猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

岩と森の国ものがたり19a

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岩と森の国ものがたり 第19話(前編)

 
その頃、太陽の都にあるエグゼクターズ基地の一室では。
「レーマ……そろそろ戻ってくるかな」
「一年と言っていたから、無事ならばもうじき戻ってこよう」
「無事なら……レーマ、大丈夫かな」
「まっとうな勝負なら、私のレーマが遅れをとることはあるまいが……」
 リシェルとアンシェルが、心配そうに顔を見合わせてそう話す。
 鉄格子で遮られた部屋の中に、レーマの姿はない。
「……私がこのようなザマでなければ、レーマをあのような苦界に行かせることはなかったというのに……」
「姉様は悪くないよ。それに、今の姉様が行ったら余計心配だし」
「……そうだな」
 自嘲気味にアンシェルが笑う。
 かつて女王派の騎士であった頃、戦いに敗れて囚われ、執拗な拷問と輪姦を受けたアンシェルは、今でも心に深い傷と、男に対する恐怖心を負っている。
 かつては誰が相手でも怖れずに立ち向かって行けたが、今では一人きりだと戦うどころか、身体がふるえて逃げることさえ出来ない。
 今のアンシェルは、側にレーマがいて初めて、昔のように振舞うことが出来る。
 逆に言えば、決して一人にはさせられないのだ。
 そんなアンシェルの代わりとして、レーマはもう一年近くも前に、シュバルツカッツェへと送られていった。

 繁栄を続けるネコの国の首都、シュバルツカッツェ。
 その郊外に、石造りの巨大な闘技場がある。
 唯一超大国としての繁栄と富が生み出したきらびやかな退廃は、ありとあらゆる娯楽を編み出しては飽きて打ち捨て、そして更に刺激的な娯楽を求め続けていた。
 そんな中で、ヒト奴隷の剣闘がネコの貴婦人達の娯楽として人気を博していた。
 貴重品であるヒト、それもいたいけな少年や少女が命をかけて戦い、そして命を散らすそれ自体を娯楽として楽しむということ。
 貧民では中古一匹買うことさえ困難な、ヒトの少年少女のかけがえのない命を。
 そんな貴重なヒトの命を、ただの消耗品として娯楽の贄とする歪んだ贅沢。
 それこそが自らの繁栄を謳歌する瞬間だったのである。
 そのため、ヒトの剣闘にはあまたの貴婦人から多大な金額が落とされていった。
 敗者は一片の死肉として打ち捨てられ、食肉にされる反面、勝者は多大な賞金を与えられる闘技場の掟。
 ゆえに、勝利を積み重ねる優秀なヒト剣奴の所有者には莫大な富が集まっていった。
 だから、レーマはシュバルツカッツェへと送られたのだ。
 
「この前、ミスティから早馬が届いたわよ。レーマ君、無事に契約満了でこっちに戻ってくるって」
 ニュスタが、アンシェルとリシェルの捕らえられている部屋の鍵を開けて中へと入ってきた。
「本当かっ!?」
「無事なのですね?」
 ふたり同時に、そう声を上げる。
「あぁ、見事に五体満足みたいよ。それどころか、年間不敗、おかげでずいぶん賞金稼いだみたい」
「ねんかん……ふはい?」
「つまり、負けなかったということか?」
 驚きの声を上げるリシェルとアンシェルに、ニュスタがうなずく。
「そういうこと。ま、レーマ君の階級だと負けちゃったらほぼ死ぬから、五体満足で戻ってくるって事は一度も負けなかったってことよね」
「すごいな……レーマ」
「ま、まあ、わかりきっていたことだ。私のレーマがそこらの剣奴ごときに遅れを取るはずなどない」  
 さっきまでずっと心配していたのをごまかすようにそう言うアンシェルをみて、リシェルが笑う。
「そんなこといって姉様、さっきまでずっと心配してたくせに」
 そう言われて、アンシェルが顔を真っ赤にして否定する。
「うう、うるさいっ! 私が心配していたのは、あのような場で毒を盛られたり卑劣な手段を使われはしなかったかということだっ! まっとうに闘って、私のレーマが負けるはずがないことなど自明の理っ!!」
 いつの間にか“私のレーマ”ということになっているらしい。
「ふふっ。でも、そのレーマ君、結構向こうで人気だったみたいよ」
 そう言いながら、冊子と何か四角いものが入った封筒のようなものを取り出す。
「ほら、レーマ君ってけっこう美少年じゃない。ネコの貴婦人や腐ネコの間で結構人気出ちゃったみたいよ」
「人気? レーマが?」
 リシェルが問い返す。
「そ。強いし可愛いし、だから結構アイドルになってたみたい」
「あ……アイドルぅ!? あのレーマが?」
 その言葉に、我慢できなくなってリシェルが笑い出す。
「笑わなくても良いではないか」
 アンシェルが横からとがめる。
「ご、ごめんなさい……でも、あのレーマがアイドルって聞いてピンとこなくて……」
「まあ、確かにイメージがわかぬが……」
 二人にとっては、子供の頃から顔なじみの弟のような可愛いペットであって、確かに可愛い顔立ちだとは思うが、それ以上でも以下でもない。
 それがいつの間にかアイドルとか聞かされては、なんの冗談かと疑いたくもなる。
「疑うのも無理ないけど、ほら」
 そう言って、ニュスタがきれいな装丁の雑誌を二人に見せる。
「なんだ、これは……“月刊KEN-DOLL”?」
 二人が、渡された雑誌の表紙をしげしげと見る。
「剣奴とDOLL……お人形さんの造語でケンドル、剣奴アイドルのことみたい。そんな雑誌が出るぐらい、ヒト剣奴は人気みたいよ」
「……見事な絵だな」
 カメラ目線の美少年の顔が印刷された表紙に、おもわずそう口にする。
「それ、ふぉとぐらふぃーっていう技術なんだって。少年少女のアイドル剣奴が毎回そういうので撮影されてその雑誌に掲載されてるみたいよ」
「レーマも、載っているのか」
「そうみたいよ。目次に載ってないかしら。期待のニューフェイスって」
「えーっと、目次……っ!?」
「きゃ☆」
 アンシェルが表紙をめくった瞬間に凍りつき、リシェルが妙に嬉しそうに悲鳴を上げる。
「ななな、なんだこれはっっ!!」
 慌てふためくアンシェル。
 そこには、ブーメランパンツ一枚の美少年が海辺ではしゃぐグラビアが掲載されていた。

「何を見せるのだ貴様はっっ!!」
 アンシェルが、耳まで真っ赤にしてニュスタに怒鳴る。
「こ、これって……その」
 リシェルは、頬を染めてその写真に見入っている。
「だから、そういう雑誌なんだって。ネコの女の子はそーゆーのみてきゃーきゃー言ってるのよ」
「見せるなっ、品がない!」
「そー言われてもねえ」
 アンシェルがニュスタに食って掛かっている横で、リシェルが少年剣奴たちのグラビアをめくりながら恥ずかしそうに嬉しがっている。
「やだ、これ凄いかも……ほらほら姉様、これなんてほとんど裸……」
「そのようなものを見るなっ! ……」
 言いながら、横目でちらちら見てしまっている姿をニュスタがおかしそうに眺めている。
「レーマくんはセンターカラーで出てるわよ。結構すごいことになってるから」
「す、すごいこと……だと?」
「レーマが……えっと……」
 何を妄想しているのか、顔を真っ赤にして見合わせるアンシェルとリシェル。
「え、えっと……センターカラーって……真ん中よね……」
「あ、ああ……」
 妙に緊張した様子の二人がページをめくってゆく。
 ページをめくるたびに、肌もあらわな美少年の写真が出ていて、そのたびに顔を真っ赤にして目を背けるアンシェルと、嬉しそうな悲鳴を上げて見入るリシェルの対比がおかしい。
 そして、ページをめくって……
「きゃ♪」
「なっ……なんだこれはっっ!!」
 二人が同時に声を上げる。
 雨の闘技場を背景にした、見慣れたヒト召使の写真。
 見間違えるはずもない、レーマの姿だった。

「こ、これ……ちょっと大胆……かも」
「あ、あ……あの大うつけはっっ!! はるばる国境を越えて何をやっておるのだっっ!!!」

 驚いたように写真に見入っているリシェルと、衝撃のあまり怒り出すアンシェル。
「けっこうセクシーに撮れてるでしょ。人気あるのも納得よね~」
「人気が何だっっ!! 私はレーマをこのような破廉恥な男に育てた覚えはない!」
「そんなに怒んなくてもいいのに」
「これが怒らずにおれるかっ!! あのケダモノのようなネコの女どもに、私のレーマがこのような姿を晒しているかと考えただけで虫唾が走るわっ!!」
 
 雨の闘技場で、やや悲しげな表情で空を見上げるレーマの写真。
 右手には剣を握り、上半身は裸。腰当てひとつを身に着けただけの剣闘士の姿。
 少年の色白な裸身の上を水滴が伝い、濡れた黒髪がひとすじ頬にかかり、悲しげな表情とあいまって妙に扇情的な雰囲気をかもし出している。

「こ、これ……透けてるよね?」
 腰当の白い布が雨に濡れて半透明になっている。濡れた布が太股に張り付いているため、くっきりと太股の形を浮き上がらせ、かすかに肌の色も見える。
 リシェルがどきどきしながら、グラビアを指差して言う。
「こ、このレーマ……なんだか……ちょっとやらしくない……?」
「私に聞くなっ! あのたわけめ、戻ってきたら断じて許さぬ! 三日三晩、この手で折檻して鍛えなおしてくれる!」
 色恋沙汰に奥手なアンシェルには、いささか許しがたいのだろう。
「そんなに怒んなくてもいいのに。レーマくん、アンシェルの身代わりで行ったんだから」
「それとこれとは別だっ! 剣闘ならまだしも、このような破廉恥な姿を晒すなどとは聞いておらんっ!」
「破廉恥って。そういうけど、アンシェルだって向こうに送られてたら、こんな格好させられてたのよ♪」
 そう言って、雑誌の後ろの方を見せる。
「なな、なんだこれはっっ!」
「ちょっ……えっちぃよこれ……」
 まだ幼さを残すヒトの少女が、小さなビキニ鎧だけをまとったあられもない姿でポーズをとったグラビアが掲載されている。
 少女達の恥ずかしそうな表情と、手首や足首につながれた鎖が、ネコの野郎どもの劣情を刺激しそうなのは想像に難くない。
「アンシェルちゃんの場合はこんな感じ。誰が行っても、剣奴ってこんな扱いよ」
 ニュスタがなだめるように言う。
「獣人どうしのまともな闘技より、ヒトの少年少女使ったストリップまがいの剣闘の方が、シュバルツカッツェじゃ娯楽として盛り上がってるのよ。落とすお金の量が五倍ぐらい違うんだって」
「……わ、私のレーマを……ええいっ、私のレーマにあのような男娼まがいの真似をさせたのはどこの誰だっっ!!」
「そんなこと言ったって。国境越えてまでかませにされるよりは人気が出たほうがいいじゃない」
「そういう問題ではないっ!」
 感情を抑えきれずにわめき散らすアンシェル。……どうやら理屈と言うより、自分以外の女にレーマの裸を見られるのが我慢ならないらしい。
「けど、ここ見てよ」
 ニュスタが、センターグラビアにページを戻して指差す。
「『遙かなるわが君へ』なんてタイトルつけられてんのよ。アンシェルとリシェルのこと。しかもこの記事がまた、レーマくん恥ずかしいこと言ってるんだから」
「は、恥ずかしいこと……?」
「これ以上恥ずかしいことがあるかっ!」
「そんなこと言わずに、読んでみなさいって。アンシェルちゃん、顔真っ赤にしてのぼせちゃうかも♪」
「そ、そうなんだ……」
「たわけっ! この私がそのようなことで……」
 怒り散らしながら、それでも記事を読んでいくアンシェル。

「な、な、なっ……」
「れ、れーま……こんなこと言わないでよっ……」
 ほんの半ページ読んだあたりで、もう赤面しはじめている。

「た、たわけっ……そのようなことをよくも臆面もなく……」
「やだぁ……そんなこと人前で告白しないでよぉ……」
 一ページ読み終えたあたりでは、二人とも耳まで真っ赤になっている。

