猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

シー・ユー・レイター・アリゲイター02

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集

RRRRRR... RRRRRR......


 『はいもしもし』
 『やあ、僕だよ』
 『なんだよ、昨日の今日じゃないか』
 『まあね。やっぱり、多少は気になっちゃってさ』
 『心配なら最初っから寄越さなきゃいいじゃねえか』
 『それでさ、昨晩はお楽しみでしたか?』
 『あん?』
 『お楽しみでしたか?』
 『残念だったなあ、エルヴィン。
  お前は、おれが飢えた獣のように、すーぐ手ェ出すとでも思ってたわけなんだな。
  ところがどっこい、別になーんにもしちゃいないぜ? 残念だったなあ。はっはっは』
 『お楽しみじゃなかったんだね』
 『そう言っている』
 『そっか。…………ふふ、ふふふははははは!』
 『電話口だぞ。あんま大声で笑うなって』
 『あははははごめんごめん!
  なーんだ、なんにもしてないの? もったいない!
  どうせ我慢できずにめちゃくちゃにしちゃってるところだと思ってたんだけどなあ!』
 『ウサギもかくやというスピードで学内の女子にほいほいちょっかいかけてたどこぞのプレイボーイ気取りとは違うんだよ』
 『そっかそっか! それでこそギュスターヴ!』
 『いや、意味わからん。
  ま、そういうの以外では精々こき使わせてもらうがな』
 『んっふふー、メイドを甘く見ない方がいいよ?』
 『どういう意味だよ』
 『そのうち、早ければ今日にもわかると思うな』
 『ああそうだ、あいつに代わるか?』
 『ううん、いいよ。もう切っちゃおうかと思ってたところだから。僕はもうご主人様でもなんでもないところだし』
 『ほんと勝手なやつだな……』
 『あ、手紙、見てくれた?』
 『さっきちょうど見たけど……、なにがあるんだ、一体』
 『できるだけ早いうちの方がいいよ』
 『わかるように話せって』
 『実際見てからのお楽しみ。
  ……それじゃ、ギュスターヴ、またね。アマネと仲良くね』
 『はいはい、またな』


 「ギュスターヴさん、お食事の支度が整いました」
 「おう、今行く」




   *   *   *








 第二話

  ハウ・キャン・アイ・ヘルプ・ユー?








   *   *   *


昏睡と覚醒の狭間というものは不思議だと、おれはしみじみ思う。

ぐっすりと眠っている中で、何かの折、わずかに目覚める。
そのときはしっかり起きたつもりであっても、後から考えると、全然起きてなんかいなくて、むしろ睡眠の範疇である。
かといって、意識なく眠っているかとというとそうでもなく、むしろ、正当な論理を捨てた脳みそが世界を支配するのである。
まっとうとはいえない思考、追随する行動、すっかり眠りこけてしまった方がよっぽど健全だ。

逆に、起きている状態から、次第に、眠りへと落ちていく。
この時も、当人が(少なくともおれが)思うのは「自分は覚醒している」ということであり、それは不思議なことだと思う。

前者の場合、昏睡→覚醒とステータスが変化する。
人間、あるいは人間を含む生物は、変化には敏感だ。
たった一点を除いて全く同一のイラストを二枚を、さっと一瞬のうちに取り換える。嫌でも目に付くのは変化したたった一点。
生物というものは動くものを目で追う習性がある。動きとはやはり、変化の一つと言えるだろう。

だのに、後者においては変化に注目されることはない。
ステータスの変化は覚醒→昏睡、変化が注視されるのであれば、自覚は「自分は眠っている」であるべきだ。
どうしてそうはならないのだろう。人間が本能を超える瞬間なのかもしれない。

 「…………んああ」

寝返りをひとつ。
ベッドサイドの時計へ手を伸ばす。朝だった。
時計は、普通の会社勤めであれば絶叫するような時刻を示している。
だがしかし、おれは慌てない。出社の義務から外れたところに生きているのだ。

朝のうちに目が覚めるなんて珍しい。珍しいが……、起きる必要はない。起きる気力もない。
ごろりと転がる。尻尾が重い。意識は再び夜の向こう側へ――――。


  コ ン、コン。


ドアを叩く軽い音がした。

 「おはようございます。朝食の準備ができましたので、お待ちしております」

身体を起こして、ベッドの縁に腰掛けた。扉を介する甘い声。

 「……おう、今行く」

失礼します、との言葉を置いて、足音が遠ざかっていく。
ここで初めて、自分が覚醒したことを実感した。
さっきも十分に目覚めていると思っていたが、あんなもん、まだまだ寝てるのと大して変わりなかっただろう。

