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ニ日の間はまだ良かったのだ。あの戦いで見せた貫禄は、姉として、主人としては十分なものだったから。二日くらいは、べすぱとしても姉の看護をするのに文句も何もなかった。が、べすぺが回復してきて、戦いの余韻も収まってくると――これである。 「さて。そろそろ姉様の容態も回復したようですから、トール様は貰っていきますわよ」「はぁ?」毒が抜けたのを確認するために、べすぺが軽く運動をしていたところにこの台詞である。さしもの魔法少女もこれには唖然としたものだ。「ですから。トール様も、もう姉様の看病をする必要はなくなったということでしょう? それならもう手も離れるでしょうから。わたくしが頂いてもよろしいですわよね」「……あんたねぇ。負けを認めたんじゃなかったの?」「ただ一戦の敗北で、何もかもが決まるものではないでしょう。 むしろ何度敗北しようとも、立ち上がるところにこそ尊さはあるもの。違いまして?」「それはまあ……そうだけど」一瞬怯むが、成虫の時のべすぺは簡単にはへこたれない。「でもあんたは私に何か勝利したってことはないでしょ。 それじゃトールをあげる訳にはいかないわ。トールだって嫌がるし、ねー?」脇でまた始まったとばかりに苦い顔をしていたトールは、急に振られて少しだけ焦る。「ま、まあ。そうかも」「ほら」胸を張るべすぺに対し、べすぱは冷静に答える。まあ、いつもの構図だ。「『かも』って言ってらっしゃいますわね。つまり不確定ということ」「……人の言葉尻を捕えて、あんたって子は」「ま、まあまあ、姉妹仲良くしないと」口を挟んで見たトールに――こんな時だけ。姉妹は双子らしい完璧なタイミングで答えてくる。「「誰のせいだと思って」」「るのよ!?」「ますの!?」トールとしてもたじたじになるしかなかった。マスコットの立場としてはいかにも苦しい状況である。 「……とにかく。姉様がわたくしに負けているところなんていくらでもありますわ。 例えば――そう、戦い方」「戦い方ぁ?」言われて、べすぺは軽くパンチやキックを繰り出してみせる。病み上がりながら、腰の入った良い拳に脚である。「それですわ。魔法少女なのに、どうして格闘戦がメインになっていますの? おかしいでしょう。常識的に考えて」言われて見れば――というか。トールとしても、その辺りは普段から気になっていたところではあった。「それはあるね」「ないわよッ! ったく、何賛同してるのよトールもッ。 いかに悪党だろうと語り合わなきゃいけないのがクイーン候補だし、 それなら言葉を尽くさず何よりも熱く確かなもの、拳によって語るのは当然のことでしょ? 常識的に考えて、魔法少女なんだから格闘戦をやるのは当たり前よ」それはどうだろう。首を傾げるトールである。なんというか、論理が遥か彼方に飛躍している気がする。「むしろ、あんたの戦い方の方が魔法少女らしくないんじゃないの? 毒を使うのはいいわ。私達一族の奥義なんだからね。 けど、それを吹き矢だの、投げ針だの……相手に近寄らないで倒そうっていうのは、汚いんじゃない?」「き……汚いって言いましたわね、姉様」べすぱの、こめかみの部分がピクリと動いた。「毒液を直接飛ばすよりは遥かに優雅ですわよッ!」「逆に直接飛ばす方が正々堂々としててクイーン候補っぽいわッ!」にわかに険悪な雰囲気が高まってくる。そんな空気をものともせずに、変態少女たる二人は睨み合いを続けるのだ。「敵を文字通り蜂の巣にして倒す。わたくしの戦い方こそクイーン候補の本懐たるものッ! それを姉様と来たら、針を使うのはトドメの時だけ。スズメバチとして恥ずかしいですわよッ!」「安易に切り札を出す方が恥ずかしいわッ! 殴り合いの良さも分からない女が、クイーン候補になろうってそれ自体が思いあがりよッ!」まったく、トールにしてみればつくづくどうでもいいことで言い争いをする姉妹である。どうでもいい事柄なのに、二人の間には一種の気迫の暴風が吹き荒れ、間に入るものを吹き飛ばさん勢いですらあった。「前々から気に入らなかったのよ。この際正面から勝負してあげようか? 針なんかより拳の方が早いし強いってことを思い知らせてあげるわ」「上等ですわ。病み上がりだからって敗北の言い訳にはなりませんわよ」べすぺは戦いの構えを取り、べすぱは両手に針を出現させる。まさに一触即発、近寄る者は無関係でも巻き添えを食いそうなその場所で――トールは、おずおずと手を上げた。「……何よトール」「……何ですのトール様」顔はあくまで相手を見据えたまま、べすぺとべすぱは声だけでマスコットの少年に応える。その威圧感に押されながらも、彼は言う。「そもそも、魔法少女ってところで、二人に言いたいことがあるんだけど……いいかな」「手短にしてよ」「手短にしてくださいな」べすぺはべすぱを。べすぱはべすぺを。お互いを睨み合って動かない。迂闊に気を逸らせば一瞬でやられると、二人ともよくわかっているのだ。「……魔法少女として。 そもそも君たち、今までに魔法使ってるところ見たことないんだけど」「…………」「…………」まだ、睨み合いは続いている。「……んだけど、どうなんだろう」「…………」「…………」「魔法使わないのに魔法少女って。それが一番おかしいんじゃないかな……と」 「キャー!」「うわー!」その時であった。宿の近辺から、複数の悲鳴が聞こえてきたのは。「……何事!?」「悲鳴……ですわね」二人とも構えを解いて、声の聞こえてきた方向に顔を向けた。「ただ事ではないって感じの悲鳴だったわね。べすぱ、一時休戦。いいわね?」「無論ですわ。意地を張って誇りを忘れるなど、あってはならないことですもの」言うや否や、二人は駆け出した。思い立ったらすぐに行動するのが善行を積む秘訣だ。これを「善は急げ」と言うのだが、それにしても取り残されたトールは釈然としない思いを抱える事となった。「……答えると何か都合が悪いのか? 魔法……」ともあれ仕方が無いので、先に駆けていったべすぺとべすぱを追いかけ、彼もまた走り出す。成虫の二人が全力で走っていったので、その差を埋めるのは容易ではない。――と、べすぺが戻ってきた。「もう、何やってるのよ、トール。ちゃんとついてこなきゃダメでしょ?」「ヒトってのは走るの遅いんだよ」「……ああ、もう、だったら抱えていくから。じたばたしないでよ」トールを抱きかかえて、べすぺは浮かび上がる。走るよりは飛ぶ方が早いから、これならすぐにでも悲鳴の場所に辿り着けるだろう。そんな主人の腕の中で、トールはまた尋ねてみる。「ところで、ご主人さま。魔法は」「急ぐわよ!」――とまあ、無駄ではあったが。 山間の小さな村である。山間とは言うが、盆地であり、農耕面積はそれなりに広い。そのため村の風景としては、まばらに立つ家屋の近くに水田が広がるという、キツネ国らしいものとなっている。この水田というのが、諸外国にはなかなか見られないもので、秋などは一面黄金に染まる稲穂が情緒を醸し出している。が、今は刈り入れも終わり、田には目立つようなものはない。いかさま寂しくもなるが、住民にとってはどんな時でも忙しいのである。刈り入れが終わったなら、また次の仕事がある。そうして一年中をせわしなく過ごすのが人間というもので、この村でも例外ではないのだ。そんな村の光景を、村長たる人物はゆるりと見て回っていた。「ふむう、この調子じゃと今年は飢えずにすみそうじゃのう」などと、老いた声を漏らす。この村長、かつては巫女として辣腕を振るっていたが、年を経て村の実権者へと納まった人物である。若い頃はそれは美しかったのかもしれないが、今となっては年輪を姿へと刻むばかりのようだ。キツネの特徴とも言える耳は勢いもなくややうなだれ、腰も曲がって歩きづらそうな姿をしている。ただ、村を見回す時の眼光だけは、政治家と言うに相応しい代物であった。「中央に送る分はアレとして、コレをアレしてソレすれば……うむ、いくらか手元に残るかのう」誰も聞くものがいないのをいい事に、妙な皮算用をする村長である。このまま放置しておけば、恐らくこののどかな村を黒い疑惑が襲う事となったのだろうが、ただ。今日は、そんな事態にはならなかったようだ。 「キャー!」「うわー!」 悲鳴である。「すわ、何事じゃ!」そう遠くはないようなので、村長は曲がった腰をどうにか持ち上げ、そちらへと向かう。しばし歩き、やれやれと見上げたその先に――「……な、何じゃ。これは」その先にあったのは。道の真ん中を堂々と塞ぐ、大きな―― 黒光りする。 鉄の塊であった。 「……な、何じゃ何じゃ」どうにも事態が呑み込めぬ。村長が首を傾げていると、先ほど悲鳴をあげた当事者であろうか、村人が二人寄ってきた。「ああ、村長。これは一体」「一体……と言われてもじゃな」長い年月を生き、経験を積んだ村長ではあるが、道を塞ぐ鉄塊というのはあまり記憶にはない。――いや。確か、外国では機関車だとか言う、鉄の塊が物や人を乗せて走り回っていると聞いたか。「しかしこれは機関車とかいうものでもないようじゃがのう……はて」こんもりとした、小山にも見える鉄の塊であった。人の四から五人分にも及ぶかという高さである。これは高い。村人などは、困惑した顔で村長と鉄塊を交互に見やる。「これが邪魔で、山に入れないだよ」「うむう」「芝刈りも出来ねえだ、村長」「むむむ」村に障害あればそれを正すのが統治者たる村長の役目である。しかしながら、この鉄の小山。動かすには相当の人手がいるだろうが、村中を総動員しても足りるかどうか。「どかさねばならぬかのう」「勿論だで」村人からはそう急かされるが、政治というのはそんなに簡単なものではない。人を集める手間やら、人件費やら、それで遅れる農作業への影響などなど。