猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

雪見おおかみ

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だれでも歓迎! 編集

 初めて会った時の事は今でもよく憶えている。

 俺の見知った森という地形とは何処か雰囲気が違う森。その中で学年が変わる前の小学校の教室によく放置されているボロ雑巾の様な有様で転がっていた俺の前に、そいつは何時の間にか立っていた。一瞬幽霊かと思ってビクッとしたのは一生の秘密にしとく。

 年の頃は俺より少し上くらいだろうか。見た目的には成人してるかそれより手前か、そんな感じだ。少なくとも当時の俺の視覚はそう判断した。

 登場の仕方に対する驚きが収まってみれば、次に目についたのはその頭部――髪の毛であ
る。真っ白と、それ以外に表現しようが無いのだ。本当に白い。凄く白い。その時の俺は
『驚 き の 白 さ』を生まれて初めてかつこれ以上無く正しく使用した。

 木々が生い茂り森の中は生命にこそ溢れているが、だからこそ清潔感というモノとはとんと無縁だ。その中で汚れの見当たらない純粋な白の目立つこと目立つこと。

 あんまりにも白いので頭をガン見していたら新たに気付くことがある。耳が生えているのだ。いや耳が生えてるのはおかしくないんだけどさ。位置と形が問題なのよ。みみてふつう顔の横じゃないですか。頭の上には無いよね普通。しかもそんないい感じにふさふさもしてないよね。無毛だよねツルツルだよね人によってはギトギトだけど。

 何となくそうなんじゃないかなーと思って目線を下げたら、腰の下足の付根の上ら辺からデカイ毛の塊がもさりと伸びていた。要するに尻尾生えてた。
 三角みみにちょっとふさっとした太めのしっぽ……形からして犬だろうかというかイヌ科希望。俺犬派だから。

 いいもん、撫でさせてくれないタマに用なんかないもん。ポチは呼べば来てくれるもん。
タマなんか、タマなんか――あ嘘ですお腹触らせてくださいお願いします。

 寿命で召されたあの二匹は空の上で仲良くやっているだろうか。無理だろうな。ポチも大概グラップラーだったが、タマはそれ以上にアグレッシブビーストだった。
 エンカウントする度にボス戦みたいなケンカ(クラスの女子に引かれるくらいバイオレンス)をしていた二匹だが、ある日ぴったりと寄り添って――そのまま眠るように息を引き取った。事実は小説よりなんとやら。

 それは。
 置いといて。

 眼前のコスプレイヤー白井白子さん(仮)の頭上にひょこりと生える耳もでろりと垂れ下がった尻尾もこれまた真っ白だった。
 肌の色とか眼の色とか後服とかは白以外の色であるはずなのに。
 その髪色――今なら『毛色』と表現すべきだと理解できるが当時の俺は知らなかったんだ
からしょうがないじゃない――があまりにも白すぎるから、俺はこいつを思い出す度にこの
『白』を思い出す。
 実は本気出すと微妙に色変わると知るのはもう少し後のことだ。

 ここは森の中なので、木は掃いて捨てるほどある……実際掃いて捨てたら大変な事になる
けどさ。その内の少し幹が太めの木に、その時の俺はもたれかかっていたはずだ。もたれか
かっていたというか張り付いていたというか。こう、べちゃっと。フルスイングしたトマト
が硬い壁にぶち当たった直後的な。

 そんな訳でその時の俺は目線がかなり低かったのだ。だからそいつは屈みこんだ。俺と目
線が合うと、そいつはゆっくりゆったりと小さく小首を傾げた。

「…………」
「よう」

 気さくに挨拶したらスルーされた。まあ身体の前面がごそっとイってる人に挨拶されたら
戸惑いもするだろう。そんな白井白子さん(仮)はさっきとは反対方向に首を傾げた。何か
考え事をしているらしく、灰色か黒か判別し難い色の瞳はすでに俺を捉えていない。

 頭のてっぺんからひょっこりしてる耳の片方を指先でつまみ、くいくいと引っ張っている。
考え事するときのクセ的な何かだろうか。俺も読書してるともみあげの辺りを無駄に引っ張
ったり指でカールしたりするし。

