猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

ブタと真珠様 一話

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ブタと真珠様 一話


 店に入りたての頃、先輩に教わった。部屋の灯りを極力落とすのは、視界を奪って他の感覚を鋭敏にする為の演出であると。
 香水の香りや聖水の塩辛さよりも顕著なのは多分、聴覚。
 防音処理の施された個室の中、『お客様』にはまず沈黙を強いる。
 少しでも物音を立てれば、それなりのペナルティ――という名のサービス、を課す事を宣言する。
 口にイボイボのついたボールを咥え、四つん這いになった『お客様』はほとんど恐怖に怯えた眼でこちらを見上げ、何度も頷く。
 しかし、わざわざ宣言しているにも関わらず、従う人はあまりいない。無様に「ふぁい」などと声を発したりしたら直ちに、
「喋るなと言ったろうがぁ!」
 ビシィィィッ!! と鋭い音を立てて、『お客様』の肩口、あるいは背中に鞭を振りおろすのだ。
「音を立てるなって言っただけじゃ理解できないなんて、お前は本当にあきれ果てた奴隷だね! 四つん這いになったら頭の中まで豚になっちまったってのかい、ええ?」
 磨き上げた黒のハイヒールの先で顎を上げさせると、『お客様』はとろんとした眼で見上げてくる。
 広がった鼻の穴から勢いよく吹き出す鼻息が、繰り返し足首にかかってくすぐったい。
 涙と鼻水とよだれをだらだらとこぼすその顔は、客観的に見て決して美しくはない。醜悪、と言いきっても過言ではない。
 しかしこれが仕事だ。5年もやれば慣れるし、こういうものだという常識が頭の中に出来てくる。

「まあ、もうこんなにして。見苦しい事」

 自分で避妊具を着けさせたまま放置していたそれがいつのまにかパンパンになっているのを見て、嫣然と微笑んでやる。
 すると『お客様』は期待の色を瞳に浮かべる。
 優しい声を出す時、いつだってこの人たちは素直に喜んでくれる。
 それは嬉しいことだが、そこで甘やかしてあげられないのが、この仕事の辛いところではある。

「では、そぉんないやらしいものを持ってるお前には、おしおきしてやらなくちゃねえ」

 キャンドルの灯りが届く範囲外、とはいえ数歩先に用意してあった三角木馬を引き出して、目の前に置いてやる。
 それがまるで暗闇の中から突然現われたように見えたのだろう。『お客様』は絶望的な顔でうなだれる。
 しかし、観察者は知っている。ちゃんと見ている。はち切れんばかりに膨れたそれが、誤魔化しきれずビクビクと痙攣しているのを。

 絶望しているのに、歓んでいる。
 期待外れなのに期待通り。
 矛盾というより倒錯した彼らの思考。そして、嗜好。普通と違うことに悩み苦しんで来た人たち。
 ――あたしは、あなたたちみたいな人を愛おしいと思ってる。
 立場上、決して口に出してはいけないけれど。

 さて、今回のコースは三角木馬で鞭打ちの後、乳首責めに聖水でフィニッシュ、だ。
 受付で『お客様』自身が記入したご希望のとおりにプランを組み立てながら、鞭の柄を握りしめて気合いを入れる。
 脚を震わせながらよろよろと木馬にまたがる『お客様』の背中を見ていた、その時だった。

(あら?)

 みみずばれというほど酷くもないが、後で鏡で見て喜ばれる程度に赤い線のついた『お客様』の背中が、ふっと掻き消えた。
 視界が真っ暗になる。
 どうやらキャンドルが消えたらしい。
 しかしこの部屋に風など入らないし、第一あれは出勤前に某デパートで買い求めた新品で、点火してから5分も経っていない。
 『お客様』の前で動揺を見せるわけにもいかず、冷静にあたりを見回してみる。
 すると。

「…星?」

 天井いっぱいに、今にも落ちてきそうなほどの星空が浮かんでいる。
 なんだこれは、と思ったところで強い風が吹き、ざざあ…と梢のそよぐ音まで聞こえてくる。
 どうやら、外に出てしまったらしい。極端に布地の少ない服を来ていることが災いして寒い。
 空気には初夏の匂いがするが、夜はやはり冷える。仕事の関係で夜は外に出ない生活なので、ほとんど意識していなかった。

「中野、さん?」

 両腕をさすりながら、先ほどまでお相手していた『お客様』の名前を呼んでみる。
 返事がなかった。
 まさか未だに言いつけを守っているわけでもないだろう。流石にこの異常事態には誰だって素にならざるを得ない。
 そう、これは明らかに異常事態だ。
 どうやら突然、見も知らぬ夜の森の中に放り出されたらしい。
 無表情のままで充分混乱しながらも認識した、まさにその直後だった。

「み、みつけた…」

 聞きなれた声だ、と思った。
 知っている人間のものではない。でも、その声に含まれてる成分には、とても、憶えがある。
 気配を感じて振りかえった目の前に、ぬっと大きな黒い影が立ちふさがった。

「見つけた、…ヒトのメス…!」

 ぐわあっと両腕を広げて跳びかかって来たそいつに対する行動はほとんど条件反射のようなものだった。
 肩に担いで背中に垂らしていた鞭を思いきり横薙ぎにしたのだ。
 ビシッ、という乾いた音ではなく、ばちーーーん!!! といういかにも重い音が周囲に響き渡る。

「プギーーー!!!!」

 奇妙な叫び声を上げ、影は真横に吹っ飛んだ。
 常に鞭を肩に担いでいるのは何も偉ぶっているだけじゃない。いつでも鞭を振り下ろせるように待機しているのだ。
 打ち方にもコツがある。手首のスナップを思い切りきかせて空気を打つ。そうするとぞっとする程大きな音が出る。
 ただし、音だけで、実際には身体に傷をつけてはならない。それがプロの仕事であり、『お客様』が喜ぶことだ。
 しかしこれは仕事ではない。身を守るための、純粋な『攻撃』であるがゆえ。

「この、無礼者!!!!!」

 草の上でぴくぴく痙攣している黒い影に向かって大音声で言い放った。
 スイッチが入っているせいか恐ろしくはなかったが、ここでもこのキャラクターを押し通す事に弱冠の滑稽さも感じてはいた。
 しかし一皮むけば自分はただの非力な26歳の女に過ぎない。意地でも強気でいなければ、不安で泣きだしてしまいかねない。
 明らかに性犯罪者であるこいつに従順である必要などない。――あたしを、誰だと思ってる?

「あたしを女王様と知っての狼藉かい!? この薄汚い豚め、お仕置きし――」

 てくれよう、と、後に続く言葉が途切れた。
 なぜなら驚くべき事に、むくりと体を起こしたそいつの顔が、正しく『豚』だったからだ。



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