猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

シー・ユー・レイター・アリゲイター01

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だれでも歓迎! 編集

  


RRRRRR... RRRRRR......


 『はいもしもし』
 『やあ、僕だけど、元気?』
 『まったく、どちら様が何様のつもりだ』
 『なあに? まさか、わざわざ、僕と君の友情の間にイチイチ名乗りが必要だとでも?』
 『電話をかけたらまず名乗る。ご両親には教わらなかったか?』
 『ははっ、生憎と父に教わったのは帝王学くらいのもんでね』
 『これだから貴族サマは!』
 『ああでも、メアリには言われた気がするかも』
 『誰だよそれ』
 『乳母、かな。何度か話したこともあると思うな』
 『乳母、ねえ。乳母。乳母! これだから貴族サマは!
  ていうか、教わってるだろ。ほら、ちゃんと名乗る名乗る!! 最初っからやり直すぞ。
  はいもしもし』
 『ああでもね、メアリが言うには、
  “電話に出たらまずもしもし、その次に自分から名乗って、最後にどなたか尋ねなさい”
  だってさ』
 『……………………』



   *   *   *



RRRRRR... RRRRRR......


 『……はいもしもし。ギュスターヴですが、どちら様ですかね?』
 『やあ、もしもし。僕だよ、エルヴィン。元気?』
 『ああお前か。元気かどうかわざわざ聞くほど、時間が経ってるわけでもなかろうに』
 『ま、社交辞令だからね、大目に見てちょうだいな』
 『いっつも思うんだがな、一応お前だって、貴族なんだろ。
  庶民にほいほい電話なんざかけていいもんかね。貴族の風格、落ちるぞ』
 『ただでさえ没落貴族の上に、家なんて継げない継がない放蕩五男坊だよ?
  誰もそんなこと気にしないってば』
 『そうかい、自称没落貴族サマ。
  それにしても頻りに電話ばっかりかけてきやがって。お前、他に友達いないの?』
 『友達いなくてさみしいのは君だろ、ギュスターヴ』
 『じゃあそんなさみしいおれと今度呑みにでも行こうぜ』
 『ああいいね待ってました! えー、えー、いつがいい? どこがいい? 他に誰か誘う?』
 『いきなりテンションあがるとか気持ち悪い奴だな……』


(その後しばらく続く与太話の後、)


 『ああ、ああ! 忘れてた! そういやギュスターヴ、君に用があったんだよ!!』
 『はあ? 今更? 別に放っておいてもほいほい電話かけてくるくせに』
 『お誕生日、おめでとう!!』
 『おう、ありがとう。……まだだけどな』
 『もうすぐだよね? 今年でいくつになったんだっけ?』
 『歳なんか、そんな重要じゃないだろ、忘れちまったよ』
 『だーめーだーよー! そういうのちゃんと覚えておかないと』
 『九十代ではあるんだがなあ』
 『というわけでギュスターヴ、君にプレゼントがあるんだ』
 『げえっ』
 『ははは、そんなに嬉しいかこの野郎』
 『いい歳した男どうしなのにプレゼントとか、キモっ。キモっ!』
 『えー、別にいいじゃん。
  とにかくさ、プレゼント、届けに上がるからね、来週末、出かけないでくれよ』
 『なにそれ。まさか、ウチくんの?』
 『うん、運ぶのもけっこう手間だから、直接行くよ』
 『いいって別に。そもそもプレゼントなんていらないし』
 『じゃあ来週末だから。おとなしく雁首揃えて待っててね?』


 「いやだから別に、……っておい! ちくしょう、切りやがったな、ちくしょうめ!!」




   *   *   *








 第一話

  ハロー メイ・アイ・スピーク・トゥー・ゲイター、プリーズ?








   *   *   *


その日、ネコの国の某地方都市は朝から、なんだか雲の陰った一日でありました。
けれども、雨が降りそうな模様では決してなく、ただ曇っているだけ。そんな空をしていました。
昼を過ぎても、空は光を落とさず、いつまでだって塞ぎ込んでいました。

どんより曇天の中を、馬車がことこと、軽快な音を立てて歩いていきます。
道行く人々が、ちらちらと振り返ったり振り返らなかったりして、目で追います。
それもそのはず、街中を歩く馬車は、まったく街中にそぐわない、華美で豪奢な装丁がなされているのですから。
つやめき白く光りを返す黒の車体、まぶしく映える緋色の幌、あしらわれた金細工、曳くは純白の獣。
ただでさえ地方都市、さらにその中心からも外れた市街には、有り余るほどの豪華がそこにありました。

ことこと、ことこと、車は進み、商店街を抜けた住宅地、とある一件の平屋の前で足を止めました。
御者が、すばやい身のこなしで馬車から降り、車体の扉を開きます。

降りたのは、ネコの男性。
ふわふわと柔らかく、しかし厚くないよう上品に揃えられた灰色の毛並に並ぶ、黒い縞模様。
顔つきも凛々しく長身痩躯、眉目秀麗と呼んでまるで差支えなく感じられます。
ダークグレーのスーツは、見るからに仕立てのよく、高級な品です。
左手に黒い傘を持ち、庶民であれば、格の違いというものをまざまざと見せつけられてしまうかもしれません。

男性は、見た目にそぐわず、ぴょいと音でもつきそうなほど軽く、飛び降りました。
御者がむっと彼を睨み、彼は舌を出してにやりと笑います。

先導せんとする御者を右手で軽く制し、単身、平屋へ向かいます。
こんこんとドアをノック、

 「もしもし! エルヴィンだよ! ギュスターヴかい?」

大声で呼びかけます。
その大声ですら、曇りのないテノール、美しいものでありました。

 「それは、電話での話だろうが……」

地を這うように迫りくるバスと共に出てきたのは、頭二つも三つも彼より大きな男。
深緑色のごつごつした鱗、長く伸びて開かれた大きな口、鋭く走る眼光、なんとも厳つい顔をしています。
背が高いだけでなく、横幅も広く、さらにそれは鋼のような筋肉であり、大男以外、なんと表せば良いのでしょう。
少し足が短く胴が長いようでもあり、非常に太く地を擦る尾を持つ、その人は――ワニ男でした。

