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風に絡まる八弦琴の旋律は、自由の喜びを謳っているようだった──────── アンタはどこに行ってもきっと大丈夫。高校時代の友人に、そう言われた事がある。何故か妙に運が良い、懸賞や賭け事なんかが弱い分を本当に大事な局面で使っているみたいだ。何故かどんな場所でも目立ったりせず何時の間にか馴染んでいる、主体性が無いわけでは決して無いのに。時々ひどく冷たく執着の無い、そしてどうやっても動かせない何かを感じる、情が無いわけでは決して無いのに、と。「アンタがもしアリスみたいに不思議の国に落っこちたら」その言葉は今でもはっきり思い出せる。「多分帽子屋のお茶会に落ち着いて永遠にお茶飲みつづけんだよ。アリスが来たらからかったりしながら、ずうっと」 そんな性格だからだろうか。疲れた体を引きずってバイトから帰る途中で御伽噺の国に落っこちたときも。帰る手段が無いと知ったときも。私を捕まえたフェルパーの商人さん(ものすごく良心的な人だったと言うのがわかったのは後の話)との、「ヒトは贅沢品嗜好品の性奴隷としての流通が基本ニャんだけど、オマエに特殊な技能ニャんかがあれば もっと高く売れたりする可能性があるしオマエも扱われ方が良くニャったりして双方ハッピーニャン! 何か特技があったら今ここで申告するニャア!」「私の特技……音楽、くらいです。絶対音感あるし、歌を歌ったりとか」「!ちょーど良いニャン!オマエにピッタリのあてがあるニャン!こっちの借りも清算できて一石二鳥!」「借り?」「な、何でも無いニャン!オマエには関係ない話ニャン、おとなしく新しい御主人様を待ってるニャン!」こんな会話の後、件の買い手を待っている時も。正直、あんまり困ったという感じはしなかった。 私を買った人間(何でもこの世界は獣人の世界で、ヒトは時々『落ちてくる』だけらしい)、新しい御主人様の馬車の中で。連れて来られてすぐ。本当に少しの間もおかずに。膝の前には、うず高く積まれたヒトの文字で書かれた本。楽譜だった。ぱらぱらと頁をはぐってみる。周りにあるのは、沢山の箱と衣装。がたごとという振動に合わせて小さく揺れている。頭の上には白い布と竹らしい植物でできた枠。馬車の、幌。外から聞こえてくる陽気な歌声は、前後を固める馬車の乗員達のものだろう。そして、目の前にはこのヤギの人間の一隊(群れ、と呼ばれていた)のリーダーだと言う、一番偉い立場の割には若く見える男。ヒトの形に近い姿をもった男は、マダラ、と呼ばれている珍しい存在らしい。ハダル、と名乗られた。「どうです?読めますか?」頭の上で横に倒された耳、そのすぐ上の位置から後ろへ、そこから湾曲して頬の脇へ巻き込んだ角も。顎の下に整えられた髪と同じ漆黒の、本当の意味で山羊髭も。ぴしりと整った端正な顔立ちも。「落ちモノの世界には色々な言語があると聞きましたが、音の流れを示すその文字は万国共通だとも 耳にしました!それで音楽の出来るヒトを、とあの商人には頼んでいたのですが」どこか酷薄で、悪魔的なイメージを喚起するべきパーツ……のはずなのだけれど。「ああ、いえ読めないということであってもすぐに転売するような事は無いのでそこは安心して ください、その場合は知っている歌や詩を伝えてもらったり、お客の前で歌っていただくことになります」ややキツイ印象を普段は与えているだろうつり気味で灰色の目はきらきらと輝き、音楽的で弾んだ声音は興奮を伝えて話がいつまでも止まらない。褐色の頬にも血色が浮いていて、総合的には、どこかやんちゃ少年めいている。……何か色々台無しだ。本当にリーダーなのだろうか。「聞こえてますかー? 通じてますよね?」「あっ、はい…申し訳ありません、御主人様」「一方的にお前が喋り続けるからじゃろうが。興奮するのも解らんでもないが、少し落ち着け」ぼうっ、と聞き流していた私の非礼は彼の後ろに静かに控えていた、カペラ老(と呼ばれていた。