猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

犬国奇憚夢日記12f

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
 ~承前

 零れ落ちる陽射しが濃い影を落とす昼下がり。
 王都の兵武省官舎にある兵士台帳の管理室へとアリスはやってきていた。
 長子アーサーとマヤを引き連れここへやって来た理由と言えば・・・・
 この春にスキャッパーへ帰還した北伐兵士達の中の戦死者公告を出す手続きの為。

 ル・ガルからの従軍恩給や賞与恩給を残された遺族が受けるためには、まずここでの手続きが必要なのだった。そして戦闘中の死亡扱いとなれば戦死恩給も支給される。
 高度にオンライン化されたヒトの世界の国家機関と違い、ファックスもテレックスも無いこの世界では、分厚い台帳が幾つも並んだこのような施設が重要な意味を持っていた。

「母上。戦死者公報の掲載は全部で200少々です」

 200少々・・・・
 僅かに顔を顰めたアリスがアーサーを見た。

「200人少々と言いなさい。それは人の死なのよ」
「・・・・そうですね」

 死亡率20%弱。
 重度の障害を負った傷病兵・負傷兵の数は300人を越える。
 まさに大損害と言って数字がそこに並んでいた。

「・・・・改めて見れば驚くほどの損害です」

 積み上げられた個人情報の書類は山のようだった。
 書斎卓の上に広げられた帳簿の背には部外秘と書かれていた。
 何も言わず転記を始めたアリス夫人。
 アーサーとマヤはその向かいの席で見守っていた。

「アーサー。次からはあなたがやりなさい。文字を書く辛さと痛みは、人の死と比べれば容易い物です。この帳簿の中に書き加えられた人の名は、私が殺したに等しい領民の命そのもの。領地から兵士を送り出すとは、そういう事なのです」

 丁寧に。丁寧に。
 まるで一人一人の名前を自分に刻み込んでいくかのように。
 アリスの走らせるペンの先だけが、静まり返った書庫の中に音を発し響いていた。

 面倒な官僚的手続きを経なければ、恩給の類は一切支給されない。
 様々な理由でシステム的に構築された公務員達に仕事を宛がう為に。
 無駄ともいえる複雑な制度を作りあげ、そしてそれが守られている。

 もっと簡便にシンプルに。そして人の手を掛けず。
 そうすれば経費的にもグッと安く上がる筈なのだが。
 公務員の数を減らさぬ為の様々な政治的工作は、抜かりなく続いていた。
 市民から選ばれた議員たちの袖の下へと消えて行く賂の、その出所でもあった。

 つまり。
 本来は行政府の官僚に雇われた木っ端役人どもが、小遣い稼ぎの為に行う作業。
 だが、よりにもよってここには、高級官僚ですらなかなか手を出せない枢密院のメンバーたる公爵家の現当主が直接やって来ている。

 これもまた当然の事なのだが。今現状、この施設の周囲は王都の治安維持を受け持つ武装警官が厳重に警備しているのだった。

「ご公務中、大変失礼でございますが・・・・」

 どこか困ったような声でやってきた若い兵士。
 灰色の制服に左腕に巻かれた赤い腕章には公安の文字があった。
 武装警察の隊員と思しき彼の手には、上等な用紙へ記された報告書・・・・

「執務中です。後に出来ませんか?」

 アリス夫人の口調は冷たくとも、その表情は柔和だった。
 厳しく問い詰めれば、その場で失禁しかねぬ程の緊張が見て取れた若い兵士。
 だが、夫人のその心遣いが、ガチガチに緊張した彼の心を、少しだけほぐしたようだ。

「恐れ入ります。実は公爵様ではなく若様へのご報告です。お手隙になられましたら、こちらをご覧下さい。お邪魔を致しました。失礼致します」

 武装警察の関係者が使う専用の書式に則った報告書。
 表紙には大きく『関係者以外厳重秘匿・口外厳禁』の赤文字が躍っている。
 そっと目配せし中身を確かめるように促したアリス夫人。
 若様へと言われたその書類をアーサーは直接受け取った。

「ご苦労。隊長へ宜しく伝えてくれ。俺がそう言っていたと」
「承りました」

 まるで練兵中の兵士のように、機械仕掛けのカラクリのような敬礼をして立ち去った若い兵士。その後姿を見送ってから、丁寧に折りたたまれた報告書にアーサーが目を通す。

「なにか良くない事が起きて?」
「・・・・えぇ。ちょっと困った問題です」
「話しなさい」
「はい」

 アーサーは手短に、先日遭遇した落ちたばかりのヒトの話しを始めた。
 おそらく落ちて間が無いこと。いや、間が無いのではなく落ちた直後と思しき事。
 そして、事態を把握できず逃げ回っている可能性と共に、パニックを起こして追跡している兵士達と一戦交えかねぬ程で有ると。その場合、そのヒトが死亡する可能性すらもある事など・・・・