考えれば考えるほどに頭の痛い問題である。「やれ、困った」腕組みして唸る。なるべくなら何もせずに済ませたいのが本音であった。さりとて村人に実被害――交通の邪魔、という事だが――が出ている以上は、放置するのも支持率の低下に繋がる。「やれ……困ったわい」ふう、と、年月が形となったかのようなため息を、村長は漏らした。こんな厄介ごとは、もっと大きな町で起こればよいものを。人の力も何もかも小さなこの村にあっては、指導力を発揮して云々ともいかない。若い頃にがっぽりと稼いだ金を元手に、老後をのどかな村で安らかに送ろうとした人生設計が裏目に出てしまった格好か。「まったく、稲荷様のご加護というのはないものか」 捨てる神あれば拾う神あり。村長のその嘆きを聞いてか聞かずか――いや、聞いていないのはほぼ確定ではあるのだが。この困った村長の下へ、今。空の彼方より、彗星の如く飛来する二つの物体があった。片や金色の輝きを放つ星と、もう片方は銀の輝きを放つ星である。それすなわち―― 「魔法少女ホーネットべすぺ、困っている村人のもとに炸裂推さぶべッ!?」「魔法少女ホーネットべすぱ、お困りの方のもとへ今この時に推さぶべッ!?」「ぎゃー!」 ――飛来したのは救いの手となりうる魔法少女、のはずではあったのだが。どうもこの二つの彗星は、途中でもつれてそのまま地面に激突してしまったようだ。「……は、はあ?」村長も困る。元々困ってはいたがまた余計な火種が突っ込んできたものである。二つほど、頭から地面に突き刺さった妙な人が目の前に出現した訳で、ますます意味がわからない。「……ぐうッ。焦るあまり、思わずこんな醜態を……ッ!」と、片方が立ち上がった。金髪の方だ。「あ……あんたは?」恐る恐る問いかける村長に、それは体中についた土汚れを払ってから答えを返す。「通りがかりの魔法少女よ」「……そういうのって通りがかるものなのかのう」「そういうものなのよ」確率論から言うと、きっとそれは奇跡だとか、そう呼び表されるくらいの代物ではないだろうか。とはいえ、そんな村長の懸念をよそに、その魔法少女は鉄の小山の方に眼を向ける。「おお!? これまた珍しい代物ね?」「う……うむ。唐突にこんなものが現れてのう。困っておる」「困ってる、と……うん」納得したとでも言うように、少女はこくりと頷いて、その後には親指を立てた拳を村長に見せた。「む、むむ?」「困ってる人を助けるのが私の役目よ。この物体、私が何とかしてあげるわ」「なんと。しかしそんな細腕でどうにかなるものかの」見た目は、一応可憐な少女ではあるのだ。この魔法少女、というか。べすぺは。けれども、彼女は気にもせず。ぐい、と拳を掲げてみせて――「まあ、任せておきなさいな。私達は、見た目からでは想像できないパワーが売りなんだから」にんまりと笑う。頼もしいと言えば頼もしいけれど、いささか微妙ではあった。 当の本人はそのまま、物怖じも何もなく、鉄の小山にとことこと歩いて向かう。「む……近くで見るとまたこれは大きいものね」下から見上げてみると、その大きさは天をも衝かんばかりに思える程だ。黒光りする鉄がそれほどの威圧感でそびえているというのは、なかなか見られる光景ではない。「でもこれくらいなら大丈夫、っと。どっこいせ」両の手に気合を入れてから、べすぺは小山に手をかけ――ようとして。「お、お待ちになってくださいな、姉……様」ふらふらと。それはもう、ふらふら――という形容詞が、これ以上ないというくらいに似合っている姿で。べすぺから、少し離れた場所に突き刺さっていたもう一人の魔法少女が、声をかけてきた。「遅かったわね。鍛え方が足りないんじゃないの?」「……全速力で地面に突っ込んで、即座に復活できる姉様こそおかしいんですわよ」「ふん。自分の弱さを自慢するのはみっともないことだと思うわよ」「ぐっ……」妹を黙らせて、もう一度べすぺは鉄に手をかける。「一応言っておくけど。あんたじゃ、これ持ち上げるのは無理だろーし、余計なちょっかいはなしよ?」「ぐぐぐ」「ふふん。こういうところで差って出てくるものなのよねぇ」「ぐぐぐぐ……」悔しそうなべすぱの声を、心地よいバックグラウンド・ミュージックとしながら、今度こそ持ち上げようと――して。「ぐぐ……あれ、ところで姉様? トール様のお姿が見えませんわよ?」「へ?」「姉様、拾ってきたんじゃありませんでしたの?」「……あれ」確かに、飛び立った直後に彼を拾ったのは覚えている。で、その後ついついべすぱと張り合ってしまい、全速力で飛んできて――「姉様。まさか落とした、とか……」「……そ、そそそそんなワケないじゃない?」「声が震えてますわ」冷静に。冷静に考えてみる。夢中になって飛んでいたとは言え、まさか落とすなんて事はありえないはずだ。でもこの場にいないという事は、どこかではぐれた、という訳である。どこではぐれたのか――冷静に考えて、みる――と――確か。 「魔法少女ホーネットべすぺ、困っている村人のもとに炸裂推さぶべッ!?」「魔法少女ホーネットべすぱ、お困りの方のもとへ今この時に推さぶべッ!?」「ぎゃー!」 「……ぎゃー、って声が混ざってたのよね。今思えば」「そういえば。あのひき蛙が潰されたような声」地面に激突したあの時に、思わずどこかへ投げ飛ばしてしまった可能性は、極大ではある。嫌な予感を覚えながら、きょろきょろと二人は辺りを見回す。スズメバチの視力は、尋常のものではないので。今回は、尋常のものでも見つかっただろうけれど。「ト、トール!? 生きてる!?」「大変ですわ!」 近くの木の幹に。 頭を突っ込んで、ピクリとも動かないトールの姿が――そこにはあった。 「……死んだはずなのに、また死んだかと思った」頭から流れ出る血を、どうにか包帯などで応急手当してからの言葉である。気絶していた上に傷も出来ていたが、さし当たって命に別状はなかったのが幸いだろう。「ご、ごめん。ホントに」「……これからは、俺を抱えてる時はもうちょっと考えてくれないと二重に死ぬよ」「ホントーにごめんッ」流石のべすぺも平謝りである。今回は全面的に彼女が悪いのだから無理はない。それを横で、べすぱはふうとため息をこぼす。「まったく。マスコットはわたくし達より、ずっとずっと脆いんですのよ? それを忘れてこの有様とは、まったく姉様ときたら配慮の欠片もありませんのね」「うー……」「これではとてもではありませんけれど、トール様のこれからの命が心配ですわ。 ねえ、やっぱりわたくしの方を主として――」「それとこれとは話が別でしょッ!?」「どう考えても別ではありませんわよッ!」「あんまり騒がないでくれるかな……頭が朦朧としてくるよ」一時収まったはずの睨み合いが再開されている。血液が足りないというのもあるが、トールはつくづく頭が痛いと考えていた。 このように膠着した状況を打開するべく、一人の老キツネが動いた。すなわち村長である。「もういいかのう」「あ、村長さん」虚を突かれ間の抜けた顔になる二人の魔法少女に、村長は指で視線を誘導する。「で、あれをどうにかするという話はどうなったかの」「……ん、そうね。忘れてたわ」本来の目的に立ち戻るために、その場を離れようとする。その前に、「ホントにごめんね。今度から気をつけるから」「……うん」もう一度だけ、謝ってから。なんだか混乱があって抜けてしまった気合を入れなおし、べすぺは鉄に向かって手を。鉄の山に。鉄の―― 「……おや?」村長と、それからすっかり忘れられていたが、そもそもこの鉄の小山を発見して悲鳴をあげた村人が、不思議そうな顔になった。「あの鉄の塊……なんだか」ついで、その不思議そうな顔が驚きに歪む。「そ、村長! あれは!」「う……むむむ、な、なんじゃ、あれは……」急に騒ぎ始めた彼らを見て、魔法少女とマスコットも首を傾げる。「な、何よ?」「……?」「何よも何もないぞ、旅の人。あれを見るのじゃ」「あれ?」村長が示した、その先に。鉄の小山――小山だったはずのものが、ゆっくり、ゆっくりと――「げ。……嘘」「なんと言いますか……これは」鉄の小山から、右側と左側に、一本ずつ長いものが生えてくる。それは、ゆっくりと伸びて――先端が、五つの細かなものに分離する。まさしく、それは手。そして伸びた部分は、腕であろうか。人の手、腕のようなものが、そこから生まれてきたのである。「へ……変形?」朦朧とする頭で、トールはそうつぶやいた。金属が形を変えていくとは、まったく以前の世界で見たロボットやらのような話なのだ。しかし、変形はそれだけでは終わらない。腕が出来たかと思うと、今度は下側に長いものが伸びていく。それは、あの重厚なる鉄塊を、持ち上げていって――そう、これは足だ。今度は足が生えてきたのだ。「手と……足、ですの?」最早疑う余地もなく、この鉄の山は人の姿へと変わりつつある。ならば、次に変わるのも予想はつく。 鉄の山の天辺に、ゆっくりと――それは、現れた。そして。 「……ようやくか。ずいぶんと待たされた」 響くのは、鉄と鉄が擦れあう鈍い金属の音だ。 「待ち望んでいたぞ、スズメバチ。こうして対峙することを」 耳を澄まして聞いてみれば、僅かに響くのはカチカチとした硬質の音だ。金属が噛み合う小さな不協和音がする。 「感謝しておこう。この私の。そしてタコ秘密教団の為の礎となってくれることに」 村長と村人達は、自然と後ろに下がっていく。逆に、胸を張っていたべすぺとべすぱは、無意識のうちに臨戦態勢を取っていた。この物体。音と気配からだけで容易に察せられる危険な代物だ。 「戦いの前に名乗っておこう。我が名は蒸気人ライオネルバッハ。 世界同時産業革命の主軸を担い、世界に蒸気の安息をもたらす名前だ」 やがて、完成するその姿こそは。