 「やあ、ギュスターヴ。いつ見てもでかいね!」
 「しょっちゅうかかってくる電話のせいで全然そんな気はしないんだが、会うのは久々だな、エルヴィン」
 「そうだね。何年だろう? 十年は経ってるはずかな?」
 「雨、降りそうか?」
 「え、なんで?」
 「傘」
 「傘?」
 「雨だから持ってるんじゃないのか?」
 「何言ってんの? 傘なんて差さないよ」
 「雨が降った時に差すものが傘に決まってるだろ」
 「雨が降ったら車に乗るに決まってるでしょ?」
 「変な奴」
 「え、僕が変なの? おかしいなあ」

くすり、手を添えて笑うネコ。

 「懐かしいね! 見た目こそだいぶ老けたけど、所作やらなんやら、学生時代と変わりないんだから!」
 「懐かしいとはいえ、あんまり来てほしくはなかったが……、まあ、上がってけよ」

ワニ男は扉を開けて、一歩身を引きます。けれども、ネコは優雅に首を傾げ、答えました。

 「いいんだいいんだ、渡したら、すぐに帰っちゃうから」
 「はあ? なにそれ? どういうこと?」
 「僕から君へのバースデイ・プレゼントだ。
  ……受け取って、くれるね?」
 「いや、そんなこと言われても、ぶっちゃけいらんし」
 「受け取ってくれ」
 「いや、さあ」
 「受け取る、ってただ言えばいいんだ」
 「どうせ、どんなにおれがいらないって言っても、勝手に押しつけていくくせに」
 「じゃあ、受け取ってくれる?」
 「ああもうはいはい、受け取る、受け取ります、ありがたく頂戴させていただきますよ!」

それを聞いて、ネコはぱちりと指を鳴らしました。
くるりと振り返る顔は、喜色満面、目いっぱいの笑顔。

 「良かった! じゃあ今度こそ、僕から君への、バースデイ・プレゼント、だ!!」

御者が馬車の扉を開けます。
開けられた扉をくぐり、“わたしは、”そっと地面へと降り立ちます。
二人の視線が、“わたしに”集められます。
ワニ男はもはや無表情にすら見える、「あがァ」の声と共に、あんぐりと口と開けた間抜け顔。
ネコ、”わたしの”現ご主人様は、満ち満ち溢れんばかりの笑顔。
……けれどもその笑顔の目には、涙が浮かんでいるような気さえして。

静かに前へ、扉へと歩いていきます。
ご主人様の後ろにつくと、ご主人様はさっと後ろに回り、両肩に手を当て、ぐっと全面へ”わたしを”押し出します。





 「はじめまして、旦那様。わたくし、アマネ、と申します。これから、よろしくお願いいたします」

 「プレゼントだ、ギュスターヴ。
  ヒトの娘だけど、うちで鍛えられた立派なメイドだ。大事にしてやってくれよ」




身にまとうのは、黒いエプロンドレス。メイド服。
深々と頭を下げ、精一杯愛想よく、にっこり微笑んで見せます。



思えば、ここから、“わたし”――アマネの物語がはじまったのです。






   *   *   *



 「あのねえ、ギュスターヴ。僕もう帰りたいんだけど」
 「帰すか! 誰がお前単独で帰すか! 返したいのはこっちの方だ!」
 「それねえ、ジョーク? おもしろくないってば。わかりづらいもん」
 「ほんとまじで……、帰るならこいつも連れて、まとめて帰れええええっ……!!」

その後。
まず、すぐに正気に戻ったワニ、ギュスターヴ様が、ご主人様とわたしを家の中に押し込みました。
御者様が慌てて駆けつけますが、ご主人様の一言「ちょっと話つけてくるから待ってて」に引き下がらざるを得なくなり、
結局、ご主人様とギュスターヴ様とで、話し合いがはじまりました。

 「だから、嫌だったんだよ! お前が寄越すものはいつだってろくでもねえんだ!
  いらんいらん、ヒトなんて絶対いらん!! ほんとまじでそっくりそのまま帰れ!!」
 「なんだよ嘘つき。さっき“受け取る”なんて言ったのはどこのどいつだよ。
  僕はこの耳で、君が言ったのを、ちゃあんと聞いてるんだからね。従ってもらうよ」

深くソファーに腰掛けゆったり優雅に足を組むご主人様。
浅くソファーに腰掛け足を広げて腕を組んだギュスターヴ様。
話し合いは「受け取れ」「受け取らない」の平行線をたどるばっかりで、収まる様子もありません。

 「おれは貴族サマとは違う! メイドもヒトも必要ないの!」
 「よく言うよ。
  男の一人暮らし。とりあえず今日は、僕が来るからか、片付いてるようだが、普段はそうでもないんだろう?
  知ってるよ。学生時代の君のアパート、それからそこの散らかりよう!」
 「学生時代ィ? 何年前だと思ってんだ!
  おれだって一人暮らし長えし、家の管理ぐらいできるようになってるに決まってんだろ!」
 「三つ子の魂百まで、とも言うんじゃなかった?
  ま、よしんば、掃除ができたとしても、料理、昔っから得意じゃあなかったよねえ。
  ありあわせでものを作るのが苦手で、気が付けば毎日おんなじものばっかり食べてた、んだっけ?」
 「そりゃあ、あの時のおれは貴族サマと違って貧乏学生だったからな、否が応でも自炊せにゃならんかったが、
  今やこちとら一発当ててんだよ! メシくらいどこへなりとも食いに行けるわ!」
 「せっかくダイニングのある家なんだから活用しようよ……。
  というのはおいといてもね、さっき君、一人暮らし長いって言ったよね。
  いい人の一人くらい、いないの?」
 「あーあーあー悪かったなッ! どうせおれはお前と違ってモテねえよ!!」