 問題なのは指で触ってない方の耳がぴくりぴくりと動いている事である。ちょっと待て。
なぜそっちが動くし。何、最近のコスプレ用装備はランダムで動いたりするのか。すげえな
最近のは。外見も本物にしか見えないしさ。実は本当にくっついててしっかり血が通ってる
んですよとか言われても信じてしまいそうだ。

 そんな風にあまりの出来の良さに俺が感嘆していると、眼前のプロコスプレイヤー白井白
子さん(仮)はおもむろに耳をつまんで引っ張っていた指を俺の身体の方へ伸ばし――その
ままぶすりと突き刺した。これで俺の状態がデフォルトなら突付く程度で済んだのだろうが、
生憎この時の俺は身体の前面がごそっといっている。皮とかどこいった状態なのだ。筋繊維
とか骨とか頑張れば内蔵も覗けちゃう有様なのだ。

 だから細くてきれいな指は『にく』にずぶずぶと埋まっていくのだ。何この…………なに。
ちょっと何がしたいのか本当にわからない。

「…………?」
「痛い。おい痛いつってんだろーが、飾り耳捨てて自前の耳で聞けよこの野郎」

 突き刺した指をぐりぐりと動かすとか何というSぶち抜いて鬼畜極まりない所業。そろそ
ろ俺も真面目に苛立ってきた。だから痛いって言ってるじゃないか。

 そんな俺の訴えを聞いてないのか聞く気がないのか、鬼畜コスプレイヤー白井白子さん
(仮)はまたも首を傾げる。何がわからないのかわからないってこう言うことか。夏休みの
宿題を手伝ってくれた冴木もこんな気持だったのだろうか。

 身体に『埋まった』指がずるずると引き抜かれる。刺さるときとぐりぐりされた時も痛い
が抜くときも痛い。ふと何かパキンと音がした。

 小枝の折れた音だろうか。俺の予想が間違っていると視覚情報が伝えてくる。さっきまで
俺の中に埋まっていてべったりと血で濡れた細い指先が『白い塊』をつまむように保持して
いる。

「………………」
「とりあえず返してカルシウム」

 俺の身体からついでと、そんな気軽さで骨の一部を毟り取り、そしてそれを口に放りこみ、
ぱりぱりと音を立てて噛み砕きながら、傾げられる首――何このダイレクトカルシウム摂取。
柿の種みたいに物凄いおつまみ気分で骨食われてる俺。

 さっきまで生肉に突っ込んでた指でみみをつまんでくいくいと引っ張りながら、んぅ、と
少女は小さく唸った。わりとどうでもいいけど綺麗な方の指でやればいいのと思う。白い耳
の先端に赤黒い汚れが付いてしまっている。

 指がぱっと耳から離れた。カニバリズムコスプレイヤー白井白子さん(仮)はしゃがんだ
体勢から、両腕と膝を地面に付け――四つん這いになって更にこちらとの距離を詰めてきた。

 必然と耳が近くなっ――何この物凄い完成度。真面目に本物に見える。身体の自由が利い
ていたらその耳に手を伸ばしていただろう。けれども今は身体は全然動かない。耳が更に近
くなった。息をふうと吹けば、表面の毛が揺れそうなほどに近い。

 近くね? 頭の上に付いている耳がこれだけ近いなら、当然ながら頭――つまり顔も俺に
近付いている事になる訳だが。耳がこれだけ近いってもう鼻先は隣接して、るん、じゃ、な
い、だ、ろ、うか、

 ”ごじゅり”

 確かに隣接はした。そして更にその先に進む。開かれたクチの中で生えそろった真っ白い
牙が――そう牙だ。これは『歯』なんかじゃない。『牙』だ。
 それが突き立てられる。ごっそりと抉られた肉の表面に突き刺さった牙が、更に大きく肉
を抉り取る。そんな音が一定のリズムで淡々と聞こえてくる。
 表面を齧り取っただけでは止まらず――どんどん『奥』へと進んでいく。抗議しようとし
たんだが、口からごぽあと血の塊が噴き出してて声が出ない。

