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ネコの国のとある街にて……

 警察での仕事を終え、俺はコンビを組む後輩のシェイファを連れて、近くの酒場に来ていた。
「……シヴァ先輩」
 向かいに座る後輩が、沈んだ声で話し掛けてきた。
「何だ?」
「今年、チョコ何個貰いました?」
「チョコ?」
 テーブルに置かれたコップの中のアイスロックが崩れ、音を奏でて赤凍酒の中に沈み込んだ。
 室内に流れるハードボイルドなBGMはそのままに、まるで俺の答えを聞こうとしているかのよう
に、他の客の喧騒がやや小さくなった。
「そりゃあ、今年『も』清掃のおばちゃんから貰った1個だけだ。市販の小さな丸チョコ」
 発言し終えた瞬間、店内は元通り騒がしさを取り戻した。
「そう、ですか……」
「で、お前は?」
 俺の問いに、目の周りの黒い肌が一際目立つ白髪のマダラ美少年は、伏し目がちになった。
「……65個、です」
 聞き取りづらい小さな声だったが、酒場は一瞬にして静まり返った。
「内勤のお姉さん方から、手作りのものを」
「分かった、もうそれ以上は何も言うな」
「すいません」
 シェイファの手の中にある空のコップに、薄紅色の透明がかった液体を注いでやる。
 いただきます、と言うや天を仰ぐように中身を一気に空けた。
「良かったな」
「うっく……何がですか?」
「チョコの数だよ。新記録じゃないのか?」
「ええ、新記録ですよ。あんまり嬉しくないですけど」
「それはどういう……あ、いや、無理に話す必要はないけど」
 店内に充満し始める無数の殺気。四方から針のような鋭い視線を背中に感じ、自然と首筋から冷や
汗が滲み出る。
「全員、作り方とか味付けとか、僕が教えた通りのものをくれたんです。ほら、非番だった12日に
署内の空き部屋で半日作業してたじゃないですか。あれ、庶務課の課長さんに頼まれて料理教室を開
いてたんですよ。チョコの」
「ふぅ~ん……確かに、お前料理は得意だったな」
 道理で13日のあの時、シェイファの服からやけに甘ったるい匂いが漂っていたわけだ。
「バレンタインデーの翌日に、料理教室に来てくれた女性陣が「彼に喜んでもらえたから、あなたに
もお礼にお裾分けしてあげる」って……渡す恋人がいるなんて羨ましいですよね」
「てことは、14日には1個も貰ってないってことか?」
「はい……本命はゼロです」
 殺気は一瞬にして消え失せ、再び店内は騒がしくなり始めた。
 俺の口からも、安堵の溜め息が漏れた。
「でも、不思議なもんだな。美形の象徴であるマダラの容姿で、引く手数多な筈のお前に彼女が1人
もいないなんてな」
 いえ、と黒い垂れ耳を掻きながらシェイファが答えた。
「パンダって、マダラは結構多いんですけど、外見に関わらず案外モテにくいんですよ。
 性欲旺盛なのは発情期前後で、それでいて同族の異性にしか興味を示さない。種族柄酒に弱い。基
本雑食で、大陸有数の大食漢……このご時世、種族人口減っているのも分かりますよね?」
「なるほど……まさに、金・酒・女の三重苦だな」
「そういう先輩は、彼女、作らないんですか?」
「お前な、俺が女作れるような男に見えるか?」
「見える見えないの問題じゃないですよ。要は、やる気の問題です。先輩が軍人出で、しかも短そk
……潜底種のイヌだからって、遠慮することはないと思います」
「遠慮はしてない。単にネコが嫌いなだけだ」
「なら、トラとかライオンとかキツネの女性だったら良いんですか?」
「そういう問題じゃない。実質的に俺は女に興味は」
「男なのに全く無いってことは無いでしょう? ねえ、先輩?」
「……しつこい男は、同族の女からも嫌われるぞ」
 後輩の執拗な攻めを躱し、テーブルの端に積み上げられた料理皿の山をちらりと盗み見た。もはや
枚数を数える気にもならないが、恐らく今月の給料3割分は吹っ飛んでいると、目測で勘定した。
 にしても、来る前と変わらぬ白い顔で酒を飲んでいるこのパンダは何なのか。
 シェイファと酒を飲むのは、同じ部署に配属されて依頼初めてなのだが、ひょっとして酒に弱いと
いうのは嘘なんじゃなかろうか。
「お前、自分で酒に弱いって言ってる割には結構飲んでるな」
「平気なのは飲んでる間だけです。酔いが完全に回ると、大変な事になるんで」
 なら飲むなよ。というか、そっちの方が逆に危ない。
「じゃあ大事になる前にそろそろ出るぞ。さすがにこれ以上食われると、俺の生活がヤバいからな」
「もしかして割り勘ですか?」
「アホ、奢りに決まってるだろ。後輩に金払わせるほど落ちぶれちゃいねえよ」
「さすが先輩。でも、僕まだ食べ足りないです」
 「燃焼効率悪過ぎるだろ!」と言う前に「お前の胃袋は宇宙か!」と声を大にして言いたい。
 それに、30分前から酒場のマスターの顔に出ている「まだ食うの?」という不安げな表情が、見
ていてすごく辛い。
「他所の店で食べ直せよ。会計は先に済ませるからな」
「わかりました」
 シェイファがしぶしぶ了承したので、俺は店を出ようと重い腰を上げて席を立った。
 と同時に、扉が荒々しく開いて若い3人組の男達が店内に入って来た。
「おらぁ、全員動くなあ!」
 一発の乾いた銃声に、店の奥から女性の悲鳴が上がった。
「な、何だ!?」
「騒ぐんじゃねえ! 何か変な動きしやがったら、ぶっ殺す!」
 俺は咄嗟に支柱の陰にしゃがんで隠れ、腰に差した剣の柄に手を掛けた。
「ちぃ、くそ! せっかく良い気分で帰れると思ってたのに……」
 乱入して来た相手型の様子をそっと覗き見る。頭と思しきネコの男は、酔っているのか顔が赤い。
対照的に、両隣にいる連れのガゼルとイヌの男2人は青ざめている。
「ちょっと兄貴、まずいですって! 警察にばれたら大変な事になりますよ!」
「うををぅ、なんか興奮してきたっす! この調子で音楽に合わせて踊るんすよね!」
 もうバレてる上に、明らかに勘違いしているイヌの男は、おそらく天然なのだろう。
「ああもう、うっせえんだよお前らぁ! チョコ貰えなかった腹いせを、ここで晴らさなくて、どこ
で晴らすんだよ!」
 酔った勢いでの時期外れのチョコの腹いせ……何とまあ七面倒臭い相手だ。
 しかしこの状況、かなり危ない。相手は銃を所持している上複数。店内には大勢の客。応援を呼ぼ
うにも、身動きが取れない。おまけに時間帯は深夜。
 この危機的状況から脱するために、どうすれば良いのか。酔った頭をフル回転させて考えるが、当
然ろくな考えは浮かんでこない。
(くそ、頑張れ俺の脳みそ! 酒に負けてどうするんだ! 気合いで何か良い案を搾り出せ!)
 そんな、静寂と緊張に包まれた現場に
「先輩ぃ、そんな所で何してるんですかぁ~?」
 後輩の場違いに明るい声が、しんとした店内に響く。
「こらぁ、てめえ動くなって言っただろうが!」
 骨付き肉を咥えた棒立ちのシェイファに、覚束ない動きで銃口が向けられる。
「いえ、あのぉ、トイレに行こうかと、思ってぇ~……一緒に行きますぅ?」
 発言の語尾が伸びている。おそらく、酔いが回り始めたのだろう。
「シェイファ、良いから黙ってそこから動k」
「うるっせえ、動くなっつってんだよチビが!」