とりあえず、ダイニングへ行こう。
扉を開ける寸前で、パンツ一丁なのはいくらなんでもまずいだろうことに気が付いた。



   *   *   *



食卓には十全に料理が並べられ、傍らにアマネが立っていた。

 「お飲み物は何がよろしいでしょうか?」
 「あー、コーヒーで」
 「お砂糖とミルクはいかがなさいますか?」
 「どっちもそれなりに」
 「かしこまりました」

椅子に座って、料理を見渡した。
ベーコンエッグと茹でたソーセージ、葉っぱのサラダと具だくさんのスープ。……それらが山盛り。
まともな朝食をとることがとても久々なので、少し感動してしまった。
そもそも朝起きていることの方が少ないし、万が一起きたとしても適当にヨーグルトか何かを食べる程度である。

これでも昔は恋人の一人や二人程度いたこともあり(無論同時にではない)、
女性というものはなぜだか、得てして料理を振る舞いたがるもので、手料理をご馳走になったこともある。
例えば、午前の講義が終わり、ああ腹減っただなんて思いながら、安い定食屋へ向かおうとしたところで、
遠くから、彼女がやってきて――、その手にはかわいらしい小さな包み、手作りの弁当が!
……そんな時、おれは苦悶の表情を隠すのに精一杯だった。
如何にバランス良く作られた食事であろうが、如何に凝ったかわいらしいおかずが並ぼうが、足りないのである。量が。圧倒的に。
しかしまあ、わざわざ作ってもらった身、さらに彼女が彼女なりに苦心した形跡も見られれば、そんな文句なんぞつけられるわけがあるまい。
できるだけゆっくり食べてごまかし、できるだけ満面の笑みで褒めちぎり、直近まで迫る飢えとの全面戦争に涙するのだった。

ところが、この自称“一流の”メイドさんは、おれの杞憂を遥か彼方に吹き飛ばしてくれやがったのである。
そもそも、買い出しに出たときの買い物量からもはや尋常ではなかった。
その結果の出揃った料理である。……ついうっかり、涙を流しながら抱きしめてしまうところだった。
さすがに、出会って数時間未満の奴にすることではないと思い、踏みとどまったが。

今、俺の前に立ち並ぶ皿は、一般人であれば、見るだけで満足しかねない量であった。
もちろんおれは、見るだけで満ち足りなどするわけもない。

 「いただきます」

コーヒーを受け取ったので、手を揃えた。
うちにはインスタントしかなかったはずだが、なんだかものすごく良いコーヒーのような味と香りがした。何が違うというのか。

 「次から、コーヒーはもっと薄くしてほしいな」
 「あ、濃かったですか。すみません」
 「いや、薄い方が好きなんだよ。ドブの水みたいにうっすいの」
 「食品に対してそういう表現はどうかと思います」

ベーコンはかりかりに焼けていた。こんがり焼け目がちょうどよく脂を吸っていてうまい。
上の目玉焼きも、つやのある白身にはぱりっとした透明な膜、突き破ればふんわりとなめらかである。
無粋な白い隔たりをそっとめくれば、中からどろぉっと熟れて蕩けた濃い黄色が流れ出す。
流れる脂と蕩ける黄身をぐちゃぐちゃに和える。一口。

 「うまーい!」
 「光栄です」

ゆるく、ふわりと彼女は口角を少し上げた。
アマネは、いつだって微笑みを絶やさない。初めて見たときから、ずっと、そうだった。
柔和で、甘やかな微笑を常に浮かべている。

 「口の周り、真っ黄色ですよ」
 「ん? んああ……」

ぺろりと舐めとる。何がおかしかったのか、アマネはくすくす笑っている。
見ているだけで心地よくなるような、そんな笑顔。

ふと、昨日のことを思い出す。




   *   *   *




 「おれに、協力して、ほしい」

アマネは、麻痺してしまったかのような顔をしていた。
膨れた唇が微妙に歪む。縦に、横に。声の出し方を忘れてしまったかのように。
細い首がかすかに揺れる。上に、下に。身体が麻痺して動けなくなってしまったかのように。
ただ、ブラウンの瞳だけは、おれを捉えて外さなかった。

 「なあに、別に言葉を教えてほしいわけじゃない。
  一応、あっちの言葉ならそこそこの種類、理解しているつもりだ。
  発音がわからないから、話すことこそないが、文章なら大抵は読めるからな」

そばを通ると、なんとなくいい匂いがした。

 「文化コードっていう概念がある」

本棚の本を指でなぞる。少し埃がついていた。

 「いざ説明しようとするとすごく難しいんだが……。
  例えば、……そうだな、お前たちニッポンのヒトは“儚く散るものこそ美しい”なんて感情があるらしいな。
  だが、残念なことに、おれたちはそうは思えない。“儚いもの”はイコールで“脆いもの、弱いもの”。……どちらかといえば、欠陥品なんだ。
  “四という数字は不吉なものである”、“弱いものいじめは悪いことだ”、“女は家事をするものである”、
  そういった、社会通念だとか暗黙のルールとかを、文化コードという概念で表することがある」