 牙が肉を強引に毟り取る音。毟り取られた肉が牙に咀嚼される音。ちょっと混じった堅い
音は肋骨だろうか。

 音を伴って動作は淡々と繰り返されている。さっきまで間近だった耳が思いっ切り顔に当
たってるから、更に『奥』に進んでいることになる。

 現在進行形で齧られている箇所は胸の中心から少し左側。
 その『奥』に何があるかといえば。

 水が詰まった袋を潰すような音という、か、感じ。胸の辺りから液体が噴水みたいに。ぐ
ちゃぐちゃと身体の中からその牙で食いちぎったものを噛み潰している。進んでいた顔が引
かれる。真っ白い髪も、血行のいい肌色も――いやその身体の前面が、噴き出た分と吐き出
した分でべったりと汚れている。

 ごくん、と嚥下されたものが細い首を通って体内に落ちて行くのが何故だか判った。表情
にはまるで変化が無い。『飲み込み』終わったのか、口も動いていない。
 どこを見ているのかわからない瞳もさっきと変わらない。そんな顔が近づいてくる。今度
は身体でなく、こちらの顔に向かって近づいてくる。
 息がかかる距離まで近付いて、初めてそいつが口を開く。


「”おぼえた”」


 今度は齧られなかった。今度は食べられなかった。ただ鼻の下でアゴの上にある部位がち
ょんと触れ合っただけだった。

 初めて会った時の事は今でもよく憶えている。
 というか、こんなの忘れられる訳がない。


◆『これが俺のご主人様』


 久しぶりに、こっちに来た初日の出来事を夢見た。

 窓から差し込んでくる日光をまぶた越しに感じて目が覚めた。相変わらず当時の光景のグ
ロさがぱない。
 むくりと起き上がって欠伸をしながら伸びーる。たっぷり寝てても寝起きはそれなりに眠
いから不思議だ。だが二度寝の誘惑をおことわりしてベッドから這い出た。
 目をこすりながら起き上がったのには無論ちゃんと理由がある。

 家事かと思ったか、違うんだなこれが。
 そうじゃないんだよ。

 夜寝れなくなるからだ。
 この家にはいわゆる電化製品というものが無い。つまり『照明』も無い。ランプ蝋燭はあ
るけど基本非常用。光源は必然的に『日光』になる。だから日が落ちて真っ暗になったらぶ
っちゃけ寝るくらいしかする事が無くなる。

 なのに日中寝過ぎるとなかなか寝付けず、真っ暗な中ベッドの上で延々とローリング。暇
夜更かし→日中爆睡→また暇夜更かしの悪循環の完成である。なので朝起きないと後々困る
のだ。といっても目覚ましどころか時計すら無いので起きる時間もいい加減。

 カーテンなしの窓から差し込んでくる日光が目覚まし代わり。ええ曇りとか雨の日は大体
昼まで寝てますがなにか。
 着替えながらベッド脇の傍らに置かれた腕時計を見ると、朝の十時過ぎを指している。奇
跡的に壊れていなかったデジタルの腕時計は今も時を刻み続けていた。電波は間違いなく受
信できてないだろうから正確さは疑わしいけども。

 着替え終わって階段を降りる。真っ先に眼に入るのは大きなホワイトボード。最初に引っ
張り出されて以降放置されているそれには、図形が大きく描かれている。
 『世界地図』だ。大雑把に大体の位置関係を示しただけという点を差し引いても、俺が知
ってる『世界地図』とは似ても似つかない形をしている。けれどもこれは確かに正しく『世
界地図』なのだ。

 違って当然。
 だってここ異世界だから。

 俺の知ってる地球と違うから、ユーラシア大陸もアフリカ大陸も北アメリカ大陸も南アメ
リカ大陸もオーストラリア大陸も南極大陸も無い。青い地球の島国JAPANなんてあるわけも
ない。

 息できるから大気は地球と酷似してるみたいだけど、他は色んなものが違う。大陸の形も
そうだが、そこに住んでいる『者』が違う。ホワイトボードに描かれた大陸の各所には漢字
で動物の名称がぽつぽつと書いてある。その文字は俺の字だ。説明を受けて自分で書き加え
た。そこに住んでいる『種族』を書き加えた。