堂々たるたてがみをなびかせる、獣王の威風を備えた種族――ライオンの男。しかし、その姿はただのライオンではない。彼は。彼の姿は。ああ、彼の姿は―― そのたてがみも。腕も。脚も。何もかもが――鋼鉄によって覆われているではないか! そして背中からは、絶え間なく白い気体を噴出しはじめた。その熱気から推測できる事は、すなわちあれは蒸気なのだ。意味するところは一つしかあるまい―― 「蒸気……機関」トールは、ただ呻いた。忘れられるものではない。先日べすぺを追い詰めた怪兵器もまた蒸気によるものだったではないか。まさかその蒸気機関が、人に搭載されているなどと――およそ現実の光景とも思えない。「その通りだ、ヒトよ。我が体には偉大なる蒸気の機関が搭載されている。 そして……我が肌。我が血。我が骨。我が肉。我が心臓。 これら全て、鉄と導管、そして歯車によって置き換えられているのだ」言いながら、ライオネルバッハは――これもまた鉄の尾を伸ばし、ぐるりと見渡す。「蒸気の力は偉大である。現在様々な国で用いられている、蒸気の車を見よ。 あれほどに巨大にして重い列車が、蒸気の力によってかくも速度をもって動く。魔法を用いずに、だ。 すなわち蒸気とは力そのものであり――私もまた蒸気の力を得た。無敵なる力だ」「これはまた……」「大仰な方のご登場、ですわね」流石の魔法少女も声に余裕が感じられない。それほどにこの鉄の化け物の威圧感は溢れている。鉄の生み出す光がもたらす威圧感と、そして――何よりも、そのライオネルバッハの大きさ故に。通常の人と同じ大きさなのは、その鉄のたてがみを持つ頭部だけだ。その他の部分、首から下の一切合財は、まさにあの小山の大きさそのものなのである。見上げなければその全貌を伺う事の出来ない、異形であった。「……そうか。蒸気機関なんて搭載するなら、それくらいの大きさにはなるんだ」トールは思い出す。かつての世界で学んだ幾つかの技術論を。といっても、工業の学問を学んでいたのではないから、専門的な知識がある訳ではない。蒸気機関というものの存在と、その特徴のいくつかだけだ。百年以上前に誕生し、世界を近代へと導いた技術の産物。現在の世界を支える技術の基礎中の基礎とも言える代物だったはずだが。「それにしたって、まさか人に搭載するなんて……」「お前達の世界でも聞いたことがないか。ヒトよ。 しかしそれも当然、偉大なる蒸気をここまで生かすことが出来るのは我らタコ秘密教団のみ。 異世界を含めたところでそれは変わらぬのだ」誇らしげな語りとともに、背中からは大量の蒸気が噴出する。「この蒸気の力により、我らは世界同時産業革命を成し遂げる。 魔法などという個人差のある力ではない、誰もが平等に力を得られる理想世界の達成だ。 万物平等、万物平穏の世の実現の為に、スズメバチよ。私と戦ってもらうぞ」鉄の右手を、べすぺとべすぱに突きつける。その姿に――二人は、僅かに笑みを浮かべながら、答えた。「それは結構な理想だけどね。でも、私達スズメバチは悪党以外とは戦わないわよ?」「戦いたいだけなら適当なならず者とでも戦ってなさいな。貴方が悪党であるなら話は別ですけれど」そうは言っても、二人とも戦う姿勢を整えているのだから、あくまで形式的なものなのだろう。べすぺは軽くフットワークを行い、べすぱもまた針の準備を終えている。そして、ライオネルバッハもそれを理解して言う。「では、私を倒さぬ限りこの場所から動かぬと誓おう」「何じゃと!?」村長が激しく反応したが、ライオネルバッハはひとまずそちらは気にしない。「私がこの場にて果てようとも、この鉄の肉体のみは残る。ゆえに永遠にこの道はふさがれるであろう」「え、ええい、なんと迷惑なッ」困り声を出す村長は、慌ててべすぺとべすぱの方を見た。訴えかけるような目で、二人を見据える。「なら……それは排除しないといけないわね」「ですわね。無力な村人に迷惑をかけるなどと、言語道断ですわ」ライオネルバッハの背中から、猛烈な勢いで蒸気が吹き出る。「ならば、いざ参るッ!」 鉄の尻尾の先端が、二人の魔法少女の方を向く。そして――その先から。「……むッ!」「これはッ」二人の間を精密に狙って、業火とも言うべき炎が襲い掛かってきたのだ。予測していたのか、それを華麗に避ける二人。火炎は被害を出す事無く消える。「火、火を……な、なんじゃこれは、何がどうなっとるんじゃ……」村長は腰を抜かしている。「うーん……また、アレな状況だよなぁ」トールとしてもちょっとこの光景からは逃げたくもなる。しかし、周囲はどうあれべすぺとべすぱはこれでやる気になったようだ。「面白いじゃない。クイーン候補に挑むだけのことはあるわ」「まったく……そうですわね。丁度、決着がつけられなくてウズウズしていたところでしたわ。 これを倒した方が勝者、と……いいですわね、姉様」「オッケー」「結構。……ライオネルバッハと申しましたわね。わたくし達二人の力、侮らない方がよろしくてよ」股間の針を、蒸気人の鉄装甲に勝るとも劣らない程に鈍く輝かせながら、変態少女は宣言する。またライオネルバッハも、二人の様子に至極満足そうに頷くと、一言で返した。「もとより、余力など残すつもりはない!」蒸気が、今までで最大の勢いをもって噴出された。 「なら、お先貰うわよ、べすぱ!」言うなりべすぺは飛び立ち、丁度べすぱとライオネルバッハの間を縫うようにして近づく。それはすなわち、べすぱからライオネルバッハへの射線が通らなくなるという事だ。そして、べすぽの武器は飛び道具なのである。「あ、姉様ずるい!」妹の手出しを封じて、自分だけで片付ける。それをして差をつけようという、べすぺの知能的なやり口だった。「うぬ!」高速接近してくるべすぺに、ライオネルバッハは向き直る。そして――スズメバチの拳を、「私の拳は鉄でもなんでも叩いて砕くッ! 鳴り物入りで出てきても、その場ですぐさま退場よッ!」相手が鉄の体でも構わずに、一気に叩き込んだ。「ああ。これで姉様にポイント持っていかれてしまいましたわ」べすぺとライオネルバッハは、身じろぎもしない。巨体は、ただ変わらずに蒸気を吐き出し続け、対する魔法少女は拳を打ち込んだ姿勢のまま動かない。「姉様の拳は一撃必勝のもの。わたくしでさえ、正面から受ければどうなるものか。 鉄で覆われていようとも何の変わりもなく……まあ、相手が悪かったんですわね」淡々と語る――わりにどことなく誇るような調子があるのは気のせいか。それを観戦している村人達に聞こえるように言うと、べすぱは姉にも声をかけた。「姉様、そんないつまでも勝利のポーズをとっている必要はありませんわよ。 どうせ大きいだけのガラクタだったのでしょう? もう今回はわたくしの負けで結構ですから、さっさと――」「……良かったわね、べすぱ。まだ勝敗決まってないわよ」「え? 姉様――」きょとんとして聞き返したべすぱに、べすぺは一瞬だけ視線を向ける。その直後、彼女はすぐさま飛びのき、妹の隣にと戻った。「正直言って甘く見てたわ。鉄の体なんて、一言で言えるものじゃないわよ、あれ」「ど、どういうことですの?」べすぺは、打ち込んだ右の拳を指し示す。それは――激しい衝撃を受け、裂傷や打撲が見るも無惨なほどに広がっている拳だった。「こ、これは……!?」「……私の拳を受け止めて無傷とはね。右手はこれで使えなくなっちゃった。……ホントにやってくれるわ」ここに来てようやくライオネルバッハは顔を上げ、不敵な笑い声を出した。「くくく。理解したか、スズメバチ。鉄をも砕く拳であろうとも、私の体は打ち抜けぬぞ。 これだけの厚み、硬さを持った鉄の体をも容易く動かすのが蒸気の力よ。恐れ慄くがいい」村人達は固唾を飲んで見守る。この勝負、どうやらまったく行方が分からなくなったようなのだ。 蒸気人とスズメバチの間に、氷のような空気が張り詰める。べすぺの拳が通用しないのでは、いつものように叩いて砕く事など出来るものではない。「だったら、今こそ魔法を使う時なのでは?」咄嗟の思いつきをトールは叫ぶ。思いつきにしては、なかなかいいアイデアではないかな、と少年は内心でガッツポーズをとった。「うむ、魔法少女と言うからには魔法も使うものなのじゃろう」村長もそれに賛同したので、二人で揃ってべすぺとべすぱを注視してみる。その視線を受けて、二人の魔法少女は。「……ならばわたくしの針を味わいなさい!」両手に備えた針を、瞬時のうちに投げつける。指の間に挟まれた針は、片手に四本、両手で八本である。しかし、ライオネルバッハの元に飛んで行く針の量はそんなものではすまない。一瞬の間に次の針を用意し、投擲する。この行動があまりにも早いので、八本だけではなく、十六本、三十二本――気付けば、恐ろしく多数の、雨の如き針がライオネルバッハに襲い掛かった。「ほう……これはこれは……」「くッ……やはり」だが。べすぱ自身も予測はしていたようだが、この針の雨もライオネルバッハの分厚い鉄装甲を貫く事は出来ない。「ふん。かゆみすらも感じぬぞ?」涼しい顔をして――顔すらも鉄で覆われているので、表情は読めないのが実情だが。ライオネルバッハは、全ての針を受けきった後に鉄腕を一振りした。「拳も及ばず、針も届かぬ。そちらの攻撃は受けきった…… では、私の方の一撃も受けてもらおうか」そしていささかの傷の様子もなく、蒸気人は動き出す。みしり、みしりと鉄の軋む音と共に、傲然たる空気を纏いながら、それは歩む。「さて……どうしたもんかしらね」高速をもって武器と成すスズメバチに対するにしては、その動きは遅い。だが、こちらからの攻撃が及ばぬ以上、べすぺとべすぱは次の手をどうするかと止まったままだ。そんな彼女らに、ライオネルバッハはゆっくりと近づいていく―― 「……ま、魔法は!?」「使わんのかのう……」トールはつんのめり、村長はズレた眼鏡を指で押し上げる。 