狐耳っ子と(もと)剣術少女
「おまえさま、支度ができましたよ」
かなえが、そうボクを呼んだ。
「どれ?……わぁっ」
その言葉に、ボクが玄関から戻って遊山箱を覗き込むと、そこには。
たくさんのいなりずし。
山の幸のお煮しめ。
川魚の釘煮。
卵焼き。
いつもよりちょっと豪華なお弁当が詰められていた。
「すごいな」
「おまえさまのためですから」
そう言って、かなえがボクに笑顔を見せた。
かなえの怪我が治ってからもう半年ぐらい。
最近、かなえとボクはこんな感じ。
いつの間にか、ボクは「きつねさん」から「おまえさま」になったし、ボクもかなえを名前で呼ぶのが普通になってきた。
で、ボクが木地師の仕事をして、かなえがご飯や洗濯や家の仕事をして。
ときどき、頼延さまや、忙しい時は出入りの業者がボクの彫った品物を受け取りに来る以外は、ずーっと二人っきりの生活。
で、今日はお花見。
裏山に大きな桜の木があって、そこで二人で咲き誇る桜を見ながらお弁当を食べたりお酒……と言っても甘酒だけど……を飲んだり、そんなことをしようかなって。
たまには、のんびりするのもいいよね。
お花見はこの季節、いろんなところでやってる。
瑞穂京(みずほのきょう)では離宮から都大路までいろんなところであちこちに桜の花が咲き誇り、帝からボクらのような下々のものまで、それぞれにふだんの仕事を忘れてお花見を楽しむ季節。
金粟園(こんりつえん)のしだれ桜もきれい。昔、ボクの作った器を巫女連に納めに行った時に、頼延さまに特別に招いてもらったんだ。
でも、そういうところはきれいだけど人がたくさんいて、やっぱりがやがやと活気はあるけど……ボクはちょっと苦手。
やっぱり、少し静かなところの方がいいかな。
その点、裏山の大桜はボクにとっては取っておきの場所。
山奥で誰も知らない上に、満開の花はすっごくきれい。
かなえにもぜひ見て欲しかったんだ。
裏山と言っても、ほんとはちょっとけわしい。
ちょっとした旅支度が必要だし、山の天気だから急に雨が降るかもしれない。
だから、ちょっとだけ重装備になっちゃった。
「まるで、旅に出るみたいでありますね」
「重い?」
「いえ。これでも鍛えておりますから」
「でも、もう少しボクが持つよ」
「大丈夫ですよ。めおとですから」
……かなえは普通にそんなことを言うようになった。
めおとって。
その、ボク、そういうつもりじゃ……
「どうしたのですか、お熱でも?」
「あ、いや……だいじょうぶ」
「それならよいのですが、おまえさまも働きづめなのですから、ゆるりと行きませぬか」
「そ、そうだね……」
割と、主導権握られてる気がする。
片道一刻半はかかる、曲がりくねった山道を登る。
ボクはともかく、やっぱりかなえにはちょっと大変な道。
「はぁ……はぁ……」
途中ぐらいで、息を切らしかけてる。
「やっぱり、ボクが持つよ」
そう言って、半ば無理やり荷物を受け取ると、かなえにあわせてゆっくりと山道を登る。
「おまえさま……」
「無理しないで。もう少しゆっくり行っても大丈夫だから」
「至らぬ妻で申し訳……」
いや、だからその、妻って……
かなえに合わせて、時々休息しながら歩いていたら、大桜についた頃にはお昼を少し回っていた。
「ほら、ここがボクの取って置きの場所」
そう言って、少し自慢げに大桜を紹介する。
「わぁ……」
かなえは、疲れを忘れたみたいにその大きな桜を見上げている。
「こんな桜、初めて見ました」
たぶん、そうだと思った。
だって幹周りは大人三人分、高さは……大雑把だけど六十尺ぐらいはあるはず。
都にだってこんな大桜はないはず。
「じゃ、お弁当にする?」
「はい、おまえさま」
なんか、すごい幸せ。
桜が良く見える場所にござをしいて、遊山箱と甘酒の入った水筒を取り出して。
「それじゃ、一緒に食べようか」
「ええ、おまえさま」
もぐ。
もぐもぐ。
もぐもぐもぐもぐ。
「うん、やっぱりおいしい」
いなりずしの油揚げは少し薄味。
そのかわり、中につめたかやくごはんの風味が引き立つ。
春の山菜をふんだんに使ってて、味も食感も抜群。
細かく刻んだたけのこと、ふきの食感がいい感じ。
「こっちはどうだろ」
山芋と椎茸とあと、畑のいろんな根菜のお煮しめ。
こちらは少し濃い目の味付け。でもおいしい。
ちなみに、中に入ってるこんにゃくはかなえのお手製。
……ボクは作り方を知らなかったけど。
「それから、これとこれと……」
うどと長ネギの甘味噌和え……ぬた、って言うのかな。
それから、川魚の釘煮と卵焼き、川海老の胡麻あえ。
どれもこれも、全部おいしい。