一息。
こいつがちゃんとわかったことを願うばかりだ。

 「文化コードを理解しないと、その国の文学も理解できない。
  『俺に毎朝味噌汁を作ってくれ』という表現がある。ニッポンにおける、プロポーズの言葉らしいが、合ってるよな」

アマネがこくりと頷いた。

 「だが、こっちのネコの国でそれを言ってみたところで、それはプロポーズにはならない。
  “朝、味噌汁を作る仲”=“懇意な間柄”というルール――文化コードがないからだ。
  似通ったところはあっても、言語も風土も国も技術体系も食べ物だって違う。文化が違う。文化コードが異なる。
  文化コードを理解しないと、文章を正しく把握できない。
  文法を正しく理解しても、単語の意味をつなげられても、文化コードですべてがおじゃんになる」

だから、と言葉をつなげる。
アマネが、笑みを湛えておれを見ている。

 「おれに、お前の培った、あっちの世界の知恵を見せてほしいんだ。
  別に、特別なことが必要なわけでもない。ただ普通に生活してくれればいい。
  お前は、向こうで生まれ育ったヒトなんだろう。エルヴィンに拾われて、そこで養われたなら、不幸な虐待も受けてない、はずだ。
  それならば、お前の中には必ず、あっちの世界のニッポンの文化が根付いている。
  それを、おれに見せてくれるだけでいいんだ。

  頼む。
  おれは今までいくつか、いや、いくつも落ちてきた文章を訳してきたが、正直言って、正しく訳しきれているのか、わからない。
  資料だけだと、文化コードの読み取りにもさすがに限界があってな、自信がないんだよ。
  ビジネスパートナーとしてのヒトなんて、もはやこの国じゃあそこまで珍しくもない。
  だから、頼む。おれに、協力してくれないか」

そこで初めて。
自分が頼むことに必死だったおれは、彼女の様子に気が付いた。




アマネが、困惑したように、眉尻を下げて微笑んでいた。

夢見るような柔らかい笑顔。甘美で、とろけるような笑顔。

彼女の微笑みは、すべて、おれに向けられていた。




 「申し訳ございません。恐らく、わたしでは力不足で、お手伝いできないと思われます」
 「な、どうして!」

――理解できない。

 「わたしは、こちら側に落ちてきて二年になります。今は三年目なのです。
  エルヴィン様に拾われて、それから二年間、メイドとしてご奉仕させていただきました。
  もう、十分に、こちら側の常識が、こちら側の文化が、この身この心に馴染んでいるのです。
  ですから、もう、昔のことなんて、向こうのことなんて、忘れて、しまいましたから」
 「そんなばかな話があるか! いいか、人間は自分で思っているほど簡単には経験から離れられな――」
 「わたしは、」

――なぜ。

 「人間ではなく、ヒトですわ、ギュスターヴさん」


――いつも、微笑んでいるのか。


 「ヒトは、順応する生き物です。
  こちら側で暮らしていくのならば、こちら側の言語に、風土に、国に技術体系に食べ物に慣れなくてはいけません。文化を身に着けなければなりません。
  ですから、わたしは、すっかりこちら側の、ネコの国の文化に浸りこみ、結果として――、もう、忘れてしまったのですよ」


なんて返事をしたのかは、よく覚えていない。
落胆の色を隠す余裕もなかったから、きっと、アマネは謝ったことだろう。
柔らかく、美しい、穏やかで、優しい、とろけそうで、甘やかな、
見る人すべてが好意的な印象を持つ、そんな――花のような微笑みで。



 「……………………」



二の句が継げない。忘れるはずがなかろう。
反論ができない。料理の献立も味付けも、文化だというのに。
言葉を返せない。無意識的に、絶対染み出てくるはずなんだ。特別なことじゃない。

言いたいことはたくさんあって、それはとても簡単なことであるはずなのに、どうしても、言えない。






俺は見た。見たんだ。
あの時、本を見せたときのあいつの顔を。






まずはじめに、何が何だかわからないという顔。
次に、信じられないという驚いた顔。
それから、まさかをひらめいた顔。
続いて、疑念が確信へと変わっていく顔。
最後に――、綻ぶ笑顔。




頬を染めて目を見開く。
意図せずに頬が上がる。
無くしたはずの探し物を見つけたような、笑顔。
まさに彼女のためだけの、満面の笑顔――。




   *   *   *




 「そういや、お前、いくつよ?」

朝食が終わり、食器を洗うアマネに問いかけてみる。
午前に活動ができるだなんてそうそうなかったことなので、正直、時間を持て余していた。
コーヒーを啜る。
ほとんど水の貧乏くさいコーヒーだが、若い頃から飲みなれているせいか、なんだか身体に馴染む気がする。