と言うことは長老みたいな立場なのだろう)がフォローをしてくれた。こちらの世界の一般的な男性の姿である、獣の頭をヒトの体に乗せた様な姿はやっぱりちょっと怖い。「落ち着いて、最初から簡潔に説明してやれ。お前の話はまくし立てているだけで説明になっとらん。 第一、その様子じゃあ一番大事なことも忘れているんじゃないか?」「え、何でしょうか忘れていることって?」「名前を、付けてあげないとのう」 ヤギの一族は放浪の民で、芸事に優れる。だが田舎ならともかくある程度の都会になったりすると他の娯楽も多くなってくる為、対抗手段として落ちモノの歌や詩などを取り入れたい、というのが一族の総意として決定され、貸しのあった商人から入手されたニューウェーブ☆(原文ママ)が楽譜の山と私、なのだそうだ。ただ伝統を意固地に大事にしているだけではないらしい。そして。ヤギの一族は放浪の民で、呪術をよくする。呪いの恐ろしさを誰よりも良く知るため、真名は明かさず通称で呼び合う、と言うのがものすごい昔からの習慣になっているのだそうだ。「名前を付けるという事のがすごく大事な意味を持っている国も確かにありますが、そこまで 難しく考える必要もありません。要はあだ名ですから。社会的に完璧に通用しますが」「はぁ……」よく知らない世界の事、そういうものなのだろう、と納得するしかない。と、いきなり顔を寄せられる。「それでですね」「は、はい?」「君の本当の名前を教えてください。僕だけに。こっそりと」そういえばここに来てからは名前すら聞かれてはいなかった。奴隷に名前なんて、ということかと思っていたが、どうやら今言われた理由であえて、と言うことなのだろう。促され、少し照れたが耳打ちしようと顔を寄せた先には耳が無かった。彼は少し笑うと、頭を軽く下げてくれた。少し立てられた耳に、そっと囁く。「~~~~、です」「わかりました。それではこれから、君に新しい名前を付けます。この名前が、君を守ってくれますように」 「バレリア」 しっとりとした夜気が体にまつわる。街道脇のキャンプ地は、宴会も下火になりだいぶ静かになっていた。露骨にモンゴロイドな自分にはちょっと似合わないような新しい名前を付けてもらったあと、私は群れの人たちに紹介された。……期待のニューウェーブ☆彡(原文ママ)として。皆とてもフレンドリーに接してくれて、一番最初に決められたのがハダル様以外は様付け禁止、というルールだった。フランクに過ぎる。ヤギ族特有なものなのだろうか。その後歓迎会という名目でキャンプ地にいた他のキャラバンの人たちまで巻き込んで大宴会になった。占い、歌、踊りといった群れが普段行っている仕事内容もそこで見せてもらう。『奴隷の歓迎会』、と言う状況に疑問を抱いたのは私だけみたいだった。良いんだろうか。群れの人達は男の人はハダル様以外全員ヤギ頭で、女の人は全員胸が大きかった。すごく。あれじゃあきっと、へそどころか足のつま先だって見えないだろう。自分の体を見下ろしてみると、もらった民族衣装と首輪代わりだというチョーカーの下にあるのは全然特徴が無い悲しくなるほど平均的なサイズの体だった。ヒトは、性奴隷だと拾われたときに言われた。力も魔力も無いからたやすく支配でき、いくら交わっても子供が出来ることもない。もう一度、自分を見てみる。あの人は、そこまで考えて私を買ったのだろうか?──そういったことの経験があれば、察しくらいはつくのだろうが。 考え事をしながらふらふらしていた所為か、群れのキャンプから少し離れてしまった。確かこのあたりのテントは、爬虫人類……じゃなかった、ヘビのキャラバン。そこから、聞き覚えの出来た声が聞こえたような気がした。昼間紹介された、確か……アニさん。明るい印象の美人で、宴席では見事な踊りを披露してくれた。でも、なんでヘビの人の所に……?けして感心できた事ではないが隙間からそっと覗いて──!?「んっ! あんっ! そこいいのぉっ!!」……凄い事になっていました。「もっとぉ、もっとおっぱいしぼってぇぇっ!!