 猫と狐の間ら辺にぽつんと描いた丸印は現在位置。『たぶんこの辺』と呟きながら書き込
んでいたので場所はかなり適当ぽいけど。

 それでも実際に『猫』のテリトリーは近く……ちか、く、かなあ? 移動速度がおかしか
ったせいで距離がぜんぜんつかめん……新幹線みたいな速度で移動するときに風よけが無い
とマジに死ねるから困る、これ体験談な。

 まあともかく隣接してるのはたぶん間違いない。八起がしょっちゅう遊びに来るから、反
対側の隣接が『狐』ってのも合ってるんだろう。
 ――動物の群生地を想像するのは、『人間』にとっては至極正しい事だと思う。でも間違
っているのだ。だってここは『異』なる世界だから、前提根底の常識も『異』なっている。

 この世界で俺は『人間』じゃない。
 『ヒト』と呼称される生き物の一種だ。
 ではこの世界に『人間』は居ないのか。
 いいやこの異世界には確かに『人間』が住んで居る。
 けもの耳がはえていようが関係ない。
 尻尾があっても関係ない。
 毛むくじゃらでも関係ない。

 ”そういう”、”けもの”の”特徴”を”備えた”、”もの”こそを、この”せかい”では”人間”と呼ぶ。

「おっはよう」
「おはよう」

 声をかけた先には大きなイス。しっかりとした造りのイスはかなりの年月を過ごしている
ことが伺えるが、逆にそれが『味』に感じられる。要するに渋い。
 存在感を放っていても所詮は無機物には変わりない。だから挨拶しないしするつもりもな
い。挨拶したのはそのイスの上に座っている『人間』の方だ。

 相手が首を巡らせた際に、その真っ白な髪がふわりと流れた。その白すぎる髪が陽の光を
浴びてきらきらと輝いているようだった。ちなみに本気というかやる気出すと本当に輝き出
す。髪が光りだしたら逃走のサインだ。巻き込まれるからね! 飛んできた破片程度で軽く
死ねるからねもやしの俺は!!

 窓から挿し込む日光で屋内陽溜りになっている場所。そこでイスに腰掛けている真っ白な
『人間』は、片方の耳を指先でつまんでくいくいと引っ張りながらこちらに挨拶を返した。
 彼女は俺の命の恩人で、この家の家主で、そして俺の『所有者』だ。

「相変わらずユキミは早起きだなあ」
「目が醒めるんだ、勝手に」

 ユキミという名前の彼女は『人間』だから耳もあるし尻尾もある。飾りだと思っていたそ
れは本当に本物の耳と尻尾だった訳だ。コスプレとか言ってすいませんでした。
 見た目は文系の物静かな美少女。シャツにロングスカートという服装もそのイメージに拍
車をかけている。雰囲気だけなら図書館とか凄い似合いそう。

 実際はとんでもない肉食獣だから注意な、本当注意な。間違っても弱そうだとかいう理由
で襲っちゃいけないぞマジで。

 そんなユキミの種族はオオカミ――らしい。

 親の名前や生まれた土地も知らない上に、『ユキミ』という名前もこの家の前の主に付け
てもらったもの。でも自分がオオカミであることだけは唯一確信できるんだとか。めんどく
さい記憶喪失もあったもんだと呟いたら、ユキミはふるふると首を振って否定した。

 喪失は『あったものが無くなった』事を指すのであって、『最初から無い』ぼくには正し
くないとか何とか。ああそうそう、何でかこのオオカミ一人称が『ぼく』。男じゃないのに。

 この世界で『人間』には獣の特徴がある訳だが、男の方はそれがかなり顕著。女の方は俺
の定義の『人間』に耳とか尻尾みたいな特徴の一部分があるだけだが、男の方は人型の獣と
いう感じである。要はフル体毛。二足歩行のイヌとかネコ。初めて『街』に行った時、男の
『人間』を見た時は『ああここマジで異世界なんだな』と改めて思ったものだ。

