猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

狗国見聞録05a

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狗国見聞録 第5話(前編)

 
 
 ――いかに沢山の矢が束になって【賢者】に射られようとも、それはさして問題ではない。
 なぜなら【賢者】は誰にも射抜かれないからである。
 
 ――【賢者】は、一般人が恥とか哀れとか思うような事柄は何一つ顧慮しない。
 彼は民衆の行く道を行かず、ちょうど諸々の星々が天空の反対の軌道を運行するように、
 万人の意見に反して、ただの独りでも歩んで行く事ができる。
 
 ――【賢者】以外の全ての人間には熟慮などなく、故に真理の存在余地はない。
 あるのはただ欺瞞であり、反逆であり、精神の錯乱した衝動……すなわち幻影でしかなく、
 よって【賢者】はこれらを偶発事項のうちに数え、寛大な慈笑でもって相対する。
 
 ――他人からの軽蔑以上に酷いものはないと思うのは、心の弱さであり貧しさだ。
 【賢者】はそれを知るが故に、軽蔑を意に介さず、むしろ笑う事でもってそれらに返す。
 自分の方から笑う心を持つ限り、他人の嘲笑がその者を傷つける事はない。
 
 ――いかな秩序、社会、国家の手でもってしても征服し難い人物が存在し、
 また自然や万物の精霊、星天でさえもどうすることも出来ない人物が存在するという事が、
 ひいては人類全体の、世界全体の利益となるのである。
 
 
     ~ セネカ (落ちて来た『落ち物』の小本より) ~
 
 
 
      ※     ※     ※     < 1 >     ※     ※     ※
 
 
 
「あっははははははははははははははははは!!!!」
 びゅんびゅんびゅんびゅんと音を立てての、石礫、雷球、氷柱、鎌鼬に火球の嵐。
 
「いいねぇ、いいねぇ、秒間4個でも完璧に捌くか!」
 身を守る灼熱の壁――勝手に増殖し周囲を舞い飛ぶ『炎の蝶』達に囲まれながら。
「…じゃあ次は、秒間6個、…行くよ?」
 笑う子供の語尾に混じって、あたしの背後で爆発する火の玉の音を聞いた時には、
 もう次の大小様々の石礫が浮かび上がってる。
 
 ……それは恐ろしく早く、呪文を唱える様子すらない余裕めいた姿で。
 だけど、雑巾が。
 
「――+**%*&#**$/**=」
 水平に剣を構え、あたしの前に仁王立ちになった雑巾が、
 何か聞き取れないくらいの低い声、口中に小さく何かを含め呟くその周りでは。
 …かくん、と軌跡を変えて飛んでいく火球に、足元に突き刺さる氷の矢。
 形を崩されてただの突風になるカマイタチに、頭上スレスレに飛んでいく雷の球。
 …その全部が、どうやってか完璧に「逸らされて」いるらしいのも、
 また同じくらい信じられない、けど紛れも無く確かな目の前の事実だった。
 
 一度など、逸らしすらしないで。明らかに顔面に飛んできた拳大ほどの石を顔の手前、
 触れもしないのに砕いてみせるという芸当まで見せてくれてたりもする。
 …それは魔法や魔術なんかさっぱりのあたしには、ちいとも原理の分からない、
 同じくらい凄くて、同じくらい異常なはずの光景だったんだけど。
 
「…おっと、《破幻》ッ!」
 そんな合間にも、乾いた響音を響かせて幾度目か空に突き立てられる杖に。
「無駄だよぉっ、こっそりアドバンテージを稼ごうったってね!」
 宙に浮かび、氷柱、鎌鼬を作りながら、余裕で指をチッチと振るのは笑う猫耳少年。
「そんなちゃちい小細工、他はともかく、このボクには効かないッ♪」
 荒い息を吐いて、汗を流しながら、それでも攻撃を捌き続けるのは雑巾の方だ。
 
 小さなツララ、小さな火の玉、小さな雷、小さなカマイタチ、小石を持ち上げて飛ばす魔法。
 一つ一つは素人目にも簡単そうな、初歩っぽい攻撃の為の魔法の数々で、
 ……だけど『数』と『速さ』が、明らかに異常。
 まるで昔どっかのゲーセンで見た激ムズシューティングゲームの弾幕のそれで、
 しかもじわじわと数を増やされ、頻度を増されていくそれらの火氷石風雷の洪水に、
 ――なぶり殺し――
 そんな相手の目論見が、魔法チンプンカンプンのあたしにだって検討がついた。
 
 実際、流石に完全に防戦一方で。
 額に冷や汗を浮かべ、そうやって受け逸らすだけで精一杯な事を示す雑巾の様子は、
 いくらこいつが凄くても、でも目の前の『化け物』と比べてはそれでもまだ人中、
 …常識の、一般の範囲に収まる強さでしかない事を如実に物語っていて。
 ――『何も分からないうちに即死だなんて、つまんないでしょ?』――
 …逆に言われなくても顔に書いてあるのが判る、そんな表情でニヤニヤ笑う相手の表情に、
 あたしは身の内の怒りを抑えることができず。
 
