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犬国西部の大荒野に建つ巨大監獄、カロンセラ獄塞。 西部山脈から吹き降ろす寒風と、一年中どんよりと曇った空の下にあるそこは、国内の政治犯や、あるいは逮捕した国際犯罪者を収容する巨大監獄である。 人の近づかない荒野という立地条件と、幾重にも張り巡らされた警備機能で外部と徹底的に遮断されたそこは、ある意味においてはこの国の暗部の象徴ともいえるだろう。 その裏口から、女性の慟哭が聞こえる。 変わり果てた姿となったヒトを抱きかかえたまま、狂ったようにその名を呼んで泣き続けるイヌの女性。 そして、同じく半狂乱になって衛兵に食ってかかるイヌの男。「なぜアツヤを殺した!」「殺したのではない。尋問の途中で勝手に死んだだけだ」「ざけんなっ! アレが尋問か!!」 指差す先には、女性に抱きかかえられた、変わり果てたヒトの亡骸。 ほんの一月前、まだ幼さを残していた顔は青黒く晴れ上がり、左手は五本の指がすべて失われて、肉腫だけが残っている。 ぼろきれのようになった衣服から見える肌は、切り傷と青あざのない場所が見当たらない、正視に耐えないほど無残な姿。「法にのっとった尋問だ。何も違法なことはしていない」「ふざけるなっ!!」 いまにも殴りかかりたいのを必死にこらえているのか、全身が小刻みに震えるイヌの男。「俺達はなぁ……てめえらが来るまでは、貧しいなりに幸せにやっていた! それをいきなり奪い取りやがって!」 怒りを露にする男とは対照的に、どこまでも無感情に応対する衛兵が答える。「恨むなら、密告をしてきたものを恨むのだな。我々に違法行為はない」「この野郎っっっ!」 とうとう、我慢できなくなって殴りかかろうとしたとき、応対していたのとは別の衛兵が、その首筋を思い切り手にした槍の柄で打ち付ける。「ぁがっ!」 地に打ち据えられ、それでも立ち上がろうとする男の眼前に、抜き身の槍の穂先が突きつけられる。「そこまでにしておけ。さもなくば逮捕する」「ぐ……」 そのとき、ようやくアツヤと呼ばれたヒトの亡骸を抱えていた女性が声をかける。「もういいの……兄さん。せめて、アツヤを安らかに眠らせてあげて……もういいの……」 泣き腫れた目で、兄を見る妹。「…………」 その表情に、無言で立ち上がり、衛兵に背を向ける。 アツヤの亡骸を受け取り、粗末な毛布にくるんで抱え上げると、ふりむきもせずに吐き捨てた。「今日は下がってやる……だがな、いつかきっと……」 震える声で、決意を口にする。「手前等が後生大事に拝んでる法とやらを、俺達がいつかきっとぶち壊してやる……てめえらに俺達と同じ苦しみを味あわせてやる……忘れるなっ!」 そして、歳月は流れた。 カロンセラ獄塞からすこし離れた荒野に無造作に建つ、無数の墓石。 獄塞が建てられてからの数百年の間に死亡した、すでに万に近い囚人や就労者たちの墓場だ。 吹き降ろす風に晒され、すでに名前が読めなくなった墓石も少なくない。 そこに、シゲルはいた。 コートをまとい、墓地の片隅に一列に並ぶ墓石の一つ一つに祈りを捧げてゆく。 ガリバルディ、ウォルター、ヘイルソン、フレディ……立ち並ぶ墓石に刻まれているのは、彼の中に宿る“魂”の素体たちの名前。 そして、その列の最後に並ぶ、二つの墓石には。 エルシア・サー・スフォール ソウマ・シゲル そう、刻まれていた。──これからも、よろしくな。(こちらこそ。お互い、頑張りましょうね) その墓こそが、二人にとっての過去との決別の証。 ステイプルトンという新たな名前と共に、二人が宿るこの肉体の中に生きるのは、二人の魂と、そしてシゲルの肉体のほんの一部。 残りは全て、この粗末な墓の下に眠っている。──悪いな。(なにが?)──俺があんな死に方しなければ、ご主人様をこんな粗末な墓の下に眠らせることはなかったのに。(もう。まだ言ってるの?)──いや、しかし…… エリート軍研究者だったエルシアなら、もっとマシな墓地に埋葬されるのが普通なのに。 そう思うと、シゲルには後悔がつのる。(もぅ。私が選んだんだから、それでいいの。シゲルの横に眠ってるだけで幸せなんだから)──そう……言ってくれるなら。(ほら。もうそろそろ急がないと、間に合わないわよ) まだ悩み気味のシゲルにそういって、エルシアが急かす。──ああ……そうだな。 年に一度の、メンテナンスと定期検査。 非犬素体型ティンダロスのプロトタイプでもあるステイプルトンは、その活動データ自体が貴重な資料となる。 首都のヒト研究施設のなかで、そのデータが採取され、同時に各種機構のメンテナンスと、そのときの運が良いか、あるいは運が悪いかすると、いくつかの実験的な新魔洸機能のインストールが行われる。 そのため、年に数日、必ずシゲルは帰国しなくてはならない。 そして、帰国するとかならず、ここで自らの身体に宿る、己以外の百の魂に祈りを捧げるのだ。 時折、夢を見ることがある。 ぞっとするような恐怖の体験であったり、あるいは志半ばで倒れたりという、願わくばもう二度と見たいとは思わないような悪夢。 それは、彼らの記憶なのだろう。──行こうか。アカネのやつ、待たせるとうるさいからな。(そうね) いつの間にか、霧雨が降ってきていた。 首都、ヒト研究施設……「おっそーいっ!」 受付を済ませて中に入ったシゲルを出迎えたのは、速射砲のような不平の声だった。「遅い遅い遅い遅いおそ─────いっ!!! 今日何日だと思ってるのよ!」「仕方ないだろ、事故で道が塞がれてたんだから」「待ってる方の身にもなりなさいよ! 昨日から準備してず─────っと今まで待たされてたんだから!!」 腰に手を当てて、一気にそうまくし立ててくるヒトの女性。「……だから、不可抗力だっつーの……」 小声で抗弁するシゲル。(つくづく、女の子には弱いわね)──ほっといてくれ……「ほらほら、遅れたんだからさっさと済ますわよ。こっち来て」 手を引っ張って、巨大な検査機のある部屋に連れて行かれる。 落ちものの機械に、後から魔洸機器を手当たり次第にくっつけて無理やり動かせるようにした、正直見るからにごてついた機械。 その向こうにつながれたパソコンも、やはり落ちもの……だが、起動させた画面には95とか出ている。──物持ちがいいというか何と言うか……都合よく最新のPCとか落ちてくることはないものかな。