「……いいわ、来なさい!」「姉様……!?」近づくライオネルバッハに、べすぺはあえて仁王立ちとなり迎えようとする。「飛ばぬ……のか?」敵としてもこの行動をいぶかしみ、足取りが一瞬止まった。スズメバチの最大の武器である高速機動。それを使わないというのか。「貴方は私の拳とべすぱの針を逃げもせずに受け止めた。 それなら返礼として私もまた貴方の一撃を逃げずに受け止める。おかしいことはないわ」いつしか風が吹き始め、べすぺの髪がなびき流れる。村で燃えさかっていた炎は、まだまだ勢いを減らさず、背後にて轟々たる音を立てる。「……その覚悟見事なり。やはりお前達スズメバチは我らの実験相手に相応しい!」防御の姿勢すらとらず堂々と立つべすぺに、ライオネルバッハは対峙する。背部の排気筒から噴き出す蒸気が、絶え間なく、そして猛烈に空を白く染めていく。「受けよ、蒸気なる一撃! 種の力によらず魔法にもよらず、闘気すらも使わぬこの力! 純粋技術の生み出す一撃を、見事耐えよスズメバチ!」「御託は不要よ――来なさいッ!」鋼鉄で覆われた獅子の腕が、柔軟に動いて正拳突きの形を作る。そして蒸気とともに、文字通りの鉄拳は確実にべすぺの腹部に吸い込まれていく! 「べすぺ!」「姉様!」「旅の人!」 トールとべすぱと村長が、同時に叫ぶ。無謀に過ぎるこの行い、最悪の場合を想定して気の弱い者などは目を覆う。蒸気機関車の駆動を見たものは、村人の中には数少ない。ヒト世界から見れば原始的といっても、この世界にあっては技術の最先端である代物だ。しかし、その数少ない村人は、かつて見た機関車の動作を蒸気人に重ねる。巨大な鉄の塊が蒸気機関車である。力強い種族が束となれば動かせない事もないのだろうが、機関車は誰の助けも借りずに動いていた。それだけの力を生み出すのが蒸気機関なのだ。その力が拳となり、スズメバチに直撃をしている。そんなものを受けて、原型さえ留めていられるものなのだろうか―― 鈍い衝撃が、魔法少女の体から地面へと伝わり、広がる。そして彼女の体は、「く」の字に折れ曲がって見える。 ライオネルバッハは、ゆっくりと拳を引いた。「か……はッ」同時に、折れ曲がっていたべすぺが崩れ落ちる。毒蒸気を受けても膝をつくだけで、そしてすぐに立ち上がっていたあのべすぺは――倒れたままだ。指一つ動かせていない。「ね……え、さま」「べすぺ……」べすぱとトールは、この結末に発する言葉を持たない。そして感慨深そうに、また惜しむように、ライオネルバッハは倒れたべすぺに向けて呟く。「見事な覚悟ではあったが、やはり生身では耐えられぬ一撃だったか。 感謝する。これで私の力が、蒸気の力が、これほどの威力を生み出すと証明できた。 世界同時産業革命の礎としてその名は忘れまい」更に彼は後ろを向き、べすぺと、そしてその他のものから遠ざかっていく。「お……お待ちなさい。まだわたくしが残っていますわ」壮絶なる姉の姿に声を失っていたべすぱは、それでもなお敵たるライオネルバッハを呼び止める。けれども、遠ざかる彼は止まろうとしない。「最早お前の針の威力は見極めた。どうであろうとも私には通用せぬ攻撃だ。 既に私の力の証明は成った。無意味に命を散らす必要もないだろう」――その言葉が終わる前に。またしても、無数の針が蒸気人を襲う。それはやはり同じように、鉄の体によって弾かれ全て地面に落ちてしまうのだけれども。「無駄な……ことを」そうであってもライオネルバッハは振り向かないが、べすぱは。「勝負は終わっていませんわ。逃げるおつもりですの?」もう一本、針を投げつけて。宣戦布告を放つのだ。「愚かな……」ライオネルバッハが振り向く。言葉こそ発さなかったが、この行動によって宣戦布告の受諾となった。 「む……無茶だよ、べすぱ。負けると分かってる戦いなんて」流石に、これには口を出さずにはいられない。べすぺは倒れたままで――死んでいるかどうかは、ここからでは分からないが。それにしても、攻撃がまるで通用しなかった相手に、べすぱ一人で挑むなどとは無謀に過ぎる。「無茶……でしょうね。けれども、無茶の一つも通せなければ、クイーンを夢見ることさえ夢のまた夢。 ホーネットべすぱ、姉様が通せなかった無茶をここで通してみせますわ」「べ……べすぱ!」今の言葉には頼りがいもあった。信じてもよい気分にさせられる。ただ――それが通らなかった時を思うと。「だけど……でもッ」「……勿論、わたくし一人では無茶を通すことも及びませんわ。わたくしの力は、まだ姉様にも遠いもの。 姉様が及ばなかった相手に勝てる道理はなし。……それならばこそ、トール様」 「貴方もわたくしと一緒に戦ってくださいませ」 「……俺も一緒に」一緒に戦う。それは今までのべすぺとの旅の中で、一度も浮かばなかった発想だった。浮かぶ必要もなかったのだ。荒事となれば全てべすぺが片付ける。荒事以外は――まあ、幼虫のべすぺはあんな状態だったから、知恵を貸す事は山ほどあった。が、それは闘いとは少し違っていたのだ。共に肩を並べ戦う、など。それは完全に想定の埒外にある。あるはずなのだが。「って、無理だよ!? 俺、ヒトなんだよ!? 怪我もしてるし!」「近年では、優れた戦闘力を発揮するヒトが各地で見られていると聞くがな」無視されていたライオネルバッハがそんな言い方で混ぜ返す。「それは一部のヒトだけで! 俺はほんとに何も出来ないよ!?」「何も出来ない。嘘はいけませんわね、トール様」「嘘なんて――!」「貴方には」 「貴方だけにしか出来ないことがあって、それは貴方だけの力で――」 べすぱの微笑みは、今までで一番綺麗だった。 「解説、を。貴方は解説することが出来るでしょう?」 「解説……」べすぺに仕込まれ続けてきた、解説のやり方がある。それを力と呼ぶのだ、この魔法少女は。「……それが、力?」「力ですわ。解説こそはマスコットの持つ最大にして最強の力。 ……そう、その力があればわたくしもこの男を倒すことができるはず」ライオネルバッハは、蒸気をまるでため息のように吐き出す。「なんともはや……何が出てくるかと思えば、解説とは…… スズメバチの、戦意を高める儀式か何かか。そんなもので勝とうなどとは……」「お黙りなさい。すぐにその減らず口を叩き潰してさしあげますから」トールに向けていた微笑を、凛々しい闘いの顔に変え、べすぱは敵に対峙する。「でも解説ったって、べすぺに仕込まれた定型文以外には何も!」「トール様の……貴方の心から湧き上がる言葉を放って下さいな。 それで十分ですし……それが必要なのですのよ」もう何が何やら。しかし迷っている時間はない。現にべすぱなどは浮遊している。「訳わからないけど……ああ、もう、やればいいんだろやればッ!」「――ですわ」 ライオネルバッハの動きは鈍い。一撃の威力は、べすぺを沈めた拳を見る限りでは相当のものであるようだが。しかし、この鈍さは、一種致命的な欠点ですらあった。ゆっくりと近づいてくるかの蒸気人に、べすぱは一定の距離を保って立ち向かう。「ふむ、やはりそう来るか」「重量級の相手に無意味に近づくなんて、馬鹿のやることですわ」「ほほう。ならば、つい先ほど私が倒した相手は――」「……それは言わないで頂きたいところですわね」拳が届かなければ、言葉での応酬になる。まだまだ様子見と言ったところだが、しかし精神的にはライオネルバッハの方が有利である。何と言っても、べすぱの針は一本たりとて鉄の鎧を貫く事は出来なかったのだから。その事実がある限り、べすぱにとっては手出しは出来ず、逆にライオネルバッハは一度捕捉してしまえば終わりとなる。既にこの時点で勝負は決しているようにも思えるのだが。ただ、そうは言ってもトールには役割が託されているのだ。「解説ったって何をどう……ああ……もう…… ……『果たして針の届かぬ相手に勝機はあるのだろうか? それを思ってもなお挫けないスズメバチの心である。 しかし現況は不利……』……って、そんなこと言っても意味なんて……」「構わず続けてくださいな。適当に言っていればそのうち何とかなりますわ」「……そう、言われてもなぁ」本当に――意味があるのかないのか。多分無いとトールは考える。 「さて、いつまでも睨み合っていても埒が明くまい。 無限に時間がある訳でもなし。仕留めるぞ、スズメバチ」直後に、ライオネルバッハの尾がずるりと動き、先端がべすぱを向いた。そして、一度示してみせた時のように、炎が渦を巻いて飛んで来る。「火炎ッ……!」こちらも一度避けてみた時のように、左に飛んでべすぱは対応した。瞬間!火炎の向こうから、何と「尾」そのものまでもが飛んできたではないか!「これぞ、二段構えの獅子の尾よ!」「なッ……ぐぅッ!?」尾の先端――通常のライオンであれば、毛によっと覆われている部分である。しかしライオネルバッハのそこは尖った鉄の凶器と化しており、意表を突かれたべすぱの腹部に打撃を与える。「ぐ……伸びる尻尾、とは盲点でしたわ」ただ、あくまで意表をついただけの効果しかないようで、べすぱはどうにか踏みとどまった。しかし。獅子の尾は、休む事もなく火炎を放ってくるのだ。「休む暇などは与えぬよ。さあ、火炎によって焼かれるか、尖尾によって貫かれるか……」火炎、伸縮、火炎、伸縮。全身の動きは鈍いライオネルバッハであっても、その尾については細かで、巧みに逃げ道を塞ぐような攻撃となっている。高空へと逃げようにも、火炎によって阻まれ、べすぱは低空飛行で逃げ回るばかりである。「ははは、逃げてばかりいては勝てぬぞ、スズメバチよ!」「余計なお世話ですわよッ!」 村長曰く、「負けペースに見えるのう」言われるまでもなく、トールにもそう見える。「それは……」「誰か手助けでもしなければ、あれはもう一方的じゃな。 