ご主人はくすりと笑い、しなやかに、ギュスターヴ様の耳元へ。
そして、指の長い手を添え、そっと囁きます。



 「溜 ま っ て る んじゃないのかい?」


ぴくりと動く首、顰められた顔。


 「なんてったって、ヒト、だよ? しかも女、だ。
  何してもいい、何だってできる、何でもしてくれる。


  ……何だって、できるんだよ?」
 「てめえッ!」

ギュスターヴ様がご主人様を睨みつけ、ご主人様は翻るように、くるりと立ち上がります。

 「ごめん。ごめんね! そういや君は、昔っから、そういうの好きじゃなかったね!」
 「なら、最初っから言うな!」
 「だから、ごめんってば!
  ……でもね、ギュスターヴ。まだ、メイドもヒトもいらないって言える?
  幸い、部屋なんて余ってるじゃない。一発当たった一人暮らし、お金だってあるんでしょう」
 「……おれが、孤児とか拾ってて、部屋も目いっぱい使ってるかもしれないだろ」
 「うわっ、ありそう! 君は昔っから、顔は怖くて身体はでかい、ごつくて厳めしい大男。
  そのくせ、子供が好きな博愛主義者なんだもんね。行き倒れの子供とか、二人くらいは拾ってそう。
  そしたらさ、その子、紹介してくれないかな」
 「……すまん、さすがに拾ってない」
 「ついでに、嘘なんて到底つけない正直者、そんなところも変わらないねえ」

勢いよくソファーに飛び込んで、背もたれに手を這わせるご主人様。
足に腕を置き、指を組むギュスターヴ様。

 「それからね、たぶん、一番君が喜びそうなことなんだけど」
 「微妙に嫌な予感しかしないんだが」
 「ねえアマネ。君、落ちる前には、どこにいたんだっけか?」

突然話を振られて、少しだけ動揺します。
が、それは決して悟られぬよう、努めて平静に、わたしは答えます。

 「ニッポン、という国におりました。
  具体的には、ニッポン国の首都、トーキョーという都市にある、郊外の町です」
 「ニ、ニッポン!?」

わたしの過去なんて、なんの意味があるというのでしょう?
甚だ疑問ではあったのですが、予想外に大きなリアクションがありました。

 「そ。アマネはね、落ちモノの、立派な天然ヒトだ。すごいでしょう?
  落ちてきたのを僕が直々に拾って、うちで教育したやつだから、目に見える傷はまったくないよ。そういう趣味はないからね。
  だから、ね? 受け取ってよ」
 「……な、何が“だから”だ。いらないものはいらない!!」
 「もう、強情だなあ、ギュスターヴ。
  ここまで押せば、さすがの君でも折れて、もらってくれると思ってたんだけど」
 「友人相手に作戦まで立ててくるとはひっでえ奴。
  だが、悪かったな、エルヴィン。そうそう負けてなんてやるもんかよ」
 「親友だと思ってるからこそ、ばっちり計画に嵌めてやらないと、君には勝てないって知ってるんだよ」

きゅっと首を捻り、ご主人様の黄色い瞳がわたしの方へ。

 「ほら、アマネ。こいつが君の新しい主人になるかならないかの瀬戸際なんだから、
  そんな突っ立って、掃除すべき所を探してなんかいないで、自分を売り込みなさいな。
  掃除すべきところなんてありすぎてありふれてて、逐一探し出したらキリもないよ」
 「平然と人んち汚いって言うのやめてくれない? お前んちと比べたら、どこだってごみ捨て場だよ!」
 「申し訳ございません、ご主人様。
  ええと、旦那様。雑巾とゴミ袋をいただけませんか?」
 「いやいやいやいや、デモンストレーションは確かに有用だよ、だけどね? 先にさ、一応言葉で説明しようよ!」

気を取り直して。

 「わたくし、アマネは、ヒトでこそありますが、
  炊事・洗濯に始まる家事労働、掃除・買い出しまでの家政はもちろん、
  保育や介護に至る養護、書類や帳簿などの庶務、ありとあらゆる方面でご主人様をお支えする、“ 一 流 の ”メイドでございます。
  ご主人様の友人にも恋人にも家族にも、敵にも悪魔にもなれませんが、
  ただ、ご主人様の味方にはなれる、“一流の”ヒトメイドでございます。
  どうか、わたしを旦那様のメイドにしてくださいませ」
 「まあはじめてにしては良いセールストークなんじゃない? でもさ、まだもうちょっと、できることあるよね?」
 「もちろん、わたしは弱いヒトで、さらに脆弱なメスでありますから、お望みとあらば、ご主人様の情欲や暴力衝動を満たすことも、」

ギュスターヴ様の指がぽきりと音を立て、鬼のような形相でご主人様を睨みつけました。
ご主人様は慌てて、わたしに向き直ります。

 「違う違う、違うって。いやまあ間違ってはいないけどもね、ほら、ギュスターヴの目が怖いから。あんまりそういうこと言わないで。
  それよりもほら、ニッポン、ニッポンだよ」
 「ニッポン? ええと、わたしは、確かに、落ちて、まいりましたから……。
  そう、あちら側の世界の話も、できると思います。
  それから……、ニホン語の読み書きと、わずかばかり、英語の読み書きと、こちらの国の言葉も、少しならば」
 「それ! そうだよそれそれ!」

ご主人様がほっと胸を撫で下ろし、ギュスターヴ様は、――わたしをじっと見つめていらっしゃいました。
とび色をした目、黒い瞳が鋭く、縦長に走っております。爬虫類の、鋭い目でした。
わたしは微笑み返してみせました。

 「ね? どう? 欲しくなってこない?」
 「来――――ない」
 「口ではなんと言っても身体は正直なったりしてこない?」
 「こない!!」
 「ぐぬぬぬぬぬ、手強いぞー」