(よほど大量に落ちてこないとこっちまで回ってくることはまずないわよ)──それもそうか。 高性能な落ちものはエリート階層、もっといえばGARM、それも五局、六局に優先的に回される。 五局のトップエージェントが普通に使っているような液晶のノートパソコンなど、この研究所どころか三局の本部でさえ滅多に見たこともない。 そもそも、ここにある地球じゃ廃物屋直行みたいな95入りデスクトップを含めても、このヒト研究施設で所有しているのはほんの数台といったところ。 つまりは、この骨董品が、実はここでは貴重な一台だったりする。「ほら、その中はいって、順番は……」「もう4回目だ、覚えてる」「じゃあ、さっさとすますわよ」 何を急いでいるのか、やけにせかす。「はいはい」 採血、各種波形測定、肉体能力の変化測定、インストールした魔導プログラムのチェック。 全部あわせて、約二時間程度。 その間、ほとんど動かずに立ちっぱなし。「はい、おしまい」「……終わったか……」 疲れた声で、シゲルが機械から降りる。「今日のところは、新しいプログラムの実験はないみたい。検査データ送ったらおしまい」「そうか。じゃあ早く戻れそうだ」 そう言って、歩き出そうとすると。「ストップ」 そう言って、女性が止める。「なんだ?」「その前に、つきあってほしいことがあるんだけど」「ん?」「ちょっと、こっち来てくれる?」「…………」 よくわからないまま、後ろについていった。「えっと、これに名前書いて」「……外出許可証……?」「一応、イヌがいないと出られない決まりだから」「……そういうことか」 国立ヒト研究所の中にいるヒトは、あくまで研究所の所有物。 イヌが責任を持って連れ出す時以外、外出は許可されない。 シゲルは元ヒトだが、ステイプルトンにはイヌとしての戸籍を与えられている。 もっとも、安全を考えたらやむを得ないのかもしれない。 比較的治安がマシな首都にあるとはいえ、ヒトだけで外に出るのは自殺行為以外の何者でもない。「半年も前から楽しみにしてたのに、誰かさんが遅れてくるから」「……って、それであんなに急かしたのかよ」「だって、シゲルはどこでもぶらぶらできるからいいけど、私は籠の鳥だもん」「ぶらぶらって……」 まあ、普段やっていることはとてもじゃないが言えない。「だから、今日ぐらいはって思ってたのに」 ふくれっ面で腕を組まれ、観念したようにJ・ステイプルトンとサインをする。「これでいいか?」「うんっ♪」 書類を見せると、急に機嫌を直し、その下にナカオカ・アカネとサインをした。「……中岡って苗字だったのか」「知らなかった?」「アカネとだけ紹介されたぞ」「こっちじゃ、苗字ってあんまり意味ないもんね」「……まあな」 研究所の中ではあくまでモノ扱いであるヒトは、家族を持つという境遇が許されない以上、確かに苗字はあまり意味がない。「そういえば、シゲルの苗字って何だっけ」「相馬。相馬茂だ」「へぇ……私もシゲルの苗字、今まで知らなかった」「シゲルって呼ぶ奴だってほとんどいないからな。ほんの数人以外はステイプルトンで通ってる……ていうか、ソウマ・シゲルは戸籍的には死んでる」「そうなの?」「そうなの」「やーい、幽霊」「ちょっ……お前なあっ!」「あはははっ……」 机の向こうに回りこんで笑うアカネ。(かわいい子じゃない)──そう見えるか……? 振り回されるほうは結構辛い。「で、どこ行くんだ?」「市場。奴隷通り……だけど、まさかその格好で行く気?」 そう言ってシゲルの着ている、旅の埃で薄汚れた軍服を指差す。「って、着替えとか用意してないぞ」 その言葉に、アカネは呆れたようにため息をつくと、シゲルの袖を引っ張った。「……もぉ。着替えならこっちに用意してるから」「……えらく準備がいいな」「昨日から準備したって言ってたでしょ」「……準備って、こっちの準備だったのかよ」「いいから。サイズ揃えるの苦労したんだから」 そう言って、また引っ張ってこられた先には。「……これって」 緑碧色のテンガロンハットとジャケット。 黄土色のスラックスと、ポーチの付いたベルト。 それを見て、額を押さえながらシゲルが尋ねる。「……おまえ、何歳だよ」「じゅーなな」「……何でこんなの知ってんだ……」「何か言った?」「……いや、なんでもない」 ぶーたれられる前に着替える。 鏡で見てみると、とりあえずマダラ姿のうちはなんとかなりそうだ。──ライズアップしたら何かとまずそうだな。(どうして?)──いや、ちょっとな…… 着替えたシゲルを、アカネが待っていた。「そっちはその格好なんだな」「うん。あんまり持ち合わせないし。それに、一応外じゃご主人様と奴隷だしね」「ま、おそろいでコスプレよりはいいか」「外じゃ、一応ご主人様と奴隷って立場だから。どれーはどれーらしくしとかないと」「で、その奴隷にご主人様が振り回される、と」「いーから。行こっ、シゲル」「はいはい」 研究所から市場まではすこし歩く。 通称、奴隷通りと呼ばれる一角。そこがヒト向けの物品を売っている場所になる。 築何百年かわからないような恐ろしく古びたレンガの建物が立ち並ぶ。 もっとも、ヒト奴隷を雇える階層ともなると案外裕福な層が多いため、売っているものは実はそれなりにいいものが多い。 皮肉なことに、スラム街で食うものにも事欠くイヌがいる半面で、主の寵愛を受けて、彼らよりはるかに贅沢な衣服と食事を与えられているヒトがいることもあるのだ。 「ねえ、ほらあの服かわいー」「欲しいのか?」「うーん……ほしいけど、ほかに見て回りたいのもあるし……」「少しなら持ち合わせあるから、買ってやってもいいぞ?」「いいの?」「服の一着ぐらい買っておかないと、後で何言われるかわかんねーしな」「あーっ、その言い方ひどぉい」「で、どうする?」「んーと……もう少しいろんなとこ見て回ってから。他にもほしいのあるかもしれないし」「じゃ、もう少し見て回るか」「うん」 立ち並ぶ店の合間を歩く。 やはり、それなりに裕福そうな階層のイヌが多い。「さっきから、なに人の尻尾で遊んでんだ」 そんななかで、さっきからシゲルのしっぽを引っ張ったり握って持ち上げたりしているアカネに声をかける。「しっぽがあるって、どんな感じなの?」「は?」「だって、私しっぽとかないから、こーやって引っ張ったり触ったりしたらどんな気持ちなのかなーって」「こういう感じだ」 そういって、アカネの尻をつるりと撫でる。