いいのかね? あんたの主人なんじゃろう。手助けせんで」「……でも、ヒトになんて出来ることないですよ」「解説とか言うておったが」それは無意味だ――と、思う。本当に。つくづく。だから、そう口にした。すると村長は、「そうとも限らんと思うがのう。意外に、当事者では目に入らんものもあったりするものじゃろう。 脇から見ていた方が冷静な判断を下せるというのはあるものじゃ」と。それこそ意外にもまともな事を言ったではないか。「じゃからな、まあ、何かこう解説していれば案外いい具合に進展するかもしれんぞ。 いや、適当に言うてみただけじゃがな」「なん……ですかね」どうせ見ているだけでも、何も意味はないのは同じなのだ。それなら、適当でもなんでも喋っているだけマシと言える。のかもしれない。 「……『こ、攻撃を。逃げてばかりではいられないなら、反撃をするしかない。 例え鉄によって阻まれようとも、攻撃せずには勝利は掴めないのだ』…… ……べすぱ」 ――実に、この時。初めて、トールは自らの意思で解説をしたのではなかっただろうか。 「およそ通用しないであろうとも、一方的にやられるくらいならこちらからやってやれ。 ……解説。確かに受け取りましたわ」低空飛行で逃げ回っていたべすぱが、もう一度両手に針を備えた。視線は、延びて襲い掛かるライオネルバッハの尾に固定して。「さあ、今一度火炎を喰らえ!」その先端から火炎が噴き出してくる。これを避ければ、直後に尖尾が伸びてくるのは目に見えた事だ。だから――「……鋭!」――今!裂帛の気合をもって、特製針は舞い踊る!「ぬうッ!」反射的に、ライオネルバッハは尾を戻す。明らかに尖ったものが迫ってきたなら、つい避けようとしてしまう――人間とはそうしたもの。痛覚を持たない鉄の身ながら、その頭脳は人間であった時のものである。すなわち、瞬間的な反応は、生身と全く変わるところではないのだ。「我ながら迂闊な……追撃をかけるべきところであったものを。 だが無意味であるぞ、スズメバチ。この鉄の身に針は無意味と思い知ったはず」再び尾を伸ばして、べすぱを威嚇するライオネルバッハ。だが、相手の反応は意外なものだった。「無意味――でもありませんのね。貴方の尾、どうなっていると思いまして?」「何?」果たせるかな、尾のあちこちに針が突き刺さっているではないか。「これは……!」「貴方も全身が全て完全なる鋼鉄ではないようですわね? 部分部分で柔らかい箇所がある、と。……なるほど」もう一度。べすぱは、針を取り出した。 「……わかった。そうか。そうなんだ」「ほう、何がわかったんじゃ?」この一連の流れから、トールは閃きを得ていた。べすぱへのアドバイスは、決して無意味なものではなかったのだ。尾への攻撃――そこから導き出される事実が、ある。「『何故、尾への攻撃は通用したのか。それには無論、理由がある。 尾は伸縮自在になって攻撃をしてきたが、つまりそれは、柔軟な動作が保証されているということだ。 しかしながら、もし、尾の部分が鉄であれば? 鉄はそう容易く曲がる物質ではないので、柔軟な動作は出来ない。 ならば、そう。体の中で、柔らかく、曲がらなければいけない場所。そこは鉄ではなく、適した素材で覆われているのだ。 そして人体構造上、柔らかくなければ身動きすら取れない場所がある! そこを狙えば! 勝利は必ず訪れる!』 ……んだよ、べすぱ!」「……なんと!」村長も驚いた。 ――見抜かれた!ライオネルバッハは瞬時にして己の不利を悟った。この、鋼鉄にて覆われた万能なるはずの体は、弱点と言える部分が存在してしまっているのだ。まさしく、今。かのヒトが告げたように。人体構造において、柔軟性を保たねばならぬその場所こそ。「了解ですわッ!」「うぬ、しまッ……」その場所――こそ。針を投げつけられ、動揺していたせいもあってか――左腕で、顔をガードしてしまった、ライオネルバッハの。左腕の、関節部分――そこに、べすぱの針は容赦なく降り注ぐ! ――突き刺さる瞬間の音はない。極めて鋭い針が、柔らかい、ゴムの部分に突き刺さったために、音は立たなかった。しかし音はなくとも、針は無数に関節へと突き立っている。「これを……見抜いたか。スズメバチ、そしてヒト。侮り難し」その針山となっている関節を確認し、蒸気人はしかし強気を崩さない。「だが、これがなんだというのだ? 針などは所詮刺さるだけの代物。 これとて、我が歯車と鉄骨格の間に入っただけのこと……動作に支障はない」「……なるほど。それは事実なのでしょうね」しかしべすぱもまた、強気を崩さないのだ。「単に刺さっただけならば。無意味なのは道理でありましょう。 ……刺さっただけ、ではなく、その一段上のダメージなら……わかりませんわよね?」「何を……言っている?」続けて、トールは言う――いや、『解説する』。「『刺さっただけで駄目ならば、その針をもっと奥へと突き刺してやればよい。 それはハンマーと釘のように、一撃一撃によって体内へと食い込み、致命の打撃と変化していく。 ――針を叩き込む、痛烈なる【炸裂】の一撃があればいい!』」「【炸裂】だとぅッ!?」その言葉は、直接ライオネルバッハが耳にした訳ではないのだが――幾度かスズメバチと戦った、あのネコの男の言葉に、それは確かにあった。誇りあるもの。尊きものを目指すそれは、【炸裂】の言葉とともに。 「魔法少女ホーネットべすぺッ! 腹部への打撃から、余裕で目覚めて炸・裂・推・参ッ!」 「復活したかスズメバチぃッ!」声の方向に向けて、闇雲に尾を叩きつけようとする。しかし彼の意志とは裏腹に、尖尾は動こうともしない。教団の技術により、その意志は鉄の体の末端にまで行き渡っているはずなのに。――針!ライオネルバッハの脳裏にはその言葉が浮かぶ。尾に幾本か突き立てられた針が、意志の伝達を阻害しているのではないか。この蒸気人たる体は精密なる機械そのものであり、場合によっては些細な傷が致命的なものになりかねないのだ。――やはり、完成とは程遠いか。こんな出来損ないの代物で革命を開始していれば、教団の理想など容易く砕け散っていた事であろう。「……それが理解できたというだけで、私が散る意味には十分だな」理想が生み出す矜持を胸に、ライオネルバッハは諦念の言葉を漏らす。 「ずぁりゃあッ!」言葉にならない雄叫びとともに、べすぺの膝が蒸気人の左肘――針の突き刺さる関節へと叩きつけられる。一本一本の針が、歯車の隙間へと潜り込んで行く。尾が、針によって意志の伝達を阻害されたのとまったく同じように。精密な機械は、異物の混入によってその動きを、緩やかに停止していった。「ぐ……ぬう」同時にライオネルバッハの左腕が、力を失って垂れ下がる。残った右腕でべすぺを振り払おうにも、大きすぎる体が邪魔をして、届く前に彼女は飛びのくのだ。「ほら、がらあきですわよ!」その上、振り上げた右腕の関節に、またしても針が雨のように降り注いでくる。「こ、これは……!」最早、ライオネルバッハには抵抗の手段などある訳もない。 残った関節の全てが停止するまで、時間はほとんどかからなかった。 「わたくしの針と――」今もなお、己の武器たる針を構えて、べすぱは言った。「私の力」そして油断なく構えたまま、べすぺも言った。すなわち、この二人の力が合わさった攻撃こそは、「『姉と妹の精妙極まる連撃が、かくも破滅的な威力をもたらす。 一人よりも二人、一と一の合算の答えは二であるとは限らない。 これこそが、スズメバチの織り成す奥義、ワスプ・コンビネーション! なのだ!』」――で、あると。トールは最後にそう告げた。 魔法少女ホーネットべすぺ 第4話「姉妹の絆! 炸裂、ワスプコンビネーション!」 「見事なり、コンビネーション・アタック。 見事なり、解説者たるヒト。 我が力遥か及ばなんだが、この結果に悔いはなし」噴き出す蒸気だけはそのままで、ライオネルバッハは頭を垂れる。両手両足の関節を封じられ、更には尾も射止められたとなれば、抵抗の術は残されていない。そう、抵抗はなくなったのだ。その途端である。「よくもまあ好き勝手やってくれたものじゃな。 我が村を襲おうとは片腹痛しじゃわい。さあ、我が手にて罰を受けよ! そしてそれをよく見ておくのじゃ、村の衆!」村長が、率先してライオネルバッハを手にした杖で叩き始めた。闘いの間、すっかり縮こまっていた村人へのアピールらしい。「政治家って恐いなぁ」「クイーン候補としては勉強になるわね」「なりますわねー」とは三者の感想だが、ともあれ村人もそんな村長の態度に呆れているので、集団での攻撃にはならない。ただ、村長が杖でライオネルバッハをちくちくと突付いているだけだ。「ええい、思い知ったか。天網恢恢租にして漏らさず、悪は必ず天によって罰されるべきじゃ。 巫女流杖術の真髄を見よ。そして許して欲しければ金を出せ」最後のところに微妙な本音が出ている。何にしてもこのままだと話が進まないので、べすぺが三人を代表して言う。「とにかく、貴方には聞きたいことも沢山あるわ。秘密教団ってのは? 私達を狙った理由は? 蒸気人ってのは? ……聞かせてもらうわよ、全て」「……くくく。くくくくく」うなだれていたライオネルバッハが、それを聞いて顔を上げた。村長はまだ突いているが無視している。「全てにおいて答えることは出来ぬ。偉大なる革命達成の為に、我らの情報は隠されなければならないのだ。 ……くくく。といって魔法による捜査などされては敵わぬのでな。 そうならないようにさせてもらうとしよう」言い終えたところ、背中の排気筒から吹き出る蒸気がにわかに勢いを増してきた。「熱ッ! な、なんじゃ、一体なんなんじゃ!」村長がその勢いに押されてか、後ろに転げて倒れる。「きゅ、急に熱くなりおったぞ。こは何事じゃ」「……離れるがいい、村長よ。