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――エナの訪問から数日後――青龍殿 門下生用大食堂「で、あっさり引き取っちゃったと」「行く所がないっていうんだから仕方ないだろ」 平然とそう答えるナキエルに、同僚のトビウオ男は呆れたと言わんばかりに嘆息した。「そりゃあれだ、体よく押しつけられたっていうんだよ」「でも実際、作る料理は美味しいんだよ。掃除も丁寧で憶えも早いし」「はー、まあ腐っても富豪の家のメイドさんってとこか。…で、もう味見はしたん?」「あ、あじっ…!?」「へ、まだなの? お前、好きなもの後にとっとくタイプだっけ?」「そういうのじゃないよ。ただ、頼ってきてくれてるのに無理やりどうこうとか…」「いいじゃん、いただいちまえば。どうせお屋敷でもそういうおシゴトしてたんだろ?」「いや、どうなのかな。訊いてないんだ……って、訊けるわけないだろ!」「ウブだねえお前さんは。ぼやぼやしてるならかわりに俺が」「今度は何の悪巧みの相談だ、ハル?」 声をかけてきた人物を見て、ハル…トビウオ男があからさまにうげっというような表情をした。ナキエルも振り向くと、濡れ羽色の髪に純白のヒレ耳と手甲を持った女拳士が立っていた。「なんでもねーよ、アルマ。エルのやつがあのぼんぼんにいいモン貰ったっていうからその話さ」「なんだ、お前にまでお礼とやらを送っているのかあいつは」 そう、彼女がナキエルのかわりに海賊調査に向かったアルマだ。白百合を思わせるような美しい甲殻とは裏腹に、彼女もまたその打撃の苛烈さで知られる生粋の『砕きシャコ』の一人である。「あいつめ、何を思ったか私にはドレス一式を送ってきおった…」 それを聞いて思わず「ぷっ」と吹き出すハルに、わずかなタイムラグもなく拳固が叩き込まれた。鼻血を撒き散らして倒れるハル。「…このような失礼なやつもいるから、着る予定はないがな」「そっか…」「なんだその残念そうな顔は…。そういうお前は何を貰ったんだ」 それを聞くなり、ノックダウンしたはずのハルがむくりと起き上がって言った。「それよそれ! こいつヒト召使を貰ったんだってよ、それもメス!」 「ヒト召使」「メス」という言葉に、アルマのヒレ耳がぴくりと動いた。「 … ほ ぉ う ? 」 …急にあたりの空気が変わり、ドドドだのゴゴゴだのいう謎の擬音がアルマの背後に見える錯覚が起こるにあたり、ハルは非常にまずいことをバラしたのだと悟った。「なるほど、二人しておたのしみの計画を立てていたというわけか。これは失礼した」「い、いやアルマ、俺にはそんなつもりは…」 気圧されながらもナキエルは弁明しようとしたが、ぎろりとひと睨みされて口を閉じた。 石になるかと思ったという。「まったく、送る奴も送る奴だが受け取る貴様も貴様だ。カールには厳重に注意するとしよう」「…なんでお前がエルのプレゼントの内容に抗議すんだよ…」「なにか言ったか、ハル」「いえ、なんにも……あ、そういえばシアちゃんの方はどうよ。そっちで訓練みてんだろ?」 露骨に話題をそらされ、アルマも露骨にため息をついた。「馴れ馴れしいなお前は…。訓練に問題はなさそうだぞ、交友関係に一部問題が生じてはいるが」「へ…交友関係?」「あら、そんなに力んじゃダメよ。相手の力を入れる方向を読んで利用するの…ほら、こうして」「ああっ…!」 三人が訪れた訓練場の一角で、ステイシアが床に組み敷かれて悶えていた。 組み敷いているのは、胴着を着たタコ女…フーラである。「なんだ、フーラのやつ帰ってたのか……ていうか、ナニやってんだあれは?」「体術の指導をしているところなんだと思うが…」 だが、黒山の人だかりを作る野次馬の輪の中でもみくちゃになっている姿は、どうにも別の何かに見えてしまわざるを得ない。「ほらほら、うまく抜け出さないと剥いちゃうわよ……うふふ」「あ、ああっ……か、堪忍してください、フーラさん…!」「だぁめ、お姉様って言わなきゃ離してあげない」「あっ、やめ……やめて、お姉様…!」「ふふふ、かわいいわね……やっぱりもっとこのへんをやわらかくしてあげようかしら」「あ、あ、ダメ……見えちゃうぅ…」 ヒートアップする痴態に、野次馬どもがごくりと生唾をのんだ瞬間。