 「歳ですか? 今は十八ですよ」
 「じゅうはっ、が、ガキじゃねえか――――!!」

思わず叫んだ。コーヒーの飛沫が口の端から飛ぶ。
十八っていうと、ええと、こっちに換算するとどれくらいだろうか?
とりあえずおれの五分の一くらいではある。

 「確かにまだまだ子どもですけど、それでも一流のヒトメイドです。
  それに、ニッポンでは成人は二十とされていましたので、大人とそれほど大差はありませんから」
 「成人一歩手前って言ってもなあ、それ“イワトビ”もまだなんじゃねえの。んなもんガキだガキ!」
 「イワトビ?」
 「あーっと、おれの故郷のな、儀式、だな」

ざあ、っと水が音を立てて流れる。
確かに、顔は若いというよりも幼いが、立ち居振る舞いだとかがあまりにもしっかりしているから、そんな歳だとは思わなかった。

 「儀式? どういったものなんでしょうか?」
 「ま、普通に岩を跳ぶだけっつったらそれまでなんだが、一種のイニシエーションだ。
  岩と岩の間を、五メートルくらい飛び越える。できたら、一人前の男として認められる、みたいな」

本当はもっと複雑なのだが、わかりやすくそう説明する。

 「そういう、イニシエーションって、こちらでは一般的じゃないですよね」
 「確かに、ネコにはないな。あったとしても、大抵がただの祭りになってるだろうよ」
 「でも、ギュスターヴさんの地元にはあるんですよね。遠いんですか?」

故郷、か。
もはや、懐かしいを通り越して、記憶の彼方へ吹き飛びそうである。
だけど、消えない。身体に染みついた記憶は絶対に掻き消えなどしないのだ。

 「遠いな。遠い遠い西の方、いや、南かもしれないが、そこに未開の熱帯林があるんだよ。その端っこの方。
  国なんて大きなものでなく、爬虫類の集落が点在してるんだ。
  そのうちの一つに、ワニの集落があって、そこで生まれたんだよ。
  それから、家を出て――、いまじゃネコの国、だな」

ふと思い出す、無我夢中で家を飛び出したあの頃。
走って、歩いて、列車に乗って辿りついた――、恋い焦がれたネコの国。
そういや、そのときのおれも――“イワトビ”を終えたばかりだったかもしれない。
なんだ、おれだって、こいつと大して変わりなかったじゃないか。
喉の奥から笑いがこみ上げてきた。

むしろ、偉そうになんて言えないかもしれない。
“イワトビ”を終えた一人前の男であっても――、“アオバマキ”を終えた、立派な大人ではないからだ。
だがしかし、ここはネコの国だ。そんなこと気に病む必要はあるまい。



   *   *   *



とりあえず今日一日くらいは、アマネから目を離さないことに決めた。
一流一流と自分で言う奴に限って、二流であるかもしれないからだ。料理の腕に関してはそうでもなかったが。
なにより、なんだかんだ言って貴重な資料や、おれ直筆の原稿用紙だってある。
下手に扱われそうになったときに、止めてやる必要があるだろう。
というわけで、今日はまず居間をやっつけるというアマネを見守るため、おれも一日中そこにいることにした。



そしてそこで、おれはメイドをいうものの力を思い知る。



アマネはかいがいしく働いた。
あの小さな身体で、右へ左へ流麗に立ち回った。

颯爽と床を掃き、勇壮にゴミをまとめ、厳正に散らばったものを仕分けていく。
紙束の類、あるべき箇所へ帰すもの、明らかなゴミ、おれの指示を仰ぐべきもの。
そうして空いた床のスペースは、雑巾でもって綺麗にされていく。
脱ぎ散らかされた服はまとめて洗濯機の中へ吸い込まれる。
埃の乗った家具類も丁寧に磨かれ、もはや何年、十何年も見ていなかったような本来の姿を取り戻す。

 「ギュスターヴさん、埃が飛びますから、できれば違う部屋、書斎などへ――」
 「ほら、なんちゅうか……、見てなきゃ……、いけな……かったし……」
 「ご心配いただく必要はありませんよ。わたしは、一流のヒトメイドですから」
 「まったくもって……、その通りだな……、うん、一流だな……」


そして、掃除をしているというのに、時々おれにコーヒーを持ってくる。
そのタイミングがまた絶妙なのである。
かゆいところに手が届く、なんてものでなく、かゆくなる前には既に掻かれている、とでも言うべきなのだ。
注文通りの少し甘くて薄いコーヒーが渡され、口をつけて初めて、自分は喉が渇いていたことを知る。もはやそういうレベルである。
時には茶菓子のようなものが添えられていることまである。食べて初めて、口寂しかったことを知る。そんなレベルまで達している。

 「どうぞ」
 「ああ、ありがとう。……お前はコーヒー飲まないの?」
 「お心遣いありがとうございます。さっき、お水を一口飲みましたので、大丈夫です。
  お掃除もまだまだ終わりませんし、一息ついたら、いただこうと思います」


