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~ボインボイン物語 第一話~



 彼女――金子満子は、混乱しながらもまぶたを開く。そしてまず最初に、小さく悲鳴を上げた。彼女を乗せた地面が、空を飛んでいるのだ。
 まるで意味が分からない。いったい何が起こっているのだ。そして彼女は次に、大きく身震いをした。今までに感じたことのないような寒さが襲ってくる。
 空から舞い降りる雪が体に当たり、凍えるような風が頬を吹き抜けた。
 彼女を乗せた何かが、雪の降りしきる銀世界の上を滑空していたのだ。己の理解の範疇を超えるような事態に、思わず卒倒してしまいそうな心地であった。
 状況を飲み込める要素が全くない。幼稚園に入学したばかりの園児に専門知識を要求される国家試験を受けさせるようなものだ。
 すっかり混乱した様子で目を回しながら、彼女は必死で眼球を動かした。空を滑る足場はひどく不安定で、立つどころか身じろぎする勇気も出ない。それ以前に体が凍えて動けない。
 錯乱し憔悴しながらも、彼女はゆっくりと前方へと目を向けてゆく。風が強くまぶたを開いていることも困難だが、なんとか薄目でその光景を確認することができた。
 彼女が尻餅をついた空を飛ぶ床は、青い色をした滑らかなウロコに包まれていた。そして彼女の両サイドには、ゴツゴツとした翼が生えている。
 そしてさらに前方には、紐によって固定された数々の荷物、そして乗馬用のものに似た鞍が設置されていた。
 何よりも彼女を救ったのは、その鞍には毛皮製の防寒具に身を包む、大きな後ろ姿が見えたことであった。
 人がいる。この状況を説明してもらえる。まるで理解できず、混乱しかもたらさない状況であったが、ようやく希望が見えたのだ。桜色の艶やかな唇が、自然と笑みを作っていた。
 だが、次の瞬間にはその笑顔も凍りつく。防寒具に身を包むその人物が、自身の真後ろに着地した女の気配へと気づいたらしい。

「なんだ……!?」

 生気の漲った若々しい声が放たれるのだが、空を駆け抜ける風音の中で掻き消され届かない。しかし、声を放ちながら振り向いた彼の横顔は、ミツコを大いに驚かせるものだった。

「トカゲ……」

 彼女はすっかり気の抜けた声でぼんやりと呟く。すっぽりと被った暖かそうな毛皮のフードからは、まさにトカゲそのものである鼻面が飛び出し、その顔についたギョロリとした目玉が、縦に割れた瞳孔に彼女を映していた。
 それがトカゲ以外の何者なのか。小学生時代、よく公園で捕まえて虫かごの中で飼ったりしていた、あのトカゲにしか見えない顔である。

 何かの撮影だとか、その手の強引な理屈で現状を飲み込もうとする気力すら出てこない。彼女はただただ驚き、呆然とトカゲの横顔を眺めていた。
 トカゲの方も、彼女と同様にあっけに取られた様子で、口をあんぐりと開け、爬虫類らしいギョロ目が見開かれている。
 まるで愛しあう男女のように互いの顔を見つめ合い、そしてその瞬間は不意に訪れる。