「きゃあっ!?」 アカネが、驚いたような声を上げて棒立ちになる。 我に返ると、顔を真っ赤にしてくってかかってきた。「ばか─────っ!!! ばかばかばかばか、シゲルのばか─────っ!」「そっちが人の尻尾で遊ぶからだろ」「女の子のお尻といっしょにしないでよ! シゲルのばかーっ!」「って、まて、往来のど真ん中で……」 周囲の目が冷たい。「こっち」 怒ったように手を引っ張ってどこかへ連れて行こうとするアカネ。「おい、どこ行くんだよ」「いーから! 今日と言う今日は絶対に許さないんだからねっ!」 怒りながら強引に引っ張っていくアカネにずるずると付いていくシゲル。(今のは、シゲルが悪いわ)──いや、つい出来心でな…… 連れて来られたのは、一見のカフェ。「ここは?」「お尻さわったお詫び。前にシャバに出た子から聞いたんだけど、ここのケーキおいしいって評判なんだよ」「娑婆とかいうな」 呆れたようにシゲルが言う。「だって、みんな言ってるもん」「もう少し言葉遣いはちゃんとしたほうがいいぞ」 そう言うシゲルに、拗ねたような表情でアカネが反抗する。「痴漢に言われたくないもん」「痴漢っつーな」「じゃ、おごって」「なんだよ、そりゃ」「おごってくれないと、研究所中にシゲルが私のお尻触ったって言いふらすんだから」「…………」 勘弁してくれといいたそうな表情のシゲル。「だから、今日はシゲルのおごりね♪」「……わーったよ」 しぶしぶ、中に入る。(ふふっ。シゲル、かわいい)──ほっといてくれ。 甘さを控えたチーズケーキと、発泡酒……というよりは炭酸飲料に近い琥珀色の飲み物。 目の前でおいしそうにケーキをぱくつくアカネと、自分の目の前にあるケーキを何度か見比べる。(どうしたの?)──いや、イヌの国でケーキを食える環境があるとは思わなかったんでな。(確かにこの国は貧しいわ。だけど、上から下までそろって貧しいわけでもないのよ。この国に貧困層が多いのは、王族、貴族、地主、軍人……上流階層があれこれ理由をつけて収奪するからというのもあるの) ──食うや食わずの生活している奴もいれば、同じ国の中にケーキショップもある……不公平だな。(イヌの種族性もあるのよね。どんなにひどい収奪をされても、イヌはよほどのことがないと“おかみ”に刃向かおうとはしないから)──そういうところから、変えていかなきゃならないのかな。(二千年かけて刻み込まれた思考回路は、残念ながら簡単には変わらないわ。それよりも、パイを広げていくほうがまだ現実的よ)──パイを広げる、か……それができたらな。 絹糸盟約という罠に封じ込められたこの国にとって、それもやはり困難な道であることに変わりはない。 盟約の盲点ともいえる西進路線に従ってシゲルはハトゥン・アイユ……カモシカの国で活動しているが、実際に軍を動かして征圧するには山脈と言う自然の壁が立ちはだかる。 「あれ、シゲル食べないの?」 アカネが、怪訝そうに見る。「あ、いや、食べる。取るなよ」「取らないよ~」 不満そうに口を尖らせて言う。「新しいの注文するから」「おい」「だって、シゲルのおごりでしょ」「……貧乏公務員とっ捕まえておまえは……」「いーじゃない。ね、ご主人様っ」 からかうようにアカネはそう言って、テーブルの上に乗り出すようにして、上目遣いでシゲルを見つめる。 その表情に妙にどぎまぎして、吐き捨てるように言う。「わーったわーった、何でも好きなもの注文しろ」「はーいっ、ご主人様のおおせのままに♪」 そう言うと、早速ウェイトレスを呼んでメニューの中からいくつかのケーキを注文している。──はぁ。(この子のケーキ代までは、経費で落とせそうにはないわね)──打倒すべきは、貧富の差だな。 思ってはいても、相手は半年に一度の外出だと思えば口には出せない。 異変が起きたのは、そのときだった。 がらがらという激しい音が外から聞こえ、同時に地響きのような揺れが店内を襲った。「きゃあっ!」「なんだっ!?」 悲鳴を上げるアカネと、とっさに立ち上がるシゲル。(ものすごい魔力! すぐ外……至近距離にいるわ!) エルシアが叫ぶように伝えてくる。「出るぞっ、アカネ!」「えっ!?」「このままじゃ下敷きだ!」 無理やり手を掴み、外に飛び出そうとする。「お客様、会計!」 そんな時と言うのに、律儀なイヌのウエイトレスが前に立ちふさがる。「それどころじゃねえ! ここにいたら死ぬぞ!」 突き飛ばすように店員を押しのけ、出入り口に飛び出したとき。 がらがらと言う激しい音と共に、建物が崩れた。 転げ出るように店内から飛び出したシゲルが、さっきまで建物のあった空間を見上げ、息を呑む。 そこには、一匹の巨竜がいた。 まるで怪獣映画のワンシーンのような光景。 違うのは、それがスクリーンの中の出来事ではなく、現実に起きているということ。 体高は軽く10メートルを超える。全長ならおそらく20メートル以上。昔、博物館で見たティラノサウルスの骨格よりさらに一回り大きい。 龍は、咆哮をあげながら手当たり次第に奴隷通りの建物を破壊しながらどこかへと向かう。 呆然とするシゲルの足下から、小さな声が聞こえた。「しげ……る……」 その声に、はっと我にかえる。「アカネ! だいじょうぶ……」 大丈夫かと言おうとして、言葉を詰まらせた。 瓦礫が、アカネの腰から下を押しつぶすように崩れ落ちていた。「そんな……」 呆然とするシゲル。しかし、それでもなんとか助け出そうと手当たり次第にレンガを取り除く。 が、すぐに一人では取り除けないほどの巨大な瓦礫に出くわす。「だれか! だれか手を貸してくれ!」 声を限りに叫ぶが、周囲も崩れ落ちた瓦礫の山で、我先にと悲鳴を上げて逃げ惑うばかり。「くそっ……待ってろアカネ、なんとか……」 そう言うシゲルに、アカネが微かに首を横に振る。「ううん……いいんだ」「アカネ……諦めるなっ! 絶対に俺が……」「ううん……わかるから。私、もう助からない」「……アカネ……」「ごめんね……変なときに連れて来ちゃって」 か弱い声で謝る。「気にするな。そんなことより……」 助け出そうとするシゲルの腕に、力ない手を伸ばしてアカネが続ける。「お願い。最後の言葉だから、聞いて……」「…………」 目に涙を浮かべている。きっと、もう自分の最期を覚悟しているのだろう。