それにしても、よく働く奴である。
細い紐でひとつに括った長い髪が頭の後ろでぴょこぴょこと揺れている。
まめまめしく部屋中を歩き回り、額から汗の雫を垂らす。
顔を紅潮させて、時折、ふうと小さく息をつく。
おれに何かを差し入れるときは、ゆっくり深呼吸をして、ハンカチで顔を拭ってから、まるで何事もなかったかのように、平然とした顔でやってくる。
それからまた、メイド服の長いスカートを翻して、作業へと戻るのだ。

 「……なんでメイド服?
  あ、いや、おれが悪かった。メイドだからメイド服なのは当然だよな。でも、他になんか服ねえの?」
 「それこそ、下着と寝間着くらいしかないですね」
 「今度買ってこないとだよなあ。サイズいくつよ。ちょっと見せて」
 「そんな! わざわざ買っていただかなくてもこれがありますし――」
 「おれが困るんだよ!」


とうとう、おれの方に限界がやってきた。
なにせ、恥ずかしい話ではあるが、もう十何年も、女日照りを起こしていたのだ。
いくら目の前にいるのがヒトのメイドだとしても……、ちょっと、眩しすぎる。
ああ、なんと情けないことか。耐えきれなくなったおれは、買い物に出かけてやるのだった。
…………帰りに、本屋にも寄ろう。


   *   *   *


 「おかえりなさいませ」
 「ただい、ま」

扉を開けるとそこには誰かがいて、おれの帰りを待っている。
そんな事態は、やっぱり、どうしても慣れなかった。

 「ギュスターヴさん、お願いがあります」

アマネが自分から話しかけてくるのは、珍しいことである。
食事のときも、おれから話しかけてやらないとだんまりを貫いているし、それ以外も同様である。
結果、こいつから話しかけてくるのは、おれを呼ぶ必要があるときと、あいさつくらいのものであった。

 「……その前に、わたしを、正式に雇っていただける、ということでよろしいでしょうか。
  あちら側のことで、ご協力することはできないのですけれども……。
  それでも、一般的なメイド業務であれば、精一杯ご奉仕させていただきますので――」
 「ああ、雇う雇う。当面の間はうちで働いてもらうから」

そもそも、いくらお前が口でできないといったところで、できないわけがないのだ。
身体に染みついたルールは決して薄れることはない。確実にお前の中に存在している。
それを、少しだけ、一端だけでも、おれが盗めばいいだけなのである。
さらには、あれだけ献身的に働く姿を見てしまったら、いまさら手放すという選択肢など浮かんではこないし、それに――。
…………あいつに、示しがつかないじゃないか。

 「ありがとうございます。取るに足らない脆弱なヒトの力ではございますが、全身全霊をかけてお仕えいたします」
 「それで、何なんだ、お願いって」

頭を上げるときに、結った髪がぴょんと跳ね上がり、大変愉快なことになっている。

 「はい。わたしに、つけ耳と尻尾、それから、首輪をいただきたいのです。
  いつまでもギュスターヴさんに、使えるべき主人に、買い物に出てもらうわけにはまいりませんし、外に出れないと、洗濯物も干せませんわ。
  それでは一流のメイドとは言えません。
  ですから、わたしを長くご贔屓いただけるのでしたら、恐れ入りますが、つけ耳と尻尾、首輪の三つをくださいませんか?」

確かに、耳やら尻尾やらつけてしまえば、そう簡単にはヒトだと見破れないだろう。
だが、ひとつ問題がある。

 「そうだな。確かに、いつまでもお前をうちに閉じ込めておくわけにもいくまい。
  気晴らしに外に出たくなるときだってあるだろうしなあ。
  気晴らしなのに、ヒトだなんてそれだけのことで、変に緊張するのも嫌だろ。
  必要なら買ってやるさ。ま、値段にもよると言ってしまえばそれまでなんだがな。
  だけど、……そんなもん、どこで買えるんだ?」
 「あ、その、すみません、存じません」
 「だよなあ。おれも知らない。ま、探すしかないだろうな」
 「お手数おかけして申し訳ありません」

それと、と続ける。

 「お手紙があります」
 「なんだ、郵便きたのか」
 「いえ、それが……、わたしの荷物の中に紛れていまして」

フリルのついたエプロンのポケットから、白い封筒が取り出された。
切手も消印も何もなく、表に書いてあるのは「ギュスターヴへ」の文字のみ。ご丁寧に蝋で封がされている。
縦長の几帳面な字には見覚えがある。

 「エルヴィン、お前はいったい何をやっているんだ」

普通、女の荷物の中に手紙を忍ばすかね?