「……なんなの?」
 無駄な事とは分かっていても。
「なんなの!? あんたはっ!!」
 それでもあたしには、そう叫ばずにはいられなかった。
 
「なんでここまでの事が出来るッ!?」
 何も出来ず、守られる身の自分が、そんな事吼えられた義理じゃないんだろうけど。
「なんでここまで、踏み躙って、弄んで、嘲笑って、ためらわないなんて事が出来るわけッ!?」
 それでもせめて、あいつの気を逸らして隙を作れでもしたならばと。
 ほんの少しでも、こいつの助けになれる事はないかと。
「『同族』でしょ? 『命』でしょう? 『人生』でしょう!? 『二度と直せないもの』でしょうッ!?」
 何よりも、もうあたし自身、抑え切れなかった。
 ごくごく普通の弱い人間に生まれた身として、初めて腹の底から沸くのを感じたその怒りを。
 何かが狂い、何かがおかしいその理不尽さへの、本能的・根源的な所から来るこの怒りを。
「いくら『強い』からって! なのにどうして、どうしてそこまでためらいもなく踏み潰せるっ!?
みんなの『一生懸命』を、『哀しみ』を踏み躙って! どうしてそこまで笑ってられ――
 
 
 
「――じゃあ聞くけどお姉ちゃん」
 ふわりと。
「どうして『優しさ』は、美徳なの?」
 両手を広げて、事も無げに屈託ない猫耳少年が訊ねた、
 …その広げられた両の手に、だけどしっかりと集まるのは紫色の光。
 
「自分の心の中に生まれる痛みに耐え切れないだけの『弱さ』が、なんで美徳?」
「なっ……」
「 だ っ て そ う じ ゃ ん 」
 思わず上げた声を。
 
 ……だけど振り払われた相手の左手、はじける紫の光に押し潰された。
 パン という軽快な音と共にあたしの周囲、雑巾の構えた剣を中心にした一帯で、
 『何か』を受けて跳ね飛び上がる地面のチリや埃、……折れ潰れる木の小枝。
 ――重力の魔法か、衝撃波の魔法か。
 
「お姉ちゃんが耐えられないだけでしょ?」
 ぎしり、と歪んだ雑巾の剣、かすかに呻き声を上げたこいつとあたしとを見比べながら、
 くすくすと笑って、燐光の蝶群の中にいる『もの』が猫の耳を揺らす。
 
「自分が毎日食べ物に困らず贅沢してる、でもそのせいで飢え苦しむ者がいるかもしれない、
そう考えた時に生まれる罪悪感に、痛む心に『耐えられないだけ』」
 一本指を立てて、すい と振った左腕を戻せば、無数の光球が飛んでくる。
「あの時無視した転んでたお婆さん、でもあの後ああなってたら、こうなってたらどうしよう。
そんな自分の胸の中に生まれちゃって、モヤモヤモヤモヤ、何か気になって嫌な気分、
…そんなどうでもいい事で『いちいち後から嫌な気分になりたくない』、だから露払いするだけ」
 くるりとその場で一回転して見せれば、たちまち真空の渦が生まれ出す。
「優しくしなかった時の、周囲からの蔑みや罵りに耐えられないから、優しくするんでしょ?
傲慢不遜な行動を取った時の、周りからの白い目が怖いから、優しくするんでしょ?
何より自分が耐えられない、自分がこの胸の痛みに耐えられない、だから優しくする」
 天高く杖を掲げれば、ぼこんと周囲から浮かび上がるのは無数の礫岩。
 
「苦しみたくないもんね、辛くなりたくないもんね、痛くなりたくないもんね――…」
 ゆらり と振られた指先は、良く見れば二指を立てられて、親指と薬指が輪を作った組印。
 それが指揮者がタクトを振るかのように……
 
「…――『自分が』、さ」
 
 だん、という耳を打つ轟音。
 周りに降り注いだのは、石か、火球か、ツララの雨か。
 
 
「違うッ!」
 その爆音にも負けないで、それでもあたしは叫んでいる。
「違う、違う、違うッ!!」
 立てない足、両手を濡雪の上について身を起こし、それでも大声で叫んでいる。
 
――『優しさ』は、自分の心の中に生まれる痛みに耐え切れないだけの弱さ?
――自分が痛く、苦しく、辛くなりたくないだけだからする行為?
 
「………だったらどうして、人間は…他の人の痛みも、感じられるのさ……?」
 だったらあの、蛇のお姉さんの、最後に皆の為にしようとした行為は。
「自分の…痛みが…分かるから…、他人の…痛みも……」
 『ごめんな』『怖かったよな』と泣きそうな顔で謝ってきた、雑巾のあの行為は。
 『おれは汚いだろ?』と、哀しそうな顔で笑った雑巾のあの顔は。
 ――どこから生まれて、どこに消える?――
 
「…助けたくて…何とかしたくて…でもそんな資格なんか最初っから無くって……」
 ――あの全てが、ただ自分の為に?
「…迷って…怯えて…それでも必死で手ぇ伸ばすような、バカ共がいるんだよ…」
 ――自分の心を守る為だけになされた行為だった?
 
「…無駄な事だって…偽善者だって…大海の一滴、何の根本的解決にもなってない、
どうにもならない事をどうにかしようと足掻いてるって、嘲り笑われて、後ろ指さされても!
それでも何とかしようと、手を伸ばそうとしないではいられないバカ共のっ!!」
 目の前の萌え萌えな猫耳ッ子は、だけどあたしの一番嫌いなタイプ。
「それすらもエゴだとか、偽善だとか、自己防衛だって一言で捨てんのかよッ!」
 ボロボロの体、血膿の園たる地べたに座り込んで、違うと。
 汚れた黒の軍用外套、血塗れの剣を持って立ち続けるこいつの背中に掛けて、違うと。
「知ったかぶり、エリート思想のナマジャリが!! 何様だよてめえはあぁっ!!!」
 肉体を駆け巡るこの現実の痛みと、心をじくませるこの現実の哀しみ、
 その全てを怒りと叫び声に変えて――
 
 
 
「――かみさま《シェキナ》だよ」
 りん と音を立てて右手の杖を掲げ。
「……言ったでしょ? 劇場の神様《デウスエクスマキーナ》だって」
 返されたのは、躊躇いもせずのただ一言。
 