「で、どうなったの?」
「報告書によれば、街中の警邏で留守になった詰所に追い込んで。でもってなんとか生け捕りにしたそうです」

 視線を起こしたアーサーは母アリスの目を真っ直ぐに見た。
 何かの意思を感じ取る

「生け捕り?随分ね」
「えぇ。実は先日遭遇した際に、俺の名前で、捉えたら話をさせろと言ってあるのです。その連絡です。隊長が気を使ってわざわざ連絡をくれたようです。多分収容施設送りになるはずですが」
「で、どうするの?」

 アリスの目がジッとアーサーを見ている。
 何かを教えたい。そういう目だ。

 しかし、もはや口で言って語って物を教える歳ではない。それ程子供ではない。
 自分で考え行動し結果を招き、それに付いて評価をする事で物を覚える。
 誰も指導する者が居なくなった時、自らに学んで行けるようにする為の訓練。

 しばらくアーサーは考えた。
 いつの間にか真面目な顔で考えるようになったわね・・・・
 アリスの目が我が子アーサーの確かな成長を認めた。

「まずは詰所に行ってきます。そして出来る限りウチに連れてきます。放っておけばどこかの家なり組織なりが持って行ってしまうでしょうし、それに」
「それに?」

 アーサーが少し笑って言う。

「多分ですが良い腕してますよ。剣の腕や、それだけじゃない部分が」

 つまり、そいつを俺は欲しいんだ、と。
 息子アーサーはそう言っている。

「そう。なら行って助けなさい。そのヒトが認めるならあなたは主よ」
「行ってきます」

 母アリスへ一瞥をくれて部屋を出たアーサー。マヤがその後に続くように立ち上がって、ふと思い出したように出口で振り返り、足を揃えて挨拶をした。その姿がまるで遠い日に見たマヤの母カナの様に見えて、アリスは満足そうな笑みを浮かべた。

 ―― カナ。あなたの娘はあなたに生き写しね・・・・ 良い娘になったわよ・・・・

 小さな窓から差し込む光が、床へ眩いほどの光点を映し出していた。
 その点を数えながら、アリスのペンが上質な紙の上でワルツを踊っていた。



 ~親愛なるイヌの国の母へ。
 先日、あなたが北伐先の戦場に於いて悲運にも斃れた勇敢な兵士の母であることを、この地へ帰還した兵士達の持ち帰った報告書にて知りました。
 私にはまさに圧倒するほどの喪失と深い悲しみの真っ只中にあるあなたをお慰めする言葉を思いつくことが出来ません。どれ程の言葉を並べても、それは全く虚しいだけの、ただの世間体の良い言葉でしかないと承知しています。
 しかし、ご子息が死を捧げてまで守ろうとしたイヌの誇りと名誉を思うとき、この国の責任ある指導者の一人として、心からの感謝と、そして、深い哀悼と慰めの言葉を送らずにはいられません。
 願わくば慈悲深き神の思し召しがあなたの心痛を和らげ、幸せな思い出だけをあなたに残されますように。
 誇りと尊厳の祭壇へ捧げられた魂に救済がありますように。
 心よりの敬意と感謝を込めて。

                  アリス・スロゥチャイム~



 丁寧に丁寧にサインを書き込んで、そしてそれを封書に収め、一通ずつ大切に胸に抱いているアリス。
 床に落ちている光点は少しずつ場所を変えながら、時の経過をアリスに教えていた。






 同じ頃。
 人ごみを掻き分けるようにして歩くアーサーの巨躯は、どこに居ても嫌と言うほど目立っていた。さらに、そこらの貴族や軍人階級などが連れて歩く召使いのヒトなど全く問題にしないような、そんじょそこらでは買えない上等な衣装に身を包んだマヤを連れて歩いている。
 そしてその周囲は王都の軍警兵士らが厳重に護衛して、一緒になって人ごみを掻き分けて歩いていた。王都に上がってまだ数日なのだが、嫌と言うほど目立って、そして有名になってしまったアーサー。
 公爵家の跡取りであるにも係わらず、飲み屋街で気楽に酒を呑んでいられた頃が既に懐かしく感じられていた。

