その日は朝から雨が降っていて、仕事に行くのも仕事の最中も、おっくうで仕方がなかった。
俺の職場は大半がネコなので、雨の日は仕事がはかどらない。
特に今日のように朝から雨の日は、半分くらいが遅刻か欠席である。
まじめに定時出社した奴らだって、頭も体も動きが鈍くなっているので仕事が遅い。
かく言う俺だってネコだから、いつものようにテキパキ仕事をこなすのは困難だ。
本音を言えば、早く家に帰ってこたつにもぐり込みたい。
俺は机に積み上げた書類の山と格闘しながら、「今日だけの辛抱だ!」と何度も自分に言い聞かせた。
周りには隠しているが、俺はあるネコ女優の熱狂的ファンだ。
明日はその女優の初主演映画が公開される。
休日なので仕事はない。もちろん、見に行くつもりだ。
明日のことを考えて憂鬱を吹っ飛ばしながら、俺は退社時刻を待った。
退社時刻になっても、雨は降り続いていた。
俺は道端にできた水たまりを避けながら小走りで家路を急いだ。
家にたどり着くと、雑草が延び放題の庭に、なにか黒い物体が見えた。
訝しく思いながら恐る恐る近づくと、それは人の形をしていた。
一瞬、死体だと思った。しかし近づいて行くと、ずぶ濡れの体がピクリと動き、小さなうめき声が聞こえた。
死体じゃない。生きている。
「おい」
もぞもぞと顔の向きを変えて、ずぶ濡れの死体もどきが俺を見上げた。
半開きの目はぼんやりとして、焦点がさだまっていない。
「お前は誰だ。なんでうちの庭に転がっている」
俺の声に、返事はない。
放っておいたらどこかに行ってくれないかと考えて、この状態では無理か、と思い直す。
だが、敷地内で死なれるのは迷惑極まりない。
「うっ……」
死体もどきがうめいて体が揺れた。
その拍子に、濡れて肌にはり付いた髪の毛の間から、毛のない丸い耳がのぞいた。
よく見れば、頭のどこにも耳や角が見当たらない。
――ヒトだ!
俺は死体もどきの濡れた髪の毛をよけ、首を見た。首輪はしてない。
俺は死体もどきを抱え上げ、家の中に運んだ。
濡れた髪の毛にタオルを巻いて、濡れた服を脱がせる。
死体もどきはぐったりとしていて、あまり反応がない。
「メスか」
服を脱がせ終えて、俺は思わず舌打ちをした。
オスだったら高く売れたのに。
まあいいか、メスでもそれなりの値段はつくだろうから。
濡れた体を拭いて、とりあえずでかいタオルを巻いておく。
メスヒトは熱く、ぐったりとして動かない。
雨にうたれて熱でも出たか?
少し迷ったが、俺のベッドに運んで布団をかけた。
相手がこんな状態では、襲う気も起きない。
しばらく布団を見つめてから、俺は自分自身もずぶ濡れのままだと気づいて部屋を出た。
着替えながら、頭の中は数字とセパタでいっぱいだった。
別に金に困っているわけではないが。
ヒトは弱く、ちょっとしたことですぐに死んでしまうと聞く。
この界隈に、ヒトを診られる医者なんているのだろうか。
ヒトというのはたいてい金持ちの家で飼われるものだが、あいにくうちの地域に住んでいるのは庶民ばかりで、ヒトだなんて高級品とは無縁だ。
そんな場所に、ヒトを診られる医者がいるとは思えない。
遠くから往診してもらうにしても、今日はもう無理だろう。
とりあえず今日のところは様子を見て、明日になっても具合が悪いようなら、ヒトを診られる医者をさがそう。
そう考えて、俺は眠りについた。
翌朝俺が見に行くと、ヒトは眠っていた。
触れると相変わらず熱かったが、昨日よりはいくらかマシなような気がする。
映画を見たあと、まっすぐ帰ってくれば、それほど長い時間放置することにはならないだろう。
目を覚まして動き回ったとしても、外から鍵をかけておけば逃げられない。