口ではそう言っても、どことなく楽しそうなご主人様。
あまり、言いたくはなかったのですが、無難な結論を提唱してみることにします。

 「あの、すみません」
 「なあに、どうした?」
 「ご主人様はわたしを手放したくて、旦那様はわたしが不要であるのであれば、
  わたしを、別のところに売ってしまえばよいのではないでしょうか」
 「うんうんうん」
 「残念ながらメスですから、多少値は落ちてしまいますが、それでも、悪い額にはならないと思います。
  もし、売るのに抵抗があるのでしたら……」

二人とも、私をじっと見つめていらっしゃいました。
ご主人様は、弧を描く口を貼り付けたように浮かべて。
ギュスターヴ様は、眉間にしわを寄せて、険しい顔で。

 「わたし、一人で、……出て、いきますわ。
  ご主人様にも、旦那様にも、ご迷惑になりませんように……。
  わたしのせいで、お二人に、軋轢が、生まれてしまうのは、申し訳、ありません、ので」

わたしのつたない言葉を遮ることもなく、二人はそのまま座っていました。
少しばかり、静寂が満ちます。

 「だって、さ」
 「…………」
 「出てっちゃうんだって」
 「……だな」
 「どう思う? 博愛主義のギュスターヴ君?」
 「……どうも、こうも」
 「僕たちのため、だそうだよ?」
 「…………」

ギュスターヴ様は額に手を当て、ふうっと、ため息をつきました。

 「…………」
 「頑固だなあ、もう。
  ここまできちゃったらしかたない、しかたない、ね。
  ねえ、アマネ。ちょっと二人だけで話したいんだけど、いいよね」
 「もちろん。それでは、外でお待ちしておりますので、終わりましたらお呼びください」
 「いや、おれたちが出てけばいいだろ。……行こうぜ」

ギュスターヴ様が立ち上がろうとしました。
まさか、お二人に移動していただくわけにもまいりません。

 「いえ、かまいませんわ。どうぞ、そのまま」

それよりも先に、わたしは部屋から出ます。
扉に手を当て、

 「それでは、失礼いたします」

ぱたり、静かに閉めました。



   *   *   *


 「――、――――――――」
 「――――、――――。――――――――」

扉の向こう側では、お二人が何やら、話し合っていらっしゃいます。
そもそも、わたしを伴って話し合う必要は、なかったように思います。
なにしろ、わたしはヒトなのですから。
ご主人様が誰に譲ろうとどうしようと、わたしに知らせる必要は、ないのです。

 「――――、――――――」
 「――、――お前!!」

語勢が荒くなりました。
ギュスターヴ様の大声が、少しだけ聞こえます。

 「――――――、――――――――、――――」
 「……ろよ! なん…………こと!!」

その後に続いた叫びともいえる声は、到底、信じられないものでした。

 「わかった! わかった……! もら……やる……!」






   「だから、頭を上げろぉぉぉ……っ!!」







   *   *   *



それから。
“元”ご主人様――エルヴィン様は、零れ落ちてしまいそうなほどの笑顔と「よろしくね、ギュスターヴ。元気でね、アマネ」との言葉を置いて、
また、あのきらびやかな馬車に揺られて、人々の視線を浴びながら、帰っていきました。

この家に残されたのは、わたしと、少しばかりの荷物(服とか日用品の類を少々)が詰まったトランクケース。
それと、家主であるギュスターヴ様――わたしの、新しいご主人様。

 「わたくし、アマネを雇っていただき、本当にありがとうございます。ご主人様。
  か弱いヒトのわずかな力ではありますが、これから、精一杯ご主人様をお支えいたします」
 「ご主人様、ねえ」

顔を一層怖くして、ご主人様がつぶやきました。
……ずっと思っていたのですが、ご主人様は、表情が読み取りづらい上に、鋭い牙を見せつけるように口を開けているので、
どうしても、顔が怖く思えてしまいます。

 「やめねえか、そういうの。普通に名前で呼んでくれていいからよ」
 「そういう訳にも参りませんわ。主人の名前を呼ぶメイドなんて、どこにいるというのでしょう?」
 「これからここにいればいい。
  おれには“ギュスターヴ”っつう、親にもらった立派な名前があるんだよ。
  おれは名前を誇りに思ってるし、そんな立派な名前で呼ばねえのは、失礼にあたると思わねえのか」
 「そもそも、ご主人様とわたしは、遥かそびえる身分の壁に阻まれているのです。
  ご主人様がそのお名前を誇りに思っているからこそ、下賤なわたしが口に出すほうが、無礼なことなのです」
 「あー、まったく口が減らねえな、“元”ご主人サマにそっくりだ!」

ご主人様は声が低くて、大きな声を上げると、振動がびりびりと直に伝わるようであります。
それもまた、印象の険しさに直結してしまうのだと思えました。

 「いいか、よく聞け。“メイレイ”だ――、おれのことは名前で、ギュスターヴ、と呼べ。いいな!」
 「“できません”」

「あがァ」という間抜けな声、そして、いっそう大きく口が開かれました。
ご主人様の目もまんまるとなります。

 「ご主人様。わたしはヒトでこそありますが、ご主人様の命令ならなんでもきく奴隷ではございません。
  わたしは、“メイド”です。ご主人様をお支えする、“ 一 流 の ヒトメイド”なのでございます。
  この身はすべてご主人様のために、この力はすべてご主人様のために、
  立派なご主人様であっていただくために、ご奉仕させていただくのです。
  ご主人様の命令は、大概ならば聞きましょう。ご主人様のためとあらば、身を粉にしてまでも、果たしましょう。
  けれども、それがご主人様のためとならないのであれば、従うことはできません。
  ご主人様のためとあれば、ご主人様に反目すらいたします。そうしてこそ、一流のメイドたりえますもの。
  そのことで、ご主人様の不興を買うやもしれません。
  ですが、そこを曲げてしまっては、ただの奴隷となんら変わりないではありませんか、ご主人様?」