「キャ……っ!?」

 ミツコの両サイドに見える翼が、大きく動かされ、そして空を飛ぶ床は、まるで曲芸飛行をする飛行機のように、大きく旋回した。
 体を支えるベルトも腰を落ち着ける鞍も、手綱すら持たない彼女が、その急激な旋回に耐えられるはずもない。
 慣性に抗うことすらもできず、彼女の体は空中に投げ出されていた。一気に数メートルほども離れ、彼女は自分の乗っていた何かの全体像を、ようやく見ることができた。
 青いウロコに包まれたドラゴンと、その長い首の付け根辺りに取り付けられた鞍に座り、手綱を握るトカゲの姿であった。もはや驚きを通り越して呆れるほどにファンタジーな光景である。
 彼女を襲っていた混乱も一線を超えてしまったのか、その光景を見ているとむしろ冷静になりそうだった。
 しかし、そうはさせないということであろうか。自由落下を始める彼女の目の前で、何処からかまばゆい光を放つ光弾が駆け抜け、先程まで彼女を乗せたドラゴンのいた位置を射抜いていた。
 中学生の頃大好きだったバトルモノの漫画で主人公が手から放っていた、ああいうものである。 いったいどういうことであろうか。
 再び頭がパンクして、遥か下の地面へと向けその体が落下している事への恐怖すら忘れてしまう。とにかく、全てが彼女の持つ常識で判断できる範疇を超えていた。
 もはや思考放棄するしかあるまい。烈火のごとく振りかかる異常事態に、ミツコの頭は完全に真っ白になってしまう。
 彼女がそうして思考停止しているとき、遠方から先程の光弾を放った射手は、空中を落下する人影へと向け、確実なる止めを刺そうと狙いを定めていた。
 遠目からでは彼女がヒトであるとは理解できず、そしてあの程度の高さから雪の積もった大地へと落下し命を落とす種族は、この世界においては寧ろ少ない。降り積もる雪の中に身を隠された方が厄介だ。
 相手の方も、それを避けたいと思うのは当然である。空を飛ぶ竜を狙っていた射手は、長いウサギの耳をピクピクと動かし、風を読む。赤い瞳は、落下する人影をしっかりと見つめていた。そしてその傍らには、三人の男が控えている。
 ヒトの知識で言うところの、銃のようなものを構え、真っ白なウサギの男が一人、茶色い体毛に包まれたウサギの男が二人、そしてスラリとした細い体を持つ、虎猫の男。

「照準は定まった。念のために散弾で撃つから、外れることはないはずだ。俺の狙撃を合図に、各自榴弾を叩き込め」


 まるでライフルのような長い砲身には、奇妙な文字が彫り込まれていた。リーダーらしき白いウサギが、他の4人に指示を出し、グリップを握る手に魔力を込めると、砲身に刻まれた文字がうっすらと発光する。
 注いだ魔力を弾丸のように変形し撃ち出してくれる、試作型の武器であった。制作協力にあたったヒトの知識を元にして、各種の弾丸の形状と能力も記憶されている。
 魔力自体の総量は多くとも、それをコントロールする技術に難を持つ者へと向け開発されたそれは、使用者の魔力総量によっては絶大な能力を発揮するのだ。
 それが認められ、国境付近で長距離偵察を行う特殊部隊へと貸し出されていた。そして、今回はその記念すべき最初の実戦使用でもあった。
 しかし、よく誰も気づかなかったと言うべきか、狙撃を行うには重大な欠点も内包する武器だ。発光する砲身が、敵に居場所を知らせてしまう。
 落下しながらも、目の端にキラリと発光する何かを捉え、ミツコはそちらへと視線を向けた。
 人の視力では降りしきる雪に阻まれた遠くの景色をハッキリと見ることはできないが、しかし発光する棒のようなものがぼんやりと見え、それが自分へ向けられているのは分かった。そしてそこに四人の人影も見える。
 彼女とて頭が悪いわけではない。自分へと向けられる奇妙な棒と、さっき竜とそれに乗るトカゲを襲った光弾とを結びつけることは容易かった。
 なんだかよく分からないが、自分はもしかして死にそうなのではないだろうか? 地面へと落下しているというのに、彼女はいまさらそれを意識した。
 ただただ混乱することしか出来ずにいた頭に、恐怖という感情がようやく芽生え始める。
 自由落下という、自分ではどうしようもできない状況の中で、頭の中には幼い頃からの記憶がパノラマのように蘇っていた。走馬灯というやつである。
 全てがスローモーションに感じ、地面へと向けていく速度が、驚くほどに遅い。死に際特有の奇妙な感覚に襲われながら、彼女はただ落ちて、そして射手が引き金を引いた。
 砲身に浮かび上がる文字の輝きが、一瞬だけ増す。そして次の瞬間には、一纏まりとなった光る散弾が、ミツコの体を目掛けて放たれていた。
 間違いなく命中するであろう弾道に、白ウサギが口元に小さく笑みを浮かべ、それを取り囲む他の者達も引き金を引いた。拳ほどの大きさに圧縮された魔力の塊が、それぞれから放たれる。
 それらを続けて受ければ、脆弱なヒトの体どころか、虎の大男でさえも跡形もなく吹き飛んでしまうだろう。
 だが、運良くも彼女はバラバラの肉塊にならずには済んだようであった。彼女が何も分からずに混乱し続けているその時、迫り来る散弾と彼女の間に、青い影が割って入った。
 さっき彼女を振り落としたドラゴンである。その背に乗るトカゲの手には、防寒具のポケットから取り出した一枚のカードがあった。
 魔術の素養を持たない彼が、護身用として持ち歩いている魔符である。鼻を鳴らしながらそれを迫り来る魔力の弾へかざすと、カードが弾け見えない壁が形成される。
 ミツコを狙っていた散弾はその壁に阻まれ、音を立てて消し飛んだ。だが、あとから飛んでくる榴弾は、市販の防御用魔符程度で防げるレベルではない。