「若旦那!こちらです!」

 顔を覚えていない若い兵士が指差した。
 街角の一角にある警備詰所が牢屋代わりになっていたようだ。
 各所より引き合いの手が来ていたようだが、隊長は『先約がある』と言って取り合わなかったらしい。

「若様、お待ちしてました」

 不意に声を掛けられ視線を送れば、そこには先日頼みを伝えた隊長が立っていた。
 手にした警棒にはどす黒い痕が残っている。相当な乱戦でもなければ、こうはならないだろう。
 つまり、中のヒトの男は・・・・

「怪我をさせたか?」
「いえ・・・・ 軽傷です」

 おいおい。軽傷も怪我だろうが。
 そんな風に思いつつ、でも、最大限の努力を払ったのだと気が付かない訳でもない。

 良く見れば、どうやらあのヒトの持っていたサーベルで切りつけられたらしい、生々しい傷跡を持つ兵士が何人か見られた。
 正面から袈裟懸けにバッサリとやられ、大怪我をしたらしいものも居る。
 警邏チームの中に居た救護担当が咄嗟に治療の魔法でも使ったのか。
 大半の兵士はもう傷が回復し平然としていた。

「例のヒトの男の仕業か?」
「あ、これらは・・・・」

 隊長は咄嗟に口篭った。
 叱責を恐れているとアーサーは理解した。

 だが

「なんと申しましょうか」
「叱責するつもりは無い。むしろ良い腕じゃないか」
「いえ、そうではないんです」
「ちがう?」
「えぇ」

 隊長が口ひげの辺りをボリボリといじりながら首をかしげている。
 その理由をアーサーはまだ分からない。

「とりあえず平和的に捕縛しまして、まぁ、喉も渇いてるだろうと言う事で水を飲ませたり飯を食わせたりと世話していたんですがね・・・・」

 ふとアーサーが振り返った先。
 傷跡から今も血を滲ます者が居た。

「隊長。あすこの若いのの傷跡は何で血が滲んでる?」
「それが、自分も皆目見当が付かないんですが・・・・」

 隊長も不思議そうに首をかしげた。
 だが、何かを隠していると直感したアーサー。

「治療した者の話では、咄嗟に血止めと傷の癒合を促進する魔法を使ったそうですが、傷口の中で化膿する訳でもなく、また壊疽を起こす訳でも無いのに、傷がくっつかないと言っています。まるで傷口に油でも塗ったようだと」

 切られた方の兵士は詰所前の広場中央で蹲ったまま痛みに耐えていた。

「大丈夫か?」

 近寄って声を掛けたアーサー。
 切られた方の兵士は答えるのですら辛そうだ。

 頑張って立ち上がった若い兵士。
 だが、次の瞬間。巻いていた包帯の隙間からバシャリと音を立てて血と腸が零れ落ちて、兵士はそのまま気を失った。

「だれか!担架を持って来い!このまま中央僧導院へ運べ!」

 あすこなら相当腕利きの治療魔法専門職が居る筈だ。
 アーサーは咄嗟にそう考えた。
 しかし、それは甘い期待でしかなかったとすぐに気付かされる。
 切られた兵士のその傷口はまるで年老いた老人の皮膚のようになっていた。

 乾ききってガサガサに成った、古い角質の目立つ皮膚。
 本来なら刃物で切られ、みずみずしく生々しい真っ赤な肉が見えてるはずの切り口。

「どうやったらこうなるんだ?」

 不思議そうに眺めたアーサー。痛みに耐えもがく若い兵士。
 咄嗟にどうこう出来るような状態で無いのはすぐにわかった。

「・・・・やむを、得ません・・・・」

 隊長は腰のホルスターから拳銃を抜いた。
 何をするのか察しが付いたマヤは首を降りながらアーサーの袖を引っ張る。

「隊長!早まるな!」

 制止を試みたアーサーだったが、隊長の指はそれよりもやや早く引き金を引いたようだ。


  パンッ!


「なんて事を」
「・・・・苦しませても報われません。これは呪物の刃物で切られた痕です」
「呪物?」
「えぇ。呪われた剣や槍などの刃物で切られれば、その切り口からは生命そのものが消えてゆきます。自分は過去何度もそれで苦しみぬいて死ぬ者を見てきました」

 隊長は拳銃をホルスターに収めながら、首を振って忌々しそうに呟く。

「ヒトと思って甘く見ました」
「一体何があったんだ?正直に言ってくれ」
「実は・・・・」

 言葉を選んで隊長が話し始めたのは、あまりに異常な出来事だった。

 最初、かなり友好的なムードで尋問を行っていたらしい王都の警邏部隊たち。
 ヒトの方も大体の事情は把握して、食事にありついて人心地付いた後のようだった。

 だが、それを一変させたのは若い下級兵士の出来心だった。
 ヒトの持っていたサーベルの包みを開け、中を確かめようとした時、ヒトが突然その若い兵士に飛びかかったのだと言う。