「…………」
「…………」
 二ページ目あたりになると、言葉もなく黙々と読んでいる。二人とも、熱病にでもかかったように顔が赤い。

「………………」
「………………」
 ようやく読み終えた頃には、二人ともぽーっと浮かされたようになっていた。

「ね、恥ずかしかったでしょ♪」
 楽しそうに尋ねてくるニュスタ。
「こんなもの読ませるなっ!! 恥ずかしくて死にそうになったわ! というかあのたわけめ、こんなこと人前で言うなどどういう神経をしておるのだっっ!」
「こ、これ……レーマ、こんなことよく人前で言えたよね……」
 恥ずかしさを誤魔化すようにわめくアンシェルと、恥ずかしすぎてぼーっとなってるリシェルをみて、ニュスタが面白そうに説明する。
「ふふ♪ ま、ほとんは八割ぐらい誇張だと思うけどね。こういう雑誌って、読者の女の子が喜ぶようにキャラにあわせて色づけするのよ」
「き、きゃくしょくとはいえだな……かつじとしてこのようなことを……いやその、いうなとはいわぬが……」
 声が上ずったままのアンシェル。記事の中で、レーマが言った事にされている『愛しています』とか『一生を捧げ尽くす』とか『身も心もあの人のもの』などという単語が頭の中をぐるぐる駆け回っているらしい。
「レーマくんの場合は『愛するご主人様の身代わりになって剣奴になった健気なヒト奴隷』というキャラなのよ。ま、経緯は同じようなものだけど、女の子がきゃーきゃー言うための脚色とか演出ってのがあって、ね♪」
「……で、でもこれ……すごいよね」
 リシェルが真っ赤な顔でじーっと記事を見つめている。
「ま、そういうキャラクターとしてのレーマくんが結構人気なのよ。最近じゃプロマイドもいろいろあって、ほら」
 そう言って、二人に見せると。
「なっ……」
「ゃんっ……」
 二人揃って言葉を失う。

 返り血を浴びて立つ、剣闘士姿のプロマイド。裸の上半身に、頬から胸板にかけてついた返り血の鮮やかな色と色白の肌のコントラストが目を奪う。
「やだっ……これ何かえっちい……」
「……あのたわけは……何をしておるのだっ……」
 半ば怒り気味にアンシェルが次のプロマイドを手に取り、そしてそのまま凍りついた。
 牢獄のような場所で撮られたプロマイド。上半身裸の剣闘士姿のまま、鎖で両腕を拘束されて、ベッドに仰向きに倒されている。そして腰当てのバックルが緩められて、少しずらされている写真。
「こ、こ、これってほら、その、あれよね……」
「わわ、私に聞くなっ……」
 何か妙にそわそわしながら顔を見合わせる二人。子供の頃から知ってるレーマだけに、余計に刺激的だったらしい。
 慌てふためき、まるでなにかから逃げるように次のプロマイドを手に取る。
 三枚目は、二枚目と同じ場所で撮られたらしいプロマイド。こんどは裸ではないが、サイズの合わない短めの囚人服を着せられ、虚ろな表情で両腕を天井から吊るされている。
 その囚人服も胸元から大きく引き裂かれ、破れた隙間から素肌と腹がちらちらと見えるのが、ある意味裸よりいやらしい。
「ち、ちょっとほら、これ、おへそ見えてる……」
「へ、へそぐらいなんだっ、さっきのよりはましだろう……」
「でで、でもこれ、やっぱり何かやらしいよね……?」
「こ、こんな顔をするのが悪いのだっ……これではまるで、襲ってくださいといっているようなものではないかっ……」
 そして四枚目も、同じ場所で撮影されたのだろう。
 今度は左足を鎖でつながれ、全裸で石床に座り込み振り向いている。振り向いた表情は悲しそうな瞳で、口許だけ諦めたような微笑を浮かべた表情が女心をそそるのだろう。
「お、おしり、おしり見えてる、おしり見えてるよ……」
「おおお、おしりおしり言うなっ……」
 二人とも、半分錯乱しかかっている。 
 五枚目で、ようやく服を着たプロマイドがあった。
 ……が、衣服がどこの少女マンガから飛び出してきたのかといいたくなるような王子様コス。
 しかも背景は薔薇。……それはいいのだが、王子様コスなのに鎖付きの首輪をつけられている。。
「やんっ、このレーマかわいー……なんだかおとぎ話みたい……」
「……こ、これは……仕立て屋を探せということなのか……?」
 なぜそうなるのだろう。

「…………」
 机の前に広げられた五枚のプロマイドを前に、なかば放心状態のアンシェル。
 恥ずかしそうにしながらも、しっかりと見ているリシェル。
「結構売れてるんだって。腐ネコに大人気って言ってたわよ」
 ニュスタの言葉に、アンシェルは放心したまま反応しない。
「………………」
「アンシェル?」
「……ここここ、この写真撮った奴を連れて参れっ! 天に代わって成敗してくれるわっ!! 私のレーマを何だと思っている!!!」
 刺激が強すぎて半ば錯乱しているらしい。
「ニュスタぁ、これ……もらっちゃっていい?」
 その横から、リシェルが尋ねる。
「リシェルっ! こんな破廉恥なもの捨てろっ!!」
「えーっ……だって、レーマ普段はこんな姿してくれないもん」
「してたまるかっ!! 私の前でこのような姿を取ってみろ、その時は……」
 斬り捨てる、という言葉が出てこない。
「そのまま襲い掛かりそうね♪」
 横から、ニュスタが茶々を入れる。
「だだだ、黙れっっっ! 私のレーマがこのような姿をしてみろ、その時は……」
 言いかけて、頭の中で光景がよぎったのだろう。
「…………」
 そのまま、ぼーっとなって倒れそうになり、慌ててリシェルが横から支えた。
「姉様、ちょっと横になったほうが良いかも……」
「…………」
「そーね。そのままだと鼻血出るわよ。ちょっと濡れ布巾用意するからベッドに寝かせといて」
「……れーまが……れーまが……」
 うわごとのように繰り返している。
「やっぱり、ネコのセンスはちょっと刺激が強かったかな」
 濡れ布巾を用意してきたニュスタがそう口にする。
「うん、ちょっとすごかったかも……」
 まだ頬を赤くしているリシェルがそう答える。
「けど、あれが売れてるらしいのよ。レーマくん、童顔で色白だから腐ネコに好かれてるみたいよ」
「うん……ちょっとほしいかも」
「ほしいって、リシェルは本物がもうすぐ帰ってくるんだからいいじゃない」
「うん。帰ってきたら……レーマにあれと同じ格好させるんだ♪」
 ものすごく嬉しそうにそうリシェルが言う。それが耳に入ったのか、アンシェルが飛び跳ねるように起きる。
「やめんかっ!! あのような破廉恥な姿を私のレーマにさせられるかっ!」
 が、言った直後にまたそのままぱたんと倒れてしまう。
「たぶん、アンシェルちゃんの頭の中でレーマ君のえっちな姿がぐるぐるしてるはずよ」
「そんな感じ……」
「れーま……れーま……」

     ◇          ◇          ◇

 半年ほど、時間はさかのぼる。
 ハトゥン・アイユから遠く離れたネコの国の首都、シュバルツカッツェ。
 その郊外にある闘技場の控え室。
「……今日は、どんな相手なんですか」
 上半身裸、腰当てひとつ身に着けただけのレーマが、ネコの女性……ミスティに尋ねる。
 左手には剣奴証明の腕輪、頭には月桂冠を模してデザインされた金のリング。水滴のように、小さなダイヤがいくつかちりばめられている。
「今日はかませにゃ。チキュウにいた頃はちょっとしたワルだったみたいだけど、まともな訓練も受けてない、弱いものいじめしか能がないザコにゃ」
「……怖いもの知らずに突っかかってくるタイプですね」
 少し緊張した声でレーマが言う。
「そうかもしれないにゃ。そういうチンピラ相手には、下手に技に頼らずに一撃で斬り捨てたほうが安全にゃ」
「それで、お客さんは沸きますか……?」
「今日の流れだと、ちょっとこうすっきりしない試合が多いから、ここらでそういう試合を見せておけば沸くにゃ。泥試合ばかりだったから、派手な試合を待ってるはずにゃよ」
「だったら、早めに終わらせてきます」
「それがいいにゃ」
 闘技場のスタッフが、レーマの身体にオイルを塗る。
「最近、レーマの人気はうなぎのぼりにゃ。プロマイドもよく売れてるにゃよ」
「……なんだか、ピンときませんね」
 そう言って困ったように微笑する。
「その顔にゃ。レーマは童顔だから、そういう表情が女の子の欲望を刺激するにゃ」
「そ、そうなんですか……?」
 本人には全く自覚がないらしい。
「歓声に気づかないかにゃ?」
「え、いえ、その……たしかに、最近声がすごいなとは思いますけど……」
「……やれやれにゃ」
 肩をすくめて、ミスティが息をつく。まあ、自覚がないのがいいのだろうと思うことにする。
 その間にスタッフがオイルを塗り終わると、そのまま入場の準備を始める。
「この鎖だけは、いつまでたっても慣れませんね」
 手錠と鎖を見ながら、レーマがこぼす。
「これも演出だから我慢するにゃ。一応『レーマは囚人にゃから普段ずっと鎖につながれてて、試合中しか手枷足枷を外されない』って設定にゃから」
「……だから、僕のぷろまいどだけいつも牢屋で撮影されるんですね」
 剣奴仲間の友達の場合は、海とかにも行って明るい雰囲気の撮影もあるのに、レーマの撮影だけはなぜか牢屋とか雨の闘技場とかそんなのばかりだったりする。
「けど、あれが売れてるにゃよ。レーマはいじめられて泣きそうな顔が一番人気あるにゃ」
「……それはそれで……つらいです」
 そんな話をしている間に、手錠と鉄球付き足枷が取り付けられる。そして最後に、目隠しのレザーマスク。
「よし、じゃあ行ってくるにゃ!」
 元気よくミスティが送り出してくれる。
「……行ってきます」
 拘束されて、視界も失うと、やはり少し不安になる。その中で、レーマは鎖を引かれて闘技場へと向かう。
 しばらく歩くと、屋外のすこし冷たい空気が肌に触れはじめる。
 そして、花道の左右、少し高いところにある観客席から響く歓声。
 花道をまっすぐ歩き、両肩に手を置かれたところで足を止めると、目隠しのレザーマスクが外された。
 レーマの素顔が見えた瞬間、左右の観客席からひときわ大きい歓声が起きる。
 目の前には頑丈な鉄格子。その先に闘技場がある。
 左右の観客席は、約4メートルほど上にある。おそらく、剣奴の逃亡や、熱狂的なファンが観客席から剣奴を誘拐する事を防ぐためだろう。
 その観客席からは「レーマくーん!」「レーマーっ!!」「こっち向いてー!」という黄色い歓声と共に、花やリボンが投げ込まれる。
 高いところにある観客席にレーマが少し恥ずかしそうに手を振ると、きゃあきゃあと歓声が巻き起こる。
 その中で、手枷足枷が外され、一振りの真剣を握らされる。

 向かい側の花道には、髪を金髪に染めた痩せた男。手に持っているのは両手持ちのだんびら。
 どうやら、薬物を投与されているらしい。鉄格子を蹴飛ばして奇声を上げて吼えているのがわかる。
 なるほど、噛ませだと思った。

 シュバルツカッツェの王立闘技場は大小二つある。
 大きいほうは、騎馬戦や水を浮かべての模擬水戦などもみせるもので、中央の舞台は縦横300メートル四方、観客五万人収容という巨大なもの。
 個人の剣闘などに使われる小闘技場は、舞台は直系約50メートル、壁の高さ約3メートルの円筒形。それを丸く囲むようにして、一万人収容の観客席。
 そしてそこで開かれる試合は4種類。