私はこれより…… そう。私は、これより自爆を決行する」 自爆。 「じばく……とは」村長は、よく聞き取れなかったのか。きょとんとしている。しかしながら、トールはその言葉を噛み締めて、慌てて叫んだ。「ば、爆発します、村長! そいつ、自分もろとも爆発するつもりです!」「なんじゃと!?」村長は――またしても腰が抜けたのだろう。這いつくばって逃げようとするが、手も足も空を切るばかりで進みはしない。「世話が焼けるわねッ……と」べすぺが助けようとして飛ぼうとする。が、そんな彼女も、足がもつれて転んでしまう。「姉様?」「あ……ちょっと力が入んないわ」「もう……しっかりなさってくださいな」代わりにべすぱが村長を助け起こし、事なきを得た。 念のために自爆態勢に入っているライオネルバッハから、三人も村の衆も皆、大きく距離を取る。それとともに、吹き出る蒸気が甲高い音を立てて、時の迫るのを告げていた。「機密そのものである我が身は、かくの如き最期を迎えるも当然。 覚えておくがいい、スズメバチよ。理想に殉じることこそ誉れなり。 そして……私が滅ぼうとも、必ずや第二第三の蒸気人と続き、完全なる蒸気人の完成を目指すであろう!」流石に、この光景を前にしては誰もが厳粛にならざるを得ない。ただ一人だけ。「……上等よ」べすぺは、それを受け入れて頷く。「蒸気機関に栄えあれ! そして世界同時産業革命の遂行あらんことを! 世界は、幸福のもと統治されるべし! ……さらば!」 内臓されている石炭や可燃性の物質の、引火する温度に全体が達したのであろう。轟音と、目を開けていられぬ程の衝撃と、そして閃光があり―― 「き、消えた……」村長の呟きとともに。全てが収まった後には、いくらかの鉄屑と、歯車がその場には残されているだけであった。 ……決着と、それは呼べるものであったのだろうか。 「恐ろしい相手でしたわ……」「そう? 面白くなってきたじゃない。ああいう相手と戦ってこそのクイーン候補よ」べすぺのそれは、余裕というよりは武者震いの類と言うべきか。「クイーン候補なら世界の一つや二つ救っていくらなんだから。 楽しみじゃない、ねえ――べすぱ。それにトール」「かも……ね」そしてトールはトールで、また別個の感想があった。「解説か。……俺の戦い方、か」果たしてそれは彼の道であるのかどうか。この時点ではまだ、分からない事でもある。 で。 「ところで姉様。どうしてもわからないことがありますの」「わかんないこと?」その夜である。体力気力を使い果たしたらしく、夕食もそこそこにべすぺは床に就こうとした。が、それを押し留めるように、べすぱが尋ねる。「無防備に敵の攻撃を一度受けたでしょう。あれ、何か意味がありましたの? 思いっきり無意味に見えましたわ」「それは俺も思った」「ああ……あれね」その質問に乗ってきたトールと、そして張本人である妹に、べすぺは眠そうな顔を向けた。「あのまま逃げ回って、その上で打開策を練った方がダメージは少なかったんだろうけど…… でもさ。なんかあいつの言うことには、もっと沢山のああいう……蒸気人とかいうのが、私達を襲ってくるっぽい感じでしょ。 なら、最初にそいつらの力を確かめておくのも重要かって思ってね」「……それで、わざと一撃を受けましたの? そんなので死に掛けていては世話ありませんわよ」「まあ、それはアレよ。流石にあれだけの威力とは思わなかったから」「無茶苦茶だなぁ」姉であるもの、そして主人であるもののその答えに、べすぱとトールは呆れた顔をした。様子見の一撃であの被害である。ことによれば一撃で仕留められかねない無謀な行動ではないか。「それでも気合さえ入ってれば鉄拳だろうと耐えられる。それがクイーン候補ってもんなの。 ま、その甲斐はあったわ。あいつらの力……尋常のものではないわね」べすぺの腹部を覆う鎧は、まだ僅かに落ち窪んでいる。成虫となる事で、彼女達は体を覆う装甲を手に入れる。それがカバーする範囲は両手の甲、そして胸から腰までの範囲で、肩や腕などさらけ出されているからそんなに広くはない。しかしながら、この装甲。覆う範囲こそ狭いものの、防御力はなかなかのもので、なまじの金属鎧を凌駕するのだ。そんな彼女の天然なる鎧が、あの拳の一撃で抉れるほどに衝撃を受けている。これは容易ならざる事態と言う他ないだろう。「言っちゃなんだけど、このアーマーをへこませられるのなんて、私達クイーン候補にしたって難しいわよ。 そーねー、私を筆頭として、他には……えるまでしょ。あの子は確実として…… めせなと、あとはせりんくらいかな。べすぱ、あんたじゃ無理」「自分でわかってますわよ、それくらい」ややむっとした顔つきでべすぱは答える。さておき、べすぺの推察はつらつらと続けられる。「それなのに、あの蒸気人は、素手の一撃でこれだけの威力を見せた。 こういうのが続くとなると、厄介よこれは。 ……べすぱ、あんたは絶対この攻撃喰らっちゃ駄目だからね? 死ぬわよ」淡々とした語り口だけに、それが事実である事は容易に伺えた。直接打撃を受けての言葉だけに、べすぱも息を呑んで頷く。「……死にますのね。心得ましたわ」「あとトールも言うまでもなく死ぬわよ」「それは言われるまでもなく心得てるよ」ヒトはそもそも獣人の全力攻撃を受ければ大抵は死ぬものである。そもそもトールは闘いに参加しないので良いのだが、不慮の事故というのはありうるものだ。注意するに越した事はあるまい。 「それからもう一つ……姉様」「なによ」「……今朝はごめんなさいね。わたくしも焦っていましたわ」「はえ?」今朝、というと。マスコット一人を巡って危うくクイーン候補が刃を交えるところであった一件の事か。俺の為に争うのはやめて、とか言ったら顰蹙買うかな、とトールはまた無意味な思考をする。思えば蒸気人との決着をもってケリをつける、という流れになっていた気はするが。その辺はうやむやになってここに来ている。「あーあれ? んなのどうでもいいよ。どうせ私の勝ちだから」「……そうですわね」妙に素直なべすぱである。「なんか物分りいいわね。あんたがそういう態度だと不気味なんだけど……んー」「……姉様。わたくし、今日の戦いで思い出しましたの。 誇りあるものならば、自ら強要などしてはならないのだと。 わたくし自身の魅力をもって、トール様を惹きつけなければならなかった。 姉様から力尽くで奪っても、それでは意味がありませんでしたのね。 まったくこんな基本的なところを忘れるだなんて……わたくしも迂闊でしたわ。 思い出させてくれたのは、わたくしの思うところを言葉にせずとも実行してくれた姉様。 そして、マスコットたるに相応しい解説をして頂けたトール様。 お二人には感謝してもし足りない程と――」「べすぱ、べすぱ」「……トール様?」トールは、陶然としているべすぱにその姉を指し示して見せた。そこには、ベッドに上半身を横たえて、すっかり気持ち良さそうに眠っているべすぺがある。「まあ。姉様、眠ってしまいましたのね」「疲れてたみたいだからね」「ということは、今のわたくしの言葉も聞いていないと」「……多分」べすぱはくすりと笑った。「それはそれで結構。都合もいいと言うものですわ」「都合?」ぽん、とトールは肩に手を置かれる。置いたべすぱは、今度はニヤリとでも聞こえてくるかのような笑みを浮かべて。「姉様には最後にこう言おうと思ってましたのよ。 ――ですから、手始めにトール様にわたくしの魅力を分かって頂くところから始めたいのですけれど。 よろしいですか、姉様――と」「あ、……えと」「一応許可は取ろうかと思いまして。でも眠ってしまったのでしたら仕方ありませんものねえ。 トール様。……お礼、と思って頂けますかしら」「その……俺も結構疲れてるし……頭痛いし……」べすぱの笑顔は、ある意味姉よりもずっと――なんというか。ダークだ。「疲れている時は体を適度にほぐしてからの方がよく眠れますわ。 既にご存知の通り、わたくし……姉様より、色々豊富ですわよ?」「……あ、あははは」そんなものである。 「けどなんていうか、意外だよね」「意外。何がですの?」「……いや、べすぱってさ。べすぺに比べてこういうの積極的だなぁって」べすぱにズボンを脱がせられながらの言葉である。慣れてきているのだかなんなのだか。「積極的……というか。……といいますか、ですわね……」何やら、彼女は難しい顔をしてうなり始めた。目線が、ちらちらと床に転がっている姉を追っている。「魅力でひきつけるとなるとやはり外見でもって征するものでしょう。 しかしながら、姉様とわたくしは双子の姉妹。 当然のことなれど、わたくしと顔立ちという意味では同じなのですわね」「あー。言われてみればそうだね」髪の色が対照的なので普段はあまり意識しないのだが、この二人は顔つきという意味ではまったく同じなのである。しかもそれすらも成虫の時に限定された事である。幼虫になってしまえば、髪の色も何もかも同じになる訳であって。「同じ顔で魅力の差も何もないでしょう。……ま、スタイル等々はそれは違いますけれど」「それも……そうだね」べすぱは、ちょっぴり薄い。「とまあ、そういう理由もありますし……後は、まあ……」「まあ?」こほん、と少女は咳払いをする。「……いえね。わたくし初めてだったと先日言いましたでしょう」「……う、うん」「あれがその。なんと申しましょうか。 ……その。事の外良かったものですから」「あ、ああ。ええと。それはえと」如何せん、まだまだ若いトールではあった。反応に困るというのも詮無い事か。「ですからこういうのを姉様は今まで独り占めしてきた訳で、 それは妹として許せませんもの。でしょう?」「そ、それはどうかな」「……ま、いいですわ。