「私……今までずっと、死にたいって思ってた」「…………」「奴隷なんてやだ。自由になれないなら死んだほうがいい。ずっとそう思ってた」 訴えかけてくるように、一言一言、苦しげな息の下で話す。「どんなひどい目にあっても、神様なんていないんだって。私、一人ぼっちなんだって思ってた。だから……もう死にたいって」 そこまで言って、シゲルの顔を見上げる。「それなのに……」「アカネ……」「それなのに……おかしいな、今は死にたくない」「……誰だってそうだ。誰だって、本心から死にたいなんて思う奴がいるものか」 シゲルの言葉に、アカネが少しだけ微笑みを浮かべて続ける。「シゲルが、いるから」「え?」「シゲルと出合って……シゲルがいるから、死にたくなかった。シゲルと一緒にいたいから、死にたくなかったのに」 アカネの瞳から、涙がこぼれる。「それなのに……くやしいよ」「…………」「死にたくないって、やっと思えるようになったのに。どうして……」 その先は、嗚咽交じりの声で、シゲルにすがりつくように続いた。「くやしいよ……死にたくないよっ……こんなの……こんなのやだよ……」 それが本心なのだろう。 誰だって、死にたいはずなんかない。(……シゲル)──わかってる。 すばやく、周囲を見渡す。 だれもが、逃げ惑い、自分のことだけで精一杯になっている。「アカネ」 ぎゅっと、左手でアカネの手を強く握る。「何があっても、絶対に驚くなよ」「え……?」 返事を聞かず、シゲルはのこった右手で、腰の剣に手をかける。 その柄を握り締め、ほんのすこし刀身を露出させる。 そして、言った。「……ライズアップ」 魔法文字が螺旋状にシゲルの全身を疾る。 蒼白い炎が包み込むように浮き上がり、その中でシゲルがその姿を変える。 ほんの数秒の後、そこには一匹の獣人がいた。「……しげ……る……?」 眼前で起きた出来事を理解できないのか、呆然としているアカネ。「絶対に、俺の手を離すなよ」 獣人がそう言って、アカネの手を握る。 その声は、間違いなくシゲルの声。──飛べるか。(屋内はテレポート座標のセットが困難だけど、中庭なら問題ない)──OK。じゃあ、このまま飛ぶぞ。(わかったわ) 次の瞬間。 瓦礫の山の中から、二人の姿が消えた。 研究所中庭。 手を握り合ったまま、テンガロンハットをかぶった獣人と、下半身が血にまみれた少女が姿を現した。「すぐに医務室に向かう。もう少しだけ我慢すれば大丈夫だ」 ライズアップを解除するとそう言って、シゲルはアカネを抱きかかえる。「シゲル……?」「もう大丈夫だ」「さっきの……シゲルなんだよね?」「まあ、な」「始めてみた……シゲル、あんな姿してるんだ……」「驚いたか?」「ちょっとだけ……でも」「でも?」「嬉しかった」「喜ぶのは、怪我が治ってからでも遅くはないぞ」 いいながら、医務室に向かう。「ううん……だって」 涙を浮かべた目でシゲルを見上げて、アカネが続けた。「私にも、正義の味方がいたんだって」「せーぎのみかた、か」 普段やってることは、とても正義の味方とは言えそうにないだけに、つい苦笑を浮かべる。「だって。あんな助けられ方するなんて思わなかったもん」「……まあ、普通は思わないかもな」 弱々しい声だが、少しだけ元気が戻っている。「とりあえず、医務室はこっちだったよな?」「うん。だけど……」「だけど?」「もう少しだけ、お姫様だっこでもいいな」「命に関わるケガしてんのに、それどころじゃないだろ!」 蹴破るように扉をあけて、医務室に入った。「ちょっと、もう少し丁寧に開けてよね!」 研究室の女医が、腰に手を当ててシゲルを叱る。「両手ふさがってたんだ、大目に見てくれ」 そう言って、空いているベッドにアカネを寝かせる。「歩けるようにしてくれ。金は経費からいくらでも落とす」「……無茶言うわね」「あんたの辞書に無茶と言う言葉があるとは思わなかった」「魔法薬切らせてるから、手術でやるしかないわよ」「……ないのか」「最近、魔法モノの相場が高騰してるから。ネコはボってるし、国産エリクサはこっちにはまず回ってこないし」「仕方ないな。とにかく、治してもらえるならそれでいい」 彼女……カシナート先生は、子供のころのお医者さんごっこで裸になってじゃれあう少女時代をすごし、そのまま外科医を目指したというふざけたような経歴の持ち主。 だが、腕は間違いない。 いまやメスを自在に操り、内患、外傷、手術で手に負える範囲なら治療できないものはない天才外科医。 そうでなくては、仮にも国立機関の中で、虚弱なヒトの医療を任されることはない。「じゃあ……って、これ大変じゃない」 瓦礫の下敷きになっていたアカネの下半身を一目見て、そう声を上げる。「大変なんだよ」「……歩けるどころか、ヤブの手にかかったら墓場行きよこれ」「縁起でもないこと言うなっ!」 声を荒げるシゲル。「別に縁起悪くはないでしょ。だって私はヤブじゃないんだから」 そう言いながら、手早く麻酔のセットを始める。「さて、じゃあちょっと脱がせるから、見たけりゃ見ててもいいわよ」 振り向かずにそう声をかけてくるカシナート先生に、シゲルが突っ込む。「ふつう、見るなって言うものじゃないのか?」「見るなって言っても見たいでしょ?」「……どう答えろと」 困惑していると、アカネが声をかけてくる。「シゲルって、意外とエロいとこあるよね」「違うっ!」 大声で否定して、外に出ようとしたとき。「うわっ!!」「何!?」「きゃあ!」 地震のような地響きと、そして建物全体を揺らすような衝撃が走った。──まさかっ!(でもこの魔力……間違いないわよ!) さっきの、巨龍。──なぜ、こっちに……こんなときに!(わからない……だけど、このままじゃまずいわよ!)──わかってる。 窓の外に目をやり、テンガロンハットを被りなおす。「止めてくる。手当てを続けてくれ」「シゲル……」 アカネが、弱々しくその名を呼ぶ。「一人で大丈夫?」 カシナート先生が、準備の手を止めずに聞いてくる。「……たぶんな」 それに答えるシゲル。正直、自信はない。 それでも、止めなきゃいけない。「止めるしかないんだから、止めてくる」 そう言って、振り返ると。「『神様なんていない』……さっき、そう言ったよな」「……シゲル……」「なあ、アカネ」 できるだけ恐怖を感じさせないように、笑顔を作る。「神も仏もいないかもしれないけど、それでも……」 握り拳を見せて、励ますように言う。