 曰く、何があってもそれを抜くな!と。

 だが、その若い兵士は面白がってサーベルを鞘から抜いてしまったそうだ。
 その直後、まるで雷撃の魔法攻撃でも直撃したように激しい痙攣を起こした後、その剣をかざして誰彼構わず切りかかったのだと言う。

 隊長は周囲に展開していた自らの小隊へ実弾の装填を命じ、自らも腰の剣を抜き放ったそうだ。
 半狂乱になったその若い兵士が近隣数名の同僚を一刀両断に惨殺した後、自らの腹部を横に裂いて、血を吐きながら踊り狂ったのだと言う。

 数名掛りで押さえ込んで、咄嗟に止血し傷の平癒を試みたのだが、どんな魔法も受け付けず、見る見るうちに干からびて行って、やがて灰の様になって風に飛んでしまった・・・・と。

「若様。大変申し訳ありませんが」
「何をする気だ?」
「あのサーベルはヒトの男と共にあの詰め所の中に居ます」
「そうか」
「建物ごと焼き払います。小隊で数斉射した後、火を放って焼くしか有りません」
「焼き殺すのか!」

 射抜くように強いアーサーの眼差しが隊長に降り注ぐ。
 だが、その隊長の目が血走るほど瞳孔を開けてアーサーの両目を見返した。

「アレはとんでもない呪物です。おそらく、数え切れないほど人の血を吸った怨念の塊」
「・・・・あのヒトの男を連れて帰りたいんだ。なんとかならんもんだろうか」
「え? 連れて・・・・ 帰ると・・・・ 申されたか・・・・?」

 きわめて不思議そうな眼差しがアーサーに向けられた。
 いったいアレをどう制御するんだ?と。
 そんな、ある意味で哀れみのこもった眼差しが振り向けられた。

 その眼差しの意味に気が付いたのか。アーサーは眼差しを石畳に一旦落とし考えた。
 おそらく、普通の方法ではあのサーベルを押さえつけられないだろう。
 ならば・・・・

 腰から下げていたスロゥチャイム家の太刀を驚くほどの速さで抜き放ったアーサー。
 刃渡り1mを有に越える大太刀だ。
 戦場でしか役に立たない『兵器』と言って良いその姿。

「マヤ」
「はい」

 不意に召使いを呼び寄せた公爵家の若旦那。
 隊長は一瞬だけ気を殺がれた。

「あすこに行ってドアを開けてくるんだ。ヒトが行けば一瞬は油断するだろ」
「・・・・はい。でも・・・・」
「大丈夫だ。すぐ後を俺が一緒についていく。あのサーベルを破壊する」

 ちょっと蒼白な表情のマヤがゆっくり頷いた。
 ゆっくりと歩き始めるのだが、垣間見た恐怖に足が上手く動かない。

 その直後。

   ドン!

 突然の大音響と共に詰所のドアが吹っ飛んだ。
 中からドタバタと凄い音がする。開いているドアから椅子や机が外へ飛び出している。
 メキメキと生木を潰す音共に、訳のわからぬ声が建物の中から響いていた。

   ガッシャーン!

 投石対策で窓に張られた鉄格子が、内側から投げつけられた大理石のテーブルで弾き飛ばされ石畳へ落ちる。
 中で何が暴れているのか?ちょっと想像の付かない状況だ。

 ゆっくりと歩いていたマヤの足が止まる。
 カタカタと震えていると言ったほうが良いだろう。
 開いたドアや割れた窓の所から、この世のものとは思えない冷気が漂っている。

「お前はなんだ!」

 誰の耳にもそう認識できる怒号。

   ガッ! キーン!

 鉄と鉄が激しくぶつかり合う大音響。
 何が起きてるのか、外部からは想像が付かない。

「隊長!」
「はい!」
「中はヒトの男以外無人の筈だな!」
「そうです!」

 先ほどまでの会話をすっかり忘れた隊長とアーサー。
 開いたドアから漂う冷気が段々と黒く見え始めている。

 それは魔界の瘴気。

 ごく稀に空気を読めない魔法使いが使う召喚魔法で、この世と魔界が繋がった時に漏れ出てくる恐ろしい空気だ。
 それを吸い込めば生ける者はたちどころに血を吐いて倒れるか、魔界の瘴気で身を壊して魔物の仲間入りを果たす筈。