くつくつ。喉の奥から笑い声が響いてきます。
わたしのものでなく、低い声のそれは、まぎれもなくご主人様のものでした。

 「そうか。そうか! いいな、こりゃあいい!
  なんだ、お前――アマネだったな、アマネ、お前、一流のメイドなのか!」
 「その通りです、ご主人様。
  ……もし、お気に召さないようでしたら、今からでも、追い出してくださいませ」
 「いや、いや、追い出す気なんか毛頭ない、なくなった!
  むしろ、もっと早くそう言ってくれれば良かったんだ。そうしたら、あいつにあんなことさせずに済んだのに」

いや、忘れてくれ、と一言足して。

 「だがな、アマネ。それとこれとは話は別だろ? もちろんこれとは“おれの呼び方”。
  ご主人様だけはほんと勘弁してくれ。
  そりゃああいつは、雲の上の貴族サマだから、名前を呼ぶのも失礼だろうさ。
  だがな、おれはそんじょそこらの庶民サマだ。名前を呼ぶのすら失礼にあたるほどいい身分じゃあないぜ」
 「ですが、ご主人様――」
 「これだけはほんと譲らないぞ、まじで。
  そもそもおれなんてご主人様っちゅう器でも柄でもねえしよ。
  それに、あいつもご主人様って呼んでたろ? それだと、おれがあいつと比べられてるようで、居心地が悪ィんだ。
  誰だって、あいつと比べられたら見劣りしちまうだろ?
  な、頼むよ、名前で呼んでくれ。これは、命令でもなんでもなくて、ただのお願い、だ」

そう言って、右手で手刀を切り、左目でぱちりとウインク。愛嬌のつもりかもしれませんが、その外見にはあまりにも相応しくない振る舞いです。
……けれども、その時のわたしは、それがどうしてもおかしくてたまらなくなってしまったのです。

 「仕方ありませんね。かしこまりました、ギュスターヴ様」
 「おっと、そうだな、サマなんてのもやめてくれよ。ばかにされてるみてえだから。
  ……やめてくれるまで、お前を部屋に案内してやらないぜ。ここでずっと、議論でもなんでもしてやるからな。
  自慢にもならないが、おれは徹夜、得意なんだ。何時間だって放さないぞ」
 「さ、さすがにそこまではできかねます!」
 「お、やるか? 単純な我慢比べで、ヒトの女になんか、負ける気がしねえなあ」

あれだけ怖かった顔なのに、にやにやしながら喋る様子――まるで、エルヴィン様と話すときのような――は、
なんだか、妙に身近に、親しみやすく感じるようでありました。
言葉だって乱暴で、顔だって、怖いままなのに。

 「それは、困ります。
  中に入れて頂かないと、お掃除も食事の支度だって、なんにもできませんもの。……ギュスターヴさ、ん」

サムズアップとにっこり笑顔。

 「オーケイ。じゃあとりあえず、案内しようか、おれの城」

トランクケースを持ち上げようとしたのを丁重にお断りして(不服げではありましたが、今度こそわたしの勝ちです)、
ギュスターヴさんの城、……これからわたしが住むことになる、4LDK庭付き平屋一戸建ての奥へ、足を踏み入れました。



   *   *   *



リビングダイニング以外の四つの部屋はそれぞれ、書斎、寝室、トレーニングルーム、物置、となっています。

書斎は壁一面が本棚で埋まっており、圧巻でありました。万が一本棚が倒れでもしたら、大惨事を招きそうです。
本棚は、一部の開いているスペースを除き、ほぼ満員で、内容も小説やら学術書やら、どうやら、本に関しては雑食のようです。
机も椅子も、大柄なギュスターヴさんでもゆったり使えるような、大きなものです。
寝室は私室も兼ねているらしく、大きなダブルベッド(「別に下心だけじゃないぞ。尻尾が落ちると重いから、落ちねえように、だ」)の他、
マガジンラックが置いてあったり、ダンベルが落ちていたり、はたまた、弦のついた楽器まで。
あまりじろじろ見るのも失礼だと思い、しっかりとは確認したわけではありませんが。
そしてトレーニングルーム、とは言っても、大掛かりな機材があるわけじゃあなく、ちょっとしたエキスパンダーやらなんやら、
それから、マットが引いてあるくらいのものです。

 「運動不足になりがちだからな、太るのも嫌だし」
 「健康のためなら、ジョギングとか有酸素運動のほうがよろしいのでは?」
 「下手に走ると死ぬからね、体温上がりすぎで」
 「変温、なんですね」
 「当たり前だろ? ワニは爬虫類だ」

わたしにあてがわれたのは、物置でした。
物置といえども、目立つのはすぐには読まないらしい本くらい。
ガラクタやら保存食やらの類もあることにはありますが、そのままでもわたしが寝る程度のスペースはありそうです。

 「悪いな、散らかってて。初仕事はどうやらお前の部屋作りのようだ」
 「ヒトなんて所詮、立って半畳寝て一畳。足を延ばして寝る空間さえあれば、どんな場所でも大丈夫です」
 「ベッドもなくて申し訳ないが……、ほら、昔使ってた布団があるから、ペラくてショボいが、当面はこれで我慢してくれ」
 「ありがとうございます。当面と言わずとも、これで十分です」
 「よし、まずとっとと片付けちまおうぜ」
 「いえ、それには及びません。大丈夫ですから」
 「何を言う。寝場所の確保は大事だろ」
 「わたしの部屋なんか後回しでかまいません。それよりも、それよりももっと気になるところが……!」