・ナックル……素手、防具無しの総合格闘技。
・ガントレット……篭手、シューズ着用の、打撃系を中心とした格闘技。
・シルト……武器使用、軽防具着用の剣闘技。
・ソード……武器使用、防具無し。もっとも危険度の高い剣闘技。

 危険度が高いほど、観客の熱狂度が高い。つまりは、お金を落とす額も高い。
 そのため、レーマはこの闘技場の剣奴になってからはずっと、その最も危険なソードマッチを行っている。
「これより第12試合、選手の紹介を……」
 毎度のことながら、試合前のアナウンスの声は歓声にかき消されて花道までは聞こえない。
 しばらくして、鉄格子が開く。それが試合開始の合図。
 レーマは剣を片手に持ったまま、まっすぐに中央まで歩いてゆく。
 向かい側の男は、大きく左に回ったかと思うと、急に向きを変えたり走ったり、なんともいえない不規則な動きを見せる。
 それで幻惑させているつもりなのか、それとも薬物の影響なのかはわからない。どちらにせよ、間合いが届かないうちは相手の位置を視界にとどめるだけでよい。
 奇妙な動きをしながら、男がレーマへと近づいてくる。
 奇声を上げながら近づいてくる男の表情は、レーマが外見的に幼く見えるせいか、頭から油断して掛かっているらしい。
 威嚇するようにだんびらを振り上げ、品のない笑っているような顔で近づいてくる相手。同じヒトとは思いたくもないほどに醜悪に見えた。
 そういう相手なら、むしろ自分から出たほうが良い。
 相手のだんびらが、もう少しでレーマに当たるという距離まで近づいたとき、先にレーマが踏み出した。
 一瞬、男の判断が遅れる。
 男が慌てて剣を振り下ろそうとするより早く、レーマの剣が男の胸を貫き、そして真横に切り裂いていた。

 勝負は一瞬、一太刀で終わった。
 あっけなく終わらせすぎたかと少し不安になる。
 命を賭けているとはいえ、興行は興行。
 レーマのように、素人とはおよそ桁違いの技量を持っている場合は、ただ勝つことよりも多少の“遊び”……言い換えれば、観客が喜ぶ程度に苦戦して見せたり試合を長引かせたりする演出が求められる。
 最初の頃は、ただ圧倒的に勝つだけであったため、試合後よくミスティに叱られた。
 今日も、これだけ差が合ったのならもう少し長引かせたほうが良かったのではないだろうか。
 そんなことを考えながら、恐る恐る観客席を眺める。

 大歓声が沸き起こっていた。

 最近、演出とはいえ苦戦してみせることが多かっただけに、たまには瞬殺するような圧勝も嬉しいのだろう。
 とはいえ、いつも圧勝でも人気は出ない。
 その辺の強弱のメリハリのつけ方は、大体いつもミスティが考えてくれる。
 要は、勝つのは当然のこととして、どのようにして勝てば観客が沸くかというブックの書き方。ブックとはいうが、真剣を使う以上、負けた相手は本当に死んでしまうし、運が良くても一生ものの大怪我を負う。
 はじめから殺される前提で送り込まれる対戦相手にとってはたまったものではない。
 当事者は命を賭けているとはいえ、所詮……この大観衆にとっては、娯楽にすぎないということなのだろう。
 少し困ったような表情を浮かべたまま、レーマは花道へと戻る。
 そこで、再び鎖と足枷をつながれ、レザーマスクをかぶせられる。
 背後で鉄格子が閉まる音がして、そしてまた歓声の中を控え室とひっぱられて行った。

「いー感じに盛り上がったにゃ」
 浴室で湯をかぶり、返り血と油を落としてから控え室に戻ると、ミスティが嬉しそうにそう言って両手を握ってきた。
「たまにはばっさりと斬り捨てるのも悪くないにゃ。あとはセミファイナルとメイン。まあ、こっちは心配しなくてもうまくいくにゃ」
「今日は、どんな順番なんですか」
「13試合はセイカ、14試合はユーキ、メインでカスミにゃ」
「メインはカスミさんですか」
「ま、一昨日はセイカ、先週はユーキがメインだったし、野郎どもからはカスミが一番人気だからにゃあ。カスミはそろそろ引退も考えなきゃならないし、辞める前にたっぷり稼いでおくにゃ」
「引退……ったって、カスミさん、僕よりいくつも上じゃないでしょう?」
 と、レーマとミスティが話していると。
「18よ」
 と、ぶっきらぼうな声が聞こえてきた。
「あ、カスミさん」
「女のトシを詮索するものじゃないよ」
 ややきつい口調でそう言ってくる。
「す、すみません……」
 ショートカットのボーイッシュな容姿。笑えば可愛いのだろうが、いつも厳しい表情を崩さないのと、相手が男でさえ勝つ強さが男女を問わない人気を生み出している。
 女剣奴用の、小さな革ビキニをまとっただけの鍛えられた肢体。女性でありながら隆起した腕の筋肉とくっきり割れた腹筋が、彼女が何年もこの闘技場で生き残ってこられた理由を何よりも雄弁に物語っている。
「本当は去年引退するつもりだったんだけど、勝っちゃったからね」
「去年って、じゃあ17で?」
「五年やりゃあ十分さ。こっちは12からここに立ってる。言いたくないけど、いい加減身体にガタきてんのさ」
「じ、じゅうに……」
 驚くレーマに、聞きなれた声が横から話しかけてきた。
「デビューは俺より先だったからな。身体が出来上がる前から真剣持ってやらされてちゃ、傷みも早い」
「ユーキさん……」
 180センチを超える長身の剣奴。カスミの兄のユーキが準備を終えて控え室に入ってきた。
「まだガキのうちからこんな重てぇもん持たされて試合させられてみろ。15の頃には膝も腰もボロボロさ」
「……そうやって、人の故障を横からベラベラしゃべんないでくれる?」
 不快そうにカスミがそういうのを、ユーキが反論する。
「隠し通せるもんでもねーだろが。それだけ筋肉つけたら、観客席はともかく、近くで見たら誰が見てもドーピングでボロボロの関節ごまかしてるってわかるだろうが」
「……そうだね」
 少しだけ寂しげな表情を見せる。
「当時のブッカーが頭悪いんにゃ。目先の金ほしさに子供を上げて、変態趣味のネコ男どもから金巻き上げてたにゃ。ん~……なんていうかにゃ、子供を使い捨てにして金を稼いでたにゃよ」
 ミスティがそう言って腕を組む。
「…………」
「ま、私も人のことは言えないけどにゃ。今、故障だらけのカスミをクスリ漬けにしてまで闘技場上げてるのは私にゃからな」
「そいつはいいさ。どのみち、あたいはここでしか生きられない。……今の動きが出来るうちはまだ闘うさ」
 覚悟を決めたような言葉だった。
「……その、頑張ってくださいとしかいえませんけど」
 レーマが、なぜか申し訳なさそうにそういう。
「何言ってんにゃ」
 ミスティが、そんなレーマの背中をばんと叩いて言う。
「カスミの引退試合の相手、レーマにゃよ」
「え……えええええええっ!?」
 初めて聞かされた事実に、思わず声を上げる。
「何驚いてんだい。セイカもユーキもあたいの兄弟なんだよ。まさか兄弟とやれるわけないんだから、その次に腕の立つアンタが相手するにきまってんじゃないか」
「え、え、え……」
 呆然として声が出ないレーマ。
「まったく。こんなのが相手で大丈夫なのかねぇ」
 カスミが心配するような呆れたような目でレーマを見る。
「にゃーに、レーマは本番に強いタイプにゃ。油断してたら負けるにゃよ」
「そういう『本番に強い』ってタイプ、もう三人は潰したよ」
「さ、さんにん……」
 完全に怖気づいているレーマ。
 そんなレーマの後から、明るい声が聞こえた。
「おまたせーっ! 試合もうすぐ?」
 声の主は、ユーキとカスミの弟、セイカ。レーマより一つ年下の15歳。
 モデルでも通用するような美少年で、闘技場でも姉のカスミと一、二を争う人気を誇る。
 今現在、メインを張れる実力を持っているのは、ユーキ、カスミ、セイカの三兄弟とあと二人ほど。レーマは人気はともかく、格で言えばまだセミファイナルどまり。
「何をやってた。休憩と場内清掃もうすぐ終わるぞ。そしたらスグだ。いますぐ準備しろ」
 ユーキがそう言って咎める。
「ごめん」
「じゃ、油塗って急いで準備するにゃ」
「うん」
 闘技場のスタッフから油を塗りこまれると、セイカの少年特有の危険な色気がいっそう際立つ。
 もともと、油は組み付き防止と保温、その他色々な理由があって塗られるのだが、セイカやレーマの場合、まだ幼さを残す少年と言うこともあって、油で輝く肌が妙に艶めかしく映る。
 これが、もう少し年上のユーキやカスミになると、油を塗ることで肌の輝きの陰影がつき、鍛えられた筋肉を強調させる意味合いを持つ。

 丹念に油を塗り込められたセイカに、白いマントをまとわせ、銀の首飾りで飾る。武器はショートソードの二刀流。
 レーマのような、剣奴隷の哀愁を感じさせる入場演出とは異なり、セイカの場合はいかにもアイドルっぽい、輝くような派手な姿での登場となる。
 その辺は、それぞれの剣奴のキャラクターに応じて異なる。
 さて、身長160センチ程度と小柄な上に、武器も短いセイカの場合は、大半が自分より大柄な敵との試合となり、当然間合いの不利がある。
 それを補うのが、一瞬の隙を突く投擲。
 ナイフに比べるとやはり重さのあるショートソードを、左右どちらからでもほとんどノーモーションの一瞬で投げつけ、確実に急所を貫く技術がセイカの最大の強み。
 もちろん、最初から投げつけては面白くもなんともないため、最初は相手に攻めさせ、あわやというところから逆転の一撃として投げるのが、おおよそパターン。
 ……言い換えれば、接近戦であっても、本気で襲い掛かってくる自分より大柄な相手に対してそこまで『遊べる』だけの力があるということだ。
「じゃ、そろそろ花道に行くにゃ」
「おっけー。じゃ、遊んでくるね」
「……ほどほどにな。この前、遊びすぎてたら小石踏んでコケただろ」
「あ、あれは……」
 ユーキの言葉に、セイカが慌てる。
「あと、たまには投げずに勝ちな。最近ワンパターンだよ」
「う、うん、ちょっと……気になってた」
 カスミの言葉に小さくうなづく。
「じゃあ、今日は華麗に刺し殺すにゃ。レーマもさっき一撃で終わらせたし、今日はいつもと違う勝ち方にこだわるってみるかにゃ」
 ミスティがそんな話をしながらセイカを花道へと連れて行く。
 剣闘士を何年もやっていると、殺すことになんの罪悪感も感じなくなってくる。
 特に、この三兄弟のような、こちらで生まれた世代、地球の倫理観とは無縁の世界で育ったサラブレッドたちは、弱肉強食を当然と思っている。
 だから強いのだ。
 落ちものから剣奴に落ちたヒトが、相手を殺すことにためらいを見せる隙に、なんの迷いも見せずに斬り捨てることができる。
 そしてそれは、レーマにもいえる。
 五歳で落ちてきて、もう十年少し。そして今まで、命がけの戦いに巻き込まれたことも少なくはない。だから、他者の命を奪うことに対して、落ちものと比べると迷いが薄い。