「おまえさまは、なんでも美味しそうに食べますね」
かなえがそう言って笑う。
「だって、おいしいから」
「そう言ってもらえると、わたくしもうれしゅうございます」
なんだか、最近のかなえはすごくかわいらしい。
最初にあった時は、男の子みたいだったのに。
「なんだ、先客がいたか」
ふたりでお弁当を食べていると、ボクたちが来た道の方から声が聞こえた。
「あれ、頼延さま……?」
声の方を向くと、酒瓶と包みを持った頼延さまが、ひとりで山道を登ってきていた。
「一人でこの桜を満喫できるかと思うたが、考えてみればそなたに教えてもろうたのだったな」
そう言いながら、ボクたちの方に近づいてくる。
頼延さまは、左近衛少将っていうえらーい人。
瑞穂京で洛中の治安を取り締まってる。
ほんとなら、今の時期は都の警護で忙しいはずなんだけど……
「洛中の花見はあらかた終わったからな。洛中の騒々しい花見はどうも風情がなくて困る」
ボクの表情を見て取ったのか、そう言うとボクたちの近くにどっかと腰を下ろした。
「今年の花歌合は洛外の錦唐山であったし、近衛府が暇なうちに見に来た」
「そうなんですか」
「ここしばらくは、忙しくてゆっくり花見を楽しむ間もなかったからの」
そう言いながら、頼延さまは酒瓶を手に取り、手酌で酒を飲む。
「かなえ」
それを見てボクがかなえを呼ぶと、かなえもわかってたみたいで。
「はい。……頼延さま、お酌いたしますよ」
「おう、すまぬな」
白い濁り酒を、漆塗りの杯に注ぐ。
風に乗っていい香りがボクにまで届いてくる。
ちなみに、この杯はボクが削ったもの。
頼延さまの身の回りのものには、以外とボクが作ったものがたくさんある。
たとえば、刀の鞘とか馬の鞍とか、あと刀鍔もそうだし笛とかも。
こうみえても、いろいろできるんだ。えへん。
「美しく豪壮よの」
咲き誇る大きな桜を見上げるようにして、頼延さまが言う。
「そうですね」
「金粟園の桜並木の下で飲む酒も悪くはないが、この雄大な樹の下で飲む酒は格別じゃ」
そう言いながら、杯をあおる。
「都大路の桜は、確かに美しいがやはり人の手で植えた物だからな。数百年の時をかけて自然の中で育った桜にはかなわぬ。……この大樹を独り占めできるというのは、贅沢と言うものぞ」
「はい」
ボクもそう思う。
この大きな桜のことを知ってるのは、ボクとかなえと頼延様ぐらい。普通の人は、こんなところまではるばる桜を見に来たりしない。
「人もまた、この桜花のごとく、世の営みに流されることなく雄大に咲き誇りたいものよ」
そういって、また杯をあおる。
「そんな人生なら素晴らしいでしょうね」
「なに、そなた等は拙者などよりよほど、この桜のごとき生き方をしておるではないか」
「そう……ですか?」
よくわからない。
「世の中の愚にも付かぬしがらみから解き放たれて、山水の中でただ木と向き合い、自給自足の暮らしを行いつつ人の世に必要な物を黙々と作り上げてゆく。よき暮らしじゃと、うらやましく思う」
「そういう……ものなんでしょうか」
ほんとは、都への憧れとかそんなのもあるんだけど。
ただ、ボクは木地師以外の生きかたは出来ないし、そのための良い木がたくさんあるからこの山の中でずーっと生活してるだけだし。
「都暮らしなど、肩が凝るばかりだぞ。うわべは華やかだが、一歩裏に回れば物の怪やら怨霊は徘徊しておるし、骨と皮ばかりの流民が川原で野垂れ死んでおるのを始末するのも役所の仕事じゃ」
そう言って頼延様は笑う。
「特にこの頃はもののけが多い。近衛府などなかなか休まる間ものうてな。それに比べたら、この良き霊気に満ちた中で生きるのは気持ちよかろう」
……いろいろ大変らしい。
「帰りに仕事場に寄って頼もうかと思うたが、ついでだから今頼んでおこうかの」
「えっと、何ですか?」
「鞘をな。一つ拵えてほしい」
そう言って、使い込んだ鞘をボクに渡す。
「あまりにもののけを斬ることが多くて、近頃はこやつ、太刀を浄化しきれんようになってきた」
確かに、鞘の内側に黒ずみが見える。で、ボクも一応……狐のはしくれだから、ちょっといやーな妖気も感じられたり。
頼延様をはじめ、左近衛府は都を跋扈する魑魅魍魎と対峙することもあるから、刀も陰鉄を打って鍛えた霊剣なら、鞘も霊木で拵えて、斬った後の刀身を清めるものでなきゃいけない。
で、頼延さまの鞘は、ボクがとっておきの霊木を選んで拵える。
それを、巫女連の方で呪文を書き込み、漆と銀箔で仕上げる。ちなみに、拵えだけでもひとつ2500せぱたするらしい。ちょっと高いんだよ。
「いつまでに作ればいいですか?」