 ピキッ

 今の、はっきりと聞こえた嫌な音は……
 恐る恐るシェイファの顔を見ると、震えるこめかみに太い血管が2、3本浮き出ていた。
 久々に、全身の毛が逆立つのが分かった。
「お、おいシェイファ、駄目だ……抑えろ!」
「分かってますよぅ、先輩ぃ。僕のぉ~、悪いぃ~、癖でぇすからぁ~ひぇっく」
 小声で諭した俺に向かって、笑顔を見せるシェイファのこめかみは、小刻みに震え出している。
 事態は最悪の状況へと向かっている……そんな気がしてならない。
「また始末書出す羽目になるぞ!」
「分かってますってばぁ~ん!」

 後になって一番後悔したのはこの時だった。
 よせばいいのに、俺の不用意な忠告のせいで、うっかりシェイファに大声を出させてしまった。

「黙れっつってんのが聞こえねえのかドチビが!」
 噴き出すという表現がぴったりな物凄い殺気に、俺は戦慄を覚えた。
 間を置かずに、ブチッという生々しい音が聞こえ、俺の横を一陣の風が吹き抜けていった。
「あっ、馬鹿止せ!」
 止めようと立ち上がったが時既に遅く、入口付近に立つネコ男の側頭部へ、豪快に跳び蹴りをかま
すシェイファの姿が遠くにあった。
「ぎゃっ、てめ、何グボッ! ひ、ひいぃ、やめアガァッ! た、助けグヘェッ!」
「誰が、チビ、だってえぇぇ!? もう一度、言って、みろよおぉぉ!」
「あ、兄貴ぃぃぃ!」
「うっわぁ、すげえ! こういうの、『タコ殴り』って言うんすよね?」
 やってしまった。
 修羅場と化した酒場で上がる、頭を抱えたガゼルの悲痛な叫びと、目を輝かせたイヌの興奮した声
と、殴打するたびに途切れる後輩の怒声と、床に倒れ為すがままにされているネコ男の断末魔。
 何だか止める気にもなれず、俺は頭を抱えて元の席に座り込んだ。
「勘弁してくれ……」
 『禁句』。それもあんなにあっさりと言われたのは、今回が初めてだった。今月こそは何の処分も
なく過ごせると思っていたのに、これでまた台無しになってしまった。
 前々回は大晦日の寺院警備。前回は節分の豆まき大会。今回はバレンタインデー絡みの過剰防衛。
 行事がある度に騒ぎを起こしているのは、偶然では片付けられない何かが働いているとしか思えな
いのだが……
 いずれにせよ、今度も処分は免れ得ないだろう。
 果たして、始末書プラス厳重注意だけで済むか、先月同様減給か、はたまた停職か……
「あぁ……いっそのこと、転職も考えてみるか」
 寂しく独り言を呟きながら、俺はシェイファを止めるために1人入口へと向かった。