 あまりのあっけらかんとした様子に、逆に思わずあっけにとられるあたしに対し。
「『違う』? …はは、じゃあ聞こうかお姉ちゃん」
 ギャンッ、という耳障りな音、杖を虚空に捻り立て。
 幾度目かに雑巾が積んだ賽の河原の積み石――たぶん幻術の構築を突き崩しながら。
 …気がつけば、いつの間にか雑巾が投げてたらしい、
 三本のダガーナイフを指先で押し留め、さっきと同じようにくるくると回し。
 
「……その 『 他 人 の 痛 み 』 とやらは、 『 何 処』にあった?」
 
 ―― がぁんっ!!
 と再び、金属が擦れるきな臭い音、飛び散る青い火花。
 
「 ど こ で 感 じ たの? 目で見た? 耳に聞いた? 鼻? 舌? それとも肌?」
 
「……っ!」
 恐ろしい勢い、目にチカチカする速さで、左右に分かれ弾けた銀の光。
 …だけどあたしが呻いたのは、決してその光と音だけのせいじゃなく。
「…ああ、ひょっとしてお姉ちゃんは、ヒトの癖にテレパシスト《読心術者》?」
 ニヤニヤと笑う目の前の猫耳野朗の。
「人の心を暴き立てて、笑顔の裏側や隠し事も全て手に取るように判る? そりゃすごい!」
 パチパチとわざとらしく拍手をするこいつが、何を言いたいのかに。
 
 
「…感じ、たんだよ、…確かに、あたしは」
 たかだか15年間に培ったつたない語彙の中から必死に言葉を探す、
 …だけどあたしの胸には、さっきのあの。
「あのお姉さんの土人形に掴まれた時に、頭の中に、哀しみの――」
 
 
「――それが哀しみだったっていう、明確な物的根拠は?」
 
 
「……ッ!」
 苦痛の、呻き。
「自分の思い込み、勘違いじゃない、紛れも無く哀しみだったって、断言できる?」
 舞い飛ぶ生きた火の粉に囲まれて、かざされた手から奇跡のように雷光が迸る。
 …でもそんな中に呻き声を混ぜたのは、今度はあたしの声ではなく。
 
 
 ぽたん、と。
 外面だけは無害そうな子供の顔、不可視の力の渦を作る、ディンスレイフを目前に置いて。
 機械のように無機質だった雑巾の声が、初めて生のそれを含み。
 
――雑巾が投げつけたらしい、回っていたダガーナイフは全部で三本。
――左右に分かれて飛んでいった光は、だけど二条。
 
 ガランッ
 
「……っ…ッ!」
 ……ぐっと引き抜いて、肩に突き刺さるダガーナイフを投げ捨てたそこに、
 初めて無感情じゃない、ナマの苦痛の色が混じり加わった。
 みぞれになった雪水の上に、刃にぬるりとこびり付いたものが、じわりと広がる。
 
「ぞうきっ――「「…ね? 『錯覚』なんだよ、それは」」
 パパパパパンッ、と爆竹のように。
 叫ぶ声を遮ったのは、盛大な炸裂音を上げながら降り注ぐ緋色の光、針の雨。
「今だってお姉ちゃんは、このお兄さんが呻き声を上げるまで、『痛み』に気が付かなかった」
 地面に着弾し、いくつもの小爆発を起こすそれら赤い針の向こうで。
 
「お姉ちゃんの心に生まれた、でもその痛みを感じた心は、『誰の心』だったの?」
 それは聞き分けの悪い愚かな子供に、しつこく言い含める大人のように。
「お姉さんが感じた哀しみは、あのヘビのおばちゃんの心から湧き出た哀しみだったの?
もしくはこのお兄さんの心から湧き出た哀しみ? それともボクの心から湧き出た?」
 くるりと杖を一回転させて、背後から二つの小竜巻を繰り出しながら。
 あくまで宙から、高みから。…見下ろす視点での、笑みを浮かべる者が居る。
 
「……違うでしょう? 全部、全て、た だ お 姉 ち ゃんの 心 の 中 だ け の 事 」
 
 ゆらゆらと舞う、幻想的な炎の蝶の群中に佇んで。
 それは弁論の得意な、論争の勝者たる者に特有の、自分に浸ったうっとりとした笑み。
 ――違う!とか、 ――そんな事ない!とか、
 …飛び出して然るべきのそんな言葉は、だけどとうとうあたしの口からは漏れ出でる事なく。
 
「『お前に俺の何が分かるっ!』、…追い詰められた三流悪役の決まり文句だよね?
…悪と見せかけて、でも本当は不幸な元善人でした、なんて良くあるパターンの、さ」
 挟み迫ってくる二つの小竜巻の向こう、淀むこと無きお高い講釈を続けるディンスレイフに。
「**$/***=+**%*&#* !!!!」
 雑巾が、急ぎ地面に剣を突き刺して、更に早口で何事かを呟く。
 ……それにほんの少し、竜巻の軌道が動いて。
 
「っははははは、ば っ か だ よ ね え ? 分 か る わけ無 い じ ゃ ん 、他人の心なんか♪」
 
 砂や小枝の舞い上がる旋風の向こうで、カッと猫目を開いて、ディンスレイフが笑った。
 
 暴風の唸り声よりも、高く、高く、なお高く。
 
「理解できるだなんて言う奴はさ、でも結局 『 分 か った気 に な っ て る だ け 』 じゃん ?
読めるのかな? その人は心を? 凄腕のテレパシスト? 本を読むみたいに心も読める?」
 