「…………」

 ユキミはイスに座ったまま微動だにしない。ぼーっとしている訳ではないのだ。背筋伸び
てるし。ただ何もしていないだけ。俺のご主人様にはよくあること。
 生活というか生態というか、見た目だけならちょっと耳と尻尾が生えてるだけの文系の美
少女は――何というかとことん野生児だ。いや野生児というのも何か違う気もする。ぶっち
ゃけ『特殊』だ。

「ところでご主人様、今日も何か命令的なのは無いの」
「ぼくの名前はユキミだよ」
「じゃあユキミ。何か俺にやらせる事ある?」
「んぅ……」

 くいくいと耳を引っ張り出す。何か無いか考えているらしい。しかし即答でないという事、
つまりは何かないか『考えた』時点でやらせる事が何も無いと答えているようなもんだ。

 とりあえず朝飯食いながら洗濯する事にした。

 パンを齧りながら汲んできた水と洗剤を用意する。この世界に電化製品は無い。が、相当
する機器は存在している。街に行ったら普通にレンジとか冷蔵庫とか洗濯機置いてあって思
いっ切り噴き出した。ただ電化製品のようにエネルギーを供給され稼働する事は変わらない。
つまり――ライフラインが通ってないこの家では使えない。

 そんな訳で洗濯機が使えないから基本手洗い。畜生の身としてはご主人様の衣服も洗わな
ければならないんだろうけど、今洗っているのは自分の分だけだ。
 さてさて。世界が違えば常識も違うわけでこの世界で俺の定義による人間はヒトと呼ばれ
ている。つまりヒトは人間でない。家畜とか奴隷とか、そういう分類である。

 何の冗談かと笑われそうだけど。
 これがマジだから困る。

 この世界でヒトは何か価値の高い奴隷らしく、結構な高値で取引されているらしい。基本
『落ち』てくるモノなので稀少価値があるんだとかなんとか。扱い的には俺の世界でいうペ
ット、愛玩動物が最も相当する。攫われても窃盗で、殺しても器物破損なのよね。

 落ちてきたヒトは拾った『人間』に所有権が発生する。だから俺を拾ったユキミは俺の
『所有者』で『ご主人様』となる訳だ。
 そんな事を聞かされた当初は、さて何をされるのか、何をするのかと思っていた。しかし
実際は『何もなかった』。てっきり家事くらいは言いつけられるかと思ったが、それも無い。

 基本自己の欲求発生=即解決なユキミは俺に何かを言いつけるということが滅多にない。
それでも最初の頃はさすがに何かしないといけないとあれこれ試行錯誤した。そして気付い
たのは、このオオカミは生活サイクルが俺の常識と決定的に違う事。俺の定義での『家事』
はそもそも必要とされていなかった。

 洗濯してるから身だしなみから。

 服を自分の分しか洗わないのは、ユキミが着たきりスズメだし、ある程度汚れると自分で
洗ってしまうから。あの容姿で河に飛び込んで同時に風呂も済ませるというワイルドな方法
を選ぶから困る。そんな訳で俺は手が出せない。まさか洗いたいから脱いでくださいという
訳にもいかんし。

 食事の方は、無理。

 絶対無理不可能。一回『狩り』に付いてったら死にかけた。凄い景気よく腕とれた。しか
も両腕。いやあ、腕なくなると立ち上がるのが凄い大変になるんだハハハ。ていうか何なの
あのメイク無しで怪獣映画に出れそうな生きモノ。ユキミさんせめて火くらい通してくださ
い、なぜ生でいくんですかいけるんですか。

 清掃関連は少しマシかもしらん。

 西洋風の民家的なこの家はユキミにとっては『雨に打たれずに眠れる場所』的な扱いらし
く、家としての数々の機能はほぼ使用されてないといえる。正直洞穴とかで十分おもう。
 そんなユキミを初めて見て時、妙な印象を受けた。一度滅んだ世界で、かつての文明の瓦
礫で雨露をしのぐ獣とでもいうのか。いやケモノなんだけど。なんというか。こう――何か
に『置き去り』にされているように見えたというか。