「それでも、俺がいる」「…………」「神も仏もいなくても、この世界には俺がいる」 その言葉に、無言で微笑むアカネ。 「少しだけ待ってろ。“せーぎのみかた”らしく、かっこよく片付けてくる」 そう言い残すと、シゲルは廊下へと飛び出した。 廊下へと飛び出した瞬間に、テレパシーが飛び込んできた。“こちら、GARM通信員アーロン。ミスター・ステイプルトン、聞こえるか” GARMの秘密通信局は大陸の各地に点在する。 シゲルのように、テレパシー能力を内蔵されている場合、通信局の周囲にいればテレパシーを使って本部からの情報を受け取ることができる。──聞こえる。“そちらに向かった怪物の情報を伝える”──続けてくれ。“データを照合した結果……敵はランクA国際犯罪者『ドラゴントランス』ウィーバー兄妹”──ドラゴントランス……?(竜変身……つまり、人間が魔法で竜の姿を取っているってことかしら?)“その通りだ、ミズ・エルシア。活動範囲は主にわが国と猫国。巨体を利用した無差別の破壊活動を主とする”──ちょっと待ってくれ。兄妹って……“そうだ、二体いる” 通信員の冷静そうな声の裏に、微かに焦りの色もみえる。“一体は奴隷街からそちらに向かっている。もう一体が、現在研究所を襲撃している”──二体……時間をかければ挟み撃ちか…… 震えがくるような恐怖と焦燥が、シゲルを包む。(軍はどうしてるの?)“ほとんど全軍が王宮の守備に回った。期待はするな”──ばっかやろう……(国民を守らないで、何が軍隊よ) 呆れたように、シゲルとエルシアがこう心の中で口にする。“全くだ……しかしやむを得ない。現在、首都防衛に残っている軍隊は王宮守備を最優先にするよう命じられている”(じゃあ、一人だけで相手しなきゃならないの?)“五局に連絡は取ったが、あいにくと手が空いているものが近くにはいない。一時間はかかる”──間にあわねえよ!“そうだな。だから、君がなんとかするしかない”──わかった。何とかする。“幸運を祈る” そして、テレパシーは途切れた。「…………」(……シゲル)──正義の味方ってのも、つらいもんだな。(勝てるかしら)──勝つしかない。俺しかいないんだ。 揺れる廊下で、銃弾を装填する。(魔法弾はまだ補充してなかったわね)──エンチャントチェックに出したきりだ。通常弾しかない。(……厳しいわね)「……厳しいのは分かってる」 声に出して、エルシアに話しかける。「それでも、やるしかないんだ」(シゲル……) 昔、ある「先輩」に言われたことがある。“都合のいいヒーローは、いつか残酷な結果を招く”と。 人間離れした能力を持つ“彼ら”にとって。目先の感情のまま誰かを助けること、それ自体は困難なことではない。 だが一度、二度は助けることが出来ても、その先どうするのかと。 いつか必ず、助けられないときが来る。 そのとき、自分は傷つき、助けた相手も余計に絶望させるだけだと。 ヒーローなんかいない。 最初から、そう思わせておいたほうが、長い目で見れば相手のためになると。そのほうが、相手は強くなり、結果的に長く生きると。 だから、目先の感情に囚われるな。──違う。 今なら、はっきりとそう言える。 それは、子供のころ学校の先生に言われたことと同じことなのだろう。“野良猫に餌をやってはいけません” 餌を与えられた猫派、それに甘え、野性の中で生きる力を失い、そのまま餌を待ち続けて死んでしまう。 だから、餌を与えるな。 きっとそれと同じ理由なのだ。──それでも、違う。 ヒトは、獣じゃない。 野良犬や野良猫と同じじゃない。 ヒトは、そこまで強くなれない。 夢がなければ。 希望がなければ。 今日より良くなる未来がなければ。 ヒトは、一人で生きてはゆけない。──でも、夢さえあれば。 夢さえあれば。 希望さえあれば。 今日よりよくなる未来が見えれば。 ヒトは、地獄の底でも生きてゆける。 だから。 シゲルは、思う。──都合のいいヒーローで、今はいい。 守れる限り、守り抜く。 それだけでいい。 この世界のどこかに、正義の味方がいるということ。 それはきっと、生きる力になる。 そして。 夢さえあれば。 希望さえあれば。 今日よりよくなる未来があれば。 ヒトは、そのときこそ強くなれる。 だから。──行こう、エルシア。(……うん) 剣を抜き放ち、揺れる廊下を駆ける。 駆けながら、剣を眼前に構える。 恐怖と焦燥を振り払うように、シゲルは叫んだ。「ライズアァップ!!」 魔法文字が全身を駆け抜け、蒼白い炎が全身を包む。 炎の中で姿を変え行くのは“魔犬”ステイプルトンの本来の姿。 入り口から飛び出すなり、研究所を破壊する巨竜にありったけの銃弾を打ち込んだ。 狙いたがわず全弾が巨竜の首筋に命中し、鮮血が流れる。 咆哮を上げ、巨竜が銃弾の打ち込まれた方向に顔を向けた。 その間に、シゲルは大急ぎで銃弾を装填する。 その姿を見て、竜が怒りに満ちた雄叫びを上げた時、シゲルはそこに異様なほどの殺意を感じた。──これは……? ただ攻撃されただけではありえないほどの激しい憎悪の念。(なにこれ……すさまじいまでの憎悪と殺意を感じるわ)──ああ……うわっ! 乱暴にシゲルのいた場所に前脚をたたきつけてくる巨竜。 それを飛びのくように避けながら、銃を撃つ。 体躯が大きいだけに、この距離だとまず外さない。 が、銃弾では殺傷するほどには至らないらしい。 いや、むしろ。──傷が塞がっていく……(かなりの治癒能力があるようね。かすり傷をいくら与えても倒せないわ)──銃弾じゃ倒せない……いや、急所を狙えば! 乱暴にたたきつけられる巨竜の前脚と、地をなぎ払うように襲う長い尾。 蹴りつけるように後脚が襲ってくることもある。 相手が巨大であるだけに、それを避けるだけで精一杯だが、その中でも何とかもう一度弾丸を装填する。──狙うなら……目と逆鱗。 それ以外の場所は、急所まで届く前に竜の分厚い筋肉に阻まれる。──何とか、間合いを…… 間合いを取って、狙いをつけるだけのほんの数瞬の余裕を持ちたい。 だが、それが出来ない。 大きく後ろに跳びのいても、それは強引に襲い掛かる竜のほんの一歩にすぎない。(何とか、撹乱して……)──そうしたいんだが、こいつ…… とにかく強引に暴れて襲い掛かってくる。 リーチの差がひどすぎて、訓練してきた戦闘術の常識が全く通用しない。