 直撃は避けれても、その余波たる風のあおりやぴしぴし顔に当たる細かい砂までは。
 思わず目を閉じて顔を伏せるあたしには、ただただその哄笑を黙って聞くしかできない。
 掠めるように交差して過ぎていく竜巻に――
 
「……みんな【一人】なんだよ、生まれた時から、死ぬまでずっと」
 ――そうして、ふいに響いた静かな声。
「『客観的』なんて、『共感』なんて無いのさ。…あるのはただ自分の心と、そして『錯覚』だけ」
 背後に砕け霧散した竜巻、つかの間止んだ魔法の嵐に。
 空の月を見上げ、吟遊詩人が詩をそらんじるように純白の外套が歌う。
 
「……主観、主観、また主観。全ては自分の心に始まって、ただ自分の心にだけ完結する」
 その姿は儚げなようでいて、しかし瞳に宿る光は強い。
 狂気に身を浸しているように見えて、だけど瞳の光は真っ直ぐだ。
「本当は『心を交し合って』なんかいないんだ。…ただ『交わし合ったように見える』だけで。
…あるいはもしかして、『自分達は心を交し合えている』って、信じたいだけなのかな?」
 ふっと顔を戻して、小首を傾げてこちらの方を見てくるその顔に。
 嘲笑(あざけり)はあっても、だけど諦観(あきらめ)の色は無い。
 
「人が人の心を読めない以上、行き交うのはただただ錯誤と錯覚、思い込み……」
 詭弁使いめ、ニヒリストめと。
 こいつ以外の人間が語ったならば、即座にそう言われて相手にされないであろう論旨主張を。
「虫や、魚や、野の獣達を見てご覧よ? 実 際 み ん なそう じ ゃ ん か ? 」
 狂ってもいないのに滔々と唱え。
「 【 独 り 】 で 生 ま れ て 、【 独 り 】 で 死 ぬ んだ。 誰 も が 、み ん な 。」
 周囲の罵倒や非難を押しのけて、ただの一人で、皆とは逆の考え方を突き進める者。
 
 
「……でも、それに耐えられない弱い奴らが」
 ひゅん、と右袈裟斬りに振り下ろした蛇杖、石打の雨が降り注ぎ。
「【独り】に耐えられなかった弱い奴らが、【永遠の一人】に耐えられなかった弱い奴らが、
それに耐え切れなくなって作った、ごまかし、まぼろし、おためごかし……」
 返した手首、横一文字に降られた杖、紫の光、今一度叩きつけられるプレッシャー。
 見えない力に雑巾が押されて、勝手に体が後ろにめり込み、苦しそうな声が上がり。
 
「……それが『おままごと』だよ、人間社会とか、集団社会とかっていう名前のね」
 
 …肩口から零れる血、構えた剣が、ぎしりと軋む。
 
 
 
      ※     ※     ※     < 2 >     ※     ※     ※
 
 
 
「おまま、ごと…?」  「まま、ごと、だと」
 奇しくも二人、同時にブリキが擦れるみたいに漏らした言葉に。
「そう、『おままごと』」
 にこりと笑っての、ディンスレイフの言葉。
 
「…幼年学校の、保護者に見せる為に開かれる稚拙なお遊戯会の劇と、何にも変わらない」
 最早、いくら精巧でも作り物だとバレバレの、無知を装った無邪気な笑顔に。
「これを『ままごと』、これを愉快だと称さずして、何を『ままごと』、何を愉快だと?」
 そうして三度振った杖、ぴしぴし と。
 
 今度は無数のツララが、その描いた軌跡の跡へと連なり出すのが見えた。
 ……それですら、先程のオオカミの頭目が放った物よりも大きさは小さいとは言え、数は倍。
 
「愛し合ってた二人の、些細なすれ違いからの破滅。永遠の友情の、勘違いからの崩壊。
偽りの愛と友に騙される者、あるいは相手の本心にも関わらず、愛と友を信じられない者。
騙されている事を知った上で信じ続ける愚か者に、それを知らずに騙し続ける哀れな者。
夫を疑い、妻を疑い、親を疑い、子を疑い、友を疑い、兄弟を疑い、愛を疑い、信を疑い、
主人を疑い、召使いを疑い、…そうしてそれを失ってから、初めて自分の愚かさに気がつく」
 
 胡乱な笑顔、くいっと指をもたげた動作に、宙に浮かんだ体がクンッと後退し。
 同時にバンッ――という炸裂音を立てて、ショットガンみたいに一帯にツララが突き刺さった。
 立ち昇る霜の冷気に、周囲の気温がさらに数度下がったような気さえして。
 
「……ね? 『分かり合える』んなら、どうしてこんな事が起こるのかな?」
 笑って、四度振り上げられた杖、ドンッとあたし達のすぐ傍、大きな雷が落ちる。
「深く愛し合い、心を交し合っていると言った者達にも、こんな事が起こるのは、どうして?」
 笑って。小首を傾げて。
 さらにもう一振り、地面に焦げ目を作って、もう一発。
 
「分かり合えるんだよねぇ、群れ合い暮らす、皆さんの言葉を聞く限りでは?」
 さらに一発。
「心を一つに、手を取り合ってご覧よ? 出来るんでしょ? 社会に暮らす全体の皆さんなら!」
 もう一発。
「ほーら、お兄ちゃんお姉ちゃん、言い当てて見せろよ、今お互いが思ってる事を!
社会を作り、心を通わせ合える、それが『獣』じゃない、『人間』の証なんだろぉ!?」
 一発。
「…そうして、その割には世界がこんなに愉快で『喜劇』と『悲劇』だらけなのは、どうしてかな?」
 一発。
「愚かで、滑稽で、哀れな寸劇に、満ち満ち溢れているのは……」
 ひゅん、ひゅんと振られる度に。
「すれ違い、勘違い、信じられず、誤解したまま死んでく連中ばっかなのは、何故かなあっ!?」
 ドン、ドンと落ちる落雷。
 