「おい、掴まれ!」

 あの壁が耐えていられる一瞬のうちに、弾道から一気に遠ざかる必要があった。
 トカゲはミツコへと向けて叫ぶのだが、この状況で相手の声をハッキリと聞き取り、ましてや反応できる筈がない。
 何の反応も示してくれない彼女へと舌打ちをすると、踵を使ってドラゴンの首を軽く押す。乗馬などでも使われる、馬に発進を伝える合図だ。だが、竜が相手では意味合いも違う。
 青い竜はその背から生える巨大な翼を、ばさりと大きく振るった。巨体が一気に動き、トカゲはミツコの細い腕を力強く掴む。
 その直後、後続の榴弾が魔符によって形成された壁へとぶつかり、轟音を立てた。
 透明の壁にぴしぴしとヒビが入る光景は、さながら空間にヒビが入っているようにも見えた。トカゲはその間に、腕に力を込めてミツコの体をぐいっと引き寄せ、その腰に腕をまわして、がっちりと固定する。

「きゃあぁあああっ!!?」

 響き渡る轟音と、目前に迫ったトカゲの顔に、ミツコの甲高い悲鳴が響く。キンキンと耳に残るような悲鳴に、トカゲは顔をしかめるが、今はそれどころではなかった。

「気張れよ、ここを抜けなきゃ目的地には辿り着けねェぞ!」

 トカゲは自身の跨る竜の首筋を撫でながら言う。
 竜はその呼びかけを受けると、理解したかのように小さく頷き、ミツコを振り下ろした時よりもさらに殺人的な旋回を行ないながら、魔符の防御壁を突き破り飛んできた榴弾を避ける。
 だが、それで終わるわけもない。4人の射手は、空を舞う竜へと向けて次々に砲撃を開始する。
 最初に飛んできた巨大な光弾や、レーザーのような鋭い一陣の光、多少遅いが追跡までしてくる魔力の塊。様々なバリエーションを持った弾が、彼らを襲った。
 だが、トカゲは片腕でミツコの体を抱えながらも、もう片方の手で絶妙な手綱さばきを見せ、竜はその指示に従って縦横無尽に宙を旋回してみせる。
 曲芸飛行だなんてレベルではない。これでは板野サーカスだ。かつて乗ったジェットコースターなど比べ物にならない。もはや声すらも出ず、ミツコはひたすらトカゲの体にしがみつき、再びそこから振り落とされないように耐えていた。
 竜はそうやって狙撃を避け続けながら、射手たちの射程範囲外へと向けて一気に宙を駆け抜ける。
 時間にすればほんの1分や2分程度の出来事であるのだが、その短い時間は、20年になるミツコの人生で、最も時間の流れが遅い瞬間であった。
 あの特殊部隊のキルゾーンを通過し、狙撃の心配がなくなったあとも、ミツコは寒さと恐怖に体をビクビクと震わせ、トカゲの首に腕を回して身を寄せている。
 彼の着込む分厚い毛皮製防寒具の柔らかくて温かい感触が、今この瞬間彼女を癒してくれる唯一のであった。

 だがせめてもの安心を求めるその行動も、抱きつかれる本人にしてみれば、色々と思うところがある。トカゲはどこか緊張し、上ずったような声で、ミツコに呟いた。
 こう体を寄せていれば、風音にかき消されてしまうこともない。