──テレポートは……(まだ無理よ! あと30分は使えない!)──だったらっ…… 相手の両脚の間を潜り抜け、背後に抜けようとする。 ちょうど、巨体が邪魔をして死角になるはずだ。 魔素と大気の揺らぎから、周囲の筋肉の動きを測る。──こっちか! 竜がその巨体の重心を置くのは、左の後脚。 そのすぐ横を抜け、そこから大きく弧を描くように右へと切り込み、そして背後に抜ける。 全力で駆け抜けると、何とか巨竜との間に8メートルほどの距離を得る。 一瞬、シゲルの姿を見失った竜が振り向く。(今よ!)──ああ! 狙いを定め、両手で構えたリボルバーの引き金を引いた。 立て続けに3発。 一発は外れたが、残り二発が竜の右目と逆鱗に命中した。──砕け……ないだとっ!? 針の穴を通すような思いで弾丸を撃ち込んだ逆鱗。だがそれは、まったく何事もないかのようにそこにある。 そればかりか、かえって相手の怒りに火をつけたらしい。 そして、もう一発……右目に当てたはずの弾丸。──魔素が傷口に集まってる?(再生されている……銃弾じゃ手に負えないの?)──ウソだろ……55口径だぞ!? あと一歩でツェリザカって代物だぞ…… ステイプルトンの愛銃“グローリーブリンガー”の口径は55口径(約14ミリ)。 生命力、筋力に長けた獣人同士の戦闘のために虎国某所で開発された、この世界のオリジナルウエポン。 正確には、エンチャントした弾丸が技術的にあまり小型化出来なかったため、やむをえず口径を巨大化したというのもあるが。 さすがに、地球ほど優れた弾丸はまだ作れないものの、それでもこの世界ではオーバーテクノロジーと呼んでさしつかえないだけの破壊力はある。 大口径と引き換えにしたその重量、実に3.4キロ。ヒトの使用など設計段階から無視した、非常識極まりない拳銃といわざるを得ない。 それなのに。──どんな回復力だよ…… 焦りが、シゲルを包む。(どうするの?) エルシアの声も、微かに不安げになっている。──危ないが……接近戦しかない。 一度は鞘に収めた剣を、再び抜く。 漆黒の刀身に、銀色の魔法文字が浮かぶ。 触れたものを消し去る“消除”のエンチャント。 その刃が触れたものは“最初からそこに存在しない”ことになるという効果を持つ、このエンチャントならば。 どれほど強力な回復力を持とうとも“回復する場所が存在しなくなる”のだから、意味はない。 問題は、そのためには接近戦を挑まざるを得ないということ。 直撃はおろか、かすっただけでも大打撃を受けそうな巨体を相手に接近戦を挑むのだから、銃を使うよりはるかに危うい。 それでも、他に方法はない。 竜が怒りに満ちた咆哮を上げる。 その瞬間に、シゲルは駆けた。 前脚の一撃をかわし、狙いは後脚。 身体を支える後脚が損傷すれば、立てなくなるはず。 相手を地に倒すことさえ出来れば、後は急所は目の前。 シゲルをめがけて蹴り上げてくる右後脚が見える。 その動きを予測して、ギリギリでかわす。 かわしながら、剣を一閃させる。 そして、身体を左に反転させて竜の下から脱出しながら、左後脚の腱を切る。 後脚が、竜の巨体を支えきれなくなり、ぐらりと揺れる。 押しつぶされないように左へと駆け抜けた直後、その巨体が崩れ落ちた。──よしっ…… こうなれば、あとは容易なはず。 とどめを刺そうと竜の正面に回ろうとした時、竜がシゲルの方を向いた。 そして、大きく口を開ける。──まさかっ!?(逃げて、シゲルっ!) 慌てて正面から身体を逃がした直後、竜の口から突風のような息が吐き出された。 強い酸の臭い。直撃を受けた建物の壁が、一部溶けている。──酸のブレス……(胃液ね。炎じゃないだけマシだけど、正面に回るのは危険よ)──みたいだな。防衛手段がないだけに厄介……って…… エルシアと相談していたとき、魔素の移動に気付いた。(脚……そんな、ありえない……)──ああ……回復するはずがないのに…… 消除のエンチャントが与える“最初から存在しないことにする”という意味。 それは“剣で傷つけた”という事実に対し、魔力で理を歪めて“最初からそう切れていた”という事柄に改変するという意味。 最初から切れているのだから、切れた状態こそが本来の姿。 だから、治癒魔法も回復魔法も意味を成さない。 それこそが“消除”のエンチャントのもつ恐ろしさ……のはずだった。──それなのに、なぜ!?(ドラゴントランス……竜変身……そういうことね……)──どういうことだ?(もともと、竜の姿自体が“本来存在する”ものじゃない。それは、魔法によって理を歪め、変化させた姿。だから、竜の身体それ自体“本来は存在しないもの”ということになる) ──つまり……(たとえ、両足を失ったとしても“本来の竜の姿”を魔法で再構成出来る以上、実質的に“消除”のエンチャントは無効化できる)──そんな……だとすれば、どうやれば…… 呆然とするシゲルの前で、竜はゆっくりと立ち上がる。(可能性があるとすれば……回復までのタイムラグ、約23秒)──回復するまでに……もっと深いダメージを与えてゆけば……(23秒以内に生命活動を止められれば勝てる)──わかった。何とか…… そう答えようとしたとき。 背後から、もう一つの咆哮が聞こえた。「嘘……だろ?」 もう一体の竜が、木々をなぎ倒しながら近づいて来るのが見えた。──間に合わなかったか……(最悪の展開ね)──全くだ。 当初考えていたあらゆる攻撃手段が通用しない状態での挟撃。 どう考えても最悪といわざるを得ない。──五局のプロを待つ暇は……(ないわね)──どうすればいい…… 鼓動が早くなっているのが、自分でも分かる。(まず片方を倒さないと、いつまでも二体一だと時間の問題よ)──そうだな……強引にでも、やるしかない! 覚悟を決め、シゲルは最初の一体に向かって駆け出した。 前脚の一撃を避け、もう一度後脚を狙う。 23秒。その間に倒し、どこでもいいから相手の急所を破壊し、生命活動を止める。 それしか方法はない。 剣を左右に奮い、比較的細い足首を斬る。 そして、巨体が転倒するのを今度は右に回りこんで避ける。 どぅと、大きく大地が揺れて竜の巨体が倒れた。 跳躍し、竜の背に跳び乗った直後……(危ない、シゲルっ!)「!? ……うわあぁぁっ!」 もう一体の竜のブレスが、無防備になったシゲルの側面を直撃した。 