「散れいっ!」 アルマの大喝が響き渡り、人だかりはわたわたと蜘蛛の子を散らすように解散した。「あら、あなたも見てたのアルマ?」 くてっと脱力してしまったシアを抱き上げながら、フーラがしれっと言った。「フーラ…訓練と称して新入りを染めるのはやめてくれないか」「いいじゃない、キモチイイ方が憶えが早いわよきっと」「別のことを憶えて帰らせるわけにはいかんと言っている!」「んー、カールくんならむしろ喜ぶんじゃなあい? 私と結構気が合うみたいだし」「自重しろと言っとるんだ馬鹿者! 帰ってくるなり次々問題起こしおって!」 アルマはぱっとシアの身柄をひったくると、隣で茫然と事態を静観していたナキエルにほいっと投げ渡した。「え、ちょっ…!?」「その様子ではしばらく動けまい。医務室に連れていってやれ」「あ、はいはい! 俺が連れてきま ぶ ぎ ゅ 」 下心丸出しで挙手したハルにふたたび鉄拳制裁が下り、送り狼は訓練場の床に沈んだ。「…道中ヘンな真似をすればお前もこの運命だと思え」「い、イエス・マム!」 フーラに説教するアルマの怒声を後目に、ナキエルは脱力したシアを背負い訓練場をあとにした。「…うっ…」「ああ、ようやく気がついた」 寝台に寝かせたシアが目を覚ましたのを確認して、ナキエルはほっと一息ついた。 正直、背負っている間も寝かせた後も、時折悩ましい息をつくので気が気ではなかったのである。「ナキエルさん…また、助けられたようで…」「いや、俺は運んだだけで助けたのはアルマだよ……ごめんよ、フーラがバカなことを」「い、いえ…」 フーラの名を聞いて彼女にされたことを思い出したのか、シアの顔が赤く染まった。「丁寧に教えては下さるんですが…その、あの方はちょっと苦手です…」「ははは…前はあんな見境無い感じじゃなかったんだけどね」 ナキエルは苦笑しつつ、以前の近寄りがたい雰囲気を漂わせたフーラを思い出していた。「三ヶ月ほど前かな…フーラが変わってきたのは」「三ヶ月前?」「うん……フーラの親友が、ヒトといっしょに消えた日から」「消えたって…駆け落ち、ですか?」「近いかな…いや、龍王様が言うには、自分の失態でヒトごと異界に連れ去られたって」「よくわからないのですが…」「俺もよくわかってないから。とりあえず、フーラの親友は遠くに行ってしまったってことだよ。いつかは帰ってくるかもしれないし、もう二度と帰らないかもしれない」「…そう、ですか」 少し沈んだ面持ちになったシアに、ナキエルはもう一言言い添えた。「似てるんだよ」「え?」「ほんの少しだけど、君はその親友に似てる。だから、ちょっと入れ込みすぎてしまってるのかもしれない…君には迷惑な話だろうけど」「えっと…つまり、私はその人のかわりに…?」「んー…そうかも。まあ、迷惑なら迷惑ってはっきり言えばフーラも無茶はしなくなると思うよ。ああ見えて根は悪いやつじゃないから」「は、はあ…」 複雑な表情を浮かべるシアに、ナキエルはふっと「彼女が強く拒絶するのは無理かもしれない」と思った。押しが弱そうだし、今の話をしたのもちょっと早まったかもしれない…。 あとは、アルマの説教でフーラが自重してくれることに期待するしかなさそうだった。(とはいえそれも難しいかな、やっぱり…) 我知らずため息をつきながら、帰宅したナキエルは勝手口の扉を開いた。「ただいまー…」「お帰りなさい、ナキエル様!」 うなだれていた背中が、元気な声に迎えられて思わずぴんと伸びた。 そうだった、今は自分の帰宅を出迎えてくれるヒトがいるんだった。「うん、ただいま」 なんとなく嬉しくて、ナキエルはただいまを言い直した。先ほどのしょぼくれたような声に比べ別人のような“ただいま”だった。「お夕食の用意ができてますけど、どうします?」「あ、じゃあご馳走になろうかな。エナはもう食べたの?」「いえ、これからですが」「うん、それじゃあまた一緒に食べよう。その方が楽しいし」「わかりました、すぐ準備しますね」 ぱたぱたと台所に入るエナを見ながら、ナキエルは「なんだか新婚さんみたいだなあ」などと、埒も無いことを考えてにまにましていたという。
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