「お、おまえヒトだよな……? つーかいつまで抱きついてるんだよ……っ、もう急に動いたりはねーぞ……?」

 先程のような緊急時の時は、相手が誰かを気にしているような余裕などなく、淀みなく言葉を放っていたそのトカゲであるが、ホッと気が抜けた今は、そうもいかないようだった。
 分厚い防寒具ごしとは言え、柔らかくて大きな胸の存在感も感じるし、健康的な小麦色をした肌は艶めかしい。
 何より彼は落ちもの文化というものに興味があり、ヒトは誰よりもそれに詳しい存在である。彼女がどんな話をするのかと、子供のように好奇心が湧きもした。 
 ならばどうして、こうもぎこちない対応しかできないのかというと、彼の過去にちょっとしたトラウマを残す、ヒト関係の出来事が原因である。
 だいぶ克服したつもりではあったが、70歳にも達しトカゲという種族として、いい大人になった今でも、彼は少しヒトが怖かった。
 その少しばかりの恐怖と、大きな好奇心に揺さぶられていると、どうにも緊張して口下手になってしまう。続けて何か話そうにも、言葉が浮かんでこない。
 トカゲは困ったようにミツコから視線を逸らし、頼むから何か言ってくれと、彼女の返答を祈った。やがてそれが通じたのだろうか、ミツコは震える声で話す。

「手が凍えて……、動かせないのよ……ッ」
「あ、そういやお前そんな薄着で……」

 今になって気づいたと言わんばかりの声色で、トカゲは唖然として呟く。真夏の夜の公園から、年中雪の振り続ける北の国へと落ちてきたのだ。その格好で凍えないはずがなかった。
 ならばどうすればいいのか。防寒具は一着しかない。積荷から何か探そうにも、こんな上空を飛びながら袋を開ければ、中身が飛び散ってしまう。
 どうしたものかと、彼は頭を抱える。先程の修羅場とは打って変わって、情けない一面を見せていた。そんな彼の真理を見透かしたような声が、その場に響く。

『だったら君の防寒具を着させてあげればいいんだよ』
「変温動物舐めんな! こんな寒いところで防寒具外したら俺が死ぬ!」
532 名前: ボインボイン物語 [sage] 投稿日: 2010/06/29(火) 20:36:16 ID:goGD5NAM
 もう一人いたのだろうか? 寒さの中でおぼろげになってゆく意識を繋ぎとめ、ミツコは声の聞こえた方へと視線を向ける。そこには、あの青い竜の顔があった。
 攻撃的な形状の尖ったウロコに包まれ、頭に一対の角を持っている。ぼんやりとその顔を見ていると、竜は察したように長い首を動かして頷いて見せる。
 人間に近い体型をしたこのトカゲより、よっぽど知性がありそうだなと、ミツコはぼんやり考える。
 視界が暗くなり始めていた。まぶたがとてつもなく重い。眠い。

『彼女も相当つらそうだよ。脱がなくてもいいから、上着に入れてあげなよ。それ中古で買ったやつだしかなりブカブカだったでしょ? それに二人で身を寄せてれば今より温かいハズだから』
「お、おう……。そうだな、それがいいな……」

 随分とおっとりして、どこか子供らしさも感じさせる言葉遣いだが、巨体ゆえかその声は非常に低く、口調と不釣合な印象を受けるものだ。
 だが、トカゲはこの竜からのそうした助言には慣れているらしい。
 すぐに納得してみせると、防寒具の上着の金具を外し始める。自分の太ももの上にミツコの体を体育座りさせるような大勢で抱え込み、その上から防寒具を羽織って金具を留める。
 これでなんとか彼女が凍える心配はないだろう。その代わり、ヒトとこうして密着しあうなんて、彼にとってはそれなりの勇気を要する行動であった。

「もう少し飛んだら、雪に隠れ穴作って野宿だ」
『今日は早いね?』
「俺にもこう、頭の整理が必要なんだよ」
『君のスカスカの頭に整理するほどの荷物があるとは思っても見なかった』
「うるせー」

 何も突然の出来事に混乱していたのはミツコだけではなく、あのようななタイミングで落ちてきたヒトに遭遇した彼も同様だ。
 ともあれ、彼らは出会ってしまった。二人を乗せた竜は、目的の場所へと向けて飛んでゆく。


続く