吹き飛ばされ、3メートルの高さから地面にたたきつけられる。「ぐっ……がは……」 酸のブレスでこそなかったが、衝撃波のような空気の塊をたたきつけられ、そのまま地面に打ち付けられた。 ダメージは少なくない。(シゲル、立てる?)──何とか…… と、言おうとしたとき。(避けてっ!) 龍が、巨大な脚で踏み潰そうとしているのに気付いた。──! しまっ…… 逃げようとしたが、落下のダメージのせいで動きが遅れた。 逃げ遅れ、右足首から下が踏み潰される。「ぐあぁっ!」 絶叫が喉の奥から湧き上がる。 足首から先が、ぐにゃりと折れ曲がっていた。 鉄入りのクソ重いブーツのせいで、足首から先がちぎれるのだけは防いだらしい。 だが、ほとんど90度真横に折れ曲がっている。 立ち上がろうとするだけで、頭を砕くような痛みが走る。 そこに、竜の尾が襲い掛かる。──逃げられない! とっさに、クロスアーム気味に両手で頭部を防ぐ。 次の瞬間、丸太のような尾が真正面からたたきつけられた。「!!」 トラックの直撃を受けたような衝撃。 数メートルも吹き飛び、レンガと漆喰で固めた壁にたたきつけられる。「が……ごほっ……」 内臓を痛めたのか、咳をすると血があふれる。(シゲル……)──くそっ……今の衝撃で、腕が…… 頭部を守ったせいで、意識だけはある。 だが、その代償で右腕の骨は砕けたらしい。 左腕も、持ち上がらないほどにダメージを受けている。(そんな……)──くそぉっ……どうすれば……どうすればいいっ! 銃も、剣も効かない。 ダメージもひどく、利き腕は使い物にならない。 ましてや、二体一。 焦燥と、絶望にも似た気分が襲う。──いや……それでも…… それでも、どうにかしなくてはならない。──ヒーローなんだろっ……正義の味方なんだろ…… だったら、勝たなきゃいけない。 それなのに。──どうすればいい……どうすれば勝てるんだっ!(シゲル……) 何も思いつかない。 何も、勝算が見えてこない。 ふっと、脳裏に言葉が蘇る。『君は、戦闘の経験が少ない。戦った経験が少なすぎる』 あの時「先輩」がそう続けていたのを思い出した。 だがその時は、まだ意味が分かっていなかった。 確かに、五局や六局とは違う。戦闘中心の部局ではないのだから戦いが少ないのは当然だ。 それでも、何度も戦ってきたと自分では思っていた。 そういう意味じゃなかったのだ。──おれは……今まで“負けるかもしれない戦い”をやったことがあったか……? グローリーブリンガーの火力と、防御不可能な“消除”のエンチャントを付与した魔剣。それに加えて、ライズアップすることで手に入る、ティンダロスの超戦闘力。 絶対に勝てる戦い、絶対に負けるはずのない戦いしかしてこなかったのではないか。 それは、安全な場所から一方的に行うただの虐殺、ただの殺戮。 それは戦闘ではない。 だから、たとえば今この時のように。 負けるということが現実のものとなりそうな時。 自分が死ぬという可能性がちらつく時。 頼みの綱であった武器が通用しなかった時。 そんな時、どうすればいいかわからない。 今頃になって、ようやく気づいたこと。 ティンダロスの強さの源、魂の強さとは、つまりは心の強さ。 どんな状況でも冷静さを失わず、的確に勝利の術を見出す力。 極限状況下で生死を分けるのは、とどのつまりは内面の強さなのだと。 それが、シゲルには決定的に足りない。 見た目、そして身体的ポテンシャルはきっと“本物”に近い。プロトタイプの名目で、最新技術を惜しげもなくぶちこんでいることを考えれば、むしろ初期型よりは身体能力は上かもしれない。 だが、心があまりにも弱く、脆い。 圧倒的な火力と言う優位を失って、相手と同じ土俵に立たされた時、それが否応なく思い知らされる。「俺は……っ……」 武器と言うより所を失ったところに突きつけられる、残酷なまでの現実。──正義の味方どころか、チート装備で調子乗ってただけのレベル1冒険者だったのかよ…… 尾で殴りつけられた時に手から離れ、はるかかなたに転がる拳銃をぼんやりと見ながら、そんなことを思う。 オーバーテクノロジー一歩手前と思っていた55口径リボルバーの、何と無力なことか。「畜生っ……なんでこう、サマにならねえんだっ……」 悔しさを隠そうともせず、シゲルは泣くような声で吐き捨てた。“何を一人で悔しがっている”──えっ?“こんなときまで一人で悩むんじゃねえよ”──え……“一人でつっぱしって、一人で困ってちゃ世話ねえぜ”“シゲルは一人じゃないってのにさ”──誰……だ?“ったく、そろそろお呼びが掛かるかと待ってたのによ”“俺達がいるじゃねえか”“いい加減、気付いてくれよ” 脳裏に聞こえてくる、いくつもの声。──これは……(もしかしたら……) 聞こえてくる声に、エルシアがつぶやく。(もしかして、私達以外の……)“そうだ。我等は、お前達と共にある魂”──共にある……魂。“そう。俺はウォルターってんだ”“俺はジェムズ”“ボクはスタンリー”“ロイだ”“わしはガリバルディ。覚えのある名前だろう”──カロンセラの墓地……“そうだ。いつも墓参りしておるではないか” 確かに、国に戻るたびに墓参りは欠かさなかった。“そこのお嬢さんのシステムがどうも欠陥品でな、自我が残っちまったらしい” そう言ってわらう、ロイと名乗った若い男の声。(欠陥品とか言わないでよ!)“悪い悪い。ま、消え去らなかった分感謝はしてるぜ”(……もう)──そうか……みんな、いたんだな……“ったく、ニブい兄ちゃんだぜ”“ニブくなきゃ、今まで気付かないとかありえないし”“だから、女の扱いもああなんだろうな”──お、女の扱いは関係ないだろっ!“お? はははっ、悪い悪い” 脳裏に聞こえてくる会話。“さて、バカ話はそのくらいだ。あの化け物を倒さねばな”──どうやって……“思いつかんか?”──生憎なことに。“感情に心をかき乱されておるからだ。ステイプルトンの能力なら簡単な手だぞ”──簡単な……?“ウィスプを使えばいい” ステイプルトンが操る、光の蝶。何かに触れると崩壊するが、その崩壊の際に高い熱エネルギーを発する。 一匹のエネルギーはさほど高くないが、数匹も触れれば、たとえ屈強な獣人が相手でも、戦闘能力を奪うぐらいはたやすい。 最大で同時に50匹まで構成できる。 ……さすがに伝説級の魔術師が操るような、大地をも溶かす炎の蝶の領域には遠く及ばないが、シゲルにとっては攻防どちらにも使える貴重な魔術の一つだ。