「説明してよっ、『国家』の下僕らしいお兄さんにっ、『優しさ』を信じるお姉さんっ」
 飛び散る火花に、舞い飛ぶ炎の蝶。
「愛とか、友情とか、優しさとか! 人が持ち、心から生まれ、交わされ合うらしいそれが!」
 それまでは防げず、吹き荒れる土埃と爆風と。
「滑稽な『演劇』の産物じゃ! 肉の牢獄、羽ばたけぬ心から生まれた思い込みじゃない!」
 焦ったように、歯軋りして口中の呟きを早める雑巾に。
「個人と個人の『演技』の産物、織り成された劇の台詞でなしに、確かに在るものだってっ!」
 それにただただ、しがみ付くしかできないあたし。
「人は心を交し合えるなんていう『まやかし』の下、『永遠の独り』に耐え切れなかった者同士が、
それでも縋らずにはいられなかった、愚かで哀れな幻なんかじゃないって!」
 邪な哄笑と共に、ディンスレイフが投げつけて地面に突き立てた杖。
「馴れ合い群れ合いのおままごとじゃない、世界は舞台じゃないって、証明して見せろよぉっ!」
 ドンッッッ、と。
 耳を劈くような轟音と共に、周囲に突き立ったのは三つの落雷。
「っははははははははははっ!」
 目元に手を当てての、おかしくて堪らないといった様子の哄笑が、一帯に、響き。
 
 …飛び交う炎に氷、風に石礫、そして今の雷撃に火を吹き、抉れ、または凍りつく木々の中。
 鉄や肉の焦げ煙る匂いと共に、やたらめったらに吹き荒れる爆風。
 やはり翻る黒衣に顔を埋めて、目に飛び込もうとする砂や火花を避けるしかないあたしに。
 
 
「……ね? 『劇』でしょう?」
 
 
 土煙の向こう、バタバタと風に翻る白衣の音。
 
「常に周囲からの『まぼろしの非難』、『幻影の白い目』、『罪悪感なんて名の錯覚』に怯え、
『みんな』からの村八分、仲間外れに、いつもビクビクしながら暮らしてる《よわきもの》に」
 刺された視線、心の中にまで侵入してくるような冷たい声に、ビクリとあたしの体が震え竦む。
 
「所属集団――国家・社会という名の絶対的上位普遍の概念存在に完全帰属・従属する事で、
誰が正しくて、何が間違ってるのか、何に従ったらいいのか判らない不安からの逃避を謀り、
思考の放棄、遭遇事例に対しての当不当の判断責任の、最も安易な棄却を達成すると共に、
一番安価で簡便なアイデンティティの確立、自己の防衛・保存を図ってるだけの、《臆病犬》」
 瞳を翻して、自分の方へと向けられる視線にも、雑巾は視線を反らす事無く。
 …ただ、ほんの少しだけ血に濡れた肩を震わせて、差し向けられた言葉に大きく息を吐いた。
 
「…自壊への渇望に捕われながら、それでもなお身に課せられた地位と使命、そして滅びヘの
願いを上回る憎悪の劫火に囚われて、多数に背く、殺戮人形に成り果てるは、《抜殻の孤狼》」
 一帯に撒き散らされた死体を前にして、紡がれるのは詩人の言葉。
「…過去の栄華に縋りつき、くだらぬ矜持を捨てられず、殺めた命は星の数、戻れぬ我が身、
けれど愚か者達に手品を見せ、愚昧な賞賛に身を浸しながら、泥に夢見る《愚かな老蛇》」
 この光景の中でただ一人汚れる事無く、宙に浮かんで場違いに。
「そして注されず、目される事無く、凡人凡才、散り花にしかなれぬ、十把一絡の《エキストラ》。
なれど危ぶむな、十を持ってしてしか一花になれぬ、その哀れさにその他大勢の真髄はあり」
 全てを――それこそ正真正銘、『人の心の中』までも盗み見て覗き見れる語り部のごとく。
 
「飢えるが故に奪う者、震えるが故に乾く者、飢餓故に、人を食い裂く鬼と変じた《優しき者》。
力・魔・美の、いずれも持たず、結果代償行為として金に走り、金に溺れるは《哀れな亡者》」
 バサリと翻された白衣の裾。
「元の世界を捨て去れず、今の世界を受け入れられず、今日も天を仰ぐはしがらむ《落ち物》。
一瞬にして全てを失う《不幸の者》に、逆に一瞬にして全てを得、なれど故に破滅す《愚か者》」
 演技がかって持ち上げられた左手。
 
「80と650、決して埋まらぬ時と種の差に、だけど本気で愛を育もうとする物好き達もいて。
贖罪からの愛を捧げる者が、憐憫からの愛を捧げる者が、憎悪からの愛を捧げる者がいる」
 誰を歌ったのかは知らないが。
「過去のトラウマから逃げる為に。地位や身分でしか自分を見ない周囲の目から逃げる為に。
全てを失った亡国の王族が、弱く卑しいはずの従者に寄りかからずにはいられずに抱く愛も」
 しゃらりと袖口、布地を擦る音を立てて、長い睫毛、半眼を開いて言う言葉は。
 