「……え、えっと……」
「何だい?」
「引退試合って……普通にやっていいんですか?」
「ああ、普通で良いよ。下手に花持たせようとか思ってたら、あんたが死ぬからね。言っとくけど、あたい今でもレーマよりは強いよ」
「え、ええ……」
「そうかぁ? 俺が見た限り、けっこう差が縮まってるぜ」
「そう見えるかい?」
「そうだな。少なくとも、返り討ちにした三人よりは腕あると思うけどな」
「……それならそれでいいさ。楽しめそうだ」
「た、楽しむったって……」
 完全に怯えているレーマ。
「はははっ、そうビビんなって。引退試合ったって後一ヶ月は先なんだから、その間にこいつの動き見て研究すればいいんだよ」
「……で、でも……」
「なんだ?」
「僕が勝っちゃったら……カスミさん死ぬんでしょ?」
 恐る恐る尋ねる。その問いかけに対して、カスミは不敵に笑って答える。
「ああ、運が悪いとね。けど、引退試合は大抵レフェリーが死ぬ前に止めるんだ。こっちの旗色悪いとね。で、負けたら……ふふふっ」
「な、何ですか、その笑い方」
「そいつぁ秘密だよ。ただ、お楽しみってだけ言っといてやるさ」
「お、おたのしみ……」
「けど、相手がお前で楽しめるかねぇ……」
 ユーキがぽつりとつぶやく。
「おいおい、そりゃああたいに喧嘩売ってんのか?」
「なんだ、自覚あるのか……って、冗談だよ冗談」
「こっのクソ兄貴……ッ」
 笑いながら手を振るユーキを、カスミが乱暴な言葉で罵る。
「そういう言葉遣いするから心配になるんだよ」
「そっちが先に喧嘩売ってきたんだろうが」
「あ、あの……一体、何が……」
 わけがわからないまま、不安だけが高まっていくレーマ。
「ああ、大したことじゃねーよ。もしレーマが勝てば、こいつとな」
 そう言って、ユーキが親指でカスミを指差す。
「あたいがアンタの筆下ろししてやるって言ってんだよ」
 そして、あっけらかんとカスミが続ける。
「ふふ、ふ、筆下ろし?」
「あんた、どーせ童貞なんだろ?」
「あ、いえ、その、僕は……」
 顔を真っ赤にして否定するレーマ。その表情を見てカスミが笑う。
「あー、こりゃ間違いないね」
「完璧だな」
 と、ユーキも相槌を打つ。
「あ、いえその、ぼぼぼく……」
「わかったわかった。そんなに怖がらなくても痛くしねえよ」
 完璧に誤解されているらしい。
 まあ、童顔の少年が顔を真っ赤にして童貞を否定していては、これは誤解してくれと言ってるようなものである。
「ま、あたいが筆下ろししたくなる程度には強くなっといてくれよ。しょっぱいままだと、女も知らずにあの世逝きだぜ」
「…………」
 顔を真っ赤にしてうつむいているレーマを見て、二人がくっくっと笑っている。

 その頃、剣闘場では。
「速いっ! 二試合続けての瞬殺劇!」
 眼前で起きた圧勝劇に、アナウンサーが絶叫し、観客席からは興奮に満ちた大歓声が怒涛のように響き渡る。
 その中心では、セイカが血にまみれたショートソードを高々と掲げ、大きくジャンプして勝利をアピールしている。
 血に飢えた観客の狂的な大歓声と、たった今ヒトを殺した人間が全身で見せる歓喜。
 明らかに狂的な空間が、その中にいるとまるでそう思えなくなるのが、セイカの試合だ。

「今日はまた、ずいぶんさっさと済ませてきたな、あいつ」
「最近遊びすぎてたからね。たまにはいいんじゃないかい?」
 ユーキとカスミがそう話している。
「そうだな。遊ぶのもいいが、たまには真剣なところみせとかないと印象悪いしな」
 人の命を奪うことを、遊びといえる感覚。
 そういう神経の持ち主にならなくては、生きて行けないのだろう。

「ただいまーっ!」
 返り血を浴びたまま、笑顔のセイカが戻ってくる。
「ねえねえ、見てくれた?」
「悪りぃ、もーちょっと遊ぶと思ってたから見遅れた」
「むぅ~」
 ユーキがそういうと、セイカが拗ねたように口を尖らせる。
「さ、いいから血糊落としといで。ユーキとあたいは試合の準備始めるから」
「はーい」
 ちょっと不満そうな返事を残してセイカが浴室へと消える。
「さて、レーマも試合終わったからって帰らずに、できるだけ向こうの窓から俺とカスミの試合見とけよ。引退試合までにヒント見付とかないと、正直死ぬぞ」
「……はい」
「手加減する気はないからね。そいつは客に失礼さ。引退試合ってのは遊び無しの真剣勝負だからね。……レーマも、死にたくなけりゃ腹くくるんだよ」
「……はい……」
 厳しいようだが、その覚悟を最初に持たせて置かないと、生半可な気持ちで引退試合に挑んでは、間違いなくレーマは死ぬことになる。
 突き放すような言葉も、レーマを生き残らせるためのカスミやユーキなりの優しさなのだろうと、そうレーマは思った。
 
 控え室の少し端の方にある窓……と言うよりは観客席の下をくりぬいた覗き穴からは、闘技場の光景を見ることが出来る。
 木箱に腰掛けると、レーマはその覗き穴を見る。
 場内では、死体を片付け、運よく息のある敗者は担架で医務室に運び込み、そして血のついた土を取り除き、新しい土をそこに敷く作業が行われていた。
 その間は休憩時間。観客はめいめい売店でグッズを買ったり、トイレに行ったり、酒やソフトドリンクを買ったりしている。
「あ、もう兄さん試合?」
 浴室から戻ってきたセイカが、がらんとした控え室を見回し、唯一残ったレーマにそう声をかけてくる。
「うん、二人とももう準備して花道の奥に行ってる」
 そうレーマが答えると、セイカがちょこんとレーマの横に腰掛けてきた。
「レーマは僕を待ってたの?」
 そして、無邪気にそんなことを聞いてくる。
「いや、僕がカスミさんの引退試合やるらしくって。それで、試合見て研究しとけってユーキさんから」
「なーんだ。待ってくれてるって思ってたのに」
 拗ねたようにそう言われて、つい謝る。
「ごめん」
「まっ、いーけど。でも、姉さんの相手ってレーマに決まったんだ」
「うーん……今日聞いたばかりだから、よくわかんないけど」
「けど、たぶん決まりじゃない? だって姉さんの相手できそうなのって、レーマぐらいしかいないもん」
「カスミさんには、まだまだって思われてるみたいだけど」
 そうレーマが答えると、セイカがいつもの明るい笑顔で笑いかける。
「でも、レーマなら勝てるんじゃないかな。……なんとなくだけど」
「勝てなきゃ死んじゃうしね」
「あははっ、それもそうだね。姉さん怖いもん」
「だから、試合見て勉強しろって」
「あ、それでここに座ってるんだ」
「うん。見とかなきゃ」
「じゃ、僕も教えたげるね」
 そう言って、横に座って身体を寄せてくる。
「んーと……もうそろそろ始まるかな」
「うん、歓声起きてるね……っと、入ってきたみたい」
 覗き窓の向こうに、長身の男が見える。
「兄さんは、何よりあの長身とリーチの長さが特徴。得意技は『二階から振り下ろされる』って例えられる上段からの面打ち……って、言わなくても知ってるよね」
「うん。……ユーキさんの場合は、武器も僕らの身長ぐらいある大太刀だから、なかなか踏み込めない」
「相手にすると隙がないんだよね。まっすぐ中段に構えて、こっちの動きに合わせてくれない。かといって攻め急いだら、リーチが長いから先に当ててくる」
「突きが厄介なんだよね。リーチが長い上に出が速いから簡単にもぐりこめないし、それを何十発も連続で出しても息を乱さないし」
 二人とも、ユーキの特徴についてはいまさら試合を見るまでもなく知り尽くしている。
 模擬刀と防具を使った訓練では何度も試合しているから、身を持って敵に回したときの厄介さは知り尽くしている。
 獣人とも戦った経験が少なくないレーマから見ても、ユーキは確かに強い。
 しいて言えば、ユーキはあまりにも教科書に忠実な刀法だから、ヒトの常識からかけ離れた動きを見せる獣人相手ではてこずるかもしれない。
 しかし、相手の身体能力がヒトのレベルであれば、これはもうかなり強い。
 とにかく、攻防共に隙がなく、リーチもあるために非常に攻めづらい。
 背筋を伸ばし、無理のない備えから中段に構え、相手を常に正面に捉える。そのため、生半可な攻めは簡単に捌かれ、逆に打たれる。
 研ぎ澄まされた基本の技は、半端な“奥義”やら“秘剣”やらをはるかに凌駕すると、レーマはユーキとの訓練で何度となく思い知らされている。
 思えば、アンシェルやレーマに相手をしてもらった時も、やはりそうだった。
 教わった技を片っ端から出しても、全部捌かれて、基本の技だけで打たれて負けた。
 が、それは相手がヒトより強い獣人だから仕方がないと、そう自分を納得させていた部分もある。
 同じヒトを相手にして、覚えてきた技が研ぎ澄まされた基本に負けるというのは、レーマにとっては衝撃的なことだった。
「たぶん、兄さんは基本を完璧に固めるのが姉さんに勝つ一番の近道だと言いたいんじゃないかな」
「うん……僕もそう思ってた」
「あ、ほら、始まってるよ」
 そう言われて、覗き窓の向こうに目をやる。

 中段にまっすぐ大太刀を構えたユーキと、左右にせわしなく動く対戦相手。
 焦っているのだろうと、レーマは思った。
 小手先の誘いやフェイントにはまるで引っかからない。
 それなら、ただ茫洋としているのかというと、少しでも隙を見せると閃光のような突きが襲いかかる。
 要は、こちらのペースに持ち込めないのだ。
 だから、対戦相手は何とかしてユーキのペースを崩そうとして、せわしなく動く。
 否、“動かされてしまう”と言ったほうが適切だろうか。
 威圧感に耐え切れず、勝手に動き回って無駄に体力を消耗してしまうのだ。
 そして、相手の呼吸が乱れた瞬間。
 目にも止まらぬ速度で繰り出されたユーキの片手突きが、相手の喉を貫いていた。