 詰所の中全体が薄暗く、また、黒い空気で充満しつつあるような風にも見えたその刹那。

「あ!」

 そこに居た者は誰も咄嗟にそう叫んだ。
 突然、真っ青な光が建物の中からこぼれ、それと同時に耳へ金属棒でも突き立たれたかのような高周波の騒音が響いた。
 何がどうなったのか、誰も理解出来ない。
 ただただ、唯一わかることは、建物の壁が大きく壊れ、中から空中を漂う細身のサーベルが出てきた事と、そのサーべルの周りが黒い瘴気で覆われている事。

 あと・・・・

「おはん!なにしょっとか!」

 詰所建物から出てきたヒトの男は銃を構えていた。
 両手の中にすっぽりと納まるような小さな銃だ。
 全体的に角ばったシルエットで細身の拳銃。

 だが・・・・

   ”最大投射出力モード”

 今まで聞いた事の無い声色の声が響き、ヒトの男が酷い前傾姿勢でその銃を構えた。

   ――――――――――――――――――――――!

 先ほどと同じ高周波が石畳の広場に鳴り響き、多くの者が耳や頭を抑えてその場にうずくまった。
 白目をむいて気絶する者も続出する中、稲光のような閃光と共に衝撃波が広がる。
 そのヒトの男が何かを撃ったのは間違いないのだが、何をしたのか皆目見当が付かなかった。

「マヤ!」

 アーサーの前に立っていたマヤがふっとその場に倒れた。
 咄嗟に手を伸ばし抱きかかえたアーサー。
 強烈な高周波で気絶したらしい。

 アーサーが咄嗟に伸ばした腕の中で眠れる森の美女になったマヤ。
 怪訝な顔が一転し怒れる魔人の如き形相となり、アーサーは握っていた剣の柄をしっかりと握りなおした。

「隊長!俺の付き人を頼む。すまんが守ってくれ」
「承りました!」

 抜き放っていた剣を鞘に収めた隊長はマヤをお姫様抱っこでかかえていた。
 グッと腰を落とし突進する姿勢になったアーサー。
 半身に構えた剣先がごく僅かに地面に接するか否かの瞬間だった。

   ―― ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!

 耳を劈く程の音量で響いた断末魔の声。
 その声がどこから聞こえたのかは誰もわからない。

 ただ、先ほどまで黒い瘴気に包まれていたヒトの剣が、まるで生き物の様に石畳の上でカタカタと震えている。

「こやおいのもんち!おはんらぁ冥府へ帰りもそ!」

 並みの者が正対し睨み合ったならば腰を抜かすような強い形相で、ヒトの男はそう言い放った。強い信念と堅い意思と、そして、強靭な精神力から生み出される胆力の全てが声に乗っていた。
 両手の中にあった小さな拳銃を懐へ仕舞ったヒトの男は、石畳の上に転がっていた剣を取上げてブン!と一振りする。鈍い音が響き、風を切った刃先が艶やかに光っていた。

 だが、その直後、信じられない事が起きる。
 刃先の通り抜けた先に小さな隙間が空いて、そこから再び黒い霧が漏れ出てきた。

 空間を切った・・・・?

 アーサーは咄嗟にそう思った。そしてそれはどうやら正解だったらしい。
 その黒い霧が再び剣先を包みこみ、ヒトの男は慌てて剣を投げ捨て一歩下がった。

「しつこかぁ!」

 再び拳銃を抜き放ったヒトの男。咄嗟に数歩下がって壁を背にし構える。
 酷い前傾姿勢でその銃を構えるのだが、先ほどの様な高周波が響く事は無かった。
 そして、先ほどと同じ声。

   ”充電モードに入ります”

「チッ!」

 皆に聞こえるような舌打ちが響き、ヒトの男は建物へ飛び込んだ。
 黒い霧に包まれた剣が再びふわりと浮き上がり、何かを探して漂っている。
 なんとも不思議な光景。流石のアーサーも不思議そうに見ていた。

「なんでコンセントが無かね!」

 詰所の中から先ほどのヒトの男の声が響く。

「大丈夫か!」

 咄嗟にアーサーはそう叫んだ。何がどうなってるのか理解できないまま。
 ただ、その行為が酷く迂闊で軽率だった事はすぐに理解できた。
 アーサーの声に空中を漂っていた剣がピクリと反応し、剣先をアーサーへ突き立てるようにして、すっ飛んで来た。

    ガキッ!