遠慮なくびりびりと縁を破る。中に入っていたのは一枚の紙だった。
どうやら手書きの地図らしい。列車に乗って三十分ほどの繁華街の駅と、そこからの道順が記されている。
ただし、辿りついた先に何があるのかは、書かれていない。

 「まったく、ちゃんとわかるようにしれくれよ……」
 「それでは、もうすぐ料理ができますから、そろそろお食事にしましょう。もうしばらくお待ちください」

アマネがくるりと後ろを向く。ふわりとスカートが膨らむ。
家の中は、なんだか、いい匂いに包まれている気がする。



   *   *   *



ささやかな自慢として、うちには広い風呂がある、というものがある。
おれがゆったり浴槽に浸かるためには、やはりそれなりの広さが必要となるのだ。
風呂はいい。体温が上がるとテンションも上がる。気分が良くなる。幸せになる。
実際、アマネも気に入っているようであって、

 「もう一個別に小さめの浴室があったりしませんよね?」
 「他にシャワールームがあったりなどもしませんよね?」
 「わたしも、この広いお風呂を使うしかないですよね?」

と頻りに確認しては、軽やかな足取り(掃除をしている時も軽快に動きまわっていたが、それをも遥かにしのぐ軽やかさだ)でもって風呂に向かい、
たっぷり時間をかけて、湯気を上げながら出てくるのである。音符マークが頭上に浮かんで見えるような気すらする。

 「お前、風呂好きなんだな」

ちょうどよく湯上りでほかほかになったアマネに聞いてみる。
髪を下しているし、メイド服ではなくてラフなシャツとショートパンツであるから、昼間とは全然印象を受ける。
メイド服が多少ゆったりしているせいで見えなかったが、想像以上に細くて小さいことを思い知る。
すらりと伸びた足なんかは健康的できれいだし、袖の先の腕もしなやかである。
だがしかし、胴回りが圧倒的に細い。ちゃんと食べているのか心配になってしまう。
そして、なんというか、ものすごくダサい。色気もへったくれもあったものではない。
ただのシャツと短パンのはずなのにどうしてここまでセンスなく見えるのか問い詰めたくなる。
余談だが、昨日は風呂上りにも長い丈のメイド服を着ていて、それがまたものすごく暑そうだったので「着替えれば?」と言ったらば、お言葉に甘えられてしまったのだった。
まあ別におれは一向にかまわないし。

 「ええ、好きな方だとは思います、けれど、どうしてですか?」
 「すごく楽しそうに風呂に行くし、すごく嬉しそうに出てくるから」
 「お、お見苦しいところを申し訳ありません……!」
 「別にそこまで謝るほどでも……」

むしろその服の方が見苦しいわ。若い娘がシャツの裾をしまうな。さすがにシャツインは見てるほうが辛くなるからやめて。

 「その、お屋敷にいたころはお風呂がなかったもので」
 「え、汚くないかそれ」
 「シャワールームがありまして、そこで済ませることになっておりました。
  バスタブがなかったので、お湯に浸かれるのがどうにも嬉しくなってしまって……、明日からは気を付けます」
 「いやいやいやいや、気をつけるって何をどう気をつけるってんだおい」

先にその服こそ気をつけるべきだろ。お前そのシャツ古代語で「だし汁」ってでっかく書いてあるの知ってるかおい。なぜ古代語で書いた。

 「風呂が楽しいのは仕方ない。おれも大好きだ」
 「疲れがお湯に染みだしていくようで、とても気持ちがいいですよね」
 「腹にもやさしいしな」
 「おなか?」
 「体温あげないと消化できないから」
 「爬虫類って、大変ですね……」

心配するような目をされたが、心配したいのはこっちである。上下ともにひよこ色をしているのもエグい。意味が分からない。

 「まあな。だからわざわざ風呂だけは改築までしてやったさ」
 「ええと、ずっと疑問だったのですけれど、よろしいですか?」

おれもお前の服について疑問でいっぱいです。そんな服、いったいどこで買えるんですか。

 「こんなに立派な家をお持ちだなんて、すごいですね。今日一日お掃除させていただきまして、改めてそう思いました。
  その、もしかして、……翻訳って、収入が良いんですか?」
 「…………いや、全然売れない」
 「あっ。……も、申し訳ありません」
 「翻訳のほうはな、人気がない。そもそも向こうの文学って時点で全然読まれないみたいでな」

それが、おれはものすごく悲しいことである。
むこうの本は、こちらのものとも匹敵するほど、――いや、超えるほどに、おもしろいのに。

 「でもまあ、……副業小説家って言ったろ」
 「はい。エルヴィン様にもそう伺っておりました」
 「自分で言うのもみっともないが、小説の方はかなりの売れっ子だったりするんでな」

訳本を出版してもらえないかと交渉に行った出版社で、訳じゃなくて小説を書かないかと誘われたことがあった。
いずれ翻訳の方も出版してもらえるかもしれないし、それなりに名が通った社でもあったので、二つ返事で了承した。
それから、いくつか紙面埋めでささやかな連載小説やらを書き、短編で小説を書き、世に出してもらった。
しばらくたって、ある時突然、なんか賞をいただき、各所でフィーチャーされ、売れた。
何本か映画やドラマになっていたりもするし、本屋でコーナーとして平積みされていたこともある。
恐らく、作家としておれの名前を出せば、けっこうな人間が聞いたことがあるのではないだろうか。
そう言ったら、アマネはとても驚いていた。