「……圧倒的だね……」
 ただ、そういうしかなかった。
「……レーマ、あのレベルまでたどり着ける?」
 セイカが、横からそう尋ねてくる。
「……どうだろ……なんていうか、僕も自信あるつもりだったけど……まだまだ……」
 正直、ユーキの試合はいつも見て圧倒される。
 技術とか身体能力とかを超えた、何か理屈で説明できないものが、ユーキの剣にはあるのだ。
「けど、兄さんぐらい強くならないと、姉さんには勝てないよ」
「うん……わかってる」
 自信なさげな口調のレーマ。
 そんなレーマに、セイカが横から不満そうに言う。
「もーっ……せっかく協力してあげてるんだから、もうちょっと自信持ってよ」
「……ごめん。そうだね」
「兄さんも姉さんも、もちろん僕も、ほんとはレーマに期待してるんだから。レーマはきっと強くなるって思ってるんだよ」
「うん……ごめん、ちょっと暗い顔したかな」
 そう言って、無理に笑う。
「そーそー。レーマはもう少し笑わないとダメだよ。僕の友達なんだから」
 そう言って、屈託のない笑顔で笑いかけてくる。
 セイカには、喜怒哀楽のうち“哀”という感情がない。強く、そして客受けのする剣闘士になるため、そのような感情を抱かないように育てられてきたのだ。
 だから、人を殺しても喜ぶし、泣いてる人にでも笑いかける。
 今だってそう。
 圧倒的な力の差を見せ付けられ、どうしようもない不安に襲われているレーマにも、無邪気に笑ってじゃれついてくる。
 だが、そんなセイカの存在が、レーマの心を覆う不安を拭い去るのも事実なのだ。
「ごめん。こんな顔してちゃダメだよね」
「そーだよ。僕がついてるんだから」
「ごめん」
「だからぁ~……そーやってすぐ謝らないでよ」
「ごめん……あっ」
「もぉ~……」
 拗ねたように頬を膨らませる。
「…………」
「…………」
 微妙な沈黙……は、いつも30秒ともたない。
「それでね、レーマ」
 さっきまでふくれていたのが、もう機嫌を直して話しかけてくる。
「えっ、あ、何?」
「特訓、明日から始める?」
 もうすでに、気持ちが翌日のことに向いている。
「あ、付き合ってくれる?」
「うん。レーマと一緒に練習してると、僕も強くなれるし」
「うーん……でも明日は、またいろいろ写真撮ることになってて」
「あ、そーなんだ。じゃ、あさってからやる?」
「そうだね。いろいろ試さなきゃ、カスミさんには勝てそうにないし」
「じゃ、あさって時間空けとくから。それで……」
 と、話をしていると。
「特訓も結構だが、なにをやって何をつかむのか目標たてとかないと時間だけが無駄に過ぎるぞ」
 試合を終えたばかりのユーキが戻ってきてそう言った。
「あ、ユーキさん」
「中途半端な技をいくら覚えたってあいつには勝てねえぜ。何かひとつでも極めることに専念したほうがいい」
「あ、はい……」
「さっきの試合で見せた片手突きだがな、あれひとつモノにするのに二年かかった」
「二年……」
「つっても、そんな時間はねえからな。今あるものの中で、使えそうなのを思いっきり研ぎ澄ますことに集中すればいい」
「はい」
「ほら、もうすぐあいつの試合が始まるぞ」
 その言葉に、覗き窓の向こうを見る。
「かっこーいいよね、姉さん」
「うん」
 ストリップまがい、とも揶揄されることがある女剣奴の試合だが、もちろんそれだけではないというのを、カスミの試合は教えてくれる。
 胸と下腹部のみを隠す露出の高い革のビキニ姿は、観客の劣情を誘うというよりも、むしろ女戦士の鍛え抜かれた筋肉を見せ付けるという意味の方が大きいのかもしれない。
「あれ……今日、ビーストマッチ?」
 カスミの向かいの鉄格子の方を見て、セイカがユーキに聞く。
「そうみたいだな。今日はセミでかませが三試合続いたからな、メインで締めたいんだろ」
「そんな話、言ってなかったような……」
「途中変更だろうな。さすがにメイン4つまとめて圧勝劇だと退屈なんだろう」
 退屈か面白いか、それだけの理由でマッチメイクが変更されることもある。
 ……大抵の場合、より危険な相手に。
 ビーストマッチとは、キメラの失敗作など、廃棄処分にするしかない魔法生物とヒト剣奴との試合である。
 もちろん、興行である以上は、ヒトが負けたら話にならないため、事前に薬物投与などでそれなりに戦闘力を落としておくが、それでも一歩間違えれば死ぬというレベル。
 試合の中に、本物の生死をかけた必死さがなくては、観客の熱狂は得られない。
 見る限り、身長164センチのカスミと比べて二回りは大きい。
「あんなのと……戦って勝てるんですか?」
 レーマにとっては当然の質問だったが、ユーキはふっと鼻で笑って答えた。
「昔のカスミなら、五分で片付ける」
「五分……」
「ま、昔の話だがな。さっきも言ったが、今は全身に故障抱えてる。ちょっと手こずるかもしれん……が、まあ負けることはねえ」
「昔は兄さんより強かったんだよ」
「……去年まで、俺もセイカもあいつの前座だったからな。俺らが強くなったってのもあるが、カスミが身体壊して力落としたってのもある」
「……それでも、強いですよね」
「まーな。けど、あのミスティがおめえさんを引退試合の相手に指名したってことは、がんばりゃお前さんが勝てるレベルにまで差が縮んだってことだ」
 腕を組んで覗き窓の向こうに目をやりながら、ユーキは続ける。
「結構稼いでるお前を、負けるとわかってる試合に出すわけねえからな。金銭的な意味でも死んだら大損だ。それでも出すってことは、勝つ目があるってことだろ」
「……そう言われたら、なんだかそんな気も……」
「つっても、生半可では勝てないのも事実だ。そろそろ始まるぞ」
 そういわれて、覗き窓に目をやる。
 肌も露な女戦士と魔獣の試合。そういうのもここの観客達は好みらしい。
 が、試合の方はやや押され気味に見えた。
 いくらなんでも、体格差がありすぎる。
 さらにいえば、身を守る防具がないため、一撃でも貰えば終わる。
 そのため、なかなか踏み込めない。
 そんなことをレーマが思っていると。
「……やっぱり、昔に比べると相当動きが悪くなってるな」
 心配する素振りもみせずに、ユーキが言う。
「ガタイはでかいが、あれだけ振りが大きくて遅いと、昔ならぽんぽん飛び込めたものだがな」
 その言葉に、セイカが続ける。
「膝と腰やっちゃったからね。去年までの姉さんと比べて、半分ってところかな」
「そんなものだな。ここらが潮時なのは間違いない」
 などと言ってはいるが、二人ともまるで心配する様子もない。
「……大丈夫、じゃないですよね」
 少し心配そうな口ぶりのレーマ。
「あれ、もしかしてレーマ、姉さんのこと心配してる?」
 セイカが意外そうに尋ねてくる。
「そりゃ、まあ……」
「ふーん……意外とレーマって心配性なんだ」
「心配じゃないの?」
 そう聞くと、セイカが笑う。
「あの程度なら、今の姉さんでも大丈夫だよ」
 その言葉に、今度はユーキが説明する。
「距離をしっかりとって、相手に踏み込ませていない。あの距離をキープできれば、まず大きな怪我はない。戦ってると案外狭く感じる闘技場だがな、上手く弧を描いて距離を維持している」
 言われてみれば。
 踏み込めないと感じていたが、よく見れば相手の攻撃が届く範囲も巧みにかわしている。
「で、きちんと反撃も出来てる。相手の攻撃に合わせて、腕や顎に少しづつ損傷を加えているのがわかるか?」
「あ……はい」
 一撃一撃は浅いが、よけながら巧みに怪物の振るう大顎や腕に切り付け、血を流させている。
「昔のような、客受けのする激しい出入りは出来ないってだけで、勝つだけならどうということはない。もう少しビーストの腕と顎を痛めつけたらばっさりだ」
「レーマ、昔の姉さん知らないから。あの程度なら余裕だよ」
「そ、そうなんだ……」
 そんな話をしているうちに、確かに覗き窓の向こうでは様子が変わりかけていた。
 一方的に襲い掛かっているように見えた怪物が、いつの間にか両腕と顎を血まみれにしていた。
 そして、痛みと怒りで荒れ狂う怪物の隙を見つけては、カスミの剣が少しづつ的確に傷を増やしていく。
 試合時間は約20分ぐらい。怪物が上半身を血まみれにしてどうと倒れると、控え室まで震えるような歓声が起きた。
「……すごいな……」
 レーマが、そうぽつりと言う。
「で、レーマならあの化け物相手にどう戦う?」
 ユーキが、そう尋ねてきた。
「え? ……え、えっと……」
 急に言われて、頭の中が真っ白になる。
「えーと、んー……」
 しばらく考え込む。
 が、考えるばかりで一向に言葉が出てこないレーマに、ユーキがしびれをきらす。
「ビーストマッチはだいたい、その日の流れを見てのぶっつけ本番だ。もし今日のメインがレーマだったら、そんだけ悩むヒマはくれないぞ」
「え、えっと、でもでも……」
 頭の中が完全に混乱しているレーマに、セイカが助け舟を出す。
「大丈夫だよ。そんなに悩まなくても、本番になったら覚えてるものが適当に出てくるから」
「……そりゃま、そうだけどな。だけど、ある程度試合の流れを作る訓練もしておいたほうがいいぞ。覚えてるもの出すだけで勝てる相手じゃねえんだから」
「は、はい……」
 少ししょぼんとしていると、試合を終えたばかりのカスミが控え室へと戻ってきた。
「なんだい、みんないたのかい。……って、一人落ち込んでるのがいるね」
 そう話しかけるカスミに、ユーキが冗談交じりに言う。
「お前もそろそろ潮時だな。こいつ、結構心配してたぞ」
「心配……って、あたいの試合をかい?」
「他に誰がいる」
 その言葉に、カスミがくすりと笑って言う。
「やれやれ、こんな子に心配かけるようじゃ、あたいもいよいよだねぇ」
 そう言いながら、しょんぼりしているレーマの近くまで歩いてゆくと、レーマの両肩に手を置いて、
「心配してくれるのはいいけど、まだまだあんたには負けないつもりだよ」
 そう言って笑顔を見せた。
「あ、はい……いえ、僕だったらあの怪物とどうやって戦うんだろうとか」
「あー、そうだねえ……」
 レーマの言葉に、しばらくカスミが考えて言う。
「アンタの武器は手数だね。試合中は剣が止まらないし、技の引き出しも少なくない。だったら、自分から前に出て行ったほうが有利だろうね」
「じ、自分から前に、ですか……」
 魔獣の巨体を前にして本当に自分から前に出られるか、すこし自信がない。
「ガタイがでかいからってそればかり考えてビビんないことさね。その分、どこに振っても当たるし、当たれば痛いし血もでる。的がでかいんだと思えばいいのさ」
 それはそうだが、一歩間違えれば相手の攻撃が直撃する距離に飛び込むのは度胸がいる。
「あんたの剣は攻撃が防御を兼ねてんだ。剣が止まらないから、不用意に打ち込めば腕ごともってかれる。激流の中に飛び込むようなもんさ」
 それは、きっとそうなのだろう。
 戦場での一対多を想定した乱剣こそがハイランダーの剣の真骨頂。
 本太刀と呼ばれる18の型と、それを自在に組み合わせて繋げる風勢剣。
 その風勢剣を得意とするアンシェルから徹底的に型とその連携を叩き込まれたことが、ここにきて生きている。
 言うまでもなく、ただ振り回すだけであれば──もちろん、それはそれで多大な体力が必要だが──誰でも出来る。
 ゲームや漫画の世界で言う、いわゆる乱舞技というものだが、獣人ならともかく、ヒトがそんな動きをすれば、それは体力の無駄遣い以外の何物でもない。
 実戦の場でそんなことをやらかそうものなら、攻め疲れたところでばっさりと斬り捨てられるのが関の山だろう。
 レーマの操る乱剣は、剣の勢いを足捌きに連動させて絶えず動き、その勢いを更に剣に反映させながら、その一振り一振りが確実に眼前の敵を切り裂くもの。
 手当たり次第に振り回す乱舞技に比べたらはるかに無駄が少なく、つまりは空振りが極端に少ない分、攻撃を外した際の隙がない。
 そして興行的に見れば、とにかく動きが大きく見栄えがするために、派手好きなネコにはウケが良い。
 本人はまるでそんな気はないのだが、レーマの乱剣は、観客には極めてわかりやすい「ひっさつわざ」として認知されている。
「……怖いけど、それしかないですね」
「ま、その怖さをどう乗り越えるかだろうね。とりあえず鍛えまくるしかないさ」
「……はい」
 結局は、そこにたどりつくのだろう。
「さて、ちょっと怪我したし、あたいはちょっと医者の世話になってくるよ。あんたらも早めに上がりな」
「はーい」
「わかりました」
「ああ、とっとと帰る」
 三者三様の答えが返ってくる。
「じゃ、また訓練場でな。レーマも、試合までには腕上げときなよ」
 そう言い残して、カスミが片手を上げて部屋を出て行く。
 太股や上腕にいくつかの裂傷があるが、胴体と顔は無傷。
 きちんと距離を取って攻撃を見切れていた証拠だろう。
「……風勢剣、しかないかな」
 ぽつりとレーマが言う。
「一番得意な剣を極めるのが最善だろうな。下手に小手先の工夫に走って勝てるもんじゃねえ」
 ユーキがそう応える。
「特訓するなら、僕が付き合うよ」
 と、セイカ。
「じゃあ、お願いできる? 明日は撮影あるんで明後日から」
「だったら、俺も付き合おう。ちょうど相手が欲しかったところだ」
 レーマの言葉に、横からユーキがそう言ってくる。
「あ、おねがいします」
「よし、じゃあ明後日な」
 そう言って、その日は別れていった。

 そして翌日。
 レーマはミスティに連れられて地下通路を闘技場へと歩いていた。
 剣闘士宿舎と訓練場と闘技場は、距離的には少し離れているが、地下通路でつながっている。
 表通りを歩かせないというのは、剣闘士の逃亡や拉致を防ぐという意味もあるが、それぞれのキャラクターの幻想を打ち砕かせないためという意味もある。
 当人達は命を懸けているとはいえ、あくまでもショーである以上、徹底的に剣闘士たちの幻想を崩さない企業努力がなされている。
 ちなみに、剣闘士興行の権利を握っているのは猫井グループのうち、ミスティの所属する猫井エンターテイメントカンパニー。
 この長い地下通路も、猫井グループが掘ったものである。