「ふた月ぐらいでなんとか頼む。巫女連の方も忙しいから、そのくらいにならないと空かないそうだ」
「じゃ、それくらいに持っていけるようにします」
「頼む」
かなえの作ってくれたお弁当を三人で食べながら、楽しく話をする。
二人分しか作ってなかったから少し少ないけど、代わりに頼延さまもお弁当持ってたから、それを分けてもらいながら。
頼延様のお弁当はやっぱり、ちょっと豪華。
鯨の肉とか、干し鮑とかも入ってるし。
「ほれ、遠慮せずに食え。伸び盛りのうちに食っておかねば背が伸びぬし乳もふくらまぬぞ」
そう言って、どんどんボクやかなえに進めてくる。
「む、胸が小さいのはうまれつきでございます……」
恥ずかしそうにそうかなえが言う。
「だから今から食えばよいのだ。景佳くんもかなえ殿の乳が好きそうじゃ。のう」
「え、え、え……」
急にそんなこと言われても。
「おまえさま……?」
「あ、いや、その、あの、えっと……」
あたふたして言葉が思いつかない。
「ふふ、おまえさまったら」
「まったく、まだまだ稚児か」
かなえと頼延さまが揃って笑う。……そんなに笑わなくたって。
「しかし、うらやましいのぉ」
「何がですか?」
頼延様の言葉に、ボクが尋ねる。
「ぬしらは惚れおうた同士、自然に結ばれ、助けおうて暮らせるのがうらやましいと申しておる」
「え?」
「都は窮屈でのう」
また、頼延さまがそう言う。
「惚れおうた者が惚れおうた同士で結ばれたりめおととなるなど、百に一人もおらぬのよ。主従として一つ屋根の下で暮らすことすら、あれでなかなか」
「そうなのでございますか?」
と、かなえ。
「狐同士でさえ、家格やら霊格やらうるそうてな。そうかと思えば、たまたま家格霊格がつりおうても、巫女連のお告げ一つで引き裂かれることとてある」
「……そうなんですか」
「惚れた同士でめおとになれるなど、なんと贅沢なことではないか」
「え、えっと……」
なんだか、知らない間にボクとかなえは夫婦にさせられちゃってるみたい。
「だがの、それが普通よ。つまらぬ格付けやらなにやらで、惚れた男女さえ一つになれぬほうがおかしいのよ」
そう言って、また酒をあおる。
「この桜の如くじゃ。堂々とこの山中でたれにも縛られず咲き誇ることこそ美しいものでな。惚れおうたものが一つになるに、誰の遠慮がいるものぞ」
いつになく頼延様の言葉が多い。
「それに比べれば、われら都のものなど、周りとの釣り合いやらなにやらというて、植えるときから場所も種も決めて植える都大路の桜の如くじゃ。小奇麗かもしれぬが野趣がない」
そう言って、またお酒を飲む。
「何かあったんですか?」
「なに、わが弟がな。生まれた頃からの許嫁がおったのじゃが、肝心の弟が惚れた女子がヒトであったがゆえに、ちと揉め事があって刑部に引き裂かれての」
「それは……」
「下らぬ話じゃ。十年も二十年も顔も見たことがない女子にどうやって惚れよと申すのか。そのような古臭いしがらみにいつまでもしがみついておるから、魑魅魍魎も一向に減らぬ」
「…………」
「魑魅魍魎と申すは、怨念や悪念から生まれるでの。元を断たねば減らぬ道理よ」
頼延さまも大変らしい。
「さて、つまらぬ話をしたのう。拙者も、もうしばらくこの桜花を愛でたら、また都へ帰らねばならぬ。鞘の方、頼んだぞ」
「はい」
「ぬしらも、この桜花の如く、人の世の下らぬものにとらわれず、大きく育ってくれよ」
「え、あ……はい」
それから、頼延さまはもう数杯さかずきをあおると、気分も良くなったのか、笑って山道を降りて行った。
「……おまえさま」
二人きりになってから、かなえがボクを呼ぶ。
「なに?」
「ここの暮らしは、よきものなのですね」
「そうみたい」
ボクは都に行くことはあまりないけど、行った時はいつも華やかな印象ばかりが目に付いてる。
だけど、裏は大変みたい。
こんなふうに、かなえと二人で仲良く過ごすことは難しいのかもしれない。
「おまえさま」
そんなことを思ってたら、かなえが僕にそっと身をよせてきた。
「わたくしは、幸せでございますよ」
「うん……ボクも」
そう言って、ちょっと抱き寄せてみたり。恥ずかしいけど。
「よき花ですね」
「うん」
改めて見上げると、本当に大きな桜。
ボクたちも、こんな風に、一つの大きな樹になれるんだろうかとそんなことを思ってみたり。
「なれますよ、おまえさまとなら」
おなじことを思っていたのか、かなえが、そう言ってきた。
「そうだね」
「ええ、そうですとも」
二人で、大きな桜の木を見上げる。
これからも二人で一緒に、力を合わせて頑張っていこうって、そう心の中で思った。