それはそれ、これはこれですものね」そうこうしているうちにすっかり脱がされてしまって、トールは自らのものをべすぱの手中に握られる。勢いとしては半分程度といったところだろうか。疲労しているとかえって滾りやすい、というのは定説ではある。「さて。姉様に出来ないところでわたくしは点数を稼がせて頂きませんとね。 トール様は姉様とも色々やられていたと聞きますけれど……どうせ、姉様ですから。知識が伴っていませんでしたでしょう」「うーん……」言われればそうなのだが、あまり素直にうなずくのもどうかという気がした。しかし、べすぱにとってはそういう心理もお見通しのようで、姉によく似た不敵な笑みを浮かべる。「それはもう。わたくしの本分を発揮させて頂きますから、ご覚悟なさってくださいましね」「お、お手柔らかにね……」 べすぱの唇が、亀頭の先にかすかに触れる。そこから舌を伸ばして、鈴口から根元へと向けってゆっくりと這わせていく。まずは唾液をつけて馴らそうという心積もりなのだろうが、確かにその手際は上手いものだ。どこか熟練の技を感じさせるような――と、そこまで思ってトールは不意に気になった。べすぱの舌による愛撫は続いていて、それはそれで非常になんというか、たまらないところではあるのだが。「……あ、あの、べ、べすぱ?」「はい」舌遣いを止めて、顔を上げる。「う、上手いね」「それはどう致しまして。でもまだ始めたばかりですから、これからが本番でしてよ?」「それはわかるんだけど。ただね」刺激が止まって、トールは一息つく。「べすぱって、この間の変態の時のあれが……初めてだったんだよね?」「ええ」「……ってことは、こういうことするの……今が二回目だよね?」「ですわね」さて、そうなると――つまり。「それにしてはその。上手過ぎるっていうか……け、経験無いの?」「それは勿論。トール様がはじめての相手ですわ」どうにもこれは何というか。その証言には矛盾があるように思えてならないが。「……そりゃべすぺに比べて知識はあるっていうけど……それにしたって、知識だけでここまで……」「まあ、それは気になさらないことですわよ。乙女には秘密が付き物ですものね」艶然とした表情でにこりと笑ってから、それを打ち切るようにべすぱはまた舌を使い出した。「……あぅッ」その動きは細かさと巧みさ、さらに激しさを増して、敏感な部分を的確に舐めてくる。裏筋の縫い目に沿って動くかと思えば、くびれの内側の何もかもをなめ取るような細かな動き。べすぱの、どこか絡みつくような唾液にも塗れて、トールのものはピクリと震えた。そうなるともう、余計な事を考える余裕もなくなってくるから、今の疑問などは雲散霧消したのだけれど。「わかんないことだらけだよなぁ……あう、くうッ」「ん……ふふ。乙女には二十四の秘密の花園がありますのよ。ん……」分からないままにした方がいい事というのは、あるものであるのだ。 自分でも、そろそろかな、という予感が分かる。トールは――何しろ。口でのペニスへの愛撫、というのは、それはべすぺに何度かしてもらった事はあったが。どうにもこうにも、その妹のやり口は実にその――なんと形容すべきか。「う……えと、べすぱ、ちょっと……あぅ」集中しないと言葉も出せないくらいなのだ。というより、すぐにでも極みに押し上げられてしまいそうな、そんな状況であって。このままだと、べすぱの顔めがけて――出る。というより多分、ぶちまける。以前、元の世界にいた頃は、それはトールも思春期だったのでそういう光景に一種の憧憬があるのは否めない。が、何分相手が知り合いだとすると、いささか抵抗があるのもまた少年の心理なのだが。「で、出ちゃうよ。もう」「……ふふ」そのトールの微妙な葛藤を知ってか知らずか。べすぺはそのまま、ちろちろと舌を使って刺激を続ける。そして、彼女がぺろ、と舐め上げた、その刹那――「……くぅッ」びゅくッ、びゅるッ、と。震えるペニスの先から、白濁した液体がべすぱの顔に飛んだ。そして――また、彼女はそれを事も無げに受け止めている。 「あ……ご、ごめん。つい……出ちゃって」とは言うものの、そのビジュアルにはトールも内心、舌を巻かざるを得ない。少女の顔に、自分の飛ばしたものがべったりと付着しているのだ。その汚れ具合は、こう、人の心の色々な部分に来るものがある。よって当然の事ながら、トールのペニスは硬さを一瞬失いはしたものの、また力を取り戻しつつあった。「ふふふ。お気になさらず……というより、ほら。こういうのはどうですの?」そう言うと、べすぱは顔からこぼれかけた精液の一部を手に取って、それを口に含んだ。「う……わ」「ふふふふふふ……」トールがいかにも鼓動を高鳴らせていると、彼女曰く。「……こちらでのヴィジュアル面では姉様に圧勝、ですわ。ね、トール様?」「……そ、そうだね」わざわざ言わなくてもいいとは思うのだが。まあ、そういう意識でべすぱが行動していたのはわかった。 ともかくも、まだまだトールのペニスは気合十分である。べすぱもそれを分かっていて、すました顔をして言う。「さて、まだまだ続けますでしょう、トール様?」「あ、ああ」「でしたら、わたくしの中に――」この――展開は。「え、いや、ちょ……べすぱ?」「ふふふ。二回目ですわね、わたくしにとっては。 ああいうのって、やればやるほど良くなるとか聞き及んでおりますから……楽しみではありますの」「い、いや。あの……ね?」「……何ですの?」さあ来い、とでも言いたいかのように準備万端なべすぱに対して、トールは及び腰である。まあ無理もないのだが。――この展開、実に彼女の姉と同じような行為に及ぼうとした時と同じだ。「……だからさ。べすぺにも同じこと言ったけどさ。 成虫の時の、君たちって……無理だろ。それ」言うまでもなく。成虫たるスズメバチの股間には、それはもう立派な針がそびえ立っている訳である。「誤算!」「誤算っていうか、なんで姉妹揃って忘れちゃうんだよそれッ!」頬に手を当てて衝撃の感情を示すべすぱへの突っ込みであった。狙ってやっているのかもしれない。「むう。姉様も同じ失策を犯しましたのね」「そりゃ成虫の時は無理なんだから……気づこうよ、自分で」「……されどわたくしは姉様以上。こういう時の対処だって、勿論完璧でしてよ?」「へ」姉とは違う展開になってきた。べすぱは――くるりと振り向いて、何やらしゃがみこむ。「トール様。少しお待ちになっていてくださいな」「いいけど」 しばし待つ。 「……何してるの?」「ん……ああ……もう少し、お待ちになっていて……」べすぱからは微妙に妖しげな吐息が零れている。どうも、後ろから見る限りでは、両手を下半身にやっているようだが。見ようによっては、自らの秘所を慰めているように見えなくもない。ただ、彼女のそこは今現在針であって、ありえない話だが。「何なんだろ」「ちょっと驚きますわよ。……んッ」 もうしばし待つ。 「さあ、準備完了ですわッ!」にこにこと笑いながら、こちらに振り向いたべすぱの両手。そこには、粘性のある液体らしきものがべっとりと付着していた。「何、それ」「ぬるぬるして、それから気持ちよくなる薬液みたいなものですわ」「……な、何、それ?」「これをですわね。こうやって――」その手のひらを、自らの後ろ、つまり尻に持っていき、にゅるにゅると動かす。ぬるぬるする、というのは、その手の動きからでも伺えた。「……ふふ。わたくしの、お尻に塗布しますの。 これでこっちにトール様の受け入れ準備が完了ですわッ」「……え、えと。それってつまり」「こっち側に入れてもらう、ということですわね」繰り返すが思春期であったトール少年の事である。性知識はそれなりにあるので、そういう営みがある事は当然知っている。「そ、そっちに……ね。でも……」ただ、それを落ちてくる前の世界で知った時から思っていたのだけれど。「き、汚く……ないのかな?」「ご安心くださいまし。他の種族ならばいざ知らず、わたくし達スズメバチ……それも成虫は、ほとんど排泄はしませんの。 不要物は毒として使用致しますから。つまりお尻の穴は清潔そのもの…… むしろ、こういう用途の為にあると言っても過言ではありませんわ」「やな種族的特長だなぁ、それ」あんまりと言えばあんまりだ。「どうでもいいですわよ、そんなこと。 それに……姉様も針があるのですから、トール様。 成虫たるわたくし達を抱いたことは、まだ無いのでしょう?」幼虫時なら、変態の際に必要なので結構な回数交わってはいるのだが。思えば、確かに成虫時のべすぺには、手や口で出させてもらった事はあっても、「……そういえばそうだった。オトナのべすぺとは……そういうのは、無かったっけ」「でしょう。ま、ちょっと入れるところが違うだけで…… トール様の(ある種の)はじめて、わたくしに下さいな」そうしてべすぱはお尻をこちらに突き出すような体勢になる。姉に比べれば薄めとは言っても、十分なボリュームのある二つの尻の、その間には。ぬるぬるとしたものがねっとりと詰まっていて、時折とろとろと零れ落ちて見えるのだ。その奥の小さなすぼまりも、こちらを迎え入れるように錯覚できるから。だから、トールも、結局は。「……じゃあ」やる気になってしまうのであった。 にゅるりとした感触が、亀頭の先から感じられる。いきなり挿入というのもためらわれて、恐る恐るとあてがってみたのだが、これはこれで。尻たぶに挟まれるようにして、上下に軽く動かしてみると。「ん……」べすぱがたっぷりと塗りつけたらしい、あの妙な粘液が絡み付いて何とも言えない気分になる。ただ、それが快感に直結しているという訳でもないので、トールもべすぱも若干微妙な表情だ。「うう。くすぐったいというかなんというか……不思議な感じですわ」「う、うん」「……ともかく、お入れになってくださいな。覚悟は出来ていますわ」言われて、トールは軽く頷く――といっても、体勢からしてべすぱには見えないのだが。