その家の中を一言で表現するなれば、まあ、一人暮らしの男性の家と聞いて想像するところそのまんま、ではないでしょうか。

全体的に埃っぽくて、物が散乱、もしくは積み重ねられている状態。脱いだ服だってそのまま落ちています。
足の踏み場があるのが救いといいますか、むしろ、足の踏み場以外はひどい有様といえます。
エルヴィン様が通されたリビングだって、一見片付いてはいましたが、散らかったものを奥に押し込めて隠していただけのようです。
唯一整理整頓がなされているといえそうだったのは、書斎くらいのものでした。
……ただしデスクを除きます。なぜだか机の上だけは、本やら紙やらが暴力的に積まれていました。
だのにキッチンばかりは、水あかもなければ生ごみが臭うこともなく、埃以外は、概ねきれいな様子です。
最後に掃除をしたのはいつかと尋ねれば、

「あー……、いつだろうなあ……」

と気が遠くなるようなお返事。少なくとも、とてもやりがいのある仕事ではありそうでした。
それは、今すぐにでも取り掛からないといつまでたっても片付かないような、脅迫でもありました。


   *   *   *


 「おれは鱗だからシャンプーなんてものこの家にはないがしかし、いくらなんでもアマネ、お前には必要だろ。
  必要そうなもの買ってくるから、とりあえずなんか考えて教えてくれ」

仕えるべき主人を使いに出せるわけがありません、なんて抗議をしてみれば、

 「おれはただでさえ近所付き合いの悪い変人で通ってるんだよ!
  ヒトを囲ってるなんてバレてみろ、既に残念な評判が地の果てまて落っこちるだろうが!
  そこまで他人の目なんて気にしねえが、それにも限度ってもんがある。
  悪いが、しばらくの間は外には出ないでくれな。洗濯もんを干すものおれがやる」

とのこと。
もちろんお願いとしても申し上げてみるのですが、同じく「ダメだ」の一点張り。
結局、根負けしてしまうのはこちらで、ギュスターヴさんにはお使いに行っていただくこととなりました。

その間にわたしはお台所の水回りを掃除し(多少の油染みを落とす以外は水拭きと食器洗いくらい)、
ちょうどそれが終わるころに、ギュスターヴさんがお戻りです。

 「おかえりなさいませ」
 「……おう、ただい、ま」

なんだかこそばゆそうに靴を脱ぐギュスターヴさん。

 「今から夕食の用意をいたしますね」
 「ん、ああ。じゃあ頼むわ。書斎にいるからできたら呼んでくれな」
 「かしこまりました」


   *   *   *


わたしは、料理が得意ではないと思っています。
それでも、料理をすること自体は好きなのかもしれません。
食材を切るのも味をつけるのも、煮たり茹でたり炒めたり揚げたり、作っている間は、何も他のことを考えていないからです。
料理をしているときは、それに夢中なのでしょう。
夢中になれることは、好きなこと、ではないでしょうか。

少しだけ魔洸調理器具の扱いに手間取り、時間がかかってしまったのですが、なんとか今日の夕食が出来上がりました。
鶏の唐揚げと野菜たっぷりのスープ、半熟卵のサラダ、アスパラガスのベーコン巻、です。
……黒いパンには合わないかもしれない、と気づいたのは、唐揚げがすっかりきつね色に揚がった頃でした。
一番問題だったことといえば、ギュスターヴさんがどれだけ召し上がるかわからない、ということです。
そもそも男性でありますし、さらにはあれだけの巨体ですから、それはたくさん召し上がるでしょう。
けれど、“たくさん”とは、具体的にはどれくらいなのか、わたしにはわかりませんでした。
とりあえず、いざとなればわたしが食べれば良いですし、足りないよりかは余る方が良いと思い、
大きな平たいお皿に山積みできるくらいには作りました。が、いくらなんでも多すぎるだろうと苦笑がこみあげるものです。
テーブル上で唐揚げが山になっている姿は、いっそ滑稽でもありますが、子供の頃の夢が叶った気分にすらなれるようでした。

けれども、ギュスターヴさんの反応は、わたしの想像とははるかに異なるものでした。

 「ん? お前の分は?」

テーブルにあるのは、標高30cmの唐揚げ山、白いボウルに映える緑のサラダとスープカップ、小皿のアスパラ、あとスライスした黒いパンが、一人分。
すべて、ギュスターヴさんのための料理です。

 「わたしは後でいただきます」
 「はァ?」

頬が強張って、ぴくぴくと震えています。鋭い歯がちらちら伺えます。眉間には固く寄せられた皺。

 「当然です。メイドは、主人とは別に食事をとるものです」
 「いい加減に――――」



振りかぶられた腕――。

ぶたれる、そうわかっても、動けないわたしがいます。

揃えられた指――。

かろうじて、首が縮こまり――、          ……指が、揃ってる? へんなの。



 「しろッッ!!」
 「いたっ」



こつん、と頭に当たる程度のチョップ。
肌がびりびりするかと思うほどの怒声に伴うものとは、到底考えられない、優しいものでした。

 「やれ名前を呼ぶのは失礼だ、やれ一緒にメシを食うのは失礼だ、いい加減にしろ!!
  メイドだって言い張るのはそういう意味か! おれの期待を返せ!!」

ええ、確かに、体罰だとはとてもじゃなく呼べないチョップではありましたが……。
わたしの髪はちょうど、頭の正中に分け目がありまして、その分け目にぴったり沿う形でチョップをいただいたのです。

 「同じ家にいるのに一人メシとかまじ冗談じゃねえっての! どんだけさびしい奴だおれはよお!
  なんだなんだ、そんなにおれとメシ食いたくねえってか! そりゃあおれは醜男だよ!!
  でも一緒にメシくらい食ってくれたっていいじゃねえか! 懇談しろとは言わな、言わな……、……喋りつづけろとは言わないから!」

さらには、いくら優しくとも、そもそもギュスターヴさんは体格の良いこの世界の男性であり、その中でも相当筋肉質です。
手は鱗でごつごつ、腕だって常に筋肉が盛り上がって見えているのです。

 「あーあーあーあー、うまそうないい匂いはするしニッポン生まれのヒトだっていうし、割と楽しみだったのに、お前という奴は、
  …………ん? あれ、おい、えっと、もしかして――」