「……今日は、どんなのを撮るんですか?」
「ホワイトデーのポスターと、プロマイドに使うのが数種類にゃ。プロマイドの方はちょっと汚れてもらうから、先にポスターの方やるにゃよ」
「よ、汚れるって……」
 何か、嫌な予感がする。
「そんなに怖がらなくてもいいにゃ。別に痛い目には合わないにゃよ」
「…………」
 肉体的にはともかく、精神的に痛い目にあいそうで怖い。
 そんなことを考えていると、ミスティが話しかけてきた。
「カスミの引退試合は大々的にやるにゃ。昨日の試合見てたら、さすがにもう関節が限界に近づいてるし、最後にもう一稼ぎさせたら静養させるにゃ」
「やっぱり、関節がおかしくなってるんですか」
「軟骨は消耗品にゃ。再生魔法もあるけど、使いすぎたら効かなくなってくるし、副作用もあるにゃよ」
「…………」
「商品価値が落ちる前にギリギリのタイミングで辞めさせるのが大事にゃ。本当はもう半年早く辞めさせたかったけど、引退試合を二回も勝ったら辞めさせられないにゃ」
「で、僕が相手するんですよね」
「そうにゃ。だからここで一気にアピール度を高めて売りまくるにゃ。レーマも契約期間はあと半年だし、ここからが勝負にゃ」
 そう言ってぐっと拳を握り、目を輝かせている。
「…………」
 嫌な予感がとめどなくあふれはじめていた。

 闘技場と同じ建物内にある、撮影用のスタジオ。
 十数室ある部屋にそれぞれ、いろいろなセットが組まれていて、そこで撮影を行う。
 ……そう、いろいろ用意されている。

「こっちにゃ」
 最初に案内された部屋は、バスルーム風の部屋。そこに、ソフィーと名乗るメイク担当らしきウサギの女性とネコの女性カメラマン、そしてスタッフらしい獣人が数人待っていた。
 入浴シーンとかシャワーとかの撮影で使われる……そしてほとんどの場合、全裸にされる。
「いきなり、ココですか……」
 沈んだ表情を見せるレーマ。その暗い表情を無視してミスティが言う。
「最初にやらないと、今日は徹底的にレーマを汚しまくるからにゃ」
「け、汚しまくるって……」
「ふっふっふっ、知らぬが花にゃ。さあ、とりあえずメイク済ませたら浴槽の中に入るにゃ」
 浴槽の中には湯が張られ、その上一面にぷかぷかと球体が浮かんでいる。
「なんですか、この玉」
「キャンデー……のつもりにゃ」
「き、きゃんでー?」
「ホワイトデーのポスターは三種類にゃ。とりあえずここでキャンデー風呂と、あと二つは別のスタジオで撮るにゃ」
「……きゃんでー風呂……」
「さ、わかったらさっさと中に入るにゃ。寒かったにゃろ?」
「……それは、まあ」
「だったら、とっとと脱いで入るにゃ」
「…………」
 やっぱり、そうなるらしい。

 更衣室などという気の効いたものはない。そもそも、奴隷に人権はない。
 ここに入ったが最後、泣こうがわめこうが最後は有無を言わさず押さえつけられ、衆人環視のもとで全裸にされてしまう。
 諦めて服を脱ぎ、風呂の中に入ろうとする。
「にゃふふ~何度見てもいいおちんちんにゃあ……」
 ミスティが、嬉しそうにそう口走る。
「うふふふふぅ~……ほんと、かわいいおちんちんねぇ~……」
 メイク担当のソフィーがそれに同調して、妖しげな笑い声を上げる。
「………………」
 聞こえないふりをして湯船の中に入る。
 外の空気が少し寒かった分、暖かいお風呂は少し嬉しい。
 ぷかぷかと浮かぶ球体が下半身を隠してくれるのも。
「にゃう……すこしタマタマが少ないかにゃあ」
 ミスティが小首をひねりながらそんなことを言う。
「もう少しどっさりと、いかにもキャンデーに埋もれてますって感じにしたほうがそれっぽいにゃあ」
「そ~ねぇ~……これじゃあちょっとキャンデーバスって感じじゃないわね~……」
 ミスティとソフィーが浴槽を見ながら相談している。
「も~少し増やすぅ?」
「そーだにゃあ。ちょっと多めに入れてみるにゃ」
「おけ。じゃあ、ちょっとそこのタル持ってきて」
 撮影スタッフらしき大柄なネコ獣人が、二人がかりでタルを運んでくる。そのタルの中には、湯に浮かんでいるのと同じような球体が大量に入っていた。
「どれくらい入れますか」
「とりあえずバケツ三杯」
「へいっ」
 大柄な獣人の男が、バケツでどぼどぼと風呂の中に球体を流し込む。
 三杯も入れると、もう湯が見えなくなるほど、浴槽の中は球体で埋め尽くされていた。
「んー、これぐらいでいいにゃ。じゃ、ちょっとこっち向いて笑うにゃ」
「え、あ、はい……」
 そうは言われても、笑えといわれてすぐに笑えるほど撮影慣れしていない。
 そもそも、衆人環視の中で全裸で風呂に入れられた状態で笑えるほどプロでもない。
「ほらぁ~、も~すこしお顔をあげてぇ~も~すこし力を抜いてぇ~」
 何度となくダメ出しを食らい、そしてなんとかOKが出る程度の笑顔を作る。
「よし、まあこんなものかにゃ。じゃあ、両手でそのタマタマを掬い上げるにゃ」
「こ、こう……ですか?」

 日差しの差し込むバスルームの中で、浴槽いっぱいのキャンデーにつかる裸のショタ剣奴。
 恥ずかしげな笑顔を浮かべ、両手いっぱいにキャンデーを持ってこちらを見つめる、そんな構図。

 カメラマンが、その構図で十数枚、微妙に構図を変えながら写真を撮る。
 湯船に使ったままほぼ一時間。少しお湯がぬるくなってきたあたりで、ようやくここでの撮影が終わった。
「お疲れ様にゃ。じゃ、体ふいてこれに着替えるにゃ」
 そう言って、バスタオルと真新しい剣闘衣を渡される。
 ぬるくなった風呂から上がると、またスタッフ合わせて十人以上に生着替えを見られながら剣闘衣に着替える。
「じゃ、次はこっちにゃ」
 そう言って、二つ隣のスタジオに連れてゆかれた。

「……ここって」
 全体的にポップな、明るい感じのスタジオ。
 ヒト一人乗れるぐらいの大きな皿とか、化粧箱を模したセットが組まれている。
「こっちでも何枚か撮るにゃ。それで、今回はちょっと装飾がつくにゃ」
「装飾……?」
「これにゃ」
 そう言って、スタッフの一人に指示を出して持ってこさせたものは。
「…………」
 リール状になった、ピンクのリボンだった。

「裸リボンは女のロマンにゃ。そういうわけで、ちょっとぐるぐる巻きになってもらうにゃ」
「何が女のロマンですかっ!!」
 おもわず、そう声をあげる。
「もちろん、レーマに拒否権はないにゃ」
 そう平然と言い放つと、ミスティがスタッフに合図を出した。
「えっ……あっ、その、ちょっと、待って……待ってええっ!!」
 スタジオの中に、レーマの悲鳴が響いた。

 数分後。
「…………」
 五人がかりで絶対ほどけないようにしっかりとリボンを巻き付けられたレーマが、女の子座りで半泣きになっていた。
 顔の前で手を組み、まるでお祈りするようなポーズにレーマを拘束しているリボンは、巻きついている面積自体は少ないものの意外と頑丈で、自力では抜け出せそうにない。
「うふふふふぅ~……やっぱり若いお肌って、リボンが似合うのよねぇ~」
「露出を多くするにはあまり幾重にも撒くわけには行かないにゃ。けど、無駄な抵抗が出来ない程度にはきちんと巻きつける必要があるにゃ。けっこう大変なんにゃよ」
「…………」
 ミスティの説明が聞こえているのかどうか、恥ずかしい姿で拘束されたレーマは半ば放心状態になっている。
「ほら、いつまでもぼーっとしてないで、とっとと撮るにゃよ」
 ネコが小動物をいたぶるように、ミスティが肉食獣の笑みを浮かべてレーマを起き上がらせ、スタッフに命じて大皿の上に座らせる。
「座り方はそのままでいいにゃ。女の子座りで半泣きというのもまた扇情的にゃ」
 そして、今度はサッカーボール大のキャンデーの模型をごろごろと十数個ほど大皿に並べさせる。
 そして、カメラマンやソフィーといろいろ話し合いながら、キャンデーの位置を変えたり、照明の色を変えたりしている。
「よし、じゃあ十枚ぐらい撮るにゃ」

 大皿の上に、十数個のキャンデーと裸リボンの少年が乗った構図。
 少年は今にも泣き出しそうな不安そうな瞳でこちらを見ている。
 それでも、リボンを巻きつけられた白い素肌はほんのりと紅潮して、妖しげな色気をかもし出している。

「……まあ、こんなものかにゃ。じゃあ、次はこっちにゃ」
 そう言って、今度は化粧箱のセットに連れて行く。
 プレゼントを入れる小箱を、そのまま人間が入るサイズまで拡大したもの。カメラスタンドは斜め上方にあり、モデルは化粧箱の中から見上げるような形になる。
「この中に入るにゃ」
 化粧箱のセットは、後ろが蝶番で開くようになっている。そこから中に入ると、ちょこんと座らされる。
「今度はちょっと笑うにゃよ。プレゼントが泣き顔じゃ絵にならないにゃ」
「は、はい……」
「そして、手はちゃんと顔の前で組むにゃ。『僕をもらってください』って感じを出すにゃよ」
「…………はい」
「ほら、もうすこし顔を上げるにゃ。そして手はもう少し胸に近づける。……よしよし、じゃあキャンデーも用意するにゃ」

 リボンのついた化粧箱の中で、ちょこんと正座をした半裸の少年がリボンを巻きつけられ、羞恥に頬を染めつつ上目遣いに見上げる構図。
 少年の周囲には数個のキャンデー。そんな写真を数枚。