粘液をかきわけて、そのすぼまりに先をあてがった。そこは、膣口のように開いたりしているものではなくて、締まっているのだけれど。ただ――思い起こしてみれば、これまで挿入してきた相手というのはいずれも幼虫だった姉妹な訳である。その名の通り、二人とも幼虫の時は膣穴にしても小さなものだったから、それに比べれば成虫の尻の穴はそんなに――と、そこまで考えて、トールは自分の遍歴に少し愕然とした。そんな幼い相手としかしていないというのも、それはもう。犯罪っぽいのだ。やっぱり。まあ、今こうして相手にしているのは成虫のべすぱだから、罪悪感はほとんど無いのだけれど。さておき、頭を振ってトールはそのあたりの諸々の悩みを追い出した。追い出した勢いのままに、腰を前に進めて――べすぱの中へと、侵入する。「くぅッ……ひッ」粘液のお陰で滑りやすくなっているとはいえ、そこは本来出す器官である。異物を逆に入れるとなると、その抵抗は大きい。「きつッ……」トールとしても、挿入するのに一苦労だ。ただ、受け入れている方のべすぱは。「ふにッ、くう、ふ、んッ……き、来てますわ、ねッ」息を吐きながら、苦痛に顔をゆがめつつ――それでもなお、唇の端には余裕の如きものを残していた。「んふう……く、はうッ」ずにゅずにゅと異物は進み、べすぱの内部を犯していく。膣肉とは異なる締め付けが、その異物――トールのペニスに与えられる。「うぐッ」お陰で一瞬意識が飛びかけた。が、どうにか堪えて、更に先へと進めていく。そうして入れるところまで入る、と――二人とも、揃って息をついた。「ぜ、全部入りましたの……?」「うん……」顔だけこちらに向けて、べすぱはそう尋ねた。トールが一言だけ返すと、彼女は。「本当……不思議な感触ですわ、これ…… 前で受け入れた時とも違いますのね……はぁ、ん……」言った後、何故か小さなガッツポーズを作る。「……こ、これはもちろん、トール様の……こちらに入りきったのは初めてですわよね?」「も、もちろん」「……ふ、ふふふ。姉様は、前の初めてをトール様に。 わたくしは後ろの……く、ふぅん……初めてを。トール様……に。はぁ…… 互角……ッ! これにてわたくしと姉様、互角ですわッ!」「……よ、よかったね」どうもそのセンスにはついていけそうになかった。 ついていけないからという理由でもないが、奥まで入ったものを引き抜きにかかる。やはりそういう場所なだけに、往路よりも復路の方がスムーズにいく。「はう……こ、これぇ……」その最中に、べすぱは鼻に抜けるような声を漏らした。「これ……この感触……はうッ」そのまま限界近くまで戻す、と。彼女は言う。「ト、トール様?」「……何?」「あの……入れる時よりも、抜く時の方をその。……重視してくださいませんこと? そちらの方が……何となくその、アレですの」「そ、そう」ならば、である。言われた通りに、奥に入る時は率直に。ぬちゅぬちゅと突いてみる。「くふうッ……」こちらの時はまだ硬さの残る声を引き出すようだ。「うぅ……はぅはぅ」「……大丈夫だよね?」「ええ、段々とアレですから。……んッ」引き抜く時は、力強く、そしてゆっくりと。「ん……はぁんッ」なるほど、こちらの声音は僅かに甘い。その二つの反応を楽しむかのごとく、トールは出し入れを繰り返す。「う……これ、なんか……」「ん、トール様ぁ……」べすぱが出した粘液が、二人のそこに絡みついていく。トールのペニスの先端に。先端から伝わって、下腹部にまでそれは広がり。ぬちゅり、ぬちゅりと――べすぱの方は、腸内にまでそれは伸ばされ、届く。突いて、引き抜く。その繰り返しが進むに連れて、わずかにスムーズになってきた。「なんか……なんか、これッ……」「やッ……はぁ、トール様、わたくし……んッ」ぬりゅぬりゅと。奇妙な音が交わりを助けていって。「ぐッ……べすぱッ……なんか、これッ」「はぁ……はう、はう……わ、わたくしぃ……」宿の一室が、その水音に支配されるかの如く。空気そのものまでもが、二人にまとわりついているようだ。「これ……ヤバ、い、よッ……くッ」「んッ、は……はぁ、き……来ちゃいますわ、何か……ッ」ぐちゅッ、ぐちゅッ、と、あの音は勢いと激しさを増す。そして――「……駄目だ、もうッ!」「はひ……わ、わたくしもッ……!」――瞬間、奥で何かがはじけた。びゅるッ。びゅッ。びゅるッ。「はぅ……くはッ、はぅぅッ」「ぐ……」べすぱの中を、逆流するかのように――ヒトの精は、体の中へと溢れていった。 「……クセになりそうですわ……これ……」「……うん」膝をついてしまったべすぱに、トールは僅かにもたれかかる。強靭なスズメバチの足腰は、快感が多少強すぎてもそう簡単には挫けないのだ。「……ねえ、トール様。これからは、オトナになるたびにこれを……やってくださいまし」「それは……ま、まあ、考えとく」「……コドモの時でも、こっちはこっちでアリかもしれませんわね。ふふ」「……はは」乾いた笑いで、トールは応えるばかりであったという。 蒸気の吹き出す秘密の場所に、今、一つの鉄の塊が置かれていた。それは、たてがみを持つ人の頭部をしている。「……ライオネルバッハ。貴重な戦闘データをよくぞ届けてくれた」その塊に、その場所の主――エイ=ティ・エールは声をかける。それが、その物体に届いているのかどうかは疑わしい――否。なんと。その物体は、ゆっくりと音を発し始めたではないか。「しかしながら闘いには敗北致しました。私の未熟故でありましょう」それに驚く事などまるでなく、ティ・エールは言う。「否。元より、この完成度で十分な戦闘が行えるとは思っておらぬ。 故にこそ、お前は捨て駒ともなりうる存在であった。……それが、こうして生きて返ってきてくれたのだ。 貴重なデータもさることなれども、この生還たる事実こそが私にとっては大いなる結果だ」「……有難きお言葉にございます」ティ・エールの頭の上から、一本の触手が動いた。そのまま、安らかにライオネルバッハ――その、頭だけの体を撫でる。「……よくぞ生きて帰った。自爆を果たしてなお、この結果とは。 闘いの敗北は織り込み済みなれど、自爆の後に生還することは私にとっても想定の埒外ではあったのだ」「恐れ多い限りにございまする……」ライオネルバッハの声は震えていた。ティ・エールの、部下を労わる言葉に心が震えているのか。「更には、村人への被害も最小限。 いずれ我らが教団が統治するであろう善男善女が傷つかなかったことは、喜ばしいことである。 ……完璧だ、ライオネルバッハ。これほどの結果とは」「……はッ」「そして……これで、我らが革命は大いに駒を進められる。 欠点を改良し、長所を伸ばし……ライオネルバッハ。次のボディは、より完全なものへと近づこう」「ははッ!」ティ・エールの瞳は、しかしライオネルバッハのみを映しているのではなかった。彼女が見据えるのは、大いなる海と、そして。「万物平等、万物平穏の世の為に。 我らの願いは、唯一、世界同時産業革命の遂行のみにこそ……」 ――その部屋の片隅で。蒸気のもたらす湿気のお陰で、毛並みが完全にへたってしまった二人のネコが声を潜めていた。「くっそぅ……妙な盛り上がりを見せやがって。 この雰囲気じゃ、兄者の仇討ちをさせろとも言えねえじゃねえか」片方は小ごろつきである。となると、もう片方は大ごろつきであろう。「……うう、かわいそうな長兄……毒のせいで、あんなにもやせ衰えて……」その大ごろつきは、さめざめと泣いていた。憤慨している小の方とは対照的である。体格も態度も。「まったくよう。スズメバチめ、二度も毒を流し込むとは…… ええい、この恨みどうやって晴らしてくれようか」「……け、けどよう。俺達だけじゃ、あのスズメバチには勝てませんぜ、兄貴」「分かってるってんだよ。だからこうやって、あのタコ娘に戦力を借りに来たんじゃねえか。 ……しかしあの雰囲気じゃ口出しするのもなんだしなぁ。どうしたもんか」「そ、そもそも、貸してくれますかねえ? 俺達、こう何度も失敗続きだと……」「言うな。考えないようにしてたんだから」悪巧みの相談のようだが、どうにも行き詰っているらしい。べすぺとべすぱ。二人のスズメバチに二度してやられた彼ら一党である。性懲りも無く復讐を企んでいるのだが、この様子では適いそうになかった。「だ、大体……兄貴。ここと関わるようになってから、長兄も変わっちまったんだし…… これ以上、ここと関わるのも、スズメバチと関わるのも、いい結果になるとは思えませんぜ」「……お前なあ」弱音を吐く大に、小は兄貴分らしい睨みを利かせる。「コケにされてそのまま逃げちゃあ、鉄人団の名が泣くってもんだろうがッ! 兄者がやられたんなら、俺達だけであのスズメバチを蹴散らして、それでようやく俺達は踏み出せるんだッ! いいか、二度とそんな弱音を吐くなッ! 俺達はその程度のチンピラじゃねえんだッ! 俺はそのつもりなんだッ!」「け、けどよぉ……」吐くなと言われた傍から弱音を吐こうとした大を、小がもう一度怒鳴りつけようとした、その刹那――「お困りのようですね」 後ろから、不意に、ひどく無機質な声が―― 「だ、誰だ貴様ッ」 「これは失礼を。私は――」 無機質な声は、無機質な冷たさをもって響いた。 第4話 終わり 次回予告! 大と小、二人のごろつきの前に現れた怪人物!果たしてそれは敵か味方か、はたまた一体何なのか?そして一方、魔法少女の前には立ちはだかる壁!壁を打ち砕くその手段とは……!?次回、魔法少女ホーネットべすぺ第五話、「未来への郷愁! 戦慄の解析機関」誇りあるもの、尊きものを目指して、次週も炸裂推参ッ!
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