 「でも、小説の方で人気があるのでしたら、翻訳の方もそうなるものではありませんか?」
 「不思議なことにな、そうじゃないんだ。きっとネコなんてそんなもんなんだよ。
  ……だからエルヴィンのやつに嫌味なこと言われんだ」

おれが翻訳をしてると知っておきながら、小説家とだけ紹介するなんて、まったくもって嫌味な奴である。
……けっこう気にしてるの知ってるくせに。ぶっちゃけ、今では収入のほとんどが小説方面の活動なこと。

 「ああそれに、買ったときは相当安かったんだよ、この家」
 「なるほど、だからお買いになったのですね」
 「まあ、それもあるけど……。半分くらいは、騙されたんだ――」

きょとんとした顔をされたので、聞かれてもいないのに説明をしだす。



我が家の位置するネコの国郊外は、今でこそ、どこにでも行きやすい土地として人気である。
列車を使えば三十分ほどで繁華街にもいけるし、逆にまた、馬車で三十分ほど揺られれば森林浴やら渓流下りも楽しめる。
つまり、だいたいめぼしいものの間に位置するスポットなのである。

しかし、この家を買った当初は、列車など走っていなかった。
それは要するに、栄えた場所から遠く離れた不便な土地である、ということを意味する。
本来、おれの城は、土地に物を言わせて大きく建てただけで、買い手のつかない不良物件だったのである。

 「だけど、買った当初のおれは、書いた本が当たって、舞い上がっててな――」

クニを捨ててこの国にきてから、ずっとおれは貧乏生活をしていた。
大学に通うためにわざわざ出てきたのだ、もちろん大学には行く。そのためには学費もかかる。生活費だって自分で工面せにゃならない。
結果として、勉強とバイトばかりしていた。
毛ではなくて鱗だったおかげで飲食店でも働けたのは僥倖だったし、体力と腕力にも自信はあったから肉体労働もできた。
それでも、水と塩だけで暮らさねばならないことも、魔洸も水道も料金が払えなくて供給が断たれたことすらもあった。

それがある時突然、本が売れて、手元に金が溜まるようになった。
けれど、おれはその金の使い方を知らなかったのだ。
肉屋でコロッケを買うのすら贅沢な楽しみだった男だ、いざ自由にできる金が多少できようとも、どうやって使えばいいのか皆目見当がつかなかったのだ。
そのまま、ブームが起こり、流行的に本が売れていく。また印税が入る。結局使えない。
また、みるみる溜まっていくのは、金だけではなかったのだ。

 「でな、ぼうっと道を歩いていたら、不動産屋に声をかけられてよ――」

つい、話を聞いてしまった。郊外の物件、4LDK庭付き平屋一戸建て。
聞けば聞くほど魅力的に思えてくる。
多少打ち合わせがしづらくなるのは問題だが、一般的な会社勤めよりかはよっぽどましだ。
このまま波に乗れれば、バイトをやめても十分に食っていけるだろう。
風呂について文句をつければなんと、改築も斡旋してくれるときた。
そして何よりも、溜まっていたのだ、――欲求が。
溜まった金を使ってみたい、という通帳の数字につれて湧いた、沸き上がった欲求に、歯止めがきかなくて、それで――。



 「お買い上げ、というわけだ」
 「なるほど。ご説明ありがとうございます」
 「ま、最初こそ不便で、騙された! と思ったがな、今じゃあ相当快適だよ、ここも。商店街も近くにあるし、駅からも遠くないし。
  なんだかんだで線路が通ってからはそれなりに便利だし、まさに鉄道サマサマだ」
 「ここが栄えた要因の一つには、ギュスターヴさんも関係しているかもしれませんよ」
 「なんでそう思う?」
 「だって、人気の作家が住んでいる町となれば、少しは注目されてもおかしくない、でしょう?」

ああなんだ、そういうことか。

 「それなら関係ねえよ。だって、町の人は、おれが作家だって知らないから。
  自分からは絶対言わないし、聞かれたら否定するようにしてるんだよ。
  だから、町のやつらから見れば、おれはろくな仕事もしてないくせにこんな家に住んでるいけすかない奴ってことになるだろうな」

アマネがえっ、と息を漏らす。

 「何か理由があるのですよね?」
 「まあな。……あんまり、イメージ崩したくないから」
 「それは、作者の? それとも、作品の?」
 「作品、かな。編集の人にも良く言われるんだ。“まさかお前みたいなやつが、こんなものを書くようには到底思えない”ってさ。
  確かに、おれ自身もそう思う。きっと、読んでくれた人たちもそう思うだろうよ。
  お前は読んでないからわからんだろうが、作者がこんなワニですー、なんて公表してみろ、きっとみんな幻滅するに決まってる。
  ……それじゃ、本がかわいそうだ。せっかく書かれたのに、全然関係ないところで嫌われるなんて」