「じゃあ、次はひっくり返すにゃ。さあさあ、また出番にゃよ」
「へいっ」
 さっき、五人がかりでレーマにリボンを巻きつけた獣人たちが、また化粧箱に近寄ってくる。
「え、な、なに……わあっ!?」
 そして、状況が飲み込めないレーマを抱え上げると、今度はレーマを逆さにひっくり返して化粧箱の中におしこめる。
「な、な、なに……!?」
 ワケがわからないまま、箱の中で逆さにされてしまうレーマが戸惑いの声をあげる。
「不自然な構図と言うのもいいものにゃよ。それに……この構図ならぱんつの中まで見えるにゃ」
「!? ち、ちょっと、そんなのっ……」
 無駄な抵抗を試みるが、上半身はリボンで拘束されているために脱出できない。
「ふっふっふっ、そんなに暴れてもいいのかにゃあ? 暴れたら暴れるほど、媚薬風呂の成分が全身に回るにゃよ?」
 ミスティの口から、さりげなく恐ろしげな単語が出てきた。
「びやく……ぶろ!?」
「今頃気付いたのかにゃ? ただのお湯じゃないにゃ。一時間も、特性の媚薬を混ぜた湯につけこんでやったにゃ。そろそろ薬がまわってくるころにゃ……」
「そ、そんな、ひどいですっ!」
「ふっふっふっ……全身の力が抜けてきて、全身がビンカンになってくるにゃ……ほら」
「ひゃんっ!」
 ミスティの指が太股に触れると、レーマが悲鳴を上げてびくんと身体を震わせる。
「ん~、効果は抜群にゃあ……ほらほら、こんなことされてるにゃ」
「あっ、んっ、ちょっと、そんな、やめ……」
「ほらほら、抵抗が弱くなってきたにゃあ……」
「ひあぁっ! ごっ、ごめんなさい、もうやめてください、ごめんなさいっ……」
 はじめのうちは脚をばたつかせて抵抗していたが、その脚の動きが少しづつ鈍くなり、やがて、ぴくんぴくんと悶えるくらいしか動かなくなる。
「ちょっとぉ~、一人で楽しんでないでぇ……メイクしてもいぃ~?」
 そこに、ソフィーが追い討ちをかけてくる。
「えっ……め、めいくって……」
「ああ、失礼したにゃ。もちろんいいにゃよ。たっぷりと時間をかけていいにゃ」
 その言葉を聞いて、ソフィーがウサギ特有の禍々しい微笑を浮かべて近づいてくる。
「話がわかるわぁ。じゃあ、ちょっと脚の方もお化粧しておかないとねえ~」
 そう言って近づいてくると、化粧道具一式を広げ、足の裏から太股の付け根まで、文字通り舐めるように筆を走らせていった。
「ほら、この辺が大事なのよぉ。ココをこうされると、ほら、ちょっとくすぐったいけどがまんしてねぇ」
「あぁんっ、あっ、やだ、ごめんなさいっ……」
「も~……そんなに嫌がっても無駄よお。ほら、足の裏、膝の裏、太股の内側、こういうところもちゃんとケアしておかないと」
 さらさらと筆を走らせるたびに、レーマの切なげな悲鳴が箱の中から聞こえてきた。
 気がつけば半時間近く。
 箱の中では、放心状態のレーマが潤んだ目で天井を見上げていた。
 全身が朱に染まり、うっすらと汗を浮かべている。
 もちろん、上下逆さまになっているから腰布は下に垂れ、その下の薄布がカメラの前に晒されている。
 そんな恥ずかしい姿を、更に何枚も写真に収められる。
「…………」
 撮影が終わったときには、レーマはもうぐったりとしていた。
「さあ、これからが本番にゃよ。たっぷりと恥ずかしい写真を撮るから覚悟するにゃ」
「…………」
 何か言い返す気力も残っていない。
 上半身を拘束するリボンをほどかれても、まるで木偶のようにぼーっとなっていた。
「さあさあ、今日はたくさん撮るにゃ。休まず次行くにゃ」
「…………」
 空ろな表情のまま、無言でミスティの後を付いていった。

 三番目のスタジオは、闘技場を模したセット。
 遠景で撮る場合は実際に闘技場で撮影することもあるが、それ以外はほとんどこのセットで撮影する。
 レーマにとっても、一番見知っているセットだ。
「さあ、それじゃあここからはプロマイドの撮影にゃけど……今回は『戦いに負けてあんなことやこんなことをされる』というシチュエーションにゃ」
「……あ、あんなことやこんなこと、って……」
「それは後のお楽しみにゃ。まずは一枚目、戦いに敗れて倒れてる写真にゃ」
「……」
 恨めしそうな目でレーマがミスティを見るが、こうと決まったものはどうあがいても覆せない。
「さあさあ、この辺に倒れるにゃ。仰向けになって、ぐったりとするにゃ」
「……わかりました」
 この闘技場に来て最も学んだのは、人間、諦めが大事だということかもしれない。

 闘技場の砂の上に仰向けになる。
「ほら、もうちょっと身体をくねらせるにゃ」
「くねらせるって……」
「なんかこう……『襲ってオーラ』が足りないにゃ」
「……え、えっと……」
 よくわからないまま、身体をくねらせてみる。
「ん~……どーもいまいちだにゃあ……」
 そう言って小首をかしげるミスティに、後からソフィーが。
「あらぁ、そんなの簡単じゃないのぉ。ちゃんと『実際に体験』させてあげれば、きっと色っぽくなるわよぉ♪」
「じ、じっさいにたいけん……!?」
 不安そうな声を上げるレーマに、禍々しい笑顔で答える。
「そうよぉ。ほら、ちょっと皆さん、この子をおさえつけてくれるぅ?」
 そう言いながら、道具箱の中から注射器を取り出す。
「え……あっ、ちょっと……あの、何ですかその注射器!?」
「うふふふふぅ……そんなにおびえなくても、ちょっとちくっとするだけよぉ」
 そう言うと、ソフィーは両手両脚を押さえつけられたレーマに馬乗りになり、その左手にちくりと注射を射つ。
「さぁ~、これでしばらくすると全身の力がぬけてくるわぁ~……」
「な、なに射ったんですか……?」
「とっても気持ちよくなるお薬よぉ♪ 少し動けなくなるけどねぇ~」
「な、なんですからそれっ!?」
「うふふふ~すぐにわかるわよぉ~……」

 そして五分。

「ほらぁ~……そろそろお薬が効いてきたはずよぉ~」
「え……あ……あぁ……」
 レーマの全身から力が抜けて、自分の意思に反してぐったりとなる身体に不安げな声をあげる。
「うふふふふぅ……ちょぉっとくすぐったいわよぉ~……」
「あっ、あっ、やめてっ……」
 馬乗りになったまま、レーマの上半身に指を這わせるソフィー。
「あらあらぁ、くすぐったいのに抵抗できないのねぇ~」
「あっ、ああんっ、いや……」
「まるで女の子みたいな声……かわいいわぁ」
 そう言いながら、さわさわと上半身を撫で回す。
「腹筋がぴくぴくしてるわよぉ……この辺が気持ちいいのかしらぁ」
「ああっ、ひぃ、ごめんなさいっ……」
 動けないのをいいことに、しばらく若い肌を楽しむと、スタッフに命じてメイク道具を持ってこさせる。
「れーまくん、このままでもきれいなお肌だけどぉ、私がも~っときれいなお肌にしてあげるわねぇ」
 そういうと、さわさわと胸から腹部にかけて化粧道具を使って少年の白い裸身を弄んでゆく。
「やっ、やぁ……ごめんなさぃ……おねがいします……」
「うふっ、ふふふふぅ~……口では嫌がってても、身体は正直ねぇ~ほら、もう乳首尖らせちゃって」
「あっ、ああああっ……」
「男の子のおっぱいも、意外と敏感なのよねぇ~」
「あっ、あっ、そんなところ……」
 メイクと称した公開逆レイプは二十分以上も続いた。
「くすん……ぐす……」
 潤んだ目で力なく天井を見上げるレーマ。全身にうっすらと汗を浮かべ、ライトに照らされた素肌が妙に艶めかしい。
 そんなレーマを、ミスティとソフィー、そしてカメラマンのネコ女性も加わってあーだこーだと言いながらポーズを決めてゆく。
 それから、もともとの構想どおりの戦いに敗れた後なのか、それともレイプ終了後かわからない姿のあられもないレーマの写真を何枚も撮影する。
 それが終わると、動けないレーマを無理やり立ち上がらせ、スタッフに背負わせて次のスタジオに入った。

「……あ……あぁ……」
 そこは、レーマにとってはおなじみの場所だった。
 そして、最もトラウマの強い撮影場所でもある。
 地下牢のセット。
 十字架とか鎖付きの壁とか拷問道具とか粗末なベッドとか、そういう禍々しいものがいくつも用意されたスタジオ。
「うふふふふぅ~……いつ来ても素敵な部屋ぁ~……うふふ、うふふふふふぅ……」
 再び妖しげな笑い声を上げるソフィー。その声を聞いて、レーマの全身にぞおっと寒気が走る。
「さぁ~、ここからが本番よぉ~」
 そう言いながら、セットの中をいろいろ物色する。
 そして、片隅に引っ掛けてあった細い荒縄を手にとると、
「やっぱり最初は緊縛よねぇ~」
 とか言いながら近づいてくる。
「は~い、ちょっと後ろ手にくるくるっと縛っちゃってぇ~」
「や、や、やめ……」
「だめよぉ~、モデルはスタイリストに逆らっちゃあ~。ぜ~んぶ、私に任せておけばぁ、も~っともっとれーまくんを綺麗にしてあげるんだからぁ~うふふふふぅ~」
 ものすごく嬉しそうで邪悪な笑い声。
「うむ、万事おっけーにゃ。さあお前達、ぐるぐるっと縛り上げるにゃ」
「や、やだ、やめて、縛らないでーっ!」
 切なげな悲鳴を無視して、屈強な獣人たちがレーマに縄をかける。
「縛り方はシンプルにね~。あんまり複雑にすると写真がわざとらしくなっちゃうからぁ」
「うっす」
 手首に巻きつけ、両肘を拘束し、あとは胴体に二回巻きつけただけのシンプルな拘束。それでも、両腕の自由は完全に奪われている。
「うふふふふ~やっぱり、若い子の縄衣装って素敵~」
「うんうん。これなら誰が見ても襲いたくなるにゃ」
「……くすん」
 縛られて床に転がされたレーマを、二人の女性が見ながらそんなことを話している。
「さぁ~、あとはお化粧の時間ねぇ~……何をされても抵抗できない男の子を気持ちよくするのって最高に興奮するのよねぇ~」
「ち、ちょっと、まってくださいよっ……」
「だ~め♪ 私がレーマ君のかわいらしさを最大限に引き出してあげるわぁ」
 そういいながら馬乗りになると、先ほどのメイクをいったん拭き取り、別の化粧を整えてゆく。
「こんどは、気丈な少年っぽさを出してあげるわねぇ~♪ 虜にされて自由を奪われた男の子が、それでも気丈に振舞う姿って、そそるのよぉ~」
「ひゃあんっ!」
「あらあらぁ、そんな声出しちゃあダメよぉ~。強い男の子なんだからぁ」
「だ、だって、そこ……」
「あらぁ、女の子じゃないんだからぁ、おなか触られたぐらいで感じちゃだめよぉ~。お肌もちゃんとお化粧しておかないと、写真写りが悪いんだからぁ」
 そう言いながら、さわさわとくすぐるように腹や胸にも薄く化粧をする。
「やっ、やぁ、ゆるしてくだ……あはぁっ!」
「うふふふふ~お風呂の効果はてきめんだったみたいねぇ~こんなによがってくれて嬉しいわぁ~」
「やっ、やぁ、おねがい、もうやめ……んんっ、あぁっ……!」
「あらぁ、ほんとに気持ちいいのねぇ~じゃあ、特別サービスで全身メイクしてあげるわぁ♪」
「えっ、あっ、あ、ああぁぁぁっ!」
 身動きひとつ出来ないいたいけな美少年の悲鳴が、スタジオにむなしく響いた。

 数十分後。
「あらぁ~メイクだけでいっちゃうなんて、かわいい子ねぇ~」
「ぐすっ……ひっく……」
「あーあ、仕方ないにゃあ。新しい下着用意するから、ちゃんと脱がせて拭いてあげるにゃよ」
「わ~かってるわよぉ~♪ ちゃんとお口でお掃除してあげるわぁ」
「ぐすっ……んっ、あっ、いやぁ……」
「ほ~ら、きれいにしてあげるんだから暴れちゃだめよぉ~。うふふふふ、縛られててもおちんちんは元気ねぇ」
 そういいながら、布でくるんで軽くこすったり、指先でつついたり、舐めたり吸ったり。
 そのたびにレーマが動けない身体をよじって切なげな声をあげて悶える。
 ミスティが下着と真新しい剣闘衣を持ってくるまでの間に、レーマは気を失うほど弄ばれ、そして気を失ったままそれでも下半身を弄ばれていた。

「あ~あ、メイク終わっちゃった……」
 失神している間に、本来の仕事である顔のメイクを終わらせると、まだ遊び足りなそうなソフィーが残念そうにレーマを起こす。
「起きたかにゃ?」
「あ……」
 ミスティの声で、意識を現実に引き戻される。
「ほら、名残惜しいけどメイクはおしまいにゃ。眠ってる間に準備は整えておいたにゃよ」
「え……えぇ? こここ、これって……」
 レーマの転がされている周囲には、妖しげな大人のおもちゃが無造作に転がされている。
「心配しなくても、使いはしないにゃよ。プロマイドに妖しさを出すための小道具にゃ」
「私はぁ~使いたいんだけどなぁ~」
 少し不服そうなソフィー。
「だめにゃ。こんなことで壊したら本業の儲けが減るにゃ」
「…………」
 それが理由ですかと目で尋ねる。
「試合の入場料、賭け試合の胴元、それにプロマイドはじめ各種グッズ。どれもこれも、レーマが優秀な剣奴だから儲けが成り立つにゃ。だから、ちゃんと大切にしてあげるにゃよ」
「…………」
「ほら、感謝するにゃ。うりうり」
「やっ、やん、くすぐらないでっ……」
「やめてほしかったら、感謝の言葉を口にするにゃ」
「ご、ごめんなさい、感謝してますから許してっ……」
「よろしいにゃ」
「……はぁ……はぁ……」
「あ~、ミスティい~なぁ~」
「ソフィーはさっきまで散々楽しんでたにゃ」
「もっと遊びたかったのにぃ~」
「猫井社員たるもの、遊びと仕事のメリハリはきちんとするにゃ」
 毅然とした口調でミスティが言う。
 しかし、かくいう本人が一番仕事と遊びの境界線が疑わしいのではないかと、その場にいた人間の過半数は思っていた。