唯一ある窓は出窓で開かない仕組みになっているし、顔を覗かせても垣根にさえぎられて外からは見えない。
うちにヒトがいることは誰も知らないから、きっと盗まれることもない。
俺は厳重に鍵をかけて家を出た。
チケットとパンフレットを買って、席に座った。
朝一番早い上映時間とあってか、人はあまり多くない。
俺はぼんやりとパンフレットを見ながら、映画がはじまるのを待った。
パンフレット曰わく、監督がヒトオタクで、厳しい環境下におかれているヒトの待遇改善を訴えるためにこの映画を撮ったらしい。
だが、俺の目的は主演女優なので、正直内容はどうでもよかった。
そのうちに、映画がはじまった。
映画は、主人公のネコの少女がバースデイケーキの上に並んだろうそくの炎を吹き消すシーンで始まっていた。
家族や友人たちが「お誕生日おめでとう」と祝福する拍手の中で、ネコの少女が幸せそうに笑っている。
学校に通い、友達と遊び、恋をして、悩んだり、ケンカをしたり。
ネコの少女は幸せな日々を送っていた。
突然、スクリーンが暗転した。
ネコの少女が異世界へ"落ちた"のだ。
そこは獣たちが支配する世界。
体も大きく力も強い獣たちを相手にネコの少女は抵抗することもできず、捕まって檻に入れられる。
「お前は性奴隷だ」と獣たちは言い、ネコの少女に首輪をつけた。
そのあとを、陵辱や調教などのシーンがややぼかした表現で続く。
はじめは泣き叫んでいたネコの少女だったが、日が経つにつれだんだんとおとなしくなり、目からは光が消えて、顔からは表情が消えた。
一方で、家族や友達、恋人が行方不明になったネコの少女をさがしていた。
いくら捜しても見つからず、嘆き悲しむうちに月日は経っていった。
やせ細り、肌は荒れ、痛々しい姿のネコの少女。幸せだった頃の面影はない。
映画は、ネコの少女がゆっくりと瞼を閉じたシーンで終わっていた。
――俺は、何をやっているんだろう。
気がつけば、家に向かって走り出していた。
俺の職場は大半がネコなので、雨の日は仕事がはかどらない。
特に今日のように朝から雨の日は、半分くらいが遅刻か欠席である。
まじめに定時出社した奴らだって、頭も体も動きが鈍くなっているので仕事が遅い。
かく言う俺だってネコだから、いつものようにテキパキ仕事をこなすのは困難だ。
本音を言えば、早く家に帰ってこたつにもぐり込みたい。
俺は机に積み上げた書類の山と格闘しながら、「今日だけの辛抱だ!」と何度も自分に言い聞かせた。
周りには隠しているが、俺はあるネコ女優の熱狂的ファンだ。
明日はその女優の初主演映画が公開される。
休日なので仕事はない。もちろん、見に行くつもりだ。
明日のことを考えて憂鬱を吹っ飛ばしながら、俺は退社時刻を待った。
退社時刻になっても、雨は降り続いていた。
俺は道端にできた水たまりを避けながら小走りで家路を急いだ。
家にたどり着くと、雑草が延び放題の庭に、なにか黒い物体が見えた。
訝しく思いながら恐る恐る近づくと、それは人の形をしていた。
一瞬、死体だと思った。しかし近づいて行くと、ずぶ濡れの体がピクリと動き、小さなうめき声が聞こえた。
死体じゃない。生きている。
「おい」
もぞもぞと顔の向きを変えて、ずぶ濡れの死体もどきが俺を見上げた。
半開きの目はぼんやりとして、焦点がさだまっていない。
「お前は誰だ。なんでうちの庭に転がっている」
俺の声に、返事はない。
放っておいたらどこかに行ってくれないかと考えて、この状態では無理か、と思い直す。
だが、敷地内で死なれるのは迷惑極まりない。
「うっ……」
死体もどきがうめいて体が揺れた。
その拍子に、濡れて肌にはり付いた髪の毛の間から、毛のない丸い耳がのぞいた。
よく見れば、頭のどこにも耳や角が見当たらない。
――ヒトだ!