いいのおっぱいきもちいいのぉ!!」薄暗くてよく見えないが、確かにアニさんだった。ヘビの男の人を組み敷いたような体勢で大きな胸を揉みしだかれ腰を振りたてていて、結合部分がわずかに見えた。そのたびにじゅぷじゅぷと聞こえてくる湿った音に、脳の奥まで真っ白くなる。それでも目を離せない私の前で、二人の体位が変わった。四つん這いになったアニさんの腰を、ヘビの男の人がしっかりと抱え込んで腰を打ちつけ、胸がゆさゆさと揺れている。じゅぶじゅぶ湿った音の中に、二人の肉がぶつかり合うパンパンと乾いた音が混じっている。薄闇の中でくねる白い肌はひどく淫靡で、そして───次の瞬間、口元を手でふさがれ胴を抱えられて隙間から引き剥がされた。危ないから群れからあまり離れんようにな、カペラ老の注意を今更思い出した。真っ白くなった脳内が今度は真っ暗くなる。「あまりふらふらしていると危ないですよ、バレリア」ハダル様、だった。口から手は離されたが、塞がれてなくてもどうせ声は出せなかっただろう。そんな私を見て、ハダル様は苦笑していた。「一応念を押しておきますがあれは仕事じゃありません。僕達ヤギの民、特に若い人には淫蕩なところがありましてね……あれは 自由恋愛みたいなものです。たとえ君が望んだとしても他人相手にああいったことをさせる事はないので安心してください」種族的にものすごくエロい、と言うことなんだろうか。それより、なにやら非常に重要重大な事を今言われたような気がする。他人相手にはさせない、と言うことはやっぱり……?「君を抱くのは僕だけ、です」その言葉と同時に、背中からぐっと抱き寄せられる。体に意識せず力が入った。緊張を解す様に、髪が優しくなでられる。「ただ残念なことに」まだ何かあるのだろうか。残念なのは私の体とか、そういう落ちなのだろうか。「これから国へ帰って秘伝の継承儀式があるので、精進潔斎中なんですよ」だったら胸を撫でたり内腿をさすったりするのは良くないのではないでしょうか。「だから君とすることができるのは───」柔らかな声が耳にかかって、腰が抜けそうになる。「国で儀式が終わった後になります。とても楽しみですね」 執行猶予というのは期間中良い子にしていれば刑が軽減されるという制度だ。じゃあ、この良い子にしていればいるほど最終的にえらい事になりそうな状況は何と表現すればいいのだろう。やっぱり……『おあずけ』? がたごとがたごと、馬車が進む。歌詩の翻訳作業中、デスクワークには不向きな環境に背中を伸ばしていると、カペラ老も疲れてきたのか休憩にしてくれた。ヤギ族自体は独自の文字文化は存在しないそうだが、せめて今作業しながら習っている大陸共用の文字くらいは、周りの負担を減らすためにも早く読めるようになりたいと思う。御者席に出て、ハダル様の隣に座る。「お疲れ様、バレリア」「私よりもカペラ老の方がお疲れになられたと思います、迷惑かけっぱなしですから」「いえいえ、先日君を褒めていましたよ。ヒトは体が弱いのに良く頑張っていると」「そうですか……嬉しいです」ふと、会話が途切れた。後ろの馬車で演奏しているらしい八弦琴と車輪の響きが沈黙を優しく埋める。ハダル様が再び口を開く。「バレリア、またヒトの歌を聞かせてくれませんか。君の歌声が聞きたいです」「わかりました。だからハダル様……」 風に絡まる八弦琴の旋律は、自由の喜びを謳っているようだった。 「集中できないので膝を撫でるのやめてくださいませんか」 御者席の後ろに置いてあった六弦琴を取り上げ、演奏するために構える。ギターとあまり変わらないこの楽器は、すぐに弾くことが出来る様になり楽譜の内容を伝えるのに一役買っている。八弦琴の調べが途切れた所を待ち、ふっとこの異界の空気を吸い込んだ。所有される身に、許された自由を謳い上げるために。 「熱くなれ 夢見た明日を♪ かならずいつか捕まえる♪」 第一話 終
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