 堅い物が石壁に当たって放たれる音。ただ、その音は並みの音量ではない。
 無我夢中で上段へ構えた剣を振り下ろしたアーサー。
 見事なクリーンヒットとなり、空中を漂っていた剣が石畳の上で二度三度バウンドし動かなくなった。
 手ごたえとしては間違いなく、そこらの鈍らなサーベルなど叩き折るほどの物だった筈だ・・・・

 場の空気が凍りついたようになっている。
 そんな中、詰め所の中からヨロヨロと出てきたヒトの男の手には、あの剣の鞘と思しき物があった。
 石畳のえでバタバタと暴れる剣の柄を握り、まるで役者掛かった演劇の様に鞘へと収めたヒトの男。鞘の中、罠にはまった獣の様に剣が暴れているようだった。

「はぁ・・・・・」

 誰にでも聞こえるような深いため息を一つ付いて。
 懐から取り出した剣の包みにそれを納めると、小さな子供が嫌々をするようにバタバタと暴れていた剣が大人しくなったようで、ヒトの男はヘナヘナとその場へ座り込んだ。

 息を呑むような緊張感から開放されたのか。
 ヒトの男は呆然とした表情で周囲をうかがう。

 遠巻きにしていた治安警察の若い兵士達が、ジリジリと包囲の輪をつめ始める。
 建物に追い込んでいた筈の獣が、再び野へ放たれたようなものだ。

「終わったのか?」

 周囲の緊張を他所に、アーサーは無遠慮な言葉を投げかけた。
 その声は全くと言って良いほど警戒感が無かった。

「あぁ。どうやら収まったようだ。派手にアチコチ壊しちまった。申し訳ない」

 ヒトの男は何事も無かったように平然とそう言ってアーサーを見る。

「君は一体誰なんだ?」
「誰?誰って・・・・俺は・・・・」

 不思議そうにアーサーを見ているヒトの男。
 アーサーは段々と問題の核心が見え始めている。

 かつて士官学校で教えられた落ちたばかりのヒトへの接し方。
 それが今、初めて役に立つ。

「俺はアーサー。スロゥチャイム家のもんだ。この世界へようこそ。と言っても、まだ理解出来ないだろうけど」
「この世界・・・・か。だろうな。この太刀が何人の血を吸ったか知らないけど・・・・」

 どっこいしょ

 そんな言葉を吐いてヒトの男は立ち上がった。
 周囲を威圧するように見る眼差しは驚くほど強かった。
 懐から先ほどの小さな銃を取り出すと、ボタンを押し込んで再び懐へとしまった。

 いつぞやと同じ、キツネの国から旅してきた者達のような衣装。
 腰のベルトは上下に太く、その腰の辺りに包みへと収まった剣を差し込んで、紐をベルトに留めた。

 いつかどこかで見た光景だと思ってアーサーが思い出そうとしている先。
 ヒトの男は顎を右手でこすりながら、ジッとアーサーを見ていた。

「犬なのか?それとも人なのか?どっちなんだ?」
「俺はイヌだ。イヌ族の人だ。お前はヒト族の生き物に該当する。理解し難いだろうが」
「やっぱりヒト族ってのは人の範疇に無いのか・・・・」
「飲みこみが良いな」

 抜き放っていた剣を鞘に収めたアーサー。
 まだ気を失っているマヤを抱えた隊長がアーサーに並んだ。

「若様。こちらの方を」
「おぉ、すまない」

 マヤをお姫様抱っこしたまま、アーサーは全く無警戒にヒトの男へと歩いていった。
 あと数歩歩けばその前に立つと言うところで足を止めたアーサー。
 ただならぬ気配に気が付いて、足を止めたと言うほうが良いのだろう。

 袋に収まっている筈のヒトの剣から、まるですすり泣くような声が聞こえていた。

「それは一体何なんだ?」
「あぁ、これね。なんて説明すれば良いかな・・・・」
「剣なのか?」
「あぁ、刀だ。かたな。剣と同じ意味だろうけど使い方が違う」
「使い方?同じ刃物だろ?」
「もちろんそうだ。しかしこれは違う。人を殺す事のみに特化した・・・・」

 腰の『かたな』へ視線を落としたヒトの男は、溜息交じりに一つ息をついて・・・・

「人を殺し続けた刀だからな。人の恨みが篭ってる。月夜の晩などは暴れるんだが日中にこんな暴れ方をしたのは俺も初めて見た。重粒子射出砲を使って対峙するとは思わなかったよ。しかも2発も撃って。俺は処分されるだろうな」