 ものすごく、一人ぼっちにみえたというか。
 まるで世界に『一匹』しか居ないみたいに。

 とにかくそんな風に広い家の限られた空間しか使われていないが、だからこそユキミの場
所は保守点検を心がけている。
 とはいえそれは微々たるものだ。命の対価の労働にはまるで足りてやしない。そんな風に
数ヶ月かけて自分がいかにレベルの高い役立たずかを知り、疑問がひとつ。
 俺という存在はユキミの生活に一切プラスになっていない。拾った理由は『なんとなく』
というなんともふんわりとした答えだった。本能で生きてる感じだから、本当に気紛れなん
だろう。

 わからないのは、役立たずでもやしな俺を未だに売りもせず捨てもせず、自身の縄張りで
あるこの家に置いているのかということ。
 まあ深くは詮索すまい。とりあえずここで生きておこう。この世界でのヒトの扱いによる
奴隷主人云々の以前に、彼女には一生かけても返しきれない恩がある事だし。

 家の横に洗濯物を干していたら、ユキミが表に出てきた。はて、狩りや風呂(洗濯)の周
期はまだ先だったような。すたすたとこちらに歩いて来る姿は、相変わらずイヌ科の耳と尻
尾を生やした文系の美少女である。これが走ったら新幹線みたいな速度なんだぜ。たぶん本
気出したら音速くらいは超えるんじゃないかなこのオオカミ。

 ユキミは小柄なので、いざ同じ高さで立って並ぶとその顔は俺の首から胸辺りだ。こちら
を見上げながらすっと挙げられた手には使い古されたブラシが握られている。

「君のやる事を見つけた」

 あ、現在の俺の存在意義。
 安楽椅子を表の、日当たりのいい場所に引っ張り出す。受け取ったブラシを手に座る。座
らせるのでなく俺が座る。ユキミが上にのしかかってきた。しかし軽いなあ。見た目相応の
重量ではあるんだけど、何でこの体重でぶつかった馬車の方が吹っ飛ぶという踏ん張りが出
来るんだろうか。

 向かいあわせに抱き合う様な格好で、髪にブラシを当てた。別に元ブリーダーとかヘアス
タイリストとかでもなんでもないからブラシを上下させるくらいしかできない。
 とりあえず髪の端から端までブラシを通す。まるで引っかからない。シャンプー? リン
ス? なにそれ食えるの? な生活をしているとは思えない程のキューティコゥ。
 ぶっちゃけ髪は俺みたいなど素人の手入れの必要無いと思うので移動。頭から飛び出てる
犬耳……オオカ耳にブラシをかける。

「くるるるる」

 ぐいぐいとブラシをかけていると小さな唸り声が聞こえてきた。こんなので気持ちいいら
しく、身を捩ってぐりぐりとこちらに顔を擦りつけてくる。地力が凄いせいかそれだけで押
されるこっちの首が真剣に痛い。
 これが抱き合うみたいな格好でブラッシングをしている理由である。
 他人にされるのが好きなのか、ブラッシングを始めるとユキミは動く。気持よさそうに身
を捩る。最初はイスに座ったユキミの後ろに立ってやっていた――やろうとした。
 しかし始めた直後に軟体動物みたいに力の抜けたユキミはイスからこぼれ落ち、更にブラ
シをかければかけるほど明後日の方向へ這いずっていく。

 野生が消し飛ぶ瞬間を見た。飼い慣らされた室内犬の様な有様であった。

 いや泥とか落ち葉とか気にせず地面をごろごろ転がっていくのはやや野生だが。
 しかしこれではおちおちブラシもかけられない。何とか動かずに要られませんかとお願い
した結果がこの体勢。ユキミは相変わらずブラシをかける度にぐねぐねと動くが、俺にべっ
たり貼り付いているので転がりはしない。
 問題があるとしたら俺とユキミの地力に差がありすぎて、俺の骨が軋みをあげていること
だろうか。実際最初の頃は何回か肋骨が折れた。

 耳が終わったので尻尾。なのだが、ここで問題がある。ユキミの真っ白な尻尾は今ばさこ
んばさこんと千切れんばかりに振られている真っ最中であった。
 俺の腕力 < ユキミの尻尾を振る力 なので、このままではブラッシングができない。
なんとも涙が出そうな現実が左右に振れていた。