「一枚目はその泣き顔でもいいけど、二枚目はちょっと強気にカメラを睨んで欲しいにゃ」
「え……?」
「泣いてる子をいじめるのもいいけど、無力なのに強気な態度を崩さない子をいたぶりたいのも人として当然の心理にゃ」
「そ~ねぇ~。やっぱり、反撃できない程度の抵抗をしてくれたほうがいじめ甲斐があるものよぉ~。強気な子を縛って自由を奪って屈服させる快感はたまらないわぁ」
「…………」
 その言葉が冗談でもなんでもない100%真実の気持ちであることを、身を持って思い知らされたばかりのレーマは、無言で床を見つめている。
「さ、そういうわけだから、ちょっと強気にカメラを睨んで欲しいにゃ。……あ、涙は拭かなくてもいいにゃ。潤んだ目で睨みつけるのがかわいらしいにゃ」
 すっかり妄想全開のミスティが、心底嬉しそうに指示を出している。
「そーにゃそーにゃ、その顔がそそるにゃ」
「い~わぁ、その『負けないもん』って顔がぞくぞくさせるのよぉ~……もっともっといじめたくなっちゃう……」
 なにやら恐ろしげな言葉が聞こえてくる。
 そんな中で、写真がさまざまなアングルから撮られてゆく。

 後ろ手に縛られたまま床に転がされた上半身裸の少年が、涙を浮かべながら気丈にこちらを睨みつけてくる。
 床に無造作に転がされた鞭やロウソクや注射器やバイブなどの妖しげな小道具が妄想をかきたてる。

 基本コンセプトはそのまま、足に鎖をつないだり首輪をつけたり、何種類かのパターンを撮影すると、ようやくレーマを縛る縄をほどき、セットの別の場所に連れて行く。
 が、その場所は。
「……今度は……宙吊り……?」
「そうにゃよ。いろんなパターンの拘束を撮影するにゃ。これが終われば、次はあそこの十字架でハリツケにゃ」
「…………」
 逃れようのない運命に言葉を失うが、それでも撮影は進む。

 両腕を天井から吊るされた姿の撮影。
「ちょ~っと特殊メイクするわねぇ~」
 そう言いながら、ソフィーが近づいてくる。
「本当なら直接これで叩くんだけどぉ、仕方ないからメイクですませてあげるぅ」
 そう言って、スパンキング用の革の鞭を残念そうに見る。
「……痛いのは嫌いです」
「あらぁ~けっこうクセになるのにぃ~」
「なりたくありません」
「そぉ……残念ねぇ~……」
 目が本気だから怖い。
 ともあれ、専用の用具を使って、鞭の跡に見えるメイクを施していく。
 さすがに猫井に雇われているだけあって、見ただけでは本当に鞭打たれたようにしか見えない傷跡を描き出してゆく。
「ひゃんっ……」
 筆の感触に、ときどき身体がびくんと反応して震える。
「あらぁ~……動いちゃだめよぉ~」
「ご、ごめんなさい、だって……」
「うふふふ~言わなくてもわかるわぁ~……感じてるのよねぇ~うふふふふふ……」
 言いながら、わざと肌のくすぐったいところに鞭の跡を描いてゆく。
「あっ、やん、ひぃ、そんなところ……」
「だめよぉ~……ガマンしなきゃ本当にムチで打っちゃうんだからぁ~」
「そ、そんな、ひいっ……」
「うふふふふぅ~……おいたされたくなかったらガマンなさぁい……」
 両腕を天井から吊るされた半裸の少年の肌に筆を走らせるウサギの女性。筆が敏感な箇所をなぞるたびに、宙吊りにされた身体がぴくんぴくんと悶える。
「なかなかいい光景だにゃあ……」
 ミスティが妙に嬉しそうにそう呟いていた。

「ほ~らぁ、本物そっくりでしょお~」
「うんうん、これなら本当に鞭で打たれたみたいにゃ」
「……うん……なんか、すごくひどい目にあわされたように見えます……」
 レーマの言葉に、ミスティが満足げに頷く。
「よし、じゃあ撮るにゃ。今度もちょっと強い表情にするにゃよ」
「は、はい……」
「イメージ的には『折れそうな心を必死につなぎとめてる』感じにゃ。ひどい目に合わされても心は砕けない、そんな強さを写すにゃ」
「……こう……いう感じですか?」
「うーん、いい感じにゃけど、すこし『ガマンしてる感』が足りないにゃ。痛いんだけど、それに負けないって感じがほしいにゃ」
「えーっと……じゃあ……」
「片目は閉じておいてもいいかにゃ。うっすらと開けた片目だけで前を見据えるのも、拷問の痛みを演出できるにゃ」
「じ、じゃあ……」
 表情の細かい確認を行う。
 そこを怠ると、写真に臨場感が出ないということらしい。
 そうはいわれても、こういう写真を撮られるというのはやはり恥ずかしい。
 無意識のうちに、羞恥の表情が見え隠れする。
 もっとも、それがいいらしい。
 ともあれ、少なからぬ脱線はありながら、撮影はそれなりに順調に進んでいた。

 その後も、十字架とか拘束台とか鉄格子の中とか、妖しげなシチュエーションの写真が次々と撮られていった。
 予定通りの撮影が全て終わったのは、もう夜の八時を過ぎたた頃。
 本当なら昼間で終わる程度なのだが、ソフィーとミスティが悪乗りして遊んでいると、いつの間にか予定の倍以上の時間がかかってしまっていた。
「お疲れ様にゃ。いい写真が取れたにゃ」
「…………」
 ご満悦のミスティとは対照的に、丸一日吊るされたり縛られたり視姦されたりしたレーマは、口も利けないほど疲れきっている。
「あにゃにゃ、ずいぶんお疲れだにゃあ」
「……疲れました」
 搾り出すようにようやくそう答える。
「まあ、これも仕事にゃよ。ほら、これでも飲んで元気出すにゃ」
 そう言って、ドリンク剤を手渡す。
「……なんですか、これ」
「心配しなくても、普通の栄養ドリンクにゃ。三十分もしたら歩けるぐらいにはなるにゃよ」
 散々騙されたあとでは、どう考えても素直に飲む気にはなれない。
「……いただきます」
 それでも、このままではどうせ動けないのだからとりあえず飲む。
 もし騙されていたとしても、どうせこれ以上恥ずかしい目にあうこともないだろう。

 幸い、本当にただの栄養ドリンクだったらしい。
 よろよろと立ち上がると、やっと普通の服に着替えることが許される。
「あ~あ、もうちょっと楽しみたかったのになぁ」
 まだ満足していないらしいソフィーの言葉には聞こえないふりをして、宿舎に戻ろうとする。
「ああ、ついていくにゃ。とりあえず今日はこれで終わりにゃから。ソフィーもお疲れだったにゃ」
「私はぁ~まだまだぁだいじょ~ぶよぉ~♪」
 のんびりした返事が返ってくる。
「また来週、別の男の子を連れてくるにゃ。その時も頼むにゃよ」
「あらぁ、来週もお仕事できるのぉ? うふふふふぅ……」
 嬉しそうであやしげな笑い声。まだ見ぬ哀れなイケニエに思いを馳せているようだった。

 地下通路を宿舎へと帰りながら、ミスティが話しかける。
「いい写真が撮れたにゃ」
「……恥ずかしかったです」
「恥ずかしい写真だからこそ売れるにゃ。売れればその分、レーマがカモシカの国に帰るのも早くなるにゃ」
「……そうなんですか?」
「もともと、身代金を稼がせるために連れて来たにゃ。今のペースなら、輸送費生活費その他の必要経費合わせても一年以内に完済できるにゃ」
「じゃあ、もうすぐ帰れるんですね」
「契約期間は一年にゃから、あと半年はどうしてもここにいてもらうけどにゃ。けど、それ以上延長する必要はないかもしれないにゃ」
「そう……ですか」
「にゃけど、それもこれもカスミに勝てたらの話にゃ。真剣勝負にゃからな、負けたらその場で死ぬにゃよ」
「…………」
 改めて言われると、ぞくりと寒気がする。
「……強いですよね、カスミさん」
「にゃ? 怯えてるにゃか?」
「……そりゃ、ちょっとは……」
 その言葉に、ミスティがばんばんとレーマの背中を叩いて励ます。
「強いは強いにゃけど、マッチメークしたのは私にゃよ。勝てる見込みがなかったらそんな試合組まないにゃ」
「……それは、そうかもしれませんけど」
「レーマの武器は手数にゃ。相性的な話を言えば、今のカスミが一番苦手なタイプにゃ」
「え?」
「関節痛めてるから、止まることを知らない連撃には身体が追いつかないにゃ。さらに、下段や脇構えからの斬り上げる技の引き出しが多いのも相手にすれば嫌なものにゃ」
「……そうなんですか」
「結構見づらいものにゃよ」
 もともと、意識して引き出しを増やしたわけではないが、獣人相手の戦闘においては、相手の方が身長で上回ることが多かったため、自然と下から上へと切り上げる剣が増えただけのことにすぎない。
 が、確かに言われてみれば、下から上へと来る剣は見えにくい。
「にゃから、あと三週間鍛えれば、十分勝てるにゃ。というよりも勝って貰わなきゃ困るにゃ。せっかく撮った写真が売れなくなるにゃ」
「……努力します」
「うむ、にゃ。明日から特訓なんにゃろ?」
「何で知ってるんですか?」
「扉の向こうまで聞こえてたにゃ」
「…………」
「しっかり頑張るにゃ。セイカもユーキも応援してるにゃよ」
「はい」
「よし、じゃあ明日からは気分を改めて頑張るにゃ」
「頑張ります」
「それじゃ、今日はこれでさよならにゃ。ゆっくり眠って疲れを取るにゃよ」
「はい」
 そうして、長い一日が終わった。
 ミスティから宿舎の管理者に身柄を引き渡され、あてがわれた個室へとつれてゆかれる。
 魔洸ランプの光が照らす殺風景な小部屋。窓には鉄格子がはめられ、扉は鍵をかけられると内側からは開けることが出来ない
 部屋の中には小さな机と、それなりには柔らかい、眠るには十分な寝台。壁際の棚にはダンベルやゴムロープなどの、ちょっとしたトレーニング器具。他にはなにもない。
 寝台に腰掛け、一日中弄ばれた身体を見る。
 手首や胴体の縄の跡はだいぶん薄れてきた。一晩寝れば、明日は何があったか気づかれずにすむかもしれない。
「……寝ようかな……」
 寝台の上に寝転び、目を閉じてぼんやりと考える。
 三週間。長いようでかなり短い。
 しかもその間にも試合はある。
 この時期は週一回のペースで興行が行われているため、あと二回、途中に試合が挟まる。
 そこで怪我などしたらどうしようもないハンデとなる。
 が、二度の試合を無傷で終わらせる程度の力がなくては、もとより勝てないような気もする。
 磨きをかけるとすれば、カスミにもミスティにも言われた手数。
 そこに正確さと更なる速さを加えるには、何よりも下半身の粘り。
 ランニングと水泳の割合を少し増やして、それから模擬試合を重ねたほうがいいだろうか。
 それとも、型を繰り返して基本の動きにブレをなくすべきか。
 そんなことを考えているうちに、ゆっくりと眠りについていった。

 


 
 
 
 

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