 
「 … ね ? 愉 快 で し ょ ? こ れ 以 上 笑 え て バカみ た い な 劇 が 、ど こ に ? 」
 
 
――ボーイソプラノが、テノールに。
――…ふいにぶわりと、辺りの空気が重くなったのは気のせいか。
 
 ぞっとする程の賎視と侮蔑に満ちた、その打って変わって低い声色と強い気迫。
 ある程度予想していたとは言え、それでもあまりの鬼気に固まったあたしの空白を突くよう。
 
――つっと先端を差し向けた杖に沿って。
――杖軸の周囲を伝い回るようにしながら、身の周りを舞うだけだった、『蝶』が一匹。
 
 
「 ど う し て こ こ ま で 愉 快 に 踊 れ る ん だか、それだけはボクもお前らを尊敬するよ」
 
 
 ――それにまた少し、辺りの空気が重くなった気がした。
 戦慄が走ったのは、その薄笑いに対してか、あるいは忘れようもない先刻の凄まじい威力、
 ひらひらと、だけど一直線に飛んでくる『炎の蝶』に対してだったのか。
 
「+*$*%**&**%=#*/*@ !!!!」
 すかさず半身を引いて構えられた雑巾の剣先の、刃先に添えられた左手指先に。
 途中で妨害・迎撃されたか、ポンッと軽い音を立てて火の粉に戻り撃墜される炎の蝶。
 ……だけど。
 
「…肉の檻、羽ばたけぬ心に、『愛し合う』『信じ合う』という愚かな幻想、思い込みを抱く者」
 二つ。
 三つ。
「ただ痛みに耐えられぬだけの己の心の弱さを、優しさやら、慈愛の心やら、罪悪感といった
修辞に飾った挙句、『他人の痛みが』『世界の痛みが』だなんて戯言をのたまう臆病な奴ら」
 四つ。
 五つ。
 
 
「―― 『 弱 い 』 、 『 弱 い 』 、 実 に 『 弱 い 』ね、 お 前 ら は 」
 
 その言葉と共に、今度は気のせいじゃなく。
 確かに周囲の空気、圧し掛かる大気の重圧が、ずしりと密度を増したのをあたしは感じた。
 …真面目な話、冗談抜きで体が重く、肺から息を吐くのにさえ力がいって。
 じっとり、ねっとりとした妙なプレッシャー。
 雑巾の足にぺたんと縋りついて、それでも辛うじて顔をもたげる先には。
 
「… そ の 程 度 の 孤 独 、 そ の 程 度 の 痛 み に すら耐 え ら れ な い か ? 」
 
 ……雑巾が垣間見せたそれや、あのオオカミの頭目が放っていたそれとも違う。
 …重たい、重たい、とにかく重たくて湿っぽい、淀んだ空気、息苦しい重圧。
 中心に居るのは、さっきまでは確かに、宙に舞う羽毛のような。
 ……でも今は、まるで白く脈打つ肉塊のごとき、歪んだ空気の向こうの薄笑いの少年。
 
「 ど こ ま で も 周 囲 を 気 に し て さ 。 だ か ら お前ら は 『 弱 者 』 な ん だ」
 
 指し伸ばされた階(きざはし)から、次々と飛び立ち向かってくる炎の蝶に。
 必死で口の中に口訣を唱えて、飛んでくる中途でそれを迎撃する雑巾の姿を、
 隠しもせずに嘲笑うその笑みには……だけどやっぱり、狂気の色は無くて。
 
 
「…… で も 、 ボ ク は 違 う 。 ボ ク は 『 強 い』」
 笑って、ゆらりと動かした手。
 たぁん、とボタンに留められた純白のコートの襟元を叩いた、
 ただそれだけで、周囲の空気に波紋を広げる……それほどの、圧倒的な力の塊。
 
「【独り】じゃ生きていけず。…社会と集団――弱さが生み出した偽りの幻霧の中に埋没し、
繰り返される遠慮と妥協と諦めの果てに、自分が本当は何をしたかったか、何を求めて、
何の為に生きようとしていたのか忘れてしまった、哀 れな君 達 と は 根 本 的 に 違 う 」
 ――それはまるで、瀕死のネズミをいたぶる猫のそれ。
 
「誰があわっ……「「――では聞こうか、ヒトの娘」」
 それに思わず上げようとした反声も、だけど舞い飛ぶ火蝶、差し向けられた杖に遮られる。
 
 途端、流れを変え、叩きつけられた力の奔流に。
 睨まれただけで感じる、心臓が握り掴まれるような圧迫に、思わず背筋すらのけぞって。
 蛇に睨まれた蛙のように、獅子に睨まれた兎のように。
 
「――お前は『だれ』だ?」
 強い力。
「――お前は『どこ』にいる?」
 強い瞳。
「――お前はどうして、何の資格があって、今此処にいる?」
 答えられない。
「――何を為せた?」
 それをあたしは、答えられない。
「――何の為に生きている? お前の生きる意味は、価値は何か、答えてみせよ、女」
 知らない、判らない、答えられない。
 
 ……『嫌が応にも己の矮小さを思い知らされる』とは、きっとこういう事を言うんだな、と。
 そう思う、否、そう思わずにはいられない、それだけの視線。
 …震えて、圧倒されて、喉から言葉が出ず。
 そしてそんな相手と、だけど雑巾は必死に相対して火蝶を叩き落しているというのに、
 じゃあその背後、守られるしかできない自分は何なんだろうとも。
 
 
「 …… ほ ら ね ?  答 え ら れ な い 」
 そんなあたしを嘲笑うかのように、歪む空気の向こうでゆらりと杖を振りかざした姿。
 高く、星天を突き刺した垂直の杖に。
「そんな誤魔化しに誤魔化し、妥協に妥協を重ねての、嘘だらけの幻の人生なんか送るから…」
 ざわざわと集まっていくのは、周囲を無軌道に漂っていたはずの残りの火蝶。
 杖の先端、双蛇を迎えた翼ある宝珠に、まるで収束するかのように集まったそれら、
 ――1羽でもヒトを殺せ、1羽ずつでも迎撃に苦労する高密度の炎の魔力の塊が。
 