(ウィスプ……)“こういう手だ” そう言って、ガリバルディが説明した。 ゆらりと、ステイプルトンが顔を上げる。 そのときにはもう、もう一匹の竜も敷地に入ってきていた。 最初の竜も、再び脚の機能を再構築し、立ち上がっている。 さっきまでの荒々しさとは異なる静かな恐怖と共に迫り寄る二頭の巨竜。 戦う力どころ、身動きする力さえ失ったかに見えるイヌの軍人を、後はその前脚で引き裂き、肉を喰らうのみだった。“……わかっているな”──ああ。 ガリバルディから聞いた作戦。 確かに、ステイプルトンの能力を使えば不可能ではない。“座標確認はできてるぜ”“召還もOK”“連鎖プログラムも問題はない”(やれそうね)──ああ。さっきは正直、万事休すかと思ったが。“周りを見てねえからだ。自分の感情ばっか見て、それ以外が見えてねえ”“ほんとに、シゲルは毎回毎回、いっつもボロボロになるまで周りが見えないよね”“熱血とバカは紙一重だっつーけど、物事には程度ってモノがだな……”“奴等の言うとおりだ。我等は一つの身体に宿る。だが、身体は一つでも心は一人ではない”“ま、よーするに一人で考えるよりみんなでやってこーぜってことだ”──そうだな。……みんな、悪かった。“かまわねーって。それより、とっとと片付けるぜ”──OK。(じゃあ、やりましょう)「ああ」 竜が、近づいてくる。 武器はない。 一撃を避けるだけの余力もない。 それでも、今なら勝てる。 全身の神経を集中させ、魔素の流れを読む。 そして、叫んだ。「……召還っ!!」 シゲルの声と共に、二体の巨竜に変化が起きた。 まるで電流で儲けたかのように棒立ちになって痙攣を起こす。「ガ・ガァア……」 小刻みな呻き声。 そして、そのまま二体同時に崩れるように倒れた。 その間、わずか数秒。 二体の竜は、崩れ落ちると共にその姿を失い、後には二匹のイヌが残された。「やったか……」“そのようだ。さすがに、どれほど優れた回復力があろうとも、全身の急所25ヵ所を同時に破壊すれば、対処できる能力はなかったらしい”“回復に必要な魔素を、先にウィスプに使うことで魔素欠乏に追い込んだってのもあるぜ”“魔素で何かを構成しようとすれば、構成が簡単なほうが先に完成する。簡単な理屈だよね”“最大で50体構成できるウィスプを半分に分けて25体づつ。座標をあわせて相手の体内で強制的に構成し、その内部から破壊する。脳、心臓、内臓、関節、呼吸器、内耳……ありとあらゆる急所を破壊する” “一発では大したことなくても、ウィスプは構成が簡単なだけに短時間で連発できる。6秒間に27回連続で同じ場所に召還する。そこまでやれば、さすがに回復が追いつく前に器官の方が壊死しちまう” (なるほどね。ちょっと思いつかなかった)──俺もだ。“だからお前達だけで悩むなと言うことだ。我等がいる。これからは共に戦おう”──わかった。“さて、そろそろライズアップの時間が切れそうだな。またしばらく眠るとするか”──普段は寝てるのか。“ライズアップしていない時ははほとんどの機能が休眠している。俺達も同じだ”“じゃ、またね” そういい残し、声が途切れる。 そして、ライズアップも解除された。──そういうことなのか。(本来のティンダロスなら、百と一つの魂は自我も何もかも全て解け合って一つになり、新たな人格が融合形成されるの。もっとも、ほとんどはその際に暴走してしまうけど) ──俺達がそうじゃないのは?(暴走させたくなかったから。リミッターを何重にもかけて、魂の融合もあえて不完全にしたの)──そういうことか。(だから、ステイプルトン・タイプは本来のティンダロスに比べたら性能はかなり落ちるけど、その代わりに暴走は押さえ込めたし、足りない分は外部装備で補うことにしたの) ──なるほど。 そう言って、倒れる二匹のイヌを見る。 一人は、まだ若い女性。倒れ付したまま動かない。 もう一人は、男のイヌ。 そちらが、微かに顔をあげた時、シゲルと目が合った。「!?」 とっさに、戦闘態勢を取ろうとすると、男の口が動いた。「……ツ……や……?」「……!?」 そして、不思議な笑みを浮かべると、そのまま糸が切れたようにがくんと首を落とし、そのまま動かなくなった。「…………」 何か、心に引っかかるものを感じた。──何が……言いたかったんだろう。(気になるわね)──ああ…… いつの間にか、すこし小雨が降ってきていた。 足を引きずるようにして医務室に向かう。全身ボロボロ、今は動くのも辛いが、とりあえず鎮痛剤と包帯さえもらえれば後は自己回復力で何とかなる。「ちょっ……何よそのズタボロの格好!」 カシナート先生が驚くように言う。「何がかっこよく片付けるよ! 破傷風起こすわよそんなの!」「とりあえず一番寝たら、ある程度は回復する。包帯と鎮痛剤だけくれ」「そー言うわけにもいかないでしょう! ほら、いいから上も下も全部脱ぐ! 検査と消毒するから待ってなさい!」「いや、下は脱がなくてもいいだろ……」「駄目! 人間、骨盤痛めたら大変なんだから、ちゃんとパンツまで脱いで前から後から全部じっくり検査する!」 横でアカネが寝てるというのに、少しは容赦と言うものはないのかと思う。 結局、全裸にされてすみずみまで検査された挙句、強制入院とあいなった。「ほんとにもう、よくこれで包帯と鎮痛剤だけとか言えたものね」 カルテを見せびらかしながらカシナート先生が言う。「骨折8箇所、打撲数え切れず、筋肉断裂二箇所に腱断裂一箇所、おまけに内臓も一部損壊。替えが存在しない貴重な素体なんだから、もう少し大事に扱ってほしいわね」 「……よく生きてたな」「笑い話じゃないわよ。いくら回復力があるって言っても肉体自体は人間の延長線上の素体なんだから」「……わかってる」「ほんとにわかってんのかしら」「嫌と言うほど思い知らされた」「とりあえず最低でも三日間は入院。点滴の中に鎮痛剤と麻酔入れとくから、絶対安静ね」「……わーった」 すこしづつ眠気が襲ってくる。(すこし眠りましょうか。疲れちゃった)──このまま永遠の眠りとか嫌だぜ。(たぶん大丈夫よ。カシナート先生の腕は確かだし)──そう信じたい。 そのまま、意識が遠のいていった。
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