痛かった?
……痛かったです。



 「こんなもんで痛いのか。さすが噂通りの弱々しさ、なのか?」
 「せめて、髪があるところだったら、もっとずっと大丈夫だったのですが、
  ちょうど分け目に当たってしまい、皮膚に直接だったので、痛かったです」
 「なるほど、分け目チョップが有効……。あ、いや、謝るさ、すまんな。
  でも、何も酷いことしようとしてるわけじゃないんだぞ。一緒にメシくらい食おうぜ、な?」
 「……うまい反論が、もう、思いつきませんし、痛くて。
  きっと、何を言っても、押し返されてしまうのでしょうね」
 「……そんなに痛むか?」
 「すぐ、慣れますから……」
 「じゃあほら、メシだメシだ。あー腹減ったー!」
 「その、ギュスターヴさん」

とび色をした目は、もう怒気で歪んでいません。

 「申し訳ございません」
 「謝るくらいなら最初っからこうしておこうぜ」
 「そうですね。……申し訳ありませんでした」

一人暮らしだというのに四人掛けの食卓、どこに座ればいいのかわからなくて、逡巡します。
それを見て、というわけではないかしれませんが、顎でしゃくられたのは、ギュスターヴさんの正面の席。
失礼します、と椅子に座って。

 「よし、それじゃあ、いただきます」
 「あ、はい、……お口に合うかはわかりませんが」


   *   *   *


食事風景は、まさしく圧巻のひとことだと思われました。

フォークでぐさり一突きされた唐揚げが、ほいほいと口の中に吸い込まれるように消えていきます。
確かに口が大きいから、当たり前ではあるのですが、何個も何個も一度に口の中へ入っていく様は、ある種恐怖すら覚えます。
フォークから引き抜く際、首を使わずに身体全体を動かして引き抜くので、非常にアクティブです。
そういえば、あっちの世界のワニは噛む力がすごく強い、なんて知識を思い出しました。
ざくざく野菜を刺して、そのフォークすらも食べてしまうかのように、大口の中へ。
パンだって、背を反らして噛み千切り、ダイナミックな食べっぷりでした。

 「うまっ、……なにこれうまいっ!」
 「やばい、人間とっさの出来事に対しては語彙がやばくなる、やばい、うまーい!」
 「肉柔らか、柔らかっ、うめー!」
 「九十余年の人生でこんなうまいからあげを食べたことなんぞない。うまうま」

むさぼりながら、口々に絶賛されてしまいました。

 「アマネ、お前、料理上手だったんだな」
 「ありがとうございます。けれど、そんなことありませんよ。むしろ苦手だと思っています」
 「お前が料理下手の部類に入るなら、この世の人間はほとんどがド下手だぞ。
  普通に店で金出して食べても十二分に満足できるレベルだと思うが」
 「それは、言い過ぎです」
 「むしろこんな陳腐な言葉でしか表現できない自分が憎くてたまらない」
 「……ありがとうございます」

物を食べながらでも、ギュスターヴさんはべらべら喋ります。
その時、口元を左手で隠すのが、妙に似合いませんでした。

 「……そんな風に、褒められるのは、……初めてです」
 「はあ? おれ以外は誰もいないの? ありえん」
 「大概は無反応で、却って貶す方もいましたので」
 「まじで? 見る目が、いや、味わう舌がないやつらばっかりだな!」
 「言いにくいのですが、ギュスターヴさんの味覚のほうがズレているのかもしれません」
 「ない、それはない。アマネの料理は絶対うまいってまじで」
 「……ありがとうございます」
 「……明日からも、頼むな」
 「もちろん。わたしは一流のヒトメイドですので」
 「はいはい期待してるぜ、メイドさん」



ここまで熱心にではないけれど、昔は、褒めてくれる人もいたんですよ、とは言えませんでした。

でもその人たちも、だんだん、だんだん何も言わなく、言ってくれなくなるんですよ。
ですから、きっとそのうち、ギュスターヴさんもそうなると思いますし、それでいいとも思っています、だなんて。



 「よし、ごちそうさま」
 「お粗末様でした。……え?」
 「いやあ、うまかったー。大満足」
 「え? 全部食べちゃいました?」
 「ああ。もしかして、足りなかったか?」
 「いえ、いえ、別にそういうわけではなくて」
 「ならいいが。んあー、腹いっぱい」
 「そうですよね! すごく気に入っていただけたようですから、食べ過ぎただけですよね」
 「いや、いつもこれぐらいは食ってるかなあ」
 「……ああ、とてもたくさん、召し上がるんですね」
 「むしろアマネ、お前こそ、全然食べてないんじゃないか? もっと食え、もっともっと」
 「ヒトが食べる適切な量ですっ」


   *   *   *


食事が終わって、後片付けが終わって、

 「おいアマネ、お前が次に言うことを当ててやろうか。
  まあ次とは限らなくて、最終的に今日中には確実に言うこと、なんだがな。
  ずばり、『それでは、わたしは部屋に戻りますので、何かございましたらどうぞお呼びください』だ。
  “おれを名前で呼ぶのが失礼”で、“おれとメシ食うのが失礼”なら、“用もなくおれといるのだって失礼”なんだろ、どうせ。
  そんなもんくだらねえとは思うがな、結局なんだかんだでお前はここに、
  この家に暮らさなきゃいけなくなった以上、好きにふるまっていいっていうのにだ。
  掃除に疲れたら居間でごろごろしようともかまわないのに、掃除に飽きたらテレビを見て休憩してもかまわないのに、
  掃除にくたびれたらおれの本だって勝手に読んでもかまわないのに、
  アマネ、お前は物置みたいな、実際物置だったが、そんなろくでもない場所にひきこもるんだろ、な、そうだろ」

ギュスターヴさんが因縁をつけてきました。
怒り顔と、呆れ顔と、それからどや顔がまざったような、よくわからないような表情を浮かべています。
けれども、その顔もしかめっ面にはかわりなく、最終的には怖い顔、ということに落ち着くのです。

