどり着く。
 あのヒトの男が殴られたのか?と思っていたら、そこには額から血を流す数名のイヌの兵士と、ちょっと驚いた顔でそれを見ているヒトの男。

 足元にはまだ硝煙の煙る銃が2丁。
 見事に奪われてバットストックの先端でど突かれたようだ。

 様々な種族に取り囲まれた輪の中。
 ヒトの男はかなり驚いている。

「なんでコスプレで血が出るんだ?おい?なにもんだよ?」

 アーサーが知る限りのヒトの衣装には、こんな衣服は思い当たらなかった。
 キツネの国の男たちやイノシシの旅人が着ている様な、不思議な袖取りのデザイン。
 まるで女物のスカートの様に大きな裾のパンツは両足をすっぽり隠してしまっている。

「あれかハリウッドばりのSFXな特殊メイクでもしてんのか?」

 不思議そうに見ているヒトの男が懐に手を突っ込んで手ぬぐいを取り出した。
 片膝を付いて倒れている兵士の頭にそれを巻いている。

「なんかわりー事したな。でも、恨まねーでくれよ。あばよ!」

 スッと立ち上がって素早く一歩後退し人ごみを割りかけた。
 その刹那、アーサーがマヤの背中をポンと叩く。

「あれを止めるんだ。イヌが言っても駄目だろう」

 うんうんと頷いたマヤが声を出そうとした時、軍警の隊長が増援をつれてきたようだ。

「きみ!ちょっと待ちたまえ!驚くのは無理もないが」
「おっと新手か?わりぃけど俺っち急いでんだよ。また今度にしてくれ!じゃな!」

 人ごみに消えていくヒトの男。
 何とか止めないとと思ったマヤだったが、雑踏の中にまぎれたヒトの男の気配は急速に消えて行った。
 マヤはとっさに走り出そうとした。だがすぐに軍警の隊長の太い腕がそれを制止した。

「ちょっと待ちなさい。あなたの主の手が届く距離を離れれば、ヒトの一人歩きはこの街のなかでも危ない」

 やや良い歳になった隊長がアーサーを一瞥する。
 見かけの歳とはそぐわぬ雰囲気と居住まいに、相手が只者ではないと分かったようだ。

「恐れ入る。手前はソティス軍警の隊長を務めるものだが、お名前をお聞かせ願いたい」

 両足をそろえ胸を張り、威厳と敬意を示すその姿勢。
 場数を踏んだ者ならば感じ取れる貴族の臭いを理解したのだろうか。

「アーサー・ミールランド・スロゥチャイム こちらは当家預かりのマヤ」

 居住まいを正し、軍警の隊長へ正対して答えたアーサー。
 紹介されたマヤは両足をそろえスカートを僅かに広げ、腰と頭を下げ優雅に挨拶した。
 公爵家の持ち物として恥ずかしくない躾を両親から施されたマヤの、そのパーラーメイドとしての矜持がにじみ出ている姿でもあった。

「これは失礼致しました」

 改めて姿勢を整え挙手敬礼する隊長。
 アーサーが右手を胸に当て、送られた敬礼に応えた。

「隊長。あのヒトの男は?」
「先ほどパトロール中だった者達が貧民街で発見しまして、事情を聞こうとしていたのですが走って逃げられました。お察しの通り、落ちた直後かと思われます。本部所轄の者を動員して探し出させます。行き倒れになると困りますからな」

 うんとばかりに頷いて倒れている軍警の兵士に視線を落としたアーサー。
 ややフラフラとしながらも何とか立ち上がった兵士は、頭に巻かれた手ぬぐいを外した。
 先ほどの男が置いて行った唯一の手がかり。

「それを預かって良いか?」

 無造作に手を伸ばしたアーサー。
 兵士は一瞬胡乱な顔をしたのだが、素直にそれを差し出した。

 受け取ったアーサーが手ぬぐいの臭いを確かめる。
 今まで嗅いだ事の無い花のような匂い。

「アーサーさま?それを取ってしまってはこちらの方が困るのでは」

 そっと口を挟んだマヤ。その言葉に兵士が恐縮している。

「あぁ。そうだな。これをやろう」

 そう言ってアーサーは腰へ巻いていた太刀を下げるための腰帯を緩めた。
 パンツを止めるベルトとは違い、半ば飾りに巻く腰帯だ。
 ただ、公爵家の若旦那が使うもの故か、そう安い物でもない。

「あっ ありがとうございます 家宝に致します」

 受け取った腰帯を兵士は丁寧にたたもうとした。
 それを見たアーサーが薄笑いを浮かべ、パッと手から奪い取ると、無造作にイヌの兵士の頭へぐるっと巻いてしまった。

「これは実用品だ。家宝になんざならないさ」

 隊長ともども重ねて恐縮するなか、アーサーとマヤだけが笑っている。

「隊長。もし良かったら例のヒトの男が見つかったら呼んでくれ。話しをしてみたい」
「承りました。そのように致します」

 気が付けば人ごみも解消し、夏の日差しが通りに降り注いでいる。

「さて、何処まで行ったかな」
「アーサー様?何か言われましたか?」
「いや、なんでもない。あそこで冷たいもんでも飲るか。君らにも一杯奢ろう」

 右手で手招きして歩き出したアーサー。
 繁華街の繁栄はまぶしい程だった。

 第3部 了

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