別に自虐でも自嘲でもなんでもなく、素直な本心だ。
ここネコの国にワニなんてほとんどいないだろう。好奇の目線を浴びるのも、外見で怖がられるのも、もう慣れた。
おれが変に出張るより、それぞれに好き勝手な作者像を描いてくれた方が、きっと本は売れる。
その方が金になるからおれは嬉しい。きっと、本も嬉しい。

 「そんなことありません。
  そもそも、作者がどうあろうと、作品に影響を及ぼすことはないとわたしは思います。
  例外なんて、同作者の作品を探すとき、くらいのものです。作者が同じだとわかれば、作品にも期待が寄せられますから。
  ……それから、どうか怒らないでくださいね――」


ギュスターヴさんは、とても素敵な方だと思いますよ。そう続いた。


 「……おかしなことを言う奴だな。どうしてそう思う? おれが“素敵”だってわかったんだ? まだ1日しか経ってないのに」
 「今は錯覚かもしれません。けれど、いつかきっと絶対そう思えるようになります」

怯むことなく、アマネはゆるく、ふわりと笑ってみせた。
おれは、ひよこ色をして古代語で「だし汁」と書かれたTシャツと同じくひよこ色をした短パンのセンスのなさと、
さらにそれらをシャツインで着こなす破壊力のエグさに怯んでいた。



   *   *   *



ようやくひよこ色にも見慣れた、というよりも何か守るべき一線をなくしてしまったというか、諦観に支配されてしまった頃のことだ。
アマネがなにやら、紙束を前にして果敢に戦いを繰り広げていた。

 「何やってんだ、それ」
 「はい、書類の整理をしております」

見れば、酷く見覚えのある字が書いてあり、どうやら、おれの書いた字であった。
紙も、チラシの裏やらまっさらな紙もあるが、大概が原稿用紙である。

 「なんだそりゃ」
 「昼間、お掃除のときにまとめたものです。せっかくお書きになったものですし、しっかりと整理しておこうと思いまして」

確かにこいつは昼間、部屋に散らばったものを集めて仕分けていたようだが、さらにまた種類別に分けようというのだ。
というよりも、風呂だって入ったのに、まだこいつは働く気なのか。

 「ふうん。まめだな。それもメイドの仕事?」

何の気もなしに放ったセリフには、想像だにしない言葉が返ってくる。



 「……いえ、きっとメイドの仕事には当てはまらないでしょうね。越権かもしれません」



手が止まり、紙に目を落とす。


 「ですが、…………昨日、ギュスターヴさんは言ってくださいました。  
  “ビジネスパートナーになってほしい”って。


  申し訳ないことに、本来果たすべき役割は、わたしにはできません。
  できませんが、こんな、秘書じみたことでもよければ、――お役に立ちたいんです。
  代わりになんて、とてもとてもならないでしょうが、それでも」

目線は紙に向けたまま、訥々と語った。
ぺり、と紙をめくった音が響く。持ち上げたのをどかし、次の紙にとりかかる。

 「いや、助かるぜ。ありがとな」
 「勝手なことをして、すみません」

ぺらり、まためくる。

 「お前、字、読めるんだな?」
 「はい、文法は大抵大丈夫です。けれど、単語はまだけっこう不安なところがあります」
 「ま、それなら平気だろ」

ふと思いついたことがあるのだ。おれは、昨日と同じように書斎へ向かい、本を一冊持ってくる。

 「ほれ」
 「これは?」
 「仕事だ」


渡した本は、昨日も見せた――。


 「それ、ちゃんと最後まで読むこと。それから、感想を要求する。原稿用紙一枚以上。
  期限は、……そうだな、一週間だ。わからない言葉があったら遠慮なく聞くこと。わかったか」


 「――ギュスターヴさんがお書きになったもの、ですね」

――おれの本。


 「ああそうだ、おれの本だ。うちで働くからにはな、一応読んでもらわないと困る。
  たぶん、一週間もあれば十分読めるだろうよ。それでも、優先度は高いと思え」


喜べよ、記念すべき初仕事だぞ。ビジネスパートナーとしての、だ。





アマネは、笑っていた。


 「ふふ、まるで、宿題ですね。ふふふ」


そう言って、彼女は笑った。
くすくすと上品に声を出して。指先まですらりと揃えた手を口元に添えて。
彼女は笑った。

――正直に言って、その瞬間、おれは彼女に見惚れてしまった。
それぐらい、彼女が美しく見えたのだ。

そして、その美しさは、“花”の美しさであった。
虫たちが恋い焦がれる色をまとう美しさ。
人間の目に留まるべくした美しさ。
彼女の笑顔は、“誰かに見せるため”、美しかった。
おれや、おれだけではない人間たちに見初められるため、美しくなければならないから、美しく笑った、ように見えた。

……たとえ、こいつがみっともなく笑ったとして、おれは、彼女を捨てるのだろうか。



アマネは、くすくす、おかしそうに笑っていた。



(どうでもいいか、そんなこと。それよりも何よりも、明日のメシが楽しみだ)




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