 「それが、メイドというものです。陰からご主人様をお支えするのがメイドの役割です」
 「目いっぱい異論があるんだが、いちいちそんなことで文句つけたら切りがない。さらにはおれがヤな奴みたいだからな、もう何も言うまい」

引き下がるギュスターヴさん。
けれどもその目は爛々と光っていて、口元は弓のように歪んで、ついでに開いています。

 「……ええ、それでは、失礼いたします」
 「待て、そうは問屋が卸すまい。お前に、もうひとつ仕事を頼みたい」
 「ならば、先にシャワーを浴びた方がよろしいで――」
 「分 け 目 チ ョ ッ プ !」

痛いです。

 「くだらねえことほざいてんじゃねえよ!!」
 「申し訳ありません……」
 「まあいい、とにかくちょっと、ついてこい」


向かう先は、ギュスターヴさんの書斎でした。

 「書斎、ですか。何か片付けとか――」
 「ちょっと待ってろ」

本棚の端の方、ギュスターヴさんが本を調べています。

 「ニッポンだろ、ニッポン」

目的のものが見つかったのやら、ギュスターヴさんがくるりと振り返り、手にした本を開き、わたしの眼前へとつきつけました。

 「読める、な?」
 「ちょ、ちょっと、近いです」

本を受け取ります。少し小さめで、あまり見ない大きさをした薄めの本です。
開かれたページには、縦書きの文章。




 「よいち、かぶらをとってつがい、よっぴいてひょうどはなつ。こひょうと――?」

いふぢやう、十二束三伏、弓は強し、浦響くほど長鳴りして、あやまたず扇の要ぎは一寸ばかりおいて、ひいふつとぞ射きつたる――?


添えられた挿絵。海の中、弓矢を構えた鎧の男。見据えるは沖の舟、女が高く掲げる一枚の扇――。




 「…………平家物語!?」

ページを捲りました。
次に現れたのは、女性を負ぶった烏帽子の男、その挿絵。



 「――白玉か、何ぞと人の、問いしとき」

――露と答へて消えなましものを。



「伊勢物語……」

ページを捲ります。



 「今は昔、比叡の山に児ありけり。僧たち、宵の――」

つれづれに、「いざ、かいもちひせむ。」と言ひけるを、この児、心寄せに聞きけり――。




 「児の、そら寝」



本を閉じます。
独特のコーティングがなされた、つやのある手触り。表紙は大きく開くために折り目がつけられています。
見たことのある、見慣れた、もう見たくないとも思えた、タイトルは――。






 「……新・古典、一」

それは、古典の教科書でした。






 「読めるな、読めるんだな!」

ギュスターヴさんが真剣な面持ちで、わたしの肩を掴みました。
けれどわたしの視線はギュスターヴさんの向こう側――本棚の一角へ。

教科書が収まっていた分だけスペースの空いた本棚に並ぶ、本、本、本……。
文庫本、新書サイズ、ハードカバーまで、まったく装丁には共通項の存在しない本が並んでいます。



 「お前に頼みたいもうひとつの仕事――、それは本来のメイド業務からは大きく外れるものであるだろう」



共通項の存在しない? いいえ、一見ばらばらの本にも、一か所に集められる理由は確かにあるのです。
そしてそれは――、一目見て、わかる類のものなのです。



 「だがな、アマネ、それはおれでなくあいつでもなく、お前のような、落ちてきたヒトでないとできないことなんだ」



共通点は、背表紙の文字。その棚の本は、すべて“かなと漢字”で書名と作者が記されています。
その上の棚には、ラテン文字の――アルファベットの本が。
また別の棚にはハングル、中文、他にも様々な“あちら側”の文字が!



 「仕事内容は単純に、“おれの仕事の手伝い”。それではその“おれの仕事”だが――」



さらに別の棚から、また本を取り出して、ギュスターヴさんが近づいてきます。



 「この通り、だ」



手にした一冊の本、それはもはや見慣れたこちら側の文字が書かれています。
著者名は、“ギュスターヴ”と。



 「……エルヴィン様から伺っておりました」


あのね、ギュスターヴは、小説家なんだよ。人好きのする笑顔が脳裏に蘇りました。


ギュスターヴさんが舌打ちをします。



 「くそっ、嫌味なやつめ。
  ……確かに、おれは小説“も”書く。“副業”小説家、だ」



手にしていた本の裏から、もう一冊、本が現れました。もともと、二冊を重ねて持っていたようです。
それも、こちら側の言葉で書いてあるものでした。
先ほどとは違うのは、著者。わたしは、記された名前に心当たりはありません。けれど――。



 「本業は――」



著者名の隣にあるのは、またもや“ギュスターヴ”。その肩書きは――。




 「 翻 訳 」




 訳 者 。








 「おれは、落ちモノ文学の翻訳家だ。
  落ちてきた書籍に魅入られて、そのため大学へ入り、それの研究をし、そして今、訳している。
  おれはプロだ。こちらでは有数の翻訳家だと自負している。
  だがしかし、それはあくまで“こちらでは”の話であって、まだまだ力及ばぬところも多い。
  おれは向こうの物語が好きだ。こっちでも、その魅力を存分に伝えたいと思ってる。
  そのために、お前の力が必要なんだ。メイドのやることではないかもしれない。
  だけど……、頼む。おれに、協力して、ほしい」









とび色の虹彩、縦に割れた瞳孔が、深く、わたしを貫いて。
何か言葉を、何か行動を、しようと思えば、言葉が音になる前に、行動が動作になる前に、強い視線に射抜かれ、墜ちていって。
時間が、まるで、止まってしまったかのように、呆けて、わたしは、ただただ、ぼうっと見つめるしかできなくて。


部屋いっぱいに満ち満ちたいろんな背表紙が、わたしたちを見下ろしていました。




                                  Bu...u...u...u...

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