「 … こ ん な 簡 単 な 質 問 に も 、 答 え ら れ な くなる ん だ 」
 
 ひゅん、と空を切り裂き音を立てられて振られた杖に。
 
 ――鎖付き鉄球のそれのように、火蝶の塊がまとめて固めて投げつけられた。
 
「―― 生 き て て 楽 し い ?  そ ん な 人 生 ? 」
 
 視界いっぱいに迫り来る赤の光群の奥。
 ごぅん、と音を立てて拡散し、炎の壁となってあたしらを飲み込むその直前。
 ――陽炎の向こうに映ったのは、
 圧倒的な強さを持つ者にのみ許される、絶対的な自負の笑い。
 
 
 
 
 
 ……ごおごおと、鼓膜を揺らし震わす獄炎の音。
 巨大なドーム、球を描いて渦巻き燃え盛る爆心点を見つめながら。
 
「優しさ、労わり、慈しみ。心の痛みに心苦しさ、寂しさ、切なさ、孤独感。愛に友情、信じる心」
 片手に襟元を弄び、それでも少年は、笑みを浮かべた。
「肌寒い、温もりが欲しいと称しては肌を重ね。妬みや罪悪感といった、負のそれも……か?」
 そうして宙に浮かんだまま杖を引き寄せて、ゆっくりとそれに凭れ掛かる。
「…ただ【弱さ】という言葉を言い換えるだけの『修辞』を、よくもまあこれだけ捻り作ったものだ」
 魔法に耐性の少ない、ヒトや幾つかの種族などは、それだけで『魔力あたり』を起こして
 息苦しさや眩暈を覚えるだろう、桁外れの魔力を解放しながら、ゆらゆらと。
「そうして【独り】を恐れ、弱きを正当化し、幻夢に貪るは惰眠、真理から遠ざかる事甚だしく。
必要と愛を求め続け、自分の存在価値を誰かに肯定して貰えなければ生きてすら行けず…」
 瞳を閉じて、宙に漂いながら額に伸ばす手、
「……だが、だからこそか」
 しかし フッ、と猫がやるように鼻で笑う姿は、およそ子供らしさとはかけ離れた高慢さ。
 
「だからこそこのディンスレイフには、それを無駄、無意味だと、罵り謗るつもりは毛頭ない」
 器用にも空中に頬杖をついて――
「種の保存という本能からくる一連の生殖行為を『愛』という言葉で飾りたがるお前らを、
結局は自己中心と自己主張、自己同一性の保持に終極する、様々な美辞麗句で飾られた
お前らの行為様態行動を、無駄だと言うつもりはないし、無意味だと定するつもりもない。
…世界は醜いのだと気がついたばかりの、年端も行かない小僧共がそうするように、な」
 ――独り言めいた言葉を呟きながら、ぼうっと遠く、しかし力を失わず焦点を合わせる両眼。
 見つめる先にあるのは、踊り燃え盛る炎の塊で……
 
「なぜならば、だからこそお前らは愉快で滑稽であり……」
 垂れた前髪を弄びながら。
「……この私を、こんなにも退屈させずに、今日もまた愉しませてくれるのだから」
 尾をくねらかせて、ネコの少年の姿をした者は薄っすらと笑う。
 
 
 …それは踊る火の粉をして、『蝶』という形に見立て組み上げられた、芸術的なまでの『呪』。
 他の魔法使いが見れば、感嘆と共に己の才知の至らなさを歯軋りするだろうその魔法だが。
 …しかしこうやって『呪』を解き綻ばせてしまえば、それはただの地獄の業火の塊でしかない。
 『蝶』とするにはこの世界と同じよう、誰かが『飾り』『彩って』やらねばならぬ。
 
 
「―― 出 て こ い よ 、 こ れ で く た ば っ ち ゃ なんか 、 い な い は ず だ 」
 
 言って杖を握り、見つめるのはごうごうと、未だ渦巻き続ける炎球の芯。
「―― 踊 れ よ 」
 生き物であれば、決して生きてはいられぬだろう炎熱の央。
「―― 踊 っ て こ の ボ ク を 、 強 き 者 共 の 目 を愉し ま せ ろ 」
 …だが真球を描いていたそれがたわんで歪み。
「――それだけが貴様らの取り柄だろう? …なあイリュージョニスト、幻想使い」
 線が一本、炎球の中点を通るようにして斜めに走った時。
 ……でも確かに彼は、子供のように笑ったのだった。
 まるで面白い映画、興奮する劇、ワクワクドキドキする物語を読んだ時の、子供のように。
 
 
 
     「……大丈夫だよ」
      肺を焼く熱波の中で、だけどあたしは確かに聞いた。
     「……大丈夫、怖くない」
      熱くて目がチリチリして開けてられない熱の中で、確かに声を。
     「何とかなる、…オレが、何とかしてみせる」
      そういって、すぐ「できるよ!」と言って、だけどいつも料理も洗濯も大失敗なのに。
      優しくて、だけどいつものように簡単に安請け合いする、後先の考えなしの。
     「…死んでも、お前だけは助けるから」
      バカみたいで、だけど時々こっちがドキッとしてしまうような、とんでもない言葉。
 
      ――口を開こうとしても、入ってきた熱と火の粉、むせた咳しか出なかった。
 
 
 