俺は死体もどきの濡れた髪の毛をよけ、首を見た。首輪はしてない。
俺は死体もどきを抱え上げ、家の中に運んだ。
濡れた髪の毛にタオルを巻いて、濡れた服を脱がせる。
死体もどきはぐったりとしていて、あまり反応がない。
「メスか」
服を脱がせ終えて、俺は思わず舌打ちをした。
オスだったら高く売れたのに。
まあいいか、メスでもそれなりの値段はつくだろうから。
濡れた体を拭いて、とりあえずでかいタオルを巻いておく。
メスヒトは熱く、ぐったりとして動かない。
雨にうたれて熱でも出たか?
少し迷ったが、俺のベッドに運んで布団をかけた。
相手がこんな状態では、襲う気も起きない。
しばらく布団を見つめてから、俺は自分自身もずぶ濡れのままだと気づいて部屋を出た。
着替えながら、頭の中は数字とセパタでいっぱいだった。
別に金に困っているわけではないが。
ヒトは弱く、ちょっとしたことですぐに死んでしまうと聞く。
この界隈に、ヒトを診られる医者なんているのだろうか。
ヒトというのはたいてい金持ちの家で飼われるものだが、あいにくうちの地域に住んでいるのは庶民ばかりで、ヒトだなんて高級品とは無縁だ。
そんな場所に、ヒトを診られる医者がいるとは思えない。
遠くから往診してもらうにしても、今日はもう無理だろう。
とりあえず今日のところは様子を見て、明日になっても具合が悪いようなら、ヒトを診られる医者をさがそう。
そう考えて、俺は眠りについた。
翌朝俺が見に行くと、ヒトは眠っていた。
触れると相変わらず熱かったが、昨日よりはいくらかマシなような気がする。
映画を見たあと、まっすぐ帰ってくれば、それほど長い時間放置することにはならないだろう。
目を覚まして動き回ったとしても、外から鍵をかけておけば逃げられない。
唯一ある窓は出窓で開かない仕組みになっているし、顔を覗かせても垣根にさえぎられて外からは見えない。
うちにヒトがいることは誰も知らないから、きっと盗まれることもない。
俺は厳重に鍵をかけて家を出た。
チケットとパンフレットを買って、席に座った。
朝一番早い上映時間とあってか、人はあまり多くない。
俺はぼんやりとパンフレットを見ながら、映画がはじまるのを待った。
パンフレット曰わく、監督がヒトオタクで、厳しい環境下におかれているヒトの待遇改善を訴えるためにこの映画を撮ったらしい。
だが、俺の目的は主演女優なので、正直内容はどうでもよかった。
そのうちに、映画がはじまった。
映画は、主人公のネコの少女がバースデイケーキの上に並んだろうそくの炎を吹き消すシーンで始まっていた。
家族や友人たちが「お誕生日おめでとう」と祝福する拍手の中で、ネコの少女が幸せそうに笑っている。
学校に通い、友達と遊び、恋をして、悩んだり、ケンカをしたり。
ネコの少女は幸せな日々を送っていた。
突然、スクリーンが暗転した。
ネコの少女が異世界へ"落ちた"のだ。
そこは獣たちが支配する世界。
体も大きく力も強い獣たちを相手にネコの少女は抵抗することもできず、捕まって檻に入れられる。
「お前は性奴隷だ」と獣たちは言い、ネコの少女に首輪をつけた。
そのあとを、陵辱や調教などのシーンがややぼかした表現で続く。
はじめは泣き叫んでいたネコの少女だったが、日が経つにつれだんだんとおとなしくなり、目からは光が消えて、顔からは表情が消えた。
一方で、家族や友達、恋人が行方不明になったネコの少女をさがしていた。
いくら捜しても見つからず、嘆き悲しむうちに月日は経っていった。
やせ細り、肌は荒れ、痛々しい姿のネコの少女。幸せだった頃の面影はない。
映画は、ネコの少女がゆっくりと瞼を閉じたシーンで終わっていた。
――俺は、何をやっているんだろう。
気がつけば、家に向かって走り出していた。