 仕方ないので尻尾が落ち着くまで待つ。待っていればその内収まる。しかし尻尾にブラシ
をかけ始めるとまた尻尾を振り始める。そしたらブラシを止めて、また尻尾が収まるのを待
つ。そんな訳でブラッシングはかなりの長丁場になるのが常だ。

 見た目的にはまったりした光景であるが、ユキミが擦り寄る力加減間違えたりうっかり甘
噛みしたりすると洒落にならない事になるのは実証済み。

 しかしこれがここでの俺の唯一の存在意義みたいなもんだ。唯一少しくらいは役に立って
いると思えるので、割とどんと来い。ちなみにこれの前は『非常食』だった。

 尻尾が収まったのでブラッシング再開。根元から先端までブラシを滑らせるだけの簡単な
お仕事。ユキミが力強くこちらにもたれかかったので勢い余って後ろにひっくり返った。
 簡単なお仕事。ただし時々痛い。イスから投げ落とされつつブラッシングは終わらない。
 こんな素人の手つきの何がそんなにお気に入りなのか、ユキミは喉を鳴らしてすりよって
くる。ミシミシと軋みを上げる俺の胸板。地味に今呼吸困難だったりする。

 尻尾が激しくなってきたのでブラッシング中断。
 現在の体勢はユキミに押し倒されて抱きしめられている感じ。行動を置いとけば、ユキミ
は美少女である。美しい女の子である。当然その身体はあちこち柔らかい、胸元には更に柔
らかいものがある。

 今はそれら総てが今俺に余すこと無く押し付けられているというか擦り付けられている訳
だ。骨が凄いミシミシ言ってるのは置いとく。そろそろ酸素がほしい。

 最初の頃は複雑だった。当然だ。この年で枯れてたまるか。だから初回、物凄い密着され
た際には当然反応した。過去最高に反応した。

 しかしこのオオカミは無反応だった。とにかく無反応だった。かたいのが当たってるはず
なのにね。まるで気にした風が無いのハハハ。興味が無いのは性に関してか俺の存在か。未
だに怖くて聞けない。だって後者だったらちょっと本気で折れそう。

 それに本当に気持よさそうに喉を鳴らすので、いつしかブラッシングに専念する様になっ
た。なってしまった。そもさん戦力差ありすぎて俺がユキミをどーこー出来るわけがねえの
であるが。物理的に押し倒す事すらたぶん不可能だと思う。

「遊びに来たよユキミ――っ、元気だった――っ! ヒト奴隷のゴミクズは元気でなくていい迅速にくたばぎにゃああァァァァァ!!」

 そんな風にブラシがけと中断のインターバルをしていたら第三者の声もとい悲鳴が周囲に
響き渡る。聞き覚えのある声。まあこんな山奥に訪ねてくる時点でもう誰か決まってるよう
なもんなんだが。

 声の聞こえた方向から考えるに。暇潰しにと一ヶ月かけてこれでもかと縦長く掘った落と
し穴に見事にボッシュートされたのだろう。これで何回目だあの馬鹿狐。っていうか位置変
えてないのに何でこうも毎回毎回見事に引っかかるのか。

「……スペックは高いのに、どうしてああも妙に残念なんだあのアフォックスは」
「くるるる゛る゛る゛」

 一方のユキミは来客があることに気付いてないのか、気付いているけどどうでもいいのか。
唸り声を上げていた。とりあえず尻尾が収まったので尻尾を手にとってブラシがけを再開す
る。空は快晴で、開けたこの場所には日光がさんさんと降り注いでいる。

 かくいう俺はユキミが密着してるから正直そろそろ暑いのだが一部とはいえ毛皮を持つこ
のオオカミは暑くないのだろうか。


 大体、今の俺の日常ってこんな感じ。
 山奥にひっそりと在る家で、変わり者のオオカミと一緒に生きている。










 四時間後。
 ブラッシングが終わったので様子を見に行ったら、落とし穴の底で洋装のキツネ少女が体
育座りですすり泣いていた。関わったらリアルに呪われそうなので放置したい衝動に駆られ
たが、放っておいてもどっち道呪われそうなので声をかけた。

 呪われなかったけど、狐火で焼かれた。

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