 斬り裂かれたゴムボールがそうなるみたく、歪んだお椀型になった炎塊が二つ。
 斬り払われて飛び、背後の木々に激突して、大量の酸素を飲み込みながら。
 
 ドン、という炸裂音と共に荒れ狂う火流。
 半分山火事めいてきた光景の中で、ぶすぶすと煙を上げて煤を撒き。
 
「――なら、貴様は『だれ』だ?」
 それでも五体満足、片膝をついて、泥だらけのコートの下にヒトの女を庇いながら。
「――だったら貴様は、『どこ』にいるッ!?」
 だいぶ良い顔、良い台詞を吐くようになって来た、イヌが一匹。
 
「ははは……」
 裂帛の眼差しでねめつけられて。
「 よ く ぞ 聞 い た !」
 だけど喜悦を滲ませて、ディンスレイフは虚空に杖を突き立て胸を張る。
 
「我が名はディンスレイフ! 猫国生まれが大魔法使い、ディンスレイフ・ダークネ!!」
 ――楽しい。
「ただの【独り】にて凛然と、しかし小揺るぐ事無く錘の頂点に立ちたる、いと《つよきもの》!」
 ――楽しい楽しい楽しい。
「【社会】という名の幻霧に潜む貴様らと違い、【独り】という名の真理の園に住まう者だ!」
 ――よもやここまで楽しませてもらえるとは、正直に予想外だったと告白しよう。
 
 くるりと翻して杖を突きつけてやれば、背後に隠れたヒトの女がビクリと怯える。
 …まぁ『ヒト』だったら、ただそれだけで頭痛や吐き気を覚えるような、高密度・高濃度の
 魔力を叩きつけているわけなのだから、それも当然といえば当然なのだったが。
 …しかしそれを庇い出るように体を動かす、この目の前の愚かにも分不相応な二流イヌの。
 
「…『優しさ』? どうしてこのボクが、他人の痛苦の為に痛みを感じてやらなきゃいけない?」
 見下してやった視線の先、その目が堪らない。
「他人が何人泣こうが死のうが叫ぼうが、でもそれはボクが苦しいわけじゃないのにだよ?」
 弱いくせに、無力のくせに。
「『世界の痛み』? 山が死ぬ? 川が汚れる? 海が泣く? …はは 、 知 っ た 事 か!」
 必死に抗い、無駄な抵抗しようとするその生意気な目が。
「たかだか世界の寿命が、5000年10000年縮むだけでしょ? なんでそれ位耐えられないの?
無力の癖に、そんな事にまでいちいち心を削ぎ悩む、 だから お 前 ら は 弱 い ん だ よ 」
 劣等種であるはずのヒトと、先進優等種であるはずのイヌの。
 揃いも揃っての、震えながらの必死な眼差しが、愉快で愉快で堪らない。
 ――大好きだ。
 ――愛しているとさえ言っていい。
 
 
 ――……そう、愛して。
 ――愛して、愛して。
 ――愛して愛して、かれはこの世界を、人間という生き物を、愛していて。
 
 
「――秒間12発もの初等魔術に、連続21発のライトニング、あまつこのボクの《火蝶陣》まで」
 口より出された言葉の中には、だからこそ「ねぎらい」と「いたわり」があった。
「……良く耐えたね。素晴らしいアンチ・マジック《魔術妨害》、そしてディフレクション《偏向》だ」
 『保護者』であるからこそ、『羊飼い』であるからこそ、彼は「いたわり」を忘れなかった。
 
「…ああ、うん、非礼を詫びようか。…さっき散々、『二流』呼ばわりしちゃった事をさ」
 ……ディンスレイフ・ダークネは、強かった。
 ……とてもとても、強かった。
「認めるよ、お兄さんは断じて『二流』なんかじゃない。その心意気と健闘に敬意を表し――」
 【力】に、【魔】に、【頭】に、【美】に、あまつ驚嘆すべきには、【心】にさえも。
 強く、強く、とてもとても、とてもとてもとても強く……
 
「――認 定 し よ う 、 お 兄 さ ん は 立 派な『似非(えせ)一流』 、 『一流モドキ』 だ 」
 ……そして少々、ほんの少しばかり、『強過ぎ』た。
 
「C+(シープラス)でなく、B-(ビーマイナー)」
 誰にも必要としてもらえずとも、存在を肯定してもらわずとも。
「…誇っていいよ? このボクにB認定をもらえる人間だなんて、そうそう居ないんだから」
 ただ自分【独り】でだけで、自分の存在を肯定できる、それ程までに強く。
 
 
 
「――誇り、光栄に思い、そして後悔し、せいぜい絶望に沈むがいい」
 芝居がかった口調に還りながら、杖を握る手に力を込める。
「…初等の中、うた《詠唱》無き内に死ねていれば、まだ楽に死ぬことも出来ただろうに。
このディンスレイフにうた《詠唱》まで歌わせた、その中途半端な力量と賢しさを恨むのだな」
 ――彼は叙事詩《サーガ》や歌劇《オペラ》、観劇《シネマ》が大好きである。
 幼き頃、全てを持ち判るその退屈の中に、ただその人の心、人の想像力の翼にのみ感嘆し、
 そして弱き存在が、生命の危機、必死になってもがき苦しみあがく様に感動し――
 
「畏怖より生まれし『揮奏者ディンスレイフ』――『奏で操る者ディンスレイフ』の二つ名の意味…」
 
 ―― だ か ら 楽 し い 人 生 を 謳 歌 す る 為 、 ただこ の 道 を 選 ん だ 。
 世界を奏で操る脚本家にして舞台監督、指揮者、支配者、『コンダクター』としての道のりを、
 嘘と幻と欺瞞に満ちた、劇場なのに劇場でないと言い張るこの世界を、より美しく彩る為。
 
「『本物の魔法使い』の力の程、死出への土産、存分に耳へと焼き付けて行け」
 
 魔力の集積と術式の構築の傍ら。
 …だから少年は、今日も笑う。
 
 
 
 
 

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