 どうやらちょっと落ち込んでいるらしい。
 少なくともアーサーの目にはそう映った。

「処分されるって、誰に処分されるんだ?たぶんこっちへは来れないぞ」
「これない?これないって?ここは一体どこなんだ?」
「ル・ガル王制公国の首都だよ。イヌの国で一番大きな街さ」
「俺は関東道東京支庁のもんだけど、どうやって帰れば良いんだい?大陸係留索を伝って行けば良いのか?」
「タイリクケイリュウサク?」

 見事に話が噛み合ってない・・・・
 アーサーもヒトの男もすこしイライラし始めている。

「あれ?」

 そのイライラに反応したのだろうか。不意にマヤが目を覚ました。
 状況が同じように飲み込めてないのだが、とりあえずアーサーの腕の中と言うのは理解できたようだ。
 すこし嬉しそうにキャッ!とはしゃいで首に抱きついた。

「おいおい、人前だ。遊ぶなよ」

 よっこいしょとマヤを地面へ降ろすアーサー。
 少し寂しそうに、名残惜しそうに手を離したマヤが真っ直ぐにヒトの男を見る。

「君もイヌなのかい?」
「私はヒトよ。あなた、落ちてきたばかりでしょ?」
「落ちる?落ちるってなんだ?」
「ヒトの世界からこっちの世界へ落ちてくるの。私の両親もこっちへ落ちてきて、私はこっちで生まれたヒトの娘。第二世代って呼ばれるの」
「つまり・・・・え~っと・・・・う~んと・・・・」

 ボリボリと頭を掻きながらヒトの男は考えている。
 何かをブツブツと言いながら考えている。

「つまり、ここは全く別の世界・・・・次元転移した別の宇宙と思えば良いのか?」
「・・・・ごめんなさい。私にはヒトの世界の難しい言葉はわからないの。私の兄なら納得いく説明が出来る筈なんだけど。ここではないヒトの街の学校でヒトの世界の事を学んでるから。ただ、今まであなたが居た世界とは違う、全く別の世界って事は理解して欲しい」

 ね!と、同意を求める様に振り返ってアーサーを見たマヤ。
 アーサーは苦笑いを浮かべつつ、マヤを抱き寄せる。

「上手く説明できないもどかしさはあるが、今このヒトの娘が言った事が全てだよ。俺の家の本拠がある所へ行けばお前の知りたい事の大半は分かるはずだ。どうだ、一緒に行くか?」

 アーサーが無造作に手を伸ばした。
 まるで物でも拾うような仕草だった。

「・・・・拒否した場合はどうなる?」
「そうだな・・・・」

 ぐるっと周囲を見回したアーサー。
 そこには明らかに警戒の敵意を浮かべている治安警察の兵士が揃っていた。

「色々と落ちたばかりのヒトを収容する施設はあるが、その前にここで死ぬかもな。なんせお前は一人殺してるだろ?」
「あ、さっきのあれか?俺が切った訳じゃないんだが・・・・ まぁ、管理不行き届きなのは事実だから反論できないとは思うが」

 もう一度ボリボリと頭を掻いてヒトの男が困ったような表情を浮かべた。

「若様。申し訳ありませんが」

 話を聞いていた隊長が話に割って入ってきた。
 なかば思いつめたような表情だ。

「失った命はもはや止むを得ません。ただ、あの剣が再度暴れた場合は対処できません」

 まるで氷の刃を心臓へ突き立てられたかのように、ヒトの男は真っ直ぐに隊長を見ていた。

「言われてみればそうだよな。普通の方法じゃこれが暴れだしたら抑えられない」

 ヒトの男はどこか平然とそう言い切っていた。
 それをアーサーもマヤも、そして、隊長も見ていた。

「じゃぁこうしよう。要するに。俺みたいなヒトには人権が無いって事だろ」
「まぁ、早い話がそう言うことだ。でもな、俺はお前を連れて帰りたい」
「連れて帰る?どこへ?」
「わがスロゥチャイムの本拠、スキャッパー地方だ。このマヤの父母らが50年掛けて改革した地だ。そして多分だが・・・・」

 一息ついたアーサーが隊長の肩をポンと叩いた。

「イヌの国で唯一、ヒトが誰かの持ち物以上の扱いをしてくれる所だと俺は思う。隊長には悪いと思うが、でも、俺の母親がそうだった様に、父親がそうだった様に。俺もヒトの男を友に持ってみたい。ただそれだけの話しだ」

 話を聞いていたヒトの男がウンウンと頷いていた。
 なんとなくだろうけど、でも、ある程度は理解したのかもしれない。

「じゃぁこうしよう」

 屈託無く爽やかに笑ったヒトの男。
 その笑顔に一瞬だけマヤの胸がキュンとなった。

「今から俺がこの太刀を抜く。俺が自力で制御出来なくなったら、俺ごと切り捨ててくればいい」
「なんだって?」
「俺ごと切ってくれれば良いよ。この剣が一番殺したいのは俺なんだからな」
「おいおい。何を言ってるんだ」
「友達だとか何とかって言ってるけど、要するに身元引受人な存在。要するにご主人様だろ?じゃぁ俺よか強くないと俺が暴走した時困るじゃないか」

 左の足を一歩引いて半身に構えたヒトの男がスッと右手を差し出して腰を落とした。

「どちら様もお控えくだせぇ」

 目を閉じて頭を下げたヒトの男。
 まるで罪を詫びるような姿に、アーサーも隊長も居住まいを正した。

「わけのわからぬ若造でござんすが、これでも他人様のお心遣いを分からぬほどの畜生じゃこざいやせん。そこらで野垂れ死ぬ筈の無宿者にまで頂いた一宿一飯のご厚情。真に痛み入りやす。流れ者を飼ってくださる旦那の心意気。確かに頂戴仕りました。ならば改めてご挨拶申し上げます。どちら様もようござんすね」

 グッと頭を上げたヒトの男がアーサーと隊長を睨み付けた。
 その眼差しの力強さに隊長は思わずグッと奥歯をかむ。

 なんとも芝居がかった口調と仕草。
 今まで聞いた事の無い言葉だが、何となく任侠の世界でそんなヒトを見たような気もすると思い始めた・・・・

「手前、名前の儀は桐野義三。生国発しますは火の国九州にござんす。九州、九州言うとも聊か広うござんす。火の国九州は南の果て。薩摩鹿児島の街中で、目立たずひっそり生まれで出でてより早20余年と数ヶ月の歳を数えやす。当代にて十と二代を数えます家業は人斬りにござんす。天保よりこの方、闇にまぎれてこの手に掛けた、一族が斬り捨てた者の数は数百人。一子相伝の太刀と共に受け継ぎし二つ名は、十二代目、人斬り半次郎を頂戴いたしやす。闇の刃の血露と消えた、人の恨みを背負い背負って300年。呪われた一族の末裔ではござんすが、向後お見知り置かれまして、よろしくお頼み申し上げやす」

 差し出していた右手が剣の・・・・ 刀の柄に添えられた。
 隊長もアーサーも一瞬身構える。
 だが、その前にヒトの男が・・・・桐野義三と名乗ったヒトの男が口を開いた。

「一宿一飯の恩義を頂いたならば、こちらの旦那が自分の親にござんす。あっしの仕出かした不始末ならば親に切られて果つるは本望。容赦なく切っておくんなせぇ。あっしはそれでようござんす」

 ニヤッと笑った義が周りを見る。
 なんとも呆気にとられたように固まっているイヌの男たち。

「もし。この俺に何かあって。そしてこの太刀だけ残された時。誰かがこれを折ってくれなきゃなんねーのよ。よーするにさ。俺より強い男が俺の主なら・・・・俺は一切文句ねーってところだね。喜んで地獄の底でも何処でも付いて行かせてもらいますわ。そんな訳でこの太刀ごと、世話になります」

 腰を割っていた義三がスッと立ち上がる。
 案外背が高いんだとマヤは思った。

 兄ヨシヒトと同じか、微妙に高いかもしれない。
 アーサーと並んでもそれほど見劣りしない上背・・・・

「わかった。わかった。」

 半分呆れたようなアーサーがウンウンと頷いている。

「まぁ、なんだ。とりあえず俺のお袋を紹介しよう。聞いて驚くなよ?実はイヌの国でも上から数えた方が早いくらいの権力者だぜ」
「へぇ、そいつはスゲェや。んじゃ、アーサーの旦那。よろしく頼むわ」
「旦那は付けないで良い」
「へぇ・・・・ 旦那無しかい! そりゃ豪気だね! ますます気に入ったぜ! だけどよ、あんたは俺の親だ。主だ。名前を呼び捨てって分けにゃいかねーだろ。それともあれかな。アーサーさまの方が良いかな?」
「アーサーで良い!アーサーで!」
「わかんねーかなぁ・・・・ 呼び捨ては畏れ多いって言ってんだよ! わかるぅ?」
「わかんねーよ!」

 なんとも妙な掛け合い漫才状態になっているアーサーと義三。
 たった今、出会ったばかりな筈なんだが、それでも、この馬の合い様。
 ほんの少し離れた所に立っていたマヤは、その姿を眩しそうに眺めていた。

 第12話第6部 了

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

目安箱バナー